女「ハローハロー。誰かいませんか?どうぞ」
Part23
520 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)11:43:43 ID:ezj
海の向こうに、日が沈んでいった。
リンがおもむろに立ち上がり、店を覗き込む。
ミキ「ああ、準備はほぼできてんの。でも入らないで。裏口から、入って。店には入らないで」
リン「はいはい。俺はどうずればいい」
ミキ「最後に、お願いしていい?」
リン「…」
リンが頷き、くるりと私のほうを向いた。
女「どう?」
リン「スタッフルームになら入っていいそうだ。あいつの準備とか、手伝ってやってくれ」
女「了解。リン、は?」
リン「俺は最後にもう一仕事ある」
女「ふーん。…えっと、頑張ってね」
リン「ああ」
ふいに、リンが目を細めた。
私の耳に口を寄せ、消え入りそうな声で囁いた。
リン「…お前、ミキと一緒にいたいか」
女「え、」
リンの体が離れる。 潮風で乱れた髪が顔にかかり、表情は見えない。
521 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)11:48:30 ID:ezj
リン「どのみち俺は明日行くけど、…お前がミキといたいんなら、ここにいればいい」
女「え、ちょ」
リン「どう思う」
女「…」
どう思う、って。
女「…わたし、は」
リンが俯き加減に、こちらを見ているのが分かる。
私の答えは、それほど考えた訳でもない。悩んだ訳でもない。シンプルだ。
女「リンと行くよ」
リン「…」
風がやんで、リンの白い顔があらわになった。
口を引き結んで、何かに耐えるように私を見ている。
女「リンが私を邪魔だって思うなら、ここにいてもいいけど」
女「でも、…そうじゃないんなら、リンと一緒に行くよ」
リン「…」
リンが少しだけ、口を開く。
リン「あっそ」
女「うん」
リン「じゃあ、行く」
すたすたと浜辺を歩いていくその姿勢は、いつもより少し弾んでいるように見えた。
見えただけだが。
523 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:40:41 ID:ezj
ミキ「す…っごく綺麗!!!」
ドレスを目の前にしたミキは赤い口が裂けそうなほどの声量で叫んだ。
ミキ「買ったときより綺麗になってる!すごいわ女っ。プロみたい!」
女「い、いやそんな」
ミキ「あんた絶対才能あるわよ!何か光すら感じるもんっ」
女「あはは…」
大げさにはしゃぎまわった後、ミキはドレスを手にとって
ミキ「それじゃあ、着替えてくるわねっ。ありがとっ」
女「うん」
はしゃいだミキがまた柔らかい布を破りませんように。
しばらくして、ミキが洗面台の置くから現れた。
ミキ「いやー、入らないかと思ったけど案外イケたわ」
女「…おお!」
前にテレビで見たことがある。タイかどこかで開催された、ニューハーフのコンテスト…
それを思い出して、私は少しにやりとした。
ミキ「似合う?」
女「うん」
興奮したミキの目には、忍び笑いをする私の顔は目に入らないようだった。
524 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:46:27 ID:ezj
丁寧に化粧をし、「これめちゃくちゃ高いのよ」…そういっていた、口紅を塗る。
ミキの形の良い唇の上で、その色は華やかに光っていた。
女「本当に女の子みたいに見えるよ」
ミキ「…うん?まあ、ありがと」
ミキはうきうきとピアスをつけ、ヒールまで念入りに選ぶ。
女「…」
ミキ「どお?」
女「うん、いいんじゃない?色にあってる」
ミキ「でもね、実はネックレスだけが無いの。…どっかになくしちゃったのかな」
女「そうなんだあ」
私は白々しく返事をした。
ミキの倒れたジュエリーボックスの中身に、絡まって使えそうも無いネックレスがあったことは知っている。
それを見て、ミキが悲しそうに頬をゆがめたことも。
ミキ「まあネックレスが絶対必要ってわけではないけど」
女「…こほん」
ミキ「ん?」
女「その、手出して」
ミキ「え、なになにー」
女「いいからっ」
私は心持ち赤くほてった顔で、ミキの手に「それ」を強引に握らせた。
525 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:51:38 ID:ezj
ちゃり、と音がして、ミキの分厚い手のひらの上でそれが転がる。
ミキ「…女、これ」
女「ええと、…不恰好だけど」
私がノロノロと作業を引き延ばしていた理由が、これだ。
ミキ「…すっごく、可愛い!」
海で拾った貝殻と、波で洗われた美しいガラスを繋げたネックレス。
お母さんの趣味の手芸を手伝っているうち、こういうちょっと特殊な技まで身につけていたのだ。
ミキ「え、え、これ買った!?…ってか、どこからか取ってきたの?」
女「ううん、手作り」
ミキ「どぅええええええええええええ!!?」
ミキの絶叫に思わず耳を塞いだ。にやにや笑いが止まらない。
ミキ「え、これ、え!?女が!?嘘ぉ!?」
女「ほんとだよー。海辺でハートの形した貝殻拾って、ガラスと一緒に繋げたの」
ミキ「すんげえええええええええええ!職人じゃないもう!」
女「ど、道具さえあったら誰でも作れるよ」
ミキ「にしてもよ!?何この非凡なデザイン!あんた大人になったら絶対ファッション業界入ったほうがいいわ!」
女「いやもう、無理だけどね…」
照れくさくて、私は何度も頬を掻いた。
526 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:57:25 ID:ezj
ミキ「つけるつける!いやー、嬉しいっ。ありがとう女っ」
私の肩を激しく揺さぶってまくしたてるミキ。
興奮さめやらぬ様子で、細い鎖を首元に回した。
女「どう?」
ミキ「…」
姿見に自分の首元を映し、ミキはしばらく沈黙した。
女「…えっと、ごめん、その。…下手くそで」
ミキ「……女」
女「ん」
ミキ「わ、…私…。こんな、こんな嬉しいこと…」
ぐすっ、とミキが鼻を鳴らした。
女「ちょ、化粧取れるから泣かないで!!」
ミキ「だってえええ女が小粋なことするからあああ」
女「我慢してってば!」
ミキ「わがってるよおおおお」
女「…っ、すっごいかお…」
もう、笑いすぎてお腹が痛い。
必死に涙を零すまいと踏ん張るミキの横で、私は心から笑うことができた。
胸の中が、じわりと温かくて、甘い。
月が出た。
満月なのだと、たった今気づいた。
リンはまだ戻ってこない。
女「…遅いね?」
ミキ「うーん、もうそろそろよ。きっと」
527 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:01:48 ID:ezj
女「何かトラブルがあったんじゃ…」
ミキ「心配性ねー。だいじょぶよ」
女「う、ん」
ミキ「それより、女はもう席につきなさいよ。ねっ」
女「え、いいの?」
ミキ「うん。先に準備して待ってましょう」
ミキに手を引かれるまま、私はレストランに入った。
店内は薄く間接照明がともされ、甘い香りのキャンドルがたかれている。
なんだか「オトナ」な雰囲気に少したじろいだ。
ミキ「さ、ここよ」
ステージの前にはしっかり席が作られていた。
海をバックにした舞台がきちんと見えるよう、小さな白いイスとテーブルが置かれている。
女「…ここに私とリンが座るの?」
ミキ「そ」
女「3脚あるよ?いす…」
くす、とミキが肩を竦めて意味深に笑った。
ミキ「いいのよ」
そういうミキの目に、一瞬不安の色がよぎったような気がした。
528 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:06:29 ID:ezj
女「何を歌うの?」
ミキ「ひみつー」
女「ケチ」
ミキ「うっさいわね」
がたん。
後ろで音がした。次いで、店のスズがちりちりと音を立てる。
女「リンだ」
ミキ「…」
ミキは音もなく立ち上がると、ステージの奥まで飛んでいく。
女「ミキ?」
ミキ「女、迎えにいってきて。私は、…」
長い睫毛が伏せられ、目に陰をつくる。
ミキ「私は、歌い手だから。ここに立ってお客さんを待ってないと、だめでしょ?」
女「あ、それもそうだね」
私は立ち上がり、店のドアに向かう。
女「リン。遅かった、…」
リン「ん」
リンが軽く片手を上げる。
女「リ、リン?」
私は、目を見開いて彼の後ろを見つめた。
リン「…」
女「…なに、それ」
リンの後ろはぼんやりと「青く」光っていた。
529 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:11:03 ID:ezj
リンはきっと気づいていない。
そう一瞬で判断し、私は身を乗り出してそれに触れようとした。
リン「おい落ち着け」
しかしリンのしっかりした胸板に阻まれた。
女「だ、だって!後ろにクリアが!!」
リンの後ろに漂う軟体を指差して喚くと、リンがうるさそうに溜息をついた。
リン「気にするな。害は無い」
女「ないわけないでしょ!?」
リン「ないんだ。俺はこいつに何度も接触してるけど、何もしてこない。そういう奴なんだ」
女「え、え?」
まさかリンの言う仕事って
リン「これを連れて来いって、ミキに頼まれたんだよ」
女「う、…うそ」
リン「本当。俺も最初は意味不明だったが。…いや、今もだけど」
ふわふわ。
青い球形の物体は、3歩ほど後ろからこちらを伺うように漂っている。
女「…ミキが、これを?」
リン「俺は何も聞いてないぞ。とにかく店の裏山に居るこいつを連れて来いって言われただけだ」
531 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:15:44 ID:ezj
女「入れていいのかな」
リン「いいだろ。ほら、どいて」
女「…」
リン「触るなよ。お前が触ったら破裂すんだから」
女「う、うん」
私は極力身を引いて、リンとクリアを通してあげた。
リンの腰辺りをふわふわと浮いて滑るそれは、確かに水音がした。
女「…えっと、ステージ前のイスに座れって、ミキが」
リン「ん」
女「クリアも座らせる、の?」
リン「さあ?」
リンが振り返って球形のクリアを見る。
しかしクリアは、ステージから10歩ほど離れた所で急に動きを止めた。
女「…来ないよ?」
リン「妙だな」
リンが近づき、誘導するようにゆっくりステージへ歩く。
けど、全く動かない。
女「…ええと?」
リン「なんだこいつ」
体内の水の揺れすら止め、じ、と佇む姿は
まるで「もうこれ以上行きたくない」と拒否しているようにも見えた。
532 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:22:40 ID:ezj
女「どうしちゃったのかな」
リン「知ら…」
「お待たせいたしました、皆様」
ふいに、凛として澄んだ声が、店に響き渡った。
女「…ミキ?」
舞台袖の奥に目を凝らそうとしたが、暗くてよく見えない。
「今夜はmarineにご来店いただき、誠にありがとうございます」
「さて、今からmarine自慢の歌のショーが始まります」
リン「…」
「まだお席についていらっしゃらない方は、どうぞお座りください」
「なお、この時間帯のオーダーは一旦ストップさせていただきます。ご了承ください」
女「ねえ、リン」
リン「座ろう。座れって言ってんだし」
女「…うん」
私達は小さなイスに腰掛けた。クリアは相変わらず、ステージから遠い場所で浮いている。
「それでは、始めます」
舞台袖から、こつん、と固いヒールの音がした。
533 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:26:55 ID:ezj
レトロな薄暗い照明に囲まれ、美しい衣装を纏ったミキが現れた。
その顔は微かに上気し、どこか遠い昔を見つめているように思える。
女「…」
私は胸の前でぱち、と手を叩いた。
釣られるようにリンも高い音で手を叩く。
ぱちぱちぱちぱち。
二人分の、小さいけど確かな拍手が店に満ちた。
ミキ「…」
ミキが微笑み、深くお辞儀をした。
そっと顔を上げ、私とリンを優しい目で見つめる。
…そして、視線をずらして、クリアを見た。
ミキ「…」
ミキの唇が微かに開き、
ミキ「…」
しかし何も言わず、閉じた。
ミキはマイクに手をかけた。
しん、とした冷たく神聖なかんじさえする空気が、一瞬震えて。
ミキ「…」
ミキの喉仏が、動く。
534 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:32:58 ID:ezj
何時の間に設定したのだろう。
黒いスピーカーから重厚にうねるジャズ調の伴奏が流れ出した。
ミキが体を傾け、色っぽくマイクに口を寄せる。
そして。
ミキは、歌った。
美しい歌声だった。
はっと息を呑まずにはいられないような、口元を押さえずにはいられないような、美しい声だった。
ミキの低く、柔らかく、威厳に満ちた声が鼓膜を震わせ、体中に染みていく。
女「…」
リン「…」
ミキの口から流れ出す音楽を、私達は何も言えずただ聞きほれた。
長い時間が経ったように感じた。
ミキが最後に甘い吐息をついて歌い終えたとき、私は体が震えた。
ミキ「…ありがとう」
いたずらっぽい笑みで、ミキは呟いた。
私とリンは、さっきよりも数倍大きな拍手で彼を包んであげた。
海の向こうに、日が沈んでいった。
リンがおもむろに立ち上がり、店を覗き込む。
ミキ「ああ、準備はほぼできてんの。でも入らないで。裏口から、入って。店には入らないで」
リン「はいはい。俺はどうずればいい」
ミキ「最後に、お願いしていい?」
リン「…」
リンが頷き、くるりと私のほうを向いた。
女「どう?」
リン「スタッフルームになら入っていいそうだ。あいつの準備とか、手伝ってやってくれ」
女「了解。リン、は?」
リン「俺は最後にもう一仕事ある」
女「ふーん。…えっと、頑張ってね」
リン「ああ」
ふいに、リンが目を細めた。
私の耳に口を寄せ、消え入りそうな声で囁いた。
リン「…お前、ミキと一緒にいたいか」
女「え、」
リンの体が離れる。 潮風で乱れた髪が顔にかかり、表情は見えない。
521 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)11:48:30 ID:ezj
リン「どのみち俺は明日行くけど、…お前がミキといたいんなら、ここにいればいい」
女「え、ちょ」
リン「どう思う」
女「…」
どう思う、って。
女「…わたし、は」
リンが俯き加減に、こちらを見ているのが分かる。
私の答えは、それほど考えた訳でもない。悩んだ訳でもない。シンプルだ。
女「リンと行くよ」
リン「…」
風がやんで、リンの白い顔があらわになった。
口を引き結んで、何かに耐えるように私を見ている。
女「リンが私を邪魔だって思うなら、ここにいてもいいけど」
女「でも、…そうじゃないんなら、リンと一緒に行くよ」
リン「…」
リンが少しだけ、口を開く。
リン「あっそ」
女「うん」
リン「じゃあ、行く」
すたすたと浜辺を歩いていくその姿勢は、いつもより少し弾んでいるように見えた。
見えただけだが。
523 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:40:41 ID:ezj
ミキ「す…っごく綺麗!!!」
ドレスを目の前にしたミキは赤い口が裂けそうなほどの声量で叫んだ。
ミキ「買ったときより綺麗になってる!すごいわ女っ。プロみたい!」
女「い、いやそんな」
ミキ「あんた絶対才能あるわよ!何か光すら感じるもんっ」
女「あはは…」
大げさにはしゃぎまわった後、ミキはドレスを手にとって
ミキ「それじゃあ、着替えてくるわねっ。ありがとっ」
女「うん」
はしゃいだミキがまた柔らかい布を破りませんように。
しばらくして、ミキが洗面台の置くから現れた。
ミキ「いやー、入らないかと思ったけど案外イケたわ」
女「…おお!」
前にテレビで見たことがある。タイかどこかで開催された、ニューハーフのコンテスト…
それを思い出して、私は少しにやりとした。
ミキ「似合う?」
女「うん」
興奮したミキの目には、忍び笑いをする私の顔は目に入らないようだった。
524 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:46:27 ID:ezj
丁寧に化粧をし、「これめちゃくちゃ高いのよ」…そういっていた、口紅を塗る。
ミキの形の良い唇の上で、その色は華やかに光っていた。
女「本当に女の子みたいに見えるよ」
ミキ「…うん?まあ、ありがと」
ミキはうきうきとピアスをつけ、ヒールまで念入りに選ぶ。
女「…」
ミキ「どお?」
女「うん、いいんじゃない?色にあってる」
ミキ「でもね、実はネックレスだけが無いの。…どっかになくしちゃったのかな」
女「そうなんだあ」
私は白々しく返事をした。
ミキの倒れたジュエリーボックスの中身に、絡まって使えそうも無いネックレスがあったことは知っている。
それを見て、ミキが悲しそうに頬をゆがめたことも。
ミキ「まあネックレスが絶対必要ってわけではないけど」
女「…こほん」
ミキ「ん?」
女「その、手出して」
ミキ「え、なになにー」
女「いいからっ」
私は心持ち赤くほてった顔で、ミキの手に「それ」を強引に握らせた。
525 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)12:51:38 ID:ezj
ちゃり、と音がして、ミキの分厚い手のひらの上でそれが転がる。
ミキ「…女、これ」
女「ええと、…不恰好だけど」
私がノロノロと作業を引き延ばしていた理由が、これだ。
ミキ「…すっごく、可愛い!」
海で拾った貝殻と、波で洗われた美しいガラスを繋げたネックレス。
お母さんの趣味の手芸を手伝っているうち、こういうちょっと特殊な技まで身につけていたのだ。
ミキ「え、え、これ買った!?…ってか、どこからか取ってきたの?」
女「ううん、手作り」
ミキ「どぅええええええええええええ!!?」
ミキの絶叫に思わず耳を塞いだ。にやにや笑いが止まらない。
ミキ「え、これ、え!?女が!?嘘ぉ!?」
女「ほんとだよー。海辺でハートの形した貝殻拾って、ガラスと一緒に繋げたの」
ミキ「すんげえええええええええええ!職人じゃないもう!」
女「ど、道具さえあったら誰でも作れるよ」
ミキ「にしてもよ!?何この非凡なデザイン!あんた大人になったら絶対ファッション業界入ったほうがいいわ!」
女「いやもう、無理だけどね…」
照れくさくて、私は何度も頬を掻いた。
ミキ「つけるつける!いやー、嬉しいっ。ありがとう女っ」
私の肩を激しく揺さぶってまくしたてるミキ。
興奮さめやらぬ様子で、細い鎖を首元に回した。
女「どう?」
ミキ「…」
姿見に自分の首元を映し、ミキはしばらく沈黙した。
女「…えっと、ごめん、その。…下手くそで」
ミキ「……女」
女「ん」
ミキ「わ、…私…。こんな、こんな嬉しいこと…」
ぐすっ、とミキが鼻を鳴らした。
女「ちょ、化粧取れるから泣かないで!!」
ミキ「だってえええ女が小粋なことするからあああ」
女「我慢してってば!」
ミキ「わがってるよおおおお」
女「…っ、すっごいかお…」
もう、笑いすぎてお腹が痛い。
必死に涙を零すまいと踏ん張るミキの横で、私は心から笑うことができた。
胸の中が、じわりと温かくて、甘い。
月が出た。
満月なのだと、たった今気づいた。
リンはまだ戻ってこない。
女「…遅いね?」
ミキ「うーん、もうそろそろよ。きっと」
527 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:01:48 ID:ezj
女「何かトラブルがあったんじゃ…」
ミキ「心配性ねー。だいじょぶよ」
女「う、ん」
ミキ「それより、女はもう席につきなさいよ。ねっ」
女「え、いいの?」
ミキ「うん。先に準備して待ってましょう」
ミキに手を引かれるまま、私はレストランに入った。
店内は薄く間接照明がともされ、甘い香りのキャンドルがたかれている。
なんだか「オトナ」な雰囲気に少したじろいだ。
ミキ「さ、ここよ」
ステージの前にはしっかり席が作られていた。
海をバックにした舞台がきちんと見えるよう、小さな白いイスとテーブルが置かれている。
女「…ここに私とリンが座るの?」
ミキ「そ」
女「3脚あるよ?いす…」
くす、とミキが肩を竦めて意味深に笑った。
ミキ「いいのよ」
そういうミキの目に、一瞬不安の色がよぎったような気がした。
528 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:06:29 ID:ezj
女「何を歌うの?」
ミキ「ひみつー」
女「ケチ」
ミキ「うっさいわね」
がたん。
後ろで音がした。次いで、店のスズがちりちりと音を立てる。
女「リンだ」
ミキ「…」
ミキは音もなく立ち上がると、ステージの奥まで飛んでいく。
女「ミキ?」
ミキ「女、迎えにいってきて。私は、…」
長い睫毛が伏せられ、目に陰をつくる。
ミキ「私は、歌い手だから。ここに立ってお客さんを待ってないと、だめでしょ?」
女「あ、それもそうだね」
私は立ち上がり、店のドアに向かう。
女「リン。遅かった、…」
リン「ん」
リンが軽く片手を上げる。
女「リ、リン?」
私は、目を見開いて彼の後ろを見つめた。
リン「…」
女「…なに、それ」
リンの後ろはぼんやりと「青く」光っていた。
529 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:11:03 ID:ezj
リンはきっと気づいていない。
そう一瞬で判断し、私は身を乗り出してそれに触れようとした。
リン「おい落ち着け」
しかしリンのしっかりした胸板に阻まれた。
女「だ、だって!後ろにクリアが!!」
リンの後ろに漂う軟体を指差して喚くと、リンがうるさそうに溜息をついた。
リン「気にするな。害は無い」
女「ないわけないでしょ!?」
リン「ないんだ。俺はこいつに何度も接触してるけど、何もしてこない。そういう奴なんだ」
女「え、え?」
まさかリンの言う仕事って
リン「これを連れて来いって、ミキに頼まれたんだよ」
女「う、…うそ」
リン「本当。俺も最初は意味不明だったが。…いや、今もだけど」
ふわふわ。
青い球形の物体は、3歩ほど後ろからこちらを伺うように漂っている。
女「…ミキが、これを?」
リン「俺は何も聞いてないぞ。とにかく店の裏山に居るこいつを連れて来いって言われただけだ」
531 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:15:44 ID:ezj
女「入れていいのかな」
リン「いいだろ。ほら、どいて」
女「…」
リン「触るなよ。お前が触ったら破裂すんだから」
女「う、うん」
私は極力身を引いて、リンとクリアを通してあげた。
リンの腰辺りをふわふわと浮いて滑るそれは、確かに水音がした。
女「…えっと、ステージ前のイスに座れって、ミキが」
リン「ん」
女「クリアも座らせる、の?」
リン「さあ?」
リンが振り返って球形のクリアを見る。
しかしクリアは、ステージから10歩ほど離れた所で急に動きを止めた。
女「…来ないよ?」
リン「妙だな」
リンが近づき、誘導するようにゆっくりステージへ歩く。
けど、全く動かない。
女「…ええと?」
リン「なんだこいつ」
体内の水の揺れすら止め、じ、と佇む姿は
まるで「もうこれ以上行きたくない」と拒否しているようにも見えた。
532 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:22:40 ID:ezj
女「どうしちゃったのかな」
リン「知ら…」
「お待たせいたしました、皆様」
ふいに、凛として澄んだ声が、店に響き渡った。
女「…ミキ?」
舞台袖の奥に目を凝らそうとしたが、暗くてよく見えない。
「今夜はmarineにご来店いただき、誠にありがとうございます」
「さて、今からmarine自慢の歌のショーが始まります」
リン「…」
「まだお席についていらっしゃらない方は、どうぞお座りください」
「なお、この時間帯のオーダーは一旦ストップさせていただきます。ご了承ください」
女「ねえ、リン」
リン「座ろう。座れって言ってんだし」
女「…うん」
私達は小さなイスに腰掛けた。クリアは相変わらず、ステージから遠い場所で浮いている。
「それでは、始めます」
舞台袖から、こつん、と固いヒールの音がした。
533 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:26:55 ID:ezj
レトロな薄暗い照明に囲まれ、美しい衣装を纏ったミキが現れた。
その顔は微かに上気し、どこか遠い昔を見つめているように思える。
女「…」
私は胸の前でぱち、と手を叩いた。
釣られるようにリンも高い音で手を叩く。
ぱちぱちぱちぱち。
二人分の、小さいけど確かな拍手が店に満ちた。
ミキ「…」
ミキが微笑み、深くお辞儀をした。
そっと顔を上げ、私とリンを優しい目で見つめる。
…そして、視線をずらして、クリアを見た。
ミキ「…」
ミキの唇が微かに開き、
ミキ「…」
しかし何も言わず、閉じた。
ミキはマイクに手をかけた。
しん、とした冷たく神聖なかんじさえする空気が、一瞬震えて。
ミキ「…」
ミキの喉仏が、動く。
534 :名無しさん@おーぷん :2015/10/11(日)13:32:58 ID:ezj
何時の間に設定したのだろう。
黒いスピーカーから重厚にうねるジャズ調の伴奏が流れ出した。
ミキが体を傾け、色っぽくマイクに口を寄せる。
そして。
ミキは、歌った。
美しい歌声だった。
はっと息を呑まずにはいられないような、口元を押さえずにはいられないような、美しい声だった。
ミキの低く、柔らかく、威厳に満ちた声が鼓膜を震わせ、体中に染みていく。
女「…」
リン「…」
ミキの口から流れ出す音楽を、私達は何も言えずただ聞きほれた。
長い時間が経ったように感じた。
ミキが最後に甘い吐息をついて歌い終えたとき、私は体が震えた。
ミキ「…ありがとう」
いたずらっぽい笑みで、ミキは呟いた。
私とリンは、さっきよりも数倍大きな拍手で彼を包んであげた。
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