従姉に恋をした。
Part13
705 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:12:08 ID:
気持ちの良い午後を過ごしたはずなのだが、
仕事から帰ってきた母に起こされた時は気分がすぐれなかった。
すぐにでも恵子ちゃんに電話したい気持ちを抑え、夕飯をとる。
食事の最中、携帯が鳴った。
もしやと思い、画面を見ると案の定、恵子ちゃんからだった。
「あ、職場からだ」
棒読み。
今更、母に嘘をつかなくてもいいのだが、
この時はわけのわからない恥ずかしさがあった。
足早に2階の部屋へと移る。
「昼間、電話くれたんだねー。ごめんね」
「こっちこそごめん。休憩中だと思って」
「そうだったんだけど気がつかなかった(笑)」
「そか(笑)」
「元気?そっちは死ぬほど暑いでしょ?」
「実は今、一足早く帰省中なんだ。土曜日に同僚の結婚式があって」
「そうなんだー」
「うん。それで、日曜日までいるつもりなんだけど、
それまでの間、よかったらメシでも一緒にどうかなって」
「あ、なら明後日の金曜日はどう?
土曜はウチの会社休みだから、私も気兼ねなくゆっくりできるし」
「気兼ねなくゆっくり飲めるし、の間違いだろ(笑)」
「そうそう…ってオイっ!(笑)私最近、お酒飲む量少なくなったんだよお」
「年のせい?(笑)」
「ちーがーいーまーすー(笑)耳の薬のせいだもん」
「え?耳って…ずいぶん前に三半規管の病気になったってやつ?
あれって治ったんじゃなかったの?」
「ううん。今もバリバリ継続中(笑)」
「そっか。
以前、快方に向かってるって聞いたから、てっきり完治したのかと思ってた」
「お医者さんには完全には治らないって言われたの。
まあ、たまにめまいとか頭痛がする程度で、日常生活に支障はないんだけどね。
薬を飲みつつ、一生付き合っていくって感じ」
「その薬が酒と相性悪いの?」
「飲んでもいいけど量は抑えなさいって言われた」
「なるほど」
「だから、私の目の前であんまり飲まないでね。誘惑に負けちゃうから(笑)」
「わかった。すっごく美味しそうに飲むことにする」
「わかってないじゃん!(笑)」
兎にも角にも、約束をとりつけた。
(決戦は金曜日、なんて歌があったな)
俺の大好きな言葉“悶々”がもうすぐ消滅する。
どちらに転ぶにせよ、だ。
706 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:12:59 ID:
インターバルのように空いた木曜日。
あの日、俺は何をしていたのだろうか。
最後の“悶々”を楽しんでいたのだろうか。
思い出せない。
だが確実に24時間は過ぎ行き、俺にとって生涯忘れえぬ金曜日が訪れた。
707 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:13:44 ID:
恵子ちゃんの仕事が終わってからということで、
待ち合わせは夜8時に設定していた。
家にいても余計なことを考えるばかりなので、日中から街に出た。
しかし、何をしていればいいのか思いつかない。
映画館に行ってみた。
ストーリーがまったく頭に入らず、1800円をドブに捨てた。
本屋に入った。
知らず知らずのうちに恋愛ハウツー本を手にとっていた。
しかもよく見ると女性向けだった。
喫茶店で休んだ。
ぼーっと、恵子ちゃんのことを考えた。
…なんだよ。
これじゃ家にいるのと同じじゃないか。
708 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:14:40 ID:
7:00PM
散々、街を彷徨ったのに約束の時間までまだ一時間もある。
…酒の力を借りよう。
決戦に備えて景気づけにもなる。
友枝とあの時行ったバーへと向かった。
開店まもない店内には客の姿はなかった。
いつものバーテンが「お久しぶりです」と俺を迎えた。
「待ち合わせ前なんで、一杯だけもらえますか?」
「はい。何になさいます?」
しばし考える。
思いつくのはひとつしかなかった。
「この間いただいた“両想い”、アレ…いいですか?」
カップルにしか出さないというカクテル。
しかしバーテンは
「憶えていてくださって、ありがとうございます」
快く応じてくれた。
淡いピンク色の水中を、ビーズのような気泡が踊っている。
今日は自分のために飲む。
軽く願掛けした。
その様を、バーテンが微笑みながら見守っていた。
なんだか気恥ずかしい。
ちびりちびり、じっくりと時間をかけて飲み干した。
「次回は2つ、お出ししたいです」
店を出る時にかけてくれたバーテンの声が、とても心強かった。
709 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:15:27 ID:
8:00PM
時間ぴったりに、恵子ちゃんは待ち合わせ場所へと現れた。
久々に見る恵子ちゃんのスーツ姿。
…タイトスカートって、いいなぁ。
「行きたいお店があるの」
恵子ちゃんの先導で向かった店は、初めてふたりで食事をしたあの店だった。
ひとり、気分が高揚する。
なんだか恵子ちゃんにお膳立てをしてもらっているようだ。
その日のオススメのワインをオーダーし、乾杯した。
俺はその杯に、またふたりでここに来れたことへの祝杯を重ねた。
「電話ではああ言ったけど、気を遣わないで飲んでね」
彼女の気遣いが愛おしかった。
だが今夜は俺も酒は控えるよ。
飲んだくれてる場合じゃないんだもん。
今日ここで、すべてが決まる。終わる。終わらせる。
しかしそんな意気込みも束の間、一時間も経つ頃には俺の心は苛立ち始めた。
710 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:16:11 ID:
ふたりで話しているとどうしても馬鹿話で盛り上がってしまう。
望む方向に会話を持っていけない。
なんとも色気のない話ばかりが続いた。
楽しいんだけど…いや、楽しいからこそタチが悪い!
「デザートでも頼もっか」
彼女に品書きを渡し、無理矢理、会話を中断した。
流れに変化をつけようと必死だった。
“デザート作戦”は功を奏し、恵子ちゃんはデザート選びに夢中になった。
ようやくシンキングタイムを手に入れた。
…しかし、どうしたものか。
切り口がわからない。
大体、こんな公衆の面前で女性に告白したことなんて今まで一度もない。
気の利いた言葉がひとつも浮かんでこない。
どうしよう。
どうしよう。
「はい。私は決まり。健吾君はどれにする?」
時間切れ。
「じゃ、じゃあ、俺は〜」
“イチゴとバナナの井戸端会議”なるものを注文した。
711 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:16:57 ID:
あれほど時間の観念がなくなった日はないだろう。
気づくと11時をまわっていた。
「そろそろ出よっか。終電も近いし」
おとなしく従った。
だがあきらめたわけではない。
駅までの道のりは徒歩10分。
当初の予定とは大幅に異なってしまったが、この際、四の五の言ってられない。
歩きながら、だ。
「あのね」
うわっ。
…恵子ちゃんに言葉を盗られた。
「実は、ね」
ここまでは俺の言いたいことと一緒だった。
「今、交際申し込まれてるの」
噴き出した脂汗が夜風に撫でられた。
(ああ、気持ちいいなぁ)
などと考えていた。
712 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:17:59 ID:
「…あ、相手は?」
現実に向き直った。
「同い年の、会社の人。職場でよく遊びに行くメンバーのひとり」
「じゃ、お互いによく知ってる仲なんだ…」
「うん」
「…恵子ちゃんは、その人のことどう思ってるの?」
「うん…すごく、いい人。ただ…」
「…ただ?」
「結婚を前提にって、言われたの」
熱帯夜、俺だけが凍りついた。
どうにか、口だけ解凍する。
「そ、そりゃ余程、恵子ちゃんのことが好きなんだねぇ」
「………」
「それで…ど、どうなの?」
「なにが?」
「い、いや、なにがって…悪い気はしないんでしょ?その人のこと」
「…わかんない。
今まで仲の良い友達だと思ってたから…そんな風に見たことなくて」
「そうか…」
「ねぇ、健吾君。
男の人って、付き合う前からいきなり結婚を意識するものなの?」
「そんなの…男も女も関係ないと思うよ。
恵子ちゃんとその彼の間には、今まで身近に接してきた時間があったわけで、
その中で彼が、恵子ちゃんを『この人だ!』って、感じたということでしょ?
付き合う前の時間だけで、彼には充分だったんじゃないかな?」
なにを真剣にアドバイスしてるんだろ、俺。
「男女の仲になる前に…ってのは少し性急かもしれないけど、
恵子ちゃんの良さに気づいたんだから、その彼、見る目ある人だと思うよ」
「やだなぁ、いつもの健吾君らしくないよ(笑)オチがないじゃん(笑)」
「いや、冗談じゃなくて(笑)」
本心なんだ。
713 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:19:00 ID:
「ありがとね、健吾君」
「いや…大したコト言えてないけど…」
「ううん…そうじゃなくて。…ありがとう」
?
どういう意味か聞きたかったが、すでに改札の前まで来ていた。
「送ってくれてありがと!ここでいいよ」
「うん…」
最終電車が来るまでまだ5分くらいあった。
引き止めたい。
何か話題は………何か話題を…。
「じゃ、健吾君。さよなら」
俺の言葉は、待ってはもらえなかった。
…これで終わりか?
改札の向こう、恵子ちゃんが笑顔で手を振っている。
………。
あわててSuicaを取り出し、改札に叩きつけた。
714 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:19:53 ID:
振っていた手を止め、恵子ちゃんがキョトンと俺を見ている。
「送る。ホームまで」
「え? いいよぉ(笑)」
「いいから…いいから…」
恵子ちゃんが眉をひそめて俺を見つめた。
ホームには最終電車がもう止まっていた。
時間調節しているようだ。
恵子ちゃんは電車の中。
俺は白線の上。
「じゃあ、これでほんとにさようなら(笑)」
さようなら、って、こんなにさみしい言葉だったんだ。
発車のアナウンスが、俺の背中を押した。
俺は電車に飛んだ。
すぐにドアは閉まった。
口をポッカリ開けて、恵子ちゃんが唖然としている。
「乗っちゃった(笑)」
「な、健吾君、なにしてるのぉ!?」
恵子ちゃんの口を見た。
「ごめん、恵子ちゃん。次の駅で、降りてくれ」
恵子ちゃんの口が「うん」と言ってくれた気がした。
715 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:20:54 ID:
次の停車駅までのほんの数分間、恵子ちゃんは俺の顔をずっと見ていた。
俺も恵子ちゃんを見つめ、決して負けなかった。
扉が開き、トン、と足をホームに下ろした。
すかさず振り返る。
ちゃんと恵子ちゃんも後に続いていた。
電車が出発するのを待つ。
電車が去った。
他の乗客がホームからいなくなるのを待つ。
いなくなった。
恵子ちゃんはずっと黙っていた。
「恵子ちゃん」
「…はい」
「さっきの彼氏の話、断ってください!」
「………」
「俺、恵子ちゃんのことが、好き、です」
恵子ちゃんが俺を見上げている、気がした。
震える四肢。
「もし、恵子ちゃんが俺のことを、ま、まだ、想ってくれてるなら、
お、俺と…つきあ…てく…さい」
最後のほうの言葉は恵子ちゃんの言葉でかき消された。
「…自惚れてるなぁ(笑)」
絶句。
多分、金魚のような顔をしていたに違いない。
うわーうわーうわー。
やっちまった。やっちまったよ、おい。
とんだ勘違い野郎だったんだ、オレ…。
「でも」
視線を泳がせていた俺の鼻に、恵子ちゃんの匂いが流れ込んできた。
「ずっと…自惚れててください」
恵子ちゃんが俺の腰に両腕を回していた。
716 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:21:40 ID:
サラサラとした恵子ちゃんの黒髪が、俺の右手の中にある。
砂糖菓子のように容易く砕けそうな肩が、俺の左手の中にある。
俺は恵子ちゃんを抱きしめていた。
恵子ちゃんの匂いが俺をくすぐる。
出会った時から変わらない、いつもと同じ香り。
両腕に、もっともっと力をこめたくなる。
「ごめんねぇ。そろそろ、ホーム閉めたいんだけど(笑)」
ふたりとも、ビクッとなった。
すぐそこで、駅員のおじさんが笑っていた。
お互いにお互いの顔の赤さを認めつつ、
「す、すみませんでした!」
ふたりで改札まで駆けた。笑いながら。
717 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:22:48 ID:
改札を出るとすぐ、堰を切ったように俺は再び恵子ちゃんを抱き寄せた。
今度はもっとちゃんと、もっとやさしく。
10分。
灯りも消えた駅の入口に、ふたり、佇んだ。
このままいつまでも恵子ちゃんの髪を撫でていたかったが、
思い切って、身体を離した。
恵子ちゃんが俺を見上げた。
たまらず、また抱き寄せてしまった。
三度、恵子ちゃんの匂いを思いっきり吸い込んだ。
くすくすと、恵子ちゃんが笑った。
「すっごくクンクンしてるね(笑)」
「うん(笑)恵子ちゃんの匂い、好きだ」
後から聞いたのだが、アリュールという香水だそうだ。
飽きることなどなかったが、さすがに今度はちゃんと身体を離した。
代わりに恵子ちゃんが指を絡めてきた。
つないだ手を子供のように振りながら、ふたり歩き始めた。
「…ごめんな。変なところで降ろしてしまって…」
ようやく頭が冷静に考えることを思い出した。
「ううん…うれしかったから…いい」
「俺もすごくうれしい」
「…照れるね(笑)」
「照れる(笑)」
照れてばかりもいられない。
「どうしよ?また街に戻ってどこかで飲む?」
「うーん…」
恵子ちゃんが俺の顔を覗き込んだ。
「あのね。敏夫叔父さん(お父さん)のとこ、行きたい」
そう言うや否やすぐに顔を伏せた恵子ちゃんの耳は、
暗がりでもはっきりとわかるくらい、真っ赤だった。
「…わかった。行こ!」
すぐさまタクシーを拾った。
気持ちの良い午後を過ごしたはずなのだが、
仕事から帰ってきた母に起こされた時は気分がすぐれなかった。
すぐにでも恵子ちゃんに電話したい気持ちを抑え、夕飯をとる。
食事の最中、携帯が鳴った。
もしやと思い、画面を見ると案の定、恵子ちゃんからだった。
「あ、職場からだ」
棒読み。
今更、母に嘘をつかなくてもいいのだが、
この時はわけのわからない恥ずかしさがあった。
足早に2階の部屋へと移る。
「昼間、電話くれたんだねー。ごめんね」
「こっちこそごめん。休憩中だと思って」
「そうだったんだけど気がつかなかった(笑)」
「そか(笑)」
「元気?そっちは死ぬほど暑いでしょ?」
「実は今、一足早く帰省中なんだ。土曜日に同僚の結婚式があって」
「そうなんだー」
「うん。それで、日曜日までいるつもりなんだけど、
それまでの間、よかったらメシでも一緒にどうかなって」
「あ、なら明後日の金曜日はどう?
土曜はウチの会社休みだから、私も気兼ねなくゆっくりできるし」
「気兼ねなくゆっくり飲めるし、の間違いだろ(笑)」
「そうそう…ってオイっ!(笑)私最近、お酒飲む量少なくなったんだよお」
「年のせい?(笑)」
「ちーがーいーまーすー(笑)耳の薬のせいだもん」
「え?耳って…ずいぶん前に三半規管の病気になったってやつ?
あれって治ったんじゃなかったの?」
「ううん。今もバリバリ継続中(笑)」
「そっか。
以前、快方に向かってるって聞いたから、てっきり完治したのかと思ってた」
「お医者さんには完全には治らないって言われたの。
まあ、たまにめまいとか頭痛がする程度で、日常生活に支障はないんだけどね。
薬を飲みつつ、一生付き合っていくって感じ」
「その薬が酒と相性悪いの?」
「飲んでもいいけど量は抑えなさいって言われた」
「なるほど」
「だから、私の目の前であんまり飲まないでね。誘惑に負けちゃうから(笑)」
「わかった。すっごく美味しそうに飲むことにする」
「わかってないじゃん!(笑)」
兎にも角にも、約束をとりつけた。
(決戦は金曜日、なんて歌があったな)
俺の大好きな言葉“悶々”がもうすぐ消滅する。
どちらに転ぶにせよ、だ。
706 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:12:59 ID:
インターバルのように空いた木曜日。
あの日、俺は何をしていたのだろうか。
最後の“悶々”を楽しんでいたのだろうか。
思い出せない。
だが確実に24時間は過ぎ行き、俺にとって生涯忘れえぬ金曜日が訪れた。
707 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:13:44 ID:
恵子ちゃんの仕事が終わってからということで、
待ち合わせは夜8時に設定していた。
家にいても余計なことを考えるばかりなので、日中から街に出た。
しかし、何をしていればいいのか思いつかない。
映画館に行ってみた。
ストーリーがまったく頭に入らず、1800円をドブに捨てた。
本屋に入った。
知らず知らずのうちに恋愛ハウツー本を手にとっていた。
しかもよく見ると女性向けだった。
喫茶店で休んだ。
ぼーっと、恵子ちゃんのことを考えた。
…なんだよ。
これじゃ家にいるのと同じじゃないか。
708 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:14:40 ID:
7:00PM
散々、街を彷徨ったのに約束の時間までまだ一時間もある。
…酒の力を借りよう。
決戦に備えて景気づけにもなる。
友枝とあの時行ったバーへと向かった。
開店まもない店内には客の姿はなかった。
いつものバーテンが「お久しぶりです」と俺を迎えた。
「待ち合わせ前なんで、一杯だけもらえますか?」
「はい。何になさいます?」
しばし考える。
思いつくのはひとつしかなかった。
「この間いただいた“両想い”、アレ…いいですか?」
カップルにしか出さないというカクテル。
しかしバーテンは
「憶えていてくださって、ありがとうございます」
快く応じてくれた。
淡いピンク色の水中を、ビーズのような気泡が踊っている。
今日は自分のために飲む。
軽く願掛けした。
その様を、バーテンが微笑みながら見守っていた。
なんだか気恥ずかしい。
ちびりちびり、じっくりと時間をかけて飲み干した。
「次回は2つ、お出ししたいです」
店を出る時にかけてくれたバーテンの声が、とても心強かった。
709 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:15:27 ID:
8:00PM
時間ぴったりに、恵子ちゃんは待ち合わせ場所へと現れた。
久々に見る恵子ちゃんのスーツ姿。
…タイトスカートって、いいなぁ。
「行きたいお店があるの」
恵子ちゃんの先導で向かった店は、初めてふたりで食事をしたあの店だった。
ひとり、気分が高揚する。
なんだか恵子ちゃんにお膳立てをしてもらっているようだ。
その日のオススメのワインをオーダーし、乾杯した。
俺はその杯に、またふたりでここに来れたことへの祝杯を重ねた。
「電話ではああ言ったけど、気を遣わないで飲んでね」
彼女の気遣いが愛おしかった。
だが今夜は俺も酒は控えるよ。
飲んだくれてる場合じゃないんだもん。
今日ここで、すべてが決まる。終わる。終わらせる。
しかしそんな意気込みも束の間、一時間も経つ頃には俺の心は苛立ち始めた。
ふたりで話しているとどうしても馬鹿話で盛り上がってしまう。
望む方向に会話を持っていけない。
なんとも色気のない話ばかりが続いた。
楽しいんだけど…いや、楽しいからこそタチが悪い!
「デザートでも頼もっか」
彼女に品書きを渡し、無理矢理、会話を中断した。
流れに変化をつけようと必死だった。
“デザート作戦”は功を奏し、恵子ちゃんはデザート選びに夢中になった。
ようやくシンキングタイムを手に入れた。
…しかし、どうしたものか。
切り口がわからない。
大体、こんな公衆の面前で女性に告白したことなんて今まで一度もない。
気の利いた言葉がひとつも浮かんでこない。
どうしよう。
どうしよう。
「はい。私は決まり。健吾君はどれにする?」
時間切れ。
「じゃ、じゃあ、俺は〜」
“イチゴとバナナの井戸端会議”なるものを注文した。
711 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:16:57 ID:
あれほど時間の観念がなくなった日はないだろう。
気づくと11時をまわっていた。
「そろそろ出よっか。終電も近いし」
おとなしく従った。
だがあきらめたわけではない。
駅までの道のりは徒歩10分。
当初の予定とは大幅に異なってしまったが、この際、四の五の言ってられない。
歩きながら、だ。
「あのね」
うわっ。
…恵子ちゃんに言葉を盗られた。
「実は、ね」
ここまでは俺の言いたいことと一緒だった。
「今、交際申し込まれてるの」
噴き出した脂汗が夜風に撫でられた。
(ああ、気持ちいいなぁ)
などと考えていた。
712 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:17:59 ID:
「…あ、相手は?」
現実に向き直った。
「同い年の、会社の人。職場でよく遊びに行くメンバーのひとり」
「じゃ、お互いによく知ってる仲なんだ…」
「うん」
「…恵子ちゃんは、その人のことどう思ってるの?」
「うん…すごく、いい人。ただ…」
「…ただ?」
「結婚を前提にって、言われたの」
熱帯夜、俺だけが凍りついた。
どうにか、口だけ解凍する。
「そ、そりゃ余程、恵子ちゃんのことが好きなんだねぇ」
「………」
「それで…ど、どうなの?」
「なにが?」
「い、いや、なにがって…悪い気はしないんでしょ?その人のこと」
「…わかんない。
今まで仲の良い友達だと思ってたから…そんな風に見たことなくて」
「そうか…」
「ねぇ、健吾君。
男の人って、付き合う前からいきなり結婚を意識するものなの?」
「そんなの…男も女も関係ないと思うよ。
恵子ちゃんとその彼の間には、今まで身近に接してきた時間があったわけで、
その中で彼が、恵子ちゃんを『この人だ!』って、感じたということでしょ?
付き合う前の時間だけで、彼には充分だったんじゃないかな?」
なにを真剣にアドバイスしてるんだろ、俺。
「男女の仲になる前に…ってのは少し性急かもしれないけど、
恵子ちゃんの良さに気づいたんだから、その彼、見る目ある人だと思うよ」
「やだなぁ、いつもの健吾君らしくないよ(笑)オチがないじゃん(笑)」
「いや、冗談じゃなくて(笑)」
本心なんだ。
713 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:19:00 ID:
「ありがとね、健吾君」
「いや…大したコト言えてないけど…」
「ううん…そうじゃなくて。…ありがとう」
?
どういう意味か聞きたかったが、すでに改札の前まで来ていた。
「送ってくれてありがと!ここでいいよ」
「うん…」
最終電車が来るまでまだ5分くらいあった。
引き止めたい。
何か話題は………何か話題を…。
「じゃ、健吾君。さよなら」
俺の言葉は、待ってはもらえなかった。
…これで終わりか?
改札の向こう、恵子ちゃんが笑顔で手を振っている。
………。
あわててSuicaを取り出し、改札に叩きつけた。
714 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:19:53 ID:
振っていた手を止め、恵子ちゃんがキョトンと俺を見ている。
「送る。ホームまで」
「え? いいよぉ(笑)」
「いいから…いいから…」
恵子ちゃんが眉をひそめて俺を見つめた。
ホームには最終電車がもう止まっていた。
時間調節しているようだ。
恵子ちゃんは電車の中。
俺は白線の上。
「じゃあ、これでほんとにさようなら(笑)」
さようなら、って、こんなにさみしい言葉だったんだ。
発車のアナウンスが、俺の背中を押した。
俺は電車に飛んだ。
すぐにドアは閉まった。
口をポッカリ開けて、恵子ちゃんが唖然としている。
「乗っちゃった(笑)」
「な、健吾君、なにしてるのぉ!?」
恵子ちゃんの口を見た。
「ごめん、恵子ちゃん。次の駅で、降りてくれ」
恵子ちゃんの口が「うん」と言ってくれた気がした。
715 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:20:54 ID:
次の停車駅までのほんの数分間、恵子ちゃんは俺の顔をずっと見ていた。
俺も恵子ちゃんを見つめ、決して負けなかった。
扉が開き、トン、と足をホームに下ろした。
すかさず振り返る。
ちゃんと恵子ちゃんも後に続いていた。
電車が出発するのを待つ。
電車が去った。
他の乗客がホームからいなくなるのを待つ。
いなくなった。
恵子ちゃんはずっと黙っていた。
「恵子ちゃん」
「…はい」
「さっきの彼氏の話、断ってください!」
「………」
「俺、恵子ちゃんのことが、好き、です」
恵子ちゃんが俺を見上げている、気がした。
震える四肢。
「もし、恵子ちゃんが俺のことを、ま、まだ、想ってくれてるなら、
お、俺と…つきあ…てく…さい」
最後のほうの言葉は恵子ちゃんの言葉でかき消された。
「…自惚れてるなぁ(笑)」
絶句。
多分、金魚のような顔をしていたに違いない。
うわーうわーうわー。
やっちまった。やっちまったよ、おい。
とんだ勘違い野郎だったんだ、オレ…。
「でも」
視線を泳がせていた俺の鼻に、恵子ちゃんの匂いが流れ込んできた。
「ずっと…自惚れててください」
恵子ちゃんが俺の腰に両腕を回していた。
716 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:21:40 ID:
サラサラとした恵子ちゃんの黒髪が、俺の右手の中にある。
砂糖菓子のように容易く砕けそうな肩が、俺の左手の中にある。
俺は恵子ちゃんを抱きしめていた。
恵子ちゃんの匂いが俺をくすぐる。
出会った時から変わらない、いつもと同じ香り。
両腕に、もっともっと力をこめたくなる。
「ごめんねぇ。そろそろ、ホーム閉めたいんだけど(笑)」
ふたりとも、ビクッとなった。
すぐそこで、駅員のおじさんが笑っていた。
お互いにお互いの顔の赤さを認めつつ、
「す、すみませんでした!」
ふたりで改札まで駆けた。笑いながら。
717 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:22:48 ID:
改札を出るとすぐ、堰を切ったように俺は再び恵子ちゃんを抱き寄せた。
今度はもっとちゃんと、もっとやさしく。
10分。
灯りも消えた駅の入口に、ふたり、佇んだ。
このままいつまでも恵子ちゃんの髪を撫でていたかったが、
思い切って、身体を離した。
恵子ちゃんが俺を見上げた。
たまらず、また抱き寄せてしまった。
三度、恵子ちゃんの匂いを思いっきり吸い込んだ。
くすくすと、恵子ちゃんが笑った。
「すっごくクンクンしてるね(笑)」
「うん(笑)恵子ちゃんの匂い、好きだ」
後から聞いたのだが、アリュールという香水だそうだ。
飽きることなどなかったが、さすがに今度はちゃんと身体を離した。
代わりに恵子ちゃんが指を絡めてきた。
つないだ手を子供のように振りながら、ふたり歩き始めた。
「…ごめんな。変なところで降ろしてしまって…」
ようやく頭が冷静に考えることを思い出した。
「ううん…うれしかったから…いい」
「俺もすごくうれしい」
「…照れるね(笑)」
「照れる(笑)」
照れてばかりもいられない。
「どうしよ?また街に戻ってどこかで飲む?」
「うーん…」
恵子ちゃんが俺の顔を覗き込んだ。
「あのね。敏夫叔父さん(お父さん)のとこ、行きたい」
そう言うや否やすぐに顔を伏せた恵子ちゃんの耳は、
暗がりでもはっきりとわかるくらい、真っ赤だった。
「…わかった。行こ!」
すぐさまタクシーを拾った。
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感動・ほっこり短編シリーズ
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あは。いっぱいします?
貧しくツラい環境の中でも健気に前向きに暮らす彼女と、その彼女を時には兄のように時には彼氏として温かく包み込むように支える主人公。次々におこる悲しい出来事を乗り越える度に2人の絆は深まっていき…、読んでいくと悲しくて、嬉しくて、涙が滲み出てくるお話しです。
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クズの俺が父親になった話
結婚して子供が生まれても、働かずに遊び回り家にも帰らない、絵に描いたようなクズっぷりの>>1。しかし、ある日のこと、子供を保育園に迎えに行かなければならない事情を抱えるところから全てが始まる……。親と子とは何か? その本質を教えてくれるノンフィクション
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今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する
よくある実況スレかと思いきや、蔵からはとんでもない貴重なお宝が…!誠実な>>1と彼を巡る奇跡のような縁の数々。人の縁、運命、命について考えさせられ、思わず涙するスレです
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妹の結婚が決まった
両親を亡くし、男手一つで妹を育て上げてきた兄。ついに妹が結婚し、一安心したところに突然義母から「元々妹なんて存在しなかったと思ってくれ」という連絡を受けてしまう。失意のどん底に居た兄を救う為、スレ民が立ち上がる!
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急に色々気づいたら、死にたいって思った
積もり積もって七転び八起き◆3iQ.E2Pax2Ivがふと考えついたのが 「死にたい」 という気持ち。そんな中、一つのスレが唯一の光を導き出してくれた。書き込みしてくれる奥様方、なにより飼い猫のチャムちゃん。最後にはー‥七転び八起きとはまさにこのこと。
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番外編「I Love World」
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昨日、嫁の墓参りに行ってきた
>>1と亡き嫁、そして幼馴染みの優しい三角関係。周りの人々に支えられながら、家族は前に進む。
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介護の仕事をしていた俺が精神崩壊した話
介護とは何か。人を支えるとは何か。支えられるとは何か。色々考えさせるスレでした。
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過去の自分に一通だけメールを送れるとしたら
永遠に戻ってくれない時間。それでも、、
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