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従姉に恋をした。

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Part18
773 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:17:13 ID:
そのカウンセラーは私と同い年の女性でした。
嫌々、カウンセラー室を訪れた私は、
初日から反抗的な態度で彼女の診断を受けました。
(どうせ型通りの診断だろう)、(俺の気持ちなどわかるものか)、と。
しかし返ってきた彼女の反応は実に冷静で、ともすれば冷淡でした。
正直な話、これがプロというものかと私は感心しました。
慰めや励ましの言葉に埋もれていた私にとって、彼女の態度は新鮮でした。

774 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:17:45 ID:
感心したとはいえ、私は反抗的な態度を改めませんでした。
悪態をついたり無視したり。
しかし悉く、彼女には受け流されました。
一週間、二週間とそれが続いた時、私の心に変化が現れました。
それまで無気力で起伏のなかった心の中に、イライラする気持ちが生まれていました。
それは彼女に対して向けられていたものでした。
いつも表情を変えずに私の相手をしている彼女を、なんとか困らせてやりたい。
あのすまし顔を、困った顔に変えてやりたい。
非常にサディスティックで、暴力的な感情でしたが、
その一心が私の糧になっていたのです。
歪んだ感情に支えられ、
私は毎日、カウンセラー室に車椅子を走らせるようになりました。

775 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:18:36 ID:
とはいえ、病院食もあまり口にせず、
栄養のほとんどを点滴でまかなっていた私の身体にも限界が来ていました。
1月下旬、私は再び昏睡状態になりました。
三日後、私は目覚めました。
ICUのベッドの上、様々なチューブを身体に纏いながら、私は
(あーあ、また生き延びてら、俺)
と、生に感謝することなく己の悪運を恨めしく思っていました。
それから更に四日後、個室に戻った私の元にカウンセラーの先生がやってきました。
空元気を振り絞って相も変わらずに毒づく私をにらみ、彼女は一言、
「馬鹿じゃないの?甘えるのもいい加減にしたら?」
そう言い捨て、病室を出て行きました。
唖然としました。
彼女の目には涙が溜まっていました。

776 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:19:14 ID:
翌日、私はカウンセラー室を訪れました。
さすがに悪態などつけようはずもなく、
恐る恐る彼女の顔色を伺いながら話しかけました。
彼女は私の顔など見ず、ただ生返事をするだけ。
私は居た堪れなくなり、この日は早々に退散しました。
その後も毎日、彼女の元に通いました。
あの時の涙が気になっていた私は、
まるで彼女の機嫌をとるかのようにカウンセリングに身を入れました。

777 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:19:48 ID:
10日ほども経った頃には彼女の態度もようやく軟化し、
以前よりも穏やかに会話ができるようになりました。
まだ気持ちは前向きとは言い難かったのですが、
私は彼女に、親身になってくれていることへのお礼を言いました。
「仕事だから」と言いつつも、彼女は照れ臭そうに笑っていました。
お互いに打ち解けた気がした私は、彼女にあの時の涙の意味を尋ねました。


778 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:20:28 ID:
単に親身になってくれていたから泣いたのだ…そう思っていました。
しかし彼女が訥々と語ってくれた話は、そんな単純なものではありませんでした。
彼女は旦那さんを亡くしていました。
同じ精神治療の現場に身を置いていた旦那さんは、
職場では尊敬すべき師であり、家庭では優しく申し分のない夫だったそうです。
その頃の二人は都内の大病院に勤務していたそうで、
きっと二人の前途は、明るく希望に満ちていたことでしょう。
しかし6年前、旦那さんを病魔が襲いました。
私と同じ心臓の病で、私のそれよりも数倍重いものだったそうです。
そして皮肉なことに、それと前後して彼女の妊娠も判明しました。

779 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:21:01 ID:
新しく生まれてくる命のためにもがんばって、と
彼女は病床の旦那さんを励ましました。
しかし元々エリート意識の強かった旦那さんは、
病気が自分のキャリアに傷をつけたとひどく落胆し、自暴自棄になったそうです。
担当医ばかりか、妻である自分の言うことも聞き入れなくなった旦那さんは
日毎に衰弱し、わずか半年足らずの闘病で亡くなられたということです。
彼女の言った言葉が今でも耳に残っています。
「彼は闘病なんてしなかった。あれは自殺のようなもの」

780 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:21:35 ID:
全てが終わった後、お子さんが生まれました。男の子でした。
以来、彼女は息子さんと二人で生きてきたそうです。
私の膝に手を乗せ、彼女は最後にこう言いました。
「心を持っているのはあなたひとりだけじゃないの。
 あなたの周りには、あなたの心を“思いやる心”がいっぱいあるのよ」

781 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:22:07 ID:
翌朝、私は入院してから初めて、食事を残さず平らげました。
すっかり小さくなった胃袋には拷問のようでしたが、なんとか詰め込みました。
病気を治そうと思いました。
前進しようと思いました。
他人の悲話を聴いて自分を見つめ直す…陳腐なメロドラマのような話です。
でも私が、今の前向きな気持ちを抱く第一歩でした。

782 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:22:42 ID:
それからは順調に体力も戻っていきました。
時折、思い出して瞼を晴らしたこともありましたが、
無理矢理にでも顔を上げ続けました。
そして三月末、体力的にも精神的にも万全となった私は、3回目の手術に臨みました。
手術前の面会にはたくさんの人々が私の病室を訪れました。
家族や親戚、友人、同僚、カウンセラーの先生までもが来てくれ、私は
「大袈裟だなぁ、みんな(笑)」
と笑いながら手術室に入ったおぼえがあります。
…しかし、後から知ったのですが、決して大袈裟ではなかったのです。
私が無気力でいた頃、母は幾度となく担当医に言われていたそうです。
「手術日が延びれば延びるほど、成功率も下がっていきます」と。
そして手術前夜に母が聞かされていた成功率は50%をきっていたそうです。
きっと面会に来ていた誰もが(見納めだな、こりゃ)と思っていたのでしょう(笑)
…私も今だからこそ笑えるのですが。

783 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:23:16 ID:
手術は8時間にも渡りましたが、私は無事に目覚めることができました。
術後、ICUには父と母とお父さんだけが通されました。
母が言いました。
「扉の向こうにはみんながまだ残ってくれてるの」と。
うれしかったです。泣きました。

784 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:24:04 ID:
入院当初に担当医から言われていたとおり、
あと一回、最後の手術を受けなくてはいけませんでした。
しかもそれまでは薬の投与が続くため、必然的に体力も落ちてしまうとのこと。
担当医は厳しく、私に体調管理の徹底を命じましたが、
私は素直に言いつけを守る気になれていました。
それからの日々は病院側の管理に従い、また自己管理にも努めました。
体力を完璧なまでに維持し、車椅子の世話にもならなくなりました。
一見すると健康体かと思えるほど、血色も良くなりました。
カウンセラー室にも毎日通い、精神状態も良好でした。
ある時、カウンセラーの先生が私に質問しました。
「手術が終わった時、どんな気持ちだった?」
私はありのまま答えました。
「うれしくて、怖かったです」
「怖かった?」
「後から、実は成功率が低かったって聞かされて…。
 もしかしたら俺は死んでたかもしれないんだって思ったら、震えました」
「…そっか。うん。
 もう…この部屋に来てもらわなくてもいいかもしれないなぁ」
「…もうカウンセリングの必要がないってことですか?」
「そう。怖かったってことは、生きてるのがうれしいってことだからね」
その言葉と彼女の笑顔がとてもうれしかったです。

785 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:24:49 ID:
4月の中頃。
このまま順調に行けば4月末には最後の手術をすると、担当医が言いました。
そして前回よりも成功率は高くなるだろうとも。
担当医は「まず問題ないですね」と満面の笑顔でした。
その頃、私は気にかかっていたことがありました。
それはまさに今、開催されているだろう恵子ちゃんの書展のことでした。
守さんから聞いていた会期は4月一杯。
手術が成功しても退院まではまだまだかかることでしょう。到底、間に合いません。
恵子ちゃんの作品は入選ばかりか、
特別な賞まで獲得していました(賞の名前は失念しました)。
そのため5月以降は全国を盥回しにされます。
この機会を逃すといつ会えるのか見当がつきません。
ダメモトで担当医に懇願しました。二日、外泊許可をくださいと。
一日は書展のために、もう一日は恵子ちゃんの墓参りのためでした。
当然ながら担当医は難色を示しました。
ちょっと考えさせてと、すぐに結論はもらえませんでした。

786 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:25:43 ID:
二日後、担当医が許可をくれました。
ただし条件付き。
・外泊は一日だけ。横浜の自宅でのみ。
・外出してもいいが長距離はダメ。
・外出時は病院側の付き添い(看護士さんとカウンセラーの先生)がつく。
・その他、食事制限や細かなことetc.etc.
一日だけかとちょっと不満に思いましたが、
つい最近まで死にそうだった男なのですから文句は言えません。
恵子ちゃんには申し訳ないけれど、墓参りは退院してからということにしました。
そしてそれからはますますリハビリにも熱が入りました。

787 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:30:28 ID:
そして今、私は横浜の自宅にいます。
付き添いの母が外出したのでこれ幸いとばかりにこの文章を書いています。
(医者からパソコンは禁止されているのです。母は夜まで戻らない予定ですが、
 アップし続けるうちにこんな時間になってしまいました。大量過ぎですね。
 親の目を盗んで悪さをしている小学生のように、今はドキドキしてます(笑))
入院中、何度もこのスレッドのことを思い出しました。
正直な話、スレッドを放置してみなさんに迷惑をかけたということよりも、
自分にとって大切な存在をほったらかしにしている…、
そんな思いが強かったです(すみません)。
母が外出するとすぐにパソコンを起動しました。
そして先程このスレッドを発見し、とてもうれしく思いました。
過去にいただいたみなさんからのコメントを読み返し、涙がでました。
入院前のあの当時もみなさんのコメントに救われてきましたが、
今はまた違った、もっと温かな感情が胸をしめています。

788 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:31:42 ID:
ただ削除依頼が出されていたのはショックでした(あれは私ではありません)。
そこまで嫌悪されていたのか…と、正直、続きをアップするのを躊躇いました。
しかし…どうかお許しいただきたい。
「最後まで書き上げたい」という私のくだらない願いを、どうか許してください。
また、私の文章が創作であるとお思いの方々もいらっしゃいました。
ライターだった時の癖でついつい小説然とした文体となり、
また内容も三文小説にも劣るものですから、そう思われるのも当然でしょう。
それに対し、創作ではないと証明する術は私にはありません。
勝手な物言いですが、みなさんのご判断に委ねさせていただきたいと思います。
それと、私の文章に似たスレッドがあるとおっしゃった方がおられましたが、
私が2チャンネルに立てたスレッドはこれひとつです。
これまた証明する術はありませんが…。

789 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 17:33:01 ID:
みなさんそれぞれのお考えでこのスレッドを存続させてくれたのだと思います。
純粋に待っていてくださった方。批判として保管してくださっていた方。
しかし、そのどなたにも感謝を申し上げます。
みなさんのおかげで、私は最後のけじめをつけることができました。
明日、私は恵子ちゃんの作品を観に行きます。
彼女の最後の作品です。
看護士さんとカウンセラーの先生(と、その息子さん)が付き添ってくれますが、
きっと私は、憚ることなく泣いてしまうでしょう。
しかし明日は、明日だけは勘弁してもらおうと思います。
それで最後にしますので。
明日の夜には病院に戻ります。
私がこのスレッドに来ることももうないでしょう。
退院にはどれくらいかかるのか…それは私次第ですが、
恐らく、その時にはこのスレッドはなくなっていることと思います。
みなさん、本当にありがとうございました。
長々と…本当に長々と失礼いたしました。さようなら。

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