女「また混浴に来たんですか!!」
Part10
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 19:13:40.39 ID:D1iqdLVwO
見えない右目の視界の中から人が近付いてくる気がして怖かった。
眼帯を見られたくないという気持ちがありながら、自分の右目が以前のようには見えないということが通行人に伝わってほしかった。
こんなに学校に行きたくないと思った日はなかった。
夏休み明けの登校でも、友達と喧嘩した翌日の登校でも、ここまで気が重たくはなかった。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 19:28:27.78 ID:YnO+KGaH0
うーん面白いテンポのいい会話と重い話がよくマッチしとる
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:07:43.20 ID:D1iqdLVwO
みんな暖かく迎えてくれた。
地元で起きた出来事は学校にも伝わっていた。
過度に明るくしないように、過度に触れ過ぎない空気を出さないように。
急に冷たくなることも、急にやさしくなることもなく。
それでいて気遣いはしてくれて。
よく勉強した子供達が入るような学校だけあって、100点満点の対応だった。
その対応に、私は後ろめたく思った。
私は変わってしまった。
この人達がそのことに気付いて、日に日に離れていくことは確実で、その未来を想像するのがつらかった。
生まれたままの姿でいることを自然にし、身を清め、身体の内側からあたためてくれるお風呂を小さい頃から避けていたように。
この生暖かい空間に、私は時期に耐えきれなくなるだろう。
のぼせて卒業したくなるほどに、ずっと浸かっていたいと思っていたのにな。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:28:43.58 ID:D1iqdLVwO
思った通り、私に話しかける人は日に日に少なくなっていった。
私が壁をつくるようになってしまった。
心から笑えなくなってしまった。
もしも生まれつき右目に視力がなくて、だけど誰もそのことに気付かない見た目であれば、私は私を隠して楽しく卒業までの日を過ごせたかもしれない。
あんな事件があったせいだ。
私が人を遠ざけるようになってしまった。
誰とも話さずに過ごす休み時間がこんなにも惨めなものだとは知らなかった。
何かおっちょこちょいをしても、誰も笑ってくれないのがこんなに空虚な気持ちになるものだとは知らなかった。
ありとあらゆる、人と関わるイベントが、こんなに気怠く憎しみすら覚えるものだったことはなかった。
みんなが会話している中で、誰とも話さずに食べる給食は味もわからず、上手く噛めない。
口の中を噛んで、血の味だけを感じて、黙って飲み込む。
放課後になったら1番早くに教室を出る。友達と残って喋るなんてこともない。
独りの時間が増えた。かといって、勉強する気も、趣味をつくる気も何も起きなかった。
母「何をいつまでふてくされているのよ」
女「うるさいな。生まれてこなければよかった」
母「何よそれ……。だったら今この場で殺してあげようか」
女「やればいいじゃん」
私にしてみれば、ある日いきなり10点の答案が返ってきたようなものだった。
頑張る気すら起きなかった。
盲目の人も隻眼の人も、その他にも障害を抱えて生きている人を見下したことはなかった。
父親が世話になっている凄腕の按摩(あんま)の先生は盲目だ。
私が小さい頃に通っていたピアノの教室の先生は左耳が聴こえなかったそうだが、それを知っても小学生の私は何も態度を変えなかった。
障害者の人を美化するような番組が流れたら、母はお笑いの番組にチャンネルを切り替えた。
プライドの高い父は、逆にどんな人でも特別扱いをしなかった。
母はそんな父を、医者としても尊敬していた。
我ながら、因果応報なんてものが決してあてはまらないような一家だと思う。
それが今では、母親の愛情にも反抗を示して、左目につくものをかたっぱしから否定していた。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:37:12.23 ID:D1iqdLVwO
また独りで休み時間を過ごしている時だった。
「何読んでるの?」
隣の席の、肥っていて気持ち悪い男の子が話しかけてきた。
私が読んでいる本について聞いているのだろう。
久々に人に話しかけられた私は、嬉しい、とは思わなかった。
とても不快だった。
醜い感情が芽生えた。
以前だったら、この男の子は私に話しかけることはなかっただろう。
片目を失明したことで、話しかけやすくなったのだろうか。
同じ土俵に立ったとでも思ったのか。
仲間だと思われたのが屈辱的だった。
私は怒りの感情をひたすら堪えて「ごめん」とひとこと言った。
以前の私なら、笑顔で返したんだろうか。
それも自信がないな。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:46:28.65 ID:D1iqdLVwO
今日もため息をつく。
メガネをかけていればよかったのか。
わたあめを買わなければよかったのか。
地元の友情なんか放棄して家で寝てればよかったのか。
視力は左目の方が良かったので幸いだったと言えるのか。
犯人が無事捕まって、それで。
私は相変わらず、今日も死にたかった。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:50:19.17 ID:D1iqdLVwO
右目については、皮肉なことに不自由を感じなくなってきていた。
コンタクトレンズをつけているのを忘れて寝てしまうことがあると以前先輩がいっていたが、嬉しいことにも慣れて当たり前になるし、悲しいことにも同じことがいえるらしい。
左目の視界だけでも日常生活を送ることは可能で、右目が見えないことを忘れてしまう時間が増えてきた。三次元の距離感を感じる必要のある体育の時間などはとても困ったが(次第に体育は休むようになった)。
意識してはいけない呼吸が1つ増えたくらいだった。
こんな不謹慎極まりない発言、右目が見えていた頃の私なら間違いなく言えなかっただろう。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:51:50.52 ID:D1iqdLVwO
そうはいっても。
右目のことについて考えなかった日は、あの日からもう10年近く経つけれど、一度もない。
めんどうくさがりで、歯磨きや、お風呂を、時々さぼることがあった私だけど。
記憶から抹消したい出来事に関しては、律儀にも、毎日憎む習慣ができていた。
ただの一日さえあの日を考えなかったことはない。
あの犯人を頭の中で拷問にかけなかった日はない。
夜中の暗闇の中でさえ、見えない左目の事を思い出して、犯人の顔が浮かんで、怒りが抑えられなくなって暴れまわったことがある。
テレビを見ても本を読んでも、新聞に事件について書かれている記事を読んでも、全て自分ごとに置き換えるようになってしまった。
点字ブロックが目につくようになった。
公共交通機関が視覚障害者に対してアナウンスしているのが耳に入るようになった。
性犯罪の被害者など、今まで気にもしなかった人のことまで考えてしまうようになった。
「傷つくことで、他人の痛みを知ることができる」
確かに大切なことだけれど。
それにしては、あまりにも代償が大き過ぎるのではないか。
女「他人の痛みなんて知らなくていいから、傷つきたくなかったよ」
この日も憎悪に駆られたあと、独りで泣いた。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:05:02.29 ID:D1iqdLVwO
女「悪いこともあれば良いこともありました」
女「まずは良いことから。ちょうどいいことにあなたは私の左側に座っていますね」ザバァ…
女「例えば、こんな風に、右側に座っていた人が顔の右側を寄せてきたらどう思います?」
男「……近い」
女「そうですね。右側にいる人が、右の頬を寄せてくるんですもの。大学でそういう友達がいて『レズっ気があるんじゃない?』って影で少しからかわれていました」
女「私は一瞬でわかりました。おそらく左耳の難聴だと。私はその子の右側に立って話すようにしたり、教室に入る瞬間から右側に座れるように計算しました。そしたら顔を寄せられることはありませんでした。その子自身も人の左側にいるように日頃から考えて行動していることがわかりました」
女「私はその子の抱えているものには触れません。私が気付いたことを、遠慮のない友達にも、その子本人にも伝えません」
女「大学に入学してから、私の右目が義眼だと指摘してきた人はいません。髪のバランスが不自然だってからかわれることもあるくらいですから、本当に気付かれてないのだと思います」
女「ノートに気持ち悪い落書きをしている時に友達が右側に立っているのに気付かずに恥ずかしい思いをしたこともありましたが、時々天然だと思われるだけです」
女「あの難聴の子は気付いてるのかもしれませんがね。何かを失った人は全てが自分事なんです」
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:15:08.13 ID:D1iqdLVwO
女「続いて悪いことです」
女「電車の中で寝れなくなりました」
女「理不尽がいつ襲ってくるかわからない、という恐怖のためです」
女「男さん。隻眼の私が右目で視ている今の景色はどのようなものだと思いますか」
男「暗闇か?」
女「反対です。白いモヤのような浮かぶ気がしてるんです」
女「まぶたのうらのはなびを失った私は、視神経が見せる幻を見るようになりました。見えてるという表現が適切かはわかりませんが。この景色に命名する気にもとてもなれませんでしたしね」
女「左目が日常で、右目が非日常です。理不尽と遭遇しただけでここまで世界が変わってしまうんです」
女「ごつくて、でかくて、こわくて。それでいてユーモアもあるような、ミステリアスな雰囲気もあるような」
女「女子大生の恥ずかしい一面を目撃して、それでも無関心でいるような、朝の5時にお風呂に入るような何か事情を背負っているような」
女「正体を掴めそうにないあなたに私が話しかけた理由、わかる気がしませんか?」
男「…………」
女「過去の恐怖に打ち勝つためですよ」
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:25:58.50 ID:D1iqdLVwO
今日はここまでです。書くテンポが遅くなってすいません。
本当は150くらいで終わらせる予定だったのに、見積りを誤りました…。今折り返しくらいです。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:38:35.31 ID:iKTHSVxBO
乙。女も大分抱えてたんだな
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 23:48:32.84 ID:YUMkn0h5o
乙。続きめっちゃ楽しみ
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/01(水) 09:40:29.12 ID:ApV22nHe0
乙!
時々見えてない目が左になったりしてるが、面白い!
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:08:58.85 ID:wsqVA15O0
女「今までの人生で交わることのなかった人々への克服。男性についてまわる暴力性のイメージの払拭。そんなことを考えるようになったのはつい数年前からです」
女「中学で孤立し、不登校になりました。勉学へのやる気も削がれ、高校も希望するところには合格できませんでした」
女「高校も馴染めずにすぐに不登校になりました。無為な時間を家で潰した青春時代でした」
女「1日は長いくせに、日々はあっという間に過ぎていきました。何も積み重ねておらず、1年間、2年間を振り返っても何も記憶がないんです」
女「権威ある賞をいくつも受賞した映画を見ても感動できません。何かと文句をつけたくなるだけです。それよりか、ただ馬鹿馬鹿しい同性同士の青春を描いたアニメの方が心地よかったです」
女「親の金と時間を全て浪費に使いました。たまに外出をした帰り、混雑する時間帯の電車に乗る必要がある時にも、女性専用車両にしか乗ることができませんでした」
女「理不尽に巻き込んでくる男性が怖かったんです」
女「いつまで外に怯えて生きなくてはならないんだろうと不安と不満につぶされてしまいそうでした」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:20:42.14 ID:wsqVA15O0
女「高校2年生の終わりのときでした。正確には、もう中退扱いだったんですが」
女「このまま孤独に人生が終わってしまうのではないかと怖くなりました。はやく、レールの上に戻らなくてはならないと焦っていました」
女「昼夜逆転が乱れに乱れて、一周回って通常の生活サイクルに戻った時に、今から人生をやり直そうと決意をしました」
女「きっかけなんてものはないんですね。本を読んでも、映画を見ても、観た直後の数時間だけ気持ちが変わるだけで、翌日にはまた腐った自分に戻っている。私は、私を動かすのは私しかいないんだとようやくわかりました」
女「自分でした決意さえ1日後に失せているのはしょっちゅうでしたが。失せるたびに何度も決意をしました。1日目に365日続くような決意ができないのなら、365日毎日決意をしてもよかったんですね」
女「大検というものを取得して、家庭教師をつけてもらって、なんとか今の女子大に合格することができました。家庭教師の女性の先生は医学部の大学生でした。能率的に機械的に淡々と、かなりわかりやすく教えてくれました。勉強以外の話題に踏み込むこともなく接しやすかったです。そこまで計算して接してくれたのかもしれませんが」
女「ここまでもかなり大変でしたが、これからはもっと大変です。なんせ、心穏やかに、一般人と話す日常を送るという目標があるのですから」
女「まぶたにも少しだけ傷が残っているので、人前で目を瞑るのも避けよう。そもそも、見えないように右髪を目にかかる髪型にしよう。自分から右目のことについて話すのはやめよう。いろいろと悩み、正解のないルールをつくりました」
女「ところが、いざ入学してみると、当初心配していたようなことの大半は気にせずに済んだんです。というのも、私自身もそうであるように、みんな自分がどう見られるかばかり気に病んでいるからです」
女「右目が見えない人も、右目が見える人も、他人の目を気にしてばかりの人生です。相手の弱みを見抜こうとする人は、相手が自分をどう見てるのか怖くて仕方ない人ですし、他人を全く見ようともしない人は、自分を見せることだけに夢中になっている人です」
女「育ちの良い女の子たちはそれが平和なレベルなだけです。孤立したくない、仲良くしたい、楽しい日常を過ごしたい。私と考えていることは一緒だったんですね。そこだけ解決できれば、他の細かいことなんてよかったんですね」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:22:35.06 ID:wsqVA15O0
女「入学したての頃は大学を人一倍愛おしく感じました。ここには過去の自分を知っている人はいない。授業がどんなに退屈でも、仲良くなった友達が無防備に隣で寝ている90分間は嬉しくてたまりませんでした。ちゃんと群れの中に属しているということがこんなにもありがたいことだとは思いませんでした」
女「親との関係も良好になりました。私が海外に行ってみたいと言った時は、背中を押してくれました。父と母が夜な夜な口論する声は実は聞こえていたんですけどね。家をでる時には父も母も泣いてしまっていましたし」
女「私は、私を知っている人には二度と会いたくないと思っていたほどなのに。私を知らない人に話しかけるのは平気でした。海外の大学で、つたない英語で、日本人の女の子と外国人の同世代の人と話しました。外国人の男友達もできて、普通に馬鹿げた会話もしました。海外を好きなまま日本に帰国することができました」
女「キャリーケースを引きずって、男性も乗っている混雑した電車に乗った帰り道でした。電車が急停車して、近くにいた男性が私にぶつかりました。」
女「私は途中の駅で降りて、ベンチに座って、大量の汗をかきながら呼吸を整えました。日本の男に対する恐れが全く消えてないことに失望しました」
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:25:41.87 ID:wsqVA15O0
女「自分を変えるというのには二種類あるのではないかと思います。1つは、本当に変わること。もう一つは、変わったように周囲に思われること」
女「私はせめて、周囲には変わったように見せられる段階まで行こうと思いました」
女「小学生の男の子が好きな女の子にいじわるしてしまう心理を反動形成というそうですね。私は、恐怖の対象である男性に気軽に話しかけました」
女「見た目がごつくて、でかくて、こわいだけじゃなくて、刺青までしてたなんて、最高でした」
女「早朝にお風呂に入るというのは健全な生活サイクルをまわすための儀式のようなものでしたが、あなたと出会って、過去の自分を乗り越えられる機会を与えられたのではないかと思いました」
女「あなたに私の恥ずかしい姿を見られた日から。男性でさえ話しかけるのをためらうようなあなたに、私は言葉をかけました」
女「内心焦っていましたよ。男性と話す時はだいたいそうですが。しかしここでなら、私がどんなに冷や汗をかいても、熱くて汗をかいてるようにしか思われません。手が震えても湯のゆらぎにしか見えません」
女「そもそも、あなたは私と同じくらい人を見ようとはしない人でした」
女「のぼせるのが早いあなたといることで、毎朝5分間、10分間程度のリハビリをしていたんです」
女「少しずつ慣れてきました。駅員の男性に質問することも、大学にいる若い男の先生に質問することもできるようになりました」
女「でもそんなことはおまけみたいなものです。私は、あなたと話すことが毎日本当に楽しみになっていたんです」
女「男性に対する恐怖の克服が目的のはずだったのに、あなたと話すことが私の目的になっていました」
女「あなたと朝からまわしていく一日が好きになっていたんです」
女「よろしかったら、男さん。もうすぐ」
男「街中の銭湯の工事が終わるんだったな」
女「はい!それでも、私はこれからも……」
男「もう俺には二度と関わるな」
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:32:59.00 ID:wsqVA15O0
女「……どうしてですか」
男「お前のくだらないリハビリに付き合ってられん」
女「き、傷つきましたか。不快になりましたか」
男「恐怖を乗り換えたいなら、ワニとでも仲良くしていろ」
女「トラウマを克服する手段にされたことがそんなに嫌でしたか」
男「お前は変われない」
女「…………」
男「自分で言ってただろ。変わったようにみせられればいいと。誰に見せるんだ。親か、友達か、世の中か」
男「自分で言ってただろ。みんな自分がどう見られているかに夢中だと」
男「お前はな、自分が男性を克服したと、自分自身に見せつけたかったんだよ。それは自分に対する虚栄心なだけで、本質は何も変わっちゃいない」
男「過去の自分を消すことなんて諦めろ」
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 14:10:35.35 ID:wsqVA15O0
女「あなたにとって……私と過ごした時間はどうでしたか」
男「俺は俺を変えてくれる存在を求めていたんだと思う。お前では弱すぎた」
女「目を見るななんて言ってるくせに、自分のことを見てほしいだなんて、子供みたいな要求ですね」
男「そうだな。俺は母親代わりの女を求めていたのかもしれんな」
女「あなたを子供だと思う女性なんているんでしょうか」
男「いないだろう。俺ももう期待しない。30近いおっさんだしな」
女「私と話す時間はもういりませんか」
男「お前にとってこそ不要なんだよ」
女「どういう意味ですか」
男「今日はもうのぼせた。あがる」
女「理由を話してくださいよ」
男「これ以上人に恨まれるのはごめんなんだ」
女「なんですかそれ。自分だけが何かを背負ったみたいに思って」
男「背負っているんだよ」
女「何を」
男「罪を」
女「私に関係ありますか?」
男「人を刺したことがある」
女「えっ……」
男「乗り越えた壁の向こうは、谷底だったな」
男「それじゃあ、さようならだ」
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 14:30:27.59 ID:wsqVA15O0
女「…………」
女「怖く見える人は、悪い人だと限らない」
女「そんな偏見をなくすつもりが、偏見は正しかったということですか」
女「自分が魔物だと自ら伝えるその人は、それでもやはり魔物なんでしょうかね」
女「……腹が立ちますよ」
女「むかつきますよ。世の中、全部全部」
女「お風呂なんて、大っ嫌いですよ。入らなければよかったです」
女「許せないですよ。目につくものも、目に見えないものも」
女「私の周りには、嫌なものしかないんですか」
女「なんで見えないのよ。なんで見えるふりをしているのよ」
女「私はただ、幸せになりたいだけなのに!」
私はこの日、大学をさぼってしまった。
私は一人で興奮していた。街中を怒りながら歩いていた。
あの人は私を刺した男ではない。見た目も似ても似つかない。
だけれど、私を不幸に突き落とした男と、同じような人間だったのだ。
嫌いなものの克服なんて、馬鹿げた考えだった。
私の右目を奪った男と結婚して、子供でも産んで、家庭を築けば克服、とでも私は言いたかったんだろうか。
無性にいらいらした。
コンビニで買ったお菓子の袋を怒りに任せて道端に捨てた。たかがそんな行為でさえ罪悪感が重くのしかかる私が、どうしてこんな苦しい目に遭わせられているのか。
帰ってふて寝をした。そして、風邪を引いてしまった。
表面上の温度だけ高く、身体から熱が奪われていくことに気づかずに体温が下がることを湯冷めと呼ぶ。
一度墜落してたどり着いたぼろぼろのレールを飾り立てようとしていた私にはお似合いの現象だ。
そういえば、小さい頃にこんなことを思っていたっけか。
風邪を引いたら、お風呂に入らなくても済む。
帰ってきたおばあちゃんがつくったおかゆを食べたあと。
私は安心した気持ちのまま、あたたかい布団の中で寝た。
見えない右目の視界の中から人が近付いてくる気がして怖かった。
眼帯を見られたくないという気持ちがありながら、自分の右目が以前のようには見えないということが通行人に伝わってほしかった。
こんなに学校に行きたくないと思った日はなかった。
夏休み明けの登校でも、友達と喧嘩した翌日の登校でも、ここまで気が重たくはなかった。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 19:28:27.78 ID:YnO+KGaH0
うーん面白いテンポのいい会話と重い話がよくマッチしとる
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:07:43.20 ID:D1iqdLVwO
みんな暖かく迎えてくれた。
地元で起きた出来事は学校にも伝わっていた。
過度に明るくしないように、過度に触れ過ぎない空気を出さないように。
急に冷たくなることも、急にやさしくなることもなく。
それでいて気遣いはしてくれて。
よく勉強した子供達が入るような学校だけあって、100点満点の対応だった。
その対応に、私は後ろめたく思った。
私は変わってしまった。
この人達がそのことに気付いて、日に日に離れていくことは確実で、その未来を想像するのがつらかった。
生まれたままの姿でいることを自然にし、身を清め、身体の内側からあたためてくれるお風呂を小さい頃から避けていたように。
この生暖かい空間に、私は時期に耐えきれなくなるだろう。
のぼせて卒業したくなるほどに、ずっと浸かっていたいと思っていたのにな。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:28:43.58 ID:D1iqdLVwO
思った通り、私に話しかける人は日に日に少なくなっていった。
私が壁をつくるようになってしまった。
心から笑えなくなってしまった。
もしも生まれつき右目に視力がなくて、だけど誰もそのことに気付かない見た目であれば、私は私を隠して楽しく卒業までの日を過ごせたかもしれない。
あんな事件があったせいだ。
私が人を遠ざけるようになってしまった。
誰とも話さずに過ごす休み時間がこんなにも惨めなものだとは知らなかった。
何かおっちょこちょいをしても、誰も笑ってくれないのがこんなに空虚な気持ちになるものだとは知らなかった。
ありとあらゆる、人と関わるイベントが、こんなに気怠く憎しみすら覚えるものだったことはなかった。
みんなが会話している中で、誰とも話さずに食べる給食は味もわからず、上手く噛めない。
口の中を噛んで、血の味だけを感じて、黙って飲み込む。
放課後になったら1番早くに教室を出る。友達と残って喋るなんてこともない。
独りの時間が増えた。かといって、勉強する気も、趣味をつくる気も何も起きなかった。
母「何をいつまでふてくされているのよ」
女「うるさいな。生まれてこなければよかった」
母「何よそれ……。だったら今この場で殺してあげようか」
女「やればいいじゃん」
私にしてみれば、ある日いきなり10点の答案が返ってきたようなものだった。
頑張る気すら起きなかった。
盲目の人も隻眼の人も、その他にも障害を抱えて生きている人を見下したことはなかった。
父親が世話になっている凄腕の按摩(あんま)の先生は盲目だ。
私が小さい頃に通っていたピアノの教室の先生は左耳が聴こえなかったそうだが、それを知っても小学生の私は何も態度を変えなかった。
障害者の人を美化するような番組が流れたら、母はお笑いの番組にチャンネルを切り替えた。
プライドの高い父は、逆にどんな人でも特別扱いをしなかった。
母はそんな父を、医者としても尊敬していた。
我ながら、因果応報なんてものが決してあてはまらないような一家だと思う。
それが今では、母親の愛情にも反抗を示して、左目につくものをかたっぱしから否定していた。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:37:12.23 ID:D1iqdLVwO
また独りで休み時間を過ごしている時だった。
「何読んでるの?」
隣の席の、肥っていて気持ち悪い男の子が話しかけてきた。
私が読んでいる本について聞いているのだろう。
久々に人に話しかけられた私は、嬉しい、とは思わなかった。
とても不快だった。
醜い感情が芽生えた。
以前だったら、この男の子は私に話しかけることはなかっただろう。
片目を失明したことで、話しかけやすくなったのだろうか。
同じ土俵に立ったとでも思ったのか。
仲間だと思われたのが屈辱的だった。
私は怒りの感情をひたすら堪えて「ごめん」とひとこと言った。
以前の私なら、笑顔で返したんだろうか。
それも自信がないな。
今日もため息をつく。
メガネをかけていればよかったのか。
わたあめを買わなければよかったのか。
地元の友情なんか放棄して家で寝てればよかったのか。
視力は左目の方が良かったので幸いだったと言えるのか。
犯人が無事捕まって、それで。
私は相変わらず、今日も死にたかった。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:50:19.17 ID:D1iqdLVwO
右目については、皮肉なことに不自由を感じなくなってきていた。
コンタクトレンズをつけているのを忘れて寝てしまうことがあると以前先輩がいっていたが、嬉しいことにも慣れて当たり前になるし、悲しいことにも同じことがいえるらしい。
左目の視界だけでも日常生活を送ることは可能で、右目が見えないことを忘れてしまう時間が増えてきた。三次元の距離感を感じる必要のある体育の時間などはとても困ったが(次第に体育は休むようになった)。
意識してはいけない呼吸が1つ増えたくらいだった。
こんな不謹慎極まりない発言、右目が見えていた頃の私なら間違いなく言えなかっただろう。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 20:51:50.52 ID:D1iqdLVwO
そうはいっても。
右目のことについて考えなかった日は、あの日からもう10年近く経つけれど、一度もない。
めんどうくさがりで、歯磨きや、お風呂を、時々さぼることがあった私だけど。
記憶から抹消したい出来事に関しては、律儀にも、毎日憎む習慣ができていた。
ただの一日さえあの日を考えなかったことはない。
あの犯人を頭の中で拷問にかけなかった日はない。
夜中の暗闇の中でさえ、見えない左目の事を思い出して、犯人の顔が浮かんで、怒りが抑えられなくなって暴れまわったことがある。
テレビを見ても本を読んでも、新聞に事件について書かれている記事を読んでも、全て自分ごとに置き換えるようになってしまった。
点字ブロックが目につくようになった。
公共交通機関が視覚障害者に対してアナウンスしているのが耳に入るようになった。
性犯罪の被害者など、今まで気にもしなかった人のことまで考えてしまうようになった。
「傷つくことで、他人の痛みを知ることができる」
確かに大切なことだけれど。
それにしては、あまりにも代償が大き過ぎるのではないか。
女「他人の痛みなんて知らなくていいから、傷つきたくなかったよ」
この日も憎悪に駆られたあと、独りで泣いた。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:05:02.29 ID:D1iqdLVwO
女「悪いこともあれば良いこともありました」
女「まずは良いことから。ちょうどいいことにあなたは私の左側に座っていますね」ザバァ…
女「例えば、こんな風に、右側に座っていた人が顔の右側を寄せてきたらどう思います?」
男「……近い」
女「そうですね。右側にいる人が、右の頬を寄せてくるんですもの。大学でそういう友達がいて『レズっ気があるんじゃない?』って影で少しからかわれていました」
女「私は一瞬でわかりました。おそらく左耳の難聴だと。私はその子の右側に立って話すようにしたり、教室に入る瞬間から右側に座れるように計算しました。そしたら顔を寄せられることはありませんでした。その子自身も人の左側にいるように日頃から考えて行動していることがわかりました」
女「私はその子の抱えているものには触れません。私が気付いたことを、遠慮のない友達にも、その子本人にも伝えません」
女「大学に入学してから、私の右目が義眼だと指摘してきた人はいません。髪のバランスが不自然だってからかわれることもあるくらいですから、本当に気付かれてないのだと思います」
女「ノートに気持ち悪い落書きをしている時に友達が右側に立っているのに気付かずに恥ずかしい思いをしたこともありましたが、時々天然だと思われるだけです」
女「あの難聴の子は気付いてるのかもしれませんがね。何かを失った人は全てが自分事なんです」
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:15:08.13 ID:D1iqdLVwO
女「続いて悪いことです」
女「電車の中で寝れなくなりました」
女「理不尽がいつ襲ってくるかわからない、という恐怖のためです」
女「男さん。隻眼の私が右目で視ている今の景色はどのようなものだと思いますか」
男「暗闇か?」
女「反対です。白いモヤのような浮かぶ気がしてるんです」
女「まぶたのうらのはなびを失った私は、視神経が見せる幻を見るようになりました。見えてるという表現が適切かはわかりませんが。この景色に命名する気にもとてもなれませんでしたしね」
女「左目が日常で、右目が非日常です。理不尽と遭遇しただけでここまで世界が変わってしまうんです」
女「ごつくて、でかくて、こわくて。それでいてユーモアもあるような、ミステリアスな雰囲気もあるような」
女「女子大生の恥ずかしい一面を目撃して、それでも無関心でいるような、朝の5時にお風呂に入るような何か事情を背負っているような」
女「正体を掴めそうにないあなたに私が話しかけた理由、わかる気がしませんか?」
男「…………」
女「過去の恐怖に打ち勝つためですよ」
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:25:58.50 ID:D1iqdLVwO
今日はここまでです。書くテンポが遅くなってすいません。
本当は150くらいで終わらせる予定だったのに、見積りを誤りました…。今折り返しくらいです。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 21:38:35.31 ID:iKTHSVxBO
乙。女も大分抱えてたんだな
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/02/28(火) 23:48:32.84 ID:YUMkn0h5o
乙。続きめっちゃ楽しみ
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/01(水) 09:40:29.12 ID:ApV22nHe0
乙!
時々見えてない目が左になったりしてるが、面白い!
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:08:58.85 ID:wsqVA15O0
女「今までの人生で交わることのなかった人々への克服。男性についてまわる暴力性のイメージの払拭。そんなことを考えるようになったのはつい数年前からです」
女「中学で孤立し、不登校になりました。勉学へのやる気も削がれ、高校も希望するところには合格できませんでした」
女「高校も馴染めずにすぐに不登校になりました。無為な時間を家で潰した青春時代でした」
女「1日は長いくせに、日々はあっという間に過ぎていきました。何も積み重ねておらず、1年間、2年間を振り返っても何も記憶がないんです」
女「権威ある賞をいくつも受賞した映画を見ても感動できません。何かと文句をつけたくなるだけです。それよりか、ただ馬鹿馬鹿しい同性同士の青春を描いたアニメの方が心地よかったです」
女「親の金と時間を全て浪費に使いました。たまに外出をした帰り、混雑する時間帯の電車に乗る必要がある時にも、女性専用車両にしか乗ることができませんでした」
女「理不尽に巻き込んでくる男性が怖かったんです」
女「いつまで外に怯えて生きなくてはならないんだろうと不安と不満につぶされてしまいそうでした」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:20:42.14 ID:wsqVA15O0
女「高校2年生の終わりのときでした。正確には、もう中退扱いだったんですが」
女「このまま孤独に人生が終わってしまうのではないかと怖くなりました。はやく、レールの上に戻らなくてはならないと焦っていました」
女「昼夜逆転が乱れに乱れて、一周回って通常の生活サイクルに戻った時に、今から人生をやり直そうと決意をしました」
女「きっかけなんてものはないんですね。本を読んでも、映画を見ても、観た直後の数時間だけ気持ちが変わるだけで、翌日にはまた腐った自分に戻っている。私は、私を動かすのは私しかいないんだとようやくわかりました」
女「自分でした決意さえ1日後に失せているのはしょっちゅうでしたが。失せるたびに何度も決意をしました。1日目に365日続くような決意ができないのなら、365日毎日決意をしてもよかったんですね」
女「大検というものを取得して、家庭教師をつけてもらって、なんとか今の女子大に合格することができました。家庭教師の女性の先生は医学部の大学生でした。能率的に機械的に淡々と、かなりわかりやすく教えてくれました。勉強以外の話題に踏み込むこともなく接しやすかったです。そこまで計算して接してくれたのかもしれませんが」
女「ここまでもかなり大変でしたが、これからはもっと大変です。なんせ、心穏やかに、一般人と話す日常を送るという目標があるのですから」
女「まぶたにも少しだけ傷が残っているので、人前で目を瞑るのも避けよう。そもそも、見えないように右髪を目にかかる髪型にしよう。自分から右目のことについて話すのはやめよう。いろいろと悩み、正解のないルールをつくりました」
女「ところが、いざ入学してみると、当初心配していたようなことの大半は気にせずに済んだんです。というのも、私自身もそうであるように、みんな自分がどう見られるかばかり気に病んでいるからです」
女「右目が見えない人も、右目が見える人も、他人の目を気にしてばかりの人生です。相手の弱みを見抜こうとする人は、相手が自分をどう見てるのか怖くて仕方ない人ですし、他人を全く見ようともしない人は、自分を見せることだけに夢中になっている人です」
女「育ちの良い女の子たちはそれが平和なレベルなだけです。孤立したくない、仲良くしたい、楽しい日常を過ごしたい。私と考えていることは一緒だったんですね。そこだけ解決できれば、他の細かいことなんてよかったんですね」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:22:35.06 ID:wsqVA15O0
女「入学したての頃は大学を人一倍愛おしく感じました。ここには過去の自分を知っている人はいない。授業がどんなに退屈でも、仲良くなった友達が無防備に隣で寝ている90分間は嬉しくてたまりませんでした。ちゃんと群れの中に属しているということがこんなにもありがたいことだとは思いませんでした」
女「親との関係も良好になりました。私が海外に行ってみたいと言った時は、背中を押してくれました。父と母が夜な夜な口論する声は実は聞こえていたんですけどね。家をでる時には父も母も泣いてしまっていましたし」
女「私は、私を知っている人には二度と会いたくないと思っていたほどなのに。私を知らない人に話しかけるのは平気でした。海外の大学で、つたない英語で、日本人の女の子と外国人の同世代の人と話しました。外国人の男友達もできて、普通に馬鹿げた会話もしました。海外を好きなまま日本に帰国することができました」
女「キャリーケースを引きずって、男性も乗っている混雑した電車に乗った帰り道でした。電車が急停車して、近くにいた男性が私にぶつかりました。」
女「私は途中の駅で降りて、ベンチに座って、大量の汗をかきながら呼吸を整えました。日本の男に対する恐れが全く消えてないことに失望しました」
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:25:41.87 ID:wsqVA15O0
女「自分を変えるというのには二種類あるのではないかと思います。1つは、本当に変わること。もう一つは、変わったように周囲に思われること」
女「私はせめて、周囲には変わったように見せられる段階まで行こうと思いました」
女「小学生の男の子が好きな女の子にいじわるしてしまう心理を反動形成というそうですね。私は、恐怖の対象である男性に気軽に話しかけました」
女「見た目がごつくて、でかくて、こわいだけじゃなくて、刺青までしてたなんて、最高でした」
女「早朝にお風呂に入るというのは健全な生活サイクルをまわすための儀式のようなものでしたが、あなたと出会って、過去の自分を乗り越えられる機会を与えられたのではないかと思いました」
女「あなたに私の恥ずかしい姿を見られた日から。男性でさえ話しかけるのをためらうようなあなたに、私は言葉をかけました」
女「内心焦っていましたよ。男性と話す時はだいたいそうですが。しかしここでなら、私がどんなに冷や汗をかいても、熱くて汗をかいてるようにしか思われません。手が震えても湯のゆらぎにしか見えません」
女「そもそも、あなたは私と同じくらい人を見ようとはしない人でした」
女「のぼせるのが早いあなたといることで、毎朝5分間、10分間程度のリハビリをしていたんです」
女「少しずつ慣れてきました。駅員の男性に質問することも、大学にいる若い男の先生に質問することもできるようになりました」
女「でもそんなことはおまけみたいなものです。私は、あなたと話すことが毎日本当に楽しみになっていたんです」
女「男性に対する恐怖の克服が目的のはずだったのに、あなたと話すことが私の目的になっていました」
女「あなたと朝からまわしていく一日が好きになっていたんです」
女「よろしかったら、男さん。もうすぐ」
男「街中の銭湯の工事が終わるんだったな」
女「はい!それでも、私はこれからも……」
男「もう俺には二度と関わるな」
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 13:32:59.00 ID:wsqVA15O0
女「……どうしてですか」
男「お前のくだらないリハビリに付き合ってられん」
女「き、傷つきましたか。不快になりましたか」
男「恐怖を乗り換えたいなら、ワニとでも仲良くしていろ」
女「トラウマを克服する手段にされたことがそんなに嫌でしたか」
男「お前は変われない」
女「…………」
男「自分で言ってただろ。変わったようにみせられればいいと。誰に見せるんだ。親か、友達か、世の中か」
男「自分で言ってただろ。みんな自分がどう見られているかに夢中だと」
男「お前はな、自分が男性を克服したと、自分自身に見せつけたかったんだよ。それは自分に対する虚栄心なだけで、本質は何も変わっちゃいない」
男「過去の自分を消すことなんて諦めろ」
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/03/04(土) 14:10:35.35 ID:wsqVA15O0
女「あなたにとって……私と過ごした時間はどうでしたか」
男「俺は俺を変えてくれる存在を求めていたんだと思う。お前では弱すぎた」
女「目を見るななんて言ってるくせに、自分のことを見てほしいだなんて、子供みたいな要求ですね」
男「そうだな。俺は母親代わりの女を求めていたのかもしれんな」
女「あなたを子供だと思う女性なんているんでしょうか」
男「いないだろう。俺ももう期待しない。30近いおっさんだしな」
女「私と話す時間はもういりませんか」
男「お前にとってこそ不要なんだよ」
女「どういう意味ですか」
男「今日はもうのぼせた。あがる」
女「理由を話してくださいよ」
男「これ以上人に恨まれるのはごめんなんだ」
女「なんですかそれ。自分だけが何かを背負ったみたいに思って」
男「背負っているんだよ」
女「何を」
男「罪を」
女「私に関係ありますか?」
男「人を刺したことがある」
女「えっ……」
男「乗り越えた壁の向こうは、谷底だったな」
男「それじゃあ、さようならだ」
女「…………」
女「怖く見える人は、悪い人だと限らない」
女「そんな偏見をなくすつもりが、偏見は正しかったということですか」
女「自分が魔物だと自ら伝えるその人は、それでもやはり魔物なんでしょうかね」
女「……腹が立ちますよ」
女「むかつきますよ。世の中、全部全部」
女「お風呂なんて、大っ嫌いですよ。入らなければよかったです」
女「許せないですよ。目につくものも、目に見えないものも」
女「私の周りには、嫌なものしかないんですか」
女「なんで見えないのよ。なんで見えるふりをしているのよ」
女「私はただ、幸せになりたいだけなのに!」
私はこの日、大学をさぼってしまった。
私は一人で興奮していた。街中を怒りながら歩いていた。
あの人は私を刺した男ではない。見た目も似ても似つかない。
だけれど、私を不幸に突き落とした男と、同じような人間だったのだ。
嫌いなものの克服なんて、馬鹿げた考えだった。
私の右目を奪った男と結婚して、子供でも産んで、家庭を築けば克服、とでも私は言いたかったんだろうか。
無性にいらいらした。
コンビニで買ったお菓子の袋を怒りに任せて道端に捨てた。たかがそんな行為でさえ罪悪感が重くのしかかる私が、どうしてこんな苦しい目に遭わせられているのか。
帰ってふて寝をした。そして、風邪を引いてしまった。
表面上の温度だけ高く、身体から熱が奪われていくことに気づかずに体温が下がることを湯冷めと呼ぶ。
一度墜落してたどり着いたぼろぼろのレールを飾り立てようとしていた私にはお似合いの現象だ。
そういえば、小さい頃にこんなことを思っていたっけか。
風邪を引いたら、お風呂に入らなくても済む。
帰ってきたおばあちゃんがつくったおかゆを食べたあと。
私は安心した気持ちのまま、あたたかい布団の中で寝た。
女「また混浴に来たんですか!!」
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