「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
157: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:44:36 ID:c.gYySYfy6
「7番線です、必ず二週間の内に帰ってきてください」
戻れなくなりますので、と結さんは切符を見せたまま言う。
なかなか手に取ろうとしない宮田に焦れることもなく、辛抱強く待つ。
やがて宮田は諦めたようにその切符を受け取った。
「……これで、家族に会いに行けるのか?」
宮田が尋ねる。
結さんは柔らかい物腰で、はい、と微笑んだ。
「行ってらっしゃい、良い旅を」
宮田は一瞬だけ顔を歪めて、そして長椅子から腰を上げると、きまりが悪そうに行ってくるよ、と言った。
158: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:45:16 ID:c.gYySYfy6
「……厄介でしたね、あんな年なのに認めたがらないなんて」
宮田が行ってしまってから俺は、結さんと長椅子に並んで座りながら苦笑した。
結さんもまあね、と苦笑しながら、それでも宮田を庇う。
「いくつになっても辛いものよ。俄には受け入れがたい」
そうでしょう、と聞かれて俺は自分のことを思い返す。
真夜中、トラックの光に照らされて、暗い夜から真っ白の駅構内に来たときは、確かに何が起こったか分からなかった。
159: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:45:55 ID:c.gYySYfy6
「怖いですね、違う場所に来てしまうことは」
「本当にそうね」
しみじみと呟くと、結さんが同意する。
そして悪戯っぽく笑うと、結さんは人差し指を立てた。
「だからね、憩」
「はい?」
「ターミナルには、神様がいるのよ」
そう説き始める結さんは、おとぎ話でもするように楽しそうに見えた。
160: 名無しさん@読者の声:2012/1/6(金) 23:58:48 ID:VonRWSEIcU
ついにスレタイ…!
っCCCCC
161: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:17:46 ID:tbpDYj2bNQ
>>160
いえす、スレタイ( ̄ー ̄*)
なんだかたまに上がってると嬉しいものですね。
支援ありがとうございました!
162: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:22:02 ID:99nh8st8DU
俺はまじまじと結さんを見つめる。
「また随分と突然ですね」
「まあいいから聞きなさい」
死後の世界と言えど、宗教的な話をするのは初めてだった。
若干の胡散臭さを感じながら、俺は耳を傾ける。
「異なるものと出会う場所にはね、神様がいるの。古代ローマの、境界神テルミヌスって言ったかしら」
ターミナルの語源よ、と結さんが言う。
意外と博識な結さんに、俺はやや感心しながらはあ、と相槌を打った。
163: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:23:12 ID:99nh8st8DU
「国境、港、関所や貿易の要……東京だったら上野駅がそうかもね。そんな場所に、テルミヌスはいる」
ターミナル駅。そんな言葉が過った。
生とその先の狭間、次の段階に進む場所、ここにも結さんの言う神様は、果たしているのだろうか。
「新しい場所に進むのは怖いわ。でも、だからこそ神様がそこで見ている」
皆の門出を見守っているのよ、と結さんは微笑んだ。
正直俺には神様とか、実在するのかも定かでないことを信じる気にはならない。
確かにそう思えば、門出は心強くなるだろう。
でも、それってつまり。
「結さんみたいなものじゃないですか」
164: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:24:47 ID:tbpDYj2bNQ
ぽろり、口に出せば一瞬の沈黙。
そして結さんが、ぶっはと噴き出した。
「ちょ、憩そんなこと言うー!?」
「何で笑うんですか!」
やだ可愛いー、とばしばし俺を叩いてくる結さんに顔が熱くなる。
そんなに変なことを言ったかと赤面しながら悩んでいると、笑いすぎて涙まで浮かべた結さんが目元を拭いながら息を吐く。
「いや、大いに結構。東京ターミナル駅の神様は満足しました」
「祟られますよ」
「いいのよ、死んだら仏なんだし。テルミヌスさんもそこまで矮小じゃないでしょ」
東に行ったり西に行ったり、節操のないことだ。
165: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:25:47 ID:o7726pFAMk
全く神なんて風格のない結さんを眺めながら思う。
でも、彼女に救われた人が大勢いることも事実で。
「ああ、そうだ窓口開けっ放しで来ちゃったの。早く戻ろ、憩」
「仕方ないですね」
俺はよいしょと長椅子を立った。
先に立ち上がった結さんが、颯爽と俺の先を歩く。
その後ろ姿はしゃんと伸びていて、俺よりも小さいのに頼もしくて。
神様というのも、あながち間違いではないかもしれない。
絶対に言わないけれど、と俺は密やかに目を伏せたのだった。
166: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:19:54 ID:ogjb0kC5Sw
スレタイも登場しました。折り返し地点です。
少しずつこれから、終わりに向けて準備をしていきます。
どうか、お付き合いください。
167: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:21:39 ID:ogjb0kC5Sw
「そういえば結さん」
と、パソコンから目を離さずに俺。
「なあに」
と、クッションを放り投げながら結さん。
「宮田さんのとき、いつからいたんですか」
「最初から」
盛大に指が滑った。
「え、あ、はあ!?」
ふじこ状態の画面もそのままに振り向くと、クッションを抱き締めたにやにや顔の結さんと目が合った。
雑多な事務所の中で、俺は精一杯椅子ごと後ずさる。
168: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:22:31 ID:tbpDYj2bNQ
「なっさけない顔でびくびくしちゃってさあ」
「やっぱり見られてたっ!?」
うーわ、と俺は顔を覆う。
格好のネタにという予想は、生憎と的中してしまった。
「まあまあ落ち込むな、宮田さん怖かったし」
はっはっは、と結さんが豪快に笑う。
そんなこと露ほども思っていないくせに、と陰湿に呟くと、結さんはそんなことないないと二回否定した。
「うん、まあ途中ひやひやしたけど最後の方はしっかりしてたし、及第点はあげるわ」
169: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:23:06 ID:o7726pFAMk
よくできました、と結さんがまたクッションを投げる。
宙に放ったクッションは、綺麗な線を描いて結さんの腕の中におさまった。
「嬉しくないです」
俺はわざと機嫌を損ねてみせた。
そうしたところで結さんには、何の効き目もないのだが。
「ああほら、お客さんよ。憩が行ってみなさい」
結さんの声に窓口を見てみると、小柄なお婆さんがひとり、静かに待っていた。
170: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:23:48 ID:o7726pFAMk
俺はお婆さんに聞こえないように、小声で結さんに抗議する。
「結さん俺、教わってないですよ」
「分かるでしょ、見てれば」
分かるけど。
そんなぶっつけ本番で、と文句を言う俺をクッションでぐいぐい押しながら、結さんが囁く。
「ほら行っといで、困ったら助けてあげるから」
「絶対ですよ!」
ひそひそと念押しをして俺は窓口に急ぐ。
品の良さそうなお婆さんは、応対が遅れたことに怒りもせずに柔和な笑みを浮かべた。
171: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:46:59 ID:c.gYySYfy6
「すみませんねえ、ここでお願いしたら、孫の顔を見に行けると聞いたものだから」
「現世に行かれる方ですか?」
「ええ、お願いしますね」
記入用紙を取り出しながら、柔らかな物腰にほっと安心する。
この調子なら何か失礼があったとしても、気にしないで貰えそうだ。
俺は少し肩の力を抜いて、ペンと用紙を差し出した。
「では、太枠の中に必要事項を記入してください」
お婆さんが書類に書き込みを始める。
俺はそこでこっそりと一息吐いた。
172: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:47:49 ID:c.gYySYfy6
「ええと、発行は二週間でよろしいですね。亡くなったのが……?」
俺は書類に目を凝らす。
達筆すぎて字が読めなかった。
お婆さんは俺の様子に気付くと、合点がいったという風にああ、と声を上げた。
「そうね、若い人には読みにくいですものね。自宅ですよ、国分寺の」
「すみません、ありがとうございます」
恐縮で肩身が狭い。
俺はぺこぺこと頭を下げながら切符を手渡す。
お婆さんの萎びた手が、それを大切そうに包み込んだ。
173: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:48:26 ID:c.gYySYfy6
「国分寺市は、あー……15番線です。必ず期限内にこちらへ戻ってください」
机に敷いてあったホーム番号の一覧が役に立った。
結さんはいつも淀みなく答えているが、やはり暗記しているのだろうか。
ありがとうねえ、とお婆さんがお辞儀をして窓口を離れようとする。
その手には杖をついて、足を引き摺っているようだった。
「あの!」
俺は思わず声を上げた。
お婆さんがゆっくりと振り返る。
俺は汗ばんだ手を机の下で開閉させながら、もし良ければ、と申し出た。
174: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:48:56 ID:c.gYySYfy6
「ホームの方までご案内しましょうか。階段が、ありますから」
過剰に気を遣われるのを、嫌がるお年寄りもいると聞くけれど。
幸いこの人はそうではなかったらしく、穏やかに笑うと静かに首を振った。
「いいえ、ご親切にありがとう。大丈夫よ、手すりで十分上れますから」
そうですか、と俺はつい尻すぼみになりながら引き下がる。
なんだか妙に気恥ずかしい。
相変わらずにこにこと人の好さそうな笑顔をちらりと目にして、俺はもう一度口を開いた。
175: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:52:56 ID:aLkl3hdfUg
すみません順番間違えました。
>>171と>>172の間にこれが入ります。
順番的には>>171>>175>>172-174です。
年配の人と話すのは、基本的には好きだ。
自分より遥かに年上だという安心感だろうか、同年代や年下よりも自然に言葉が出て、気持ちも落ち着く。
向こうにいた頃は、彼女のお祖父さんともよく話した。
もっとも、お祖父さんは出会って間もないうちに亡くなってしまったけれど。
「はい、これでよろしいかしら」
お婆さんがペンを置く。
俺は慌てて意識を戻すと、礼を言ってその書類に目を通した。
項目に不備はなかった。
ただ、ひとつ問題が。
176: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/9(月) 11:54:39 ID:o7726pFAMk
>>174続き
「どうか、お心残りのないように」
お節介が過ぎるかとも、思ったけれども。
緊張しながら窺うと、お婆さんは同じ笑顔で笑ってくれた。
「ええ、分かっていますとも」
俺は苦しいような気持ちで、お婆さんが遠ざかっていくのを見ていた。
「……まだまだね」
いつの間にか来ていた結さんが、やれやれと肩をすくめる。
俺はその評価にふいと顔を背けた。
「分かってますよ」
「わー可愛くない」
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