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勇者「淫魔の国の王になったわけだが」
ワルキューレ編

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Part6
89 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:11:11.92 ID:h7sEMOtHo
勇者「それは、あるだろうな。……想像はつかないけれど」
堕女神「私が初めて見た人類からすれば、金属の剣や槍でさえ遥か未来の武器でしたものね」
勇者「……いきなりすごい話に飛んだな」
堕女神「余談ですが、その頃の人類は『石斧』が最新の武器でした」
勇者「…………脱線したが、俺が、何故あれと戦うのかって話だったな」
堕女神「はい、何故です?」
勇者「……自分でも、まだ分からないんだ」
堕女神「分からない?」
勇者「ああ。せっかく捕らえたのに、なぜ逃がそうとするのかって。……まだ、答えが出てない」
堕女神「戦う事で、答えが掴めると?」
勇者「変わらず救えぬ答えが確定してしまって、それでも呪いみたいに戦わされるよりはいい」
堕女神「……そう、なのでしょうか」
勇者「『答えを得るために戦える』事は、幸せだな」
堕女神「…………」
勇者「さてと、俺は先に中庭に行ってるよ」
堕女神「はい。すぐに装備を届けさせます。……それでは」

90 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:11:59.63 ID:h7sEMOtHo
地下牢へと続く暗い螺旋階段を下りながら、堕女神は思う。
「彼」は、どんな半生を送ったのだろう、と。
――「彼」は、優しい。
飢饉に喘ぐ隣国へ、打算の欠片もなく手を差し伸べた。
その物腰は、そうあるのが当然であるかのように自然だった。
――「彼」は、強い。
選りすぐりの淫魔の兵士を10人、同時に相手をした。
切創の一つも作らず、そして作らせず、その10人を全員沈めた。
――「彼」は、慈しみ深い。
愛の残滓を振り払えず、夜毎涙していた自分を、優しく慰めてくれた。
一介の使用人から自分に至るまで、その愛は深く、そして広い。
その一方で、彼にはどこか、厭世的な部分がときおり見受けられた。
もしも誰かが、理由を携えて彼を殺しに来たのなら。
抵抗せず、その刃を受け入れてしまいそうな危うさがある。
彼女の危惧は、そのまま、現在のそれに当てはまってしまった。
地下牢の底へとたどり着くと、どこか違った気配が感じ取れた。
ゆるんだ螺子を巻き直したかのような、良く知る「戦乙女」の気配。
堕女神「起きていますか?」
ワルキューレ「……ああ」
堕女神「早速ですが、これを」

91 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:13:34.96 ID:h7sEMOtHo
壁に身を預けて座っているワルキューレの前に、いくつもの重厚な金属音が鳴り響いた。
虚空からいきなり現れたのは、彼女を包んでいた武具。
翼のついたサークレットに鎧、脚甲、篭手、そして黄金に輝く斧槍。
どれも、正真正銘、彼女が身につけていたものに違いなかった。
牢内に突如現れたそれに、彼女は驚きを隠せていない。
魔術の類ではあろうが、劣等感よりも早く、恐怖が湧き出た。
無論、彼女とて魔力はある。
だが、目の前の相手とは比べられない。
主なる神にも連なる、圧倒的な差異があるように思えた。
次に、堕女神は左手を鉄格子の隙間から差し入れる。
掌に灯った金色の光が、地下牢を眩く照らし出す。
ワルキューレは、その光を警戒はしなかった。
もはや恐怖もなく、失われた半身を差し出されたような、有難みにも感動にも似たもので上書きされたからだ。
光が掌を離れると、まっすぐにワルキューレの胸へと向かい、溶け込んで消えた。
直後、異変が起こる。
萎えていた足腰に力が宿り、その場へ、まっすぐに立つ事ができた。
全身の血管が脈打ち、張り裂けそうな圧が、血管から内臓までを硬く漲らせる。
反面、急激な変化による悪酔いはない。
あるべき状態に戻った、懐かしさだけがある。
弱々しく、許しを請うようだった眼差しにも変化が訪れた。
碧色に輝き、一点の曇りもない、勝気な瞳が戻ったのだ。
本来、彼女が持っていた力が――すべて、元へと戻った。
堕女神「……装備を整えなさい。中庭で、我が王がお待ちです」

92 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:15:02.04 ID:h7sEMOtHo
勇者が中庭に出ると、空は曇っていた。
一片すらも青はなく、陰鬱な灰色に空が覆われていた。
濃淡はあれど、空は見渡す限り薄暗い。
中庭の、特に広い一角に武具が置かれているのを見つける。
勇者はそれに近寄り、まずは剣に手をかける。
他にも、鎧、盾、兜、およそ必要と思われるものはほとんど揃っていた。
勇者「……中々、だな」
刃に目を落とし、鋭い視線を向けて見定める。
片刃で、僅かに反りのある長剣だ。
かつて勇者が使っていた剣よりほんの少し短いが、代わりに厚みがある。
手に取った瞬間こそ重さを感じたが、柄を握ってみれば、扱う分にそう重くはない。
重心のバランスが絶妙に調整されているのだろう。
勇者「しかし、この趣味はどうにかならないのか……?」
武器としては申し分の無い出来だが、気になる事が一つ。
意匠に、魔族と人との隔たりを感じる部分があった。
鍔の部分に、山羊の骸骨を模した、おどろおどろしい細工が施されていた。
目の部分にはご丁寧に闇色の宝石が埋め込まれ、妖しく輝いている。
装備すれば呪われて、手を離す事さえできなくなりそうだ。
勇者「(旅の途中で何度も戦った黒騎士が、こんな感じの持ってたなぁ。まさか出所は……)」
そう思ってみると、他の装備もどこか異質だ。
鎧と兜は、漆黒に染め上げられ、突起がやたらに多く、不気味な威圧感が甚だしい。
円形の盾は普通だが、左手に取ると、握りの部分に妙なスイッチがある。
念のため用心して地面に向け、人差し指部分に収まるそれを押してみると、
盾の中心から小さな矢が飛び出して地に刺さった。
そして、刺さった部分の芝生がじゅぅ、と溶けて、刺激臭と妙な色の煙を発生させる。
勇者「―――悪役じゃねーかっ!!」

93 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:16:16.13 ID:h7sEMOtHo
物騒な仕掛けを内臓した盾を怒声とともに地面に叩きつけた時、テラスの方から何人かが近づいてきた。
肩で息をついてそちらを見ると、待望の「相手」がやってきた。
輝く武具をまとった、「戦乙女」そのもの。
目の前の毒々しい装備を見た後では、どこか心が洗われるような佇まいだ。
思わず、見入ってしまう。
堕女神「連れて参りました、陛下」
勇者「ああ、ご苦労。……始めようか、雨がきそうだ」
促されるまま、ワルキューレは中庭の一角に置かれた武具を一瞥しながら、距離を取って相対する。
口の端が持ち上げられ、冷笑を浮かべながら勇者を見た。
ワルキューレ「ふん、淫魔にふさわしい、下劣な趣味だな」
勇者「うるさいな、俺のせいじゃない!」
堕女神「陛下、装備は身に着けられないのですか」
勇者「……こんな禍々しいの着られるか、呪われそうだ。誰が『一番ワルいのを頼む』と言った?」
堕女神「大丈夫です、問題ありません。私が呪いを解きますから」
勇者「本当に呪われてんのかよ。分かった、腹いせだろ?腹いせなんだろ!?最近構ってないからって――」
ワルキューレ「……いつになったら始まるんだ?」
堕女神と言い合う勇者へ向け、呆れながら問いかける。
うんざりした面持ちで、気勢を削がれたように見えた。
高まっていたモチベーションが萎え始め、どこか自分が莫迦らしく思える程に。
勇者「ほらみろ、堕女神。お前のせいで変な空気になった」
堕女神「……ともかく、早く始めては?」
勇者「それもそうだ。……待たせたな」
言って、堕女神から距離を取るように、ワルキューレと対峙する。
ようやく整った空気の中、ワルキューレは片手で、ぴたりと斧槍の切っ先を勇者へ向けた。
勇者は結局鎧を着ず、剣のみで、平服のまま対峙する。
しかしその構えに一切の隙はなく、堕女神でさえ、思わず呑まれそうになった。


94 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:17:29.95 ID:h7sEMOtHo
無駄な言葉は一切無い。
互いが必殺の間合いを意識し、既に戦いは始まっていた。
2m半の斧槍と、1m強の長剣。
単純なリーチなら、比べるべくも無い。
リーチが長い、というのはそれだけで如何ともし難い差なのだ。
両者は傍目には、全く動いていないように見える。
しかし、実際には動いている。
すり足で互いの間合いを探りあい、視線の動き、刃先の揺れの一つ一つまでが計算ずく。
一瞬で勝負が決まりそうな、達人の領域。
半歩、いや十分の一歩でさえ、勝敗を決定づけかねない。
瞬きも、呼吸も、不用意には行えない。
傍らで見ている堕女神ですら、瞬きを差し挟めない。
―――ワルキューレが、動く。
右手で斧槍の半ば、左手で柄尻を握り、横薙ぎの一撃を繰り出す。
狙いは、勇者の胸元。
平服のままの勇者にとっては、一撃たりとも受ける事は許されない。
しかし、初撃は空を薙いだ。
馬鹿馬鹿しいほどに素通りし、シャツの生地にすら届かず、空振りとなった。
まるで、幻へ攻撃したのかと思えるほどだ。
ワルキューレは一瞬の動揺の後、一瞬前よりも奥へ勇者が移動しているのが見えた。
身を引いて、初撃を避けた。
だが、それならと――突きを繰り出す。
斧槍の先端にかかった慣性を殺しながら、ほぼ不意打ちの追撃。
だが、その突きも避けられてしまった。
勇者が右側へ重心をかけ、正中線を狙った突きをも空振りにさせた。
一片の不自然さすらなく、常人の眼には「一動作」としか認識できない、二つの攻撃。
それを――完全に見切り、避けた。

95 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:18:26.30 ID:h7sEMOtHo
勇者「『ミス』だな」
ワルキューレ「……貴様、いったい何者だ」
勇者「さぁな。それより、次は俺の『ターン』だぞ」
言い切る前に、地を蹴って肉薄する。
ワルキューレの正面から――堂々と。
当然の如く、迎撃は行われた。
正面から向かってくる勇者へ向けて、同じく正面からの突き。
勇者は、疾い。
言うまでも無く、ワルキューレの突きも疾い。
向かい合う速度を鑑みれば、回避はできないはずだった。
頭を狙って繰り出した斧槍は、そのまま脳幹を砕き、即死に至らしめるはずだった。
突きが最高速で直撃する寸前、刃先、そして柄の前方あたりに二つの重みを順に感じる。
刃先に感じた重みで突きの進路がブレて、緩やかに落ちて芝生へ刺さり、切れた草と土が舞い上がった。
勇者はいない。
視界を外れて、どこに消えたのか。
―――後ろから、心臓を貫かれた。
ワルキューレの身体に、文字通り血の気が失せる感覚が満ちる。
心臓付近が熱く、それでいて刃の冷たさをも感じた。
ぬるり、と抜き出される刃の感覚が、痛みより先に嘔吐感を催す。
口の中に血の匂いが充満し、鉄臭さにくすぐられて、咳き込みそうになった。
恐怖を覚え、胸へ眼を落とす。
胴甲をも貫いたように思えたが、実際は傷一つ、ついてはいない。
勇者「……死んだぞ、お前」
声は、後ろから聞こえた。

96 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:05.71 ID:h7sEMOtHo
凍りついたように動かない脚に気合を入れ直し、振り返る。
彼女の後方、僅か2mほどの場所に勇者が立っていた。
心臓を狙い、「届かぬ距離」から剣を突き出したままの姿勢で。
晦ましの殺気を、背中から浴びせた。
無防備な背、それも斧槍が不自然に地を突いた意識の間隙を狙って。
あまりにリアルすぎる感覚ゆえ、彼女は「殺られた」と思ってしまった。
それ故、内臓にまで錯覚が及び――実際に、口の中に少量の血がこみ上げた。
本来であれば考えられないほどの、過敏すぎる反応。
それは練り上げられた「勇者」の殺気と、戦いの中に身を置き続けた「ワルキューレ」の感性の合致による。
勇者「これも……一度言ってみたかった台詞なんだが」
口内にたまった血を吐き出すと、すぐに彼女は気を取り直す。
―――殺されては、いない。
そう認識すると、再び力が湧いてきた。
加えて、舐めた振る舞いへの怒りさえも。
勇者「……『貴様の力は、その程度か?』」
―――ぷつり、と何かが切れた音がした。
羞恥、屈辱、そして怒り。
振り切った感情の渦は、そのまま斧槍の先に込められた。
充満した殺気に気付くと、勇者は剣を両手で握り、中段に構える。
これより先は、刹那の攻防が無限近くに続くと判断した。
勝負がつくまで、恐らく瞬き一つも許されない。
彼女は自分を殺しにくるし、自分もまた、彼女を殺さずにいられるか分からない。
久しぶりの―――懐かしの、”死地”がやって来た。

97 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:54.24 ID:h7sEMOtHo
戦端を開いたのは、ワルキューレではなく、勇者。
向かって右側、ワルキューレの弱手側へと飛び込む。
未来位置を予測して突きが繰り出されるが、瞬時に減速、間一髪に回避する。
右脇腹をかすめた切っ先により、シャツの繊維が僅かに解れるが、皮膚にすら届いてはいない。
ワルキューレが得物を引き戻す前に、握り手へと向け、柄に沿って剣を滑らせる。
火花が散り、耳障りな高音を発して刃がワルキューレの左手へと向かう。
長柄の中ほどを握っていた左手に、逃れる術はない。
もしも、彼女が―――『両手』を使わなければ、武器を扱えないのなら。
狙われていると悟った左手は、おもむろに柄を離れた。
支点を失った斧槍は切っ先の重さに任せ、尖端を芝生に沈ませる。
行き場を失った剣は一時逡巡し、速度を低下させてしまう。
その一時を狙って、ワルキューレの右腕に力が篭もる。
沈んだはずの重い切っ先が再び起き上がり、すぐに、横方向へのベクトルを伴って動き出す。
ゼロ距離の状態から、右腕の力のみを使っての、柄による打ち込み。
にも関わらず、その打ち込みは著しく重い。
刀身でそれをガードするが、運動量に反して重すぎる。
受けきる事ができないと判断し、勇者はその勢いに身を任せ、大きく後方へ飛び退く。
ひとまずの安全圏に逃れると、勇者は深く呼吸して、脳髄に再び酸素を送り込む。
脳細胞が一気に稼動して、状況整理に努めた。
―――なぜ右腕の力だけで斧槍を持ち上げられるのか。
―――筋力だけとは思えない、打ち込みの異常な重さ。
―――何かが、ある。
瞬きほどの間に、幾つもの思考が飛び回る。
人間を基準に考えれば、あの動作など不可能だ。
ただの槍ならともかく、斧刃さえ備えた長柄であるのに。

98 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:24.84 ID:h7sEMOtHo
勇者はふと、空気の震えを感じる。
発生源はワルキューレ、その上方。
空中に黄金に輝く魔力の剣がいくつも生成され、勇者を指していた。
ワルキューレは脇に長柄を抱え、棍術にも似た構えを取り、相手を見据えている。
間髪を置かず、魔力の剣が一斉に放たれる。
直進してくるもの、ギザギザな軌道を描いて霍乱するもの、回り込んでくるもの、回転しながら向かうもの。
多く見て30の魔力剣が、黄金の尾を引きながら勇者へと殺到する。
放たれた直後、勇者は、マントを翻すかのように左手を大きく払う。
直後―――轟音が中庭に響き渡り、巨大な城をびりびりと震動させる。
木々が大きく揺れ、その発生源から逃れるように枝葉を仰け反らせて。
離れて見ていた堕女神も、思わず耳を塞ぎながら身を縮める。
何をしたのか、は分かっている。
それでも、「音」という本能的な脅威には抗えない。
轟音の正体は、魔力によって生み出された雷。
30弱の魔力の剣を、全く同時に打ち砕き、勇者の身を護ったのだ。
未だに、雷光の魔術に衰えはない。
「勇者」の務めを果たした今でも使えるのは、それでも彼にとっては意外だった。
この三年間、ろくに使ってもいなかったにも関わらず――「勇者」の時と同じように扱えてしまった。
白煙立ち上る視界の向こうで、鋭い気配が動き出す。
一塊の殺気が、頭上から。
その殺気の正体を予測し弾かれたように一歩踏み出し――直後、「それ」が現れた。
頭上に掲げた剣が、重量級の一撃を受け止める。
黄金の斧槍を振り下ろされ、その風圧で白煙が失せて、対手の姿が見えた。
一瞬前に勇者の頭があった場所に、斧刃が振り下ろされていた。
もしも踏み出してから受け止めなければ、剣ごと断ち割られ、柘榴へと化けていただろう。
斧刃の部分ではなく柄の部分で受けたため、剣も、頭も無事だった。
だがその重さ自体は変わらず、両足が数cm、芝生に沈まされている。

99 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:52.80 ID:h7sEMOtHo
刀身に左手を添えて兜割りを受け止めたものの、危険な膠着状態に陥ってしまった。
耐えている間にもワルキューレの手には力が込められ、捻じ伏せようとさらに重みを増す。
この状態で魔力の剣を繰り出されれば、剣を使っての防御も、雷による迎撃も行えない。
それが無かったとしても、真綿で首を絞めるように、じわじわと押し潰されるという末路もある。
ワルキューレ「訊かせろ…!」
勇者「……答えるかは知らないけどな」
ワルキューレ「貴様……何者なんだ!」
勇者「何者だと思った?」
ワルキューレ「……はぐらかすな!」
さらに、斧槍へ重みが乗せられる。
勇者の慇懃な微笑みが苦悶へと化け、足が更に深く沈み込む。
剣を握る右手は、張り付いたように不気味なほどに動かない。
勇者「目的はそれか?……訊きたいなら、教えてやる」
ワルキューレ「…早く言うんだ。貴様は一体……何なんだ!」
勇者「……そう、だな」
一切の動きが、止まる。
勇者も、ワルキューレも。
震えながら斧槍を受け止める剣も、それをへし折らんと押し込む斧槍も。
互いの息遣いも、時が止められたかのように静まる。
その中で勇者だけが、表情を変えてみせた。
ワルキューレだけにしか見えない、あまりにも寂しく、抜け殻のような微笑みへ。
勇者「……世界に、使い捨てられてしまった『人間』かな」

100 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:22:31.43 ID:h7sEMOtHo
雨粒が、へし合う二つの刃に落ちた。
堰を切ったように、徐々に勢いを増し――その姿勢のままの両者を、重く濡らしていく。
どちらも、微動だにしない。
勇者は、もはや踏ん張りも利かせていない。
一方ワルキューレは、ぴたりと斧槍を固定し、それ以上重みが加わらないように止めている。
決闘であったはずなのに――戦闘行動の一切を停止し、雨音の中、さらに言葉を交わす。
ワルキューレ「…………何、だと?」
勇者「……世界がさぁ。『お前は世界を救ったから、もういらないんだ』ってさ」
ワルキューレ「何だ?何の話をしているんだ」
勇者「……『それでも生きていたいなら、救った人々をその手で殺めろ』ってさ」
ワルキューレ「…………」
勇者「世界を救えば、『世界中の人々』も救えるんだって。そう思ってたのにさ」
ワルキューレ「救えなかった、とでも言うのか」
勇者「結局、何一つ変わらなかったんだ。……『世界を脅かす魔王』を倒しただけじゃ、何も変わらなかった!」
ワルキューレ「…………」
勇者「教えてくれよ、『主神の使い』。……世界は、どうすれば平和になるんだ」

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