勇者「淫魔の国の王になったわけだが」
ワルキューレ編
Part6
89 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:11:11.92 ID:h7sEMOtHo
勇者「それは、あるだろうな。……想像はつかないけれど」
堕女神「私が初めて見た人類からすれば、金属の剣や槍でさえ遥か未来の武器でしたものね」
勇者「……いきなりすごい話に飛んだな」
堕女神「余談ですが、その頃の人類は『石斧』が最新の武器でした」
勇者「…………脱線したが、俺が、何故あれと戦うのかって話だったな」
堕女神「はい、何故です?」
勇者「……自分でも、まだ分からないんだ」
堕女神「分からない?」
勇者「ああ。せっかく捕らえたのに、なぜ逃がそうとするのかって。……まだ、答えが出てない」
堕女神「戦う事で、答えが掴めると?」
勇者「変わらず救えぬ答えが確定してしまって、それでも呪いみたいに戦わされるよりはいい」
堕女神「……そう、なのでしょうか」
勇者「『答えを得るために戦える』事は、幸せだな」
堕女神「…………」
勇者「さてと、俺は先に中庭に行ってるよ」
堕女神「はい。すぐに装備を届けさせます。……それでは」
90 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:11:59.63 ID:h7sEMOtHo
地下牢へと続く暗い螺旋階段を下りながら、堕女神は思う。
「彼」は、どんな半生を送ったのだろう、と。
――「彼」は、優しい。
飢饉に喘ぐ隣国へ、打算の欠片もなく手を差し伸べた。
その物腰は、そうあるのが当然であるかのように自然だった。
――「彼」は、強い。
選りすぐりの淫魔の兵士を10人、同時に相手をした。
切創の一つも作らず、そして作らせず、その10人を全員沈めた。
――「彼」は、慈しみ深い。
愛の残滓を振り払えず、夜毎涙していた自分を、優しく慰めてくれた。
一介の使用人から自分に至るまで、その愛は深く、そして広い。
その一方で、彼にはどこか、厭世的な部分がときおり見受けられた。
もしも誰かが、理由を携えて彼を殺しに来たのなら。
抵抗せず、その刃を受け入れてしまいそうな危うさがある。
彼女の危惧は、そのまま、現在のそれに当てはまってしまった。
地下牢の底へとたどり着くと、どこか違った気配が感じ取れた。
ゆるんだ螺子を巻き直したかのような、良く知る「戦乙女」の気配。
堕女神「起きていますか?」
ワルキューレ「……ああ」
堕女神「早速ですが、これを」
91 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:13:34.96 ID:h7sEMOtHo
壁に身を預けて座っているワルキューレの前に、いくつもの重厚な金属音が鳴り響いた。
虚空からいきなり現れたのは、彼女を包んでいた武具。
翼のついたサークレットに鎧、脚甲、篭手、そして黄金に輝く斧槍。
どれも、正真正銘、彼女が身につけていたものに違いなかった。
牢内に突如現れたそれに、彼女は驚きを隠せていない。
魔術の類ではあろうが、劣等感よりも早く、恐怖が湧き出た。
無論、彼女とて魔力はある。
だが、目の前の相手とは比べられない。
主なる神にも連なる、圧倒的な差異があるように思えた。
次に、堕女神は左手を鉄格子の隙間から差し入れる。
掌に灯った金色の光が、地下牢を眩く照らし出す。
ワルキューレは、その光を警戒はしなかった。
もはや恐怖もなく、失われた半身を差し出されたような、有難みにも感動にも似たもので上書きされたからだ。
光が掌を離れると、まっすぐにワルキューレの胸へと向かい、溶け込んで消えた。
直後、異変が起こる。
萎えていた足腰に力が宿り、その場へ、まっすぐに立つ事ができた。
全身の血管が脈打ち、張り裂けそうな圧が、血管から内臓までを硬く漲らせる。
反面、急激な変化による悪酔いはない。
あるべき状態に戻った、懐かしさだけがある。
弱々しく、許しを請うようだった眼差しにも変化が訪れた。
碧色に輝き、一点の曇りもない、勝気な瞳が戻ったのだ。
本来、彼女が持っていた力が――すべて、元へと戻った。
堕女神「……装備を整えなさい。中庭で、我が王がお待ちです」
92 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:15:02.04 ID:h7sEMOtHo
勇者が中庭に出ると、空は曇っていた。
一片すらも青はなく、陰鬱な灰色に空が覆われていた。
濃淡はあれど、空は見渡す限り薄暗い。
中庭の、特に広い一角に武具が置かれているのを見つける。
勇者はそれに近寄り、まずは剣に手をかける。
他にも、鎧、盾、兜、およそ必要と思われるものはほとんど揃っていた。
勇者「……中々、だな」
刃に目を落とし、鋭い視線を向けて見定める。
片刃で、僅かに反りのある長剣だ。
かつて勇者が使っていた剣よりほんの少し短いが、代わりに厚みがある。
手に取った瞬間こそ重さを感じたが、柄を握ってみれば、扱う分にそう重くはない。
重心のバランスが絶妙に調整されているのだろう。
勇者「しかし、この趣味はどうにかならないのか……?」
武器としては申し分の無い出来だが、気になる事が一つ。
意匠に、魔族と人との隔たりを感じる部分があった。
鍔の部分に、山羊の骸骨を模した、おどろおどろしい細工が施されていた。
目の部分にはご丁寧に闇色の宝石が埋め込まれ、妖しく輝いている。
装備すれば呪われて、手を離す事さえできなくなりそうだ。
勇者「(旅の途中で何度も戦った黒騎士が、こんな感じの持ってたなぁ。まさか出所は……)」
そう思ってみると、他の装備もどこか異質だ。
鎧と兜は、漆黒に染め上げられ、突起がやたらに多く、不気味な威圧感が甚だしい。
円形の盾は普通だが、左手に取ると、握りの部分に妙なスイッチがある。
念のため用心して地面に向け、人差し指部分に収まるそれを押してみると、
盾の中心から小さな矢が飛び出して地に刺さった。
そして、刺さった部分の芝生がじゅぅ、と溶けて、刺激臭と妙な色の煙を発生させる。
勇者「―――悪役じゃねーかっ!!」
93 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:16:16.13 ID:h7sEMOtHo
物騒な仕掛けを内臓した盾を怒声とともに地面に叩きつけた時、テラスの方から何人かが近づいてきた。
肩で息をついてそちらを見ると、待望の「相手」がやってきた。
輝く武具をまとった、「戦乙女」そのもの。
目の前の毒々しい装備を見た後では、どこか心が洗われるような佇まいだ。
思わず、見入ってしまう。
堕女神「連れて参りました、陛下」
勇者「ああ、ご苦労。……始めようか、雨がきそうだ」
促されるまま、ワルキューレは中庭の一角に置かれた武具を一瞥しながら、距離を取って相対する。
口の端が持ち上げられ、冷笑を浮かべながら勇者を見た。
ワルキューレ「ふん、淫魔にふさわしい、下劣な趣味だな」
勇者「うるさいな、俺のせいじゃない!」
堕女神「陛下、装備は身に着けられないのですか」
勇者「……こんな禍々しいの着られるか、呪われそうだ。誰が『一番ワルいのを頼む』と言った?」
堕女神「大丈夫です、問題ありません。私が呪いを解きますから」
勇者「本当に呪われてんのかよ。分かった、腹いせだろ?腹いせなんだろ!?最近構ってないからって――」
ワルキューレ「……いつになったら始まるんだ?」
堕女神と言い合う勇者へ向け、呆れながら問いかける。
うんざりした面持ちで、気勢を削がれたように見えた。
高まっていたモチベーションが萎え始め、どこか自分が莫迦らしく思える程に。
勇者「ほらみろ、堕女神。お前のせいで変な空気になった」
堕女神「……ともかく、早く始めては?」
勇者「それもそうだ。……待たせたな」
言って、堕女神から距離を取るように、ワルキューレと対峙する。
ようやく整った空気の中、ワルキューレは片手で、ぴたりと斧槍の切っ先を勇者へ向けた。
勇者は結局鎧を着ず、剣のみで、平服のまま対峙する。
しかしその構えに一切の隙はなく、堕女神でさえ、思わず呑まれそうになった。
94 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:17:29.95 ID:h7sEMOtHo
無駄な言葉は一切無い。
互いが必殺の間合いを意識し、既に戦いは始まっていた。
2m半の斧槍と、1m強の長剣。
単純なリーチなら、比べるべくも無い。
リーチが長い、というのはそれだけで如何ともし難い差なのだ。
両者は傍目には、全く動いていないように見える。
しかし、実際には動いている。
すり足で互いの間合いを探りあい、視線の動き、刃先の揺れの一つ一つまでが計算ずく。
一瞬で勝負が決まりそうな、達人の領域。
半歩、いや十分の一歩でさえ、勝敗を決定づけかねない。
瞬きも、呼吸も、不用意には行えない。
傍らで見ている堕女神ですら、瞬きを差し挟めない。
―――ワルキューレが、動く。
右手で斧槍の半ば、左手で柄尻を握り、横薙ぎの一撃を繰り出す。
狙いは、勇者の胸元。
平服のままの勇者にとっては、一撃たりとも受ける事は許されない。
しかし、初撃は空を薙いだ。
馬鹿馬鹿しいほどに素通りし、シャツの生地にすら届かず、空振りとなった。
まるで、幻へ攻撃したのかと思えるほどだ。
ワルキューレは一瞬の動揺の後、一瞬前よりも奥へ勇者が移動しているのが見えた。
身を引いて、初撃を避けた。
だが、それならと――突きを繰り出す。
斧槍の先端にかかった慣性を殺しながら、ほぼ不意打ちの追撃。
だが、その突きも避けられてしまった。
勇者が右側へ重心をかけ、正中線を狙った突きをも空振りにさせた。
一片の不自然さすらなく、常人の眼には「一動作」としか認識できない、二つの攻撃。
それを――完全に見切り、避けた。
95 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:18:26.30 ID:h7sEMOtHo
勇者「『ミス』だな」
ワルキューレ「……貴様、いったい何者だ」
勇者「さぁな。それより、次は俺の『ターン』だぞ」
言い切る前に、地を蹴って肉薄する。
ワルキューレの正面から――堂々と。
当然の如く、迎撃は行われた。
正面から向かってくる勇者へ向けて、同じく正面からの突き。
勇者は、疾い。
言うまでも無く、ワルキューレの突きも疾い。
向かい合う速度を鑑みれば、回避はできないはずだった。
頭を狙って繰り出した斧槍は、そのまま脳幹を砕き、即死に至らしめるはずだった。
突きが最高速で直撃する寸前、刃先、そして柄の前方あたりに二つの重みを順に感じる。
刃先に感じた重みで突きの進路がブレて、緩やかに落ちて芝生へ刺さり、切れた草と土が舞い上がった。
勇者はいない。
視界を外れて、どこに消えたのか。
―――後ろから、心臓を貫かれた。
ワルキューレの身体に、文字通り血の気が失せる感覚が満ちる。
心臓付近が熱く、それでいて刃の冷たさをも感じた。
ぬるり、と抜き出される刃の感覚が、痛みより先に嘔吐感を催す。
口の中に血の匂いが充満し、鉄臭さにくすぐられて、咳き込みそうになった。
恐怖を覚え、胸へ眼を落とす。
胴甲をも貫いたように思えたが、実際は傷一つ、ついてはいない。
勇者「……死んだぞ、お前」
声は、後ろから聞こえた。
96 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:05.71 ID:h7sEMOtHo
凍りついたように動かない脚に気合を入れ直し、振り返る。
彼女の後方、僅か2mほどの場所に勇者が立っていた。
心臓を狙い、「届かぬ距離」から剣を突き出したままの姿勢で。
晦ましの殺気を、背中から浴びせた。
無防備な背、それも斧槍が不自然に地を突いた意識の間隙を狙って。
あまりにリアルすぎる感覚ゆえ、彼女は「殺られた」と思ってしまった。
それ故、内臓にまで錯覚が及び――実際に、口の中に少量の血がこみ上げた。
本来であれば考えられないほどの、過敏すぎる反応。
それは練り上げられた「勇者」の殺気と、戦いの中に身を置き続けた「ワルキューレ」の感性の合致による。
勇者「これも……一度言ってみたかった台詞なんだが」
口内にたまった血を吐き出すと、すぐに彼女は気を取り直す。
―――殺されては、いない。
そう認識すると、再び力が湧いてきた。
加えて、舐めた振る舞いへの怒りさえも。
勇者「……『貴様の力は、その程度か?』」
―――ぷつり、と何かが切れた音がした。
羞恥、屈辱、そして怒り。
振り切った感情の渦は、そのまま斧槍の先に込められた。
充満した殺気に気付くと、勇者は剣を両手で握り、中段に構える。
これより先は、刹那の攻防が無限近くに続くと判断した。
勝負がつくまで、恐らく瞬き一つも許されない。
彼女は自分を殺しにくるし、自分もまた、彼女を殺さずにいられるか分からない。
久しぶりの―――懐かしの、”死地”がやって来た。
97 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:54.24 ID:h7sEMOtHo
戦端を開いたのは、ワルキューレではなく、勇者。
向かって右側、ワルキューレの弱手側へと飛び込む。
未来位置を予測して突きが繰り出されるが、瞬時に減速、間一髪に回避する。
右脇腹をかすめた切っ先により、シャツの繊維が僅かに解れるが、皮膚にすら届いてはいない。
ワルキューレが得物を引き戻す前に、握り手へと向け、柄に沿って剣を滑らせる。
火花が散り、耳障りな高音を発して刃がワルキューレの左手へと向かう。
長柄の中ほどを握っていた左手に、逃れる術はない。
もしも、彼女が―――『両手』を使わなければ、武器を扱えないのなら。
狙われていると悟った左手は、おもむろに柄を離れた。
支点を失った斧槍は切っ先の重さに任せ、尖端を芝生に沈ませる。
行き場を失った剣は一時逡巡し、速度を低下させてしまう。
その一時を狙って、ワルキューレの右腕に力が篭もる。
沈んだはずの重い切っ先が再び起き上がり、すぐに、横方向へのベクトルを伴って動き出す。
ゼロ距離の状態から、右腕の力のみを使っての、柄による打ち込み。
にも関わらず、その打ち込みは著しく重い。
刀身でそれをガードするが、運動量に反して重すぎる。
受けきる事ができないと判断し、勇者はその勢いに身を任せ、大きく後方へ飛び退く。
ひとまずの安全圏に逃れると、勇者は深く呼吸して、脳髄に再び酸素を送り込む。
脳細胞が一気に稼動して、状況整理に努めた。
―――なぜ右腕の力だけで斧槍を持ち上げられるのか。
―――筋力だけとは思えない、打ち込みの異常な重さ。
―――何かが、ある。
瞬きほどの間に、幾つもの思考が飛び回る。
人間を基準に考えれば、あの動作など不可能だ。
ただの槍ならともかく、斧刃さえ備えた長柄であるのに。
98 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:24.84 ID:h7sEMOtHo
勇者はふと、空気の震えを感じる。
発生源はワルキューレ、その上方。
空中に黄金に輝く魔力の剣がいくつも生成され、勇者を指していた。
ワルキューレは脇に長柄を抱え、棍術にも似た構えを取り、相手を見据えている。
間髪を置かず、魔力の剣が一斉に放たれる。
直進してくるもの、ギザギザな軌道を描いて霍乱するもの、回り込んでくるもの、回転しながら向かうもの。
多く見て30の魔力剣が、黄金の尾を引きながら勇者へと殺到する。
放たれた直後、勇者は、マントを翻すかのように左手を大きく払う。
直後―――轟音が中庭に響き渡り、巨大な城をびりびりと震動させる。
木々が大きく揺れ、その発生源から逃れるように枝葉を仰け反らせて。
離れて見ていた堕女神も、思わず耳を塞ぎながら身を縮める。
何をしたのか、は分かっている。
それでも、「音」という本能的な脅威には抗えない。
轟音の正体は、魔力によって生み出された雷。
30弱の魔力の剣を、全く同時に打ち砕き、勇者の身を護ったのだ。
未だに、雷光の魔術に衰えはない。
「勇者」の務めを果たした今でも使えるのは、それでも彼にとっては意外だった。
この三年間、ろくに使ってもいなかったにも関わらず――「勇者」の時と同じように扱えてしまった。
白煙立ち上る視界の向こうで、鋭い気配が動き出す。
一塊の殺気が、頭上から。
その殺気の正体を予測し弾かれたように一歩踏み出し――直後、「それ」が現れた。
頭上に掲げた剣が、重量級の一撃を受け止める。
黄金の斧槍を振り下ろされ、その風圧で白煙が失せて、対手の姿が見えた。
一瞬前に勇者の頭があった場所に、斧刃が振り下ろされていた。
もしも踏み出してから受け止めなければ、剣ごと断ち割られ、柘榴へと化けていただろう。
斧刃の部分ではなく柄の部分で受けたため、剣も、頭も無事だった。
だがその重さ自体は変わらず、両足が数cm、芝生に沈まされている。
99 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:52.80 ID:h7sEMOtHo
刀身に左手を添えて兜割りを受け止めたものの、危険な膠着状態に陥ってしまった。
耐えている間にもワルキューレの手には力が込められ、捻じ伏せようとさらに重みを増す。
この状態で魔力の剣を繰り出されれば、剣を使っての防御も、雷による迎撃も行えない。
それが無かったとしても、真綿で首を絞めるように、じわじわと押し潰されるという末路もある。
ワルキューレ「訊かせろ…!」
勇者「……答えるかは知らないけどな」
ワルキューレ「貴様……何者なんだ!」
勇者「何者だと思った?」
ワルキューレ「……はぐらかすな!」
さらに、斧槍へ重みが乗せられる。
勇者の慇懃な微笑みが苦悶へと化け、足が更に深く沈み込む。
剣を握る右手は、張り付いたように不気味なほどに動かない。
勇者「目的はそれか?……訊きたいなら、教えてやる」
ワルキューレ「…早く言うんだ。貴様は一体……何なんだ!」
勇者「……そう、だな」
一切の動きが、止まる。
勇者も、ワルキューレも。
震えながら斧槍を受け止める剣も、それをへし折らんと押し込む斧槍も。
互いの息遣いも、時が止められたかのように静まる。
その中で勇者だけが、表情を変えてみせた。
ワルキューレだけにしか見えない、あまりにも寂しく、抜け殻のような微笑みへ。
勇者「……世界に、使い捨てられてしまった『人間』かな」
100 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:22:31.43 ID:h7sEMOtHo
雨粒が、へし合う二つの刃に落ちた。
堰を切ったように、徐々に勢いを増し――その姿勢のままの両者を、重く濡らしていく。
どちらも、微動だにしない。
勇者は、もはや踏ん張りも利かせていない。
一方ワルキューレは、ぴたりと斧槍を固定し、それ以上重みが加わらないように止めている。
決闘であったはずなのに――戦闘行動の一切を停止し、雨音の中、さらに言葉を交わす。
ワルキューレ「…………何、だと?」
勇者「……世界がさぁ。『お前は世界を救ったから、もういらないんだ』ってさ」
ワルキューレ「何だ?何の話をしているんだ」
勇者「……『それでも生きていたいなら、救った人々をその手で殺めろ』ってさ」
ワルキューレ「…………」
勇者「世界を救えば、『世界中の人々』も救えるんだって。そう思ってたのにさ」
ワルキューレ「救えなかった、とでも言うのか」
勇者「結局、何一つ変わらなかったんだ。……『世界を脅かす魔王』を倒しただけじゃ、何も変わらなかった!」
ワルキューレ「…………」
勇者「教えてくれよ、『主神の使い』。……世界は、どうすれば平和になるんだ」
勇者「それは、あるだろうな。……想像はつかないけれど」
堕女神「私が初めて見た人類からすれば、金属の剣や槍でさえ遥か未来の武器でしたものね」
勇者「……いきなりすごい話に飛んだな」
堕女神「余談ですが、その頃の人類は『石斧』が最新の武器でした」
勇者「…………脱線したが、俺が、何故あれと戦うのかって話だったな」
堕女神「はい、何故です?」
勇者「……自分でも、まだ分からないんだ」
堕女神「分からない?」
勇者「ああ。せっかく捕らえたのに、なぜ逃がそうとするのかって。……まだ、答えが出てない」
堕女神「戦う事で、答えが掴めると?」
勇者「変わらず救えぬ答えが確定してしまって、それでも呪いみたいに戦わされるよりはいい」
堕女神「……そう、なのでしょうか」
勇者「『答えを得るために戦える』事は、幸せだな」
堕女神「…………」
勇者「さてと、俺は先に中庭に行ってるよ」
堕女神「はい。すぐに装備を届けさせます。……それでは」
90 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:11:59.63 ID:h7sEMOtHo
地下牢へと続く暗い螺旋階段を下りながら、堕女神は思う。
「彼」は、どんな半生を送ったのだろう、と。
――「彼」は、優しい。
飢饉に喘ぐ隣国へ、打算の欠片もなく手を差し伸べた。
その物腰は、そうあるのが当然であるかのように自然だった。
――「彼」は、強い。
選りすぐりの淫魔の兵士を10人、同時に相手をした。
切創の一つも作らず、そして作らせず、その10人を全員沈めた。
――「彼」は、慈しみ深い。
愛の残滓を振り払えず、夜毎涙していた自分を、優しく慰めてくれた。
一介の使用人から自分に至るまで、その愛は深く、そして広い。
その一方で、彼にはどこか、厭世的な部分がときおり見受けられた。
もしも誰かが、理由を携えて彼を殺しに来たのなら。
抵抗せず、その刃を受け入れてしまいそうな危うさがある。
彼女の危惧は、そのまま、現在のそれに当てはまってしまった。
地下牢の底へとたどり着くと、どこか違った気配が感じ取れた。
ゆるんだ螺子を巻き直したかのような、良く知る「戦乙女」の気配。
堕女神「起きていますか?」
ワルキューレ「……ああ」
堕女神「早速ですが、これを」
91 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:13:34.96 ID:h7sEMOtHo
壁に身を預けて座っているワルキューレの前に、いくつもの重厚な金属音が鳴り響いた。
虚空からいきなり現れたのは、彼女を包んでいた武具。
翼のついたサークレットに鎧、脚甲、篭手、そして黄金に輝く斧槍。
どれも、正真正銘、彼女が身につけていたものに違いなかった。
牢内に突如現れたそれに、彼女は驚きを隠せていない。
魔術の類ではあろうが、劣等感よりも早く、恐怖が湧き出た。
無論、彼女とて魔力はある。
だが、目の前の相手とは比べられない。
主なる神にも連なる、圧倒的な差異があるように思えた。
次に、堕女神は左手を鉄格子の隙間から差し入れる。
掌に灯った金色の光が、地下牢を眩く照らし出す。
ワルキューレは、その光を警戒はしなかった。
もはや恐怖もなく、失われた半身を差し出されたような、有難みにも感動にも似たもので上書きされたからだ。
光が掌を離れると、まっすぐにワルキューレの胸へと向かい、溶け込んで消えた。
直後、異変が起こる。
萎えていた足腰に力が宿り、その場へ、まっすぐに立つ事ができた。
全身の血管が脈打ち、張り裂けそうな圧が、血管から内臓までを硬く漲らせる。
反面、急激な変化による悪酔いはない。
あるべき状態に戻った、懐かしさだけがある。
弱々しく、許しを請うようだった眼差しにも変化が訪れた。
碧色に輝き、一点の曇りもない、勝気な瞳が戻ったのだ。
本来、彼女が持っていた力が――すべて、元へと戻った。
堕女神「……装備を整えなさい。中庭で、我が王がお待ちです」
92 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:15:02.04 ID:h7sEMOtHo
勇者が中庭に出ると、空は曇っていた。
一片すらも青はなく、陰鬱な灰色に空が覆われていた。
濃淡はあれど、空は見渡す限り薄暗い。
中庭の、特に広い一角に武具が置かれているのを見つける。
勇者はそれに近寄り、まずは剣に手をかける。
他にも、鎧、盾、兜、およそ必要と思われるものはほとんど揃っていた。
勇者「……中々、だな」
刃に目を落とし、鋭い視線を向けて見定める。
片刃で、僅かに反りのある長剣だ。
かつて勇者が使っていた剣よりほんの少し短いが、代わりに厚みがある。
手に取った瞬間こそ重さを感じたが、柄を握ってみれば、扱う分にそう重くはない。
重心のバランスが絶妙に調整されているのだろう。
勇者「しかし、この趣味はどうにかならないのか……?」
武器としては申し分の無い出来だが、気になる事が一つ。
意匠に、魔族と人との隔たりを感じる部分があった。
鍔の部分に、山羊の骸骨を模した、おどろおどろしい細工が施されていた。
目の部分にはご丁寧に闇色の宝石が埋め込まれ、妖しく輝いている。
装備すれば呪われて、手を離す事さえできなくなりそうだ。
勇者「(旅の途中で何度も戦った黒騎士が、こんな感じの持ってたなぁ。まさか出所は……)」
そう思ってみると、他の装備もどこか異質だ。
鎧と兜は、漆黒に染め上げられ、突起がやたらに多く、不気味な威圧感が甚だしい。
円形の盾は普通だが、左手に取ると、握りの部分に妙なスイッチがある。
念のため用心して地面に向け、人差し指部分に収まるそれを押してみると、
盾の中心から小さな矢が飛び出して地に刺さった。
そして、刺さった部分の芝生がじゅぅ、と溶けて、刺激臭と妙な色の煙を発生させる。
勇者「―――悪役じゃねーかっ!!」
93 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:16:16.13 ID:h7sEMOtHo
物騒な仕掛けを内臓した盾を怒声とともに地面に叩きつけた時、テラスの方から何人かが近づいてきた。
肩で息をついてそちらを見ると、待望の「相手」がやってきた。
輝く武具をまとった、「戦乙女」そのもの。
目の前の毒々しい装備を見た後では、どこか心が洗われるような佇まいだ。
思わず、見入ってしまう。
堕女神「連れて参りました、陛下」
勇者「ああ、ご苦労。……始めようか、雨がきそうだ」
促されるまま、ワルキューレは中庭の一角に置かれた武具を一瞥しながら、距離を取って相対する。
口の端が持ち上げられ、冷笑を浮かべながら勇者を見た。
ワルキューレ「ふん、淫魔にふさわしい、下劣な趣味だな」
勇者「うるさいな、俺のせいじゃない!」
堕女神「陛下、装備は身に着けられないのですか」
勇者「……こんな禍々しいの着られるか、呪われそうだ。誰が『一番ワルいのを頼む』と言った?」
堕女神「大丈夫です、問題ありません。私が呪いを解きますから」
勇者「本当に呪われてんのかよ。分かった、腹いせだろ?腹いせなんだろ!?最近構ってないからって――」
ワルキューレ「……いつになったら始まるんだ?」
堕女神と言い合う勇者へ向け、呆れながら問いかける。
うんざりした面持ちで、気勢を削がれたように見えた。
高まっていたモチベーションが萎え始め、どこか自分が莫迦らしく思える程に。
勇者「ほらみろ、堕女神。お前のせいで変な空気になった」
堕女神「……ともかく、早く始めては?」
勇者「それもそうだ。……待たせたな」
言って、堕女神から距離を取るように、ワルキューレと対峙する。
ようやく整った空気の中、ワルキューレは片手で、ぴたりと斧槍の切っ先を勇者へ向けた。
勇者は結局鎧を着ず、剣のみで、平服のまま対峙する。
しかしその構えに一切の隙はなく、堕女神でさえ、思わず呑まれそうになった。
無駄な言葉は一切無い。
互いが必殺の間合いを意識し、既に戦いは始まっていた。
2m半の斧槍と、1m強の長剣。
単純なリーチなら、比べるべくも無い。
リーチが長い、というのはそれだけで如何ともし難い差なのだ。
両者は傍目には、全く動いていないように見える。
しかし、実際には動いている。
すり足で互いの間合いを探りあい、視線の動き、刃先の揺れの一つ一つまでが計算ずく。
一瞬で勝負が決まりそうな、達人の領域。
半歩、いや十分の一歩でさえ、勝敗を決定づけかねない。
瞬きも、呼吸も、不用意には行えない。
傍らで見ている堕女神ですら、瞬きを差し挟めない。
―――ワルキューレが、動く。
右手で斧槍の半ば、左手で柄尻を握り、横薙ぎの一撃を繰り出す。
狙いは、勇者の胸元。
平服のままの勇者にとっては、一撃たりとも受ける事は許されない。
しかし、初撃は空を薙いだ。
馬鹿馬鹿しいほどに素通りし、シャツの生地にすら届かず、空振りとなった。
まるで、幻へ攻撃したのかと思えるほどだ。
ワルキューレは一瞬の動揺の後、一瞬前よりも奥へ勇者が移動しているのが見えた。
身を引いて、初撃を避けた。
だが、それならと――突きを繰り出す。
斧槍の先端にかかった慣性を殺しながら、ほぼ不意打ちの追撃。
だが、その突きも避けられてしまった。
勇者が右側へ重心をかけ、正中線を狙った突きをも空振りにさせた。
一片の不自然さすらなく、常人の眼には「一動作」としか認識できない、二つの攻撃。
それを――完全に見切り、避けた。
95 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:18:26.30 ID:h7sEMOtHo
勇者「『ミス』だな」
ワルキューレ「……貴様、いったい何者だ」
勇者「さぁな。それより、次は俺の『ターン』だぞ」
言い切る前に、地を蹴って肉薄する。
ワルキューレの正面から――堂々と。
当然の如く、迎撃は行われた。
正面から向かってくる勇者へ向けて、同じく正面からの突き。
勇者は、疾い。
言うまでも無く、ワルキューレの突きも疾い。
向かい合う速度を鑑みれば、回避はできないはずだった。
頭を狙って繰り出した斧槍は、そのまま脳幹を砕き、即死に至らしめるはずだった。
突きが最高速で直撃する寸前、刃先、そして柄の前方あたりに二つの重みを順に感じる。
刃先に感じた重みで突きの進路がブレて、緩やかに落ちて芝生へ刺さり、切れた草と土が舞い上がった。
勇者はいない。
視界を外れて、どこに消えたのか。
―――後ろから、心臓を貫かれた。
ワルキューレの身体に、文字通り血の気が失せる感覚が満ちる。
心臓付近が熱く、それでいて刃の冷たさをも感じた。
ぬるり、と抜き出される刃の感覚が、痛みより先に嘔吐感を催す。
口の中に血の匂いが充満し、鉄臭さにくすぐられて、咳き込みそうになった。
恐怖を覚え、胸へ眼を落とす。
胴甲をも貫いたように思えたが、実際は傷一つ、ついてはいない。
勇者「……死んだぞ、お前」
声は、後ろから聞こえた。
96 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:05.71 ID:h7sEMOtHo
凍りついたように動かない脚に気合を入れ直し、振り返る。
彼女の後方、僅か2mほどの場所に勇者が立っていた。
心臓を狙い、「届かぬ距離」から剣を突き出したままの姿勢で。
晦ましの殺気を、背中から浴びせた。
無防備な背、それも斧槍が不自然に地を突いた意識の間隙を狙って。
あまりにリアルすぎる感覚ゆえ、彼女は「殺られた」と思ってしまった。
それ故、内臓にまで錯覚が及び――実際に、口の中に少量の血がこみ上げた。
本来であれば考えられないほどの、過敏すぎる反応。
それは練り上げられた「勇者」の殺気と、戦いの中に身を置き続けた「ワルキューレ」の感性の合致による。
勇者「これも……一度言ってみたかった台詞なんだが」
口内にたまった血を吐き出すと、すぐに彼女は気を取り直す。
―――殺されては、いない。
そう認識すると、再び力が湧いてきた。
加えて、舐めた振る舞いへの怒りさえも。
勇者「……『貴様の力は、その程度か?』」
―――ぷつり、と何かが切れた音がした。
羞恥、屈辱、そして怒り。
振り切った感情の渦は、そのまま斧槍の先に込められた。
充満した殺気に気付くと、勇者は剣を両手で握り、中段に構える。
これより先は、刹那の攻防が無限近くに続くと判断した。
勝負がつくまで、恐らく瞬き一つも許されない。
彼女は自分を殺しにくるし、自分もまた、彼女を殺さずにいられるか分からない。
久しぶりの―――懐かしの、”死地”がやって来た。
97 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:19:54.24 ID:h7sEMOtHo
戦端を開いたのは、ワルキューレではなく、勇者。
向かって右側、ワルキューレの弱手側へと飛び込む。
未来位置を予測して突きが繰り出されるが、瞬時に減速、間一髪に回避する。
右脇腹をかすめた切っ先により、シャツの繊維が僅かに解れるが、皮膚にすら届いてはいない。
ワルキューレが得物を引き戻す前に、握り手へと向け、柄に沿って剣を滑らせる。
火花が散り、耳障りな高音を発して刃がワルキューレの左手へと向かう。
長柄の中ほどを握っていた左手に、逃れる術はない。
もしも、彼女が―――『両手』を使わなければ、武器を扱えないのなら。
狙われていると悟った左手は、おもむろに柄を離れた。
支点を失った斧槍は切っ先の重さに任せ、尖端を芝生に沈ませる。
行き場を失った剣は一時逡巡し、速度を低下させてしまう。
その一時を狙って、ワルキューレの右腕に力が篭もる。
沈んだはずの重い切っ先が再び起き上がり、すぐに、横方向へのベクトルを伴って動き出す。
ゼロ距離の状態から、右腕の力のみを使っての、柄による打ち込み。
にも関わらず、その打ち込みは著しく重い。
刀身でそれをガードするが、運動量に反して重すぎる。
受けきる事ができないと判断し、勇者はその勢いに身を任せ、大きく後方へ飛び退く。
ひとまずの安全圏に逃れると、勇者は深く呼吸して、脳髄に再び酸素を送り込む。
脳細胞が一気に稼動して、状況整理に努めた。
―――なぜ右腕の力だけで斧槍を持ち上げられるのか。
―――筋力だけとは思えない、打ち込みの異常な重さ。
―――何かが、ある。
瞬きほどの間に、幾つもの思考が飛び回る。
人間を基準に考えれば、あの動作など不可能だ。
ただの槍ならともかく、斧刃さえ備えた長柄であるのに。
98 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:24.84 ID:h7sEMOtHo
勇者はふと、空気の震えを感じる。
発生源はワルキューレ、その上方。
空中に黄金に輝く魔力の剣がいくつも生成され、勇者を指していた。
ワルキューレは脇に長柄を抱え、棍術にも似た構えを取り、相手を見据えている。
間髪を置かず、魔力の剣が一斉に放たれる。
直進してくるもの、ギザギザな軌道を描いて霍乱するもの、回り込んでくるもの、回転しながら向かうもの。
多く見て30の魔力剣が、黄金の尾を引きながら勇者へと殺到する。
放たれた直後、勇者は、マントを翻すかのように左手を大きく払う。
直後―――轟音が中庭に響き渡り、巨大な城をびりびりと震動させる。
木々が大きく揺れ、その発生源から逃れるように枝葉を仰け反らせて。
離れて見ていた堕女神も、思わず耳を塞ぎながら身を縮める。
何をしたのか、は分かっている。
それでも、「音」という本能的な脅威には抗えない。
轟音の正体は、魔力によって生み出された雷。
30弱の魔力の剣を、全く同時に打ち砕き、勇者の身を護ったのだ。
未だに、雷光の魔術に衰えはない。
「勇者」の務めを果たした今でも使えるのは、それでも彼にとっては意外だった。
この三年間、ろくに使ってもいなかったにも関わらず――「勇者」の時と同じように扱えてしまった。
白煙立ち上る視界の向こうで、鋭い気配が動き出す。
一塊の殺気が、頭上から。
その殺気の正体を予測し弾かれたように一歩踏み出し――直後、「それ」が現れた。
頭上に掲げた剣が、重量級の一撃を受け止める。
黄金の斧槍を振り下ろされ、その風圧で白煙が失せて、対手の姿が見えた。
一瞬前に勇者の頭があった場所に、斧刃が振り下ろされていた。
もしも踏み出してから受け止めなければ、剣ごと断ち割られ、柘榴へと化けていただろう。
斧刃の部分ではなく柄の部分で受けたため、剣も、頭も無事だった。
だがその重さ自体は変わらず、両足が数cm、芝生に沈まされている。
99 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:21:52.80 ID:h7sEMOtHo
刀身に左手を添えて兜割りを受け止めたものの、危険な膠着状態に陥ってしまった。
耐えている間にもワルキューレの手には力が込められ、捻じ伏せようとさらに重みを増す。
この状態で魔力の剣を繰り出されれば、剣を使っての防御も、雷による迎撃も行えない。
それが無かったとしても、真綿で首を絞めるように、じわじわと押し潰されるという末路もある。
ワルキューレ「訊かせろ…!」
勇者「……答えるかは知らないけどな」
ワルキューレ「貴様……何者なんだ!」
勇者「何者だと思った?」
ワルキューレ「……はぐらかすな!」
さらに、斧槍へ重みが乗せられる。
勇者の慇懃な微笑みが苦悶へと化け、足が更に深く沈み込む。
剣を握る右手は、張り付いたように不気味なほどに動かない。
勇者「目的はそれか?……訊きたいなら、教えてやる」
ワルキューレ「…早く言うんだ。貴様は一体……何なんだ!」
勇者「……そう、だな」
一切の動きが、止まる。
勇者も、ワルキューレも。
震えながら斧槍を受け止める剣も、それをへし折らんと押し込む斧槍も。
互いの息遣いも、時が止められたかのように静まる。
その中で勇者だけが、表情を変えてみせた。
ワルキューレだけにしか見えない、あまりにも寂しく、抜け殻のような微笑みへ。
勇者「……世界に、使い捨てられてしまった『人間』かな」
100 : ◆1UOAiS.xYWtC :2012/03/27(火) 03:22:31.43 ID:h7sEMOtHo
雨粒が、へし合う二つの刃に落ちた。
堰を切ったように、徐々に勢いを増し――その姿勢のままの両者を、重く濡らしていく。
どちらも、微動だにしない。
勇者は、もはや踏ん張りも利かせていない。
一方ワルキューレは、ぴたりと斧槍を固定し、それ以上重みが加わらないように止めている。
決闘であったはずなのに――戦闘行動の一切を停止し、雨音の中、さらに言葉を交わす。
ワルキューレ「…………何、だと?」
勇者「……世界がさぁ。『お前は世界を救ったから、もういらないんだ』ってさ」
ワルキューレ「何だ?何の話をしているんだ」
勇者「……『それでも生きていたいなら、救った人々をその手で殺めろ』ってさ」
ワルキューレ「…………」
勇者「世界を救えば、『世界中の人々』も救えるんだって。そう思ってたのにさ」
ワルキューレ「救えなかった、とでも言うのか」
勇者「結局、何一つ変わらなかったんだ。……『世界を脅かす魔王』を倒しただけじゃ、何も変わらなかった!」
ワルキューレ「…………」
勇者「教えてくれよ、『主神の使い』。……世界は、どうすれば平和になるんだ」
勇者「淫魔の国の王になったわけだが」
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