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未解決じゃなく、解決した不気味な事件教えて
Part4


106 :名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)00:46:04 ID:Nlm
最近誘拐多いよね
監禁日数3,362日。
犯人S「被害者は私の言いつけを本当によく守るようになりました。これからはずっと、一緒に暮らしたいと思いました」
犯人宅にて発見保護時の少女「ここにいてもいいですか?」
新潟少女監禁事件
1990年11月〜2000年1月。9年2ヵ月もの間少女が監禁されたにもかかわらず、懲役わずか14年だった事件(当時、監禁致傷罪の最高刑は懲役10年だった為)
動機:監禁飼育目的
1989年、犯人Sは別件の事件で強制わいせつ未遂罪で、懲役1年執行猶予3年の判決。
1990年、「女の子が可愛かったし傍に誰もいなかったから」と8歳の少女が誘拐される。
ナイフを突きつけ脅迫、顔面の殴打やスタンガンなどの暴行、最初の1年間はSの外出及び就寝の際に両足を緊縛し、少女の脱出意志を喪失させた。
保護までの9年2ヵ月の監禁の間
少女はある時期から目を殴られると失明すると思い自ら頬を差し出したり、スタンガンの痛みに慣れる為に自らに使用するなどの行動をとるようになった。
また、殴られているのは自分ではないと第三者的立場を仮想して防衛する解離性障害が起こっていた。
監禁中、排泄はビニール袋、入浴も一回あるのみだった。
暴行の一方で、Sは「彼女の考えが子供のままでいない為に」と新聞や漫画を与え、ニュースの内容や数学の比例式を教えた。
1991年、1993年、1998年、警察は犯人宅を訪問するがこれらは巡回連絡の為だった。1989年の前科があるにも関わらず、本事件の捜査対象にSは含まれていなかった。
1996年、犯人の母親がSによる家庭内暴力について相談の為、保健所を訪問。
1999年、犯人の母親がSによる家庭内暴力について相談の為、精神病院を訪問。医師から医療保護入院の提案を受ける。
2000年、病院職員、保健所員、市役所員らによるSに対する医療保護措置を実施。「貴方は入院が必要であると認定されました」と告知すると犯人が暴れ出した為、警察に警察官3名の派遣を要請。
しかし「課員が出払っているから折り返し連絡する」と断られ、医師は暴れるSに鎮静剤を投与した。
この騒動の最中に毛布の塊が動いており不審に思った病院職員らがこれを調べたところ、偶然少女を発見・保護した。
医療保護措置の為の要請に関する警察からの折り返しの電話に対し、病院職員はSが既に沈静化した事、身元不明の少女を保護した事を伝えたが、生活安全課係長は「そちらで住所氏名を聞いてくれ、そんな事まで押し付けないでくれ。もし家出人なら保護する」と返答した。
病院職員は9年前の行方不明事件を思い当り、改めて警察に連絡。これを受け初めて刑事課の3名が病院に急行、少女が行方不明の少女であることを同定した。
この事実と異なり、警察は少女の発見・保護時に警察が立ち会っている旨を発表。のちに虚偽発表であった事を認めている。
発見・保護の日、県警本部長は各地の警察視察に回っていた関東管区警察局長をホテルで接待中だった。
しかし事件発覚に関するFAXがホテルに届くなか、県警本部長らは県警本部に戻らず図書券を景品にした麻雀接待を行っていた。保護時の虚偽発表、前科のあるSが捜査対象から外れていたこと、出動要請の拒否などが明るみになると二人は辞職した。
裁判は併合罪の解釈で揉めた
2002年、一審で懲役14年の判決。弁護側が控訴。検察側は控訴を断念。
同年、二審で懲役12年の判決。弁護側、検察側の双方が上告。
2003年、三審は二審判決を棄却し一審判決を支持。懲役14年が確定。
要するに警察は何もしなかった事件。初動以降は諦めてたのかな。初動すら対象から除外してたけど。
ふと「一時メディアを騒がせたあの誘拐事件から1年くらいたったなぁ」と思ったら、思い出してみて下さい

109 :名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)06:18:02 ID:1xH
>>106
昔、週刊新潮だっけかな?裏話が載ってたよ。
誘拐当時に
行方不明になった少女の近くの町だか市だかに
小学生にイタズラした制服警官がいたんだってさ。
表沙汰にならなかったんでそいつはクビにはならなかったんだけど
警察はそいつを内偵したら
事件当日そいつは非番でアリバイ無し。
誘拐の起きた場所に土地勘有り。
という事で警察はその警官が犯人かもと思い込み
あまりのヤバさに事故で行方不明になったという
結論ありきの捜査しかしなかったんだってさ。

110 :名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)11:32:31 ID:Nlm
>>109
何それ
もし本当なら初期段階で捜査止めてた事になるね、黙殺された事件を解決させた医療関係者らグッジョブすぎる
その記事の真偽は別としても、新潟県警大丈夫なのかと思った
同時期に起こった>>87の三重女子中学生バラバラ事件だって、事件直後に犯人は家族と一緒に新潟に引っ越してから月1の超ハイペースで略取未遂傷害2件、住居侵入強姦1件、窃盗9件を新潟で起こしてるのに
犯人逮捕のきっかけは(新潟におけるこれらの続発した被害からの犯人特定→余罪で三重での殺人発覚ではなく)、三重の被害者の遺体発見から犯人特定→新潟他の余罪を自供
新潟県警はちゃんと仕事してたのかと疑問に思ってしまう

111 :名無しさん@おーぷん :2015/04/24(金)11:54:20 ID:Nlm
ゴメン間違い発見
>>87訂正
その他の余罪で書いた「1997年、奈良の女子中学生殺人(詳細不明)」は、この犯人と無関係でした
三重のバラバラ遺体発見および犯人逮捕が1994年、無期懲役確定が1997年、刑務所で犯人自殺が1999年。

112 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)01:35:27 ID:3O6
少年犯罪に関しては、今の方が分かりやすいくらいだよな
昭和(戦前・戦後含めて)の、わけわかんない事件よりもよっぽど
「少年犯罪は別に増えているわけじゃない、昔の方が多かった」と聞いて
そりゃ昔は貧しかったから犯罪に走っちゃう子も多かったろうさ、
くらいにしか考えてなかったけど
調べてみたら何不自由ない子供が意味不明の動機で
(それこそ「人を殺してみたかった」程度の)やっちゃう事件の多いこと多いこと
凄惨さで知られる名古屋アベック殺人事件も、
そしてコンクリ詰め殺人もギリギリ昭和だし

114 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)11:16:18 ID:RTJ
>>112
昭和の少年犯罪の一つ、コンクリ(監禁→集団強姦・暴行→死体遺棄)
平成の少年犯罪の一つ、千葉生き埋め(監禁→集団暴行?→死体遺棄)
もし千葉の逮捕された16歳の鉄筋工の少年が噂通りだとしたら
親子揃って同じことやって、少年法に守られる事になるね
ソースでたら誰かお願いします

113 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)01:39:09 ID:3O6
あと連続射殺魔の永山則夫(永山基準の人)も
1969年に逮捕されたときは19歳だから、ギリ未成年か

117 :名無しさん@おーぷん :2015/04/26(日)23:11:06 ID:yYI
GW中仕事で出張の身なので、私しばらく書き込み減ります
ネタ切れでもあるのは内緒だ
皆さんで事件を挙げて下さいませ
しばらく任せた!
リクエストは>>113の永山事件とその判決、少年死刑囚3人を生んだ大阪・愛知・岐阜連続リンチ事件
千葉の事件は犯人が逮捕・自供してる点から解決しつつある為、スレチではない事件としましょう
>>116
20歳の井出が殺害・遺棄の主犯として
この計画の首謀者が18歳だかの少女だとすると
どういう裁判になるんだろうね、当分先だけど
大牟田事件のように共謀者は実行犯と同罪となるのか、それとも未成年にだけ酌量判決なのか
そもそも計画性・共謀は認められるのか
報道どおり生き埋めだとして、4人全員に殺意が認められるか
個人的には
・未成年にだけ酌量判決ってのだけはやって欲しくないなぁ
・16歳鉄筋工が気になる
週刊誌ネタでもいいので続報でたら教えて下さいませ

118 :名無しさん@おーぷん :2015/04/27(月)05:57:09 ID:G6t
永山則夫はなあ……
貧しさ(&コンプレックスその他)故の犯行であるが故に当時は同情論も多かったみたいだし
ひたすら凶暴・粗暴・低能だったのが拘置所で本を読んで教養を身に着けたり
色んな人と接触したことで徐々に人間らしくなっていって反省や贖罪の気持ちが芽生えたりして
だから一審の死刑判決が、控訴審で無期懲役に減刑されたのも分かるけど
でも差し戻し審での判決
「貧しかったとか苦しかったとか、そういう事情も分かるけど
 でも同じ条件で育った兄弟たちがまともに暮らしているんだから
 4人も連続して殺した言い訳にはならんでしょ(大意)」
も反論できない
いくらかわいそうでも、殺された人はもっとかわいそうなわけだし。
まあ、その兄弟もまともな人生を送っているとは言い難いという話は聞くけど
少なくとも兄弟は連続殺人事件を起こしているわけではないし
永山則夫の起こした事件のせいで人生が狂った結果、まともじゃない人生になっちゃった可能性もある
本人は「生きる希望の無かった人に、生きる希望を与えておいて殺すなんてなあ」
と不平を口にしていたそうで、気持ちは分からんでもないけど
死刑のときは全力で抵抗して「俺を殺したら革命が起きるぞ!」と叫んだというのは印象悪い
彼の著書「無知の涙」を読んでも
彼をかわいそうと思う人もいれば、自己憐憫の塊じゃねーかと怒る人もいる
個人的には、永山則夫にはかわいそうな部分がかなりあるにせよ
妙に美化したり、まるで悲劇のヒーローのように扱う論調には違和感を覚える
サイコパス的なシリアルキラーではないが、ただの粗暴犯じゃん、と思う
ただ、ソースが見当たらないから真偽のほどは定かではないが
弁護士が「このままじゃ死刑は免れ得ないし、責任能力なしの線で無罪を狙いましょうや」と提案すると
当人が「自分の著作や今までの主張が全部キ○ガイの戯言になっちゃうじゃん」と拒否し
あえて生命を永らえる策を取らなかった、というのは(さっき言ったことと矛盾するけど)少しは潔いかな、と思う。
少なくとも「頭がアレなんで俺は無罪!」と主張するような輩に比べて。
この永山則夫の件は擁護派・批判派が膨大な議論を重ねているし
未だに(たぶん永遠に)結論の出ない話題なので
一口に言うことができず、長くなってしまい申し訳ない

119 :名無しさん@おーぷん :2015/04/27(月)21:42:45 ID:U01
>>118
どんな事件だったのかを教えろお願いします

120 :名無しさん@おーぷん :2015/04/28(火)07:59:06 ID:xcU
事件自体は、そう大したものじゃない。いや4人も亡くなっているから大事件ではあるけど、
ここで挙げられるような不気味な怪事件というほどではない
1968年10〜11月の間に、東京・京都・函館・名古屋で立て続けに起きた拳銃による連続殺人事件。
別名「広域重要指定108号事件」。
東京プリンスホテルの敷地内を巡回していた警備員(綜合警備保障・現アルソックの人)が殺害されたのを皮切りに
神社の守衛さん一人、タクシー運転手2人が射殺された。
凶器は横須賀の米軍宿舎から盗まれた拳銃。
犯人・永山則夫は、その後はバーとジャズ喫茶で働きつつ潜伏していたが
1969年4月7日、例の拳銃を持って千駄ヶ谷の専門学校に盗みに入り、
機械の警報で駆け付けた日本警備保障(現・セコム)のガードマン(22歳)に発砲して逃走。
数時間後に逮捕された。永山則夫、当時19歳。未成年なのに当時から実名報道。
永山則夫は網走生まれで、8人兄弟の7人目。
父は腕利きのリンゴ剪定師だったが酒と博打で身を持ち崩しており
一家を支えていた優しい長姉は婚約破棄+堕胎で精神的に不安定になるなど極貧にして家庭崩壊状態の中で暮らしてきた。
5歳のとき、耐えきれなくなった母親が青森の実家に逃げ帰る。
その後も超極貧+兄弟からの虐待+父の博打などで悲惨な境遇。
だが見かねた近隣住民が福祉事務所に通報してくれて、精神病院に入院中の長姉を残して母の実家に引き取られた。
少年時代の永山は駅伝大会でアンカーを務めて、通っていた板柳中学を優勝に導くなど
脚光を浴びたこともなかったわけではないが基本あまり学校には来なかったらしい。
姉に会いたくなって家出したことや、万引きしたこともあり、いじめに遭っていたようである。
15歳。中学卒業後、集団就職で上京。渋谷の高級果物店の店員となる。
WIKIによると当時の常連客には女優の岩下志麻さんもいた。
要領よく接客をこなし周囲の信任も厚かったが、どうも一つのところには定着できないタチらしい。
ちょっと叱られたとか、地元・板柳での盗みを知られたんじゃないかと疑心暗鬼になるとか
本籍が網走番外地なので「ムショ生まれかよ」とからかわれるのが嫌とか
そういう些細な理由ですぐに辞め、職を転々とし、窃盗などの軽犯罪を繰り返した。
何故か国外脱出しようとして二度も密航を試みている(失敗したが)。自殺未遂もしている。
一応、窃盗で掴まっても身柄を引き取ってくれる社長だの
夜間学校に通う保証人になってくれる次兄だのもいて
必ずしも孤立無援というわけでもなかったと思うが、それはあくまで周囲から見ての話であり
当人の中では色々とこじらせてしまい
社会への復讐の念から事件に及び4人を殺害したわけである。

121 :名無しさん@おーぷん :2015/04/28(火)07:59:18 ID:xcU
裁判での彼は、当初は非常にヒステリックであったが徐々に落ち着き始める。
拘置所で哲学、経済学、心理学の専門書を読むようになったのである。
元来、教養のない粗暴犯ではあったものの、いわゆる地頭は良かったらしく
これらの難解な本を読破して内容を理解し、自分でも手記を書き始めるようになった。
この手記は後に「無知の涙」というタイトルで世に出て爆発的なヒットとなり
永山の生い立ちに同情的な見方をする人が増え始めた。
うち一人の女性とは、文通の末に獄中結婚もしている。
1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞も受賞。90年1月には日本文藝家協会に入会を申し込むが
「いや、でも殺人事件の刑事被告人だしなあ、駄目でしょ」「いやいや個人の善悪と作家としての才能は別じゃん」
と、同協会の理事・作家たちが内紛を起こす羽目になる。
一方、裁判の方だが、一審では死刑判決が出た。
学がついたのは良いのだが、口が回るようになってしまって
「殺した4人は全員プロレタリアートだったので、自分は被害者の家族にではなくプロレタリアート全体に謝罪したい」
「自分のような貧困者を生み出した国家が犯人だ」
など(当時の)左翼用語を振り回して挑発的な態度を取ったので裁判官の心証は最悪だったと思われる。
支援者の一人でガリガリの全共闘生き残りがいたので、彼の影響だったようだ。
二審でも当初は挑発的な態度だったが、
妻や(全共闘生き残り以外の)支援者との交流が続くうち、頑なだった態度が徐々にほぐれていき
被害者家族や社会に詫びたい、本の印税は妻を通して遺族に贈る、
当初は拒絶していた母親にも詫びたい……など、人間らしい言葉が紡がれるようになってきた。
これにより二審では減刑され、無期懲役の判決が出た。
だが検察は「4人も殺して死刑にならないなら、事実上死刑判決なんてなくなっちゃうだろ」
「それに、いま拘置されている死刑囚に対しても不平等だろ」と反発し、上告。
最高裁は裁判の差し戻しを命じ、結果、1990年に死刑が宣告された。
「家庭環境が劣悪だったことは4人も殺したことの言い訳にはならない」
つまり自分が不幸だからといって他人を不幸にする権利はない、というのが判決だった。

122 :名無しさん@おーぷん :2015/04/28(火)07:59:28 ID:xcU
その後、仕方がないこととは思うが永山は再び喧嘩腰になり
やたらと人に噛みつき自分は天才だと豪語するようになり
理解者である妻とも離婚。永山の態度の悪さに、支援者も次々と去っていった。
1997年8月1日、死刑執行。
おりしも神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)が起こった頃であり
事件当時に未成年だからといって容赦しないぜ的な姿勢を見せるためだったとも言われているが詳細は不明。
三菱重工爆破事件の大道寺将司の手記によると、この日の朝「ウオー」という絶叫を聞いたという。
恐らく隣の棟に収容されていた永山が引っ立てられる際に抵抗した声と思われる。
(もっとも、この日は別の死刑も執行されたので確実ではないが)
永山の遺骨は生前の遺言通り、妻の手によってオホーツク海へと帰っていった。
また、これも遺言通り、残された印税を元に世界の貧しい子供たちのための「永山こども基金」が設立された。
なお、判決における傍論の死刑適用基準は
後の死刑判決でも判例と同じように参考にされるようになった。いわゆる「永山基準」である。

123 :名無しさん@おーぷん :2015/04/28(火)18:22:22 ID:msT
>>120-122
詳しく解説乙 凄く分かり易かった

128 :名無しさん@おーぷん :2015/05/01(金)00:40:44 ID:06c
>>120-122
とても読みやすかった
真面目で純朴な人が周囲に多いと、もとがそうでない輩は強く反発心が出るのかな
どの県でも凶悪指数の総数(今作ったw)を人口で平均すると同じだったりして

124 :名無しさん@おーぷん :2015/04/29(水)04:24:28 ID:EYX
青森といえば伝説の脱獄王・白鳥由栄も青森県出身だったな
犯罪者自体はどこの都道府県にもいるから
青森県民が特別に犯罪性向を持っているというわけではないけど
青森出身・青森関係者はレジェンド級の奴が多すぎるだろ
昔の網走刑務所を再現した博物館網走監獄で
当時の看守や囚人たちの様子がマネキンで再現されているのだが
ふと上を見上げると「脱獄囚・S」こと白鳥由栄が
天井に這いあがって脱獄しようとしているシーンまで再現されてて驚いた記憶

125 :名無しさん@おーぷん :2015/04/29(水)22:58:50 ID:pPv
>>123
ナイスまとめです
何気に永山も青森関係者だったね
>>124
レジェンド級ワロタ
いや笑っちゃいけないのか、一県民として申し訳ない
最近は県のPRが「短命県返上」だったり、低所得、冬は雪しかない
そんな色々やばい県だけど嫌いにならないでけろ
基本平和で温厚な県民性なんだ、多分
凶悪犯罪者を生みやすい環境要因でも揃ってるのかなぁ

126 :名無しさん@おーぷん :2015/04/30(木)02:48:41 ID:NGL
「短命」だから太く短く生きてやろうと思うのかも
それが良く出ればいいけど悪く出ると大悪党になっちゃうみたいな
別段青森だけが異常だとは思わないけど、昔の刑事ドラマ(確か特捜最前線)について
そのドラマが安易に犯罪を扱っているわけじゃないということを警察に説明したスタッフが
「このドラマのテーマは、人は誰しも十字架を背負っていて、例えば東北出身であるとか、
それが故に犯罪に手を染めてしまうこともあるということで・・・」
と言ったという逸話を思い出したwww
今にして振り返ると特捜最前線の犯人って東北出身者がウジャウジャいたなwww
いちおう憎むべき悪じゃなく都会に飲まれた可哀想な人という扱いではあったが
同じく東北出身の自分としては苦笑いという感じ
好きなドラマだけどさ

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