ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます
ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています
★お願い★
(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)
(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします
それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!
150: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:03:23 ID:QWoUZ5elQQ
552 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:10:19.67 ID:qKV0Rmwv0
さらに驚いたことに、それから父と母も気持ちが悪そうにしながら、それぞれ似た体験をした話を続けた。数年前の話だ。
みんな気のせいだと思い込むようにしていたのだった。そんなことがあるわけはないと。しかしこうして家族が誰も同じ体験をしていると知った今、ただの気のせいで済むはずはなった。
「お祓い、してもらった方がいいかしら」
母がおずおずとそう切り出すと、父が「なにを馬鹿な」と怒りかけ、しかしその勢いもあっさりとしぼんだ。みんな自分の身に起きた体験を思い出し、背筋を冷たくさせていた。
そんな中、妹の貴子がぽつりと言った。
「おじいちゃんじゃないかな」
「え?」
「いや、だから、あそこにいたの、おじいちゃんじゃないかな」
地下の暗闇の中でぶつかったのは十五年前に死んだ祖父ではないかと言うのだ。
その言葉を聞いた瞬間、父と母の顔が明るくなった。
そのくせ口調はしんみりとしながら、「そうね。おじいちゃんかも知れないわね」「そうか。親父かも知れないな。親父は土蔵のヌシだったからな」と頷き合っている。
確かに祖父はあの土蔵が第二の家だと言っても過言ではないほどそこへ入り浸っていたし、死んだ後は自分の骨もそこへ葬ってくれと願ったのだ。
そして実際に遺骨の一部は小さな骨壷に納められて土蔵の隅に眠っている。
「おじいちゃんか」
真奈美もそう呟いてみる。皺だらけの懐かしい顔が脳裏に浮かんだ。
そして祖父との思い出の断片がさらさらと自然に蘇ってくる。
「おじいちゃん……」貴子が涙ぐみながら笑った。
幽霊を恐ろしいと思う気持ちより、優しかった祖父の魂が今もそこにいるのだと思う、やわらかな気持ちの方が勝っていたのだった。さっきまでの凍りついたような空気がほんのりと暖かくなった気がした。
しかし。
祖父の思い出を語り始めた父と母と妹を尻目に、真奈美は自分の中に蘇った奇妙な記憶に意識を囚われていた。
151: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:05:55 ID:KYyA7Wj2II
557 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:12:25.00 ID:qKV0Rmwv0
あれは真奈美がまだ小学校に上がったばかりのころ。いつものように祖父に本を読んでもらおうと、あの薄暗い地下の道を通って土蔵へやってきた時のことだ。
文机に向かって古文書のようなものを熱心に読んでいた祖父が、真奈美に気づいて顔を上げた。そして手招きをしてかわいい孫を膝の上に座らせ、あやすように身体を揺すりながらぽつりと言った。
『誰かにぶつからなかったかい?』
幼い真奈美は顔を祖父の顔を見上げ、そこに不可解な表情を見た。頬は緩んで笑っているのに、目は凍りついたように見開かれている。
『ぶつかるって、だれに?』
真奈美はこわごわとそう訊き返した。
祖父は孫を見下ろしながら薄い氷を吐くように、そっと囁いた。
『誰だかわからない誰かにだよ……』
◆
オイルランプの明かりに照らされ、加奈子さんの顔が闇の中に浮かんでいる。黒い墓石の上に腰掛けたまま、足をぶらぶらと前後に揺らしながら。
「それで真奈美さんは我が小川調査事務所に依頼したわけだ。人づてに、『オバケ』の専門家がいるって聞いて」
「どんな、依頼なんです」
「調査に決まってるだろう。その誰だかわからない誰かが、誰なのかってことをだ」
加奈子さんは背後の木箱の中から黒い厚手の布を取り出し、ランプの上に被せた。その瞬間、辺りが完全な暗闇に覆われる。
締め切られたガレージの中は、夜の中に作られた夜のようだ。
うつろに声だけが響く。
「昔の飛行機乗りは、ファントムロックってやつを恐れたらしい。機体が雲の中に入ると一気に視界が利かなくなる。でもしょせん雲は微小な水滴の塊だ。
その中で、『なにか』にぶつかることなんてない。ないはずなのに、怖いんだ。見えないってことは。
152: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:07:52 ID:QWoUZ5elQQ
565 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:16:29.89 ID:qKV0Rmwv0
白い闇の中で、目に見えない一寸先に自分と愛機の命を奪う危険な物体が浮かんでいるのではないか…… その想像が、熟練の飛行機乗りたちの心を苛むんだ。
その雲の中にある『なにか』がファントムロック、つまり『幻の岩』だ。自転車に乗っていて、目を瞑ったことがあるかい。
見通しのいい一本道で、前から人も車もなにもやってきていない状態で、自転車を漕ぎながら目を閉じるんだ。さっきまで見えていた風景から想像できる、数秒後の道。
絶対に何にもぶつかることはない。ぶつかることなんてないはずなのに、目を閉じたままではいられない。必ず恐怖心が目を開けさせる。人間は、闇の中に『幻の岩』を夢想する生き物なんだ」
くくく、と笑うような声が僕の前方から漏れてくる。
では、その旧家の地下に伸びる古い隧道で起きた出来事は、いったいなんだったのだろうね?
師匠は光の失われたガレージの中でその依頼の顛末を語った。
真奈美さんはそんなことがあった後、地下通路でぶつかったのは死んだ祖父なのだと結論付けた他の家族に、祖父自身もそれを体験したらしいということを告げずにいた。
そして自分以外の家族が旅行などで全員家から出払う日を選んで、小川調査事務所の『オバケ』の専門家である師匠を呼んだのだ。
ここで言う『オバケ』とはこの界隈の興信所業界の隠語であり、不可解で無茶な依頼内容を馬鹿にした表現なのだが、師匠はその呼称を楽しんでいる風だった。
真奈美さんからも「オバケの専門家だと伺いましたが」と言われ、苦笑したという。
ともあれ師匠は真奈美さんの導きで、本宅の地下の物置から地下通路に入り、その奥の土蔵に潜入した。その間、なにか異様な気配を感じたそうだが、何者かの姿を見ることはなかった。
土蔵には代々家に伝わる古文書の類や、真奈美さんの祖父がそれに関して綴った文書が残されていた。今の家族には読める者がいないというその江戸時代の古文書を、師匠は片っ端から読んでいった。
かつてそうしていたという真奈美さんの祖父にならい、一人で土蔵に篭り、燭台の明かりだけを頼りに本を紐解いていったのだ。
そしてその作業にまる一晩を費やして、次の日真奈美さんを呼んだ。
153: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:12:44 ID:QWoUZ5elQQ
572 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:18:41.95 ID:qKV0Rmwv0
◆
「結論から言うと、わかりません」
「わからない、というと……」
「あなたがその先の地下通路でぶつかったという誰かのことです」
文机の前に座ったまま向き直った師匠がそう告げると、真奈美さんは不満そうな顔をした。霊能力者という触れ込みを聞いて依頼をしたのに、あっさりと匙を投げるなんて。
そういう言葉を口にしようとした彼女を、師匠は押しとどめた。
「まあわかった部分もあるので、まずそれを聞いてください。これは江戸後期、天保年間に記された当時のこの家の当主の覚え書きです」
師匠はシミだらけの黄色く変色した書物を掲げて見せた。
「これによると、彼の二代前の当主であった祖父には息子が三人おり、そのうちの次男が家督を継いでいるのですが、それが先代であり彼の父です。
そして長子継続の時代でありながら家督を弟に譲った形の長男は、ある理由からこの土蔵に幽閉されていたようなのです」
「幽閉、ですか」
真奈美さんは眉をしかめる。
「あなた自身おっしゃっていたでしょう。かつてここには座敷牢があったと。家の噂話のような伝でしたが、それは史実のようです。
この地下の土蔵……いえ、そのころは地上部分があったので、土蔵の地下という方が正確かも知れません。ともかく土蔵の地下にはその長男を幽閉するために作られた座敷牢がありました。
その地下空間は座敷牢ができる前から存在していましたが、もともとなんのための地下室なのかは不明なようです。
この覚え書きを記した当主は、自分の伯父にあたる人物を評して、『ものぐるいなりけり』としています。気が狂ってしまった一族の恥を世間へ出すことをはばかった、ということでしょう。
結局、座敷牢の住人は外へ出ることもなく、牢死します。その最期は自分自身の顔の皮をすべて爪で引き剥がし、血まみれになって昏倒して果てたのだと伝えられています」
遠い先祖の悲惨な死に様を知り、真奈美さんは息を飲んだ。それも、自分は今その血の流れた場所にいるのだ。
不安げに周囲を見回し始める。
154: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:16:14 ID:QWoUZ5elQQ
579 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:21:00.63 ID:qKV0Rmwv0
「座敷牢で死んだ伯父は密かに葬られたようですが、その後彼の怨念はこの地下室に満ち、そして六間の通路に溢れ出し、やがて本宅をも蝕んで多くの凶事、災いをもたらしたとされています」
師匠は机の上に積み重ねられた古文書を叩いて見せた。
その時、真奈美さんの顔色が変わった。そして自分の両手で肩を抱き、怯えた表情をして小刻みに震え始めたのだ。
「わたしが………… ぶつかったのは…………」
ごくりと唾を飲みながら硬直した顔から眼球だけを動かして、入ってきた狭い扉の方を盗み見るような様子だった。
その扉の先の、地下通路を目線の端に捕らえようとして、そしてそうしてしまうことを畏れているのだ。
師匠は頷いて一冊のノートを取り出した。
「あなたのお祖父さんも、何度か真っ暗なこの通路でなにか得体の知れないものにぶつかり、そのことに恐怖と興味を抱いて色々と調べていたようです。
このノートは失礼ながら読ませていただいたお祖父さんの日記です。
やはり座敷牢で狂死した先祖の存在に行き着いたようなのですが、その幽霊や怨念のなす仕業であるという結論に至りかけたところで筆をピタリと止めています」
師匠は訝しげな真奈美さんを尻目に立ち上がり、一夜にして散らかった土蔵の中を歩き回り始めた。
「この土蔵には確かに異様な気配を感じることがあります。お父さんなど、あなたのご家族も感じているとおりです。亡くなったお祖父さんもそのことをしきりと書いています。
気配。気配。気配…… しかしその気配の主の姿は誰も見ていません。なにかが起こりそうな嫌な感じはしても、この世のものではない誰かの姿を見ることはなかったのです。
ただ、暗闇の中で誰かにぶつかったことを除いて」
どこかで拾った孫の手を突き出して、たった一つの扉を指し示す。その向こうには白熱灯の明かりが照らす、地下の道が伸びている。明かりが微かに瞬いている。また、玉が切れかかっているのだ。
それに気づいた真奈美さんの口からくぐもったような悲鳴が漏れた。交換したばかりなのに、どうして。呆然とそう呻いたのだ。
155: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:18:52 ID:QWoUZ5elQQ
587 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:23:17.47 ID:qKV0Rmwv0
「あなたのお祖父さんはこう考えました。本当にこの家を祟る怨念であれば、もっとなんらかの恐ろしいことを起こすのではないかと。
確かにそのようなことがあったとされる記録は古文書の中に散見されます。しかし今ではそれらしい祟りもありません。にも関わらず、依然として異様な気配が満ちていくような時があります。
これはいったいどういうことなのか。そう思っていた時、お祖父さんはある古文書の記述を見つけるのです」
師匠は文机に戻り、その引き出しから一冊の古びた本を取り出した。
「これは、お祖父さんが見つけたもので、死んだ座敷牢の住人を葬った、当主の弟にあたる人物が残した記録です」
やけにしんなりとした古い紙を慎重に捲りながら、ある頁に差し掛かったところで手を止める。
「彼はこの文書の中で、伯父の無残な死の有り様を克明に描写しているのですが、その死の間際にしきりに口走っていたという言葉も書き記しています。ここです」
真奈美さんの方を見ながら、確かめるようにゆっくりと指を紙の上に這わせた。
「ここにはこう書いています。『誰かがいる。誰かがいる』と」
その時、すぅっ、と扉の向こうの地下道から明かりが消えた。
真奈美さんは身体を震わせながら地下道への扉と、師匠の掲げる古文書とを交互に見やっている。泣き出しそうな顔で。
「あなたにぶつかったのは、誰だかわからない誰か…… あなたのお祖父さんも言っていたように、わたしのたどり着いた結論もそれです。それ以上のことを、どうしても知りたいのですか?」
師匠は静かにそう言って真奈美さんの目を正面から見つめた。
◆
淡々と語り終えた師匠の声の余韻が微かに耳に残る。
俺は鼻を摘まれても分からない暗闇の中で、ぞくぞくするような寒気を感じていた。
そしてまた声。
156: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:21:44 ID:KYyA7Wj2II
595 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:28:49.50 ID:qKV0Rmwv0
「土蔵から出ようとした時、地下道の白熱灯は消えたままだった。土蔵の中はたよりない燭台の明かりしかなかったので、入り口のそばの照明のスイッチを押したが、なぜかそれまでつかなかった。
カチカチという音だけが響いて、地の底で光を奪われる恐怖がじわじわと迫ってきた。代真奈美さんが持ってきていた懐中電灯で照らしながら進もうとしたら、いきなりその明かりまで消えたんだ。
叩いても、電池をぐりぐり動かしてもダメ。地面の底で真っ暗闇。さすがに気持ちが悪かったね。で、悲鳴を上げる真奈美さんをなだめて、なんとか手探りで進み始めたんだ。
怖くてたまらないって言うから、手を握ってあげた。最初の角を右に曲がってすぐにまた左に折れると、あとほんの五メートルかそこらで本宅の地下の物置へ通じる階段にたどり着くはずだ。
だけど…… 長いんだ。やけに。暗闇が人間の時間感覚を狂わせるのか。それでもなんとか奥までたどり着いたさ。突き当たりの壁に。壁だったんだ。そこにあったのは。
階段がないんだよ。上りの階段が。暗闇の中で壁をペタペタ触ってると、右手側になにか空間を感じるんだ。手を伸ばしてみたら、なにもない。通路の右側の壁がない。
そこは行き止まりじゃなく、角だったんだ。ないはずの三つ目の曲がり角。さすがにやばいと思ったね。真奈美さんも泣き喚き始めるし。泣きながら、『戻ろう』っていうんだ。
一度土蔵の方へ戻ろうって。そう言いながら握った手を引っ張ろうとした。その、三つ目の曲がり角の方へ。わけが分からなくなってきた。戻るんなら逆のはずだ。
回れ右して真後ろへ進まなくてはならない。なのに今忽然と現れたばかりの曲がり角の先が戻る道だと言う。彼女が錯乱しているのか。わたしの頭がどうかしてるのか。なんだか嫌な予感がした。
いつまでもここにいてはまずい予感が。真奈美さんの手を握ったまま、わたしは言った。『いや、進もう。土蔵には戻らないほうがいい』 それで強引に手を引いて回り右をしたんだ。
回れ右だと、土蔵に戻るんじゃないかって? 違う。その時わたしは直感した。
どういうわけかわからないが、わたしたちは全く光のない通路で知らず知らずのうちにある地点から引き返し始めていたんだ。三つ目の曲がり角はそのせいだ。
157: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:24:44 ID:KYyA7Wj2II
600 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:32:38.41 ID:qKV0Rmwv0
本宅と土蔵をつなぐ通路には、どちらから進んでも右へ折れる角と左へ折れる角が一つずつしかない。そしてその順番は同じだ。最初に右、次に左だ。
土蔵から出たわたしたちはまず最初の角を右、次の角を左に曲がった。そして今、さらに右へ折れる角にたどり着いてしまった。
通路の構造が空間ごと捻じ曲がってでもいない限り、真っ直ぐ進んでいるつもりが、本宅側の出口へ向かう直線でUターンしてしまったとしか考えられない。心理の迷宮だ。
だったらもう一度回れ右をして戻れば、本宅の方へ帰れる。『来るんだ』って強引に手を引いてね、戻り始めたんだよ。ゆっくり、ゆっくりと。壁に手を触れたまま絶対に真っ直ぐ前に進むように。
その間、誰かにぶつかりそうな気がしていた。誰だかわからない誰かに。でもそんなことは起こらなかった。わたしがこの家の人間じゃなかったからなのか。でもその代わりに奇妙なことが起きた。
土蔵に戻ろう、土蔵に戻ろうと言って抵抗する真奈美さんの声がやけに虚ろになっていくんだ。ぼそぼそと、どこか遠くで呟いているような。そして握っている手がどんどん軽くなっていった。
ぷらん、ぷらんと。まるでその手首から先になにもついていないみたいだった。
楽しかったね。最高の気分だ。笑ってしまったよ。そうして濃霧を振り払うみたいに暗闇を抜け、階段にたどり着いた。
上りの階段だ。本宅へ戻ったんだ。真奈美さんの手の感触も、重さもいつの間にか戻っていた」
チリチリ……
黒い布の下でオイルランプが微かな音を立てている。酸素を奪われて呻いているかのようだ。
奇妙な出来事を語り終えた師匠は口をつぐむ。僕の意識も暗闇の中に戻される。息苦しい。
「その依頼は結局どうなったんです」
口を閉じたままの闇に向かって問い掛ける。
158: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:27:23 ID:KYyA7Wj2II
604 :連想T ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:34:33.10 ID:qKV0Rmwv0
「分からないということが分かったわけだから、達成されたことになる。正規の料金をもらったよ。まあ、金払いの悪いような家じゃないし。それどころか、料金以外にも良い物をもらっちゃった」
ガサガサという音。
「あった。土蔵で見つけたもう一つの古文書だよ」
何かが掲げられる気配。
「これは、そこに存在していたこと自体、真奈美さんには教えていない。彼女の祖父はもちろん知っていたようだけど」
それはもらったんじゃなくて勝手に取ってきたんじゃないか。
「なんですかそれは」
「なんだと思う?」
くくく……
闇が口を薄く広げて笑う。
「座敷牢に幽閉されていたその男自身が記した文書だよ」
紙をめくる音。
「聡明で明瞭な文章だ。あの土蔵で起こったことを克明に記録している。明瞭であるがゆえに、確かに『ものぐるいなりけり』と言うほかない。それほどありえないことばかり書いている。
彼は三日に一度、寝ている間に右手と左手を入れ替えられたと言っている。何者かに、だ。左腕についている右手の機能について詳細に観察し、記述してある。
それだけじゃない。ある時には、右手と左足を。ある時には、右足と首を。そしてまたある時には文机の上の蝋燭と、自分の顔を、入れ替えられたと書いている」
師匠の言葉に、奇怪な想像が脳裏をよぎる。
「わたしがこの古文書を持ち出したのは正しかったと思っている。危険すぎるからだ。これがある限り、あの家の怪異は終わらないと思う。そしてなにかもっと恐ろしいことが起こった可能性もある。
その座敷牢の住人は、最後には自分の顔と書き留めてきた記録とを入れ替えられたと言っている」
書き留めてきた記録? それは今師匠が手にしているであろう古文書のことではないのか。
159: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:30:51 ID:QWoUZ5elQQ
609 :連想T ラスト ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:36:36.02 ID:qKV0Rmwv0
「そうだ。彼はそこに至り、ついに自分の書き記してきた記録を破棄しようとした。忌まわしきものとして、自らの手で破こうとしたんだ。最後に冷静な筆致でそのことが書かれている。
それは成功したのだろうか。彼は顔の皮を自分で引き剥がして死んでいる。彼が破いたものはいったいなんだったのか。そして、現代にまで残るこの古文書は、いったい……」
ゆがむ。闇がゆがむ。
異様な気配が渦を巻いている。
「それからだ。わたしはよくぶつかるようになった。あの地下道ではなく、明かりを消した自分の部屋や、その辺のちょっとした暗がりで。誰だかわからない誰かと……」
ぐにゃぐにゃとゆがむ闇の向こうから、師匠の声が流れてくる。いや、それは本当に師匠の声なのか。
川沿いに立つ賃貸ガレージの中のはずなのに、地面の下に埋もれた空洞の中にいるような気がしてくる。
「そこで立って歩いてみろよ」
囁くようにそんな声が聞こえる。
僕は凍りついたように動かない自分の足を見下ろす。見えないけれど、そこにあるはずの足を。
今は無理だ。
ぶつかる。ぶつかってしまう。
ここがどこだかも分からなくなりそうな暗闇の中、誰だか分からない誰かと。
そんな妖しい妄想に囚われる。
沈黙の時間が流れ、やがて目の前にランプの明りが灯される。覆っていた布を取が取り払われたのだ。黒い墓石に腰掛ける師匠の手にはもう古文書は握られていない。
「この話はおしまいだ」
指の背を顎の下にあて、挑むような目つきをしている。
そして口を開き「おじいちゃんじゃないかな、と言えばこんな話もある」と次の話を始めた。その言葉に反応したように、またまた別の不気味な気配がガレージの隅の一角から漂い始める。
降り積もるように静かに夜は更けていった。
(完)
160: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:32:03 ID:QWoUZ5elQQ
連想T 【了】
161: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:47:04 ID:QWoUZ5elQQ
この『連想T』は、スレ主お気に入りの作品のひとつです
グロいオバケが出て来て怖がらせるのは誰にでも書けますが、こう言う、何だかよく解らないけれど怖い、ただ暗いだけ、暗闇の中で誰かにぶつかっただけなのにとてつもなく怖くてゾクゾクする、
そんな怖さを書くのがウニさんはお上手だなぁと思います
プロになった方に上手は失礼かもしれませんが、下手なホラー作家にガッカリさせられた事は一度や二度では無いのでw
今一番怖いのは、このスレもしかして需要無い…?と言う事です(T_T)
162: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:01:06 ID:ZOkUPycZYs
空を歩く男
668 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:03:50.75 ID:itFWmvQ50
(この話は、2011年の夏コミの時に、別サークルの同人誌に寄稿したものです)
師匠から聞いた話だ。
大学一回生の春だった。
そのころ僕は、同じ大学の先輩だったある女性につきまとっていた。もちろんストーカーとしてではない。
初めて街なかで見かけたとき、彼女は無数の霊を連れて歩いていた。子どもの頃から霊感が強く、様々な恐ろしい体験をしてきた僕でも、その超然とした姿には真似の出来ない底知れないものを感じた。
そしてほどなくして大学のキャンパスで彼女と再会したときに、僕の大学生活が、いや、人生が決まったと言っても過言ではなかった。しかし言葉を交わしたはずの僕のことは、全く覚えてはいなかったのだが。
『どこかで見たような幽霊だな』
顔を見ながら、そんなことを言われたものだった。
そして、綿が水を吸うように、気がつくと僕は彼女の撒き散らす独特の、そして強烈な個性に、思想に、思考に、そして無軌道な行動に心酔していた。
いや、心酔というと少し違うかも知れない。ある意味で、僕の、すべてだった。
師匠と呼んでつきまとっていたその彼女に、ある日こんなことを言われた。
「空を歩く男を見てこい」
そらをあるくおとこ?
一瞬きょとんとした。そんな映画をやっていただろうか。いや、師匠の言うことだ。なにか怪談じみた話に違いない。
その空を歩く男とやらを見つければいいのか。
「どこに行けばいいんですか」と訊いてみたが、答えてくれない。なにかのテストのような気がした。ヒントはもらえないということか。
「わかりました」
そう言って街に出たものの、全く心当たりはなかった。
空を歩く男、というその名前だけでたどりつけるということは、そんな噂や怪談話がある程度は知られているということだろう。
正式な配属はまだだが、すでに出入りしていた大学の研究室で訊き込みをしてみた。
163: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:03:52 ID:wBv.pXEq1w
669 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:06:25.24 ID:itFWmvQ50
地元出身者が多くないこの大学で、同じ一回生に訊いても駄目だ。地元出身ではなくとも、何年もこの土地に住んでいる先輩たちならば、そんな噂を聞き及んでいるかも知れない。
「空を歩く男、ねえ」
何人かの先輩をつかまえたが、成果はあまり芳しくなった。なにかそんな名前の怪談を聞いたことがある、というその程度だった。内容までは分からない。
所属していたサークルにも顔を出してみたが、やはり結果は似たりよったりだった。
さっそく行き詰った僕は思案した。
空を歩く、ということは空を飛ぶ類の幽霊や妖怪とは少しニュアンスが違う。しかも男、というからには人間型だ。他の化け物じみた容姿が伴っているなら、その特徴が名前にも現れているはずだからだ。
想像する。
直立で、なにもない宙空を進む男。
それは、なにか害をもたらすことで恐れられているようなものではなく、ただこの世の理のなかではありえない様に対してつけられた畏怖の象徴としての名前。
空を歩く男か。
それはどこに行けば見られるのだろう。空を見上げて、街じゅうを歩けばいつかは出会えるのだろうか。
近い怪談はある。例えば部屋の窓の外に人間の顔があって、ニタニタ笑っている。あるいはなにごとか訴えている。
しかしそこは二階や三階の高い窓で、下に足場など無く、人間の顔がそんな場所あっていいはずがなかった、というもの。
かなりメジャーで、類例の多い怪談だ。
しかし、空を歩く男、という名前の響きからは、なにか別の要素を感じるのだ。
結果的に空を歩いていたとしか思えない、というものではなく、空を歩いている、というまさにその瞬間をとらえたような直接的な感じがする。
…………
そらをあるくおとこ。
そんな言葉をつぶやきながら、数日間を悶々として過ごした。
◆
「知ってるやつがいたよ」
と教えてくれたのは、サークルの先輩だった。同じ研究室に、たまたまその話を知っている後輩がいたらしい。
164: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:07:35 ID:wBv.pXEq1w
670 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:09:40.92 ID:itFWmvQ50
さっそく勢いこんで研究室に乗り込んだ。
「ああ、空を歩く男ですよね」
「知ってる知ってる」
僕と同じ一回生の女の子だった。それも二人も。どちらも地元出身で、しかも市内の実家に今も住んでいるらしい。
優秀なのだろう。うちの大学の学生で、地元出身の女性はたいてい頭がいいと相場決まっている。女の子だと、親があまり遠くにやりたくないと、近場の大学を受けさせる傾向がある。
その場合、本来もう少し高い偏差値の大学を狙えても、地元を優先するというパターンが多い。そんな子ばかりが来ているのだ。つまりワンランク上の偏差値の頭を持っている子が多いということになる。
「なんだっけ。幸町の方だったよね」
「そうそう。うちの高校、見たって子がいた」
「高校に出るんですか」
「違う違う。幸町だって。高校の同級生がそのあたりで見たの」
バカを見る眼で見られた。説明の仕方にも問題がある気がするのだが。
とにかく聞いた話を総合すると、このようになる。
『空を歩く男』はとある繁華街で、夜にだけ見られる。
なにげなく夜空を見上げていると、ビルに囲まれた狭い空の上に人影が見えるのだ。
おや、と目を凝らすとどうやらその人影は動いている。商店のアドバルーンなどではない。ちゃんと、足を動かして歩いているのだ。
しかしその人影のいる位置は周囲のビルよりさらに高い。ビルの間に張られたロープで綱渡りしているわけでもなさそうだった。
やがてその人影はゆっくりと虚空を進み続け、ビルの上に消えて見えなくなってしまった。明らかにこの世のものではない。
その空を歩く男を見てしまった人には呪いがかかり、その後、高いところから落ちて怪我をしたり、もしくは高いところから落ちてきたものが頭に当たったりして怪我をするのだという。
「その見たっていう同級生も怪我をした?」
「さあ。どうだったかなあ」
首を捻っている。
どうやら最後の呪い云々は怪談につきもののオマケようなものか。
165: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:14:46 ID:wBv.pXEq1w
671 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:11:05.06 ID:itFWmvQ50
伝え聞いた人が誰かに話すとき、そういう怪異があるということだけでは物足りないと思えば、大した良心の呵責もなく、ほんのサービス精神でそんな部分を付け足してしまうものだ。
ツタンカーメン王の墓を暴いた調査隊のメンバーが次々と怪死を遂げたという『ファラオの呪い』は有名だが、実際には調査隊員の死因のみならず、死んだということさえ架空の話である。
その『呪い』はただの付け足された創作なのだ。発掘調査に関わった二十三人のその後の生死を調査したグループの研究では、発掘後の平均余命二十四年、死亡時の平均年齢七十三歳という結果が出ている。
なにも面白いことのない数字だ。
しかし、そんな怪異譚を盛り上げるための誇張やデタラメはあったとしても、ハワード・カーターを中心に彼らが発掘したツタンカーメン王の墓だけは真実である。
空を歩く男はどうだろうか。
そんな人影を見た、ということ自体は十分に怪談的だけれども、どこか妙な感じがする。
因縁話も絡まず、教訓めいた話の作りでもない。そこから感じられる恐ろしさは、その後のとってつけたような怪我にまつわる後日談からくるものではないだろうか。
なんだか本末転倒だ。つまり肝心の前半部分が、創作される必然性がないのである。
すべての要素が、こう告げている。
『空を歩く男は、実際に観測された』と。
その事実から生まれた怪談なのではないだろうか。
錯覚や、なにかのトリックがそこにはあるのかも知れない。
話を聞かせてくれた二人に礼を言って、僕は実際にその場所へ行ってみることにした。
◆
平日の昼間にその場所に立っていると変な感じだ。
繁華街の中でも飲み屋の多いあたりだ。研究室やサークルの先輩につれられて夜にうろつくことはあったが、昼間はまた別の顔をしているように感じられた。
表通りと比べて人通りも少なく、店もシャッターが閉まっている所が多い。道幅も狭く、少し寂しい通りだった。
なるほど。どのビルも大通りにあるビルほどは高くない。良くて四階、五階というところか。
166: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:22:05 ID:wBv.pXEq1w
672 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:13:47.16 ID:itFWmvQ50
聞いた話から想像すると、この東西の通りの上空を斜めに横断する形で男は歩いている。恐らくは北東から南西へ抜けるように。
その周囲を観察したが、特に人間と見間違えそうなアドバルーンや看板の類は見当たらなかった。
当然昼間からそれらしいものが見えるわけもなく、僕は近くの喫茶店や本屋で日が暮れるまでの間、時間をつぶした。
太陽が沈み、会社員たちが仕事を終えて街に繰り出し始めると、このあたりは俄かに活気づいてくる。店の軒先に明かりが灯り、陽気な話し声が往来に響き始める。
その行き交う人々の群の中で一人立ち止まり、じっと空を見ていた。
曇っているのか月の光はほとんどなく、夜空の向こうにそれらしい影はまったく見えなかった。
仮に…… と想像する。
この東西の通りでヘリウムが充満した風船を持ち、その紐が十メートル以上あったら。その風船が人間を模した形をしていたら。そして紐が一本ではなく両足の先に一本ずつそれぞれくっついていたとしたら。
下から紐を操ることで人型の風船がまるで歩いているよう見えないだろうか。
今日と同じように月明かりもなく、下から強烈に照らすような光源もなければ、周囲のビルよりも遥かに高い場所にあるその風船を、本物の人影のように錯覚してしまうことがあるのではないだろうか。
その人影に気づいた人は驚くだろう。そしてそちらにばかり気をとられ、その真下の雑踏で不審な動きをしている人物には気づかないに違いない。
誰がなぜそんなことを? という新たな疑問が発生するが、とりあえずはこれで再現が可能だという目星はついた。
結局その後小一時間ほどうろうろしてから、飽きてしまったのでその日はそれで帰ったのだった。
次の日、師匠にそのことを報告すると、呆れた顔をされた。
「情報収集が足らないな」
「え?」
「風船かも知れないなんて、誰でも思いつくよ」
師匠は自分のこめかみをトントンと指で叩いて見せる。
「だいたい人影は最終的に通りのビルを越えてその向こうに消えてるんだ。下から操っている風船でどう再現する?」
167: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:27:33 ID:ZOkUPycZYs
674 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:16:30.24 ID:itFWmvQ50
あ。
そのことを失念していた。今さらそれを思い出して焦る。
「ちゃんと噂を集めていけば、その人影を見た人間が呪われて、高い所から落ちて怪我をするというテンプレートな後日譚が、別の噂が変形して生まれたものだと気がつくはずなんだ」
「別の噂?」
空を歩く男の話にはいくつかのバージョンがあるのだろうか。
「あの通りでは、転落死した人が多いんだよ。飲み屋街の雑居ビルばかりだ。酔っ払って階段から足を踏み外したり、低い手すりから身を乗り出して下の道路に落下したり。
何年かに一度はそんなことがある。そんな死に方をした人間の霊が、夜の街の空をさまよっているんだと、そういう噂があるんだ」
しまった。
たった二人から聞いて、それがすべてだと思ってしまった。怪談話など、様々なバリエーションがあってしかるべきなのに。
あと一度しか言わないぞ。
そう前置きして、師匠は「空を歩く男をみてこい」と言った。
「はい」情けない気持ちで、そう返事をするしかなかった。
◆
それから一週間、調べに調べた。
最初に話を聞かせてくれた同じ一回生の子に無理を言って、その空を歩く男を見たという同級生に会わせてもらったり、他のつても総動員してその怪談話を知っている人に片っ端から話を聞いた。
確かに師匠の言うとおり、あの辺りでは転落事故が多いという噂で、それがこの話の前振りとして語られるパターンが多かった。
実際に自分が目撃したという人は、その最初の子の同級生だけだったが、あまり芳しい情報は得られなかった。
夜にその東西の通りでふと空を見上げたときに、そういう人影を見てしまって怖かった、というだけの話だ。
それがどうして男だと分かったのか、と訊くと『空を歩く男』の怪談を知っていたからだという。
168: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:30:37 ID:wBv.pXEq1w
675 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:19:22.75 ID:itFWmvQ50
最初から思い込みがあったということだ。暗くて遠いので顔までは当然見えないし、服装もはっきり分からなかった。ただスカートじゃなかったから……
そんな程度だ。見てしまった後に、呪いによる怪我もしていない。
ただ記憶自体はわりとはっきりしていて、彼女自身が創作した線もなさそうだった。その正体がなんにせよ、彼女は確かになにかそういうものを見たのだろう。
これはいったいなんだろうか。
本物の幽霊だとしたら、どうしてそんな出方をするのだろう。地上ではなく、そんな上空にどうして?
霊の道。
そんな単語が頭に浮かんだ。霊道があるというのだろうか。なぜ、そんな場所に? 少しぞくりとした。見るしかない。自分の目で。考えても答えは出ない。
僕はその通りに張り付いた。日暮れから、飲み屋が閉まっていく一時、二時過ぎまで。しかし同じ場所に張っていても、周囲を練り歩いても、それらしいものは見えなかった。
焦りだけが募った。
死者の気持ちになろうともしてみた。あんなところを歩かないといけない、その気持ちを。
気持ちよさそうだな。
思ったのはそれだけだった。
目に見えない細い細い道が、暗い空に一本だけ伸びていて、その道から落ちないようにバランスをとりながら歩く……
落ちれば地獄だ。かつて自分が死んだ、汚れた雑踏へ急降下し、その死を再び繰り返すことになる。
落ちてはいけない。
では落ちなければ?
落ちずに道を進むことができれば、その先には?
人の世界から離れ、彼岸へ行くことができるということか。そんな寓意が垣間見えた気がした。
その通りに張り付いて二日目。
僕は少し作戦を変えて、飲み屋街のバーに客として入った。そこで店を出している人たちならば、この空を歩く男の噂をもっとよく知っているかも知れないと思ったのだ。
169: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:34:49 ID:ZOkUPycZYs
676 :空を歩く男 ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:23:22.41 ID:itFWmvQ50
仕送りをしてもらっている学生の身分だったので、あまり高い店には行けない。
女の子がつくような店ではなく、カウンターがあって、そこに座りながらカクテルなどを注文し、飲んでいるあいだカウンター越しにマスターと世間話が出来る。そんな店がいい。
このあたりでは居酒屋にしか入ったことがなかったので、行き当たりばったりだ。とにかくそれっぽい店構えのドアを開けて中に入った。
薄暗い店内には古臭い横文字のポスターがそこかしこに張られていて、気取った感じもなくなかなか居心地が良さそうだった。控えめの音量でオールディーズと思しき曲がかかっている。
お気に入りのコロナビールがあったのでそれを注文し、気さくそうな初老のマスターにこのあたりで起こる怪談話について水を向けてみた。
聞いたことはある、という返事だったが実際に見たことはないという。入店したときにはいた、もう一人の客もいつの間にかいなくなっていたので、仕方なくビール一杯でその店を出る。
それから何軒かの店をハシゴした。
マスターやママ自身が見たことがある、という店はなかったが、従業員の中に一人だけ目撃者がいた。そしてそれとなく店内の常連客に話を振ってくれて、「そう言えば、昔見たことがあるなあ」という客も一人見つけることができた。
しかし話を聞いても、どれも似たり寄ったりの話で、結局その空を歩く男の正体もなにも分からないままだった。
せめて、どういう条件下で現れるのか推測する材料になれば良かったが、話を聞いた二人とも日付や天気の状況などの記憶が曖昧で、見た場所も人影が進んだ方角もはっきりとしなかった。
ただ、夜中に足場もなにもない非常に高い上空を歩く人影を見た、ということだけが一致していた。そして特にその後、事故などには遭わなかったということも。
一軒一軒ではそれほど量を飲まずに話だけ聞いて退散したのだが、聞き込みの結果が思わしくなく、ハシゴを重ねるごとに酔いが回り始めた。
何軒目の店だったか、それも分からなくなり、かなり酩酊した僕がその地下にあったロカビリーな店を出た頃にはもう日付が変わっていた。
「ちくしょう」
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