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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





170: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:41:05 ID:ZOkUPycZYs

678 :空を歩く男  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:24:58.38 ID:itFWmvQ50

という、酔っ払いが良く口にする言葉を誰にともなく吐き出しながら、ふらふらと狭い階段を上り、地上に出る。
空を見上げても暗闇がどこまでも広がっているだけで、何の影も見当たらなかった。そのときだった。
「にいさん、にいさん」
そう後ろから声を掛けられた。
振り返ると、よれよれのジャケットを着た赤ら顔の男が手のひらでこちらを招く仕草をしている。
「なんです」
このあたりでは尺屋、という民家の一室を使った非合法の水商売があるのだが、一瞬、その客引きではないかと思ったが、しかしこう酔っ払っていては仕事になるまい。
「さっき、中であの怪談の話をしてたろう」
ああ、なんださっきの店にいた客か。しかしどうしてわざわざ店を出てから声をかけてくるんだ?
そんなことを考えたが、それ以上頭が回らなかった。
「だったら、なんれす」ろれつも回っていない。
「知りてえか」
「なにを」
「空の、歩きかた」
男は酒焼けしたような赤い顔を近づけてきて、確かにそう言った。
「いいですねえ。歩きましょう!」
「そうか。じゃあついてきな」
ふらふらとしながら男は、まだ酔客の引かない通りを先導して歩き出した。五十歳くらい、いやもう少し上だろうか。
変なおっさんだ。
さっきロカビリーな髪型のマスターが他の客に声をかけても、誰もそんな怪談話を知らなかったのに。なんであのとき黙ってたんだ。あれ? そもそもあんなオッサン、店にいたかな。
そんなことを考えていると、おっさんが急に立ち止まり、また顔を近づけてきてこう言った。
「あそこにはな、道があるんだ。目に見えない道が。でも普通の人じゃあ、まずたどり着けないのさあ」


171: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:46:57 ID:wBv.pXEq1w

679 :空を歩く男  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/01(土) 23:26:43.71 ID:itFWmvQ50

おや?
おっさんの言葉ではなく、なにか別の、違和感があった気がした。
正面から顔を見ると、頬は肉がタブついていて、はみ出した鼻毛と相まってだらしない印象だった。しかしどこか愛嬌のある顔立ちだ。
そのどこに違和感があったのだろう。まあ、いいや。
アルコールがいい感じに脳みそを痺れさせている。
「周りのビルより高い場所だ。そんなところに道なんてあるわけがない。そう思うだろ。でもなあ、そうじゃあないんだ。あの道はな……」
「北の通りの、高層ビルからでしょう」
おっさんは驚いた顔をした。
「おおよぅ。わかってんじゃねえか兄ちゃん」
そうなのだ。
この東西の通りに面したビルは高くとも四、五階だ。しかし離れた通りのビルにはもっと高いものがある。その北の通りに面した高層ビルから伸びているのだ。その空の道は。
酔いにかき回された頭が、ようやくそんな単純な答えにたどり着いていた。
そしてもっと南の通りにも高いビルがある。そこまで伸びているのか。あるいは、そのまま人の世界ではない、虚空へと伸びていく道なのか。
「霊道なんでしょう」
負けじと顔をおっさんの鼻先に突き出す。しかしおっさんは、にやりと笑うと「違うねえ」と言った。
「本当に道があるんだよ。いいからついてきな。知ってるやつじゃなきゃ絶対に分からない、あそこへ行く道が、一本だけあるんだ」
そしてまた頼りない足取りで繁華街を進んでいく。
なんだこのおっさんは。意味がわからない。しかしなんだか楽しくなってきた。
「さあ、こっちだ」
おっさんは三叉路で南に折れようとした。
「ちょっとちょっと、北の通りでしょ。そっちは南」
たぶん目的地は北の大通りの、屋上でビアガーデンをやっているビルだ。方向が違う。
しかしおっさんは不敵な笑みを浮かべて人差し指を左右に振った。
「北に向かうのに、そのまま北へ向かうってぇ常識的な発想が、この道を見えなくしてんだよ」


172: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:51:22 ID:ZOkUPycZYs

682 :空を歩く男  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/02(日) 00:04:30.97 ID:xOvjnYct0

そんなことを言いながらふらふらと南の筋に入り、やがてその通りにあったビルとビルの隙間の細い路地へ身体をねじ込み始めた。太り気味の身体にはいかにも窮屈そうだった。
だめだ。酔っ払いすぎだ、これは。
「いいから、ついてこい。世界は折り重なってんだ。同じ道に立っていても、どこからどうやってそこへたどり着いたかで、まったく違う、別の道の先が開けるってこともあるんだ」
うおおおおおおおおお。
そんなことを勢い良くわめきながら、おっさんは雑居ビルの狭間へ消えていった。なんだか心魅かれるものがあった僕も、酒の勢いを駆ってついていく。
それから僕とおっさんは、廃工場の敷地の中を通ったり、古いアパートの階段を上って、二階の通路を通ってから反対側の階段から降りたり、
居酒屋に入ったかと思うと、なにも注文せずにそのまま奥のトイレの窓から抜け出したりと、無茶苦茶なルートを進みながら少しずつまた北へ向かい始めた。
ますます楽しくなってきた。街のネオンがキラキラと輝いて、すべてが夢の中にいるようだった。
気がつくと、また最初の幸町の東西の通りに戻っていた。随分と遠回りしたものだ。
「どうやって知ったんですか、この空への道」
「ああん?」
先を歩くおっさんの背中に問い掛ける。
「おれも、教えてもらったのよ」
「誰から」
「知らねえよ。酔っ払った、別の誰かさぁ」
おっさんも別の酔っ払いから聞いたわけだ。その酔っ払いも別の酔っ払いから聞いたに違いない。空を歩く道を!
その連鎖の中に僕も取りこまれたって、わけだ。光栄だなあ。僕も空を歩くことができたら、今度は師匠にもその道を教えてやろう。
そんなことを考えてほくそ笑んでいると、おっさんは薄汚れた雑居ビルの階段をよっちらよっちらと上り始めた。ほとんどテナントが入っていない、古い建物だった。
最上階である四階のフロアまで上がると、奥へ伸びる通路を汚らしいソファーやらなにかの廃材などが塞いでいた。


173: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:54:41 ID:wBv.pXEq1w

683 :空を歩く男  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/02(日) 00:05:27.69 ID:itFWmvQ50

「おい、通れねえぞ」
おっさんがわめいて僕に顎をしゃくって見せるので、仕方なく力仕事を買って出て、障害物を取り除いた。
また気分よくおっさんは鼻歌をうたいながら通路を進む。やけに長い通路だった。さっきの東西の通りから、一本奥の通りまでぶち抜いているビルなのかも知れない。
その鼻歌はなにか、酒に関する歌だった。どこかで聞いたことはあるが、世代の古い歌だったので、タイトルまでは思い出せなかった。
なんだっけ?
酒の、酒が、酒と。
そんなことを考えていると、ふいに、頭に電流が走ったような衝撃があった。
あ。
そうか。
違和感の正体が分かった。
急に立ち止まった僕に、おっさんは振り返ると「どうした、にいちゃん」と声をかけてくる。
そうか。あの時感じた違和感。おっさんが僕に顔を近づけて、あそこには目に見えない道がある、と言ったときの。
あれは……
足が震え出した。そしてアルコールが頭から急に抜け始める。
「どうしたぁ。先に行っちまうぞ」
その暗い通路は左右を安っぽいモルタル壁に囲まれ、遠くの非常灯の緑色の明かりだけがうっすらと闇を照らしていた。
おっさんはじりじりとして、一歩進んで振り返り、二歩進んで振り返り、という動きしている。
僕はアルコールが抜けていくごとに体温も奪われていくのか、猛烈な寒気に襲われていた。
そうだ。
おっさんは、息がかかるほど顔を突き出したのに、酒の匂いがしなかった。あの赤ら顔で、千鳥足で、バーから出てきたばかりなのに。そのバーに、そもそもあのおっさんはいなかった。
今日ハシゴした他の店にも。客からあの話を訊くことも目的だったので、すべての店でどんな客がいるか観察していたはずなのだ。
なのに、おっさんは僕が空を歩く男の話を訊いて回っていたことを知っていた。まるで目に見えない客として、あのいずれかのバーにいたかのように。


174: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 05:56:58 ID:wBv.pXEq1w

684 :空を歩く男  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/02(日) 00:07:40.66 ID:xOvjnYct0

「どうした」
声が変わっていた。
おっさんは冷え切ったような声色で、「きなさい」と囁いた。
ガタガタ震えながら、首を左右に振る。
通路の暗闇の奥で、おっさんの顔だけが浮かんで見える。
沈黙があった。
そうか。
小さな声がすうっと空気に溶けていき、その顔がこちらを向いたまま暗闇の奥へと消えていった。
それからどれくらいの時間が経ったのか分からない。
金縛りにあったかのようにその場で動けなかった僕も、外から若者の叫び声が聞こえた瞬間に、ハッと我に返った。酔っ払った仲間がゲロを吐いた、という意味の、囃し立てるような声だった。
僕は気配の消えた通路の奥に目を凝らす。
そのとき、頬に触れるかすかな風に気がついた。その空気の流れは前方からきていた。
三メートルほど進むと、その先には通路の床がなかった。一メートルほどの断絶があり、その先からまた通路が伸びていた。
ビルとビルの隙間に、狭い路地があった。長く感じた通路は、一つのビルではなく二つのビルから出来ていた。
崖になっている通路の先端には、手すりのようなものの跡があったが、壊されて原型を留めていなかった。向こう側の通路の先も同じような状態だった。
知らずに手探りのまま足を踏み出していれば、この下の路地へ落下していただろう。四階の高さから。
生唾を飲み込む。
最後に「きなさい」と言ったおっさんの顔は、あの断絶の向こう側にあった。
そうか。僕は導かれていたのだ。折り重なった、異なる世界へ。
ビルとビルの狭間へ転落する僕。そして別の僕は、自分が死んだことにも気づかず、そのまま通路を通り抜け、導かれるままに秘密の道を潜り、あの空への道へと至るのだ。高層ビルの屋上から、足を踏み出し……
そこは壮観な世界だろう。
遥か足元にはネオンの群れ。大小の雑居ビルのさらに上を通り、酔客たちの歩く頭上を、気分良く歩いて進む。


175: 空を歩く男 ◆LaKVRye0d.:2017/2/17(金) 06:00:34 ID:ZOkUPycZYs

685 :空を歩く男 ラスト  ◆oJUBn2VTGE :2012/09/02(日) 00:08:48.45 ID:xOvjnYct0

夜の闇の中に、目に見えない一筋の道がある。それは折り重なった別の世界の住民だけにたどることの出来る道なのだ。
はあ。
闇の中に冷たい息を吐いた。
僕はビルの階段を降り、通行人の減り始めた通りに立った。もう夜の底にわだかまった熱気が消えていく時間。人々がそれぞれの家へ足を向け、ねぐらへと帰る時間だ。遠くで二度三度と勢いをつけながらシャッターを閉めている音が聞こえる。
そして僕は振り仰いだ星の見えない夜空に、空を歩く男の影を見た。

           ◆

「殺す気だったんですか」
師匠にそう問い掛けた。
そうとしか思えなかった。師匠はすべて知っていたはずなのだ。かつての死者が新しい死者を呼ぶ、空へ続く道の真相を。
いくらなんでも酷い。
そう憤って詰め寄ったが、そ知らぬ顔で「まあそう怒るな」と返された。
「まあ、ちゃんと見たんだから合格だよ。優良可でいうなら、良をあげよう」
なんだ偉そうにこの人は。ムカッとして思わず睨むと、逆に寒気のするような眼に射すくめられた。
「じゃあ、優はなんだっていうんですか」
僕がなんとか言い返すと、師匠は暗い、光を失ったような瞳をこちらに向けて、ぼそりと囁く。
「わたしは、空を歩いたよ」
そして両手を、両手を羽ばたくように広げて見せた。
うそでしょう。そんな言葉を口の中で転がす。
「臨死体験でもしたって言うんですか」
僕が訊くと、師匠は「どうかな」と言って笑った。


空を歩く男 【了】
176: 信号機 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:27:42 ID:niLTnM81LA

『信号機』


夜だった。
サークルの後輩の家で酒を飲み、深夜一時を回ったころに「じゃあな」と自転車に跨って一人家路についた。
通り過ぎる市街地は人影もまばらで、暗くて顔も見えない人々はしかし皆一様に白い袋を手にしている。コンビニの袋なのだろう。
学生の多い街だ。繁華街からは外れた場所をこんな時間に出歩いている人が寄るところといったら決まっている。
自分もこの帰路の途中、どこのコンビニに寄るべきか、頭の中に地図を広げ始める。
しかし自分の頭の中だと言うのに厚い紙が入念に折り畳まれていて上手に広げられず悪戦苦闘していた。やはり酔っているのだろう。
赤信号が見えてブレーキをかけた。
交差点だ。
車など一台も見えないが、黄色の点滅ではない。信号機は普通のパターンのようだ。
片側一車線で、この時間帯なら全方位黄色の点滅でいいだろうに。
そんなことをぶつぶつと頭の中でつぶやきながらそれでも自転車を降りて信号が変わるのを待った。
我ながら順法意識の低い学生のこと。普段なら赤信号だろうが、車が迫っていようが、いけると判断したら渡るのに、その時は酔いで頭の中がシンプルになっていた。
赤は止まれ。青は進め。……黄色はなんだったか。まあいい。
立ったままうとうとしかけて、歩行者用信号機から赤いマークがふっ、と消えたのに気づき、あ、進まなきゃ、と思う。
その時、なんの前触れもなく自分のすぐ横を誰かが先に通り過ぎた。
あれ? 他に人がいたかな。
そう思って前を見たが、街灯に薄っすらと照らされた白と黒の縞模様が道路に伸びているだけで、人の姿はどこにもなかった。
では通り過ぎた誰かはどこに行ったのか。
ぼんやりと顔を正面に向けると歩行者用の信号機が目に入った。動きの鈍い頭の中に氷の一片がさし込まれたように、感覚が急にクリアになった。

ゾクリ……
首筋に走る、嫌な感覚。
その時、自分の頭の中に走馬灯のように思い出されたことがあった。そうだ。あれは、師匠から聞いた話だった。


177: 信号機 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:30:21 ID:niLTnM81LA




その日、僕は加奈子さんと市内のハンバーガーショップで昼食をとっていた。
二階の窓際の席に陣取り、道行く人々を見下ろしながら心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく語り合っていると、ふいに加奈子さんが右手遠方を見つめ、「うん?」と首を傾げた。
「なんですか」
僕も一面ガラス張りの窓からそちらを覗き込むが、特に変わったことはないように見えた。
「あそこ、信号のとこ。一人いるだろ」
そう言われてよく見ると、遠くの横断歩道のところに、一人だけ誰か立っているのが見えた。
もう一度言う。よく見ると、つまり目を凝らしたら見えたのだ。
ぼんやりと視線を向けただけでは見えなかった。その誰かは。
「お化けがいるなあ」
加奈子さんはコーラのカップから伸びるストローを噛みながらぼんやりとそう呟く。
この距離で良く気づくものだ。感心ながらまじまじと見ていると、その横断歩道で立ち止まっている誰かはまったく動き出す様子がなかった。
信号が変わって、通行人が一斉に歩き出してもその人物だけはその場に立ち止まったままだった。また別の人々が横断歩道の前に溜まり、再び信号が青になってもその光景が繰り返される。何度もだ。
「あれ何してんのかなあ」
「何してるんでしょうね」
「おい」
「え」
加奈子さんが急に顔をこちらに向けた。
「ちょっと言って、訊いてこい」
「は?」
ストローから口を離したかと思うと、カップを持つ手から人差し指だけを立ててこちらに向ける。
「だから、今からあそこ行って、何してんのか訊いてこい」
「はあ」
しぶしぶ立ち上がる。
加奈子さんは冷めかけたポテトの欠片を指先で探りながらまた窓の外に目をやっている。
僕は飲み物や食べかけのバーガーを残したまま一人だけで階段を降り、ハンバーガーショップの外に出る。


178: 信号機 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:33:24 ID:niLTnM81LA

また階段を上り、戻って来た時も加奈子さんは同じポーズで窓の外を見ていた。
席に着くと、心なしか僕のバーガーが小さくなっている。持ち上げてじっと眺めていると、「どうだった」という声。
「ええと。なんか、信号を待っているそうです」
「信号? 何度も青になってるじゃん」
「いや、それが歩行者用の信号って、人間が歩いてるマークが青で、真っ直ぐ立ってるマークが赤じゃないですか」
「そうだな」
「自分は違うそうです」
「は?」
「いや、ほら。足が……」
「ないからって?」
師匠は呆れたように顔をしかめる。
「はい。信号が進んでいいマークに変わらないからずっと待ってるとかなんとか……」
「お化け用の信号なんてあるか!」
バカじゃないの。
師匠はテーブルを叩く。
「じゃああいつ、ずっとあそこで待ってるつもりか」
「さあ。たぶん」
窓の向こうに目をやると、横断歩道のところにまだその人影がじっとしているのが見えた。歩き出す人々からぽつりと一人離れて。
「あいつ死にたてなのかな」
「さあ。たぶん」
僕は小さくなったように見えるバーガーの、キツネ色のパンズの上に残る小さな歯型を眺めている。
加奈子さんは何かぶつぶつ言っていたが、やがて顔を上げて口を開いた。
「いくらなんでも、そんなことでこの先やっていけるのか」
怒ったような口調だった。
知りませんよ、そんなこと。
加奈子さんはいきなり立ち上がった。
「説教してくる」
そして僕が止めるのも聞かず、さっさと階段を下りていってしまった。
残された僕は溜め息をついてから向かいの席の食べ物を漁ろうとした。
しかしポテトの欠片一つ残ってはいなかった。


179: 信号機 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:35:21 ID:niLTnM81LA

戻ってきた加奈子さんは、少し不機嫌そうだった。
「どうでした」
この窓から見ていた限りでは、横断歩道の前で身振り手振りで加奈子さんが何か言っている間にその人影は消えてしまった。
白昼に、人間が一人消えてしまったことよりも、誰もいない場所に一人で喚いている女性に対して道行く人々は気味の悪そうな視線を向けている。
元々僕ら以外の誰にも見えていないのだ。その生真面目なお化けは。
「駄目だ。びびって消えた」
「優しく言わないからでしょう」
「別に怒鳴ったわけじゃない。教えてやっただけだ」
「教えるって、なにをですか」
師匠はそこで、持ち上げたコーラのカップの予想外の軽さに驚いた顔をしてから、ニヤリと笑って、言った。
「信号の渡り方」
そうして、「お化けの」と付け加えてからテーブルに空のカップを置いた。


180: 信号機 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:38:13 ID:niLTnM81LA




ゾクゾクしている。首筋が。
トットット…… 心臓の音が早い。そのリズムでアルコールを含んだ血液を全身に流している。
なのに頭は酩酊から冷めている。
街灯の明かりしかない夜の交差点。横断歩道の信号が変わり、夜目にも毒々しい赤い『止まれ』のマークが消えたばかり。
しかし動けない。歩き出せないでいる。
信号機は消えたままなのだ。赤だけではなく、青も。
どちらの明かりも消えたままだった。
歩行者用だけではない。自動車用の信号機も灯が消え、暗闇の中にぼんやりとその無機質な姿が浮かび上がっている。
真夜中、時間が止まったような光景だった。ただ目に見えない気配だけが、無人の横断歩道を渡って行く。
ついて行ってはいけない。それだけは分かった。
噂は聞いたことがあった。市内で、夜に信号がすべて消えたら動いてはいけない。人ではないものが、通り過ぎる時間だから……

その噂は、数年前から聞かれるようになったという。わりに新しい噂話だ。けれど広まるのは一瞬だ。口から口へ、耳から耳へ。
自転車のハンドルを支えながら、色と、音のない世界でじっと立ち尽くしている。気配が横断歩道の向こうへ消えて行くまで。
その間、頭の中に地図を広げる。夜の街の網目のように張り巡らされたすべての路地を幻視する。
そこには目に見えない噂話が音にならない囁きとともにゆっくりと流れている。
やがて我に返ると、青い歩行者のマークが点灯していることに気づく。
遠くから大きな猫の目のようなヘッドライトが減速しながら近づいてくる。
ペダルに足を掛けると、薄暗い横断歩道の向こう側で目に見えない誰かがもうそこで待っているような気がして、ひくりと息を飲んだ。


181: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:40:37 ID:niLTnM81LA

『趣味の話』


師匠から聞いた話だ。


僕の師匠は実に多趣味な人だった。
もちろんオカルト道の師匠であるからして、その第一はオカルトであるのだが、他にも色々なものに凝っていた。
中でもスポーツは大好きで、野球、プロレス、水泳、登山、ビーチバレー、短距離走と、節操なく手を出していた。
いずれも見るだけはなく自分でやっているのであって、そのバイタリティと運動神経には驚かされる。
特に足の速さは一級品であり、主に逃げ足などに活用されていた。
この不思議な魅力を持つ人物のことをもっと知りたくて、彼女を知る人に片っ端からインタビューを試みたことがあった。
曰く、

足が速い。
幽霊が見える。
金を貸している。
寝癖が爆発していることがある。
案外いいヤツ。
逃げ足速すぎ。
何を考えているのか分からない。
逃げる野良猫に追いついているのを見た。
ときどき気持ちの悪いことを言う。
キレると怖い。
女ジャイアン。
諦めが悪い。
ずうずうしい。
殺しても死なない。
金を貸していた気がする。
凄く足が速い。
食べ物をたかるのはやめて欲しい。
頭は良い。
痴漢したオッサンに一瞬でノーザンライトスープレックスをきめていた。
怪談話が好き。
お巡りさんに追いかけられているのを見た。
上から目線がひどい。
知ったかぶりをする。
足が速い。
教授に色目を使っている。
…………



182: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:42:59 ID:niLTnM81LA

等々、その特徴として足が速いことを挙げる人が多かった。
陸上部でもないのに、大学生にもなって足の速さを披露する機会が多いということ自体、彼女の普通ではない様を如実に表している気がする。
また、スポーツ以外でも興信所のバイトで探偵まがいのことをしていたり、地区の消防団に入っていたり、と実に活動の幅が広い。
ただ、その本質は飽きっぽいのであり、長く続いている趣味の後ろには、手を出したものの三日と続かなかったようなものが山を作っている。
例えばホーミー。
モンゴルの伝統的な歌唱法と言うか、発声法で、唸るような低い声と同時に甲高い笛のような音が聞こえてくるという代物だ。
なにかのテレビで見たらしく、さっそく試してみたようだ。実際にその音が出ると嬉しくなったのか、さらなる練習を重ね、口ホーミーから喉ホーミー、腹ホーミーと、様々に使い分けることもできるようになっていた。
超音波的というか、ビリビリと響く、どこか金属製のものを思わせるその音を聞いていると、僕など頭が痛くなってしまったものだ。
ある時、その師匠の家に遊びに行くと、ボロアパートの部屋の前に猫がたむろしている。四、五匹はいただろうか。
野良猫と思しき彼らはみな一様に部屋の中が気になるようで、ドアの下の隙間を覗き込もうとしたり、壁際に積んでいたダンボールを踏み台にして部屋の窓を伺ったりしていた。
いったい何事かと、僕も一緒になって窓から中を覗き込むと、カーテン越しにちらりと師匠が部屋の真ん中でヨガのようなポーズで座っているのが見えた。
その時、窓ガラスが小刻みに揺れているのに気づいた。そして微かに響いてくる低い唸り声と、それに被さる金属的な音。
ホーミーの練習をしているらしい。いつの間にやら趣味が高じて、近所の猫が集まってくるほどになっていたようだ。
というか、なぜ猫が?
そのホーミーに凝っていたのも二、三週間のあいだだけだった。あまりに猫が集まってくるので、エサをやっているんじゃないかと近所から苦情が来たらしい。


183: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:46:10 ID:ki46t9YtMY

手品にハマッていたこともあったし、俳句に興じていた時期もあった。
ある時など、自分の寝言を記録していたことがあった。
師匠は元々寝言がやたら多いらしいのだが、ふと思いついて自分がどんなことを喋っているのか、それを記録してみることにしたらしい。
最初はラジカセで採ろうとしていたが、録音時間が足りず、人力をもってそれに代えることにしたという。
つまり僕だ。

「いいか。お前はずっと起きてて、わたしの寝言を一字一句聞き漏らさずに書き留めるのだ」
そんな宣言の後、師匠は布団を頭から被って寝始める。
その枕元にはノートと鉛筆を持って座っている僕、というシュールな絵面だ。時計は夜中の十二時をさしている。
確かに師匠は寝言を発していた。
むにゃむにゃむにゃ、というような文字化し辛いうわ言ばかりかと思っていたら、まれにはっきり聞き取れる内容のものもあった。
カナヘビがどうだとか、チェッコ・ダスコリがどうしたとか言っていたかと思うと、わたしからは名を与えるとか、ちょっとそこをどいてくれだとか、腹が減った、などというようなことをぼそぼそと口にしていた。
それらを黙々と書き留めていると、やがて誰かと会話しているらしい場面になった。
「らるふ、らるふ」と誰かに話しかけているらしいのだが、なにか怒っているような口調だ。
十分ばかり耳をそばだてて集中していると、ようやくなにを言っているのか分かった。夢の中で近鉄のラルフ=ブライアントに箸の使い方を説明しているのだ。
ブライアントはあまりに箸の使い方がヘタで、師匠がどれほど教えても上手く扱えないようだった。
だんだん「ボケ」とか「違うだろアホ」とか口調が汚くなり、「もう知らん。パンでも食ってろ」との捨てセリフを吐くに至った。
僕はそれを丁寧にメモしていく。
と、ノートに目を落としていたら、耳をつんざくような悲鳴が上がった。
心臓が止まりそうになるほど驚いた僕はひっくり返ってテーブルに頭をぶつけてしまった。
師匠が口元を抑えて跳ね起きた。目が大きく見開かれている。
「な、なにが。ど、どうしたんですか」
しどろもどろでそう訊くと、返事も出来ない様子で肩で息をしている。
「ラルフになにかされたんですか」


184: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:49:55 ID:niLTnM81LA

そう訊ねた僕に、怪訝な顔をして「ラルフってなんだ」と訊き返してくる。
「寝言で言ってたんですよ。夢を見てたんでしょう?」
僕が説明すると、師匠はひったくるようにノートを手に取り、自分の発した寝言を確認する。
寝ている師匠がなにか喋ったら、その内容と時間とをメモしてあるのだが、最初の一時間半ほどはすやすやと寝ていて、夜中の二時前くらいからぽつぽつと何ごとか寝言を言い始め、そして三時半現在でいきなり自分で悲鳴を上げて飛び起きた、という流れだ。
師匠の部屋の外はまだ暗い。電柱に取り付けられた街灯の微かな明かりがカーテン越しに見える。
「おい。この、パンでも食ってろ、ってのが最後か」
「はい」
「いつだ」
「いつって、ついさっきですよ」
「何分まえだ」
「何分というか、いきなり叫びだして起きる直前ですよ」
「直前……?」
師匠は真剣な表情になり、目を見開いたまま、なにかを思い出そうとするように額に手を当てた。
「夢が変わってる」
「は?」
「そんな、ブライアントが出てくるような楽しい夢じゃなかったぞ」
真顔でそう言われて、なんだかわけの分からないままに寒気がしてきた。
「どんな夢を、見てたんです?」
恐々とそう訊ねた。
師匠は右手をゆっくりと前に突き出して目に見えないなにかを探るような仕草をする。
「こう…… 誰もいない夜の街で、道路になにかが這いずったような跡があって、それを辿って行くと……」
そこで口ごもった。
続けようとしたようだが、手だけが宙を彷徨うばかりで言葉は出てはこなかった。
師匠は一瞬、身体を震わせたかと思うと、また布団に潜り込んだ。あっけにとられた僕は、しばらくその布団の膨らみを見つめていたが、いつまで経ってもそのままなので「ちょっと」と揺すった。
「なあに?」
「なあにじゃなくて」
気になるでしょう。
僕が促すと、布団の中から囁くような声でこんな言葉が返ってきた。
「なにかいるぞ」
この街に……
そうして布団が小刻みに揺れた。笑っているのか。怯えているのか。どちらとも知れなかった。


185: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:53:30 ID:niLTnM81LA




そんなことがあってからしばらく後、師匠は今度は読唇術に凝り始めた。
僕はさっそく部屋に呼び出され、その練習相手を無理やりさせられていた。
「ほんじつは……せいてんなり?」
パクパクパク。
「かーる……るいす」
パクパクパク。
「がーたー……べると」
パクパクパク。
「とむ……と……しぇりー」
座って口パクをする僕の唇の動きだけを見てなにを言っているのか当てるのだそうだ。
それが正解なら僕は黙って頷くことになっている。外れなら左右だ。
師匠の手元にはどこで手に入れたのか、読唇術のハウツー本が握られている。
「おっ……ぱい?」
正解。
師匠はそこでちょっとタイムとばかり、両手を頭上でクロスさせた。
「なあ、さっきからなんか、ところどころエロい言葉を言わせようとしてないか」
ぶんぶんと頭を振る。
疑わしそうな目で睨みながら師匠は膝を付き合わせた姿勢に戻る。
「なんでも良いから喋るフリしろ、とか言われても逆になにを言って良いのか分かんなくなるんですよ」
抗議をすると、師匠は少し考え込み、やがて「じゃあ、プロ野球選手の名前縛りで行こう」と言った。
僕は真剣な表情でこちらを凝視してくる師匠のプレッシャーを感じながらゆっくりと口を動かす。
パクパクパク。
「くわた……ますみ」
パクパクパク。
「あいこう……たけし?」
パクパクパク。
「お……な……」
そこまで言いかけて、師匠はいきなり僕の左頬に平手打ちをかました。
「い、痛い」
びっくりして思わず喋ってしまった。
「いい加減にしろ、このボケ」
怒鳴りつけられた。
「オマリーって言っただけですよ。オマリー。阪神の」
「うそだ。絶対うそだ」
「うそじゃないです」
実はうそだった。
しばらく言い争ったが、白けてしまったのか、師匠はハウツー本を投げ出して立ち上がった。


186: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:56:41 ID:ki46t9YtMY

そして洗面所でジャージに着替えてきたかと思うと「走ってくる」と言う。
その手には何故かランプが握られている。手に提げるタイプの古色蒼然としたオイルランプだ。
吊り下げられたガラス瓶の中に灯は入っていない。
これも、師匠がこのところ日課にしている奇妙なランニングだった。
陽が落ちてからこの明かりのないランプを手に街中を走り回るのだ。
スッと師匠が取っ手を目の高さに掲げる。そして丸く膨らんだガラスの中の空洞を見つめる。
ガラス越しにその口元が歪むように笑う。僕はその様子を見てゾクリとする。
「じゃあ行ってくる」
そうしてドアから出て行く後ろ姿を見送った。
これから師匠は夜の街を、明かりのないランプを掲げて走る。人工の光で満ち、ほの白い陽炎で覆われたような夜を、そのランプで照らして行く。
何もない空のランプで。
何もないがゆえにそこから湧き出てくる、底知れない闇で、まがい物のような夜を照らすのだ。
そして走りながら呪文のようにこう繰り返す。
「幽霊はいないか」「幽霊はいないか」
…………
強烈な挑発だ。
かつて古代ギリシャの『樽の中の賢人』ディオゲネスは、太陽の出ている昼間にランプに灯をともし、人で溢れるアテネの街を練り歩いたという。
一体なにをしているのかと問われた彼はこう答えた。
『人間を探しているのだ』
彼は哲学者だったが、狂人ではなかった。
真に『人間』と呼ぶに値する人物がこの街にいるのか、という彼一流の痛烈な皮肉である。
その故事にちなんだ師匠の最悪の趣味がこれだ。彼女が馬鹿にし、けなし、挑発しているのは、この街に彷徨うすべての死者だった。
さすがにこの悪意に満ちたランニングのことを知った時には僕も鼻白んだが、あまりに執拗に繰り返しているので、何か裏の意味があるのではないかと思うようになっていた。
実際にそのランニング中の師匠の表情はどこか緊張を帯びたような様子だった。
幽霊はいないか。
一人になった部屋でそう呟くと、もの寂しさと同時に背筋になにか冷たいものがゆっくりと這い上がってくるのを感じた。
なにをするともなく待っていると小一時間ほど経ってからドアノブを誰かが掴んだ音がする。
「戻った」


187: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:58:44 ID:ki46t9YtMY

汗を湯気のようにまとって師匠が部屋に入ってくる。
同時に、その師匠が潜ってくるドアの外側の上部に、逆さになってこちらを覗き込んでいる顔があった。まるで二階の部屋から逆さにぶら下がっているかのような格好だ。
しかし現代の長屋とでも言うべきこのアパートには二階などない。三十代だか四十代だかの痩せこけた男の首だけが無表情にこちらを見ている。
奇妙なことに髪の毛は重力の方向に逆立っていない。なんとも言い難い嫌悪感とともに、一瞬、そういう絵がそこにあるような錯覚をおぼえた。
僕の視線に気づいた師匠が振り返る。
そしてその逆さまの男の顔を見上げたかと思うと、近くにあった箒を手に取り「しっしっ」と言いながら鼻先を払った。
顔は無表情のまま引っ込み、師匠はすぐにドアを閉じる。
「あー、疲れた」そう言ってランプを転がして、部屋の真ん中で仰向けに寝転がる。
僕はさっきまでそこにあった男の顔が頭から離れず、ドアの上部を恐る恐る見つめている。
師匠の悪趣味な挑発に対してどこからかついてきたのだろうか。
「どうした」
「さっきの首は……」
「雑魚だ。ほっとけ」
平然とそう言う。
しかしその次の瞬間、ドアノブが外から誰かに捻られた音がした。さっきの現実感のない絵のような存在とは明らかに違う、なにか恐ろしいものの気配。ドアが小刻みに揺さぶられたかと思うと、「ギッ」と音を立てて開きかける。
ざわっとした嫌な感じが体幹を駆ける。まずい。直感でそう思った。
師匠が跳ね起きた。
「どけ」
前にいた僕を弾き飛ばし、信じられないことにそのままの勢いでドアにドロップキックを敢行した。
凄い音がして、ドアが外側に弾ける。
ということは、やはりドアが開きかけていたのは間違いない。玄関口に転がった師匠は、その場を動けないでいる僕を尻目にすぐさま立ち上がると、さっきと同じ箒を手に持って「しっしっ」と部屋の外に向かって払う仕草をした。
しかし開いたドアの外には何も見えず、箒を持ったまま「ん?」と首を傾げて突き出そうとする。僕もその後ろから、部屋の外を覗き見ようとした。
いる。街灯のわずかな光に照らされて、なにかがいる。
アパートの敷地から立ち去ろうとする影。人ではなかった。それはすぐに分かった。


188: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 02:01:24 ID:niLTnM81LA

それは頭部があきらかに普通の大きさではなかったのだ。大きいのではない。逆に小さい。小さすぎた。
顎の上部あたりから先が、まるで切り取られたように、ない。後ろ姿からは、丁度うなじのすぐ上が何もない空間になっていた。
そんな状態で生きていられるわけがない。しかしその人影は、ふらふらとした足取りで去って行ったのだった。
師匠はその光景を見つめながら、おお、という感嘆符を残し、しばらくたたずんでいたが、ふいに僕の方を振り返ってこう言った。
「今のは、かなりやばいやつだな」
「最初の首だけ見えてたのとは別ですか」
「別だ。おまえ、見ただけで雑魚とああいうやばいのとの区別がつかないと危ないぞ」
危ないのか。しかしそれをわざわざ招いているのは師匠ではないのか。
招いている?
「もしかして、あのディオゲネスごっこは……」
そうだ。
師匠は頷いた。
「霊道を作ってんだよ」
そんなもの作るなよ!
そう突っ込もうとしたが、ゾクゾクとした寒気が背中を走り抜けた。その中に歓喜に似たものが入り混じっているような気がした。
街中の死者の霊を冒涜し、挑発して追って来させているのだ。その意味を知り、反応した連中が同じ道をたどり、やって来る。
ディオゲネスごっこに出くわさなかったやつも、他の霊が進む方向に惹かれて何も知らずにやって来る。この部屋にだ。
「なんでそんなこと」
「なんでって。見たいだろ」
「なにを」
「なんか、すごいやつ」
あっさりそう答えた。探して見に行く手間が省けるじゃないか、という顔だ。
呆れてしまって、思わず乾いた笑いが漏れた。


189: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 02:04:16 ID:niLTnM81LA

「大丈夫なんですか」
そんなすごいやつを毎回箒で撃退するつもりなのか。
そう問うと、師匠はニヤリとしてこう答えた。
「会いたいやつは、たぶんそんな撃退するとかいうレベルじゃないやつなんだがな。でも全然来ないぞ」
その口ぶりは、なにか特定の存在を指しているようだった。
「どんなやつですか」
思わず生唾を飲み込みながら訊ねる。
師匠はドアを閉め、部屋の中に戻った。そうしてこちらに向き直りながら畳の上に胡坐をかいて両膝の上に手を乗せる。
「最近な、街に変な幽霊がいるだろ」
「変って、どんなのですか」
「手がないやつとか、腰のあたりが千切れてるやつとかだよ」
思い浮かべるが、そんなのを見ただろうか。
「さっきのやつみたいに、頭がないのもいる」師匠はそう言って嬉しそうに笑う。
ひとしきり笑った後で、身を乗り出して言った。
「食われてんだよ」
く…… 食われてるって。
絶句する。
「こないだ、駅の近くの郵便ポストの前ですごいのを見たぞ。足首だけの幽霊を。両足の脛のあたりから下しかないんだ。そんなのがずっとそこにいるんだよ。ほとんど意思も感じない。あれじゃあ個を保てないだろうから、じきに消えるだろうな」
手のひらを床にかざして、このくらい、と足だけの幽霊の様子を示す。
師匠は、この街の幽霊がなにかに食われているというのだ。
胸が嫌な高鳴り方をしている。
僕は想像してしまっている。今この瞬間にもなにか得体の知れない存在が、この部屋の屋根をかぱりと開けて、中にいる僕らをつまみあげ、大きな口に放り込んでしまうのを。あるいは、小さな蟻のようなものがどこからともなく現れ、僕の顔に群がったかと思うと、一瞬でそこだけ白骨化してしまうのを。
そんな荒唐無稽なイメージが次々と脳裏をよぎる。
「なにかがいるんだ」
そうひとりごちて、彼女は視線を床に落とし、考え込むような顔で沈黙した。


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