2chまとめサイトモバイル

2chまとめサイトモバイル 掲示板
師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





130: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:33:23 ID:pIgPmzpxL2

『保育園』 後編

キッ、となって悦子先生も立ち上がる。麻美先生も肩を怒らせながら立ち上がった。
それに遅れて洋子先生と由衣先生もおずおずと腰を浮かせる。
外へ出るのだと早合点した悦子先生がガラス戸の方へ向かいかけるのを、師匠が止める。
「こっちです」
そうして廊下へ出た師匠は玄関の方へ進んでいった。
三・四歳児の部屋の前を通り、事務室の前を通り抜け、玄関の奥にある階段の前で立ち止まった。
「上ります」
そう言ってから階段に足を踏み出す。僕らもそれに続いて階段を上っていく。
二階の廊下にたどり着くと、右手側に戸が四つ並んでいる。
遊戯室、0歳児室、一歳児室、二歳児室。
師匠は三番目の一歳児室の戸を開けた。由衣先生が担任をしている部屋だ。
一階と同じようにフローリングの床が広がっている。五歳児室よりも少し狭いようだ。位置で言うと、一階の三・四歳児室の真上ということになる。
休園日のためか、窓のカーテンが閉められていて少し薄暗い。
全員が部屋に入ったことを確認してから師匠がその窓際に近づいていく。
「仮に、です。雷が鳴った瞬間、たまたま窓際にいたとしましょう。それも窓に背を向けて。そして外が光る。雷が鳴る。驚いた由衣先生は振り向く」
師匠はそう喋りながら振り向いて、窓のカーテンに手を突く。
「おっと、まだ外は見えませんね」
嫌らしくそう言ってから、カーテンの裾をつかんで開け放つ。ジャッ、というレールを走る音がして、外の光が飛び込んでくる。
「さあ、カーテンは開きましたよ! タオルはどこに見えます?」
師匠は声を張った。
僕らは思わず窓際に近寄って、同じように外を見下ろす。
なんの変哲もない園庭の光景が眼下に広がっている。


131: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:35:07 ID:pIgPmzpxL2

タオルは五歳児室の正面の木に引っかけたはずなので、隣の三・四歳児室の真上に位置するこの部屋からは少し左斜め前方に見えるはずだ。
みんなそちらの方向を見つめる。
しかし白いタオルは見えなかった。
先生の誰かが言った。
「ここからじゃ、角度が」
そしてハッと息を飲む。
師匠が写真を掲げて見せる。
魔方陣が写った園庭の写真だ。
「二階の部屋、正確には隣の二歳児室から撮影されたこの写真は、フェンス際の木まで写ってはいますが、葉が茂っているせいで、幹に近い枝にかかったタオルは見えません。悦子先生の証言では、魔方陣が見つかった時にもタオルはあったということでしたね。ちょうどこの写真が撮られた時です。なのに、写真には写っていない。葉が邪魔して見えないんですよ。二階の窓から構えたカメラからは」
師匠は両手の親指と人差し指でファインダーを作り、ニヤリと笑った。
「つまり、二階の窓からの視線ではね」
こんな風に。
そう言って、僕がさっき白いタオルをかけたはずの木に向かって「カシャッ」と口でシャッターを切った。
みんな驚いた顔で師匠を見ている。そしてその視線がやがて由衣先生に集まる。
「私じゃない!」
由衣先生はそう言ってその場にへたり込んだ。顔を覆ってわなわなと震えている。
「外には出ました。でも私じゃない」
そう呻いて、啜り泣きを始めた。
他の先生が「落ち着いて、ね?」と言いながら背中をさすっている。
師匠はその様子を冷淡に見下ろしている。
しばらくそうして啜り泣いていたが、ようやくぽつぽつと語り始めた。自分の口から、あの日あったことを。


132: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:38:38 ID:HMJYUJcabU




きっかけはその事件の数日前だった。
園児たちがみんな帰宅し、他の先生たちも順次帰っていった後、由衣先生は一人で園に残って、書きかけの書類を仕上げていた。
七時を過ぎ、その残業にもようやく目処がついたころ、ふいに来客があった。
スーツを着て、立派な身なりをしていたので、保護者が忘れ物でも取りに来たのかも知れないと思い、門のところまで出て行くと、その男性は頭を下げながら『沼田ちかの父です』と言うのだ。
沼田ちか。
その時初めて不審な思いが湧いた。
とっさにそんな子はうちにはいませんが、と口にしそうになった瞬間、その名前とそれにまつわる事件のことを思い出した。
数年前、この保育園に通っていた沼田ちかちゃんという女の子がいたことを。
片親だったその子は他の子と家庭環境が違うことを敏感に感じ取り、園でもあまりなじめなかったそうだ。
そして五歳児、つまり年長組になったころから、ようやく友だちの輪にも入れるようになり、毎日だんだんと笑顔が増えていった。
そんなおり、ある週末にお祖母ちゃんにつれられて、買い物に行こうとしていた時、歩道に乗り上げてきたダンプカーに二人とも跳ねられてしまった。居眠り運転だった。お祖母ちゃんの方は助かったが、ちかちゃんは内臓を深く傷つけていて、治療の甲斐なく亡くなってしまった。
当時担任だったという先輩の保育士からそのことを聞いて、とても胸が痛んだことを覚えている。
由衣先生は緊張して、『ちかちゃんのお父さんですか』と言った。
男性は静かに目礼して、懐からぬいぐるみを取り出した。
小さなクマのぬぐるみだった。
『ちかの好きだったぬいぐるみです』
これを、園庭に埋めてもらえないだろうか。
男性は深く頭を下げてそう頼むのだった。


133: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:40:02 ID:HMJYUJcabU

『私は明日この街を去ります。せめてちかが、この街で生きていた証に』
由衣先生は最初断った。
しかし、繰り返される男性の懇願についに折れてしまった。
『ありがとう。ありがとう。きっとちかもお友だちと遊べて幸せでしょう』
涙を拭う男性の姿に、思わずもらい泣きをしてしまいそうになったが、男性が去ったあと、託されたぬいぐるみを手にして由衣先生は少し薄気味が悪くなった。
最後の言葉。まるであのお父さんは、このぬいぐるみがちかちゃん自身であるかのように話していた気がする。
どうしよう。
捨ててしまおうか。
そう思わないでもなかった。
しかし結局、由衣先生は、男性の想いのとおりそのクマのぬいぐるみを園庭に埋めてあげることにした。
捨ててしまうことで、お父さんの、あるいはちかちゃんの恨みが自分自身に降りかかって来るような気がしたのだ。
花壇の方へ埋めようかとも思ったが、誰かに掘り返されるかも知れない。それにお父さんは『園庭に』と言いながら、園庭の真ん中を指差して頼んでいたのだ。
フェンスの根元のあたりなどではなく、園児たちが遊ぶその園庭の真っ只中に埋めて欲しい。そういう希望なのだった。
由衣先生はその夜、苦労してスコップで穴を掘り、園庭の真ん中にぬいぐるみを埋めた。
そして上から土を被せ、何度も踏んでその土を固めた。最後に物置から出してきたトンボで地ならしをして、ようやくその作業が終わった。
どっと疲れが出て、残っていた書類も仕上げないまま、家路についた。


134: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:42:33 ID:HMJYUJcabU

そんなことがあった数日後だ。
十一時ごろに雨が降り始め、わあわあ騒ぎながら子どもたちが園舎に駆け込んでいくのを二階の一歳児の窓から見ていた。
雨脚は強くなり、やがて土砂降りになった。
受け持ちの子どもたちに食事をさせ、そして寝かしつけている間も気はそぞろだった。
『雨でぬいぐるみが土から出てきたらどうしよう』
しっかり踏み固めたつもりでも、やっぱり周りの地面より柔らかくて土が流されてしまうのではないだろうか。
そう思うといてもたってもいられなかった。
もし園庭に埋めたぬいぐるみが園長先生にでも見つかったら、大目玉だ。ちかちゃんのお父さんにどうしてもと頼まれた、と言ってもそんな言い訳が通じないことはこれまでの付き合いでよく分かっている。
子どもがみんな寝てしまった後もしばらく迷っていたが、とうとう由衣先生は決意して部屋を出る。
二階から階段で降りると、すぐに玄関の方へ向かうと事務室からは見つからない。
傘立てから自分の青い傘を手に取り、それを広げながらサンダルをつっかけて外へ出る。
外はまだ黒い雲に覆われて薄暗いが、雨脚は少し弱まって来ているようだ。
ぬかるんだ土に足を取られながらもようやく園庭の中ほどまでやってくる。ぬいぐるみを埋めたあたりだ。
しばらく傘をさしたまま、その場で無数の雨が叩く地面を見回していたが、どうやらぬいぐるみは土から出てきてはいないようだと判断する。
大丈夫かな。
少しホッとして玄関の方へ戻っていく。雨に多少濡れても早足でだ。もしこの大雨の中、外に出ていることを他の先生に見つかると、言い訳が面倒だ。
もし見つかったら、鍵かなにかを落としてしまって探しにいったことにしよう。
そう考えながら歩いていると、ふいに視界に白い光が走り、間髪いれずに雷が鳴った。
それほど音は大きくなかったが、かなり近かった気がして思わず振り向いた。
しかし特に異変はなかった。
園舎に早く戻ろうと、玄関に足を向けかけたとき、一瞬、視界の端にあった木の枝に緑色のタオルがかかっているのが見えた……


135: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:44:47 ID:HMJYUJcabU




「私じゃないんです」
もう一度そう言って由衣先生は啜り上げた。
部屋に戻って、しばらく経ってから悦子先生の悲鳴に驚いて外を見てみると、雨が上がった園庭に魔方陣が描かれていたのだという。
さっき外に見に行った時には、そんなもの影も形もなかったのに!
そう思うと怖くなってしまった。
自分が外へ出ていたことを話してしまうと、ぬいぐるみのことがバレてしまうかも知れない。まして魔方陣を描いた犯人に疑われてしまうかも知れないのだ。
由衣先生は、外へ出たことを黙っていようと心に決めた。
悦子先生たちが怪奇現象専門の探偵にこの事件のことを依頼するといって盛り上がっていても、そっとしておいて欲しい、という気持ちだったが仲間はずれにされることが怖くて、流されるままにお金も出し、こうして休みの日に園へ出て来ているのだった。
「でも私じゃないんです」
声を震わせる由衣先生を見下ろしながら、師匠は困ったような顔をした。
あの顔は、謎が解けてないな。
僕はそう推測する。
そもそもこの事件には、魔方陣を描いた犯人が保育士の誰かであれ、園児であれ、また門扉やフェンスをよじ登った侵入者であれ、大雨の後、魔方陣がくっきり残っているのに、足跡が残っていないという重大な問題がある。
結局そのことはたな晒しにしたままだが、師匠的には雨の中外へ出ていた人物が見つかれば、そのあたりも勝手に告白してくれるだろうと踏んでいたに違いない。
しかし由衣先生は、自分ではないと言い張っている。
辻褄は一応は合っているし、ちかちゃんのお父さんのお願いから始まるあの話がとっさの作り話とも思えない。おおむね本当のことを言いながら、魔方陣を描いた部分だけを上手く端折って話したにしても、その動機や、足跡を残さずに魔法陣だけ残してその場を去ったウルトラCに関するエピソードがこっそり入り込む余地があるようにはとても思えなかった。
「うーん」
師匠は頭を掻いている。
そう言えば、ここ数日風呂に入っていないと言っていたことを思い出した。
困った末なのか、単に頭が痒いのか分からないが、しかめ面をして唸っている。
泣いている由衣先生の背中をさすっている他の先生たちも、困惑したような表情をしている。麻美先生など、露骨に不審げな顔だ。


136: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:46:46 ID:HMJYUJcabU

「今の話が本当だとするとですよ」
師匠はようやく口を開く。
「雷が鳴って、五歳児の部屋から悦子先生がカーテン越しに外を見た時、まだ由衣先生は外にいたことになる。どうして見つからなかったのかという問題が…… ああ、いや、そうか。玄関の近くまで戻っていたら、角度的に五歳児室からは見えないか。ううん。まあとにかく、雨が弱まり始めたころ、まだ魔方陣は現れていなかったわけですよね。雷が鳴って、由衣先生が園舎に戻り、しばらくして雨が止む。その雨が止んだ二時ごろに悦子先生が外に出る。あまり時間がありませんね。一体誰がどのタイミングで、どうやって?」
後半はほとんど独り言のようになりながら、師匠がなにげなく窓の外を見た時、その動きがピタリと止まった。
「なにっ」
緊迫したその声に、思わず視線を追って窓の外を見下ろす。
園庭の真ん中。
さっきまでなんの異変もなかったその園庭の真ん中に、なにかがあった。
師匠が窓から飛び出しそうな勢いで身を乗り出す。
「うそだろ」
そんな言葉が僕の口をついた。
魔方陣だ。
魔方陣が、園庭の真ん中に忽然と現れていた。
馬鹿な。
タオルはどこに見えます?
師匠がそう言った時、みんな外を見ている。ついさっきのことだ。その時は間違いなくそんなものはなかった。
だが今、眼下に間違いなく魔方陣は存在している。
写真に写っているものにそっくりだ。
場所も、この部屋からは左斜め。つまり、五歳児室の正面のあたりであり、九日前に現れたというその場所とまったく同じだ。
背筋に怖気が走った。
なんだこれは。
保育士たちも言葉を失って悲鳴を飲み込んでいる。
由衣先生など、ほとんど気絶しかかっている。
「下に行け。誰も見逃すな」
師匠から短い指示が飛ぶ。
あれを地面に描いたやつのことか。
しかし今この園にはこの部屋にいる六人の他、誰もいないはずだ。誰かずっと隠れていたというのか。それとも侵入者? このタイミングで?
おかしい。明らかにおかしい。
僕たちの誰にも見られず、あの一瞬であんなものを園庭の真ん中に描くなんて、尋常じゃない。
ゾクゾクと寒気が全身を駆け回る。
しかしそんな僕を尻目に、身を乗り出していた師匠が窓枠に足を掛け、「早く行け」と叫んでそのまま窓の外へ消えた。
落ちた?
そう思って窓へ駆け寄ったが、その真下で砂埃の中、師匠が立ち上がるところが見えた。
受身を取ったのか。とんでもないことをする人だ。
だがそれを見てまだぐずぐずしているわけにはいかなかった。すぐさま部屋から出て廊下を抜けて階段を駆け下りる。


137: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:50:15 ID:pIgPmzpxL2

一階に降り立ったが、廊下側にも玄関側にも人の姿はなかった。視界の隅、それぞれの部屋に誰が消えていく瞬間にも出会わなかった。
すぐに下駄箱の前を走り抜け、スリッパのまま外に出る。
左前方に師匠の姿が見える。
そちらに駆け寄ろうとするが、とっさに右手側の門扉を確認する。閉まったままだ。誰かが逃げていった様子もない。
あらためて師匠のいる方へ走り出すと、すぐさま怒鳴り声が飛んでくる。
「待て、うかつに近寄るな」
師匠が右手の手のひらだけをこちらに向けて、顔も見せずにそう言うのだ。
僕は思わずダッシュをランニングぐらいに落とす。
「誰も外へ出すな」
次の指示を聞いて、振り向くと玄関から保育士たちがおっかなびっくり顔を覗かせている。
「出ないでください」
僕がそう叫ぶと、びくりとしてみんな玄関に引っ込んだ。そしてまた顔だけを伸ばしてこちらを見つめる。
その様子を見てから、僕はゆっくりと師匠の方へ目を向ける。
足跡が乱されるのを恐れているのか、と一瞬思った。が、雨の日とは違い、もとから薄っすらとした無数の足跡で園庭は埋め尽くされている。これでは足跡は追えないだろう。
そう思ってまた師匠の方へ近づいていくと、その背中が異様な緊張を帯びていることに気づいた。気配で分かる。
あの緊張は、師匠が会いたくてたまらないものに出会えた時の、そして畏れてやまないものに出会えた時の……
「静かに、こっちに来い」
そろそろとした声でそう言う。
僕はそれに従う。
師匠の足元に魔方陣がある。
だんだんと近づいていく。
大きな円の中に、三角形が二つ交互に重なって収まっている。ダビデの星だ。
だんだんと近づいてくる。
そしてその星と円周の間になにか奇妙な文字のようなものがあり、ぐるりと円を一周している。
魔方陣。
魔方陣だ。
写真で見たものと同じ。
だが、僕はその地面に描かれた姿に、一瞬、言葉に言い表せない奇怪なものを感じた。
それがなんなのか。
何故なのか。
知りたい。
いや知りたくない。
足は止まらない。
師匠の背中が迫る。
キリキリと空気の中に刃物が混ざっているような感じ。
「見ろ」
師匠がそう言う。
僕はその横に並び、足元に描かれたその模様を見下ろす。
心臓を、誰かに掴まれたような気がした。


138: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:52:32 ID:pIgPmzpxL2

足跡が、残っていなかったわけがわかった。
師匠が異様に緊張しているわけがわかった。
あの一瞬で、誰にも見られずにこれが描かれたわけがわかった。
傘じゃない。
傘の先なんかで描かれたんじゃなかった。
写真で見ただけじゃわからなかったことが、ここまで近づくとよくわかった。
その円は、重なった二つの三角形は、そして何処のものとも知れない文字は。
地面を抉ってはいなかった。
その逆。
土が盛り上がって作られている。
まるで誰かが、土の底、地面の内側から大きな指でなぞったかのように。
「うっ」
吐き気を、手で押さえる。
ついさっきまで、なにも感じなかったはずの園庭に、今は異常な気配が満ちている。とても『残りカス』などと評されたものとは思えない。全く異なる、底知れない気配。
地中から湧き上がって来る悪意のようなもの。
僕は地の底から巨大な誰かの顔が、こちらを見ているような錯覚に陥る。
そしてその視線は、気配は、すべて、緊張し顔を強張らせる師匠に向かって流れている。
その凍てついたような空気の中、師匠は滑るように動き出し、腰に巻いていたポシェットから小さなスコップを取り出した。そして魔方陣の中に足を踏み入れ、その刃先を円の真ん中に突き立てた。動けないでいる僕の目の前で、師匠は土を掘る。ガシガシ、という音だけが響く。
やがてその手が止まり、左手が地面の奥へ差し入れられる。
左手がゆっくりと何かを掴んで地表に出てくる。
人の手。
黒く、腐った人間の手。
ゾクリとした。
誰の手。
誰の。
だが師匠がそれを胸の高さまで持ち上げた瞬間、それが人形の手であることに気づく。
マネキンの手か。
土で汚れた黒い肌に、かすかな光沢が見える。肘までしかない、マネキンの手。
クマのぬいぐるみなどではなかった。どういうことなのか。
「トンボ」
師匠がボソリと言う。そして僕を促すように反対の手で招くような仕草をする。
意図を知って僕は振り向き、園舎の方へ走り出す。その場を離れたかった、という気持ちがないと言えば嘘になる。
地面の内側から描かれたような魔方陣。立ち込める異様な気配。魔方陣の中に埋められたマネキンの手。
ただごとではなかった。その場に立ち会うには、僕はまだ早すぎる。そんな直感に襲われたのだ。


139: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:54:27 ID:HMJYUJcabU

走ってくる僕に、怯えたような表情をした保育士たちだったが、「トンボを借ります」と言うと、玄関から出てきて、裏手の物置へ案内してくれた。
取っ手の錆びついたトンボを引きずりながら園庭に出てくると、煙が立っているのが見える。師匠が魔方陣の上で、マネキンの手を燃やしているのだ。
黒い煙がゆらゆらと立ち上っている。
ポシェットに入っていたらしい小型のガスボンベにノズルを取り付けて、ライターで火をつけ、バーナーのように使っていた。
煙を吸わないように服のそでを口元に当てながら、師匠はそうしてマネキンの手を燃やしていった。
やがて燃えカスを蹴飛ばし、僕に向かって「トンボ」と言う。手渡すと師匠はためらいもなく魔方陣を消した。ワイパーで汚れを取るように。
地面がすっかりならされ、魔方陣など跡形もなくなったころ、師匠は僕に顔を向けた。
「解決」
そうして笑った。
だがその顔はどこか強張り、額から落ちる汗で一面が濡れている。
地中深くから湧き上ってくるようなプレッシャーもいつの間にか霧散していた。


140: 保育園・後編 ◆LaKVRye0d.:2017/2/8(水) 01:57:00 ID:pIgPmzpxL2
それからまた僕らは園舎に戻り、五歳児室で車座に座った。
保育士たちは、忽然と現れた魔方陣とそこから出土したマネキンの手に、今でも信じられないという様子で生唾を呑んでいる。
やがてクマのぬいぐるみを埋めた、と証言した由衣先生が、あんなものは知らないと喚いた。だが、現実に出てきたのはマネキンの手だ。
落ち着かせようと優しい言葉をかける悦子先生の横で、麻美先生が口を開く。
「私も聞いた話で、自信がなかったんだけど。やっぱり間違いない。沼田ちかちゃんは、確か母子家庭だったはず」
父子家庭じゃなくて。
それも蒸発などではなく、死別だったはずだ、と言うのだ。
ではあの夜、由衣先生の前に現れてぬいぐるみを託したの男は誰なのだ。そもそもそれは本当にぬいぐるみだったのか。
疑いの目が由衣先生に集まる。
「知らない。私知らない」
錯乱してそう繰り返すだけの由衣先生に、師匠は取り成すように告げる。
「記憶の混乱ですね。この園に巣食っていた霊の仕業でしょう。ですがそれももう終わったことです。元凶はさっき私が燃やしてしまいましたから。もう何も霊的なものは感じられません。これでおかしなことは起こらないはずです」
きっぱりとそう言った師匠に、先生たちはどこか安堵したような顔になった。
「もしなにかあったら、アフターサービスで駆けつけますよ。いつでも呼んでください」
その笑顔に、みんなころりと騙されたのだ。
解決などしていなかった。
これまでにこの保育園で起こっていた怪奇現象の原因は恐らく、師匠が感じていた『残りカス』の方だろう。
だがそれはもう消え去っている。
いつ?
たぶん、魔方陣が最初に現れた日。いや、ちかちゃんの父親を名乗る男が得体の知れないなにかを携えてやって来た日かも知れない。
それは、そんなごく普通の悪霊など、近づいただけで吹き飛ばされて消えてしまうような、底知れない力を持ったものだったのだろうか。
だが師匠はなにも言わなかった。
ただ僕たちはお礼を言われて、その保育園を出た。去り際、悦子先生がまだ泣いている由衣先生を叱咤して、「ほら、しっかりして。もう大丈夫だから」と肩を抱いてあげていた。
まあ、これはこれで良かったのかな、と僕は思った。
その帰り道、事務所へ向かう途中で、師匠は文具屋に立ち寄り、市内の地図を買った。
かなり詳細な地図だ。
そしてその場でそれを広げ、さっきの保育園が載っている場所に、マーカーで印をつけた。日付と、魔方陣の絵。そしてマネキンの手の図案を添えて。
「それをどうするんですか」
僕が訊くと、師匠ははぐらかすように言った。
「どうもしないよ。けど、なんとなく、な」
その時の師匠の目の奥の光を、僕は今も覚えている。なんだか暗く、深い光だ。
それを見た時の僕は、なんとも言えない不安な気持ちになった。
死の兆し。
それをはっきり意識したのは、その時が最初だったのかも知れない。


保育園【了】


141: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:29:58 ID:QWoUZ5elQQ

連想T


541 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:32:27.18 ID:qKV0Rmwv0

師匠から聞いた話だ。



「二年くらい前だったかな。ある旧家のお嬢さんからの依頼で、その家に行ったことがあってな」
オイルランプが照らす暗闇の中、加奈子さんが囁くように口を動かす。
「その家はかなり大きな敷地の真ん中に本宅があって、そこで家族五人と住み込みの家政婦一人の計六人が暮してたんだ。家族構成は、まず依頼人の真奈美さん。
彼女は二十六歳で、家事手伝いをしていた。それから妹の貴子さんは大学生。あとお父さんとお母さん、それに八十過ぎのおばあちゃんがいた。
敷地内にはけっこう大きな離れもあったんだけど、昔よりも家族が減ったせいで物置としてしか使っていないらしかった。その一帯の地主の一族でね。
一家の大黒柱のお父さんは今や普通の勤め人だったし、先祖伝来の土地だけは売るほどあるけど生活自体はそれほど裕福というわけでもなかったみたいだ。
その敷地の隅は駐車場になってて、車が四台も置けるスペースがあった。今はそんな更地だけど、戦前にはその一角にも屋敷の一部が伸びていた」
蔵がね……
あったんだ。
ランプの明かりが一瞬、ゆらりと身をくねらせる。

            ◆

大学二回生の夏だった。
その日僕はオカルト道の師匠である加奈子さんの秘密基地に招かれていた。
郊外の小さな川に面した寂しげな場所に、貸しガレージがいくつも連なっており、その中の一つが師匠の借りているガレージ、すなわち秘密基地だった。
そこには彼女のボロアパートの一室には置けないようなカサ張るものから、別のおどろおどろしい理由で置けない忌まわしいものなど、様々な蒐集品が所狭しと並べられていた。


142: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:34:13 ID:QWoUZ5elQQ

542 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:34:20.21 ID:qKV0Rmwv0

その量たるや想像以上で、ただの一学生が集めたとは思えないほどだった。興信所のバイトでそこそこ稼いでいるはずなのに、いつも食べるものにも困っているのは明らかにこのコレクションのためだった。
扉の鍵を開けてガレージの中に入る時、師匠は僕にこう言った。「お前、最近お守りをつけてたろ」
「はい」胸元に手をやる。
すると師匠は手のひらを広げて「出せ」と命じた。
「え? どうしてです」
「そんな生半可なものつけてると、逆効果だ」
死ぬぞ。
真顔でそんなことを言うのだ。たかが賃貸ガレージの中に入るだけなのに。僕は息を飲んでお守りを首から外した。
「普通にしてろ」
そう言って扉の奥へ消えて行く師匠の背中を追った。
どぶん。
油の中に全身を沈めたような。
そんな感覚が一瞬だけあり、息が止まった。やがてその粘度の高い空間は、様々に折り重なった濃密な気配によって形作られていると気づく。
見られている。そう直感する。
真夜中の一時を回ったころだった。ガレージの中には僕と師匠以外、誰もいない。それでもその暗闇の中に、無数の視線が交差している。
例えば、師匠の取り出した古いオイルランプの明かりに浮かび上がる、大きな柱時計の中から。綺麗な刺繍を施された一つの袋を描いただけの絵から。あるいは、両目を刳り貫かれたグロテスクな骨格標本からも。
「まあ座れ」
ガレージの中央にわずかにあいたスペースにソファが置かれている。師匠はそこを指さし、自身はそのすぐそばにあった真っ黒な西洋風の墓石の上に片膝を立てて腰掛けた。墓石の表面には、人の名前らしき横文字が全体を覆い尽くさんばかりにびっしりと彫り込まれている。
どれもこれも、ただごとではなかった。このガレージの中のものはすべて。どろどろとした気配が、粘性の気流となって僕らの周囲を回っている。


143: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:40:47 ID:QWoUZ5elQQ

543 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:37:03.36 ID:qKV0Rmwv0

師匠がこの中から、世にも恐ろしい謂れを持つ古い仮面を出してきたのはつい先日のことだった。
あんな怖すぎるものが、他にもたくさんあるのだろうか。
恐る恐るそう訊いてみると、師匠は「そういや、言ってなかったな」と呟いて背後に腕を伸ばし、一つの木箱を引っ張り出した。見覚えがある。その古い仮面を収めていた箱だ。
もうあんな恐ろしいものを見たくなかった僕は咄嗟に身構えた。しかし師匠は妙に嬉しそうに木箱の封印を解き、その中身をランプの明かりにかざす。
「見ろよ」
その言葉に、僕の目は釘付けになる。箱の中の仮面はその鼻のあたりを中心に、こなごなに砕かれていた。
「凄いだろ」
なぜ嬉しそうなのか分からない。「洒落になってないですよ」ようやくそう口にすると、「そうだな」と言ってまた木箱の蓋を戻す。
師匠自身が『国宝級に祟り神すぎる』と評したモノが壊れた。いや、自壊するはずもない。壊されたのだ。鍵の掛かったガレージの中で。一体なにが起こったのか分からないが、ただごとではないはずだった。
「これと相打ち、いやひょっとして一方的に破壊するような何かが、この街にいるってことだ」
怖いねえ。
師匠はそう言って笑った。そして箱を戻すと、気を取りなおしたように「さあ。なにか楽しい話でもしよう」楽しげに笑う。
それからいくつかの体験談を語り始めたのだ。もちろん怪談じみた話ばかりだ。
最初の話は興信所のバイトで引き受けた、ある旧家の蔵にまつわる奇妙な出来事についてだった。

             ◆

かつて、本宅とその脇に立つ大きな土蔵との間には二つの通路があった。一つは本宅の玄関横から土蔵の扉までの間の六間(ろっけん)ほどの石畳。


144: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:45:32 ID:QWoUZ5elQQ

544 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:40:30.83 ID:qKV0Rmwv0

そしてもう一つは本宅の地下から土蔵の地下へと伸びる、同じ距離の狭く暗い廊下。
何故二つの道を作る必要があったのかは昭和に暦が変わった時点ですでに分からなくなっていた。
ただかつて土蔵の地下には座敷牢があり、そこへ至る手段は本宅の地下にあった当主の部屋の秘密の扉だけだったと、そんな噂が一族の間には囁かれていた。

「あながち嘘じゃないと思うがな」
真奈美の父はよくそんなことを言って一人で頷いていた。
「あそこにはなんだか異様な雰囲気があるよ」
家族の中で、土蔵の地下へ平気で足を踏み入れるのは祖父だけだった。
かつて当主の部屋があったという本宅の地下も、今やめったに使うことのないものばかりを押し込めた物置になっている。
その埃を被った家具類に覆い隠されるように土蔵の地下へと続く通路がひっそりと暗い口を開けていた。
そこを通り抜けると、最後は鉄製の門扉が待っていて、錆びて酷い音を立てるそれを押し開けると、再び様々な物が所狭しと積み重ねられた空間に至る。
座敷牢があった、とされるその場所も今では物置きとして使われていた。ただ、本宅の地下と違い、本来蔵に納められるべき、古い家伝の骨董品などが置かれていたのだ。
土蔵の地上部分は戦時中の失火により焼け落ち、再建もせずにそのまま更地にしてしまっていた。
元々構造が違ったためか、地下は炎の災禍を免れ、そして地上部分に保管されていた物を、すでにその時使われていなかったその地下に移し変えたのだった。
一階部分が失われ、駐車場にするため舗装で塗り固められてしまったがために、その地下の土蔵に出入りするには、本宅の地下から六間の狭い通路を通る以外に道はなかった。
真奈美の祖父はその地下の土蔵を好み、いつも一人でそこに篭っては、燭台の明かりを頼りに古い書物を読んだり、書き物をしたりしていた。
真奈美はその土蔵が怖かった。父の言う、『異様な雰囲気』は確かに感じられたし、土蔵へ至るまでの暗く狭い通路も嫌で堪らなかった。
距離にしてわずか十メートルほどのはずだったが、時にそれが長く感じることがあった。途中で通路が二回、稲妻のように折れており、先が見通せない構造になっているのが、余計に不安を掻き立てた。


145: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:49:57 ID:QWoUZ5elQQ

545 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:44:11.83 ID:qKV0Rmwv0

本宅から向かうと、まず右に折れ、すぐに左に折れるはずだった。しかし、一族の歴史の暗部に折り重なる、煤や埃が充満したその通路は、真奈美の幼心に幻想のような記憶を植え付けていた。
右に折れ、左に折れ、次にまた右に折れる。
ないはずの角がひとつ、どこからともなく現れていた。
怖くなって引き返そうとしたら、行き止まりから右へ通路は曲がっていた。さっき右に折れたばかりなのに、戻ろうとすると、逆向きになっているのだ。
その時、どうやって外へ出たのか。何故か覚えてはいなかった。
そればかりではない。たった十メートルの通路を通り抜けるのに、十分以上の時間が経っていたこともあった。幼いころの記憶とは言え、そんなことは一度や二度ではなかった。
そんな恐ろしい道を潜って、何故土蔵へ向かうのか。それは祖父がそこにいたからだ。真奈美はその変わり者の祖父が好きで、地下の土蔵で読書をしているのを邪魔しては、お話をせがんだり、お菓子をせがんだりした。
祖父も嫌な顔一つせず、むしろ相好を崩して幼い真奈美の相手をしてくれた。
その祖父は真奈美が小学校五年生の時に死んだ。胃癌だった。
死ぬ間際、もはやモルヒネも効かない疼痛の中、祖父がうわ言のように願ったのは、自分の骨をあの地下の土蔵に納めてくれ、というものだった。
祖父が死に、残された親族で相談した結果、祖父の身体は荼毘に付した後、先祖代々の墓に入った。ただ、その骨のひと欠片を小さな壷に納めて土蔵の奥にひっそりと仕舞ったのだった。
それ以来、土蔵の地下はよほどのことがない限り家族の誰一人として足を踏み入れない、死せる空間となった。
先祖代々伝わる書物や骨董品の類は、それらすべてが祖父の死の副葬品となったかのように、暗い蔵の中で眠っている。
墳墓。
そんな言葉が思い浮かぶ場所だった。

祖父の死から十五年が経った。
その日、真奈美は半年ぶりにその地下の土蔵へ足を運ぶ羽目になっていた。叔父が、電話でどうしてもと頼むので仕方なくだ。


146: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:52:14 ID:KYyA7Wj2II

546 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:48:08.39 ID:qKV0Rmwv0

どうやら何かのテレビ番組で、江戸時代のある大家の作った茶壷が高値で落札されているのを見たらしい。
その茶壷とそっくりなものを、昔その土蔵で見たことがある気がするというのだ。
今は県外に住んでいる叔父は、お金に意地汚いところがあり真奈美は好きではなかったのだが、とにかくその茶壷がもし大家の作ったものだったとしたら親族会議モノだから、とりあえず探してくれ、と一方的に言うのだ。
親族会議もなにも、家を出た叔父になんの権利があるのか、と憤ったが、父に言うと「どうせそんな凄い壷なんてないよ。あいつも勘違いだと分かったら気が済むだろう」と笑うのだ。
それで真奈美は土蔵へ茶壷を探しに行かされることになったのだった。
本宅の地下に降り、黄色い電燈に照らされた畳敷きの部屋を通って、その奥にある小さな出入り口に身体を滑り込ませる。
そこから通常の半分程度の長さの階段がさらに地下へ伸びており、降りた先に土蔵へと伸びる通路があった。饐えたような空気の流れが鼻腔に微かに感じられる。
手探りで電燈のスイッチを探す。指先に触ったものを押し込むと、ジン……という音とともに白熱灯の光が天井からのそりと広がった。
壁を漆喰で固められた薄暗い通路は、なにかひんやりとしたものが足元から上ってくるようで薄気味悪かった。かつてはランプや手燭を明かりにしてここを通ったそうだが、今では安全のために電気を通している。
だが湿気がいけないのか、白熱灯の玉がよく切れた。そのたびに父や自分が懐中電灯を手に、薄気味悪い思いをしながら玉の交換をしたものだった。
今も真奈美の頭上で、白熱灯のフィラメントがまばたきをしている。
いやだ。まただわ。戻ったら、父に直してもらうように言わなければ……
今の家政婦の千鶴子さんは、どうしてもこの地下の通路には入りたくない、と言ってはばからなかった。
『わたし、昔から霊感が強いたちでして、あそこだけはなんだかゾッとしますのよ』
そう言って身震いしてみせるのだ。おかげでこの通路とその先の土蔵の最低限の掃除は家族が交代でやることになっていた。


147: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:56:56 ID:KYyA7Wj2II

549 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:54:48.74 ID:qKV0Rmwv0

頼りなくまたたいている明かりの下、最初の曲がり角を越えると土蔵の入り口が見えた。そろそろと歩み寄り、小さな鉄製の扉を手前に引く。
きぃ……
耳障りな音がして、同時に真っ暗な扉の奥からどこか生ぬるいような空気が漏れ出てくる。扉は狭く、それほど大柄でもない真奈美でも、身を屈めないと入ることが出来ない。
真奈美は身体を半分だけ扉の中に入れ、腕を回りこませて壁際を探る。白熱灯の光が、暗かった土蔵の中に広がった。ホッと人心地がつく。
もはやそれを手に取る主のいない骨董品や古民具の類が、四方の壁に並べられた棚や箪笥の上にひっそりと置かれている。
本当に値打ちのあるものは終戦の前後に処分したと聞いているので、今残っているのはそれを代々受け継いできた自分たちの一族にしか価値のないもののはずだった。
真奈美は懐から写真を取り出す。ご丁寧にも叔父が、くだんの茶壷が紹介された雑誌の切抜きを送ってきたのだった。
それと見比べながら、壷などが並べられている一角を往復していると、どうやらこのことらしい、というものを見つけることが出来た。
なるほど、形や色合いは確かに似ている。しかし手に取ってみるとやけに軽く、まじまじと表面を眺めると造作も安っぽく思われた。
やはり叔父の思い違いだ。そう思うと少し楽しくなった。
茶壷を片手に、唯一の出入り口へ向かう。狭い扉をなんとか潜ると、一瞬心の中が冷えた気がした。
通路の白熱灯が切れている。
漆喰に囲まれた道の先が闇に飲まれるように見通せなくなっている。消そうとした土蔵の中の明かりはつけたままにしたが、それでも小さな扉から漏れてくる光はあまりにか細かった。
いやだ。
ここが地の底なのだということを思い出してしまった。こんな時のために土蔵の中に懐中電灯を置いてなかっただろうか。振り返って探しに戻ろうかと思ったが、面倒な気がして止めた。
たかだか十メートルていどの通路だ。障害物もない一本道だし、自分ももう子どもではないのだから、なにをそんなに怖がることがあるだろう。


148: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 05:58:53 ID:KYyA7Wj2II

550 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 22:57:27.58 ID:qKV0Rmwv0

我知らず自分にそう言い聞かせ、真奈美は茶壷を胸に抱えて進み始めた。静かだ。耳の奥に静寂が甲高い音を立てている。
ほんの数メートル歩くと曲がり角があった。そこを右に曲がると、今度はすぐに左へ折れる。そこから先は直進するだけで元の入り口だ。けれど、そっと覗いたその先は光の届かない真っ暗闇だった。
ぞくりと肌が粟立つ。
口元が強張りそうになるのを必死で抑え、なるべく自然な歩調で前へ進んだ。左手を壁に沿わせながら、真っ直ぐに。
なんてことはない。なんてことはない。暗くたって大丈夫。
ほら。すぐに元の入り口だ。

ドシン

え……
ぶつかった。
誰かに。うそ。
全身に寒気が走った。
暗くて何も見えない。そこに誰がいるのかも分からない。
気配だけが通り過ぎていく。土蔵の方へ向かっているようだ。
真奈美はその場に根を張りそうだった足を叱咤して、小走りに入り口の階段の下まで進んだ。
そこまで来ると、頭上から微かな明かりが漏れてきていた。茶壷を抱えたまま階段を上り、ようやく物置部屋まで戻ってきた。
ここもまだ地下なのだと思うと、後ろも振り返らずに部屋を横断して一階へ上がる階段を駆けのぼった。
階段を上がった先にある居間では、父と母がテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。
「お。あったか。お宝が」
こちらを見ながら、のん気そうに父がそう言った。
「ねえ、ここ今誰か降りてった?」
真奈美が早口にそう訊くと、父と母は怪訝そうな顔をしてかぶりを振った。
「貴子は?」続けて訊こうとしたが、隣の部屋からテレビの音とともに、その妹の笑い声が聞えてきた。


149: 連想T ◆LaKVRye0d.:2017/2/12(日) 06:01:09 ID:KYyA7Wj2II

551 :連想T  ◆oJUBn2VTGE :2012/08/18(土) 23:06:34.39 ID:qKV0Rmwv0

悪寒がする。
家政婦の千鶴子さんは今日は来ない日だ。そして祖母は風邪を引いて一昨日から入院中だった。いつものことで、大した風邪ではないのだが。
ではさっき地下の通路でぶつかったのは誰なのか。
「ちょっと、気持ち悪いこと言わないでよ」
母が頬を引きつらせながら、無理に笑った。
「泥棒か?」
父が気色ばんで椅子から立ち上がろうとしたが、母が困ったように半笑いをしながらそれを諌める。
「ちょっと、お父さんも。わたしたち、ずっとここにいたじゃない」
そうして地下の物置へ降りる階段を指さす。
そうだ。物置には他に出入り口はない。父と母がずっといたこの居間からしか。その二人が見ていないのだ。誰も降りられたはずはない。ではさっき暗闇の中でぶつかったのは誰なのだ。
誤って壁にぶつかったのではない。壁にはしっかりと左手をついて歩いていたのだから。
震えてしゃがみ込んだ真奈美の背中を母がさすり、父は騒ぎを聞きつけて居間にやってきた貴子と二人で懐中電灯を手に地下に降りていった。
結局、小一時間ほど地下の物置と通路、そしてその先の土蔵をしらみつぶしに探索したが、異変はなにも見つからなかった。家族以外の誰かがいたような痕跡も。
最後に地下通路の白熱灯の玉を交換してきた父が、疲れたような表情で居間に戻ってくると家族四人がテーブルに顔をつき合わせて座った。
そして沈黙に耐えられなくなったように、妹の貴子が口を開いた。
「実はあたしもぶつかったこと、ある」
驚いた。さっき起きたことと全く同じような出来事が二年ほど前にあったと言うのだ。妹の場合は何の前触れもなく地下の明かりが消え、手探りで通路を引き返そうとしたら、得体の知れない『なにか』に肩が触れたのだと。


634.40 KBytes

名前:
sage:


[1] 1- [2] [3]最10

[4]最25 [5]最50 [6]最75

[*]前20 [0]戻る [#]次20

うpろだ
スレ機能】【顔文字