『手紙』
郵便受けに詰まったチラシの中に、それはあった。
201: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/23(金) 02:46:07 ID:SaPfFQhN5M
《まずいよ、これ。おいしくない》
202: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/23(金) 02:57:47 ID:kvZJ1c/69U
突然誰かの声が聞こえ、私は驚いて周囲を見回す。
咄嗟にしゃがみ込み耳を澄まして気配を探ったが、足音も息を吐く音も聞こえない。
ただ、静かな時に響く耳鳴りのような音しか、私の耳には届かなかった。
(…誰も、いない?)
ゴミ袋を捨てるところを見られた訳ではなさそうだと判断して、私は金網をなるべく静かに古井戸の上に乗せ直し、その場所から急いで離れた。
私が分解した男の子はしばらくの間警察や消防の人達が探していたけれど、古井戸の中までは調べられなかったらしく、そのまま行方不明という事になった。
203: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 15:48:33 ID:kvZJ1c/69U
それからはジャンクショップで手に入れたビデオデッキやパソコンの基盤、そういったものを分解して過ごした。
ゴミ捨ての分類表とにらめっこしながら、ばらばらになった金属やプラスチックの欠片をうっとりと眺める。
……けれど、日常生活の中のふとした時、
(あの人の中身は、どんなだろう)
痩せた女の子やちょっとぽよんとした女の子、サッカーが得意な男の子や勉強好きの男の子。
怒ると怖い先生に体のあちこちにしわがいっぱいの先生、話がやたら長い困った先生。
目に付く人達を分解したくてたまらなくなる私がいた。
204: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 15:57:04 ID:MS1/qmWxlE
少しずつ私が大きくなるにつれ、欲求は更に膨らんで抑えられなくなっていく。
親からもらえるお小遣いも親戚からもらえるお年玉も額が増えて、そのまま手元に残るようになる。
そうして、中学生のある日。
私は二回目の『分解』をした。
205: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 16:09:17 ID:SaPfFQhN5M
今度は隣の中学校の女の子。
ピアノを弾く指が細長くてごつごつしていて、同い年の女の子達とは全然違う。
私はその十本の指を丁寧に切り離して、骨や肉や爪をじっくりと観察した。
服で隠れていた腕もすらりとしていて、マンネリ気味だった分解作業が実に楽しくて鼻歌まで出た。
おなかの中も、開けてみたら教科書や図書館で読んだ本の内容以上に複雑で。
とてもとても楽しかった。
206: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 16:19:29 ID:kvZJ1c/69U
−−けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので。
血塗れになった両手と包丁をタオルで拭いながら、思ったより重いゴミ袋の中身と量に溜め息が出た。
さあ、どこに捨てよう。
どこにしまっておこう。
さらさらと風に流れるように動く一面のススキの中、私は空を見上げる。
どれくらいそうしていただろうか。
私があの古井戸の事を思い出した時には空は青紫になっていて、東の方には微かな星が光っていた。
207: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/28(水) 19:24:37 ID:SaPfFQhN5M
その日の深夜。
私は小さな懐中電灯をくわえて窓からこっそり外へと抜け出した。
ポケットの中には誰かに見付かった時の為の防犯スプレーと使い古した軍手。
ゴミ袋はあのままススキの生えた空き地に置いて帰ったから心配だったけど、誰にも気付かれずに残っていて安心した。
208: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/4(水) 04:08:20 ID:XN1gQfBILc
朧気な記憶を頼りに、先ずは古井戸が今も残っているかを確認しに行く。
少し迷いそうになったけど、雑草が生い茂る中に立ち入り禁止の立て札と古井戸は変わらず−−札の字は褪せて判別しにくくなっていたけれど−−そこにあった。
懐中電灯の光度を出来るだけ絞り、周囲も含めて様子を確認する。
うん、多分、大丈夫。
私は一人頷き、人目に付かぬよう注意しながらススキの空き地へと足を向けた。
209: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/7(土) 19:36:50 ID:.oby9THsoA
ゴミ袋はずっしりと重たくて、明日の筋肉痛を心配しながら古井戸とススキの空き地とを何往復もする。
額や背中に浮かぶ汗が少し不快だ。
全部のゴミ袋を運び終わって、私は袖で額を拭い、大きく息を吐いた。
(…早くしないといけないよね)
ポケットから軍手を取り出し、両手にはめる。古井戸を形ばかり塞いでいる金網に手をかけると、ざりりと錆のこすれる音がした。
210: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:35:21 ID:L7gV6e5ZO6
金網はかなりボロボロになっていて、気を付けないと壊れてしまいそうだ。
縁に手をかけ、そうっと覗き込む。かび臭い空気が鼻先に届いただけで、以前に処分したゴミ袋が今どうなっているかなんて当たり前だけど分からない。
懐中電灯で中を照らす勇気は出なかった。
(…………)
女の子を詰めたゴミ袋を持ち上げ、私は古井戸の中へとそれを投げ込んだ。
211: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:36:41 ID:.oby9THsoA
《なにこれ、へんなあじ》
212: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:47:25 ID:XN1gQfBILc
不意に響いた声にびくりと体が跳ねる。
男女や老若の区別の付かない、不思議で不気味な声。
息を吸い込む喉がひゅっと変な音を出して、頭の中が一瞬真っ白になった。
「……………だれ、なの」
掠れた声で問いかけても返事はない。
唐突に自分が今ここにいる事の危険性を強く感じて、私は残りのゴミ袋を急いで古井戸に放り投げ、金網で蓋をした。
213: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:57:53 ID:1rd85dK/cs
帰らなくちゃ。早く。
家に、布団の中に。
古井戸に背を向けて走り出す私の耳に、
《まえのよりは、まずくないかも》
そんな声が頭を揺さぶるように届いて響いて、足がもつれそうになる。
−−どうして、忘れていたんだろう。
初めて人間を『分解』して捨てた時、あの場所で聞こえた声の事を−−
214: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 11:09:12 ID:WyCn26RS7Q
『行き先はどちらですか?』
……がたがた、ごとごと、という響きと共に、一定のリズムで体が揺れている。
ここはどこだろう、と眠気で重い瞼を持ち上げると、バスの中だった。
いつバスに乗車したのか思い出そうとしても、記憶がさっぱり見当たらない。そもそも私は会社の帰りに居酒屋に寄り、アルコールを楽しんでいたはずだ。
注文した酒や摘みの内容は思い出せるのに、支払いや居酒屋を出ただろう時の事はさっぱり浮かんでこない。いや、飲みすぎて記憶が飛び、その過程でバスに乗った可能性は否めないが。
………このバスは、どこに向かっているのだろうか。
215: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 11:35:18 ID:Mg8krcvzH2
改めて車内を観察してみると、随分と古臭いバスだ。床部分は板張りだし、降車ボタンにはランプ部分がない。座席のシートも座り心地はイマイチだ。
こんな古臭いバスを使っている会社がまだあるとは。維持費の方が高くつくのではないだろうか。
そんな事を考えながら乗客に視線をやる。
年齢層はまちまちで、学生服の少年少女やスーツを着た私と同年代だろう中年に着物姿の老人、赤ん坊を抱えた女性までいた。
こんな時間に赤ん坊連れとは、夫婦喧嘩で家を飛び出してきたのだろうか、とつい想像を巡らせてしまう。
216: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 16:18:50 ID:Mg8krcvzH2
車内には広告や注意書きの張り紙がない。吊革は随分と黄ばんでいる。
…どことなく気味の悪いバスだ。
ふと気付いて乗車券を探すが、ポケットの中や財布、鞄にも薄い紙はなかった。
(参ったな、始点からの運賃を払わなきゃいけないじゃないか)
思わず溜め息をついてしまう。
いや−−そもそも、自宅に向かうバスに私はちゃんと乗ったのだろうか?間違えて逆方向のものに乗っていたら、とんでもない時間と金の無駄だ。
217: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 22:24:01 ID:QxgkMEDhOo
行き先を確認したくともモニターは設置されていないし、各停留所までの料金表や運行表も見当たらない。
仕方ない、運転士に直接尋ねるしかないな、と腰を浮かそうとした時、
《次は…ザザッ…おみなこ……お…なこにギギ停ま…ます………》
雑音混じりのラジオのような、酷く耳障りなアナウンスが車内に流れた。
218: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/7(金) 10:28:09 ID:Mg8krcvzH2
(おみなこ…?)
全く聞いた事のない停留所だ。
しかし乗客達は平然とした様子で、どうやら私が知らないだけのようだ。
これはやはり自宅とは方向違いのバスに乗ってしまっただろう事は確実だ。仕方ない、財布の中身は乏しくなるが降りたらタクシーを捕まえなくては−−
バスが緩やかにスピードを落とし、停車する。今度こそ立ち上がろうとした時、
−−ギギッ
何かに引っ張られたように、手足が重く、動かなくなった。
219: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/7(金) 17:33:03 ID:QxgkMEDhOo
視線を落としても手足には何も付いていない。だが一向に体は動かず、ならば声を上げて運転士に自分の状況を伝えようとするが、呼吸音がただ虚しく響くだけである。
す、と男子学生が立ち上がり、スポーツバッグを引きずるようにして乗降口へと歩いていく。
《こ…ガガ…は、あり…すか》
乗車券を差し出した男子学生に運転士が尋ねている。雑音混じりで、よく聞き取れない。
学生は静かに首を横に振ると乗車券を渡してバスから降りていき−−
そして再び、バスは走り出した。
220: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/9(日) 11:27:25 ID:ehhT3UCq2M
座席に見えない糸で縫い付けられたかのように体は依然として動かず、声も出せない。
何だ、これは。いったい、どうなっているんだ。
辛うじて動く首と眼球で、窓の外を凝視する。白髪が目立ち始めた中年男−−私の顔だ−−の酷く焦った表情が、車内の明かりと外の暗闇との間に浮かび上がる。
だが、それだけだった。
民家やコンビニ、スーパーなどの街の明かりは、流れる景色の中には一つもない。
どのくらい時間が経ったのか、次の停留所を告げるアナウンスが車内に響いた。
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