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つれづれに
[8] -25 -50 

1: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 03:32:32 ID:HhoWsFjMjM

『手紙』

郵便受けに詰まったチラシの中に、それはあった。




227: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 20:11:39 ID:WyCn26RS7Q





《………次の降り口は終点です。泥梨、泥梨に停まります………》


不意に。

あれだけ雑音が酷かったアナウンスが明瞭な声で以て、耳に届いた。

(ないり…?)

しかしそれはやはり、私にはとんと聞き覚えのない場所だった。

緩やかにバスは停まり−−沈黙が車内に満ちる。


228: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 20:45:04 ID:QxgkMEDhOo


《終点です。降りて下さい》


明らかに私に向けられた言葉。

降りろと言われても、このバスの中で目覚めてから全く動けなかったではないか。声すら出せなかったではないか。

そう思いながらも体に力を込めてみると。



−−−−ぎし、り。



座席の軋む音と共に、呆気なく体はシートから離れて鞄が床に落ちた。


229: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 22:34:24 ID:QxgkMEDhOo

反射的に鞄を拾うべく手を伸ばし、取っ手を握り締めて上半身を起こしたところで、



目の前に、運転士の顔があった。



「ひっ−−」

掠れ声が喉から押し出される。

どうして、何故、いつの間に。鞄に気を取られていたとはいえ、足音の一つもしなかったはずなのに。

運転士は私に向かって片手を伸ばし、ネクタイをがしりと掴んだ。


230: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 23:21:18 ID:ehhT3UCq2M

ぐにゃり、と運転士の手の中で、ネクタイが形を−−いや、姿を変える。

それは一枚の赤い乗車券だった。

(…赤?)

うろ覚えではあるが、他の乗客が持っていた乗車券はみな白かったはずだ。

いや、それ以前に何故私のネクタイが。この男はいったい何なのだ。そもそもバスも乗客達も−−疑問符が脳内に激しく渦を巻く。


《泥梨行きの券、確かに確認しました》


運転士が抑揚のない声で言う。


231: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 23:40:20 ID:QxgkMEDhOo

まるで日常茶飯のような行動と声色に怖気が背筋を這い上がった。

この男は普通の人間ではない。

ここにいてはいけない。

バスの外がどんな状態なのかという懸念を、目の前の存在への恐怖が押しのける。

逃げなくては。どこか安全だと思える場所を、異常さのない場所に、どうか。


232: ◆bEw.9iwJh2:2018/10/1(月) 01:24:39 ID:lTKvx0TqP6

鞄の中身や財布などどうでもいい、とにかくこの場所から、この男から、


《照合。合致。相貌の変更、容認》


ぞわり。

この声は。この顔、は。

運転士の顔がぐにゃぐにゃと歪みながら、別の顔に変化していく。

忘れたかった顔、忘れられなかった顔、若かった頃の私の罪過そのものの姿。


《さあ、こちらへ》


−−亡くなった最初の妻の顔が、私が殺した女の顔が、息がかかりそうなほどの距離にあった。


233: ◆bEw.9iwJh2:2018/10/3(水) 03:46:24 ID:GaWv.fXLD.

真っ黒な髪と地味な化粧、薄い唇の色。

物静かで大人しかった女。

飲み会で午前様を繰り返しても文句を言わず、じっと私の帰りを待っていた女。

華やかな見た目の女性達との遊びに疲れた頃に紹介され、付き合った事のないタイプだという新鮮さもあって急速にのめり込み結婚したが、従順さと面白味のない性格にすぐに飽きてしまった。

そして私はお定まりの浮気をし、程なくして彼女に離婚の意を告げたのだ。


だが、彼女は。


「嫌です、別れません」

頑なに離婚を拒み緑色の紙をびりびりに裂いて、ペンと判子を床に叩き付けた。

それは皮肉にも初めて見た、妻の激情と私への反抗の姿だった。


234: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 02:46:08 ID:g/tnjEI7V2

「あなた、私は、私は絶対に別れません。他の女と遊ぶならまだしも、私から離れるだなんて他の女を妻にしようだなんて、絶対に許さない」

「相手の女はあなたが独身だと思っているのね。なら責めないであげましょう。おなかの子供も」

「そうね、子供には罪はないわ。あああ、でも悔しい恨めしい、子供が出来たから私と別れるなんて言い出したのでしょう、なら私だって!」



「………ゃ、やめ、て、くるし…い……どうして、あな、た………」



止めようと逃れようとする指が爪が、ぎりぎりと手首に食い込む。だがそれ以上の力を込めて、私は妻の首を絞めた。


235: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 03:02:56 ID:2X7Sn7osMQ

−−土の中、深く深く埋めた過去。

何度忘れようとしても拭い去ろうとしても、忘れる事の出来ない死に顔と両手に食い込む爪の痛みと体温。

やめろ、やめてくれ、どうして今更。


《二人も命を殺したのに》


《逃げられると何故思ったの?》


恐ろしいほどの強い力に体を引き摺られ、私は車外に放り出された。

深い深い闇の中、血塗れの赤ん坊を抱く最初の妻の姿が、見えたような−−


236: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 04:32:42 ID:FkjJxh.xuM



『昨夜、車にはねられた被害者の××××さんは未明に死亡。容疑者は飲酒を認めており−−』


「なんで…どうして、お父さん…」

「嘘よ、嘘でしょ、あなた…」


『続いてのニュースです。×県×市山中から女性の遺体が発見されました』

『警察の発表によると被害者は××年前から捜索願が出されていた××さんで間違いないと思われ、また遺体の状態から××さんは妊娠しており、−−−−』




237: ◆bEw.9iwJh2:2019/5/3(金) 04:01:24 ID:m.FpjIMRTo

『記憶、記録、そしてあなた』


付き合ってから分かったのだが、彼女は記念日というものをやたらと大切にする女性だった。

何月の何日は付き合ってから何年目だとか、何月の何日は初めてデートした日だとか。

最初は女とはそういうものなんだろう、と思って合わせていたけれど、それも長く続くと疲れてしまう。

「ねえ、来週の水曜日、何の日か覚えてる?」

ぎゅうっと抱き抱えた腕にしなだれかかりながら上目遣いで問いかける彼女に、俺はさっぱり思い出す事が出来なかった。


238: ◆bEw.9iwJh2:2019/5/6(月) 12:26:34 ID:m.FpjIMRTo

「女ってのはそういうモンだからなあ」

夕方のファーストフード店の中、ポテトを摘みながら友人があっさりと言う。

「やっぱそういうモン?」

「そうそう。喧嘩したら昔の事まであれこれ引っ張り出してくるしな。記憶に自動リンクが複数付いてんじゃねえのかな」

分かるような分からないような、でも分かるような例えをされた。

「まあうるさいのは記念日だけなんだろ?メモしとけ、メモ」

「…面倒だなぁ」

「デート代割り勘大丈夫な女は貴重だぞー。あと入る店とか」

それとも記念日毎にプレゼント要求されてんの?と問われ、首を横に振る。

彼女は物をねだる訳ではない。ただ、覚えている事を要求してくる。財布的には安心だが、それでもやりとりを面倒だと思ってしまう。


記念日。


それは、本当に大切なものなんだろうか。

俺にはさっぱり分からない。


239: ◆bEw.9iwJh2:2020/7/30(木) 15:48:54 ID:cxFS.IqIAU

もうすぐ七夕だからと、近所のスーパーに笹が数本立てかけられていた。

鮮やかな色紙で飾り立てられ、早くも短冊が幾つかぶら下がっていて、みみずのようにのたくった文字からは幼稚園児や保育園児が願い事を書いたらしい事が分かる。

ふっ、と微笑ましくなって、買い物途中の足を止め、短冊に書かれた願いを読んでみる事にした。


240: ◆bEw.9iwJh2:2020/7/30(木) 16:23:45 ID:bsvTmiRG6s

【アンパ○マンになれますような】

【プリキ○アになりたいです】

【おとうさんのおばあちゃんがおかあさんのわるぐち言わなくなってほしいです】

【花組の××ちゃんとけっこんしたい】

【おかーさんとおとーさんがなかよくなれますように】

【いもうとがぶじにうまれますよーに】



……一部家庭環境が心配になる願い事があったが、子供の願いは純真だ。

俺も昔はこんな内容の短冊を書いていたんだろうが、如何せん、記憶を引っ張り出しても内容がさっぱり思い出せない。


241: ◆bEw.9iwJh2:2020/8/10(月) 10:37:17 ID:L7FYH2jf/o

様々な願い事が書き込まれた短冊から視線を放す。少しだけ、首が疲れた。

――ふと。

いつの間にいたのだろうか、すぐそばで同じように短冊に手を伸ばして読み込んでいる少女の姿があった。

足音や気配に気付かないほど、俺は集中していたのだろうか。何だか恥ずかしくなって首をこきこきと鳴らしてみる。


「……ふぅん、今の人間達は、こんな上訴の仕方をしているのか……」


ぽつり、と。少女が呟くのが聞こえた。


242: ◆bEw.9iwJh2:2020/9/7(月) 02:26:47 ID:YPn4BElcFk

…じょうそ?その言葉の意味を、考える。

じょうそ。上訴。上の者に訴える事。

願い事の内容は………まあ、確かに、上訴と言えなくもない、だろう。

だが、誰に訴えるのだ。

未だ真剣な表情で、短冊を読み込んでいる少女を見つめる。


………上位者、とやらのつもり、なのだろうか。この女の子は。

 
243: ◆bEw.9iwJh2:2020/9/18(金) 14:37:36 ID:YPn4BElcFk

まあ、この年頃の子にありがちな特有のアレかも知れない。

左腕がどうの、やら目がどうたら、やら…。

ふと自分の黒歴史を思い出しそうになって、慌てて目を少し固くつぶった。

いけない、いけない。若気の至りというヤツは、本当にいけない。


244: ◆bEw.9iwJh2:2020/10/20(火) 12:30:28 ID:3jq6ricKKI

黒歴史の恥ずかしさにしばし心を暴れさせ、落ち着いたところで閉じていた目を開く。

いつの間に移動したのだろうか、目の前に少女がいて俺の顔を見上げていた。

「君は何を願うんだい?」

…君、ときたか。俺、一応大学生なんだけど。確実に年上なんだけど。

「ほら、人間というやつは際限なく願い…いや、欲があるのだろう?君が今欲しいものは何かな」

物質に限らずともよいよ、何でも言ってみなよ。鷹揚な仕草と表情で少女は言う。

――欲しいもの、か。


245: 名無しさん@読者の声:2020/10/21(水) 20:23:52 ID:Vcd26xY/0k
だいすきです!
つCCCCC
246: ◆bEw.9iwJh2:2020/11/6(金) 03:15:42 ID:CA82EVH76k
>>245
支援ありがとうございます
247: ◆bEw.9iwJh2:2020/11/6(金) 03:16:50 ID:CA82EVH76k

『ねえ、何の日か覚えてる?』

――不意に、彼女の言葉が脳裏をよぎった。

あの日。この日。その日。どの日。

覚えている事が当たり前だと言わんばかりの――否、覚えていて当然だという表情と声。


そんなに。


そんなに、記念日とやらは大事なものなのか。いちいち覚えていなくてはならないのか。

覚えていたとして、何になるのか。

対価が大したものかどうかは問題じゃない。ただ、彼女がこだわる記念日というものに、俺は辟易していた。

だから。
 
248: ◆bEw.9iwJh2:2020/12/2(水) 12:06:42 ID:Jp0sKie6ak

「………記念日が、ない世界、かな」

やたら赤い丸がつけられた手帳のカレンダーを思い浮かべながら、俺は小さく呟いた。

記念日なんてものに振り回されて尚、それでも彼女と別れるなんて事は、俺には少しも考えられなかったから。


「成る程、記念日のない世界か。君は面白い願いをするね」

少女は表情を崩さず、むしろ好奇心を瞳に宿しているように見えた。

「そうだなあ…また世界を作るのは面倒だから、今の状態をそこだけ変えてみよう。それでも、少し調整が必要だけど、まあいいだろう」

ぱきり、と指を鳴らして。

「それじゃあ試運転だ。君の望む日々があるといいね」

少女がそう言った瞬間、俺の視界はぐらぐら揺れて歪んで、意識がぷつんと途切れた。



249: ◆bEw.9iwJh2:2020/12/3(木) 23:32:12 ID:2zemDs6iMQ

鈍痛が頭を苛む。鳥の鳴き声が、どこからか聴こえてくる。

「う………」

体を動かそうとすると関節がぎしぎし軋む。まるで睡眠を取りすぎた休日の昼のような、そんな重さ。

それでもなんとか起き上がって辺りを確認すれば、見慣れた景色が視界に映る。──安普請の、俺が借りているアパートの部屋だった。

「確か…買い物の途中で…」

何かあった、はず。

なにか、が。なんだったか、なんだっけか。

記憶を辿るべく思考を巡らせていると、鞄に入れていたはずの手帳がカレンダーのページを見せて床に落ちていた。

────何の予定も記入されていない、記念日の何一つない、ページが。








250: ◆bEw.9iwJh2:2021/1/15(金) 02:12:25 ID:sWbjPwfVHs



………日付と曜日以外、何もないカレンダー。

それの違和感と異常さをを警告音のように脈打つ頭の痛みが訴えてくる。

いや、待て、スマホのカレンダーは、こっちは、なにか、何かしらがきっと、


───開いたカレンダーのアプリ画面にも、日付と曜日以外の何もなく。


アドレス帳とフォトにある彼女の電話番号とメルアドと写真を震える指先で確認すれば、

彼女と俺の誕生日やその他の記念日にやりとりしたメール、撮った写真のほとんどが、削除してもいないのに外部メモリからも消えていた。




251: ◆bEw.9iwJh2:2021/6/22(火) 00:20:24 ID:yxUF6fhvOs


【君が今欲しいものは何かな】


七夕の飾り、色とりどりの願い事の下。

少女が泰然とした笑みを浮かべて問いかけてくる、あれは、

───あれ、とは。

思考が定まらない。眩暈がして、握り締めているスマホが炎天下のチョコレートのように溶けてしまいそうな、そんな錯覚を覚える。

「俺、は、」

とんでもないことを望んでしまった、ただそう思った。
 
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