『手紙』
郵便受けに詰まったチラシの中に、それはあった。
132: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 17:08:27 ID:j0wVgCCdXA
『そこにいる』
引っ越しをした。
勤め先が不況の煽りを食って潰れてしまい、親兄弟友人とつてを頼ってどうにか見付けた新しい場所は、辛うじて糊口を凌げる賃金しか懐には入らなかった。
なので当然、住まいも変える他なかったのである。実家住まいにするには、些か距離がありすぎた。
不動産屋で懐具合と相談しながら紹介された物件の間取りと家賃の数字をじいっと睨む。
「どうかね兄ちゃん、決まったかね」
火の点いていない煙草をくわえた不動産屋の主人が、机に頬杖を着きながら言った。
133: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 17:26:44 ID:ySNMiVLy6I
「いえ…なかなか。ついあれこれ欲張ってしまって、難しいですね」
「はは、まぁそういうモンさね。時季外れで暇だからな、じっくり悩んで探しとくれ」
家は慌てて決めるとあとで困るぞ、と鷹揚に笑って主人はスポーツ新聞を読み始めた。
親の紹介で訪ねた相手だからというのもあるのだろうか、穏やかな雰囲気に急いていた気持ちが落ち着いてくる。
そうだ、確かに一日の疲れを癒す場所を家賃だけで決めるのは良くない。
改めて物件の周囲説明にもよぅく目を凝らし、出してもらった少し渋めのお茶を啜る。舌に残る苦味が、なぜか落ち着く。
134: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 18:02:16 ID:ySNMiVLy6I
--と。
書類をめくった途端に指先がちりっとして、先程まで何度も繰り返し読んだはずなのに、初めて見るアパート名と間取り図が視界に入った。
うっかり二枚分めくってしまっていたのだろうか、と思いながら目線を落とす。
………間取りや周辺情報の割には、家賃が変に安かった。
台所風呂トイレ付き、部屋は六畳間と四畳半一つずつ。駅まではそこそこの距離だが、近隣にはコンビニや銀行もある。
これは、結構な好物件…だと思うのだが。
「あの、」
135: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 18:27:36 ID:j0wVgCCdXA
意を決して声をかける。
「なんだ、決まったのかい?」
「いえ、…その、この物件なんですが」
僕が卓上に差し出した書類を一瞥した主人の口から、煙草がぽろりと落ちた。
「兄ちゃん、これ、どこから」
「…?あの、書類の中にありましたが…」
途端に今まで読んでいた新聞を床に投げ、物件情報の詰まったファイルを開き、真剣な表情で中身を確認してゆく。
その行動に唖然とするが、主人は何度かファイルを調べてから片手で額を覆い、大きく嘆息した。
136: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:03:45 ID:j0wVgCCdXA
これは…まさか、もしかして。
「訳あり物件…なんですか…?」
そう尋ねると、主人は卓上に転がっていた煙草をくわえ直し、僅かに頷いた。
「だが事故物件、って訳じゃねえ。ただ、居着かねえんだよ」
「え……」
「お前さんだから言うがな、この部屋はやめとけ。今まで入居した奴のどれもが半年も保たなかった」
事件も自殺も孤独死だのも、何一つ起きていない部屋。
だのに、出て行く住人が皆、口を揃えて言うのだ。
『あそこには何かがいる』--と。
だからこの物件はファイルにしまったまま、訪れる誰にも見せなかったのだと。
137: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:13:54 ID:tqfCNMu0GE
……………
そんなやりとりを経て、しかし。
僕はそのアパートに入居を決めた。
当然、不動産屋の主人には他にも住む場所はあるだろう、何を物好きな、と半ば叱られるように説得されたのだが、僕の気持ちは変わらなかった。
手続きを終え荷物を運び、テレビとパソコンと布団だけを引っ張り出した広い部屋の真ん中に座る。
軽く周囲を見渡してみて、
138: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:32:17 ID:tqfCNMu0GE
(………あれ、が)
部屋の隅、やけに暗いその一角に。
髪の毛の塊かと思うほどの長い長い黒髪に埋もれた女が、いた。
(あんなにはっきり視えるのに)
視線を向けても女は動かない。
見ているのに飽き、テレビを点ける。ニュース番組が映り、今日一日の事件や出来事が読み上げられる。
………やがて腹が減り、面倒だからと作ったカップラーメンを啜りながら、思い出したように部屋の隅を見た。
女は動かないままだった。
139: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:45:42 ID:tqfCNMu0GE
それから半年が経つ。
不動産屋の主人や、彼から話を聞いたらしい両親からは心配する電話が時折来るが、生活に変化はない。
彼女が出来ても連れ込めないぞ、と我が家の事情を知った友人からはそう言われたが、その予定はこの先ずっとないだろう。
「おはよう」
うるさい目覚ましのアラームを止め、起き上がり部屋の隅に向けて一声。
女は動かない。
でも、それでいい。
布団をたたみ、朝のあれこれを終えて出勤の支度をする。
「行ってきまーす」
玄関先で靴を履く僕の背中に、
《行ってらっしゃい》
小さな女の声が届いた。
140: ◆bEw.9iwJh2:2017/3/5(日) 12:47:48 ID:L5Me1/ehqI
スランプ入ったので、保守だけ致します
141: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/7(金) 23:59:40 ID:1rd85dK/cs
『ひたすらに』
さくり、と土にシャベルの先を差し込む。
足を掛けて更に押し込み、傾けて、掬い上げる。それを日がな一日繰り返して。
夕暮れに気付けば埋め戻す。
………いつからだろうか、休みの日が来る度に、そんな訳の分からない事をするようになっていた。
雨の日や雪の降る日以外は、ずっと。
142: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:06:48 ID:XN1gQfBILc
何を探している訳でもなく、何かを埋める為でもなく、ただひたすらに穴を掘り、埋める。
それを繰り返して。
気が付けば家の庭には掘っていない場所などなくなっていた。
(さて、どうしよう)
ここにきて初めて、自分はなんと無意味な事を続けているのだろうと呆れる気持ちが湧いたが、それはほんの一瞬。
視線と足は次に掘るべき地面を勝手に探し求めている。
143: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:18:29 ID:XN1gQfBILc
一度掘った地面ではいけないのか、と自らに問い掛けてはみるのだが、
(そもそも何故、穴など掘りたがるのか)
(他に時間を使えばいいだろうに)
(このシャベルだってもう何本目なのやら)
その根本的な理由さえ分からないのに簡単に答えが出るはずもなく、溜め息と共に庭の片隅にしゃがみ込んだ。
144: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:24:47 ID:XN1gQfBILc
それからは、夜に出歩くようになった。
昼間にシャベルを担いで勝手にそこらの地面を掘り起こすなど、通報モノの行為である自覚はあるからだ。
柔らかい、時には固い土にシャベルを突き立てながら、どんどんと掘り進み。
いつの間にか、季節は春になっていた。
145: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:39:26 ID:1rd85dK/cs
ざぐ、ざぐ、と何度突き立てても僅かしか進まないシャベルに、ふと顔を上げる。
うっすらと汗がにじんだ頬に、風に吹かれた桜の花びらが張り付いた。
(桜の樹の下には、だったか)
視界一面に咲き乱れ舞い散る白を見上げ、昔読んだ小説の題を思い出す。
……………ああ、そうか。
もしかしたら自分は、桜の樹の下に埋まっているそれを見たくて、こうして掘り続けているのかも知れない。
146: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 17:42:52 ID:.oby9THsoA
『おいでください』
掃除も終わり、元気に部活動へと飛び出していく後ろ姿や帰宅しようとリュックや鞄を手にするクラスメイト達の背中を見送る。
そうして、午後の教室に独りになったのを確認して、自分の鞄から一枚のルーズリーフと潰れた鈴を取り出した。
椅子に座り、紙を広げて鈴を置く。
紙には五十音ではなくいろは歌。はい、いいえ、は書いてはあるけれど、真ん中より少し上には鳥居ではなく井戸の『井』に似たものがあった。
『井』の部分に置いた潰れた鈴に指を当て、小さく息を吸う。
そして、
「『りょうじんさま、りょうじんさま、おいでください』」
その言葉を音にした。
147: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 17:55:05 ID:1rd85dK/cs
指を置いた鈴は動かない。
けれど何度も繰り返し、言葉を紡ぐ。
気の所為だろうか、右耳にきぃぃぃんと耳鳴りのような音がし始めて眩暈がする。
「『りょうじんさま、りょうじんさま、おいでください』」
幾度繰り返しただろう、ああ、やはりただの噂か、と気落ちしかけたところで
ぎ、ぎぎ、ぎぢ、
鈴が妙な音を立てながら動き出した。
148: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 19:04:02 ID:.oby9THsoA
指が震え、吸い込んだ息を飲み込む。
まだ何も問い掛けないうちに、鈴は上に乗せた指を置いていくような速さで紙のあちらこちらへと動いた。
慌てて鈴の動きを目で追い掛ける。
《ぬしはたれか》
…これは、…お前は誰か、という意味だろうか?
『りょうじんさまには名前を教えちゃダメなんだって』
『名前を聞かれたら、こう答えなきゃいけないんだって』
名前…私の名前ではなく、確か、
149: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 01:50:27 ID:.oby9THsoA
「…よりわら、です」
答えた瞬間、空気がどろりと重くなった気がした。
潰れた鈴がぎちぎちと揺れて、紙を引き裂かんばかりの勢いで言葉を綴る。
《なにようてよひたしたか》
…これは、ええと、何の用で呼んだか、と聞いているのだろう。濁点のない文字で作られた文章は、すぐには意味を読み取れない。
150: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 02:57:08 ID:.oby9THsoA
用意していた質問を投げかける。
一問毎に、答えが返る度に空気が水飴のように粘ついて、呼吸が難しい。
そして、何より、
軽く指を置いているだけのはずの鈴が、潰れて鳴る事など有り得ないはずの鈴が、濁った音を響かせるのだ。
(…これ、こっくりさんの一種だって聞いたんだけど…違うの?)
体が重い。
息が苦しい。
--耳鳴りが、鈴の音が、きぃきぃぎぢぎぢごろごろ、と、
151: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 03:48:26 ID:XN1gQfBILc
「ヤバいヤバい、忘れ物しちゃったー」
不意に、廊下の向こうからこの教室に向かってくる声と足音が聞こえた。
不味い、『りょうじんさま』はやっているところを誰かに見られてはいけないはず。
吐息のように掠れた声しか出ない状態で、お帰り下さい、と何度もお願いするが、先程までとは打って変わって鈴はぴくりとも動かない。
廊下の足音がドアの前で止まった。
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