従姉に恋をした。
Part2
32 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:17:45
待ち合わせぴったりに彼女と会った。
よっ、という感じで彼女が敬礼する。俺も返す。それだけなのに心が弾んだ。
店まで彼女を案内する道中、「歩くの早いね〜」と言われた。俺の足はもう
スキップに近かった。選んだ店はモニターで見るよりも印象が良くて安心した。
席につく時、俺は言った。
「今日は『どうぞマダム』って、椅子は引かないけどいいよね?」
もちろんジョークだ。笑いながら彼女が言う。
「じゃあ、いつもは引いてんのかいっ!」
これだ。これがいいんだ。打てば響く鐘、とでもいおうか。
こちらが差し出した話題にすかさず乗ってくる。披露宴の時に彼女と話して
いて好印象を持った原因はこれだった。別に芸人のようにツッコミ役を探し
ていたわけではないが。
食事は美味しかった。もともと美味しい店だったのだろうけど、女の子と一
緒に食事することで更に美味しくなった気がする。異性が食事のテイストを
上げるってこと、久しく忘れてたよ。しかし…彼女は酒が強い!俺は人並み
程度だったから、会話に夢中になるあまりついついいつもの酒量を超えてし
まっていた。ギブだ。名残り惜しかったが店を後にし、彼女を送るためにタ
クシーに乗り込んだ。ひどい酔いでクラクラ。車体の揺れが拍車をかける。
だが彼女のテンションは高く、俺は搾り出した笑顔でそれに応じた。
彼女のマンションは俺のアパートに近かった。車で10分といったところ。
また一緒に晩飯をと手を振り、彼女は車外へ。走り出すタクシーをじっと見
送る彼女。俺はリアウインドウから最後の笑顔を振り絞ってそれに応えた。
300mほど走ったところでタクシーが門を曲がった。運転手さんストップ
してください。蚊の鳴いてるような声で車を止め、俺は外に走り出た。何年
ぶりだろう、吐いたのは。滝のようにゲーゲーしながら、俺は辛いんだか嬉
しいんだかわからなかった。
33 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:19:50
それから彼女との付き合いが始まった。といっても単なる飲み友達のレベル。
でもウマが合うとはこのことを言うのだと、彼女に会うたびに実感した。い
ろいろな話をした。彼女の仕事の話、彼女が趣味としている旅行の話、アジ
アが特に大好きだということ、彼女が「書」を嗜むということ…彼女の話の
全てが新鮮で面白かった。大抵は馬鹿話に花を咲かせていたが、時に真面目
な話にもなった。そんな時、彼女の考え方が自分と同じだったりすることも
あり、俺はますます引き込まれた。その上彼女は聞き上手でもあった。俺の
話を真剣に聞き、そして真剣な意見をくれた。その意見のどれもが的を射た
内容であり、俺はいつも感嘆とさせられた。思えばそれまでの俺は女性とい
うものを馬鹿にしてきたのかもしれない。口には出さず心のどこかで。それ
まで付き合ってきた女性にいつも「イエスマンは嫌いだから。自分の意見を
ちゃんと言ってよ」などと言いながら、「どうせ俺の意見のほうが正しい」
と聞き上手になれず、自分の考えで相手をねじ伏せてきた。
34 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:21:15
いつものように恵子ちゃんとさよならし、ひとりアパートに帰った時、俺は
考えた。結婚まで考えたあのコも、そうした自分の利己の犠牲にしてしまっ
たんじゃないのか。ようやく見つけた宝石だったかもしれないのに。今更遅
いが、俺は反省した。生まれて初めて、別れた女性にすまないと思った。
何回目かに恵子ちゃんに会った時、俺は言った。
「君と話してると楽しい」
女性に対して初めて言った言葉だった。大した台詞でもないのにね。
「私も。健吾君の話は面白いし、会うのが嬉しいよ」
彼女がそう応えてくれた時、俺の気持ちは決まった。
この宝石を失いたくない。
35 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:24:15
もはやいつ告白をしようかと、その頃の俺はタイミングを計っていた。
悶々としてはいたが、そんなことを考えるのは本当に楽しい。
そんなある日のこと。
当時、俺はよく週末に太田家で夕食をごちそうになっていた。お父さんや
母、一つ下の義弟や3つ下の義妹と団欒を楽しんだ。そろそろ30にもな
ろうかという独身男に、アパートでのひとりの食事は味気なさ過ぎる。俺
にとって大事なひとときだった。その日もアハハオホホと宴もたけなわに
なってきた頃、お父さんが言った。
お父「最近、恵子とよく飲みに行ってるんだって?」
俺 「ええ。なんか気が合うんですよ」
義弟「付き合ってるの?」
俺 「いや、そういうんじゃないよー」
義妹「付き合っちゃえばいいじゃないですか〜」
母 「そういう気、あるの?」
俺は黙ってニコニコしてた。
そこで母が真顔になって言った。
母 「…でもねぇ。もしも、もしもよ?アンタと恵子ちゃんが結婚なんてこ
とになったら、アタシとアンタのお父さん、親戚ってことになっちゃ
うのよねぇ…」
頭が冷たくなった。俺、なんでそのことに気づかなかったんだろう。
母 「アタシもあの時、恵子ちゃんなんかいいんじゃない、なんて焚きつけ
たけど、後から冷静になって考えるとそういうことになるのよねぇ」
義妹「それじゃ、結婚式はお父さんたちと健吾君のお父さんが同席!?花束
贈呈の時なんか、健吾君側にはお父さんが2人並ぶの?」
お父「いや、もしそうなったら私が並ぶわけにはいかないだろう」
俺は慌てて取り繕った。
俺 「ちょっ、ちょっと!何勝手に盛り上がってんだよー。そんなことには
ならんから!ただの飲み友達。安心しろって。…でもそーなったら、
ちとオモロイねぇ…ふふ」
母 「やめてよねーあはは」
なんとか冗談で済ますことができたが、もう俺は酒も食事も味を失っていた。
55 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:22:10
従姉弟同士は結婚できる。そう聞いたことがある。
ましてや俺と恵子ちゃんは血のつながりのない赤の他人。
彼女が俺に対して恋愛感情を持ってくれているのかはわからなかったが、
もし交際の申し込みにOKしてくれたならば、その先の展開も期待できると
思っていた。
だが親父の存在が、俺の淡い期待に影を落とした。
親父は心に傷を負っていた。母との離婚で生じた傷だった。
56 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:25:02
親父と母が離婚したのは俺が18の時だった。
高校3年の夏休みのある夜、母が俺の部屋に来て言った。
「お父さんと別れようかと思って」
その当時、親父と母の様子がおかしいことは気づいていた。
親父は大工で、典型的な頑固オヤジ。もともと気難しい人ではあったのだが、
最近とみにひどくなり、ほんの些細なことでも怒り出すようになっていた。
幼き頃から拳で物事を教育されてきた俺も、さすがにこの頃の理不尽な親父の
態度には我慢がならず、よく反発するようになっていた。
母は母で、仕事から帰ってきても上の空、心ここにあらずといった感じ。そして
親父同様、ピリピリしていた。
そんな俺たちの姿に当時、中3の妹(俺には実妹もいる)は心を痛めていた。
そしてこの晩、両親がおかしくなった原因について母から聞かされた。
57 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:26:59
ウチは借金を背負っていた。
春先、母は勤め先の金を落としてしまったという。大金だった。
だがそんな金はウチにはない。職場にバレては…ということで、母は親父と
相談し、親父名義でサラ金から金を借り、なんとか補填したそうだ。
これで合点がいった。
それから一週間ほどした晩。家族の間で話し合いがもたれた。
親父が言った。自分たち夫婦は離婚すること、ただし俺たち兄妹が学校を卒業
した後に。そして借金があること、だからこれからの生活が変わること。
いやだ、別れないでと妹が泣き喚いた。実の妹ながら常々クールなヤツだと
思っていたから意外だった。でもたかだか15歳の女の子だったんだから当然の
反応だったのだ。
58 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:31:17
しかし何より驚いたのは親父の姿だった。泣き出したのだ。
それはもう嗚咽に近かった。本当は別れたくないと、顔をクシャクシャにしていた。
それから離婚までは1年が流れたのだが、俺にとってあの一年はトラウマになった。
実のところ両親が離婚してしまうことにさほどのショックはなかったのだが、
それからの親父の態度にショックを受けた。
あれだけ亭主関白で威張り散らしていた人が、夜6時過ぎには帰宅し、晩飯を作って
家族を待った。その頃母は少しでも金を作ろうと残業する毎日で、俺や妹は受験のた
めに課外授業を受けていて帰宅は遅かった。そんな俺たちを、親父は精一杯の笑顔で
迎えた。なんとか母に考え直してもらいたかったのだろう。その姿は憐れで痛々しか
った。子供が親を、ましてや息子が親父を憐れむことほど悲しいものはないと思う。
俺は親父にしょっちゅう殴られながら育ったが、それは今でいう虐待などではなく、
星一徹と飛馬、あんな感じ。殴られて畜生!と思うことはあっても、筋の通った説教
をする親父を恨んだことはなかった。それだけに豹変した親父の姿がやるせなくて、
嫌で嫌で、家に帰ることが苦痛になっていった。
しかしそんな俺たちの姿を見ても、母の気持ちが変わることはなく、そればかりか
親父に対する態度はどんどん冷たくなっていった。
一年後、離婚は成立し、親父が家を出た。
名門女子高への受験に失敗した妹はひどい精神状態になっていたため、女親のほうが
いいだろうと、母の手許に残ることになった。そして母と妹を精神的にも経済的にも
支えるため、同じく大学受験を失敗した俺はフリーターとなり、彼女らと生活を続けた。
そして妹の私立高校入学費をプラスした借金返済は、全て親父が背負った。
親父に残ったのは多額の借金だけとなった。
59 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:33:59
時は俺たちの傷を徐々に癒していったが、親父の傷だけは癒えなかった。
就職してサラリーマンとなっていた俺は、ある時、親父を飲みに誘った。
その頃の親父は寂しさからか、頻繁に俺に連絡をしてきた。
いつまでもトラウマから抜け切れないでいた俺はそれを疎ましく思い、
大抵、忙しさに託けてあまり会おうとはしなかった。
それだけに親父は大いに喜んでくれた。
俺が親父を誘ったのには理由があった。
「親父、付き合ってる人いないのかい?」
これが聞きたかったのだ。
当時、俺は件の彼女と付き合い始めていた頃で、母親も太田のお父さんと交際を
していたし、妹も仕事先の男性と結婚秒読みの段階だった。
母と妹がめでたく嫁いでくれれば俺は解放される。自分で稼いだ金を自分のため
だけに使うことができる。この上親父にも幸せが訪れてくれていたら…俺の心配
事は全てなくなる。
俺は浮かれていた。
「いる」
期待していた答えが返ってきた。俺は更に浮かれた。
「おっ!どんな人なんだい?」
「お前と同い年」
愕然とした。
「さ、再婚する気なの?」
「それは絶対ない」
酒が入ればだらしない顔になるはずの親父の顔は、
生まれて初めて見る険しさに満ちていた。
60 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:36:01
親父は言った。「もう二度と結婚はしない」
「相手が若くたっていいじゃない。親父だってまだまだこれからなんだから」
俺は自分でも余計なお世話だと思えるほどに、一生懸命、親父を説得した。
自分本位な理由で。そして更に、馬鹿な俺は親父に言ってしまった。
「母ちゃんだって、相手を見つけたぜ?」
俺はなんという残酷な男だったんだろう。
親父は静かに言った。
「もう、母さんのことは口に出すな。知りたくもない。関わりたくもない」
やっと俺は親父の傷に気づいた。
そして親父は、今付き合っている娘も単なる遊びだ、とも言った。
事実、その後親父は何人もの女性と付き合ったり別れたりを繰り返した。
その内の何人かと実際に会ったこともある。
「遊び」だと言われている女性に引き合わされるのはたまったものでは
なかったが、いつか親父の心に変化が現れるのではないかという期待もあった。
だがその期待は今日に至るまで裏切られ続けることとなる。
61 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:39:03
太田家での晩餐を終え、アパートに帰った俺は思案に暮れた。
俺が恵子ちゃんと結婚などということになったらどうなるだろう。
恵子ちゃんが母の再婚相手の姪だと親父が知ったらどう思うだろう。
まだ恵子ちゃんとそんな関係になってもいないのに、
あれこれと脳内シミュレーションを繰り返す俺。
理屈でしか動けない、情けない男だった。
俺は決して親孝行な男ではない。
ただ親不孝なことはしたくないだけ。
そしてその思いは親父に対して尚、強い。
これ以上、親父から奪いたくはなかった。
67 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:27:54
従姉弟というつながりがある以上、完全に接触を断つことはできないが、
俺は恵子ちゃんへの想いを消すために距離をおくことにした。
幸い気持ちを彼女に伝える前だったし、今ならまだ抑制がきく。
俺は徐々に電話やメールの数を減らしていった。
2001年も最後の月を迎えた。
会社までの道すがら、クリスマス色の街を眺めながらふと思う。
(ウキウキしてたな、去年は)
しかしこの夜、そんな感傷も吹っ飛ぶような事件が、俺の身に起こった。
69 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:30:45
その日は多忙を極め、俺は残業のためにひとり会社に残っていた。
と、突然激しい痛みが胸を襲った。
息は荒くなり、鼓動は早鐘のように加速する。
(やばい…きた。また、きちまった)
俺はその痛みを憶えていた。
俺は昔、心臓を患っていた。
病名は“移動性ペースメーカー”。不整脈の一種だ。
心臓を機能させる心拍(鼓動)は、ある一点から規則的に発信される
電気信号によって正常に紡ぎだされる。
移動性ペースメーカーとは、その電気信号が心臓のあらゆる箇所から
デタラメに発信され鼓動が乱れる症状を言う。
多くは過労・心労から発症するらしく、
俺の場合も不規則な生活が祟った結果であった。
70 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:33:52
高校卒業後の俺はコンビニの夜勤で一年間アルバイトをした後、
知り合いのツテで出版業界に就職した。
今はどうかわからないが、当時のその世界は凄まじい労働環境下にあった。
朝から朝まで働き、家に帰ってもシャワーを浴びてまた会社にトンボ帰り。
俺の職種はライターだったから、原稿が煮詰まればタバコやコーヒーの量が
増える。原稿が上がれば上がったで、夜中でも初校のために印刷会社を
駆けずり回る。クライアントとの打ち合わせ、取材、資料集め…やることが
多すぎて24時間では一日が終わらない。それでも文章を書くことが好きだった
俺にとってその職は天職だと思っていたし、また家にもあまり居たくなかったから
仕事に対する意欲は持続できた。しかし身体が悲鳴を上げた。
71 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:35:37
ある時、俺は発作を起こし気絶した。潮時だった。
まだまだ俺は家計を支えなくてはいけない。こんなんで死ねない。
俺はその世界を去り、現在の会社に入って普通のサラリーマンとなった。
医者からもらった薬を服用しながら、お日様と共に生活する毎日。
社会人になってから初めて経験する“当たり前”の生活は効果覿面で、
俺はいつしか薬を必要としなくなった。
それが突然、再発した。なぜ???
それからは日を負うごとに発作の回数が増えた。なんだ?怖い。
一度、寝ている時に発作が起きてからは、夜眠るのも怖くなった。
そうして2001年は幕を閉じた。
74 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:37:13
年明け。
いよいよ危険だと感じた俺は大きな病院へと足を運んだ。
様々な検査で一日が暮れた。
検査のひとつにルームランナーみたいな機械で走らされるものがあった。
俺は検査の途中で死んじゃうんじゃないかと思った。
数日後、診断結果を説明しながら若い医者は言った。
「危なかったですよ」
めでたく手術入院が決定した。
入院の前日、俺はお父さんにお願いした。
「きっと気を遣うだろうから親戚の人たちには言わないで」
お父さんは約束してくれた。
病状は深刻だったが手術そのものはあまり難しくはないらしく、
1週間ほどで退院できるとのことだった。
手術は3日後で間があったが、友人や同僚がエロ本やらうなぎパイやらを
見舞いの品に携えて押し寄せたので、退屈はしなかった。
だがそこに期待した顔はなかった。
約束守り過ぎですよ、お父さん。ちょっとそう思った。
75 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:39:39
手術方法は胸をメスでかっさばいて…というものではなく、カテーテルという方法だった。
足の付け根から極細の電熱線を血管伝いに心臓まで通し、
心臓に散らばった不必要な電気信号発信点を電気で焼く、というものだ。
足の付け根って…えっ、股間!?部分麻酔をするから痛みはないですよと
医者は言ったが、いや、そうじゃなくて。…ということは、剃るんでしょ…。
屈辱的なプレイを経て手術が始まった。
76 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:41:45
手術はつつがなく…というわけにはいかなかった。
まず尿道に通されていたビニールチューブがはずれ、俺は尿まみれで手術を受け続けた。
1時間ほどで終わると言われていたので我慢していたが、2時間経ってもまだ終わる気配がない。
暇だから寝ちゃおうかと思ったが医者が寝るなと注意する。
もっとも寝ようにも手術台の横のモニターには俺の心臓が映し出されていて、
蠢くその心臓に無数の電線が絡み付いた不気味な映像が、俺の眠気を木っ端微塵にした。
手術は難航している。どうやら予想を上回る数の発信点が、後から後から現れるらしい。
それらを電気で焼くたびに、じわっと胸が熱くなる。もう発信点がないかどうかを調べるために、
わざと心臓マッサージで鼓動を激しくして不整脈を起こさせる。それが延々繰り返される。
仕舞いには胸の熱が耐えられない苦痛を伴ってきた。先生、ギブです。
「じゃあ、全身麻酔に切り替えますね。目をつぶって数を数えて〜」
ガスを吸わされながら「端っからこうしろよ」と毒づきつつ、俺は10まで数えないうちに眠りに落ちた。
77 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:42:45
目覚めたら夜だった。結局手術は7時間かかったらしい。
身体は動かしてはいけないが食事は構わないということで、手術のために昨晩から
絶食させられていた俺は3食平らげた。付き添いの母が俺の口に食事を運びながら言った。
「よかった」
俺は食事に夢中で母の顔は見ていなかった。
待ち合わせぴったりに彼女と会った。
よっ、という感じで彼女が敬礼する。俺も返す。それだけなのに心が弾んだ。
店まで彼女を案内する道中、「歩くの早いね〜」と言われた。俺の足はもう
スキップに近かった。選んだ店はモニターで見るよりも印象が良くて安心した。
席につく時、俺は言った。
「今日は『どうぞマダム』って、椅子は引かないけどいいよね?」
もちろんジョークだ。笑いながら彼女が言う。
「じゃあ、いつもは引いてんのかいっ!」
これだ。これがいいんだ。打てば響く鐘、とでもいおうか。
こちらが差し出した話題にすかさず乗ってくる。披露宴の時に彼女と話して
いて好印象を持った原因はこれだった。別に芸人のようにツッコミ役を探し
ていたわけではないが。
食事は美味しかった。もともと美味しい店だったのだろうけど、女の子と一
緒に食事することで更に美味しくなった気がする。異性が食事のテイストを
上げるってこと、久しく忘れてたよ。しかし…彼女は酒が強い!俺は人並み
程度だったから、会話に夢中になるあまりついついいつもの酒量を超えてし
まっていた。ギブだ。名残り惜しかったが店を後にし、彼女を送るためにタ
クシーに乗り込んだ。ひどい酔いでクラクラ。車体の揺れが拍車をかける。
だが彼女のテンションは高く、俺は搾り出した笑顔でそれに応じた。
彼女のマンションは俺のアパートに近かった。車で10分といったところ。
また一緒に晩飯をと手を振り、彼女は車外へ。走り出すタクシーをじっと見
送る彼女。俺はリアウインドウから最後の笑顔を振り絞ってそれに応えた。
300mほど走ったところでタクシーが門を曲がった。運転手さんストップ
してください。蚊の鳴いてるような声で車を止め、俺は外に走り出た。何年
ぶりだろう、吐いたのは。滝のようにゲーゲーしながら、俺は辛いんだか嬉
しいんだかわからなかった。
33 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:19:50
それから彼女との付き合いが始まった。といっても単なる飲み友達のレベル。
でもウマが合うとはこのことを言うのだと、彼女に会うたびに実感した。い
ろいろな話をした。彼女の仕事の話、彼女が趣味としている旅行の話、アジ
アが特に大好きだということ、彼女が「書」を嗜むということ…彼女の話の
全てが新鮮で面白かった。大抵は馬鹿話に花を咲かせていたが、時に真面目
な話にもなった。そんな時、彼女の考え方が自分と同じだったりすることも
あり、俺はますます引き込まれた。その上彼女は聞き上手でもあった。俺の
話を真剣に聞き、そして真剣な意見をくれた。その意見のどれもが的を射た
内容であり、俺はいつも感嘆とさせられた。思えばそれまでの俺は女性とい
うものを馬鹿にしてきたのかもしれない。口には出さず心のどこかで。それ
まで付き合ってきた女性にいつも「イエスマンは嫌いだから。自分の意見を
ちゃんと言ってよ」などと言いながら、「どうせ俺の意見のほうが正しい」
と聞き上手になれず、自分の考えで相手をねじ伏せてきた。
34 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:21:15
いつものように恵子ちゃんとさよならし、ひとりアパートに帰った時、俺は
考えた。結婚まで考えたあのコも、そうした自分の利己の犠牲にしてしまっ
たんじゃないのか。ようやく見つけた宝石だったかもしれないのに。今更遅
いが、俺は反省した。生まれて初めて、別れた女性にすまないと思った。
何回目かに恵子ちゃんに会った時、俺は言った。
「君と話してると楽しい」
女性に対して初めて言った言葉だった。大した台詞でもないのにね。
「私も。健吾君の話は面白いし、会うのが嬉しいよ」
彼女がそう応えてくれた時、俺の気持ちは決まった。
この宝石を失いたくない。
35 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/12(土) 01:24:15
もはやいつ告白をしようかと、その頃の俺はタイミングを計っていた。
悶々としてはいたが、そんなことを考えるのは本当に楽しい。
そんなある日のこと。
当時、俺はよく週末に太田家で夕食をごちそうになっていた。お父さんや
母、一つ下の義弟や3つ下の義妹と団欒を楽しんだ。そろそろ30にもな
ろうかという独身男に、アパートでのひとりの食事は味気なさ過ぎる。俺
にとって大事なひとときだった。その日もアハハオホホと宴もたけなわに
なってきた頃、お父さんが言った。
お父「最近、恵子とよく飲みに行ってるんだって?」
俺 「ええ。なんか気が合うんですよ」
義弟「付き合ってるの?」
俺 「いや、そういうんじゃないよー」
義妹「付き合っちゃえばいいじゃないですか〜」
母 「そういう気、あるの?」
俺は黙ってニコニコしてた。
そこで母が真顔になって言った。
母 「…でもねぇ。もしも、もしもよ?アンタと恵子ちゃんが結婚なんてこ
とになったら、アタシとアンタのお父さん、親戚ってことになっちゃ
うのよねぇ…」
頭が冷たくなった。俺、なんでそのことに気づかなかったんだろう。
母 「アタシもあの時、恵子ちゃんなんかいいんじゃない、なんて焚きつけ
たけど、後から冷静になって考えるとそういうことになるのよねぇ」
義妹「それじゃ、結婚式はお父さんたちと健吾君のお父さんが同席!?花束
贈呈の時なんか、健吾君側にはお父さんが2人並ぶの?」
お父「いや、もしそうなったら私が並ぶわけにはいかないだろう」
俺は慌てて取り繕った。
俺 「ちょっ、ちょっと!何勝手に盛り上がってんだよー。そんなことには
ならんから!ただの飲み友達。安心しろって。…でもそーなったら、
ちとオモロイねぇ…ふふ」
母 「やめてよねーあはは」
なんとか冗談で済ますことができたが、もう俺は酒も食事も味を失っていた。
55 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:22:10
従姉弟同士は結婚できる。そう聞いたことがある。
ましてや俺と恵子ちゃんは血のつながりのない赤の他人。
彼女が俺に対して恋愛感情を持ってくれているのかはわからなかったが、
もし交際の申し込みにOKしてくれたならば、その先の展開も期待できると
思っていた。
だが親父の存在が、俺の淡い期待に影を落とした。
親父は心に傷を負っていた。母との離婚で生じた傷だった。
親父と母が離婚したのは俺が18の時だった。
高校3年の夏休みのある夜、母が俺の部屋に来て言った。
「お父さんと別れようかと思って」
その当時、親父と母の様子がおかしいことは気づいていた。
親父は大工で、典型的な頑固オヤジ。もともと気難しい人ではあったのだが、
最近とみにひどくなり、ほんの些細なことでも怒り出すようになっていた。
幼き頃から拳で物事を教育されてきた俺も、さすがにこの頃の理不尽な親父の
態度には我慢がならず、よく反発するようになっていた。
母は母で、仕事から帰ってきても上の空、心ここにあらずといった感じ。そして
親父同様、ピリピリしていた。
そんな俺たちの姿に当時、中3の妹(俺には実妹もいる)は心を痛めていた。
そしてこの晩、両親がおかしくなった原因について母から聞かされた。
57 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:26:59
ウチは借金を背負っていた。
春先、母は勤め先の金を落としてしまったという。大金だった。
だがそんな金はウチにはない。職場にバレては…ということで、母は親父と
相談し、親父名義でサラ金から金を借り、なんとか補填したそうだ。
これで合点がいった。
それから一週間ほどした晩。家族の間で話し合いがもたれた。
親父が言った。自分たち夫婦は離婚すること、ただし俺たち兄妹が学校を卒業
した後に。そして借金があること、だからこれからの生活が変わること。
いやだ、別れないでと妹が泣き喚いた。実の妹ながら常々クールなヤツだと
思っていたから意外だった。でもたかだか15歳の女の子だったんだから当然の
反応だったのだ。
58 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:31:17
しかし何より驚いたのは親父の姿だった。泣き出したのだ。
それはもう嗚咽に近かった。本当は別れたくないと、顔をクシャクシャにしていた。
それから離婚までは1年が流れたのだが、俺にとってあの一年はトラウマになった。
実のところ両親が離婚してしまうことにさほどのショックはなかったのだが、
それからの親父の態度にショックを受けた。
あれだけ亭主関白で威張り散らしていた人が、夜6時過ぎには帰宅し、晩飯を作って
家族を待った。その頃母は少しでも金を作ろうと残業する毎日で、俺や妹は受験のた
めに課外授業を受けていて帰宅は遅かった。そんな俺たちを、親父は精一杯の笑顔で
迎えた。なんとか母に考え直してもらいたかったのだろう。その姿は憐れで痛々しか
った。子供が親を、ましてや息子が親父を憐れむことほど悲しいものはないと思う。
俺は親父にしょっちゅう殴られながら育ったが、それは今でいう虐待などではなく、
星一徹と飛馬、あんな感じ。殴られて畜生!と思うことはあっても、筋の通った説教
をする親父を恨んだことはなかった。それだけに豹変した親父の姿がやるせなくて、
嫌で嫌で、家に帰ることが苦痛になっていった。
しかしそんな俺たちの姿を見ても、母の気持ちが変わることはなく、そればかりか
親父に対する態度はどんどん冷たくなっていった。
一年後、離婚は成立し、親父が家を出た。
名門女子高への受験に失敗した妹はひどい精神状態になっていたため、女親のほうが
いいだろうと、母の手許に残ることになった。そして母と妹を精神的にも経済的にも
支えるため、同じく大学受験を失敗した俺はフリーターとなり、彼女らと生活を続けた。
そして妹の私立高校入学費をプラスした借金返済は、全て親父が背負った。
親父に残ったのは多額の借金だけとなった。
59 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:33:59
時は俺たちの傷を徐々に癒していったが、親父の傷だけは癒えなかった。
就職してサラリーマンとなっていた俺は、ある時、親父を飲みに誘った。
その頃の親父は寂しさからか、頻繁に俺に連絡をしてきた。
いつまでもトラウマから抜け切れないでいた俺はそれを疎ましく思い、
大抵、忙しさに託けてあまり会おうとはしなかった。
それだけに親父は大いに喜んでくれた。
俺が親父を誘ったのには理由があった。
「親父、付き合ってる人いないのかい?」
これが聞きたかったのだ。
当時、俺は件の彼女と付き合い始めていた頃で、母親も太田のお父さんと交際を
していたし、妹も仕事先の男性と結婚秒読みの段階だった。
母と妹がめでたく嫁いでくれれば俺は解放される。自分で稼いだ金を自分のため
だけに使うことができる。この上親父にも幸せが訪れてくれていたら…俺の心配
事は全てなくなる。
俺は浮かれていた。
「いる」
期待していた答えが返ってきた。俺は更に浮かれた。
「おっ!どんな人なんだい?」
「お前と同い年」
愕然とした。
「さ、再婚する気なの?」
「それは絶対ない」
酒が入ればだらしない顔になるはずの親父の顔は、
生まれて初めて見る険しさに満ちていた。
60 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:36:01
親父は言った。「もう二度と結婚はしない」
「相手が若くたっていいじゃない。親父だってまだまだこれからなんだから」
俺は自分でも余計なお世話だと思えるほどに、一生懸命、親父を説得した。
自分本位な理由で。そして更に、馬鹿な俺は親父に言ってしまった。
「母ちゃんだって、相手を見つけたぜ?」
俺はなんという残酷な男だったんだろう。
親父は静かに言った。
「もう、母さんのことは口に出すな。知りたくもない。関わりたくもない」
やっと俺は親父の傷に気づいた。
そして親父は、今付き合っている娘も単なる遊びだ、とも言った。
事実、その後親父は何人もの女性と付き合ったり別れたりを繰り返した。
その内の何人かと実際に会ったこともある。
「遊び」だと言われている女性に引き合わされるのはたまったものでは
なかったが、いつか親父の心に変化が現れるのではないかという期待もあった。
だがその期待は今日に至るまで裏切られ続けることとなる。
61 名前:1 ◆SemWiFNIUE [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 02:39:03
太田家での晩餐を終え、アパートに帰った俺は思案に暮れた。
俺が恵子ちゃんと結婚などということになったらどうなるだろう。
恵子ちゃんが母の再婚相手の姪だと親父が知ったらどう思うだろう。
まだ恵子ちゃんとそんな関係になってもいないのに、
あれこれと脳内シミュレーションを繰り返す俺。
理屈でしか動けない、情けない男だった。
俺は決して親孝行な男ではない。
ただ親不孝なことはしたくないだけ。
そしてその思いは親父に対して尚、強い。
これ以上、親父から奪いたくはなかった。
67 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:27:54
従姉弟というつながりがある以上、完全に接触を断つことはできないが、
俺は恵子ちゃんへの想いを消すために距離をおくことにした。
幸い気持ちを彼女に伝える前だったし、今ならまだ抑制がきく。
俺は徐々に電話やメールの数を減らしていった。
2001年も最後の月を迎えた。
会社までの道すがら、クリスマス色の街を眺めながらふと思う。
(ウキウキしてたな、去年は)
しかしこの夜、そんな感傷も吹っ飛ぶような事件が、俺の身に起こった。
69 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:30:45
その日は多忙を極め、俺は残業のためにひとり会社に残っていた。
と、突然激しい痛みが胸を襲った。
息は荒くなり、鼓動は早鐘のように加速する。
(やばい…きた。また、きちまった)
俺はその痛みを憶えていた。
俺は昔、心臓を患っていた。
病名は“移動性ペースメーカー”。不整脈の一種だ。
心臓を機能させる心拍(鼓動)は、ある一点から規則的に発信される
電気信号によって正常に紡ぎだされる。
移動性ペースメーカーとは、その電気信号が心臓のあらゆる箇所から
デタラメに発信され鼓動が乱れる症状を言う。
多くは過労・心労から発症するらしく、
俺の場合も不規則な生活が祟った結果であった。
70 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:33:52
高校卒業後の俺はコンビニの夜勤で一年間アルバイトをした後、
知り合いのツテで出版業界に就職した。
今はどうかわからないが、当時のその世界は凄まじい労働環境下にあった。
朝から朝まで働き、家に帰ってもシャワーを浴びてまた会社にトンボ帰り。
俺の職種はライターだったから、原稿が煮詰まればタバコやコーヒーの量が
増える。原稿が上がれば上がったで、夜中でも初校のために印刷会社を
駆けずり回る。クライアントとの打ち合わせ、取材、資料集め…やることが
多すぎて24時間では一日が終わらない。それでも文章を書くことが好きだった
俺にとってその職は天職だと思っていたし、また家にもあまり居たくなかったから
仕事に対する意欲は持続できた。しかし身体が悲鳴を上げた。
71 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:35:37
ある時、俺は発作を起こし気絶した。潮時だった。
まだまだ俺は家計を支えなくてはいけない。こんなんで死ねない。
俺はその世界を去り、現在の会社に入って普通のサラリーマンとなった。
医者からもらった薬を服用しながら、お日様と共に生活する毎日。
社会人になってから初めて経験する“当たり前”の生活は効果覿面で、
俺はいつしか薬を必要としなくなった。
それが突然、再発した。なぜ???
それからは日を負うごとに発作の回数が増えた。なんだ?怖い。
一度、寝ている時に発作が起きてからは、夜眠るのも怖くなった。
そうして2001年は幕を閉じた。
74 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:37:13
年明け。
いよいよ危険だと感じた俺は大きな病院へと足を運んだ。
様々な検査で一日が暮れた。
検査のひとつにルームランナーみたいな機械で走らされるものがあった。
俺は検査の途中で死んじゃうんじゃないかと思った。
数日後、診断結果を説明しながら若い医者は言った。
「危なかったですよ」
めでたく手術入院が決定した。
入院の前日、俺はお父さんにお願いした。
「きっと気を遣うだろうから親戚の人たちには言わないで」
お父さんは約束してくれた。
病状は深刻だったが手術そのものはあまり難しくはないらしく、
1週間ほどで退院できるとのことだった。
手術は3日後で間があったが、友人や同僚がエロ本やらうなぎパイやらを
見舞いの品に携えて押し寄せたので、退屈はしなかった。
だがそこに期待した顔はなかった。
約束守り過ぎですよ、お父さん。ちょっとそう思った。
75 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:39:39
手術方法は胸をメスでかっさばいて…というものではなく、カテーテルという方法だった。
足の付け根から極細の電熱線を血管伝いに心臓まで通し、
心臓に散らばった不必要な電気信号発信点を電気で焼く、というものだ。
足の付け根って…えっ、股間!?部分麻酔をするから痛みはないですよと
医者は言ったが、いや、そうじゃなくて。…ということは、剃るんでしょ…。
屈辱的なプレイを経て手術が始まった。
76 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:41:45
手術はつつがなく…というわけにはいかなかった。
まず尿道に通されていたビニールチューブがはずれ、俺は尿まみれで手術を受け続けた。
1時間ほどで終わると言われていたので我慢していたが、2時間経ってもまだ終わる気配がない。
暇だから寝ちゃおうかと思ったが医者が寝るなと注意する。
もっとも寝ようにも手術台の横のモニターには俺の心臓が映し出されていて、
蠢くその心臓に無数の電線が絡み付いた不気味な映像が、俺の眠気を木っ端微塵にした。
手術は難航している。どうやら予想を上回る数の発信点が、後から後から現れるらしい。
それらを電気で焼くたびに、じわっと胸が熱くなる。もう発信点がないかどうかを調べるために、
わざと心臓マッサージで鼓動を激しくして不整脈を起こさせる。それが延々繰り返される。
仕舞いには胸の熱が耐えられない苦痛を伴ってきた。先生、ギブです。
「じゃあ、全身麻酔に切り替えますね。目をつぶって数を数えて〜」
ガスを吸わされながら「端っからこうしろよ」と毒づきつつ、俺は10まで数えないうちに眠りに落ちた。
77 名前:1 ◆SemWiFNIUE [] 投稿日:2005/11/13(日) 23:42:45
目覚めたら夜だった。結局手術は7時間かかったらしい。
身体は動かしてはいけないが食事は構わないということで、手術のために昨晩から
絶食させられていた俺は3食平らげた。付き添いの母が俺の口に食事を運びながら言った。
「よかった」
俺は食事に夢中で母の顔は見ていなかった。
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