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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





36: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:33:51 ID:gGNvDtuvts

368 :月と地球  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/16(金) 23:46:41.22 ID:N/i40Div0

「私も宇宙飛行士になって、月に行きたいって言うと、陸おじさんはこう諭すんだ。そのためには勉強を死ぬ気で頑張らないとな、って。これからの宇宙開発は、アメリカ単独ではなく、多国間で協力して進めていくようになる。
宇宙飛行士も、いろんな国から優秀な人材を選抜するようになるだろうから、その時、日本で一番の宇宙飛行士として選ばれるように、今から頑張らないといけないってさ。
私もアメリカ人になって、NASAに入って宇宙に行くんだって言い張ったけど、今から加奈ちゃんがNASAに入るのは難しいなあ、と言われたよ。それに、今の宇宙飛行士はNASAの職員じゃなくて、アメリカの軍人ばかりさ、って」
「それで諦めたんですか」
「いや、頑張ろうと思ったさ。勉強を。日本人の一番になるために。特に、語学は早いうちに始めた方がいいって言われたから、まず英語を習おうと思ったんだ。
夏休みの前にも、手紙でもそんなやりとりをしてて、思い立ったんだ。夏休みに入ったら、すぐに行くことにしたよ。でも、その最初の日のことだ」


37: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:35:33 ID:loeHvyRIOA


そこは日中、別の仕事をしている先生が、夜間に開いている塾だった。
私は日の暮れかけた道を歩いて、そこへ向かっていた。途中で筆箱を忘れたことに気づいて取りに帰ったりしたせいで、初日だというのに遅刻しそうになって少し焦っていた。
今みたいには舗装もちゃんとされていない道を早足で歩いてると、大きな廃工場の前を通りがかったんだ。
普段はあんまり通らない道だったから、何気なくその人気(ひとけ)のない不気味な建物の中を覗き込みながら通り過ぎようとしたら……
錆び付いてところどころ剥がれたスレートの波板の外壁、その二階部分に窓があって、そこに誰かがいた。すうっと、消えていったけど、確かに私のことを見下ろしていた。
人間じゃないことはすぐに分かった。そう感じたんだ。
怖くなって走った。走って、先へ進んだ。
だけど、遠ざかっていく廃工場が完全に見えなくなる曲がり角に来たとき、私は立ち止まった。
まず、自分が立ち止まったことに驚いた私は、その理由を考えた。
廃工場に戻りたいんだ。
そう考えた時、ゾクゾクした感触が背中を走り抜けたよ。


38: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:38:03 ID:gGNvDtuvts

369 :月と地球  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/16(金) 23:49:46.48 ID:N/i40Div0

あの見下ろす視線の、正体が知りたい。
それは、途方もなく魅惑的な誘惑だった。私はもうそのころには、自分のどうしようもない性癖に気づいていた。抗いがたい、怪異への欲求。それは私だけが求めるものではなく、怪異からも常に私は求められ、欲されていた。
振り向きたい。
いや、振り向いてはいけない。
塾の始まる時間は迫っていた。走って行かなくては間にあわない。勉強は明日から頑張ればいいや。一瞬、そんなことを考えもした。
でもそんな甘いことを言う人間が、日本の宇宙飛行士候補の一番になれるわけがない。そのことも、子どもながらに悟っていた。一事が万事だ。
戻るか、進むか。
振り向くか、振り向かないか。
その相反する二つの選択の、尖った岐路に私は立っていた。
わずかに残っていた夕日が山の向こうに消えて、夜の闇が背中から迫って来ている。人のいない道に、ただ一つ伸びていた私の影が見えなくなっていく。
塗装の剥がれたカーブミラーが道の隅にぽつんと一本立っていて、その大きな瞳に灯っていた光がゆっくりと死んで行こうとしていた。
戻るか、進むか。
振り向くか、振り向かないか。
お化けを見るか、宇宙飛行士になるか。
自分の呼吸の音だけが身体の中に響いていた。
やがて私は、一つの選択をする。
暗い淵に呼ばれるように私は、戻ることを選んだ。
曲がり角で振り向いて、廃工場の方へ足を踏み出す。
でもその瞬間、すぐ後ろで遠ざかっていく人の気配を感じた。足早に歩く靴の音まで聞こえる。ああ。もう一人の自分だ。身を焼かれるように宇宙飛行士に憧れた私は、進むことを選んだのだ。

戻った自分。
進んだ自分。

私は、その時二つに分かれた。
どちらも私だった。二人の私がお互いに背を向けて、歩き出したんだ。


39: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:40:51 ID:loeHvyRIOA

371 :月と地球  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/16(金) 23:52:51.89 ID:N/i40Div0

戻った私は、廃工場でこの世のものではないものを見た。とてもおぞましく、恐ろしく、美しかった。
それから、私は宇宙飛行士になりたいという夢を口にしなくなった。それは、あの時、英語の塾へ行った方の自分が叶えるべきものだったからだ。

陸おじさんは、その後数年でNASAを退職した。スペースシャトル時代がやってくる前にだ。何度かあったアメリカ政府の宇宙開発にかける予算削減のためだった。
様々な機器の外注が増え、陸おじさんもそんな業務を扱う民間企業に再就職したけれど、軍需産業にも多角的に経営の手を広げていったその企業の中にあっては、やがて宇宙開発に関するプロジェクトから外れることが多くなった。
『もう僕は、地球以外の場所で走行するための車両開発に関わることはないだろう』
寂しそうにそう言った時の彫りの深い横顔が今も脳裏に焼き付いている。その技術に全精力を費やした日々が、遠い彼方へ去っていったことへの、諦めと無力感だけがそこにはあった。
月面という新たな大地から、人類はしばらくの間、いや、ひょっとすると、永遠に去ってしまったんだ。 



40: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:41:36 ID:gGNvDtuvts


「時々、今でも思うんだ。あの塾へ向かう曲がり角で、進むことを選んだもう一人の自分のことを。そいつは、多分死ぬほど勉強したに違いない。血ヘドを吐くくらい。
それだけのものを捨てて来たんだから。そしてきっと日本で一番の宇宙飛行士候補になって、アストロノーツに選ばれ、宙(そら)に上がるんだ。
もう一人の私が選んだ世界は、人が人のまま他の天体に足を踏み下ろすことの価値を、子どものように信じている。私がそう信じたように。そんな世界なんだ。
そこでは有人月面着陸の計画が再び興され、私はそのクルーに選ばれる。そしてこの役得だけは譲れないという自信家の船長に続いて、二番目か、さらに控えめに三番目の、サーナンとシュミット以来となる月面歩行者になるんだ」
師匠は眠たげな声で、訥々と語る。隣にいる僕に聞かせるでもなく。
いつの間にか、虫の音が少し小さくなっていた。どこかとても遠くから聞えてくるようだった。


41: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:45:38 ID:gGNvDtuvts

372 :月と地球  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/16(金) 23:55:11.91 ID:N/i40Div0

「月面での様々なミッションが与えられていて、仲間たちは大忙しだ。私は陸おじさんがパーツの多くを開発した月面車(ルナビークル)で、そこら中を走り回るんだ。定期的に着陸機の中で眠り、数日が過ぎる。
アポロ計画のころより、ずっと長い滞在期間だ。その仕事に追われる日々の中、私は自由時間を与えられる。もちろん定時通信はするし、遠くにも行けない。
それでも着陸機や、棒で広げられた風にたなびかない星条旗なんかが視界に入らない場所まで行って、そこで私は一人で寝転がるんだ。そこはとても静かだ。
月の貧弱な重力では大気を繋ぎとめられなかったから、月面という地上にありながら、そこは真空の世界だ。宇宙服の中を循環する空気や冷却水の音。それだけがその世界の音なんだ。
大気がないために、視界がクリアでどこまでも遠くが見渡せる。それは寒気のする光景だ。白い大地と、黒い空。空と宇宙の境界線なんてありはしない。その大地のどこもすべて宇宙の底なんだ。
大地にも空にも、どんな生物も生きられない世界。地球を詰め込んだ、宇宙服がなければ…… 心細さに身体を震わせた私は、ふと誰かの視線を感じたような気がする。周囲を見回すけれど、誰もいない。
小さな丘の向こうにいる仲間たちの他には、誰もいないんだ。この三千八百万平方キロメートルという広大な大地の上に、誰一人。それを知っている私は、子どものころに見た幽霊を思い出す。
しかし、その幽霊すら、ここにはいない。いることができない。歴史上、この月面で、いや宇宙空間で死んだ人間は誰もいないのだから。幽霊のいない世界。私は今までに感じたことのない恐怖を覚える。
孤独が、大気の代わりに私を押し包む。感じていた視線は、いや視線の幻は、やがて消える。私は、宇宙飛行士が感じるというある種の錯覚のことを真剣に考える」
師匠は夢を見るように、うつろな表情で語り続ける。月光がその頬を青白く浮かび上がらせている。
僕はじっと師匠のことを見ていた。


42: 月と地球 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:48:09 ID:loeHvyRIOA

374 :月と地球  ラスト  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/17(土) 02:04:50.33 ID:MpcQHp2g0

「そうして私は、もう一人の自分のことを思い出す。小学校五年生の夏休み初日、英語の塾に行かず、廃工場へ戻って行った、もう一人の自分を。

その自分は、宇宙空間ではない、別の暗い世界の中を彷徨っているだろう。そうして普通の人間にはたどり着けない、恐ろしい光景を見たりしている。その自分は、今どうしているだろうか。
ひょっとすると、月を見上げて、昔二つに分かれてしまったもう一人の自分に想いをはせているだろうか。
こうして、月面に一人横たわり、青い円盤(ブルー・マーブル)と呼ばれる、宇宙の闇の中にぽつりと孤独に浮かぶ地球を、じっと見上げている自分のように」
月を見上げる自分と、地球を見上げる自分。
二人の自分が互いに、遠くて見えないもう一人の自分と視線を交し合っている。

その師匠の幻想を、僕はとても美しいと思った。そしてそれは同時に、肌寒くなるほど恐ろしかった。何故かは分からなかった。
しかしその月光に青白く濡れた横顔を見ていると、ふと思うのだった。
師匠の語る幻の中では、月世界に一人でいる彼女だけではなく、地球で今こうして藪と藪の間の斜面に寝転がっている彼女の方も、まるで一人だけでいるように思えたのだ。
そこにはすぐ隣にいるはずの僕も、いや、この日本、そして地球に存在するはずのあらゆる人間もいない。
ただこの惑星の夜の部分にたった一人でたたずむ、孤独な……

「出た」
ふいに、師匠が立ち上がった。
身体から離れていた精気が一瞬で戻ったようだった。
指さすその先に、儚げな光の筋がいくつも飛び交っているのが見えた。
ああ、人魂だ。
いや、蛍なのか。
光は尾を引いて、闇の中を音もなく舞っている。
僕は下草から漂う青い匂いを吸い込みながら、駆け出した師匠のお尻を追って立ち上がった。

(完)
43: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:49:19 ID:loeHvyRIOA
もう1話投下します
あと少しだけお待ち下さい
44: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:52:30 ID:gGNvDtuvts

862 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:46:06.31 ID:/4sM9Swo0

大学四回生の冬だった。

そのころの俺は、卒業に要する単位が全く足りないために早々と留年が決まっており、就職活動もひと段落してまったりしている同級生たちと同じように、悠々とした日々を送っていた。
とは言っても、それは外面上のことであり、実際はぼんやりとした将来への不安のために、真綿でじわじわ締め付けられるような日々でもあった。

親しい仲間と気の早い卒業旅行を終え、あとは卒論を頑張るだけだ、と言って分かれていく彼らを見送った後、俺の心にはぽっかりと穴のようなものが空いていた。
変化しないことへの焦燥と苛立ち。そしてその旅の途中で知ることになった、かつて好きだった人に子どもが出来ていたという事実に対する、なんだか自分でも説明し難い感情。
そのころの俺をはたから見ていれば、「無気力」という言葉がぴったりくる状態だっただろう。
しかし、この身体の中にはさまざまな葛藤や思いが渦を巻き、それが外へ噴き出すこともなく、ただひたすら体内で循環しつつ二酸化炭素濃度を増しているのだった。


45: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:54:11 ID:loeHvyRIOA

『デートしよう』
というメールを見ても、その無気力状態からは脱せず、やれやれという感じで敷きっぱなしの座布団から腰を上げた、というのが実際のところだった。

指定されたカレー屋に向かうと、メールの送り主がめずらしく先に来ていて、奥まった席に一人でちょこんと座っていた。

その少女は黒で固めたゴシックな服装をしている。今日はなにやら頭に黒い飾りもつけているようだ。
店内の不特定多数の視線がそわそわと彼女に向いているのが雰囲気で分かる。格好の珍しさだけではなく、それが良く似合っていて可愛らしい風貌をしていることが原因だろう。そんな子が一人で座っているのだから、仕方のないことだった。
そういう視線が集まっているところへ、こんな冬の間ずっと着ていてヨレヨレになっているジャケットの眼鏡男が無精ヒゲを生やして、のっそりと歩いて行くのはさすがに気が引ける思いがした。

「おっす」
黒い子がこちらを見て軽く手を挙げた。相変わらず軽い感じだ。彼女の『デートしよう』、というのは『こんにちわ』と訳せるのを知っている俺は、「うす」とだけ言って向かいに腰掛けた。
一瞬背中に集まった視線が、また徐々に霧散していくのを感じながら、「今日はなんだ」と訊いた。


46: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 02:57:04 ID:loeHvyRIOA

863 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:48:31.35 ID:/4sM9Swo0

その子は音響というハンドルネームで、ネット上のオカルト関係のフォーラムに出入りしている変な子だった。
かく言う俺も、かつてその手の場所には良く出入りしていたが、もう興味も気力も絶えて久しく、ほとんど足を踏み入れなくなっていた。

「瑠璃ちゃんが帰ったよ」
音響がカレーの注文を終えてから口を開いた。
「帰ったって、ニューヨークへか」
「うん」
そうか。あの子はもうこの街からいなくなったのか。
俺は音響と双子の姉妹のような格好をしていた少女のことを思い出す。
あの不思議な瞳をした少女は一年半前にふいにこの街にやって来て、それを待ち構えていた恐ろしい災厄を、はからずも自ら招き寄せたのだった。それも様々なものを巻き込んで。

その時のことを思い出して、ゾッと鳥肌が立つ。この街にじっと潜んでいた、見えざる悪意のことをだ。
今でも現実感がない。
それと関わったがために去って行った人たち。そして死んでいった人たち。頭の中で指折り数えても、どこか夢の中の出来事のようだ。
確かに人となりは浮かぶ。伝え聞いたとおりに。そして会ったことがある人は、その顔も。しかし、どれもまるでぶ厚いガラスの向こう側にある景色のようだ。
怪物の生まれた夜に集った人たちはもう全員いなくなってしまった。それだけではない。ヤクザも。通り魔も。あの吸血鬼でさえ。
一人、一人と、順番に。時に、まったく無関係であるかのように、ひっそりと。だが、確実にその見えざる悪意は、敵対したすべての存在をこの街から消していった。
その誰もが俺なんかよりずっと凄い人たちだった。なのに。なのにだ。
思わず怖気(おぞけ)で身体が震える。
そんな恐ろしい相手から、最後の標的である瑠璃という名前のその少女を、俺と音響の二人だけで死守する羽目になったのだ。今にして思っても考えられない事態だ。
頼みの綱である俺の師匠さえ、その時点ですでに使い物にならない状態だったのだから。
じっとりと手のひらが汗ばんでいる。思い出すだけでこれだ。

「卒業って、どうなったの」
音響がスプーンを置いて突然そう訊いて来た。
急に現実に引き戻される。そう。どこにでもいる、留年組の大学生の自分に。


47: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:00:09 ID:gGNvDtuvts

864 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:51:31.78 ID:/4sM9Swo0

「あと二年はかかるな」
と答えると、「ダッサ」と言われた。
お返しに、お前はどうなんだ、と訊いた。
「今年受験だろ。こんなところで油売ってる暇があるのか」
「いいの。余裕だから」
「どこ受けるんだ」
「師匠んとこの大学」
「師匠って言うな」
この小娘は、このところ嫌がらせで俺のことを師匠と呼ぶのだ。もちろん全部知った上でのことなので、始末に悪い。明らかにニュアンス的に尊敬の成分はゼロだ。俺がそう呼んでいた時以上に酷い。

「ていうか、うちの大学が余裕かよ。腐っても国立だぞ」
それにそんなに余裕ならもっと上の大学を受ければいいじゃないか。
そう言おうとしたら、先回りされた。
「お母さんが、地元にしなさいって」
あっそ。
地元民の国立大生の女は学力的にワンランク上の法則ってやつか。アホそうな見た目に忘れてしまいそうになるが、こいつは帰国子女で英語ペラペラだったな。
住んだことのある国の言語を読み書きできるという、ただそれだけで、点数配分の多い課目で大きなアドバンテージになるというのは、ずるい気がする。

「そう言えば、あの角南さんは卒業?」
「ああ」
不貞腐れて頷く。普通の大学生は四年経ったら卒業するの!
そう言って、きつめのスパイスに痛めつけられた喉に水を流し込む。

「で、用件はなんだ。このあとデートでもしようってか」
この小娘に呼び出される時は、その九割が妙なことに首を突っ込んだ挙句の尻拭いのお願いだった。
「それなんだけどね」
音響はそう言って平らげたカレーの皿をテーブルの隅に押しやる。そして黒いふわふわしたバッグから一冊の本を取り出して目の前に置いた。

やはり残りの一割ではないらしい。
しかし出されたその本を見て、おや、と思った。見覚えがあるのだ。


48: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:03:28 ID:loeHvyRIOA

866 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:52:53.03 ID:/4sM9Swo0

「『ソレマンの空間艇』じゃないか」
子どものころに読んだジュブナイルのSF小説だ。タイトルが印象的だったから覚えていたが、内容はすぐには浮かんでこなかった。
日本人の子どもが宇宙船に乗り込んで大冒険をする話だったような……

「へえ、そうなんだ」
なんとか思い出そうとしている俺を、全く興味なさげに音響は切って捨てた。
「自分で持って来たんだろ」
ムカッとしたのでそう言い返すと、音響は不思議なことを口にした。
「この本の内容のことなんだけど、この本のことじゃないの」
一瞬、うん? と目を上の方にやってしまった。なにか禅問答のような言葉だ。
「私の友だちから相談を受けたんだ。その子の弟のことで」
音響はそうしてその禅問答の説明を始めた。



そのクラスメイトの女子生徒には小学生の弟がいた。
それがなんだか最近弟の様子が変だったのだそうだ。よそよそしかったり、話しかけると怒ったり。単に反抗期だと思っていたが、ある日弟の部屋に入ろうとすると、急になにかを隠して「出てってよ」と怒った。
背中に隠したのは本のようだった。どこからかいやらしい本を手に入れて見ていたのだろう。
なるほどそういうことか、と思ってその時はそれ以上深く詮索しないであげた。
ところが、その数日後、夜中にふと目が覚めてしまった彼女は自分の部屋から出てトイレに行った。
その途中、弟の部屋の前を通ったのだが、ドアが少し開いていた。いつもなら閉めてやりもせず、そのまま通り過ぎるところだが、中からなにかの気配を感じて彼女は立ち止まった。
弟が起きているのだろうか。
そう思ったが、電気は消えている。部屋は真っ暗だ。
そっとドアに近づき、隙間から中を伺おうとする。しかし、廊下側の明かりのせいで自分がドアの前に立つと、中からはきっと人が来たことが分かってしまうだろう。
そう思い、ドアのすぐ横に身体を貼り付けるようにして聞き耳を立てたのだった。


49: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:05:07 ID:gGNvDtuvts

867 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:55:29.81 ID:/4sM9Swo0

その時、彼女の耳は奇妙な音を拾い上げた。

シャリ……
シャリ……

聞き馴染みのある音。
けれど今この状況では聞えるはずのない音。
彼女は妙な悪寒に襲われた。

シャリ……
シャリ……

紙の捲れる音。
紙の表面が指と擦れ合う音。

シャリ……
シャリ……

――――本を読んでいる時の音だった。
部屋の中は真っ暗なのに?
彼女は背筋を走る痺れに身を震わせる。
弟が布団を被ってその中で懐中電灯をつけているわけでもない。光も全く漏れないように布団を被っているなら、そんな繊細な音も部屋の外へ漏れ出ては来ないだろう。
弟は、暗闇の中で本を読んでいるのだ。
心臓がドキドキしている。彼女は思い出していた。弟の通う小学校で密かに語られている噂話のことを。
『夜の書』と呼ばれる本のことだ。学校の七不思議の一つだった。
図書館に一冊の本がある。それは昼間にはただの普通の本なのだが、夜みんなが寝静まってから一人で部屋を暗くしてページを捲ると、まったく違う本になるのだ。
真っ暗で何も見えなくてもその本は読めるのである。その本の中には、とても恐ろしくて、そしてゾクゾクするほど楽しい遊びの仕方が書いてある。


50: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:08:10 ID:loeHvyRIOA

868 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:57:50.88 ID:/4sM9Swo0

最後まで読むと、信じられないようなことが起こるらしい。その先は色々な噂があってはっきりしない。
悪魔が出てくるとか、死神が出てくるとかいう話もあれば、本の言う通りのことをすると、窓の外にUFOが現れる、という話もあった。
未来や過去の世界に行った子どもの噂も聞いたことがある。
いかにも子どもっぽい噂話だ。

けれど彼女自身その小学校の卒業生だった。そしてその本を読んでしまったせいで頭が変になり、二階の教室の窓から飛び出して大怪我をした同級生が実際にいたのだ。
もっともその本を読んだせいだということ自体がただの噂話と言えば噂話だ。
しかし先生たちがそんな流言飛語を封じ込めようとすればするほど、みんなその噂を信じた。

結局その同級生が持っていた『夜の書』は大人に焼かれてしまった。けれど、もとからそんな本はないのだ。焼かれても別の本が暗闇の中でしか読めない『夜の書』になり、また誰かの手に取られるのを図書館の隅でじっと待っている……

彼女はドキドキしている胸を押さえ、ドアの横で必死に息を整えた。
そうして「なにしてるの」と言いながら、ドアを開けた。


51: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:11:24 ID:gGNvDtuvts



店員がコップの水を入れに来たので、音響がそこで話を止めた。俺はテーブルに置かれた『ソレマンの空間艇』をまじまじと見つめる。

「で、そのお前の同級生の弟くんは、真っ暗な部屋でこれを読んでたってわけか」
「そう」
「どんな様子だったんだ」
「明かりをつけたら目が血走ってて、なんか訳の分かんないことを言ってたらしいよ。とにかく取り上げたら落ち着いたらしいけど」
「ふうん」
俺はテーブルの上の本に手を伸ばした。手に取ってパラパラと捲る。かなり古い本なのか、表紙や小口は色が褪せてしまっているが、あまり読まれてはいないようだ。中はわりに綺麗だった。
音響が少し驚いた顔で俺を見ている。
それに気づいて「なに」と訊くと、「ホントの話なんだけど」と言う。
「別に嘘だなんて言ってないぞ」


52: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:13:43 ID:gGNvDtuvts

870 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 20:59:58.30 ID:/4sM9Swo0

だいたい、どんな信じ難い話でもそれなりに耐性はついている。
それに音響が持ってくるやっかいごとは、これまですべて実体を伴っていた。それが良いことなのかどうかは置いておくとしても。

「よくそんなあっさり触れるね」
呆れたように言われてようやく、ああ、そういうことか、と気づく。
普通の人の感覚ならば、そんな話を聞かされた後では気持ちが悪くて触れないのだろう。いくら昼間は普通の本だと聞かされていてもだ。
オカルトにどっぷりと浸かっていた日々が、意識しなくともこの善良な小市民たる俺の脳みそをやはり非常識側にシフトしてしまっているということか。
しかしこいつに言われると何故かショックだ。
「それで、どうしたいんだ」
本を置き、表紙をトントンと指先で叩く。「どうせ、その話聞かされて、なんとかするからって安請け合いしたんだろ」

『夜の書』というやつはある意味、夜の闇の中でしか実体がない存在だ。
今のこの『ソレマンの空間艇』にしたところで仮の宿主に過ぎず、燃やすなり破り捨てるなりしたって、図書館の別の本に寄生し直すだけということだろう。
少なくとも噂の構造がそうなっている。

「その話を聞かされて、なんとかするからって言っちゃったの」
あ、そう。
「で?」
「なんとかして」
「自分ですれば」
「お願い師匠」
わざとらしいお願いポーズを無視して、もう一度俺は本のページを開く。
「真っ暗なのに読めるって、どういう現象なんだ」
音響に向かって、「お前、読んだか」と訊く。
すると両手の指を胸の前で組んだまま、首を左右に振った。
「だって怖いの」
「嘘つけ」
「だって受験生だから」
「受験生だから?」
俺がそう問い返すと、音響は口の端だけで笑った。
「……面白かったら、やばいじゃん」
こいつも筋金入りだ。
あらためてそう思う。


53: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:18:42 ID:loeHvyRIOA

872 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 21:03:09.85 ID:/4sM9Swo0

「で、お前の同級生も怖くて読んでない、と。……弟はなんて言ってんだ」
「ええと。とにかくなんでか読めたんだって」
実に有益な情報だ。すばらし過ぎる。
「弟はどうしてこの本がそうだと気づいたんだ」
「別に『夜の書』だと思って借りたんじゃないんだって。たまたま借りた本がそうだっただけってさ」
「それは、ちょっとおかしいぞ」
「なんで」
俺は少し頭の中を整理する。
「だったら、どうして部屋を真っ暗にして読んだんだ」
「え」
「部屋を暗くして読まないと、そもそもそういう本だと気づかないだろ」
そう言われて、音響はふうん、と唸った。
「さあ。たまたまなんじゃない?」
これ以上情報は出てきそうになかった。
「『夜の書』は一冊なのか」
「そう聞いてる」

つまりひとつの寄生体のような存在が、見つかって宿主の本を破棄されるたびに別の本へと移動しているということか。
その間に子どもたちを魅了し、危険な状態に追い込みながら。

それにしても。
と、俺はふと思った。「『夜の書』ってのは、小学生らしくないネーミングだな」と呟く。
噂の出所は案外教師なのかも知れない。
考え込んでいる俺を音響がじっと見ていた。
「なんだ」
「なんとかしてくれそう」
そう言ってまた両手の指を組んだ。
俺はそれを見ながら言った。
「ゴスロリって、そんな感情表現豊かでいいのか」



その夜のことだ。


54: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:22:06 ID:gGNvDtuvts

874 :本  ◆oJUBn2VTGE :2013/08/23(金) 21:15:47.49 ID:/4sM9Swo0

俺は自分の部屋で一人、パソコン上でダービースタリオンというゲームをしていた。
いい競走馬が出来たので、それを育てるのに熱中していて、気がつくと夜の一時を回っていた。
時計を見た時、なにかすることがあった気がして軽く不安になる。
ああ、音響から預かった本のことだ。
それを思い出してホッとする。
心置きなくゲームに戻ろうとしたが、なんだかそういうわけにもいかない気がしてきて、しぶしぶセーブをしてからパソコンの電源を落とした。

どこに置いたかいな。と、部屋の中を見回す。
するとベッドの上に放り出してあった。
『ソレマンの空間艇』石川英輔 作
とある。
そう言えばどういう話だったか思い出そうしていたのが途中だった。
俺はこたつに移動し、本を広げた。

その本は、文夫という少年が学者先生と浅間山に登山に出かけた時に、ソレマン人と名乗る宇宙人のUFOに捕らえられ、冒険をすることになる話だった。
実は現生人類以前に存在した地球上の知的生命体であったソレマン人たちが、旅立った先の遠い宇宙で滅亡の危機に瀕していて、それを救うため、かつて彼らの先祖が地球に残したというある遺産を一緒に探す、という筋だ。


55: 本 ◆LaKVRye0d.:2017/1/30(月) 03:23:57 ID:loeHvyRIOA

子どものころに読んだ時は、SFというちょっと大人のお話という感覚でいたのだが、今読むとやはりジュブナイルであり、文体には違和感があった。こんなだったかなあ、と。
しかしそれでも読み始めると意外に面白くて、俺はそのまま読み進めた。すると物語が佳境に差し掛かったあたりで、ふいに妙な文章が出てきた。
《そんなことより、遊ぼうよ》
ん? とそこで止まった。
地の文からいきなり読者へ語り掛けてきたのだ。不自然なメタレベルの文章だ。
次の一文を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
《うしろをむいてごらん》
地の文は続けて今この本を読んでいる俺に呼び掛けている。うしろをむいてごらん、と誘っているのだ。
これは……
気がつくとなんとも言えない嫌な耳鳴りがしている。空気がヒリつく。
呼び掛けの内容のことだけじゃない。俺は全く気づかなかったのだ。
今の今まで、同じ本を同じように読んでいるつもりだった。しかし、いつの間にか部屋の電気は消えていた。


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