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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





196: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:41:21 ID:HMJYUJcabU

私の学校は街なかにあり、その近くの公園にホームレスが一人住み着いていた。
みんなからはヒロさんと呼ばれていた。
わずかな遊具がちらばる公園の一番隅に段ボールで陣地を張って生活していた。
登下校の際に街を抜けるルートを取ると、必ずその公園の前を通るのだが、はじめはこういう生活をしている人自体が珍しくてしげしげと見ていて、やがてそのヒロさんのキャラクターに惹かれるようになった。
テレビで見る都会のホームレスたちは、独自の世界、そしてテリトリーを作っていて、自分たち以外の社会と目に見えない壁を形成しているように思える。どちら側から作った壁なのかは分からないが、それを越えてくるものには警戒し、必要がなければその壁の向こうの世界は、「ない」ものとして視線も向けない。少なくとも私にはそう感じられた。
しかしこのヒロさんは、いつも公園の前を通る人に挨拶をするのだ。
明るい声で「おはようございます」と。
私も初めて声をかけられたときは、人の生活空間をじろじろ見ていたという罪悪感で、返事ができなかった。
ただヒロさんの方には嫌味や悪意がないのはすぐ分かった。いつもにこにこしていて、その前歯が欠けた顔を見ていると、こちらまでつられて笑ってしまう。
ただ、昼でも夜でもその「おはようございます」という挨拶が変わらないので、「おや?」と思った。
そして、気がついてそういうフィルターを通して見ると、納得した。
ヒロさんには知的障害があった。
「おはようございます」だけは言い慣れているせいか流暢なのだが、それ以外の言葉を喋ろうとするとひどくどもった。吃音症と言うのか。
たまに他の人から話しかけられると、「うん、うん」と言ってにこにこするだけで、どこまで理解しているのかよく分からない。
都会と違って、そうした人を対象にした日雇い仕事や炊き出しなどもないはずだった。
空き瓶を拾って歩いているのを見たことはあったが、それだけで食べていけるのだろうか。
出来あいの弁当を食べているのを見たことがあるので、近所のコンビニやスーパーから残り物を分けてもらっているのかも知れない。
しかし私がこの不思議と追い出されることのない奇妙な公園の住人に惹かれた本当の理由は、彼の右手にあった。


197: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:44:35 ID:HMJYUJcabU

ヒロさんはいつも右の手のひらを握りしめている。拳骨を作っているというよりも、何かを握りこんでいるような格好だった。
最初は何を持っているのだろうと不思議に思っただけだったが、やがていつ見ても同じように握っていることに気がついた。
「おはようございます」と挨拶をする時も、空き瓶を拾って歩いている時も、弁当を食べている時も、公園の手洗い場で顔を洗っている時も、いつもその右手はグーの形に握ったままだった。
指や手のひらがまったく使えないから、ほとんど右手は役に立たない。左手で何かをする時に、添えるくらいだ。
拾ってきたものをボロボロの布袋に詰め込もうとしている時に、右手が使えないせいでなかなか上手くいかず、見ているこっちがもどかしくなった。
昔読んだ野口英世の伝記からのイメージで、火傷かなにかのせいで指が張り付いて治らないのだろうかとも思ったが、その指の血色の良さからすると、どうも違うようだった。
「あー、それ、知ってるよ」
真相を教えてくれたのはヨーコだった。
「うち、お母さんもこの学校の卒業生なんだけど、そのころからいたらしいよ」
母親から聞かされたというのはこんな話だった。
ヒロさんは昔、幸せの妖精を捕まえたのだそうだ。その右手で。手のひらを開けると妖精は逃げてしまうので、逃げてしまわないようにいつも右手は握ったまま。
朝、昼、晩、起きている時も、寝ている時も、いつもいつでも。
「だってさ。いや、噂じゃなくて、ホントに本人がそう言ってたの聞いたんだって。うちのお母さん」
幸せの妖精か。
私はそれを聞いて、心のどこかに針が刺さったような痛みを覚えた。
ヒロさんは、その幸せの妖精を逃がさないようにずっと手を握りしめているのか。そのせいで、きっと仕事もできなくなっただろう。ホームレスをしていく上でも、具合の悪いことばかりあったに違いない。
それが幸せな人生なのだろうか。
「バカよ、バカ。でもロマンティックね。幸せの妖精をつかまえたホームレス!」
ヨーコは空に手をかざして、太陽をつかもうとする仕草をした。


198: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:46:07 ID:pIgPmzpxL2

私は以前読んだ星新一のショートショートを思い出していた。
見知らぬ鍵を拾った男が、その鍵で開けることのできる扉を探して人生を送る話だ。
まだ見ぬその扉の向こうを夢見ながら。
扉が見つからないまま、やがて年老いた彼はついにその鍵に合う扉を自ら作った。
そして開かれた扉からは女神が現れ、望みをかなえてあげようと言う。
彼は答える。「老人に必要なものは思い出だけだ。そしてそれは持っている」と。
いつかその鍵で扉を開けることを夢見て生きてきたその人生そのものが、他の何にも替えがたい大切なものだったということか。
美談だと思う。しかしヒロさんの場合はどうだろうか。
ヒロさんが、拾った大量の雑誌を道端でぶちまけてしまったのを見たことがある。左手だけで不器用に一冊一冊拾っていたその小さな後ろ姿を思い出して、少し哀しくなった。

四月も半ばを過ぎた。
新しい集団生活に最初は硬かったクラスメートたちも少しずつ打ち解けてきたようだ。
もちろん私には関係のない話だ。私は気の置けない友人が一人いればそれでいい。
そんな私とは違い、ヨーコは充分に社交的で、今後クラスの中心になっていきそうな垢抜けたグル―プの子とも普通におしゃべりをしていた。
しかし私の性格を見抜いたのか、そのグループに無理やり私を繋ごうとはせず、放課後には「いっしょに帰ろ」と私の所へ一人でやって来るのだ。
変わらないでいいよ。
そう言われているような気がした。


199: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:49:09 ID:HMJYUJcabU

並んで歩きながら一方的に喋るヨーコの声を、どこか心地良く聴きながら、私も変われるだろうかと、そんなことを思っていた。
そのヨーコが「今日は用事があるから」と先に帰ってしまった日、私は一人で学校からの帰り道を歩いていた。公園の前を通りがかった時、数人の男の声が聞えてきた。
公園の中に他校の制服を着た数人の男子学生がたむろしていて、下品な笑い声を上げている。たまにこの辺りでだべっているのを見かける連中だ。いわゆる不良グループなのだろう。髪か、柄Tか、ピアスか。示し合わせたかのように全員なにかしらの校則違反をしている。
わざわざ我が女子高の近くでたむろするのは、それに不純異性交遊を加えたいからだろうが、現にうちの生徒らしい女子がそこに混ざっているのを何度か見かけたことがある。揃ってタバコを吸っていた。仲の良いことだ。私もタバコは吸うが、その時間は誰にも邪魔はされたくない。
ようするに彼らにとってタバコを吸うという行為は、それ自体が目的なのではなく仲間を作り、そしてそれを維持するためのイニシエーションなのだろう。
なんにせよ私には関係のないことだ。
その時も、横目で眺めただけで通り過ぎようとした。
だが、彼らが公園の奥の段ボールハウスからヒロさんを引きずり出そうとしているのが目に入り、思わず足を止めた。
「センパイ、センパイ。人生についてちょっと教えてくださいよ」などとからかいながら、ヒロさんの家を足蹴にしていた。ヒロさんはうーうー、と呻きながら両手を合わせて許しを請うような仕草をしていたが、右手は例のごとく拳を握ったままなので奇妙な格好になってしまっていた。それを見てまた彼らは喜んで囃し立てる。
「おい、オッサン。それ、なんだよ」「立会い前の構えかよ」「ショーリンジ、ショーリンジじゃね?」「すげー。やる気満々」
そうして一人がヒロさんを小突いた。ひょー、という頭の悪そうな歓声が上がる。


200: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:51:27 ID:pIgPmzpxL2

私は公園に足を踏み入れた。
「ねえ。やめたら」
不良たちは揃って私を見る。
「はあ?」
一人が顔を突き出しながら一歩前に出る。一際頭の悪そうなやつだ。
しまった。なんで首突っ込んでんだろ。
思わず周囲を見回すが武器になりそうなものはない。棒切れでもあれば三、四人ならなんとかなるんだが…… すでに後悔し始めている。
なにか下品なことを言いながら、男が顔を近づける。私は緊張していて、意味が頭に入らない。
ヨーコならこんな時どうするだろうか。ふとそんなことが浮かんだ。
きっと痴漢だ、痴漢だと大きな声で叫ぶだろう。そして近所の家から顔を覗かせた人に、助けてと手を振るのだ。
無理だな。私には。
役にも立たない結論が出たところで、目の前の男たちがヘラヘラ笑いながら地面に唾を吐いて私の横を通り過ぎて行った。
助かった。そう思うとホッとして膝の力が抜けた。彼らはそのまま公園を出て行ったようだ。
ヘタに口答えなどしなかったから良かったのだろうか。何を言われたのか良く覚えていないのだが。
そうだ。ヒロさんは?
前を見ると、草むらに蹴飛ばされていた数少ない家具である鍋を、小さな身体を折り曲げて拾っていた。
「大丈夫?」
「うんうん」
私の言葉に振り向いて照れくさそうに頷いている。いつも公園を通りがかるたびに『おはようございます』と挨拶をしてくれているが、私のことは覚えてくれているのだろうか。
近くのベンチに腰掛け、ポケットから煙草を取り出す。「ヒロさん、吸う?」
私の申し出に、目を丸くして左手を左右に振った。どうやら元々吸わないらしい。勝手なイメージで、ホームレスの人たちはみんなタバコと酒が唯一の生きがいみたいになっているものだと思っていたのだが。
公園の手洗い場で鍋を洗い始めたヒロさんの小さな背中を見ながら、咥えたタバコに火をつける。


201: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:53:44 ID:pIgPmzpxL2

「ヒロさん。それ、右手、なにを握ってるの」
口にしてから気づいた。さっきの不良どもと同じようなことを言っている。そんなつもりはないのだが。
慌てて、別に嫌だったら答えなくていいよ、と付け足した。
するとヒロさんはニッコリ笑うと、大事なものだ、というようなことを言った。
「幸せの妖精?」
うんうん。
前歯の欠けた顔で笑う。
ヨーコの言っていたとおりだ。ヒロさんは、ずっと昔につかまえた幸せの妖精を逃がさないためにその右手をいつも握り締めているのだ。
「ねえヒロさん」
祖父くらいの歳のその公園の住人に、いったいなにを言おうとしたのか。高校に上がったばかりの小娘が、訳知り顔で他人の生き方を否定するようなことを?
私は口をつぐみ、自分の手のひらを見つめる。ヒロさんは不思議そうにしている。
ふとこんな話を思い出した。
妖精が現れることで有名なある村を訪れた人が、村人にこう訊ねた。
『あなたは妖精を信じますか』
村人は『いいや、信じない』と答えた。
さらに彼は出会った村人に次々と同じ問い掛けをしたが、みんな同じように『信じない』と答えた。
不思議に思った彼は、最後に出会った村人にこう訊いた。『この村には本当に妖精が現れるのだという噂を聞いて訪ねて来たのですが、あなたがたはみんな妖精を信じないと言う。これはいったいどういうことでしょう』
村人は答えた。
『あたりまえさ。このあたりの妖精はみんなひどい嘘つきなんだ。誰が信じるものか』
……そんな話だ。
信じる、という言葉がダブルミーニングになっているジョークだ。
新調したばかりらしい綺麗な段ボールハウスは朝方に降った雨でもう湿ってしまっている。
幸せの妖精か。ヒロさんがつかまえたのが、本当にそうであればいい。
そう願わずにはいられなかった。


202: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:55:41 ID:HMJYUJcabU

「小学生みたいなことを」
帰りのホームルームの時間にザビエルはぼそりと言って黒板消しを掴んだ。
黒板の隅に傘の絵があり、その下に『松尾・野田』という名前が書いてある。さっきザビエルが教室に入ってくる前にあの辺でたむろしていた連中の誰かが書いたのだろう。
いい加減、からかわれている方が飽きてしまったのか、最近は反応が鈍い。溜め息をつくだけで、犯人を探そうともせず、サッサと消してしまった。何ごともなかったかのように連絡事項を伝えて、日直に合図をする。
起立、礼、着席、の号令の後で「ああ、それから、山中はこのあと職員室に来なさい」と付け加えた。
なんだ。もうタバコがばれたのか。
私は少し緊張した。
「ちひろちゃん、大丈夫?」
ヨーコが近寄ってきた。「大丈夫、大丈夫」気楽に手を振るが内心はそうでもなかった。するとヨーコは心配そうに余計なことを教えてくれた。
ザビエルが、ある特殊な性癖を持っている、という噂である。ようするに女子高生が好きらしい、というのだ。
「ふ」
鼻で笑ってしまった。
ザビエルは元々バレーボールをやっていて、国体にも出たことがあるような選手だったのだが、この高校のバレー部の顧問には、すでに大先輩にあたる教師が居座っていた。教師は必ず一つは部活の顧問を割り当てられるようになっているので、ザビエルはしぶしぶ新聞部の顧問を受け持っているが、ほとんど放し飼い状態で全然部室にも顔を出さないらしい。
ヨーコいわく、合法的に女子生徒と肉体的接触ができるバレー部には今でもこだわりがあり、今の顧問のヒヒジジイを蹴落とす策を練っているとのことだった。また暇な分、生徒指導の担当のごとく、街を徘徊して我が校の生徒の弱みを握ろうと精力的に活動している……
まことしやかにそう教えてくれた。
弱みか。
タバコがばれたとして、即座に停学をくらうのと、なんらかの取り引きを吹っかけてくるのと、どちらがマシだろうか。
私はヨーコの頭を撫でてやり、職員室に向かった。放課後の職員室は、まだ教師たちが机に大勢残っていた。ちらほらと生徒の姿も見え、ざわざわした雰囲気に包まれている。


203: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:59:02 ID:HMJYUJcabU

「お、山中。こっちだ」
ザビエルが手招きしている席へ向かうと、「あー、なんだ。ちょっとこっちへ」と歯切れ悪く立ち上がり、奥に設えられた応接室へ連れて行かれた。
いよいよまずいな。先を歩く背中を見ながらそう思った。
テーブルの前に座ると、ザビエルは溜め息をついて口を開く。
「見たぞ」
動揺する。が、それをなるべく気取られないように平静を装った。なにを見たのか分からないが、ただのカマかけの可能性もある。
「なんのことですか」
「こないだ、街で」
じっと試すように私の顔を見る。
街? 校内で吸っているタバコのことではないのだろうか。
「その…… そういうホテルが並んでいるところでお前の姿をだ」
「なんのことか分かりません。家に帰る近道にそういう通りがありますけど」
焦る。このあいだホテルから出るときに先にザビエルを見つけて隠れた時があったが、あの時向こうにも気づかれていたのだろうか。
「…………」
真正面から目の奥を見つめられる。逸らしたら負けだ。睨まないように、しかし思い切り目に力を入れて見つめ返した。
しばらくそのままの格好で二人とも動かなかったが、やがてザビエルの方が根負けしたように息を吐くと「分かった」と言った。
「あの辺は治安が悪い。通らないようにしなさい。変な連中に声をかけられたことはないか」
それからは何度も聞いたようなお説教を繰り返し、ようやく開放されそうになった。雰囲気を察して腰を浮かしかけたところで、ふと思いついてこちらから訊いてみた。


204: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:00:35 ID:pIgPmzpxL2

「先生。街へ行く時に通る公園で、ホームレスがいるでしょう」
「ああ。いるな」
「珍しいですよね。この辺でホームレスなんて」
ザビエルもこの辺が実家だと聞いたことがあった。昔からヒロさんのことを知っているのかも知れない。
「人には事情があるんだ。じろじろ見たりするんじゃないぞ」
どうやら知ってはいるようだ。しかし不機嫌そうにあっさり話を打ち切った。大人にとっては、ホームレスなど地域の不安要素に過ぎないのだろう。関わりたくない、壁の向こうの住人だ。まして教師にとっては、生徒に教えたくない社会の矛盾そのものなのかも知れない。
「そんなことより、山中。おまえちょっとその髪、長すぎないか」
ザビエルはそう言いながらいきなり腕を伸ばして、私の頭を触ろうとした。
「触るな」
思わず鋭い口調でその手を払う。バシンという強い衝撃があった。
しかしすぐに我に返り、「すみません」と謝った。せっかく終わりかけた説教が伸びるかも知れない。
ザビエルは驚いた様子で振り払われた自分の手と私の顔を交互に見ていたが、「とにかく、髪はあまり長くならないようにしなさい」と、取り繕うように言って立ち上がった。
私はホッとして頭を下げる。よかった。
でもヨーコのせいだ。女子生徒が好きなどと変なことを言うから、とっさにそれが頭をよぎってしまった。自分にもあんなに嫌悪感があるなんて思わなかった。
頭を軽く下げて職員室を出て、教室に戻ると、まばらになったクラスメートたちの中にヨーコの姿もあった。どうやら待ってくれていたらしい。
「大丈夫だった? 一緒に帰ろうぜい」
その頭にチョップを食らわす。
「痛っ」
「街、行こう」
教師の説教など、知ったことではない。髪は伸ばすし、タバコは吸うし、不良行為も色々する。そのどれも、自分が自分であるために、あたりまえにしているだけのことだ。自分の中で、守るべき善悪の境界を持って、何が悪いんだ?
「なによう」
ヨーコは頭を庇いながら笑っていた。


205: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:02:48 ID:pIgPmzpxL2

初々しい四月も終わり、私たちもどうやらこの高校生活とやらがしばらく続くらしいということを実感し始めていた。
学校の外にも、ようやく暖かさが出てきた。今年は桜の開花も遅く、街を歩く人たちの服装もどこか重たかったが、月が替わると同時に明るい色合いの軽めのよそおいが見られるようになった。
ペコリ、という紙のへこむ音がする。
放課後、校門のそばに隠れるように立って表通りを伺いながら紙パックのコーヒー牛乳を飲みつつ、そんなことを考えていた。
今日はヨーコが早退している。風邪を引いたらしい。しかしちょうどよかった。あの騒がしいコがいると、今日は色々とめんどくさい。
コーヒー牛乳を飲みきったころ、ザビエルの姿を見つけた。帰宅する生徒たちの挨拶に、「まっすぐ帰れよ」などと返しながら街の方へ足を向けている。
私はその背中が見えなくなる前に校門から出て、そっと後をつける。尾行だ。刑事ドラマでやっているようなやつ。
そんな暇なことをしているのには少し理由があった。
あの職員室に呼び出された時以来、私はザビエルにかなりマークされていた。二週間と経たない間に、街で二回も出くわしたのだ。特に後ろめたいこともないのに、そのたびによく分からない論法の説教をされて帰宅させられた。
それだけではなく、校内でもなにかにつけて声をかけてきて、実にうっとうしかった。幸いタバコは控えるようにしていたので、そちらはなんとかバレてはいないようだったが、その、どこにいても安心ができない息が詰まる感じは凄く不快だった。
そうこうしているうちに、私は気づいた。
ザビエルが街を巡回しているのは、新聞部の顧問をするのが嫌で暇にまかせてやっていると言うには、異常とも言える頻度だということに。ほぼ毎日なのではないだろうか。
これはおかしい、と思った。なにか隠しているような気がする。生徒にも、あるいは学校にも?
そう思った私はザビエルを尾行してみることにしたのだ。それが第一の理由。もう一つは、やはり私も暇だということだ。


206: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:05:11 ID:pIgPmzpxL2

さすがに運動をしていただけあって、ザビエルの歩き方はシャキシャキしている。見つからないように離れて後をつけているが、何度も見失いそうになった。
特に街へ抜ける手前の公園のある道は見通しが良く、そのせいでかなり離れて歩かないといけない。街へのルートはいくつかあったが、そこを選んだところまでは確認したので、あとはどうせ一本道だ。後でダッシュすればいいか、という軽い気持ちでザビエルの姿が見えなくなったのを見計らいながら進んだ。
公園の前を通りがかった時、その入り口のあたりに空き缶がいくつか転がっているのが見えた。スナック菓子の袋も地面に落ちている。誰かがだべっていた跡だ。
またあいつらか。そう思って公園の奥の方を覗き込むと、ヒロさんのダンボールハウスはなにごともなくそこにあり、荒れたような形跡は見当たらなかった。
少し安心して、ザビエルの尾行を続けようとした時、空き缶が転がっている場所に、見慣れないものが落ちているのに気づいた。
オレンジ色の小さなビニール製の袋だ。空き缶の影に隠れるようにしてそこにあった。食べ残しのお菓子でもなさそうだったので、なんだろう、としゃがんで手に取る。
ふいに遠くから防犯ブザーのような音が聞こえた。
道の先だ。
袋をポケットに放り込んでそちらに向かった。すると電信柱のあたりに学ランを着た数人の男子がたむろしているのが見えた。目を凝らすと、小さな携帯用の防犯用具を手に、ふざけあっているようだった。
あいつらだ。
思わず緊張する。いつかヒロさんに絡んでいた不良グループだった。顔を覚えられていたら、面倒なことになるかも知れない。
しかし引き返して別の道を通るとなるとかなりの時間ロスだ。ザビエルはすでに先に行っている。これでは完全に見失ってしまう。
しかしそもそもザビエルがここを通ったのなら、ああいうやつらこそ「家に帰れ」と指導するべきじゃないのか。他校の生徒だからと言って見逃しているのだとしたら、そのダブルスタンダードは不愉快だった。


207: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:06:51 ID:HMJYUJcabU

ともあれ、このまま進むしかないと判断した私は、なるべく自然体で歩き、彼らの方を見もせずにその横を通り過ぎた。
ちょうど真横に来た時に防犯ブザーが甲高く鳴り響き、肩がびくりとしたが、彼らの方はそのおもちゃに夢中で頭の悪そうな声を上げながらこちらに気づきもしないようだった。
「ぺっ」
通り過ぎた後で、私は唾を吐いた。我ながら子どもじみたことだと思って少し恥ずかしくなる。そしてザビエルの後を追って、急ぎ始めた。
途中、慌てた顔をした女子生徒が小走りに私の横を通り過ぎた。どこかで見た顔だと思ったが、思い出せなかった。

『桜雨』 前編 (終)


208: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:08:17 ID:HMJYUJcabU

『桜雨』 後編

結局、尾行は失敗した。見つかってしまったのではなく、見失ったのだ。
まあこんなものか。
そう思って、私はついこの間ヨーコと一緒に見つけたクレープ屋でショコラクレープを買った。食べながら街をうろうろする。そうして気がついたことは、一人だとこうしていてもあまり楽しくないということだった。
「あいつ、風邪早く治るかな」
あの騒々しさが嫌いではなかった自分に少し驚く。
CDでも見て帰るか……
そう思ってCDショップのある方へ足を向けようとした時、いつかザビエルに見つかりそうになったホテル街が近くにあることを思い出した。
そう言えば、今までにザビエルに遭遇したのもこの辺りばかりだった気がする。もしかするとまた近くにいるのではないかと思い、CDショップは後回しにしてその通りに足を踏み入れた。
昼間はやけに閑散としている印象だ。通りに面した飲み屋らしい店にはほとんどシャッターが下りている。
そんな中、くたびれたジャンパーを着た中年の男が道の真ん中に立って、通行人をじろじろと見ていた。いかがわしい店の呼び込みにしても、声掛けさえしていない。たまに見かけるが、いったいああいう人はこの街でどんな役割があるというのだろう。垣間見る大人社会は、まだまだ不思議なことばかりだった。
それにしてもザビエルはどうしてこんなところをうろうろしているんだろう。補導ならゲームセンターでも巡回している方が現実的だ。こんな場所で行われる不良行為など、生徒の中のごく一握りだろうに。
ふと、ヨーコに聞かされた無責任な噂話が耳の奥で再生される。
ザビエルの特殊な性癖のことだ。女子高生が好きだなどという。私にはそんな風には見えなかった。あの落書きの相合傘の方がよほど信憑性がある。
しかし。この嫌に空疎な昼間のホテル街を歩いていると、なんだか変な空想が湧いてくるのだった。髪を触られそうになったことを思い出し、不快な気持ちになる。
と言って、ザビエル自身が心底嫌いな訳ではない。
そんなことを思いながらザビエルの顔を思い浮かべる。ただ、変な噂を立てられた中学の時の暗い思い出が蘇るのが嫌だった。


209: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:10:09 ID:pIgPmzpxL2

「ねえ、ちょっと」
ぼうっとしていた時に、ふいに横から声をかけられて驚いた。
「ここでなにしてるの。その制服、女子高だよね」
若い男だった。小洒落た服を着ていて、髪は黄色く染めている。
「別に」
なるべく無表情であしらおうとしたが、男はいやに身体を近づけてくる。「ねえ」
「別に」
そう言って離れようとするが、しつこかった。場所が場所だけに、少し怖くなる。周囲の目もかなぐり捨てて、走って逃げたほうがいいのか、一瞬迷った。
しかしその次の瞬間、背後から鋭い声が上がった。
「なにしてるっ」
驚いて振り向くと、少し前に見失ったザビエルがいた。
その剣幕に驚いて、若い男はへへへ、とバツの悪そうな乾いた笑いを残して去って行った。助かった、と思うと同時に、やっぱりいた、という嫌な感想が脳裏をよぎった。
「大丈夫か」
そう言って近寄ってくるのが、さっきの男と同じくらい不快で、思わず身体を硬くする。
「なにかされなかったか」
第一声が、だから言っただろう、という押し付けがましい説教ではなかったのが唯一の救いか。
「はい」そう返事をした後の、第二声は「だから言っただろう」だった。
そしてうんざりした私に向かって、第三声が続いた。
「なにか買わされそうにならなかったか」
緊張を帯びた声に、ドキリとする。
買わされる?
なにかの影が頭の中を走った。心臓が高鳴り始める。
「買うって、なにを?」
「なにって、その……」
ザビエルは困惑した顔で、口ごもった。
私は直感に従い、自分のスカートのポケットに入っているものを取り出した。
「これですか」
そのオレンジ色の袋を見た瞬間、ザビエルの顔色が変わった。なにか言い出そうとする前に、私はその機先を制する。
「さっき拾いました」
「なっ……」
と言って絶句する。
「ど、どこでだ。吉永かっ?」


210: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:12:22 ID:pIgPmzpxL2

いきなり口をついて出てきた脈絡もない名前に、また私の脳裏を暗い影が走る。
吉永。
二つ隣のクラスの女子にそういう名前の子がいた。顔ははっきりとは思い出せない。しかし、分かった。
あの、公園を出た後ですれ違った女子生徒がそうだ。青ざめた顔で慌てながら走って来た子。
そんな確信があった。
だったら……
寒気が体中を駆け抜けた。
「あの公園」
そう言いながら、私はオレンジ色の袋を投げる。それを落とさないようにうろたえながらキャッチしようとしているザビエルを尻目に、私は走り出す。
すべてが最悪のタイミングであり、最悪の組み合わせだった。
嘘だろ。
思わずそんな言葉を口をつく。
さらに間の悪いことに、その通りを抜ける先には見覚えのある顔が二つ並んでいた。その女子生徒二人は、凄い形相で走ってくる私に驚いて道を開けようとした。
見られていた。
これは偶然?
いや、どちらでもいい。
私は急ブレーキをかけて、その二人にすばやく声をかける。
「どうして囃し立てないの」
いつか校門のところでザビエルをからかっていた上級生だ。相合傘の落書きをされるような教師二人をからかうように、こんなところに二人でいるところを見てからかわないのだろうか。
「え? だって、捕まって説教されてたんでしょ」
二人はそう言って顔を見合わせる。
なぜ? どうして、そんな好意的な見方をしてくれるのか。ホテル街に二人でいたというのに。
私は、ヨーコから聞いたあの噂を早口で捲くし立てる。すると二人は笑い出して、ないない、とばかり手を振る。
「わたしら、一年の時、ザビエルが担任だったけど、それはないわ」
それを聞いて、いい加減なヨーコの言うことを真に受けてはいけない、ということを学んだ。
「ありがとう。じゃあね」
そうしてまた私は走り出す。
走った。とにかく走った。
もっと走りやすい靴を履いてくるんだった、と後悔したが、それでも必死で走り続けた。地元の強みで、いくつかショートカットをしながら街なかを駆け抜けた。
息を切らせながら、あの公園へ向かう直線の道へ入る。
嫌な予感が全身を覆っている。これまでに見てきた不吉なパーツパーツが、最悪の組み合せでそこにあるのだ。
電信柱のところには、もう不良たちはいなかった。
その横を走り抜ける。
公園がすぐ先に見えた。
「ヒロさんっ」
そのままのスピードで公園の中に駆け込むと、胸に突き刺さるような光景が目に飛び込んできた。


211: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:14:22 ID:pIgPmzpxL2

「ヒロさん!」
あのダンボールハウスはめちゃくちゃに壊されていた。なけなしの家具は土の上に散らかされている。
そしてその中にヒロさんは傷だらけになってうずくまっていた。
駆け寄って頭を抱く。
うう。と言ってヒロさんは唸った。
服は破かれ、顔や胸元などに殴られたり、蹴られたりしたような跡がある。ところどころに血が滲んでいる。
なにか言おうとしていた。しかし割れて血が滴っている唇はぶるぶると震えてなかなか言葉にはならなかった。
怒りが、私の身体の芯の部分に灯った。
「しっかり!」
その時の私には救急車を呼ぶ、という当然のことが浮かばなかった。背丈は伸びたが、それだけ子どもだったのだろうと思う。
公園の中を見回したが、他に誰の姿もなかった。暴行した犯人はすでに立ち去った後だ。
入り口のところに目をやると、こちらを恐々と覗き込んでいる三人組の女の子たちが目に入る。
「なにがあった?!」
私は声を張り上げる。女の子たちはびくりとして後ずさりしそうになった。小学生だろうか。
「お願い。教えて」
その必死な言葉に反応してくれたのか、その中の一人がおずおずと近づいてきて他の二人もそれに続く。
彼女たちが震える声で教えてくれたのは、私の想像したとおりのできごとだった。
セーラー服の女子生徒と学ランを来た数人の男子が公園にやってきたかと思うと、入り口の辺りでわめき出し、いきなりダンボールハウスを襲撃して、中からヒロさんを引きずり出した。
そして殴る蹴るの暴行を加えたと言うのだ。
ヒロさんは顔を庇いながら必死で助けを求めたが彼らは聞き入れず、何ごとか叫びながら殴り続けた。
『拾っただろう』『返せ』
そんな言葉だったと、女の子たちは言った。
私は自分が殴られたような気持ちになった。ハッとしてヒロさんの手を見る。右手の先を。


212: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:16:31 ID:HMJYUJcabU

そこは、何度も踏みつけられたように皮膚の下が青くなり、表面にも擦過傷がたくさんできていた。
そしてその手のひらは開かれ、ぶるぶると震えている。なにがあっても、どんなに辛い思いをしても握ったままだった手のひらが。
「おのれ」
思わず口にした激しい言葉に、女の子たちが泣きそうな顔をしてびくっとする。
吉永という私と同じ一年の女子生徒は、あの不良たちの仲間だ。どこかで見たことがあると思ったが、やつらとつるんでこの辺りでだべっているのを見たのだった。
そして私がザビエルを尾行していた時に公園の入り口で見たのは、吉永と彼らが座り込んでいた跡だった。不良たちと別れて街へ向かった吉永は、落し物をしたことに気づく。それも重大な落し物だ。
それを手に入れるのに、警察の目を掻い潜らないといけないような代物。それも最近はある一人の教師が勘付いてそのあたりを巡回している。そんな危険を冒してやっと手に入れたモノなのに、落としてしまったのだ。
吉永は焦って引き返す。もちろん、さっき座り込んでいた、あの公園にだ。そこしか考えられない。途中で電信柱の辺りにまだたむろしていた男たちに声をかけて、一緒に公園に駆け込む。
しかし、ない。
オレンジ色の袋は落ちていない。クスリの袋は。他の缶ジュースや菓子袋はそのままなのに。
公園の中には誰もいない。


213: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:17:56 ID:HMJYUJcabU

いや、いる。
住み着いているホームレスが。汚らしい、落ちているものなら何でも拾う、社会のゴミが。
彼らはヒロさんを家から引きずり出し、暴行した。『拾っただろう』『返せ』と言いながら。
そして握り締めた右手に気づき、開かせようとする。ヒロさんは抵抗する。余計に興奮した彼らは『返せよ』とわめきながら暴行を続け、ついには無理やりに拳を開かせる。
数十年、握り締め続けた手のひら。
幸せの妖精をつかまえた手のひら。
そのために、人生のすべてを投げ打った、手のひらを。
「くそ」
私は地面を殴りつけた。
『バカよ、バカ。でもロマンティックね。幸せの妖精をつかまえたホームレス!』
ヨーコの言葉が頭の中をよぎる。
これがその結末か!?
目の前がチカチカとする。酸素が足りない。ちくしょう。なんなんだこれは。
ふいに腕の中のヒロさんが跳ね起きた。
「ごめんなさい」
そう言って、地面の上を這いずり始める。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
怪我をしたことなど忘れたかのように、地面の土を払いながらまばらに生えた雑草を掻き分ける。
「ごめんなさい。もうなくしません。ごめんなさい」
そんな言葉を繰り返しながら。
私は呆然としてそれを見ていたが、我に返ると、肩のあたりを抱きしめた。
「もういいよ。もういい。ヒロさん。もういいんだ」
ヒロさんの生き方を呪縛しつづけたものが、なんのなのか分からない。他人が口を出していいこととも思えない。しかし、その時の私にはそうすることしかできなかった。
それでもヒロさんは抱きしめる私に抵抗して、地面を探り続けた。なにも見えていない。その目には、なにも見えていなかった。
涙が出た。こんな涙、私の中にあったのか。それが不思議だった。でも、それでもなお、なにも見えていなかったのは、私の方だったのだ。


214: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:19:54 ID:HMJYUJcabU

やがて女の子の一人が、家から持ってきたらしい救急箱を私たちへ差し出した。近所の子なのだろう。
ハッとして、私は力ずくでヒロさんを止めると、その傷口に応急処置を始めた。子どものころからずっと剣道をやっていたので、この手のことには慣れている。
それぞれの傷は思ったより深くなく、見た目の無残さも半ばは元々のホームレスとしての格好が自然にそう見えさせたものだった。
少し落ち着いて、私は女の子たちに水を汲んでくるように頼んだ。
そうして、一通り傷口の消毒を終えたころ、公園の入り口の方から「放せ」という声が聞こえた。目をやると、ザビエルがあの吉永という女子生徒の首根っこを掴んでこちらに引き摺ってくるところだった。
「放せよ」
そうわめく声には力がなかった。頬には打たれたような赤い跡がある。捕まえているザビエルの服にも乱れがあった。二人とも息が上がっている。
「山中。鍵だ」
ザビエルがそう叫んだ。
「ヒロさんは、鍵を持っていたらしい」
え?
私は自分の耳を疑った。
鍵? どういうこと?
「そうだな」
ザビエルに詰問され、不貞腐れたように吉永は頷く。
「こいつらは、ヒロさんが自分たちのものを拾ったと勘違いして、無理やり手を開かせたら、鍵を握っていたって言うんだ」
どこへやった?
続けてそう訊くザビエルに、吉永は「知らねえよ。ドブの方に投げたんだよ」とわめいた。
鍵?
ヒロさん、そうなのか。
「ヒロさん」
私の呼びかけに、傷だらけの小さな身体が反応する。
頷いた。頷いた!
取り返しはつく。まだ。取り返しはつく。
私は立ち上がった。
「どこだ」
吉永はゆっくりと指をさす。
こいつに落とし前をつけさせるのは後だ。
そちらへ向かって歩き出した私に、ザビエルが「ほう」と目を見開くと「たいした不良娘だな」と言った。そうして自分の服の裾をまくり始める。
グレーチング、というのか、公園の外の側溝を覆う格子状の金属の蓋を取り外し、私たちはドブさらいを始めた。
吉永はそれを手伝おうとはしなかったが、逃げようともしなかった。ただ地面に座り込んで呆けたようにそれを見ていた。


215: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:21:29 ID:HMJYUJcabU

やがてその騒ぎを聞きつけて数人の女子生徒がやってきた。うちの生徒たちだ。
彼女たちはなにが起こっているのか分かっていないはずなのに、しばらく遠巻きに見ていたかと思うと、同じように腕まくりをしてドブに手を突っ込み始めた。
「鍵。鍵を探してくれ」
ザビエルが泥のついた顔でそう言う。
そうして側溝という側溝の蓋をすべて剥がし、私たちはドブさらいを続けた。
「先生〜」
そんな声がして、汗だくのジャージ姿の男が駆け寄ってくる。
誰かが言いつけに行ったのか、ランニング中と思しき我が校の陸上部の一行だった。先頭に立つのは顧問の男性教師。
「手伝いますよ」
ザビエルは「すみません」とだけ言って一瞬顔を上げると、また泥の中に腕を差し入れる。
「こんなことなら任せてください」
陸上部の顧問は上気した声でそう言うと、後ろに控える陸上部員たちに「おい」と声をかける。
ええ〜、という悲鳴のようなものが上がったが、しぶしぶという様子でみんな腕まくりを始める。
ヒロさんもドブの方へ近寄ろうとしていたが、何人かの女子生徒たちが押しとどめながら私がやりかけた応急処置の続きをしてくれていた。
泥の中で汗にまみれ、私は不思議な気持ちに包まれていた。なんだろう。これはなんだろう。
そう思いながら、額の汗を拭った。


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