『手紙』
郵便受けに詰まったチラシの中に、それはあった。
2: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 03:39:13 ID:HhoWsFjMjM
「手紙…誰からだ…?」
僕は封筒を裏返して差出人の名を確認しようとする。けれど、名前どころか住所も記されてはいなかった。
「…………」
こういった手紙には、ろくなものがない。
けれど、宛名の字になぜだか懐かしさを覚えて僕は封を切った。
3: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 03:45:58 ID:VTSHWpWAVQ
錆びたカッターナイフがざりざりと封筒を開いていく。
鉄錆の臭いが鼻先に届き、ふと頭の片隅をがりがりと引っ掻かれるような感覚に戸惑う。
青いインクにところどころ染まった便箋が一枚、あった。
4: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 03:56:51 ID:2SmBjDZddk
『元気ですか?
もうすぐ私は、むこうに行くようです。
覚えていますか、私のこと。
忘れていても構いません。
ただ、君にだけはほんとうのことを話しておきたかった。
あの日、君に悪戯をしたのは私。
5: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 04:03:31 ID:HhoWsFjMjM
楽しかったね、あの夏。
花火をして虫取りをして、私は君が捕まえたカマキリに悲鳴を上げました。
だから、仕返しに君が驚くところをほんの少し見たかっただけなのです。
ごめんね、あの肝試しの夜、』
6: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 04:09:36 ID:HhoWsFjMjM
…そこで文は終わっていた。
蝉の鳴き声が耳にうるさい。
買ってきたカップアイスが溶けていく。
「…お姉ちゃん?」
そう呟いた時、電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。
7: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 04:23:13 ID:2SmBjDZddk
電話は母からだった。
親戚の**が亡くなったと、そう告げる電話だった。
半ば上の空で言葉を交わし、受話器を置いて振り向いた先には。
封筒も便箋も、何もなかったかのように、インクの匂いとカッターナイフの鉄錆の臭いだけ残して。
「…お姉ちゃん」
ごめんね。
僕は、お姉ちゃんが驚く顔が見たかっただけだったんだよ。
あの夏、あの夜、僕が喘息で倒れたのはお姉ちゃんのせいじゃないんだ。
ただ、僕は。
8: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/18(火) 04:29:42 ID:VTSHWpWAVQ
「…お姉ちゃん、ごめんね」
大好きな、でも手の届かない年上のあなたに、僕のことを少しでも覚えていてほしかったんだ。
溶けたアイスの甘い匂いが、過ぎ去った夏の日を忘れるなと、僕を責めていた。
9: 名無しさん@読者の声:2016/10/18(火) 23:20:58 ID:0zNVw1D.MU
支援
10: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 01:00:13 ID:VTSHWpWAVQ
短編を思い付くままに書き綴るSSです。
書きためせずに考えながら書いてますので、投稿時間のばらつきはご容赦下さい。
支援、ありがとうございます。
11: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 01:17:35 ID:.YQl3liASQ
『放課後デビュー』
めでたく高校に合格、入学した。
どの部活に入ろうかと廊下に張り出されている勧誘チラシを凝視し、僕は腕組みをする。
やはり内申書に有利なものがいいだろうか…でも、運動神経悪いからなあ、なんて考えながら文化部のチラシを順繰りに読み進めていく。
「…何だ、これ」
カラフルで趣向を凝らしたチラシの中、藁半紙にマジックで書き殴られただけの、酷く簡素なものがあった。
12: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 01:30:22 ID:HhoWsFjMjM
【放課後有効無為活用倶楽部】
字面からは何の部活−−部活なのか?−−をしているのか、さっぱり読み取れない。
活動内容の説明もなく、入部希望者は以下の場所か部長のクラスまで、とだけしか書かれてはいなかった。
いったい何なのだ、これは。
怪しさしか感じられないその藁半紙に顔を近付け、何度も読み返してみたが、やはり活動内容の推測は出来なかった。
13: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 01:39:35 ID:HhoWsFjMjM
「君、入部希望者かい?」
背後からそんな声と共に肩に手を置かれ、僕は驚きのあまり飛び上がった。
振り返ると、ネクタイの色からして二年生らしい眼鏡をかけた男子生徒が立っている。
藁半紙を読むのに集中していたせいだろうか、足音に気付けなかったみたいだ。その二年生は僕の顔とネクタイを交互に見、
「で、入部するかい?」
そう言ってポケットから入部届だろう紙を寄越してきた。
14: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 01:51:35 ID:.YQl3liASQ
つい反射的に受け取ってしまう。
受け取ってしまった手前、いいえ違います、とは言いづらい。陽が暮れてきたのか、廊下の床板が少し朱く染まり始めているのに気付く。
「あ、あの、」
「何かな」
二年生は柔和な表情で、少し首を傾けた。
「…この、放課後…なんとかって部活、何の部活なんですか」
早口言葉のような部活名だな、と思った。
15: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 02:00:27 ID:2SmBjDZddk
「何の部活…か。うん、まあ、もっともな質問だね」
「文化部、ですよね?」
「一応ね。まあ、たまには運動部並に体を酷使する日もあるけど、滅多にないから安心していいよ」
いや、安心ポイントはそこじゃない。
二年生は、うーん、と唸りながらこめかみに人差し指を当てて、
「まあ、簡単に言うと、『退屈な日常を打破する為の部活』かな」
更に訳の分からないことをのたまった。
16: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 02:12:40 ID:.YQl3liASQ
何なのだ、その活動内容は。
どうして学校がそんな得体の知れない部活動を許可しているんだ。
疑問が次々と湧き上がる。
−−だが、
「楽しい、ですか?」
「勿論。でなきゃ部活が存続出来やしないだろう?幽霊部員もうちにはいないしね」
これでも学校創立時からの歴史ある倶楽部なんだよ、と。
二年生はそれは愉しげな顔で言う。
17: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/19(水) 02:34:36 ID:2SmBjDZddk
……………。
僕は、
(何を考えてるんだ)
鞄から筆記具を取り出し、入部届にがりがりと学年氏名を記入し、
書き終えたそれを二年生、いや先輩に差し出して、
「−−宜しくお願いします」
何だかよく分からない、訳が分からない不明瞭な部活に入ることを決めた。
先輩は入部届を受け取ると、
「ようこそ、【放課後有効無為活用倶楽部】へ」
そう言って、片目を細めて笑った。
18: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/20(木) 13:19:50 ID:.YQl3liASQ
『月に吠える』
自室の壁にもたれかかり、煙草に火を点ける。メンソールの冷たさが、吸い込む冬の空気を更に冷却していく。
ストーブの燃料は今朝方に尽きてしまい、新しく注文しようにも懐には冬将軍が頑固に居座っていた。
バイト代が入るのは、来週である。
じゃあ布団に潜って暖を取ればいいじゃないかという話なのだが、灰を落としてしまった時に焦げ跡を作った事があったので、彼女が置いていった膝掛けで何とかしのいでいる。
部屋には、俺以外に誰もいない。
19: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/20(木) 13:30:37 ID:HhoWsFjMjM
いったい直接の原因は何だったのか、未だに俺には飲み込めていない。
ただ、去り際に彼女が吐き捨てた言葉が、独りになるとぐるぐると頭の中を巡るのだ。
カチリ。二本目に火を点す。
指先が冷たい。
《結局あなたは、自分が一番大事なんじゃない。二番目だって、私じゃないじゃないの》
「……………」
大切にしていたつもりだったのに。
記念日だって忘れないように祝ったし、家事だって出来るだけ頑張っていたつもりだったのに。
20: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/20(木) 13:37:39 ID:2SmBjDZddk
つもり、つもり。
浮かぶ自己弁護は、つもり、だらけだ。
《あなた、何にも分かってないのよ》
じゃあ、どうすればよかったんだろうか。
尋ねたい相手は、合い鍵を俺に投げつけて先週に部屋を出て行った。
口の中が煙草とは違う苦さで満たされていく。半分まで灰になった煙草をくわえたまま、俺は立ち上がった。
21: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/20(木) 13:52:21 ID:HhoWsFjMjM
安普請のアパートの窓を開け、室内に飛び込んでくる冷気に構わず空を見上げた。
月が、出ている。
かつて彼女にプレゼントしたピアスの色によく似た青白い月が、街を静かに照らしている。
静かな夜に似合いの、冷たい月だ。
「…あー、」
怒りでも未練でも悲しみでもないこの感情のやり場をどうしたらいいのか、少し考えてから、
俺は夜の街に、言葉にならない叫び声をあげた。
くわえていた煙草が、窓の下に積もっていた雪に落ちて埋もれて、消えた。
22: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 16:40:32 ID:HhoWsFjMjM
『ほしいもの』
「知ってる?放送室の話」
「知ってる?夕方に出るんだって」
「知ってる?まゆこさんのお話」
「知ってる?願い事を叶えてくれるらしいよ」
「でも、絶対に」
「まゆこさんのお願いは、聞いちゃ駄目なんだって」
見付からない。私のケータイのストラップが見付からない。
紐が切れちゃったのかな。古い物だから、もう塗装も半分剥がれちゃってるし。
でも、あれは大事な物なんだ。
23: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 16:50:43 ID:.YQl3liASQ
教室の中、移動教室で行った先、今日は体育はなかったから、あとはどこだろう。
思い付く場所は全部探して、最後に辿り着いたのは放送室だった。
放送部の友達に頼んで借りた鍵を差し込む。がちゃりと横に捻ってドアを開けた。
「えー、夕方に放送室行くの?勇気あるね、まゆこさんの話知らないの?」
知ってる。
夕方、放送室に出るっていう、願い事を叶えてくれる幽霊のお話。
でも、私はそんなの信じてないもの。
24: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 17:00:46 ID:HhoWsFjMjM
壁に並べられたパイプ椅子やマイクやよく分からないスイッチ類をちらりと見てから、私は床に這いつくばってストラップを探し始めた。
とても大事な物。大切な物。
私の、幸せだった頃の家族の思い出。
「どこ…どこに行ったの…?」
狭い部屋の中、ぶつぶつ呟きながらひたすら探す私の姿は、端から見るとさぞかし気味が悪いんだろうな。
でも、ここには私しかいないから。
25: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 17:14:04 ID:.YQl3liASQ
どれくらいの時間、探したんだろう。
やっと見付けたストラップ−−ほとんど目鼻立ちが分からなくなっている小さなウサギ−−は、やっぱり紐の部分がぷつりと切れてしまっていた。
家に帰ったら、どうやって直そうか。
そう思いながら立ち上がり、さて教室に戻らないと、とドアの方を向くと。
−−−いつの間に入ってきたのだろう、長い髪の女の子が立っていた。
(あれ…ドアの開く音、したっけ…)
夢中で探していたから、そんなの覚えてないし気付かなかったかも知れない。
女の子は、長い髪を揺らして、ゆっくりとこちらに向かってくる。
26: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 17:23:51 ID:VTSHWpWAVQ
てっきり、私と同じように探し物を取りに来たのだろうと思い、放送室を出ようと歩きかけた時、
《おねがいは、なぁに?》
耳元で透き通った声が響いた。
がしり、と。
ストラップを持っていない方の腕を掴まれる。なに、この子の手、凄く冷たい。
日本人形みたいに整った顔立ちの女の子。その顔がぐぅっと近付き、
《おねがいは、なぁに?》
確かに、そう囁いた。
27: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 17:35:52 ID:HhoWsFjMjM
まさか。嘘だ。
だってあんなのはただの噂、よくある学校の怪談。
でも、今、夕方の放送室で、私の目の前にいるこの女の子は、
「………まゆこさん?」
私が掠れた声で呟くと、女の子は−−まゆこさんは、口元を三日月のように歪めて笑った。
背筋がぞわっと怖気立つ。
掴まれた腕を振り払い、ドアに駆け寄る。けど、幾らガチャガチャ動かしても、ドアはびくともしなかった。
鍵は掛けなかったはずなのに。
友達から借りた鍵を試しに差し込もうとしても、それは途中で詰まったかのように入らなかった。
カツン、カツン、と。
背後から足音が迫ってくる。
28: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 17:49:42 ID:2SmBjDZddk
他に出口は−−そう考える暇もなく、また同じ腕を掴まれた。
「ひっ…!」
《おねがい、なんでもかなえてあげる。かなえてあげるよ?》
たとえば。
たとえば、あなたの死んだ妹だって、連れてきてあげるよ。
まゆこさんの口が、そう動いた。
妹。私の大切な、大切だったあの子。
このストラップをくれた、優しくて明るくて、宝石みたいにキラキラしてたあの子。
今はもういない、私の妹。
29: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 18:03:29 ID:.YQl3liASQ
「…ほんとに、何でも叶えてくれるの?」
まゆこさんは、こくりと頷いた。
なら、あの子に会いたい。妹に会いたい。
《それがあなたのおねがいなのね》
ぎちり。
掴まれている腕に、指が食い込む。
《じゃあ、わたしのおねがいも、きいてくれる?》
まゆこさんのお願い?何だろう。私に叶えられる事なんだろうか?
《うん、あなたにしかかなえられないことだよ》
いいよ、あの子に会えるのなら。
……………………。
30: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/21(金) 18:11:37 ID:2SmBjDZddk
「−−続いてのニュースです」
「××県公立××高校内で女子高生の遺体が発見されました」
「遺体の腕は片方が切断、行方不明になっており、警察では殺人事件の可能性もあると−−」
《うふふ、うふふ》
《きれいなうで、わたしのうで》
《おねがいきいてくれてありがとう》
《むこうでいもうとにあえるんだから、わたし、うそはついてないよね》
「知ってる?放送室の話」
「知ってる?夕方に出るんだって」
「知ってる?まゆこさんのお話」
「知ってる?願い事を叶えてくれるらしいよ」
「でも、絶対に」
「まゆこさんのお願いは、聞いちゃ駄目なんだって」
「まゆこさんに、体のどこかを取られて死んじゃうからなんだって」
31: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 16:03:25 ID:2SmBjDZddk
『トンネルの中』
「何度も言いますが、ここは私の住処なんです、新参者め」
「だから他にいい場所紹介するって言ってんだろーが、ババア」
「女性にババア呼ばわりとは…あなた、童貞で人生終わったんですね、惨めな」
「童貞ちゃうわ、大人の店くらい何遍も行っとるわ」
「あらあら、素人童貞というヤツですか、プークスクス」
「ぐっ…言い返せない…」
32: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 16:29:51 ID:HhoWsFjMjM
「大体、工事予定もなく肝試しに来るような愚か者は滅多に来ない、こんな素敵な場所を、どうしてたかだか死んで数年っぽっちの餓鬼に私が譲らねばならないのですか。年上を敬えと教育されなかったのですか」
「見た目ガキはあんたの方だからな!?生きた年数なら俺の方が上だぞ!?」
「ふっ、ならば幼女に地上げを迫る穀潰しと言い換えましょうか」
「こんな性格悪い幼女嫌だ」
「あなた、女に幻想を抱いて童貞をこじらせたのですね…哀れな…」
「童貞言うな!しつこいわ!なら、そっちこそ処女じゃねーのかよ」
「当たり前ではないですか、ようやく禿を終える頃でしたのに」
「禿…はげ?」
「禿(かむろ)です。色街も知らないとは」
33: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 16:44:51 ID:VTSHWpWAVQ
「おいやめろ、その可哀相なものを見る目をやめてくれ、心に刺さる」
「近代の若者は学び舎にて学問を修める好機を自ら捨てる者も多いと聞きましたが…嘆かわしい…」
「今の学校で遊廓の仕組み教える先生いたら、PTAから苦情きてクビだっつうの」
「人の世の明暗を知らずして成長など片腹痛し。…まあ、私のような子供がいないのならばよいのですがね」
「…ん、まあ、確かにな…」
「飯盛り女で童貞捨てた男に同意されたくはないですけどね」
「だから童貞うるせえよババア」
34: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 17:00:55 ID:VTSHWpWAVQ
「−−さて、下らぬ事を話しましたが」
「何だよ、ようやく場所譲ってくれんのかよババア」
「誰が譲るか童貞」
「じゃあ何だよババア」
「久し振りに愚か者共がやってきたようですよ、童貞」
「−−お。マジだわ、めんどくせぇ」
「では、一時休戦と参りましょうか」
……………
35: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 17:33:57 ID:2SmBjDZddk
車の止まる音と共にヘッドライトが消え、懐中電灯を手にした若者が数人、車から下りてくる。
「マジでこのトンネル出るの?すっげーボロいじゃん」
「ばっか、新築に幽霊出る訳ねーだろ?しっかし汚ぇなあ」
「女の子の幽霊ってネットには書いてあったけど、事故とか殺人事件とかソースないし。ビミョー」
あまり怖がる風でもないその集団は、古いトンネルの入り口に立つと懐中電灯を中に向けた。
照らし出された壁には落書きの数々や染み、路面には雑草がぼうぼうに生えている。
昼でもたいそう薄気味悪いだろう場所だ。
「ね、ねえ、トンネルの向こう行って戻ってくればいいんだよね?」
さすがに少しは怖じ気づいたらしい女性が僅かに震えた声で言う。
「ああ、それで−−」
「きゃああっ!」
36: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 17:52:47 ID:2SmBjDZddk
突然背後から悲鳴が上がる。
トンネルの方を見ていた数人が振り返ると、その視界の先には、
《私と遊びにきたの…?》
《何で遊ぼっか、お姉ちゃん達》
《そうだ、お手玉しようよお手玉》
《お姉ちゃん達が負けたら、新しいお手玉、頂戴?》
真っ黒な眼窩からぼたぼたと血を滴らせ、片手に目玉を二つ載せた少女が立っていた。
「うわあああっ!」
「やだ、こっちこないで、こないで、」
集団は手近な逃げ場−−トンネルの中に走り出そうとする。
だが、しかし。
37: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 18:09:37 ID:VTSHWpWAVQ
ずるり、ずるり、と。
トンネルの中から何かが這いずってくるような音がした。
「こ、今度は何なんだよっ!?」
男が懐中電灯の光を向ける。
そこには体の半分が削れて内臓が零れ落ち、全身血塗れの男性が路面を片腕だけで這いずっていた。
《車…俺を、轢いた、車、どれだ…?》
《誰、誰、誰、誰》
《お前かお前かお前かお前かお前か》
血塗れの男性は半分だけの顔で嗤いながら、物凄い速さで近付いてくる。
「やだやだ、来なきゃよかった、いやああああ!」
「早く逃げるぞ!」
肝試しに訪れた集団は這々の体で車に飛び乗り、猛スピードで廃トンネルをあとにした−−。
38: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 18:30:41 ID:2SmBjDZddk
……………
「目を填めるのが面倒臭いです」
「あれ、内臓ってこの並び順でいいんだっけか」
「その豆のような部分はもう少し下ですよ。…そうです、そのまま閉じて下さい」
「お、どーも。くそ、肝試しに来るとはリア充め爆発しろ」
「呪わずとも、どうせ今頃は車とやらの中で醜い争いになっている事でしょう」
「そっか。ひひ、ざまーみろリア充」
「これがおなごに袖にされ続けた男の怨嗟…恐ろしや…」
「うるせえババア。顎に血ぃ付いてんぞ、拭くからじっとしてろ」
「…ありがとう、ございます」
39: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/23(日) 18:45:03 ID:2SmBjDZddk
「さて、今宵は如何しましょうか」
「馬鹿共の相手したら疲れたなー」
「私も生きている人間の相手は久し振りでしたから、些か疲れたやも知れません」
「そうだろそうだろ。寝ようぜ」
「…眠る事が、出来るのですか。初めて知りました」
「ババアのくせに知らない事あんのか」
「童貞が生意気な。…新造様から習った、子守歌でも歌ってあげましょうか」
「ああ、宜しく、ババア」
「ええ、おやすみなさい、童貞」
40: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/25(火) 15:21:59 ID:HhoWsFjMjM
『一人酒、手酌酒』
恋をすると綺麗になるらしい。
女性ホルモンがどうとか異性を意識するから外見に気を配るし生活に張りが出るとか、そういう事で綺麗になるらしい。
何だそれ、随分とお手軽な美容法だよな。
「あー…今日も疲れたぁ…」
お肌の曲がり角を過ぎてすぐ、昔は安けりゃで選んでいた化粧水を厳選するようになった。
空気の乾燥は大敵、肌の手入れは念入りに、余計な肉は付けずに大切な肉は落ちないように。
でも、そんなもの、
「お酒お酒…あとおつまみ」
数年経ったら面倒臭くなってやめていた。
41: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/25(火) 15:33:22 ID:2SmBjDZddk
だってしょうがない。
面倒臭いのは大嫌い。頑張って作れるようになった和食洋食も、自分以外に食べる人がいない。
女子会?傷の舐め合いしながら牽制するような空気も面倒臭い。
なので、今の私は。
「やっば、大吟醸やっば。マジうまい」
お酒と煙草とアニメとゲームと−−まあ、嗜好品と二次元世界に生きている。
42: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/25(火) 15:53:24 ID:VTSHWpWAVQ
「あー、煙草我慢だわ、この味を濁らせちゃ勿体ない」
半額シールが付いたお惣菜の揚げ出し豆腐を一口。そして日本酒。
何この幸せ。
残業でくたくたになった体に染み渡って、スライムみたいに溶けちゃいそう。
…まあ、夕食すっ飛ばしてお酒呑んでるから、回りが早いのもあるだろうけど。
予約限定版で購入したアニメのBOXセット、これの包装を丁寧に解きながらセットして再生する。
「やっぱりバトル物はいいなー」
こないだ同僚にお勧めされた恋愛ドラマなんて、食堂で使い回されたパセリより無味乾燥だったしなあ。
43: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/25(火) 16:11:49 ID:.YQl3liASQ
テレビと私以外は静かな夜。
お酒のコップを傾けながら、ちょっとだけ考えてみる。
−−いつか。
いつか私が恋をして、付き合ったりなんかしちゃったりする日が来るとして。
自室に上げたら、やっぱりたちまちドン引きされてしまうんだろうか。
ゲームとアニメとフィギュアだらけだし、この部屋。
まあ、だとしても。
「…そんな男、こっちから願い下げだわ」
筋金入りのオタク部屋の真ん中。
私はお酒を喉に流し込み、ぷはっと大きく息を吐いた。
44: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 17:10:25 ID:2SmBjDZddk
『毒を食らわば』
消費した数は三発。
ポケットに突っ込んだ空薬莢の数を左手で確かめて、さてどうするかと考える。
(向こうさんが同業なんて聞いてねえぞ)
知らず眉間に力がこもるのを抑えて、深呼吸をした。
45: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 17:22:36 ID:HhoWsFjMjM
どうするかもなにも、受けてしまった依頼は今更反故には出来ない。
ましてや、すでに撃ち合いをした今なら尚更だ。くそ、調査の手抜きしやがって。あの情報屋は金輪際使わねえ。
(どうする、どう動く)
サイレンサー付きとはいえ、いつまでも一つ所でドンパチやってる訳にはいかない。
民間人に被害を出したら、その瞬間に全ては終わるのだから。
自分の呼吸音が酷く耳障りに思えた。
46: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 17:49:22 ID:.YQl3liASQ
互いに見えない睨み合いをする。
俺は向こうが動くのを待っているが、それは向こうも同じだろう。じりじりと時間だけが過ぎてゆく。影の形が、僅かに傾いていく。
…消耗戦は苦手だ。
苛々する。いい加減、煙草が吸いたい。
「−−クソが」
小さく呟いて、足を踏み出した。
47: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 18:06:19 ID:HhoWsFjMjM
向こうの気配が動くのを感じると同時にルガーをその方向に撃つ。
コンクリートにめり込む音がしたが、距離と位置を測る為の捨て弾だ、目標以外の人間に当たらなければ構わない。
…あとで薬莢と弾の回収はするけれども。
「めんどくせえ、マジめんどくせえ」
苛々が加速する。つくづく、この稼業に自分は向いていないな、と自嘲して。
「…見付けた」
僅かに見えた影の先に、もう一発撃ち込んだ。
48: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 18:23:35 ID:HhoWsFjMjM
「わー、美人。勿体ない。あー勿体ない」
でも依頼だからね、しょうがないね。
苦痛に歪む顔を見下ろしながら、両手にそれぞれ一発ずつ。薬莢は拾って、ポケットに。
消費した弾薬に見合う美人…で納得出来るかクソが。手の掛かる相手なんざ二度とゴメンだ、クソが。
ああもう、苛々してしょうがない。
49: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 18:31:28 ID:2SmBjDZddk
ルガーを収め、別のポケットから取り出したものを見た標的は、目を大きく見開いた。
うん、さっきの銃で撃たれて終わりだと思ってたんだろう。俺だって最初はそのつもりだったし。
でも、これだけ手間取らせてくれた相手だ。
今日は特別、ってヤツである。
どうせやるなら最後まで。俺の気の済む最期をあげようじゃないか。
50: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 18:50:46 ID:VTSHWpWAVQ
脇腹を爪先で転がして仰向けにし、角度を付けて口内に突っ込む。
こんな状況じゃなきゃエロい構図なんだがなあ。
「じゃあな、次はこんな人生選ぶなよ」
ガチリ、と撃鉄を起こして。
俺はブラックホークの引き金を引いた。
「…あーあ、勢いって怖いねー」
宿の階段を上がりながら、遠くで鳴り響くサイレンの音に俺は大きな溜め息をついた。
51: ◆bEw.9iwJh2:2016/10/30(日) 19:00:27 ID:.YQl3liASQ
※ちょっと解説
ルガー(スターム・ルガーMk1)にはサイレンサー装着の為の専用パーツがあります。
こちらはオートマチックの銃。
ブラックホークはシングルアクション(自分で撃鉄を起こして引き金を引く)の銃。
リボルバーでマグナム弾を装填出来ます。
こちらもスターム・ルガーです。
52: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 20:05:44 ID:SaPfFQhN5M
『××ぼっち』
「寂しい?」
「別に」
「おなか空いた?」
「…多分、そうかも」
「じゃあ何か食べなよ」
「お菓子でいい?」
「駄目だよそんなの…ほら、部屋から出よう?」
空間に、声が響く。
53: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 20:17:13 ID:kvZJ1c/69U
「嫌よ。あの人達、嫌いだもの」
「でも、食べなかったらまた、大騒ぎされちゃうよ」
「…分かった。ちょっとだけね」
二階の部屋の扉が軋んだ音を立てて開く。
そこから出てきたぼさぼさ髪の女の子は、古びたうさぎのぬいぐるみを抱えて、階段をそろそろと降りていく。
時折、きょろきょろと周囲を窺いながら。
階下は彼女以外に誰もおらず、少女は冷蔵庫からラップのかかったおかずとおにぎりを取り出してレンジに入れた。
54: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 20:27:37 ID:kvZJ1c/69U
温まるまでの数分間、少女は落ち着きなく腕の中のぬいぐるみを何度も抱え直す。
温め終了のレンジ音を聞くや否や、少女はお盆に皿を載せて二階の自室にばたばたと帰還した。
「誰もいなくてよかったね」
「そうね。さ、食べましょ」
ぬいぐるみを隣に座らせ、箸を取って
「ね、ほら」
「…分かってる。…イタダキマス」
仏頂面で少女はそう呟き、食事を始めた。
55: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 20:48:47 ID:MS1/qmWxlE
食べ終えた食器を台所に持って行き、流しに置いて水に浸す。
テレビで見様見真似で覚えた歯磨きをし、少女はまた二階の部屋に戻った。
「ミントの匂いだ」
「イチゴ味は卒業したの」
「ちょっと大人だね」
「…口がすーすーして、水が冷たかったけどね。でもガマンしたわ、えらいでしょ」
「うん、凄いね、大人だ」
56: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 20:58:07 ID:KTecCmgJ/E
誉められて少女は少しだけ口元を緩めた。
それからうさぎのぬいぐるみを抱え、布団の上にごろりと寝転がる。
窓から差し込む光が眩しくて、少女は目をつむった。
「お外、行ってみたいな」
「あたしは嫌。このお部屋がいい」
「あの人達がうるさいから?」
「うん。変なにおいさせて、べたべた触ってくるんだもの。きもちわるい」
「嫌な触り方してくるのは、あいつだけだよ。他の人達は、心配してるだけ」
「でも、ママの悪口言ってた」
57: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 21:06:16 ID:SaPfFQhN5M
少女の言葉に、声の片方が押し黙る。
「ママの焼きそば食べたいなあ。あの四角いお肉、おいしいもの。ラーメンも好き。あっちの方が今のご飯よりおいしいのに」
「…でも、それは、」
「ママだけ帰ってくればいいのになあ…」
小さく溜め息をついて呟いたあと、少女はやがて静かな寝息を立て始めた。
58: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 21:37:39 ID:kvZJ1c/69U
……………
「本日未明、××県××市のアパートで傷害事件が起きました」
「被害者とはここ数年内縁関係にあったらしく、事件が起きた時刻に子供を性的虐待しているところを発見し逆上したとの事で−−」
「保護された××ちゃん(6歳)が育児放棄されているのではと、これまでに何度か児童相談所に通報がありましたが−−」
「ねえ、ママはいつ帰ってくるの?」
「お母さんはあいつをやっつけてくれたんだから、酷い事言わないで」
「あたしたち、ママ大好きだもの」
「お母さんは、駄目な大人に騙されてただけなんだから。…僕達は、家にいるのが好きなんだから」
59: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/5(土) 22:05:47 ID:KTecCmgJ/E
古ぼけたうさぎのぬいぐるみを抱き締めている一人の少女を前に、医師は相槌を打ちながらパソコンに症状を入力していく。
(イマジナリーフレンド…いや、統合失調症の対話性幻聴の可能性もあるな)
「先生、聞いてる?」
「パソコン使ってるから、忙しいの?」
「ああ、ごめんね。…その、お母さんがやっつけてくれたって、どうして?」
「え、ママがやっつけたの?ママはあたしをぎゅーってしてくれてただけだよ」
「…あいつ、お母さんに内緒で、いつも変なところ触ってくるから。だからお母さんが怒って、やっつけてくれたんだよ」
「………そうか、うん」
だが保護された状況と状態を鑑みるに、DID−−解離性同一性障害−−の疑いが濃厚だ。
医師はこれから準備しなければならない問診内容と、少女が置かれてきた環境に思いを馳せて、密やかに嘆息した。
60: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 21:30:45 ID:kvZJ1c/69U
『旧校舎の司書さん』
えーと、いつだったかな。
中間テスト終わった辺りだったかな。
購買で買ったメロンパン食べながら、何かいい暇潰しないか考えてた訳よ。
うん、あのクリーム入りのヤツ。
で、誰が言い出したか忘れたけど、旧校舎の探検しようってなったんだよね。
61: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 21:42:21 ID:SaPfFQhN5M
立ち入り禁止なわりにはロープしか張られてないし、玄関の鍵以外はガラッガラだしさ、これはもう忍び込まない方が馬鹿じゃね?って感じで。
で、夜の…七時は過ぎてたと思うよ。
みんなで懐中電灯とかキャンプ用のランタン持ち寄ってさ、旧校舎に肝試しに行った訳。
今考えると、馬鹿の極みだけどさ。
62: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 22:05:32 ID:KTecCmgJ/E
鍵の掛かってない窓から中に入って。
ちゃんと上履きを本校舎から持ってきて履き替える辺り、まだまだ小心者だったなぁ。
いや、床を汚してあとあとバレたらヤバい、ってのもあったけどね?
一階の教室から見て回ったんだけど、まあ、木造なのと机や椅子がない事以外は大差なかったっけな。
あ、掃除されてないから汚い、ってのがあったか。あとギシギシうるせーの。忍者屋敷の廊下みたいにさ。
63: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 22:13:18 ID:kvZJ1c/69U
ばあちゃんが「人の住まない家は傷みが早い」って言ってたけど、意味が分かった気がしたっけ。
…なに、前置き長い?
いやいや、ちゃんとどうしてそうなったかの説明しなきゃ分かりにくいと思ったんだけど。
あと、何で布団被ってんだよお前。
64: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 22:33:02 ID:KTecCmgJ/E
…まあとにかく、教室には変わった部分が見付からなかったから、じゃあ特別教室行こう、と。
音楽室とか化学室とか工作室とか−−そっちに進んだ訳さ。
けど、何にもねーの。
立ち入り禁止の旧校舎だよ?
ロマンの塊じゃん、幽霊の一つや二つ出ねえかなってみんな期待してたんだよ。
けど、何もねえんだよ。
音楽室の肖像画なんて、画鋲で目を光らせるイタズラだったし。何それっつーか。
65: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 22:39:36 ID:kvZJ1c/69U
みんなテンションがた落ちでさー…、それでも忍び込んだからにはコンプリートしようって変な意地張ってさ。
で、三階だったかな…図書室に入った。
うん、オチは読めるよな?
何もなかった。
俺以外にはな。
66: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 23:00:54 ID:MS1/qmWxlE
さっき、教室の机とか椅子がないっつったじゃん。でも、図書室には本が全部…かな?多分、全部だろ。棚に残ってたんだよ。
で、床が綺麗な訳。
こりゃ古い図書の保管場所にしてんだろな、って思ってさ、だから玄関しか鍵掛かってないんだな、と納得もしてさ。
じゃあ次行こうぜーとなったんだ。
俺は懐かしいラノベ発見したから、ちょっと借りてあとで戻せばいいか、って最後に図書室出ようとしたんだ。
67: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 23:13:16 ID:SaPfFQhN5M
そしたら、後ろから
《本をお借りでしたら、こちらで手続きをお願いします》
女の人の声がした。
肝試しのメンバーは男ばかりだったからな。やべ、とうとう出たかマジモンの幽霊、と。
とんとん、と肩を叩く手の感覚もする。
なのにさ、他の奴らは何も聞こえたり見えたりしてない感じに図書室出てっちゃう訳よ。
《貸し出しの手続きを》
俺の真後ろからはっきり声がしてんのに。
68: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 23:25:36 ID:MS1/qmWxlE
仕方ないから腹を括って振り向いたんだ。
すげー美人の女の人が立ってて、困ったような笑顔っていうのかな、そんな顔をしてた。
透けてたけどな。
そのあとはもう、場の空気に飲まれちまってさー…。
《期間はどれくらいですか?》
「あ、えーと、一週間…で」
《はい、ここにクラスと名前を》
自分でも何やってんだろうと思いながら図書貸し出しの手続きしてたね。
69: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 23:35:25 ID:kvZJ1c/69U
ひらひら手を振ってる女の人に反射的に礼をしながら、俺は旧校舎の図書室を出た。
先に探検してた奴らがお前何してたんだよって聞いてきたけど、何か秘密にしておきたくてさ、懐かしい本見付けて読んでたって嘘ついたんだ。
−−そんで、結局図書室以外には何も起こらずに、旧校舎の肝試しは終了した訳。
これが、俺が高校の夏に体験した話。
70: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/8(火) 23:46:23 ID:MS1/qmWxlE
あの女の人…司書さんって言うんだっけ?何者だったんだろうな。
幽霊がフツーに本の貸し出ししてるって、今思い出しても不思議だよな。
まあ、あの司書さんのおかげで本読むのが面白くなって、受験勉強とか少し楽になったけどさ。
……ん、旧校舎?
もうずっと昔に取り壊されたよ。
司書さんが成仏したのかどっか行ったのかは分からない。本校舎には出なかったし。
でも…
どこかの廃校で、今でも司書さんやってるんじゃないか、って。
俺はそう思ってるよ。
71: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/11(金) 06:26:59 ID:kvZJ1c/69U
『その名前は』
ぺたり、ぺたり、と鮮やかな色が丁寧にカンバスに載せられていく。
夕陽の射し込む教室、少女が独り。
同じ色を塗りたくられたカンバスは、布が少しくたびれてきたのか、少女が筆を置く度に僅かにその場所が窪んだ。
一心に、時に重ねて、載せられていく色。
72: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/11(金) 06:48:09 ID:SaPfFQhN5M
少女は筆を置き、ペットボトルの中身を呷る。ぬるい紅茶が喉を滑り落ちる。
ふう、と小さく洩れる息。
それから少女は使い込まれたペインティングナイフを手に取って、刃先を滑らせた。
73: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/11(金) 06:59:15 ID:MS1/qmWxlE
ぽたり、ぽたり、雫が緩やかに皮膚を伝い落ちていく。
落ちた先は、パレットの上だ。
赤い朱い紅いそれを、少女は持ち替えた筆先に含ませて、カンバスに載せた。
数日前に塗られた場所の色は朱を帯びた褐色に変化しつつあるが、今日筆を走らせた場所は、鮮やかな光沢を放っている。
74: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/11(金) 07:08:48 ID:kvZJ1c/69U
いったいどれくらいの色を載せたのだろう、ほぼすべてを同じ《絵の具》で塗り込められたカンバス。
それに尚も筆を走らせながら、
「ああ、なんて綺麗」
夕暮れの教室にたった独りで。
少女はうっすらと笑みを浮かべていた。
75: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 02:14:12 ID:kvZJ1c/69U
『本日も待ちぼうけ』
また失敗した。
オーブンの中から漂ってくる焦げた臭いに、思わず顔をしかめる。
これで何度目だろう、スポンジケーキはべしゃりと潰れて焦げ茶色になっていた。
冷めた頃合いを見計らって包丁を入れる。
………固い。
典型的な失敗作、だ。
76: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 02:35:40 ID:SaPfFQhN5M
仕方ないので焦げた部分は取り除いて細かく寸断し、冷蔵庫から取り出したヨーグルトの中に苺ジャムと一緒に入れてかき混ぜる。
苺ジャムの赤に染まっていくヨーグルトを見つめ、もうケーキ作りはやめようかと溜め息をついた。
飲みかけだった紅茶は温くなっていて、あまり美味しくない。
77: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 02:50:41 ID:kvZJ1c/69U
どうしてだろう、レシピ通りにしているのに。ネットで失敗しない作り方も検索しまくって、それなのに。
「…諦めろ、って事かな」
世の中、頑張っても出来ない事があるというけれど、それにしたってあんまりだ。
また溜め息をついて、ヨーグルトを一口。
78: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 03:14:32 ID:kvZJ1c/69U
最初はゼリー、次はクッキー。その次はなぜか白玉。羊羹や生チョコも作った。
全部美味しく作れたのに、この課題だけがどうしてもクリア出来ない。
この課題をクリアしないと、先生は現れてくれないのに。
「市販品じゃ駄目だしなあ」
市販のスポンジでショートケーキを作った時は、声だけのお叱りが飛んできたし。
79: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 03:29:11 ID:KTecCmgJ/E
…でも。
これが最後の課題なのだから、クリアしないと。やり遂げないと。
でないと先生はいつまで経っても私の卒業を認めてくれない。
いつまで経っても私のところに来てくれない。誉めてくれない。
「…せんせい」
いつまで経っても、向こう側にいけない。
80: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/18(金) 03:41:26 ID:KTecCmgJ/E
生徒が残らず課題をクリアしない限り、料理教室の扉は閉まらないのだから。
「不出来な生徒でごめんなさい、先生」
カラン、とスプーンを置いて容器を端に寄せ、テーブルにべたりと伏せる。
−−もうすぐで、先生が亡くなってから六年目の秋が来ようとしていた。
81: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 01:21:10 ID:kvZJ1c/69U
『恋愛を探偵する』
ノックスの十戒。
ヴァン・ダインの二十則。
ミステリの基本的ルールであり、時にミステリを縛り付け不自由にする約定。
でも、僕は叙述トリックも探偵が犯人でした、なんてラストも好きだったりする。
だがしかし。
82: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 01:32:20 ID:MS1/qmWxlE
僕の所属する部活の麗しい部長殿は、がちがちの古典派なのであった。
古典、本格、アンチミステリ何でも美味しく頂く僕とは正反対だ。
なので、部長と話しているといつの間にかミステリの定義についての論争が始まってしまい、よく他の部員達に呆れられてしまうのである。
83: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 01:48:16 ID:SaPfFQhN5M
「よくあんなに毎回討論出来るよなあ」
「内容も毎回違うしな」
「今日は部長が論破される方にポテトを賭けるわ」
「んじゃ、俺はその逆にシェイクを」
熱弁をふるう僕らの周囲で交わされる会話もまた、いつもの事で。
84: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 02:16:12 ID:MS1/qmWxlE
討論の途中で喉が渇き、手探りで飲み物を取ろうとすると、同じクラスの部員にコーラの缶を渡された。
部長も同じようにイチゴミルクの紙パックを副部長に渡されている。
………ボクシングのセコンドみたいだ。
そうして、下校のチャイムが鳴る頃。
本日のミステリ論議は僕の勝ちで終了した。
85: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 02:33:49 ID:KTecCmgJ/E
「…全く、推理小説の事となると君は頑固なんだから」
「その言葉そっくり返しますよ部長」
「可愛くない後輩だなあ」
「部長は可愛いですけどね」
そんな会話を交わしながら僕達はすっかり暗くなった帰り道を歩く。
部長はほんのり頬と耳を赤くしていて、つい十数分前までの凜とした姿とは別人のようだった。
86: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/24(木) 02:49:53 ID:kvZJ1c/69U
「日曜、部長の家行ってもいいですか」
「わっ、私の家!?いいいいけど、まだ、その、早いんじゃないかな!?」
「……じゃあ、映画とか買い物とかにしましょうか」
「う、うん、そうだねそれがいいよ私の部屋掃除してないし!」
別に掃除してなかろうが汚かろうが、僕は一向に構わないんだけど…。
恋愛に奥手すぎる部長の部屋への道は、どんな難事件を解決するより難しそうだ。
87: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 02:47:19 ID:MS1/qmWxlE
『つながらない言葉』
着信拒否の設定をして、アドレス帳から電話番号とメルアドを削除する。
これでもう、終わりだ。
いや、私の中ではとっくの昔に終わっていたのだ。あの人とは。
「…呆気ないなあ」
ケータイを手にしたまま床に寝転がる。
88: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 03:01:08 ID:SaPfFQhN5M
点けっぱなしのテレビはちっとも笑えないお笑い番組を垂れ流していて、でもチャンネルを変える為に起き上がるのはめんどくさかった。
蛍光灯が眩しくて、目を閉じる。
あの人が私に電話もメールも届かない事に気付くのはどれくらい先になるだろう。
忙しいのが言い訳か本当かは最後まで分からなかったから、考えるだけ無駄なんだろうな。
89: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 03:13:53 ID:kvZJ1c/69U
いったいどこで間違えたんだろう。
デートは割り勘にしてたし高いプレゼントもねだらなかったし、金銭面での負担じゃないはずだ。
奢るのが男のプライド、とかだったら別だけど、そんなのは最初に言えという話だし違うよね。
服のセンス、趣味の違い、好きなもの嫌いなもの…あと、何があるだろうか。
…色々原因を考えてみたけれど、自分に都合のいいようにしか思考が働かなさそうだから、やめた。
90: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 03:19:25 ID:KTecCmgJ/E
確かな事は、もう私からあの人に電話もメールもしないという事だけ。
それだけは確かだ。
………でも、それにしても。
恋愛の終わりって、こんなあっさりしたものだったかなあ…。
91: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 03:29:58 ID:kvZJ1c/69U
学生の頃は相手の挙動に一喜一憂して、泣いて笑って。
そんな恋愛をしていたのに。
大人になってした恋は、ついさっき完全に終わらせた恋は、
「…全然、悲しくないや」
ただ妙な空虚感を残しただけだった。
92: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 04:06:13 ID:kvZJ1c/69U
ごろごろ床を転がって冷蔵庫に辿り着く。部屋着だしこないだ掃除したし、まあ多分埃とか大丈夫だろう。
安い缶酎ハイを数本出して、のそりと上半身だけ起き上がった。
ぷし、と気の抜ける音と共にプルタブを引き起こして中身を呷る。
炭酸が喉に痛くてレモンが酸っぱかった。
93: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 04:23:05 ID:MS1/qmWxlE
缶の中身を半分くらい空けて、思う。
好きだと勘違いしていたのかも知れない。もしくは、途中から惰性になってしまったのを認めたくなかったのかも知れない。
色々楽しかったけど、でもそれだけだったら、二人でいる意味が違うのにね。
94: ◆bEw.9iwJh2:2016/11/29(火) 04:38:27 ID:kvZJ1c/69U
…酔った思考と感情が、つながらない言葉の羅列を頭の中に作り始める。
ああ、酒に弱いなあ、私。
「これが自然消滅ってヤツなのかな」
次の缶のプルタブを引いて。
この終わりを確実なものにする為に、電源を切ったケータイを床に放り投げた。
95: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 13:44:23 ID:FkjJxh.xuM
『花咲く頃に』
新しい鉢植えと苗を買った。
多肉植物は初めてだけど、日当たりの良い場所に置いているとすぐ光の方向に葉っぱが傾くので、何だか分かりやすい。
鉢植え…ユッカの方は葉っぱの縁がざりざりしている。乾燥に強いらしい。うっかり水やりを忘れても大丈夫、だろうか。
最後、クレマチスの苗。これは乾燥に弱いが初心者向けだそうだ。
さて、うまく育てられるだろうか。
96: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 13:56:12 ID:FkjJxh.xuM
ネットでユッカについて調べてみた。
…十数メートルに成長したユッカの画像が出てきた。何じゃこりゃあ!
…どうやら種類によって違うらしい。
成る程、だから幹がチョンパされた状態で鉢植えで売られていたのか、と納得。
白い花を咲かせるらしいが、果たして我が家のは咲いてくれるのだろうか?
97: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 14:10:01 ID:2X7Sn7osMQ
多肉植物について調べようと思ったが、品種名が書かれた札をなくしてしまった。
やっちまったぜ…。
仕方ないので多肉植物、でググる。文明社会は偉大だ。すぐ情報が出てくる。
ふむふむ、栄養のあげすぎにも栄養不足にも日光不足にも注意とな…。
「……………」
意外とめんどくさい植物だな!
98: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 14:31:14 ID:FkjJxh.xuM
最後にクレマチスでググった。
何々、最初は鉢植えにしてしばらく育てた方が枯れる危険性が少ない、と。
ふむ、虚弱なのか。でも成長すると繁殖力が旺盛で他の植物を駆逐するほど…。
脳内で擬人化してみた。虚弱ヤンデレに萌えたので、育成頑張ろう。
だが、我が家のクレマチスは種から発芽してあまり時間が経ってないヤツだ。
種から育てると花が咲くまで四、五年…。
先が長過ぎる。
99: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 14:57:00 ID:g/tnjEI7V2
……………。
「受付番号103番の方、お薬出来ました」
受付で診察料を支払ったあと、今月分の処方薬を受け取った。
「先月と同じお薬ですので」
症状はまだ快方には向かってくれていないらしい。お薬手帳も今ので何冊目になっただろうか。
「…なんか、美味いモンでも買うかな」
そろそろ昼時なので腹が鳴りっぱなしだ。
100: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/3(土) 15:18:28 ID:FkjJxh.xuM
スーパーでセール品やら惣菜やらをかごに入れながら、考える。
我が家の植物のどれかが花咲く頃には、自分の症状も良くなっているだろうか。
もしくは、逆に、………。
「あー、腹減った」
早く帰って、朝やり忘れた水やりをしないといけないな。
さて、自分が生きていく理由を作る為に迎え入れたあれらは、この先どれくらいの効果をもたらしてくれるだろうか?
101: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/14(水) 22:10:11 ID:2X7Sn7osMQ
『連続と不連続』
コンクリートの路面に落ちている、小さな植物の種。それをつまみ上げて空中に放り投げる。
くるくる、くるくる、自然のプロペラが付いた種は綺麗に回転しながら落下した。
何の種かは知らない。調べた事もない。
でも、毎年秋が来る度にこれをやるのは、楽しかった。
102: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/14(水) 22:21:02 ID:hBWtCCsS/Q
それも、今はもう出来ない。
種を毎年付けていたらしい樹木は、道路の拡張工事だとかで切り株すら残されずに伐られてなくなってしまった。
今年の秋は、コンクリートの路面にはゴミ以外何も落ちてはいない。
私のささやかな楽しみは、誰かの利便性の為に奪われたのだ。
103: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/14(水) 22:32:07 ID:g/tnjEI7V2
−−せめて。
せめて、あの種の一つでも持ち帰って。
育つかは分からないけど土に埋めたなら、もしくは親に大人に何の植物の種なのだと尋ねていたなら。
私の哀しさは、少しは薄まっただろうか。
《誰かの幸せは、誰かを不幸にする》
そんな言葉を思い出し、これも不幸というのだろうかと独り首を傾げて。
私はコツコツと靴音を鳴らし、歩いた。
104: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 21:04:45 ID:2X7Sn7osMQ
『コンビニに行く理由』
部屋着のスウェットの上にコートを羽織り、財布と鍵を手に家を出る。
十二月の夜空は雲がどんよりと重たそうで、雪一つないのがなぜだかつまらない。
目指すコンビニまでは、徒歩七分だ。
105: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 21:24:13 ID:g/tnjEI7V2
「いらっしゃいませ、こんばんはー」
辿り着いたコンビニのドアを開くと、いつもこの時間にレジにいる女性が朗らかな声を上げる。
雑誌コーナーに足を向け、昔読んだ漫画のペーパーバックを発見して懐かしい気分になった。年月が経つのは早い。
カゴにスナックや駄菓子、惣菜パンやドリンク類を放り込んでスイーツコーナーへ。
二種類のシュークリームのうち、どちらにするかしばし悩む。
106: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 21:35:33 ID:hBWtCCsS/Q
結局生クリームとカスタードのオーソドックスな方を選び、カゴに入れる。
ちらりとレジの方を窺うと、店員さんはチラシの整理をしていて綺麗な黒髪と両手の甲しか見えなかった。
作業の途中でレジ打ちさせるのは何だか気が引けるので、カップ麺コーナーへ移動し、買うか悩むふりをする。
我ながら小心者、だ。
107: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 21:57:44 ID:g/tnjEI7V2
店員さんの作業が終わって少し経った頃を見計らい、レジに行く。
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「あ…と、あります、」
不自然にならない程度に時間をかけてポイントカードを取り出し、渡す。
不規則な電子音がまるで自分の鼓動みたいだな、と思ったけど、それじゃ不整脈じゃねえか、と冷静な自分がツッコミを入れた。
108: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 22:01:46 ID:g/tnjEI7V2
会計を済ませ、「ありがとうございましたー」という声を背にコンビニを出る。
店の明かりが僅か遠くになった辺りまで歩いて、
「………はぁ」
足を止めて大きな溜め息をついた。
109: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 23:13:42 ID:hBWtCCsS/Q
今更のように全身が熱くなって、心音がやたらと耳にうるさい。
握り締めたビニール袋の重さが、手袋越しなのに指に痛かった。
(もう、ストーカー同然じゃねえかよ、俺)
何か、声を。
たった一言だけでも、何か言葉を。
それが出来なくて、彼女がレジに立つ時間にコンビニ通いを繰り返している。
110: ◆bEw.9iwJh2:2016/12/23(金) 23:30:49 ID:hBWtCCsS/Q
思い切って、玉砕覚悟で。
砕け散ったら、もうあのコンビニに行かなければいいだけの話、それだけなのに。
(…そんなん、つらくて無理だわ)
明日のクリスマスイヴ。
彼女は普段通りにコンビニのレジに立っているのか、それとも−−、
「………あーあ、もう何も考えたくねえ」
家に帰って酒でも飲むか、とビニール袋の中でガサガサ揺れるスナック菓子を見ながら、思った。
111: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 11:08:14 ID:7OaejmEFgE
『踏み出すその先』
布団の誘惑をはねのけ欠伸を一つ。
洗顔、歯磨き、寝癖直し、それらを終えてから着替えて朝食の席へ。
並んでいるのは−−和食?洋食?
食べているのに味は分からなくて、ちゃんと口に運べているのに肝心のそれを見る視界はぼやけている。
112: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 11:18:12 ID:ynbZaOnSW.
一緒のテーブルに着いている家族の顔も、靄がかかったように酷く曖昧だ。
賑やかに交わされているらしい会話も、文章としては耳に入ってこない。
(…うちは何人家族だっけ)
そんな簡単な事すらなぜか思い出せない。
思考とは裏腹に体は食事を終えていて、いつ支度したのだろうか鞄を手に取る。
玄関で、行ってきますと一歩踏み出し、
−−そこで、いつも記憶は途切れるのだ。
113: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 11:49:31 ID:tvwtCbnITM
《バイタルチェックの結果ですが、JCSVのままです》
《GCSでは?》
《E1、V1、M5…依然として低い状態です》
《…そうか》
《直接・間接共に対光反射及び眼位、》
《正常なんだろう?体温や呼吸器、脈拍に血圧…どれも変化なし、むしろ正常値だからね》
《…はい。なのに、なぜ…》
114: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 12:37:45 ID:7OaejmEFgE
また布団の中だ。
おかしい、確かに外に出たのに。
でも目が覚めたのだから起きなくては。
掛け布団を体の上からどけて立ち上がる。洗顔、歯磨き、寝癖を直してそれから。
…ああ、着替えだ。パジャマ姿のままでは××に行けない。遅刻したら叱られる。
朝食を食べて鞄を手にして、行ってきますと言いながら歩き出す。
右足、左足、と地面の感触が返ってきて、
−−また、視界が一面の白で覆われた。
115: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 12:59:05 ID:tvwtCbnITM
《お願いします、もうこの子しかいないんです!》
《落ち着いて下さい、本日お呼びしたのは経過報告と精密検査の了承を頂きたく…》
《検査ですか!?そしたらこの子が助かる方法が分かるんですか!?》
《…明確な回答は出来ませんが…。意識レベル以外は回復しましたので、》
《お願いします、どうか、どうか…!》
116: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 13:20:14 ID:7OaejmEFgE
目を開ける前に分かる、また布団の中に戻っている事に。
今度はこのまま寝ていてみよう。誰か起こしに来てくれるかも知れない。
……………。
誰も来ない。
いや…鳥の鳴き声や車の排気音、そういった喧騒すら聞こえない。
仕方ないから起き上がる。
そしてまた、家を出ようとしたところで、
117: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 14:05:34 ID:ynbZaOnSW.
布団の中にいた。
いしのなかにいる、じゃあるまいし、と思いつつ、今度は起き上がった。
階段をそろそろと降り、リビングを覗く。
………誰もいない。
あれ、おかしい、家族はどこに行ったのだろう。いつもなら朝食の支度も出来上がっていて、みんな椅子に着いていて。
そして出掛けるはずなのに、
…あれ?
118: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 14:14:28 ID:ynbZaOnSW.
出掛けるって、どこへ?
いつもは××に行く時間で−−××ってどこだ?学校?違う、どこだろう。
頭が痛み出す。
学校、違う、そこは違う。そこに通っているのは姉だ、ああ、姉がいたんだ、他には誰がうちにいる?
思い出したい、思い出せない。
廊下に座り込むと、じわりと額から垂れてくる汗が鬱陶しくて乱暴に拭う。
−−腕にべったりと赤い色が付いていた。
119: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 15:11:42 ID:ynbZaOnSW.
《患者の様態に変化、心拍と血圧上昇しています、すぐ病室にお願いします》
《分かった、すみませんがここでお待ち願えますか》
《先生、先程より心拍上昇しています。血圧上昇は収まりましたが…、》
《それ以外の変化は出ているか?》
《いえ、心拍と血圧だけです。波形の変化は他になし、分拍は現在134》
《洞性頻脈の症状に近いな…β遮断薬を投与する、用意を》
《はい!》
120: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 16:25:24 ID:ynbZaOnSW.
赤い。これは汗なんかじゃない。腕に、何より額からだらだら流れ落ちるこれは、自分の血だ。
そう認識した瞬間、着ていたパジャマがよそ行きの服に姿を変える。お気に入りの明るい緑色のシャツが、少しずつ赤く染まっていく。
座り込んだ廊下のフローリングの板には、コップの水を零した時のように赤い液体が広がっている。
(…ああ、そうだった)
今まで曖昧だった家族の顔を鮮明に思い出す。どの顔も血塗れで、首や腕や体が変な方向に曲がっている。
ぐしゃぐしゃに潰れた車の中。
(だから思い出せなかったんだ)
自分は、確か。
121: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 16:36:56 ID:ynbZaOnSW.
「早く行こうよお姉ちゃん!」
「こら、待ちなさい!鞄忘れてるわよ、それとシャツのボタンもちゃんと最後まで留めなさい!」
「あらあら、全く、二人ともはしゃいじゃって」
「久し振りに全員揃ってのお出掛けだからなぁ…すまんな、お前に任せきりで」
「でも、あなたはちゃんとこうやって休みの時間を一緒に過ごしてくれるでしょう?…だから、いいのよ」
「ねー、母さんも父さんも早くー!」
122: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 16:55:24 ID:OHGmZhbDl6
それで。
帰り道、車が、
向こう側からふらふら動く大きな車がぶつかってきて、そして、
「…母さん、父さん…」
僅かにぼやけた視界に映るのは、ぶつかってきた車に潰された両親。力が抜けたその腕先から水道のように流れ落ちる血。
姉はドアのガラス部分に頭を強打したのだろう。シートベルトに辛うじて体を支えられた状態で、首がぐたりと斜めに垂れていた。
123: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 17:07:13 ID:ynbZaOnSW.
みんな、真っ赤になっていた。
それは自分も同じで。
−−思い出した。思い出してしまった。
途端に、周囲が真っ暗になる。鼻血を出した時より酷い血の臭いが立ちこめている。
だからだろうか、体が重くて痛くて、頭がぼうっとして苦しい。
あれ、もしかして、自分は…自分も死んでしまうのだろうか。
124: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 17:34:10 ID:ynbZaOnSW.
「こんなとこで何してんのよ」
唐突に頭上から降ってきた声に、顔をゆっくり持ち上げる。
そこには、姉が立っていた。
あの血塗れの虚ろな瞳ではなく、快活な表情と勝ち気な瞳をした姉が。
「全く、お姉ちゃんがいないとあんたはダメねぇ。ほら、こっち」
腕を掴まれて立たされる。
「お、お姉ちゃん、」
「いつまで寝坊してんのよ。向こうで待ってんだからね?」
125: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 18:20:30 ID:OHGmZhbDl6
《呼吸に変化、呼吸数上昇》
《皮膚と爪…唇と歯茎の色は変化なしか》
《体温の上昇なし、胸部の凹みなし。頻呼吸の疑いは軽度でしょうか》
《…待て、波形に変化が出てきた。これはまさか…》
126: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 19:06:17 ID:ynbZaOnSW.
「どこに行くの?」
腕を引かれるままにあとを付いていく。あんなに重くて痛かった体が、今は軽い。
「お祖母ちゃんのところに決まってんでしょ。せっかく迎えに来たんだから、きりきり歩く!」
「え…だってお祖母ちゃんは」
「……いい?もう、あんたしかいないの」
次第に真っ暗だった世界に、様々な明るい色が混じり出す。
あれは母さんのエプロンの色。あれは父さんのスーツの色。あれは、お姉ちゃんの制服の色。
そして、姉が歩く方向の、その先には。
127: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 19:20:51 ID:7OaejmEFgE
お祖母ちゃんの着る割烹着の色が、きらきらとふわふわと足元を照らしている。
「あたしは、ここまで」
ぐい、と僕をその色の方に押し出して、お姉ちゃんは言った。
「何で?そうだ、母さんと父さんは、」
「あたし達は、もうお祖母ちゃんのところには行けない。でも、あんたは帰れる」
「お姉ちゃん…?」
気のせいだろうか、背後から聞こえる声が遠くなっていく。お姉ちゃんは、すぐ後ろにいるはずなのに。
128: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 19:34:46 ID:ynbZaOnSW.
「自分で行きなさい。あたしはここから先には行けないから。お祖母ちゃんのところに行ってあげて」
「でも、」
お姉ちゃん達は−−そう尋ねようと振り返ろうとした僕に、
「あたし達は、ずっと家族だからね」
とん、と軽く背中を押されて。
僕は反射的に足を前に出して、歩みを進めた。
光の射す、その向こうへと。
129: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/18(水) 20:01:42 ID:OHGmZhbDl6
……………
眩しい。何だか、騒がしい。
「患者の意識、回復しました!」
「血圧安定、サチュレーション98%、血中酸素濃度異常ありません」
難しい言葉がたくさん聞こえる。ここはどこだろう。周りの人達は、誰だろう。
真っ白な部屋の中に、真っ白な服の人ばかり、だ。
ああ、でも。
「よかった…よかった…!」
お祖母ちゃんの声が聞こえて、僕はお姉ちゃんの言葉を思い出す。
そっか。お祖母ちゃんが僕を待ってたんだな、って。確かに僕は寝坊しすぎだな、って思った。
130: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/31(火) 14:58:38 ID:7OaejmEFgE
『変わらない』
雨が降る。
透明なビニール傘の視界越しの世界は、ぼんやりと曇っている。
診察券を機械に通して出てきた感熱紙の診察票を手にして、ただ番号を呼ばれる時を待った。
131: ◆bEw.9iwJh2:2017/1/31(火) 15:08:05 ID:OHGmZhbDl6
「…睡眠時間は」
「食事はなるべく三食取るように」
「…また、来月」
診察室から出てきた患者は張り付いたような表情を消して、売店へと歩いていった。
「……………殺したい、な」
そう呟く声は、喧騒と雨音に掻き消された。
132: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 17:08:27 ID:j0wVgCCdXA
『そこにいる』
引っ越しをした。
勤め先が不況の煽りを食って潰れてしまい、親兄弟友人とつてを頼ってどうにか見付けた新しい場所は、辛うじて糊口を凌げる賃金しか懐には入らなかった。
なので当然、住まいも変える他なかったのである。実家住まいにするには、些か距離がありすぎた。
不動産屋で懐具合と相談しながら紹介された物件の間取りと家賃の数字をじいっと睨む。
「どうかね兄ちゃん、決まったかね」
火の点いていない煙草をくわえた不動産屋の主人が、机に頬杖を着きながら言った。
133: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 17:26:44 ID:ySNMiVLy6I
「いえ…なかなか。ついあれこれ欲張ってしまって、難しいですね」
「はは、まぁそういうモンさね。時季外れで暇だからな、じっくり悩んで探しとくれ」
家は慌てて決めるとあとで困るぞ、と鷹揚に笑って主人はスポーツ新聞を読み始めた。
親の紹介で訪ねた相手だからというのもあるのだろうか、穏やかな雰囲気に急いていた気持ちが落ち着いてくる。
そうだ、確かに一日の疲れを癒す場所を家賃だけで決めるのは良くない。
改めて物件の周囲説明にもよぅく目を凝らし、出してもらった少し渋めのお茶を啜る。舌に残る苦味が、なぜか落ち着く。
134: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 18:02:16 ID:ySNMiVLy6I
−−と。
書類をめくった途端に指先がちりっとして、先程まで何度も繰り返し読んだはずなのに、初めて見るアパート名と間取り図が視界に入った。
うっかり二枚分めくってしまっていたのだろうか、と思いながら目線を落とす。
………間取りや周辺情報の割には、家賃が変に安かった。
台所風呂トイレ付き、部屋は六畳間と四畳半一つずつ。駅まではそこそこの距離だが、近隣にはコンビニや銀行もある。
これは、結構な好物件…だと思うのだが。
「あの、」
135: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 18:27:36 ID:j0wVgCCdXA
意を決して声をかける。
「なんだ、決まったのかい?」
「いえ、…その、この物件なんですが」
僕が卓上に差し出した書類を一瞥した主人の口から、煙草がぽろりと落ちた。
「兄ちゃん、これ、どこから」
「…?あの、書類の中にありましたが…」
途端に今まで読んでいた新聞を床に投げ、物件情報の詰まったファイルを開き、真剣な表情で中身を確認してゆく。
その行動に唖然とするが、主人は何度かファイルを調べてから片手で額を覆い、大きく嘆息した。
136: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:03:45 ID:j0wVgCCdXA
これは…まさか、もしかして。
「訳あり物件…なんですか…?」
そう尋ねると、主人は卓上に転がっていた煙草をくわえ直し、僅かに頷いた。
「だが事故物件、って訳じゃねえ。ただ、居着かねえんだよ」
「え……」
「お前さんだから言うがな、この部屋はやめとけ。今まで入居した奴のどれもが半年も保たなかった」
事件も自殺も孤独死だのも、何一つ起きていない部屋。
だのに、出て行く住人が皆、口を揃えて言うのだ。
『あそこには何かがいる』−−と。
だからこの物件はファイルにしまったまま、訪れる誰にも見せなかったのだと。
137: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:13:54 ID:tqfCNMu0GE
……………
そんなやりとりを経て、しかし。
僕はそのアパートに入居を決めた。
当然、不動産屋の主人には他にも住む場所はあるだろう、何を物好きな、と半ば叱られるように説得されたのだが、僕の気持ちは変わらなかった。
手続きを終え荷物を運び、テレビとパソコンと布団だけを引っ張り出した広い部屋の真ん中に座る。
軽く周囲を見渡してみて、
138: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:32:17 ID:tqfCNMu0GE
(………あれ、が)
部屋の隅、やけに暗いその一角に。
髪の毛の塊かと思うほどの長い長い黒髪に埋もれた女が、いた。
(あんなにはっきり視えるのに)
視線を向けても女は動かない。
見ているのに飽き、テレビを点ける。ニュース番組が映り、今日一日の事件や出来事が読み上げられる。
………やがて腹が減り、面倒だからと作ったカップラーメンを啜りながら、思い出したように部屋の隅を見た。
女は動かないままだった。
139: ◆bEw.9iwJh2:2017/2/8(水) 19:45:42 ID:tqfCNMu0GE
それから半年が経つ。
不動産屋の主人や、彼から話を聞いたらしい両親からは心配する電話が時折来るが、生活に変化はない。
彼女が出来ても連れ込めないぞ、と我が家の事情を知った友人からはそう言われたが、その予定はこの先ずっとないだろう。
「おはよう」
うるさい目覚ましのアラームを止め、起き上がり部屋の隅に向けて一声。
女は動かない。
でも、それでいい。
布団をたたみ、朝のあれこれを終えて出勤の支度をする。
「行ってきまーす」
玄関先で靴を履く僕の背中に、
《行ってらっしゃい》
小さな女の声が届いた。
140: ◆bEw.9iwJh2:2017/3/5(日) 12:47:48 ID:L5Me1/ehqI
スランプ入ったので、保守だけ致します
141: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/7(金) 23:59:40 ID:1rd85dK/cs
『ひたすらに』
さくり、と土にシャベルの先を差し込む。
足を掛けて更に押し込み、傾けて、掬い上げる。それを日がな一日繰り返して。
夕暮れに気付けば埋め戻す。
………いつからだろうか、休みの日が来る度に、そんな訳の分からない事をするようになっていた。
雨の日や雪の降る日以外は、ずっと。
142: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:06:48 ID:XN1gQfBILc
何を探している訳でもなく、何かを埋める為でもなく、ただひたすらに穴を掘り、埋める。
それを繰り返して。
気が付けば家の庭には掘っていない場所などなくなっていた。
(さて、どうしよう)
ここにきて初めて、自分はなんと無意味な事を続けているのだろうと呆れる気持ちが湧いたが、それはほんの一瞬。
視線と足は次に掘るべき地面を勝手に探し求めている。
143: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:18:29 ID:XN1gQfBILc
一度掘った地面ではいけないのか、と自らに問い掛けてはみるのだが、
(そもそも何故、穴など掘りたがるのか)
(他に時間を使えばいいだろうに)
(このシャベルだってもう何本目なのやら)
その根本的な理由さえ分からないのに簡単に答えが出るはずもなく、溜め息と共に庭の片隅にしゃがみ込んだ。
144: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:24:47 ID:XN1gQfBILc
それからは、夜に出歩くようになった。
昼間にシャベルを担いで勝手にそこらの地面を掘り起こすなど、通報モノの行為である自覚はあるからだ。
柔らかい、時には固い土にシャベルを突き立てながら、どんどんと掘り進み。
いつの間にか、季節は春になっていた。
145: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/8(土) 00:39:26 ID:1rd85dK/cs
ざぐ、ざぐ、と何度突き立てても僅かしか進まないシャベルに、ふと顔を上げる。
うっすらと汗がにじんだ頬に、風に吹かれた桜の花びらが張り付いた。
(桜の樹の下には、だったか)
視界一面に咲き乱れ舞い散る白を見上げ、昔読んだ小説の題を思い出す。
……………ああ、そうか。
もしかしたら自分は、桜の樹の下に埋まっているそれを見たくて、こうして掘り続けているのかも知れない。
146: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 17:42:52 ID:.oby9THsoA
『おいでください』
掃除も終わり、元気に部活動へと飛び出していく後ろ姿や帰宅しようとリュックや鞄を手にするクラスメイト達の背中を見送る。
そうして、午後の教室に独りになったのを確認して、自分の鞄から一枚のルーズリーフと潰れた鈴を取り出した。
椅子に座り、紙を広げて鈴を置く。
紙には五十音ではなくいろは歌。はい、いいえ、は書いてはあるけれど、真ん中より少し上には鳥居ではなく井戸の『井』に似たものがあった。
『井』の部分に置いた潰れた鈴に指を当て、小さく息を吸う。
そして、
「『りょうじんさま、りょうじんさま、おいでください』」
その言葉を音にした。
147: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 17:55:05 ID:1rd85dK/cs
指を置いた鈴は動かない。
けれど何度も繰り返し、言葉を紡ぐ。
気の所為だろうか、右耳にきぃぃぃんと耳鳴りのような音がし始めて眩暈がする。
「『りょうじんさま、りょうじんさま、おいでください』」
幾度繰り返しただろう、ああ、やはりただの噂か、と気落ちしかけたところで
ぎ、ぎぎ、ぎぢ、
鈴が妙な音を立てながら動き出した。
148: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/26(水) 19:04:02 ID:.oby9THsoA
指が震え、吸い込んだ息を飲み込む。
まだ何も問い掛けないうちに、鈴は上に乗せた指を置いていくような速さで紙のあちらこちらへと動いた。
慌てて鈴の動きを目で追い掛ける。
《ぬしはたれか》
…これは、…お前は誰か、という意味だろうか?
『りょうじんさまには名前を教えちゃダメなんだって』
『名前を聞かれたら、こう答えなきゃいけないんだって』
名前…私の名前ではなく、確か、
149: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 01:50:27 ID:.oby9THsoA
「…よりわら、です」
答えた瞬間、空気がどろりと重くなった気がした。
潰れた鈴がぎちぎちと揺れて、紙を引き裂かんばかりの勢いで言葉を綴る。
《なにようてよひたしたか》
…これは、ええと、何の用で呼んだか、と聞いているのだろう。濁点のない文字で作られた文章は、すぐには意味を読み取れない。
150: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 02:57:08 ID:.oby9THsoA
用意していた質問を投げかける。
一問毎に、答えが返る度に空気が水飴のように粘ついて、呼吸が難しい。
そして、何より、
軽く指を置いているだけのはずの鈴が、潰れて鳴る事など有り得ないはずの鈴が、濁った音を響かせるのだ。
(…これ、こっくりさんの一種だって聞いたんだけど…違うの?)
体が重い。
息が苦しい。
−−耳鳴りが、鈴の音が、きぃきぃぎぢぎぢごろごろ、と、
151: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 03:48:26 ID:XN1gQfBILc
「ヤバいヤバい、忘れ物しちゃったー」
不意に、廊下の向こうからこの教室に向かってくる声と足音が聞こえた。
不味い、『りょうじんさま』はやっているところを誰かに見られてはいけないはず。
吐息のように掠れた声しか出ない状態で、お帰り下さい、と何度もお願いするが、先程までとは打って変わって鈴はぴくりとも動かない。
廊下の足音がドアの前で止まった。
152: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 04:16:06 ID:L7gV6e5ZO6
ガタガタ、とドアが揺れる。
−−開かない、のだろうか?変だ、私は鍵などかけていないし、そもそも持ってもいないのに。
「あれ、おっかしいなー」
不思議そうに呟く声。
その間も私はひたすらにお帰り下さいと願い続ける。鈴はやはり動かない。あれほどに素早く動いて、こちらの質問に答えていたくせに、どうして。
ばん、とドアを叩く音に、びくりと体が震えた。忘れ物を取りに来たクラスメイトの苛立ち混じりの困り声がする。
動かない鈴。
開かない教室のドア。
153: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 04:46:38 ID:.oby9THsoA
(こうなったら−−)
鈴を『はい』の方向に動かそうと指に力を込める。潰れた鈴は酷く歪で、紙がぐしゃりと引き攣れた。
けれど、鈴は。
びり、と紙が破けた。
反射的に指が鈴から離れる。ああ不味い、終わるまで指を離してはいけないのに。
「ひっ」
破けた紙の隙間から、真っ黒な瞳が覗いている。誰かが私の足を掴んでいる。
誰、誰の手だ、誰か隠れていたとでもいうのか。そんな訳はない、ちゃんと『りょうじんさま』を始める前に確認したのだ。
では、誰の手だというのか。
154: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 05:26:16 ID:XN1gQfBILc
「**さん?まだ残ってるの?」
こちらの声が聞こえたのだろう、廊下の向こうでドアを揺さぶりながら私の名を呼ぶ。
『りょうじんさまには名前を教えちゃダメなんだって』
−−ああ、もうだめだ。
紙の破れ目から覗いていた瞳が消え、代わりに青白い腕がずるりと伸びてくる。私の首を物凄い力で掴む腕を振り払おうとするが、僅かも動かず息が出来ない。
霞んでいく意識と視界の中、
《よりわらがおみなこならば、われのひめにいたそうか》
…………そんな声が聞こえた。
155: ◆bEw.9iwJh2:2017/4/27(木) 05:43:24 ID:XN1gQfBILc
漸く開いたドアの向こう、クラスメイトの声が聞こえたはずの教室の中。
そこには誰の姿もなく、ただ机の上に破れてぐちゃぐちゃになった紙一枚と、壊れた鈴があるだけだった。
「『りょうじんさま』って知ってる?」
「一人でやらないといけないんだって」
「名前を知られちゃいけないんだって」
「もしやってみたいなら、気を付けた方がいいよ」
「名前を知られると、女の子は『りょうじんさま』に連れて行かれちゃうから」
156: ◆bEw.9iwJh2:2017/5/24(水) 22:13:26 ID:1fPQQ0J6mM
『たくさんのからっぽ』
計測した体温を手帳に書き込み、ゆっくりとベッドから起き上がって欠伸を一つ。
まだ夢の中だろう彼を起こさないように、静かに寝室のドアを開けて洗面所へと、少し寒い廊下をぺたぺた歩く。
夜明けの光が洗面所の小窓から差し込む。太陽の黄金色が、瞼越しでも眩しい。
楽しくてちょっとだけ憂鬱な、一日の始まりだ。
157: ◆bEw.9iwJh2:2017/5/24(水) 23:08:33 ID:Gv09HI1T.U
「…うん、分かってるって。次の休みにはそっち行くから」
お弁当を作っている最中、電話に出てみると母からだった。
姓が変わってからずっと、実家にはお盆だの正月だのしか帰っていないから、最近はこうして掛けてくる電話の数が増えている。
別に姑や舅の方を優先している訳ではない。ただ、聞きたくない言葉を避けているだけだ。
「今、長電話出来ないから。じゃあね」
受話器を置き、台所に戻ってコンロの火を点ける。鮭の切り身が焼けていく匂いが空腹を刺激する。
「おはよー、朝ご飯は…魚かあ」
「おはよう。寝癖ちゃんと直した?」
158: ◆bEw.9iwJh2:2017/5/25(木) 00:06:46 ID:eONCqHXpI6
昼過ぎ。予約していた病院の待合室で、持参した小説のページをめくりながら呼ばれるのを待つ。
大きなお腹に幸せそうに手をやりながら歩いている女性が視界の端に映り、途端に気分が重くなった。
………どうして、
同じ女なのに、どうして私は、
こんなにも待ち望んで、頑張って苦痛に耐えて治療している、のに。
叫び出したい思いを、目を閉じて沈めた。
159: ◆bEw.9iwJh2:2017/5/25(木) 00:24:22 ID:Gv09HI1T.U
夜。ご飯もお風呂も終わって、あとは。
−−けれど、そんな気分にはなれなくて。
「疲れてるみたいだから、今日は早めに眠ろうか」
優しい声と一緒に明かりが落ちる。丸い光の残像が、溶けるように消えていく。
この人は、優しい。
私の所為なのに、責めない。
お義母さんもお義父さんも、仕方がないと、こればかりは授かり物だから、と。
私の両親とは反対に。
「……ごめんなさい」
いつか。
からっぽの私に、このたくさんの優しさが、宿ってくれるようにと。
平らな自らの腹を撫で、眠りについた。
160: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 01:35:25 ID:AU/oBEF7ww
『入らずの間』
「この部屋には、決して入ってはいけないよ」
幼い頃、初めて祖父母の家に両親と一緒に訪れた時、飴色の襖の引き手を撫でながら祖母がそう言った。
どうして?と首を傾げながら尋ねると、
「この部屋に住んでる人がね、たいそう気難しくてね。知らない人が部屋に入ろうとすると、怒ってしまうんだよ」
だから、お前はこの部屋には入ってはいけないよ、と祖母は厳しい顔で言った。
161: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 01:57:50 ID:pw.yP2yUHA
あれ、この家は祖父母だけが住んでいるのではなかったのか、と不思議に思ったが、きっとテレビドラマで見た居候とかいう人がそこにいるのだろうと私は納得した。
古くて大きな家を探検してみたかったけれど、すぐに私は川遊びや野草の押し花作りに夢中になり−−結局その部屋には近付く事すらなく、自分の家に帰ったのだった。
それから何度か遊びには行ったけれど、私は祖母の言い付けを守り続けた。
怒られるのが嫌というのもあったが、その部屋の近くを通ると訳の分からない苦しさがして、禁を破る気にはなれなかったのだ。
そうして、何年過ぎた頃だったか。
祖母が亡くなった。
162: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 02:16:10 ID:xw6rP73Pa2
喪主を務める母が親戚の女性達と忙しそうに家中を歩き回り、弔問客に挨拶をして食事を出す。
「父さん達は手伝わないの?」
ご飯の準備や後片付けをしている母達とは対照的に、父や祖父達はただ座敷に座っていた。
そういえば、何故喪主は母なのだろう。
祖父はまだ頭もしっかりしていて、体の何処も悪くないというのに。
疑問が顔に出ていたのだろう、父は決まり悪げに微笑して、
「この家は男があまり好きじゃないからな。お義母さんが亡くなって機嫌も悪いだろうから、これ以上損ねないようにしないといけないんだ」
そう言った。
163: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 02:28:11 ID:Ns7pzH0A7A
この家。
この家とは、どういう意味だろうか。
ますます疑問が増えたけれど、誰に問い掛けてもきっとちゃんとした答えは返らない気がして、私は顔を伏せた。
祖母の遺言には、叔母が次の家持としてこの家に入るように、と奇妙な文言があった。
164: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 02:41:15 ID:Ns7pzH0A7A
叔母とはあまり話した記憶はないが、物静かな人だったと思う。
祖母の四十九日を終えたその夜、叔母はそれまで住んでいた家を引き払い仕事も辞めて、あの大きな屋敷に移り住んだそうだ。
「すまんなぁ、わしには何も出来ん」
「いえ……お母さんも、ずっと頑張ってたから。それに、誰かがやらないと」
そう叔母と祖父が話す声が、耳に残った。
165: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 03:01:03 ID:xw6rP73Pa2
……………
あれは何年前の事だったろう。今、私は叔母の葬式に参列している。
やはり男連中は座敷から動かず、動けず、私を含めた女性陣が葬儀の手配やら弔問客への挨拶や食事やらをしている。
そんな中、先日結納を済ませたばかりの彼が、居心地悪そうに正座した足をもぞもぞと動かしているのが台所から僅かに見えた。
ああ、式の日取りをこれから決めるところだったのに、と申し訳ない気分になった。
「次の家持は誰になるんだろうね」
「可哀相に、こんな家に生まれさえしなければ」
「しっ、そんな事言うもんじゃないよ。《あれ》に聞かれたらどうするんだい」
漆器に料理を盛りながら、母と遠縁の女性がそんな会話をしている。
166: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 03:19:01 ID:xw6rP73Pa2
「あら、器が足りないわ」
「あ、じゃあ私が取ってきます。三番目の棚ですよね」
「ごめんね、お願い」
歩く度に軋む廊下を進みながら、私は亡くなった祖母と叔母の事を思い出す。
この家に縛られて亡くなった二人。
いや、そもそもどれほどの女性がこの家に飲み込まれたのだろうか。棄てようとは思わなかったのだろうか。
「…馬鹿だ、私」
−−それが出来ていれば、みんなとうの昔にしていただろうに。
167: ◆bEw.9iwJh2:2017/6/23(金) 03:39:30 ID:xw6rP73Pa2
棚から漆器を出し、台所へと戻る途中。
あの部屋の襖が僅かに開いているのが見えて、驚きに危うく漆器を取り落としそうになった。
誰だ、開けたのは。
いや、それとも、中からか。
入りさえしなければ大丈夫なはず、と器を床に置いて恐る恐る部屋へと足を進める。
今までぴったりと閉ざされていた襖の向こう、僅かに覗く部屋の中から、
《次は、貴女》
《可愛い子、これで寂しくない》
《一緒にいるあれは、我慢してあげる》
《おいで、こっちに》
そんな幾つもの声と共に、たくさんの瞳が私をじぃっと見つめて笑っていた。
168: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/5(水) 01:34:36 ID:ky0ZuqYOrA
『繰り返す夢』
「違う、あの人はそんな事言わない」
そう言って少女はざくり、と心臓を抉る。
鼓動が完全に停止する前に『彼』は白衣を着たスタッフに取り囲まれ、焼却炉へと運ばれて投げ込まれた。
血塗れのナイフを握り締め、だんっ、だんっ、と床を踏み鳴らして少女は苛立った声を上げる。
「違う!あの人じゃない!どうして、何で違うの!何が違うの!」
169: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/5(水) 01:58:27 ID:SA2aCmnvZw
何名かのスタッフが少女に駆け寄り、ナイフを取り上げてから宥める為の言葉を繰り返し口にする。
床に広がった血溜まりを、清掃ロボットが無感情に無感動に掃き清めてゆく。
ぜえぜえと息を荒くしながら、
「次は、次の次は、あの人なのよね…?」
幾つものクローンの眠るカプセルを前に、懇願するような諦念のような言葉。
170: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/5(水) 02:07:53 ID:CBHiyoo4lc
そんな『彼女』の姿を見ながら、
(………みんな、僕なのに)
好き嫌いも趣味趣向も、永遠に変わらないものだと信じて疑わず。
少しでも己の求める存在と違うと思えば凶刃を振るい、目的を見失った少女の姿に、
−−次の僕も殺されるのだろうな、と思いながら、少年は『次』の体の瞳を開いた。
171: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 00:34:27 ID:CBHiyoo4lc
『優先順位』
×月×日
主人がケーキ屋に私の誕生日ケーキを特別注文したと言う。
私は主人とは違って食べられない物が色々あるから、大切にされているのだと実感して嬉しくなった。
×月×日
うっかり主人の机の上の本を床にぶちまけてしまった。
さすがに温厚な主人も怒るだろうと叱られるのを覚悟していたが、仕方がない、倒れるまで積んでいた自分がいけないんだ、と優しく頭を撫でられた。
怒られるよりつらくなった。
172: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 00:41:57 ID:ky0ZuqYOrA
×月×日
近くの公園に遊びに行く。
小さいこども達が無邪気に私に笑いかけたり、遊ぼうと言う。
−−私がこんな生まれ方をしていなければ、私にもこんなこども達がいただろうか。
173: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:05:58 ID:CBHiyoo4lc
×月×日
主人が電話の向こう相手に怒鳴っている。
あいつが掛けてきたのだろう。
もう関係ないのに、しつこい奴だ。
×月×日
主人が疲れた顔をしている。
私は何をすればいいのだろう。何をしてあげられるのだろう。難しくて丸まりたくなる。
主人の頬をぷにぷにとつついてみたら、少しだけ笑ってくれた。
174: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:08:35 ID:CBHiyoo4lc
×月×日
たすけて
175: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:19:52 ID:x3FiK8z9a6
×月×日
主人が助けにきてくれた。
違う、私の身の安全と引き換えにあいつに脅され呼び出されたのだ。
私が非力でなければ、主人をこんな目に遭わせなどしなかったのに。
………私に出来る事。
何がある?
×月×日
あいつをころした
しゅじんを、わたしをころそうとしたんだ、ころされてももんくはいえないだろう
ひとごろしになってしまったわたしを、しゅじんはだきしめてくれた
ごめんなさい、と
ちがう、それはわたしのことばなのに
176: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:40:51 ID:x3FiK8z9a6
○月○日
ペット用ケーキなんてあるのを初めて知った。もうすぐあの子の誕生日、奮発して注文をした。
喜んでくれているのだろうか、おなかを見せて、したしたと手足を動かしているのが可愛い。
○月○日
帰宅したら、本が雪崩を起こしていた。
耳をぺたーっとさせてぷるぷるしている様子からすると、遊んでいて落としてしまったのだろう。
…こんな姿を見せられては、怒れない。
頭をわしゃわしゃ撫でて、それから片付けに取り掛かった。
177: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:54:31 ID:SA2aCmnvZw
○月○日
あまり外に連れて行けていないから、ケージに入れて近くの公園に遊びに行った。
こんな穏やかな日ばかりだといいのに。
○月○日
別れてから何ヶ月経っていると思っているの?
もうやめて。
電話もメールも手紙も、もう嫌だ。
あんたなんか、もう好きじゃない!
○月○日
こんな飼い主でごめんね。
大丈夫、もうすぐあなたの誕生日だよ。
嫌な事は忘れて、ふたりで過ごそう。
178: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 01:58:46 ID:ky0ZuqYOrA
○月○日
あの子がいない。
部屋中ぐちゃぐちゃになって、何があったの、どうしていないの、どうして、何で。
嫌な予感しかしない。
179: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 02:08:40 ID:x3FiK8z9a6
○月○日
叩かれた。殴られた。痛い。怖い。
嫌だ、誰か助けて。
でも、私が逃げたらあの子が殺される。
あの子を守らなくちゃ。
助けて。誰か、私達を、助けて。
180: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 02:38:58 ID:CBHiyoo4lc
○月○日
服を破かれて、床に組み敷かれて、必死に抵抗した。
どれだけ殴られても、痛いだけならまだ我慢出来た。でも、これだけは嫌だ。
首を絞められる。苦しい。目の前が真っ赤になる。真っ黒になる。
助けて。たすけて。
だれか、
……………
血のにおいがする。
気を失っていたのだろうか、月明かりに照らされた周囲に目をやると、あいつが喉を朱く染めて倒れていた。
呼吸がうまく出来ない、ぼんやりした視界の中、あの子の姿を探す。
………ああ、なんて事だろう。
赤黒くなったあの子の口周りを見て、何が起こったのか分かってしまった。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい………
181: ◆bEw.9iwJh2:2017/7/24(月) 03:06:16 ID:CBHiyoo4lc
暗闇の中、土を掘り起こす音が響く。
小柄な女性が額を汗みずくにして、大きな穴を掘っている。
そのそばには、小さな犬が一匹。
やがて深い穴が出来上がると、女性は紐で幾重にも縛ったビニール袋を穴に落とし、シャベルを両手に土を被せ始めた。
「私達だけの秘密だからね」
そう囁く女性に、犬は頭を寄せて応えた。
182: ◆bEw.9iwJh2:2017/8/20(日) 20:50:28 ID:Hpj3uOBQo2
念の為、保守
183: ◆bEw.9iwJh2:2017/9/18(月) 09:10:33 ID:lbq1RUfxJc
すみません、保守します
184: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 17:48:21 ID:hPPvadIFTw
『いつまでも、きっと』
高校の入学式。
校門で同級生達と一緒に、先輩方に制服の胸元に入学祝いの花を飾られる。
ああ、つらい受験勉強に耐えた甲斐があったな、と私は校舎を見上げた。
春のまだ冷たい空気が呼気を白く染める。
雲一つない、空だった。
185: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 17:58:42 ID:lTKvx0TqP6
式も滞りなく終わり、クラスに戻って自己紹介になる。
同じ中学の子はいなかったけど、そこは頑張って自分から積極的に話しかければいい事だ。
全員の自己紹介が終わり、ではみなさん宜しくお願いします、とクラス名簿を手に担任がにこやかに微笑む。
そして、
「みなさん、胸の花飾りのリボンを見て下さい。引き継ぎの言葉が書いてあった生徒は、あとで私のところに来て下さい」
−−そんな、不思議な事を言った。
186: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 18:05:53 ID:GaWv.fXLD.
どういう事なのだろう、とクラス内がざわつく。
銘々に胸元の花を外し、リボンを困惑顔で見つめている。私も安全ピンを外して、リボンで作られた花飾りを見つめた。
紅と白の、艶のあるリボン。
《ごめんなさい、あなたに次を託します》
目立たぬように、とても細い字で薄く書かれた文字がそこにあった。
引き継ぎとやらが当たったのは、私だった。
187: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 18:24:20 ID:lTKvx0TqP6
「…先生、これですけど、」
あのあとは家族が校門で待っていて、ファミレスでとはいえささやかな入学祝いをする予定だったので……、
何をやらされるのか、という恐れもあったから、私が担任に声をかけたのは入学式から数日経った日の放課後だった。
担任は私がおずおずと差し出したリボンの花飾りを受け取り、
「ありがとう。名乗り出ない生徒もいたりするから、安心したわ」
じゃあついていらっしゃい、と職員室へと歩き出した。
188: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 18:40:32 ID:kKq5s4c8qE
職員室には数名の教師がおり、私と担任を見て一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐにリボンの花飾りを見て納得したらしい顔になった。
何だか居心地の悪い気持ちだが、担任のあとについていく。
担任はスチール製の棚の鍵を開け、そこから御守りの付いた鍵と花瓶を取り出し、
「この鍵を一年間あなたに預けるわ。それと、この花瓶。これは今から教える場所に持って行く物なの」
私のてのひらに鍵を握らせ、職員室に置いてある花瓶から花を一輪取り出し、また歩き出した。
189: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 19:10:09 ID:hPPvadIFTw
まだ校舎内の構造は把握出来ていないので、何処に向かうのか少しだけ不安になる。
向かう先は特別教室が並んでいるらしい方向で、階段を上る担任の細い足首が何故だか目に焼き付いた。
「この教室よ」
辿り着いたのは三階の突き当たりで、担任は片腕に小さな花瓶を抱えたままその教室の扉の鍵を開けて足を踏み入れた。
教壇と机と椅子が規則正しく並んだ、しかし僅かに埃っぽい空気の匂い。
どうやら特別教室ではない、使われなくなった普通教室のようだ。
190: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 20:18:08 ID:kKq5s4c8qE
担任は私の手に花瓶と花を差し出してくる。仕方なく受け取ると、彼女は教壇を指差して
「これから一年間、この教室に花を生けて頂戴。毎日じゃなくてもいいけど、一週間は越えちゃ駄目だから」
そう言って花瓶と花を飾るように示した。
「…あの、お花は買ってくるんですか?」
「大丈夫よ、学校で用意してるから。職員室前に花瓶出しとくから、そこから持ってって頂戴」
ごめんなさいね、うちの学校の決まりだから−−と担任は僅かに首を斜めにした。
191: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/14(土) 21:09:21 ID:kKq5s4c8qE
私は言われた通りに花瓶に花を生け、静かに教壇に置いた。
カーテンで閉め切られた教室の空気が、少しだけ揺れたように感じる。
担任に促されて教室を出る時、
《ありがとう、宜しくね》
そんな声が聞こえた気がして、思わず背後を振り返った。
そこには当然、誰もいなかったのだけれど−−どうしてだろう、花の香りとは違う甘い匂いが微かに漂っていた。
192: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/23(月) 04:08:58 ID:GaWv.fXLD.
***
その教室に生徒が入らなくなったのは、どれくらい昔の事だったか。
今この高校に残っている教師の中には知る者はいない。
ただ、『それ』が起きてからどれくらい経った頃だったか−−誰が言い出したのか、誰が始めたのか、何がそうさせたのか。
高校の中に詳細を知る者はいないけれど。
やがて一つの不文律が作り上げられた。
193: ◆bEw.9iwJh2:2017/10/23(月) 04:24:11 ID:hPPvadIFTw
空き教室になったその場所に、花を飾る事。
毎週欠かさず、一輪だけでも飾る事。
それをやるのは新入生である事。
決まり事は年月を経る毎に少しずつ足され、変化し、それでも続いてきた。
そうしてまた、この春、別の手が空っぽの教室に花を飾る。
それは、いつまでも、きっと。
いつか意味が風化し記憶が朽ち果てるまで続いてゆくだろう、花筐。
194: ◆bEw.9iwJh2:2017/12/10(日) 10:48:11 ID:NdKFpkeNqM
リアルの問題で年内更新は無理っぽいので、セルフ保守しておきます
195: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/22(木) 00:15:28 ID:kvZJ1c/69U
『おいしい、まずい』
小さな頃から様々な物がどうやって出来上がっているのか不思議だった。
例えばテレビ。
あんな薄っぺらい機械なのに、毎日色んな情報やバラエティを流してみんな笑っている。
例えばラジオ。
あんな小さいのに、たくさんの番組や声を届けて誰かを助けている。
例えば人間。
この体もだけど、動かしたくて動いたり、勝手に手足が動いて危ないところを回避したり。
不思議で不思議で、幾つも分解と観察を繰り返した。
196: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/22(木) 00:24:39 ID:MS1/qmWxlE
でも、ラジオの分解は簡単だけれど、テレビはそうはいかない。
ブラウン管テレビ、という今は使えない古い大きなテレビを数個分解するのが精一杯で、見付かった時は酷く怒られた。
だから、人間はもっと難しくて。
197: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/22(木) 00:33:40 ID:kvZJ1c/69U
最初に分解したのは近所の男の子だった。
よく私のスカートをめくったりする悪戯っ子だったけど、私と違う体を持っているから中身を見てみたかった。
お小遣いとお年玉を貯めて買った包丁はすぐに切れ味が悪くなったけれど、私の体にはない部分を観察したり分解したりして、楽しかった。
でも、すぐに気付く。
人間は組み立て直せない事、壊れたらそのまま終わりな事に。
198: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/22(木) 00:39:14 ID:SaPfFQhN5M
壊れたこの子をそのままにしておいたら、私は閉じ込められる。
ニュースでやっていた、何とか病院とかそういう場所。刑務所、とかいう場所とか。
そんなの、嫌だ。
出来るだけ細かく分解してゴミ袋に詰めて、捨てる場所を毎日探し歩いた。
199: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/22(木) 00:49:20 ID:KTecCmgJ/E
そうして数日、心霊スポットだと密かに騒がれている場所に、古井戸というものを見付けた。
アニメで見た取っ手を上下に動かして水が出るようなのじゃなくて、お風呂で使う水を掬うやつをロープで下に下ろして、水を汲む仕組みのものだ。
立ち入り禁止の札が立てられたこの井戸に捨てたら、誰も気付かないんじゃないか−−そう思って、重いゴミ袋を臭い隠しに積み上げた雪の中から引っ張り出した。
200: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/23(金) 02:44:23 ID:kvZJ1c/69U
古井戸には金網の薄い蓋しかなくて、上に積もった雪をどければすぐに真っ黒な穴が見える。
溶けた雪が氷になってくっついて、金網を剥がすのは随分と苦労した。
毛糸がほつれてボロボロになってしまった手袋を見て、お気に入りの手袋をはめていなくてよかったと思った。
そうして、私は分解した男の子を詰めたゴミ袋を古井戸に投げ込んだ。
201: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/23(金) 02:46:07 ID:SaPfFQhN5M
《まずいよ、これ。おいしくない》
202: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/23(金) 02:57:47 ID:kvZJ1c/69U
突然誰かの声が聞こえ、私は驚いて周囲を見回す。
咄嗟にしゃがみ込み耳を澄まして気配を探ったが、足音も息を吐く音も聞こえない。
ただ、静かな時に響く耳鳴りのような音しか、私の耳には届かなかった。
(…誰も、いない?)
ゴミ袋を捨てるところを見られた訳ではなさそうだと判断して、私は金網をなるべく静かに古井戸の上に乗せ直し、その場所から急いで離れた。
私が分解した男の子はしばらくの間警察や消防の人達が探していたけれど、古井戸の中までは調べられなかったらしく、そのまま行方不明という事になった。
203: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 15:48:33 ID:kvZJ1c/69U
それからはジャンクショップで手に入れたビデオデッキやパソコンの基盤、そういったものを分解して過ごした。
ゴミ捨ての分類表とにらめっこしながら、ばらばらになった金属やプラスチックの欠片をうっとりと眺める。
……けれど、日常生活の中のふとした時、
(あの人の中身は、どんなだろう)
痩せた女の子やちょっとぽよんとした女の子、サッカーが得意な男の子や勉強好きの男の子。
怒ると怖い先生に体のあちこちにしわがいっぱいの先生、話がやたら長い困った先生。
目に付く人達を分解したくてたまらなくなる私がいた。
204: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 15:57:04 ID:MS1/qmWxlE
少しずつ私が大きくなるにつれ、欲求は更に膨らんで抑えられなくなっていく。
親からもらえるお小遣いも親戚からもらえるお年玉も額が増えて、そのまま手元に残るようになる。
そうして、中学生のある日。
私は二回目の『分解』をした。
205: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 16:09:17 ID:SaPfFQhN5M
今度は隣の中学校の女の子。
ピアノを弾く指が細長くてごつごつしていて、同い年の女の子達とは全然違う。
私はその十本の指を丁寧に切り離して、骨や肉や爪をじっくりと観察した。
服で隠れていた腕もすらりとしていて、マンネリ気味だった分解作業が実に楽しくて鼻歌まで出た。
おなかの中も、開けてみたら教科書や図書館で読んだ本の内容以上に複雑で。
とてもとても楽しかった。
206: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/25(日) 16:19:29 ID:kvZJ1c/69U
−−けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので。
血塗れになった両手と包丁をタオルで拭いながら、思ったより重いゴミ袋の中身と量に溜め息が出た。
さあ、どこに捨てよう。
どこにしまっておこう。
さらさらと風に流れるように動く一面のススキの中、私は空を見上げる。
どれくらいそうしていただろうか。
私があの古井戸の事を思い出した時には空は青紫になっていて、東の方には微かな星が光っていた。
207: ◆bEw.9iwJh2:2018/2/28(水) 19:24:37 ID:SaPfFQhN5M
その日の深夜。
私は小さな懐中電灯をくわえて窓からこっそり外へと抜け出した。
ポケットの中には誰かに見付かった時の為の防犯スプレーと使い古した軍手。
ゴミ袋はあのままススキの生えた空き地に置いて帰ったから心配だったけど、誰にも気付かれずに残っていて安心した。
208: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/4(水) 04:08:20 ID:XN1gQfBILc
朧気な記憶を頼りに、先ずは古井戸が今も残っているかを確認しに行く。
少し迷いそうになったけど、雑草が生い茂る中に立ち入り禁止の立て札と古井戸は変わらず−−札の字は褪せて判別しにくくなっていたけれど−−そこにあった。
懐中電灯の光度を出来るだけ絞り、周囲も含めて様子を確認する。
うん、多分、大丈夫。
私は一人頷き、人目に付かぬよう注意しながらススキの空き地へと足を向けた。
209: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/7(土) 19:36:50 ID:.oby9THsoA
ゴミ袋はずっしりと重たくて、明日の筋肉痛を心配しながら古井戸とススキの空き地とを何往復もする。
額や背中に浮かぶ汗が少し不快だ。
全部のゴミ袋を運び終わって、私は袖で額を拭い、大きく息を吐いた。
(…早くしないといけないよね)
ポケットから軍手を取り出し、両手にはめる。古井戸を形ばかり塞いでいる金網に手をかけると、ざりりと錆のこすれる音がした。
210: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:35:21 ID:L7gV6e5ZO6
金網はかなりボロボロになっていて、気を付けないと壊れてしまいそうだ。
縁に手をかけ、そうっと覗き込む。かび臭い空気が鼻先に届いただけで、以前に処分したゴミ袋が今どうなっているかなんて当たり前だけど分からない。
懐中電灯で中を照らす勇気は出なかった。
(…………)
女の子を詰めたゴミ袋を持ち上げ、私は古井戸の中へとそれを投げ込んだ。
211: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:36:41 ID:.oby9THsoA
《なにこれ、へんなあじ》
212: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:47:25 ID:XN1gQfBILc
不意に響いた声にびくりと体が跳ねる。
男女や老若の区別の付かない、不思議で不気味な声。
息を吸い込む喉がひゅっと変な音を出して、頭の中が一瞬真っ白になった。
「……………だれ、なの」
掠れた声で問いかけても返事はない。
唐突に自分が今ここにいる事の危険性を強く感じて、私は残りのゴミ袋を急いで古井戸に放り投げ、金網で蓋をした。
213: ◆bEw.9iwJh2:2018/4/9(月) 02:57:53 ID:1rd85dK/cs
帰らなくちゃ。早く。
家に、布団の中に。
古井戸に背を向けて走り出す私の耳に、
《まえのよりは、まずくないかも》
そんな声が頭を揺さぶるように届いて響いて、足がもつれそうになる。
−−どうして、忘れていたんだろう。
初めて人間を『分解』して捨てた時、あの場所で聞こえた声の事を−−
214: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 11:09:12 ID:WyCn26RS7Q
『行き先はどちらですか?』
……がたがた、ごとごと、という響きと共に、一定のリズムで体が揺れている。
ここはどこだろう、と眠気で重い瞼を持ち上げると、バスの中だった。
いつバスに乗車したのか思い出そうとしても、記憶がさっぱり見当たらない。そもそも私は会社の帰りに居酒屋に寄り、アルコールを楽しんでいたはずだ。
注文した酒や摘みの内容は思い出せるのに、支払いや居酒屋を出ただろう時の事はさっぱり浮かんでこない。いや、飲みすぎて記憶が飛び、その過程でバスに乗った可能性は否めないが。
………このバスは、どこに向かっているのだろうか。
215: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 11:35:18 ID:Mg8krcvzH2
改めて車内を観察してみると、随分と古臭いバスだ。床部分は板張りだし、降車ボタンにはランプ部分がない。座席のシートも座り心地はイマイチだ。
こんな古臭いバスを使っている会社がまだあるとは。維持費の方が高くつくのではないだろうか。
そんな事を考えながら乗客に視線をやる。
年齢層はまちまちで、学生服の少年少女やスーツを着た私と同年代だろう中年に着物姿の老人、赤ん坊を抱えた女性までいた。
こんな時間に赤ん坊連れとは、夫婦喧嘩で家を飛び出してきたのだろうか、とつい想像を巡らせてしまう。
216: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 16:18:50 ID:Mg8krcvzH2
車内には広告や注意書きの張り紙がない。吊革は随分と黄ばんでいる。
…どことなく気味の悪いバスだ。
ふと気付いて乗車券を探すが、ポケットの中や財布、鞄にも薄い紙はなかった。
(参ったな、始点からの運賃を払わなきゃいけないじゃないか)
思わず溜め息をついてしまう。
いや−−そもそも、自宅に向かうバスに私はちゃんと乗ったのだろうか?間違えて逆方向のものに乗っていたら、とんでもない時間と金の無駄だ。
217: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/6(木) 22:24:01 ID:QxgkMEDhOo
行き先を確認したくともモニターは設置されていないし、各停留所までの料金表や運行表も見当たらない。
仕方ない、運転士に直接尋ねるしかないな、と腰を浮かそうとした時、
《次は…ザザッ…おみなこ……お…なこにギギ停ま…ます………》
雑音混じりのラジオのような、酷く耳障りなアナウンスが車内に流れた。
218: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/7(金) 10:28:09 ID:Mg8krcvzH2
(おみなこ…?)
全く聞いた事のない停留所だ。
しかし乗客達は平然とした様子で、どうやら私が知らないだけのようだ。
これはやはり自宅とは方向違いのバスに乗ってしまっただろう事は確実だ。仕方ない、財布の中身は乏しくなるが降りたらタクシーを捕まえなくては−−
バスが緩やかにスピードを落とし、停車する。今度こそ立ち上がろうとした時、
−−ギギッ
何かに引っ張られたように、手足が重く、動かなくなった。
219: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/7(金) 17:33:03 ID:QxgkMEDhOo
視線を落としても手足には何も付いていない。だが一向に体は動かず、ならば声を上げて運転士に自分の状況を伝えようとするが、呼吸音がただ虚しく響くだけである。
す、と男子学生が立ち上がり、スポーツバッグを引きずるようにして乗降口へと歩いていく。
《こ…ガガ…は、あり…すか》
乗車券を差し出した男子学生に運転士が尋ねている。雑音混じりで、よく聞き取れない。
学生は静かに首を横に振ると乗車券を渡してバスから降りていき−−
そして再び、バスは走り出した。
220: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/9(日) 11:27:25 ID:ehhT3UCq2M
座席に見えない糸で縫い付けられたかのように体は依然として動かず、声も出せない。
何だ、これは。いったい、どうなっているんだ。
辛うじて動く首と眼球で、窓の外を凝視する。白髪が目立ち始めた中年男−−私の顔だ−−の酷く焦った表情が、車内の明かりと外の暗闇との間に浮かび上がる。
だが、それだけだった。
民家やコンビニ、スーパーなどの街の明かりは、流れる景色の中には一つもない。
どのくらい時間が経ったのか、次の停留所を告げるアナウンスが車内に響いた。
221: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/9(日) 14:50:12 ID:ehhT3UCq2M
………あれから幾つかの停留所に停まり、乗客の姿はどんどんと減っていった。
停留所の名前はどれも聞き覚えのないもので、窓の向こうには相変わらず明かり一つ見えてこない。
体も座席から動けぬままである。
(それにしても、おかしい)
このバスも停留所名もだが、乗客もどこか様子がおかしいのだ。
例えば数席前に座っている女子高生。
あの年代ならばスマホアプリを操作したりなどしているだろうに、俯き加減で大人しく座っている。
例えば赤ん坊を連れた女性。
斜め前に見える赤ん坊は女性の腕の中にじっと収まったまま泣きもしない。私には中学生の娘がいるが、赤ん坊だった頃は腹を空かしたりおむつの具合などでよく泣き喚いていたものだ。
……おかしいどころの話ではない。異常そのものではないか。
222: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/9(日) 18:30:46 ID:ehhT3UCq2M
赤ん坊…ああ、早く我が家に帰りたい。妻と娘が待つ、我が家に。
何故私はまっすぐに帰宅しなかったのだろうか。反抗期の娘に酒臭いと睨み付けられた先週が、随分と昔の出来事のようだ。
《ギギギザザこガガッ、次…おのこごジジジ…ます…ギィッ》
アナウンスの雑音はどんどん酷くなる。聞き取れたのは停留所の名前だけだった。
数席前の女子高生が立ち上がり、乗車券を運転士に渡して降りていく。
バスから姿が消えるその一瞬、女子高生の横顔と白い夏服がどうしてか赤黒く染まって見えて、背筋を汗が伝った。
223: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/9(日) 19:01:37 ID:ehhT3UCq2M
もう車内には私と赤ん坊連れの女性しか乗客はいない。ぴくりとも動かない赤ん坊。そういえば、女性が赤ん坊を抱き直す仕草は見ただろうか?
良くない想像が脳内を満たす。ああ、酔い潰れた末の悪夢であってほしい。
バスのスピードが緩やかになる。次の停留所が近付いているのだろう。
《…次ザザぐめ……ザザザうぐめに…停まりまギギギギギギィィィ》
最後の方の凄まじい音割れに、思わず噛み締めた歯がぎちりと鳴った。
赤ん坊を抱いた女性がゆらりと立ち上がる。いつの間に取り出したのか乗車券を口にくわえて、乗降口へと進む。
224: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/10(月) 05:03:53 ID:QxgkMEDhOo
ふらふらした足取りで女性は車内をゆっくりと歩く。もしかして具合が悪いのだろうか。そう思った時、
ぱたっ、ばたたっ、
水音と共に何かが床に落ちた。
嫌な予感がして、見てはいけないと咄嗟に顔を逸らそうとしたが、遅かった。
−−血が、床を赤く染めている。
女性が歩みを進める度に、その面積は増えていく。フレアスカートというのだったか、元はふわりとしたスカートが大量の血で女性の両足にびたびたとまとわりついていた。しかし女性は赤ん坊を抱えたまま、歩き続けている。
乗降口そば、運転士は床一面を染める血を何とも思っていないのか、女性が口にくわえていた乗車券を取った。
その時見えた赤ん坊の顔は、床と同じように血で真っ赤に染まっていた。
225: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/10(月) 05:18:40 ID:Mg8krcvzH2
理解出来ない光景に吐き気が込み上げる。しかし私の口からは未だ酒臭い息が出るだけだった。
《ここ…こりは……ますか》
運転士の問い掛けに、女性は首を縦に何度も振った。
がくがくと揺れる首、床を染め続ける赤い色、腕の中でぴくりとも動かない赤ん坊。
運転士が何か言ったようだが、こちらまで声は届かない。だが女性は首を振るのを止めて、今までの乗客達と同じようにバスを降りていった。
その腕に、赤ん坊をしっかりと抱えて。
車内に、乗客はもう私一人だけになった。
226: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/13(木) 06:06:50 ID:QxgkMEDhOo
見てしまったもののあまりのおぞましさに、酔いは完全に醒めていた。
最初は僅かにあった眠気も今はない。頬を汗が伝い落ちる感覚がしたが、拭いたくても体は動かないままである。
真っ暗闇な窓の向こう。血塗れの床。ついぞ聞いた事のない停留所。異様な乗客達と運転士。
−−ふと気付く。
座席から動けず声も出せないこの状態で、もう終点に向かうしかないだろう状況で、私はちゃんとバスから降りる事が出来るのだろうか。
終点には、いつ着くのだろうか−−
227: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 20:11:39 ID:WyCn26RS7Q
《………次の降り口は終点です。泥梨、泥梨に停まります………》
不意に。
あれだけ雑音が酷かったアナウンスが明瞭な声で以て、耳に届いた。
(ないり…?)
しかしそれはやはり、私にはとんと聞き覚えのない場所だった。
緩やかにバスは停まり−−沈黙が車内に満ちる。
228: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 20:45:04 ID:QxgkMEDhOo
《終点です。降りて下さい》
明らかに私に向けられた言葉。
降りろと言われても、このバスの中で目覚めてから全く動けなかったではないか。声すら出せなかったではないか。
そう思いながらも体に力を込めてみると。
−−−−ぎし、り。
座席の軋む音と共に、呆気なく体はシートから離れて鞄が床に落ちた。
229: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 22:34:24 ID:QxgkMEDhOo
反射的に鞄を拾うべく手を伸ばし、取っ手を握り締めて上半身を起こしたところで、
目の前に、運転士の顔があった。
「ひっ−−」
掠れ声が喉から押し出される。
どうして、何故、いつの間に。鞄に気を取られていたとはいえ、足音の一つもしなかったはずなのに。
運転士は私に向かって片手を伸ばし、ネクタイをがしりと掴んだ。
230: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 23:21:18 ID:ehhT3UCq2M
ぐにゃり、と運転士の手の中で、ネクタイが形を−−いや、姿を変える。
それは一枚の赤い乗車券だった。
(…赤?)
うろ覚えではあるが、他の乗客が持っていた乗車券はみな白かったはずだ。
いや、それ以前に何故私のネクタイが。この男はいったい何なのだ。そもそもバスも乗客達も−−疑問符が脳内に激しく渦を巻く。
《泥梨行きの券、確かに確認しました》
運転士が抑揚のない声で言う。
231: ◆bEw.9iwJh2:2018/9/30(日) 23:40:20 ID:QxgkMEDhOo
まるで日常茶飯のような行動と声色に怖気が背筋を這い上がった。
この男は普通の人間ではない。
ここにいてはいけない。
バスの外がどんな状態なのかという懸念を、目の前の存在への恐怖が押しのける。
逃げなくては。どこか安全だと思える場所を、異常さのない場所に、どうか。
232: ◆bEw.9iwJh2:2018/10/1(月) 01:24:39 ID:lTKvx0TqP6
鞄の中身や財布などどうでもいい、とにかくこの場所から、この男から、
《照合。合致。相貌の変更、容認》
ぞわり。
この声は。この顔、は。
運転士の顔がぐにゃぐにゃと歪みながら、別の顔に変化していく。
忘れたかった顔、忘れられなかった顔、若かった頃の私の罪過そのものの姿。
《さあ、こちらへ》
−−亡くなった最初の妻の顔が、私が殺した女の顔が、息がかかりそうなほどの距離にあった。
233: ◆bEw.9iwJh2:2018/10/3(水) 03:46:24 ID:GaWv.fXLD.
真っ黒な髪と地味な化粧、薄い唇の色。
物静かで大人しかった女。
飲み会で午前様を繰り返しても文句を言わず、じっと私の帰りを待っていた女。
華やかな見た目の女性達との遊びに疲れた頃に紹介され、付き合った事のないタイプだという新鮮さもあって急速にのめり込み結婚したが、従順さと面白味のない性格にすぐに飽きてしまった。
そして私はお定まりの浮気をし、程なくして彼女に離婚の意を告げたのだ。
だが、彼女は。
「嫌です、別れません」
頑なに離婚を拒み緑色の紙をびりびりに裂いて、ペンと判子を床に叩き付けた。
それは皮肉にも初めて見た、妻の激情と私への反抗の姿だった。
234: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 02:46:08 ID:g/tnjEI7V2
「あなた、私は、私は絶対に別れません。他の女と遊ぶならまだしも、私から離れるだなんて他の女を妻にしようだなんて、絶対に許さない」
「相手の女はあなたが独身だと思っているのね。なら責めないであげましょう。おなかの子供も」
「そうね、子供には罪はないわ。あああ、でも悔しい恨めしい、子供が出来たから私と別れるなんて言い出したのでしょう、なら私だって!」
「………ゃ、やめ、て、くるし…い……どうして、あな、た………」
止めようと逃れようとする指が爪が、ぎりぎりと手首に食い込む。だがそれ以上の力を込めて、私は妻の首を絞めた。
235: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 03:02:56 ID:2X7Sn7osMQ
−−土の中、深く深く埋めた過去。
何度忘れようとしても拭い去ろうとしても、忘れる事の出来ない死に顔と両手に食い込む爪の痛みと体温。
やめろ、やめてくれ、どうして今更。
《二人も命を殺したのに》
《逃げられると何故思ったの?》
恐ろしいほどの強い力に体を引き摺られ、私は車外に放り出された。
深い深い闇の中、血塗れの赤ん坊を抱く最初の妻の姿が、見えたような−−
236: ◆bEw.9iwJh2:2018/12/7(金) 04:32:42 ID:FkjJxh.xuM
『昨夜、車にはねられた被害者の××××さんは未明に死亡。容疑者は飲酒を認めており−−』
「なんで…どうして、お父さん…」
「嘘よ、嘘でしょ、あなた…」
『続いてのニュースです。×県×市山中から女性の遺体が発見されました』
『警察の発表によると被害者は××年前から捜索願が出されていた××さんで間違いないと思われ、また遺体の状態から××さんは妊娠しており、−−−−』
237: ◆bEw.9iwJh2:2019/5/3(金) 04:01:24 ID:m.FpjIMRTo
『記憶、記録、そしてあなた』
付き合ってから分かったのだが、彼女は記念日というものをやたらと大切にする女性だった。
何月の何日は付き合ってから何年目だとか、何月の何日は初めてデートした日だとか。
最初は女とはそういうものなんだろう、と思って合わせていたけれど、それも長く続くと疲れてしまう。
「ねえ、来週の水曜日、何の日か覚えてる?」
ぎゅうっと抱き抱えた腕にしなだれかかりながら上目遣いで問いかける彼女に、俺はさっぱり思い出す事が出来なかった。
238: ◆bEw.9iwJh2:2019/5/6(月) 12:26:34 ID:m.FpjIMRTo
「女ってのはそういうモンだからなあ」
夕方のファーストフード店の中、ポテトを摘みながら友人があっさりと言う。
「やっぱそういうモン?」
「そうそう。喧嘩したら昔の事まであれこれ引っ張り出してくるしな。記憶に自動リンクが複数付いてんじゃねえのかな」
分かるような分からないような、でも分かるような例えをされた。
「まあうるさいのは記念日だけなんだろ?メモしとけ、メモ」
「…面倒だなぁ」
「デート代割り勘大丈夫な女は貴重だぞー。あと入る店とか」
それとも記念日毎にプレゼント要求されてんの?と問われ、首を横に振る。
彼女は物をねだる訳ではない。ただ、覚えている事を要求してくる。財布的には安心だが、それでもやりとりを面倒だと思ってしまう。
記念日。
それは、本当に大切なものなんだろうか。
俺にはさっぱり分からない。
239: ◆bEw.9iwJh2:2020/7/30(木) 15:48:54 ID:cxFS.IqIAU
もうすぐ七夕だからと、近所のスーパーに笹が数本立てかけられていた。
鮮やかな色紙で飾り立てられ、早くも短冊が幾つかぶら下がっていて、みみずのようにのたくった文字からは幼稚園児や保育園児が願い事を書いたらしい事が分かる。
ふっ、と微笑ましくなって、買い物途中の足を止め、短冊に書かれた願いを読んでみる事にした。
240: ◆bEw.9iwJh2:2020/7/30(木) 16:23:45 ID:bsvTmiRG6s
【アンパ○マンになれますような】
【プリキ○アになりたいです】
【おとうさんのおばあちゃんがおかあさんのわるぐち言わなくなってほしいです】
【花組の××ちゃんとけっこんしたい】
【おかーさんとおとーさんがなかよくなれますように】
【いもうとがぶじにうまれますよーに】
……一部家庭環境が心配になる願い事があったが、子供の願いは純真だ。
俺も昔はこんな内容の短冊を書いていたんだろうが、如何せん、記憶を引っ張り出しても内容がさっぱり思い出せない。
241: ◆bEw.9iwJh2:2020/8/10(月) 10:37:17 ID:L7FYH2jf/o
様々な願い事が書き込まれた短冊から視線を放す。少しだけ、首が疲れた。
――ふと。
いつの間にいたのだろうか、すぐそばで同じように短冊に手を伸ばして読み込んでいる少女の姿があった。
足音や気配に気付かないほど、俺は集中していたのだろうか。何だか恥ずかしくなって首をこきこきと鳴らしてみる。
「……ふぅん、今の人間達は、こんな上訴の仕方をしているのか……」
ぽつり、と。少女が呟くのが聞こえた。
242: ◆bEw.9iwJh2:2020/9/7(月) 02:26:47 ID:YPn4BElcFk
…じょうそ?その言葉の意味を、考える。
じょうそ。上訴。上の者に訴える事。
願い事の内容は………まあ、確かに、上訴と言えなくもない、だろう。
だが、誰に訴えるのだ。
未だ真剣な表情で、短冊を読み込んでいる少女を見つめる。
………上位者、とやらのつもり、なのだろうか。この女の子は。
243: ◆bEw.9iwJh2:2020/9/18(金) 14:37:36 ID:YPn4BElcFk
まあ、この年頃の子にありがちな特有のアレかも知れない。
左腕がどうの、やら目がどうたら、やら…。
ふと自分の黒歴史を思い出しそうになって、慌てて目を少し固くつぶった。
いけない、いけない。若気の至りというヤツは、本当にいけない。
244: ◆bEw.9iwJh2:2020/10/20(火) 12:30:28 ID:3jq6ricKKI
黒歴史の恥ずかしさにしばし心を暴れさせ、落ち着いたところで閉じていた目を開く。
いつの間に移動したのだろうか、目の前に少女がいて俺の顔を見上げていた。
「君は何を願うんだい?」
…君、ときたか。俺、一応大学生なんだけど。確実に年上なんだけど。
「ほら、人間というやつは際限なく願い…いや、欲があるのだろう?君が今欲しいものは何かな」
物質に限らずともよいよ、何でも言ってみなよ。鷹揚な仕草と表情で少女は言う。
――欲しいもの、か。
245: 名無しさん@読者の声:2020/10/21(水) 20:23:52 ID:Vcd26xY/0k
だいすきです!
つCCCCC
246: ◆bEw.9iwJh2:2020/11/6(金) 03:15:42 ID:CA82EVH76k
>>245
支援ありがとうございます
247: ◆bEw.9iwJh2:2020/11/6(金) 03:16:50 ID:CA82EVH76k
『ねえ、何の日か覚えてる?』
――不意に、彼女の言葉が脳裏をよぎった。
あの日。この日。その日。どの日。
覚えている事が当たり前だと言わんばかりの――否、覚えていて当然だという表情と声。
そんなに。
そんなに、記念日とやらは大事なものなのか。いちいち覚えていなくてはならないのか。
覚えていたとして、何になるのか。
対価が大したものかどうかは問題じゃない。ただ、彼女がこだわる記念日というものに、俺は辟易していた。
だから。
248: ◆bEw.9iwJh2:2020/12/2(水) 12:06:42 ID:Jp0sKie6ak
「………記念日が、ない世界、かな」
やたら赤い丸がつけられた手帳のカレンダーを思い浮かべながら、俺は小さく呟いた。
記念日なんてものに振り回されて尚、それでも彼女と別れるなんて事は、俺には少しも考えられなかったから。
「成る程、記念日のない世界か。君は面白い願いをするね」
少女は表情を崩さず、むしろ好奇心を瞳に宿しているように見えた。
「そうだなあ…また世界を作るのは面倒だから、今の状態をそこだけ変えてみよう。それでも、少し調整が必要だけど、まあいいだろう」
ぱきり、と指を鳴らして。
「それじゃあ試運転だ。君の望む日々があるといいね」
少女がそう言った瞬間、俺の視界はぐらぐら揺れて歪んで、意識がぷつんと途切れた。
249: ◆bEw.9iwJh2:2020/12/3(木) 23:32:12 ID:2zemDs6iMQ
鈍痛が頭を苛む。鳥の鳴き声が、どこからか聴こえてくる。
「う………」
体を動かそうとすると関節がぎしぎし軋む。まるで睡眠を取りすぎた休日の昼のような、そんな重さ。
それでもなんとか起き上がって辺りを確認すれば、見慣れた景色が視界に映る。──安普請の、俺が借りているアパートの部屋だった。
「確か…買い物の途中で…」
何かあった、はず。
なにか、が。なんだったか、なんだっけか。
記憶を辿るべく思考を巡らせていると、鞄に入れていたはずの手帳がカレンダーのページを見せて床に落ちていた。
────何の予定も記入されていない、記念日の何一つない、ページが。
250: ◆bEw.9iwJh2:2021/1/15(金) 02:12:25 ID:sWbjPwfVHs
………日付と曜日以外、何もないカレンダー。
それの違和感と異常さをを警告音のように脈打つ頭の痛みが訴えてくる。
いや、待て、スマホのカレンダーは、こっちは、なにか、何かしらがきっと、
───開いたカレンダーのアプリ画面にも、日付と曜日以外の何もなく。
アドレス帳とフォトにある彼女の電話番号とメルアドと写真を震える指先で確認すれば、
彼女と俺の誕生日やその他の記念日にやりとりしたメール、撮った写真のほとんどが、削除してもいないのに外部メモリからも消えていた。
251: ◆bEw.9iwJh2:2021/6/22(火) 00:20:24 ID:yxUF6fhvOs
【君が今欲しいものは何かな】
七夕の飾り、色とりどりの願い事の下。
少女が泰然とした笑みを浮かべて問いかけてくる、あれは、
───あれ、とは。
思考が定まらない。眩暈がして、握り締めているスマホが炎天下のチョコレートのように溶けてしまいそうな、そんな錯覚を覚える。
「俺、は、」
とんでもないことを望んでしまった、ただそう思った。
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