男「あれ?何してたんだっけ?…なんで此処に居たんだっけ?」
住宅街の路地にポツリと立つ青年。見たところ、学生のようだ。
辺りを見渡しても、まるで自分以外の人間が魔法にでも掛けられたかのように姿を見せない。
灰色に染まった空は雨を降らせてパタパタと音を立てながらアスファルトを濡らしていく。
男「うわ!財布の中身散乱してるし!お札が濡れる!」
散乱しているお金を慌てて掻き集め、乱暴に財布に押し込んだ。
476: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 20:21:13 ID:AXHvj7glAs
弟「ねぇ、男さん。前から気になってたけど、あれって何なの?」
弟は、部屋の隅を指差した。布を被せられた四角い形をした何かは、以前姉を見舞った際に慌てて隠していた物だった。
男は伏せていた顔をのろのろと上げると、鼻を啜りながら、ああ、と声を洩らした。
男「絵を描いてたんだよ」
弟「それは分かるけど」
そんな事はどうでもいい、と言わんばかりに弟は眉を寄せた。あれが絵である事は、いくら小学生と言えど理解は出来る。
何故、隠しているのか。弟が問いたいのはそこだった。
477: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 20:50:41 ID:i20aHeWQRM
男「最近よく夢を見るんだって。いつ描けなくなるようになるか分からないから、自分が感じたものを残しておきたいんだって言ってた」
男の手が弟の頭にポン、と優しく乗る。姉とは違う大きな手の重さが、じわりと目頭を熱くさせた。
ぐっと口を結んで、溢れ出てしまいそうな感情をしまい込んだ。
弟「…無理するからこんな事になるんだよ。馬鹿な姉ちゃん」
ははっ、と男が笑みを零す。
男「弟くんに怒られるって怯えながら描いてたよ」
だからかな。そう言うと、男は笑みを浮かべたまま、布に覆われたキャンバスに視線を流した。
478: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 21:08:41 ID:i20aHeWQRM
男「恥ずかしいから、って俺もあんまり見せてもらえなかったんだ」
弟「見せてもらったところで、じゃない?姉ちゃんの見る夢なんてきっと、理解不能だと思う」
夢見る乙女な姉の事だ、どうせあの布の向こうには不思議の国が広がっているに違いない。
兎が羽根を生やして飛んでいたり、可愛らしいリボンをあしらった三つ編みのライオン、飴を舐めている牙のない狼──姉の見る夢なんて、そんなものなのだろう。
男も同じような想像をしたのだろうか。二人で目を合わせて、ぷっ、と吹き出した。
479: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 21:36:40 ID:i20aHeWQRM
母「弟、来たのね」
タイミングを見計らったように、母親が病室に戻った。後ろには、白衣を纏った医師の姿が見える。
折角の和やかな雰囲気がぶち壊しだ。弟は小さく眉を寄せた。
母「弟にはまだ難しくて分からないかもしれないけど…」
母親が小さく会釈をすると、背後の医師がコホン、と偉そうに咳払いをした。視界の隅で男が姿勢を正すのが見える。それに釣られるように、弟の背筋もピンと伸びた。
480: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 22:01:16 ID:AXHvj7glAs
────‐‥
母「お母さん起きてるから、ちょっと寝てなさい」
弟は、ふるふると左右に首を振った。相変わらず部屋の中には心電図の電子音が鳴り響き、姉の鼓動を伝えている。
母「男くんも」
男「いえ、俺は…」
医師からの説明はどれも難しく、弟には理解の出来ない単語ばかりが並べられていた。先に説明を受けた筈の母親や、隣に座る男の反応で大体の予想は付いたが、未だピンとこないでいる。
それでも何処かざわめく胸が、弟の意識を電子音に集中させた。
481: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 22:26:19 ID:AXHvj7glAs
医師が語るには、夕方に危篤状態に陥ってから、気の許せない状態だという。心電図が一直線に描くラインが尖る事がなくなった時、恐らく姉は死ぬのだ。画面の隅に記される数字の意味が分からなくとも、それくらいは弟にだって理解が出来る。
類いのドラマのワンシーンで、よくある事だ。そんな場面は何度も見てきた。それが、目の前で起こるかもしれないなど、いまいち現実味を感じられない。
弟「姉ちゃん、早く起きてよ…」
擦れた声が弟の口から洩れる。姉が返事を返す事はなく、代わりに母親の途切れ途切れな鼻息が聞こえてきた。
いつまで夢を見ているつもりなのか。そう問いたくなる程、姉は穏やかな顔で眠っていた。
482: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 22:56:42 ID:i20aHeWQRM
ピッ、ピッ──心電図が刻む音以外、物音さえも聞こえてこないような深夜、それは突然やってきた。三人の顔にも疲れの様子が見えた頃だった。それまで一定のリズムで音を鳴らしていた心電図が、突然に慌ただしく鳴りだした。
男「女ちゃん、駄目だよ!頑張れ!まだ駄目だ!」
弟「姉ちゃんっ」
枕元のナースコールを母親が慌てて押した。震える手を押さえ、何度もそのボタンを押す。親指が白くなるまで力を籠めて、祈るように握り締めた。
母「先生ぇ…誰か、早くっ!」
483: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 23:18:24 ID:i20aHeWQRM
間もなくして、医師が数名の看護士を連れて病室に入ってきた。アラームのような警鐘が、ひっきりなしに弟の耳を突く。
ふと、姉が目を開けたかと思えば、大きく息を吸い込んで再びその目を固く閉ざした。
───怖い。
ただ、それだけが弟の脳を支配した。耳を塞いで後退る。この場から逃げ出したい──その願いが通じたのか、看護士が病室から出るようにと、三人を促した。
心電図のラインが真っ直ぐに横に伸び、姉の心停止を告げている。規則的な音は一切途絶え、金切り声のような耳障りな単音を響かせた。
484: 番外編 ◆b.qRGRPvDc:2011/12/29(木) 23:45:49 ID:i20aHeWQRM
「蘇生措置を行いますので、ご家族の方は病室の外で──」
看護士の声は、心電図から鳴り響く不愉快な音に掻き消された。三人は呆然としたまま病室の外に出され、祈る事だけを強いられた。
母「女!女ちゃん…っ」
男「ああ、ああぁ……」
母親と男は、全身の力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。その横で、弟はただぼんやりと、閉じてゆく病室のドアを見つめていた。
慌ただしく声を上げる医師の後ろ姿を最後に、病室のドアは閉められ、弟の目の前は真っ暗になった。
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