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嗚咽

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Part3
863 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/23 21:51 ID:Oy0RYzJE
20代の若造ですが・・・
今日、母が「○○(私の息子)をじいちゃん(母の父親)に
見せられればよかったと思うと涙が出そうになるよ」と言っていたので
ちょっともらい泣き。

じいちゃんは、私とちょうど60歳違いで、よく面倒を見てもらった。
色々なところに連れて行ってもらったり、遊んでもらったり。
私が3歳のころに駅に向かうじいちゃんを追いかけて迷子になったこともあった。

じいちゃんの口癖は「おまえがお嫁に行くまではじいちゃん生きてるからね」
「大きくなったら一緒に浅草にてんぷらを食べに行こうね」
私が中学に入るころには糖尿病が原因で入院していた。

14歳のときに「じいちゃん危ないって」と連絡を受けて
病院に駆けつけた。
車を降りて病室まで走っていくと
いとこが「じいちゃん死んじゃったよー!!」と
大泣きしながら叫んでいた。

葬式のときに弔辞を読んだじいちゃんの師匠が
「お葬式でこんなにお孫さんが泣くのは見たことがない」
と言うほどいとこ6人がずっと大泣きしていた。

おととしの私の結婚式では、教会でばあちゃんが
私を抱いたじいちゃんの写真を高々と掲げていた。
それを見てまた涙がこぼれそうになった。
と同時に、新しい苗字がじいちゃんちと一文字同じだったな、
なんて思い出した。

去年私に息子が生まれ、じいちゃんの名前から一文字もらった
名前をつけた。
人徳があって、返してもらえないって分かってるのに
困っていると援助しちゃうじいちゃんにあやかれればいいな、
なんて思いながら。

お祭りが大好きだったじいちゃんはよく酉の市で熊手を買っていた。
それを見てよく笑っている息子をみて、母が
「○○(私の息子)をじいちゃん(母の父親)に
見せられればよかったと思うと涙が出そうになるよ」

長文スマソ。



895 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/19 16:38 ID:w8/Z1s1f
オレの親父は怖かった。
もちろん最近よくある理不尽な暴力ではないが、オレは何かをやらかすたびに鉄拳制裁を食らっていた。
小柄だががっしりした体型のオヤジの鉄拳は、いつもいつも痛かった。

不肖のバカ息子であるオレが身を固めたのは、30半ばになろうとした頃だった。
引退しすっかり好々爺になってしまった親父だったが、結婚式の挨拶は堂々としたもので、
まだまだ親父は健在だと安心したものだった。

それから1年ほどして、親父が入院することとなった。
小柄だが頑強だった親父にとっては、初めての大病と入院だった。
原因は不明だったが、腎臓機能の一部を失うだけで済み、手術なしの薬物治療で大丈夫とのことだった。
その時点で少し親父が縮んで見えた。
そしてさらに1年後。今度は腫瘍が見つかった。
幸い悪性ではなかったが、切除された患部を見て、ICUでチューブだらけの親父を見たとき、
さらに親父が縮んで見えた。
親父は生還と引き換えに、カミナリ親父の威厳を失った。すっかり弱気になってしまい、
何をしても疲れるからと中座をするし、60過ぎでもなお若々しかった風貌は、一挙に衰えてしまった。

先日の父の日に実家を訪れたとき、親父はオレの飼い猫のことばかりしきりに気にしていた。
まるで孫のことでも嬉々として話しているかのような、そんな口調だった。
「!!」
大病をしたことがなかった親父が、最初の病気以来どういう気持ちでいたのか、そのとき痛いほどよくわかった。
晩婚で心配をかけた挙句に、いつまでたっても子供も作らないで新婚気分でいるオレたち。
あの気の短かった親父は、孫が欲しいとかなにも言わずに、そんな浮かれた夫婦の姿を暖かく見守ってくれていた。
大病を重ね恐らく死すら覚悟したであろう親父は、どれほどに孫の顔を見たかったことだろうと。

そんな今の弱々しい親父の姿と、過去の親父の姿。
テーブルに置かれたありきたりの父の日のプレゼント。
相変わらず親不孝なオレ。
それらがない混ぜになってグルグルと心のなかで渦を巻き、
そのやるせなさ・悲しさがこみ上げて、嗚咽をもらしそうになった。

なぁ親父。来年の今ごろは孫を抱っこできるように努力するよ。
だから長生きしてくれ。



901 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/24 12:15 ID:yBzd2QzO
20代ですが失礼します。

小さい頃は(私のためとはいえ)厳しい母が苦手で、
甘やかしてくれる父や同居していた祖父母の方が好きでした。
しかし大きくなるにつれ、浮気や借金を繰り返す父のこと、
それをすべて母がいたらないからだと責める祖父母のことを知るようになり、
また母の厳しさが私を思ってのことだとわかってきて、
本当の愛情を持っていたのは母だとようやく気づいた頃母は入院しました。
その半年ほど前から体調が悪かったのですが、
母の病気は特殊なもので病気の特定ができなかったのです。

入院して2ヶ月ほどで母は亡くなりました。
母は自分が死ぬような病気になったら、
ホスピス等で穏やかな死を迎えたいと常々私に言っていましたが、
入院した時点でほぼ手遅れでした。
私がそのことを知ったのはもう転院等もできないほど衰弱してからで、
入院していた病院はそういう治療はしてくれないところでした。
亡くなる前にたくさんの管に繋がれ、
無理矢理生かされていた母の姿を今も思い出します。

母の命日は大晦日ですが、
母が亡くなってから大晦日は母が亡くなってからの年数が増える日になり、
新年は私にとっておめでたいものでも何でもなくなりました。

今もちょっとしたことで母のことを思い出します。
自分が母子家庭で育ち苦労したため、
私たち子供の事を考えると離婚は今すぐできないから、
私たちが大きくなって独立してから離婚するわと言っていた事、
未だに自分が生まれたことを申し訳なく思います。
入院してすぐの頃、病院食がおいしくないと言う母に、
「今度うちでお母さんの好きなものを作ってくるよ」と言ったのに、
伸ばし伸ばしにしている間に亡くなってしまった。
約束守れなくてごめんなさい。

母が亡くなってすぐ父は再婚して家を出ました。
今も交流はありますが、
どうしても父のことを優しい目で見ることはできません。
その後、祖母も亡くなり、(祖父は母が亡くなる前に亡くなりました)
妹も結婚して家を出たので、
仏壇は一人暮らしの私の部屋にあります。
最近お水を供えることすら怠っていました。
明日からは忘れないようにするからね。
お母さんのことをいじめた
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒のお墓に入らせてごめんね。
天国でもいじめられてるなら、
そこには私たち子供はまだ行っていないんだからどこへでも逃げてね。
母が空の上で自分のしたいようにしていられることを祈っています。

長文ごめんなさい。
でもここに書いて少しだけ自分の気持ちが整理できた気がします。



907 名前:元原発職員 投稿日:02/06/28 11:43 ID:zXOsdITy
最近地元の友達が自殺した
小、中、高と同級生で一緒にいじめられていた
俺は大学進学の時に地元から離れたのだが、そいつは高校卒業後、地元のスーパーに
就職していた。
高校卒業後もあの時の奴らにいじめられて?(いやがらせ?)いた様だ。
嫁さんも子供も居るのに、死を選んだあいつの気持ちを馬鹿どもに思い知らせて
やりたい。
他人の前で死ぬほど辛い事をさせられたり、誰も助けてくれない絶望感があることを
思い知らせてやりたい。
お通夜の時の、あいつの嫁さんと子供の顔が忘れられない。
裁判にはなる様だが、そんな事で済む事では済ませない
必ず俺が仇を討ってやる。絶対に仇を討ってやる。
相談に乗れなくて本当に済まなかった。



913 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/28 18:06 ID:eAxZAZAw
私たち家族と同じ敷地に小さな家をたてて住んでいたお父さんの実妹は
家族に虐げられる私をゆいいつ愛してくれた人だった。
そんなば−ちゃんが私に残してくれたものは
くちゃくちゃのはがきと古い写真と郵便貯金。
「それはあなたの本当のお母さんの写真と送ってきたはがき。
 だいぶ昔のものだからもうそこにはいないかもしれないけど、
 もし本当のお母さんに会いたいのなら一度そこへ行ってみなさい。
 何か分かるかもしれないから。これはその時の足しにしなさい。」
その後ば−ちゃんは持病の心疾患が悪化、一年の闘病生活の後
最後の最後まで私の心配をしながら逝った。
ば−ちゃん、あの後わたし家を出て住み込みで働きながら
夜間高校に行きなんとか卒業しました。いまはある会社の寮で
一人暮らしです。生活が落ち着いた頃ハガキの住所に行ったよ。
あの住所はお母さんの実家だったようです。
代替わりしていてお母さんの弟に当たる人が実家を継いでいて
最初は事情の説明が大変でしたが、ば−ちゃんからもらった手紙と
写真を見せたらどうにか納得してくれて(私のことも一応知ってってた)
お母さんのその後を話してくれましたよ。
再婚して子供も生まれたけど失敗して子供を引き取ってしばらく実家に帰ってきていたがある時「働き口がみつかった。」っていって子供を連れて
そこを出て以来行方が分からないんだって。残念だったね。
でもねあたし一人じゃないんだよ。この世界のどっかに血のつながった
お母さんと妹がいるんだよ。生きていればいつかあえるかもしれない。
だから今日も生きていきます。おばあちゃんがくれた思い出と希望を持って。




773 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/14 12:32 ID:kpgxvcVa
息子の学校へ忘れ物を届けに行ったとき、
学校は中休みで、子供達は校庭で遊んでいた。

正面玄関を抜けた所にある花壇で、軽い障害のある子が、
上級生に囲まれて泣いていた。その中のリーダー格の一人が
「やれよ、時間がねえんだよ。やんなきゃ殺すぞ。」と凄んでいた。
頭にヘッドギアをつけた、おそらくは肢体不自由の他に知的障害もあるであろう、
特殊学級の男の子が、しくしく泣いているその姿に勝ち誇るかのように、
そう言い放っていたのは、俺の息子だった。

俺は背後から息子の髪を掴んで地面に叩きつけた。
まさかここにいるわけのない父親の顔を見て、信じられない表情の息子の
胸ぐらを掴んで立たせて、顔面を殴った。
生まれて初めて親父に殴られた恐怖に、顔をこわばらせる息子に、
「時間がねえんなら、てめえがやれや。」と俺は言った。

俺は息子をてめえなんて呼んだことはないし、ましてや殴ったこともなかった。
小さいときから、情操教育に気を使い、人に優しくあれと教えてきた。
小さい子、弱い者を守ることの美徳を教えてきたつもりなのに。
こんな陰湿ないじめをするようなガキに育ったのは、俺の責任だ、
そう思ったら、くやしくて、情けなくて、また息子を殴った。
鼻血を出してうずくまる息子を見下ろして仁王立ちになった俺を、
職員室から飛び出して来た担任が止めた。

もうこの先は書きたくないから書かないが、
帰り道で涙が止まらなかった。
全部俺の責任なんだ、そう思うといたたまれなくなった。
小学校の高学年から高校までいじめられていた俺の、
よりによってその息子が、あんなことをしていたなんて。



816 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/18 15:49 ID:+vTvU5ax
今までROMだけだったのですが頭痛がする程泣きました。

去年、高校時代の友人の妹さんが亡くなりました。
一時期は家族同然の付き合いだったのに私の仕事の都合で数年間は電話のみでのお付き合いでした。
私の離婚をきっかけに数年振りに実家に戻って家で仕事をしながら静かに暮らしていたある日の午後、友人から電話がなりました。
「妹が死んだから葬式をする。都合が悪く無かったら来て欲しい。」と。
友人は私が実家に戻っている事は知らず、親にでも連絡出来れば、と思っていたそうで。
私は急いで支度をしてお通夜に駆けつけました。
行けば友人が受付に立っています。
私は受付を代わって友人には他の御家族と一緒に席に座ってもらいました。

通夜が終わってからも私は葬儀場に残って親御さんや友人と一緒に過ごしました。
彼女の冷たくなった頬を撫で、お別れをすまし。
友人も弟さんも気丈に振舞っていましたが時間が経つにつれ涙が止まらなくなっていて。
私は傷心の御両親の代わりに葬儀の手続きの全てを任され、葬儀場の方と打ち合わせをしてから長女であった友人と相談して妹さんの為にケーキを焼こう、という事になりました。
妹さんはお菓子作りが趣味だったので好きなケーキを焼いて供えよう、と。
その日は一度友人宅に戻って一緒にケーキを焼き、次の日の御葬式の準備をして御両親を休ませて弟さんと少し話をしてから私も仮眠をとりました。

次の日、妹さんを送り出す為に棺桶に花を入れていたら涙が溢れてきました。
それでも、その場では取り乱さずに火葬場に行って骨を拾って、来て下さった方々にお礼を言って…
一日が物凄い速さで過ぎていって、その夜も私は妹さんのお骨と一緒に友人の家に帰りました。
御線香を何度もあげながらお母様と静かに話をしました。その時に妹さんの死因を初めて聞きました。
自殺だったそうです。
長い事引篭もりで学校もあまり行かずに家の仕事(自営業なので)を手伝っていた、と。
高校の時は苛めを苦に学校を辞めたが私と友人が通っていた高校の定時制に入り直した。
妹さんの部屋を整理していた時に出てきたノートには、「お姉ちゃんと大好きな先輩が行っていた学校に入れた。とても嬉しい。」と書いてありました。
お母様は妹さんが引篭もりなのを心配されて色々と遊びに誘ったりしていたそうです。
他にも悩んでいたみたいだったのに、親兄弟には何も言わなかった、と。
「あの子は●●(私の事です)が好きだったからね。もう少し早く電話すれば良かったね。そうすれば私達に云えない事も●●になら云えたかも知れないのに。」
「あの子にはきっとこの世は苦しかったんだ。だから一足先に逝ってしまったんだ。」
泣き腫らした目でそう言われました。笑っていた姿が忘れられません。
どうやら妹さんは悪い友人と縁を切ろうとして御家族と家族会議をした日の晩、一番遅くまで起きている弟さんが寝るのを待って早朝に階段のところで首を吊ったそうです。
「私があんな風に追い詰めなかったら…」とお母様は悔やんでいました。
自殺するなんて…、と私は悔しい気持ちでいっぱいで妹さんの遺影の前に座ってずっと線香をあげながら泣いていました。
気が付いたら涙が止まりませんでした。きっと御家族の方が辛いのに…、と思いながら数年前まで一緒に遊んでいた妹さんの記憶ばかり思い出しました。

その後は妹さんの部屋を整理して妹さんが犯罪に巻き込まれていた事を知ったのでご両親と相談して警察へ行ったり、妹さんの代わりに仕事をお手伝いしたりしていました。
少しでも何かしたかったのです。自己満足かも知れませんが。

今は友人とも電話を時折します。御家族も立ち直られたそうです。
もうすぐ一周忌なのでお墓参りに行きたいと思います。

最後に。
H、天国から見ているか?
お前が苦しかったの、気付いてやれなくてゴメンな?
みんながお前を愛していた事を伝えてやれなくてゴメンな?
暫く顔も見せんで不義理しとるけど、来月の命日には逢いに行く。
お前の好きだったケーキとピンクのリボンを持って。
もう苦しまなくて良いからな?
ゆっくりと…眠って良いんだよ。
今度生まれてきたら、また傍においで。一緒に遊ぼう。
お姉ちゃんとお兄ちゃんと自分と、沢山沢山遊ぼう。


長文ですみませんでした。



850 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/21 22:03 ID:NdGdJRmk
20代ですが、書かせてください。

上京して1年半経ったGWに、久しぶりに帰省した。
我が実家はS県の東部、東京からは1時間程度。
私は東京で一人暮らし。
単身赴任の父は妹と3月まで大阪で二人暮らししていたが、部下の不正の責任をとって
東京の本社戻りになっていたため、実家から東京へ通勤していた。
正月ぶりに揃った家族だが、一足先に妹が大阪に帰り、私も帰る時間が迫ってきていた。
私と両親とで駅近くのイタリアンレストランで早めの晩餐をとった。
他愛のない会話。その中で父が言った。
「二人とも帰っちゃうと……寂しくなるなあ」
……意外だった。そういうことを口にするような父ではなかったからだ。
やり手の営業マンの父が思うように仕事もできず、会社と家との往復の中で、
きっと精神的にもまいっていたのだと思う。
鼻の奥がつんとして、涙が出そうになり、私はトイレに駈け込んだ。
涙が溢れるのを押さえることしかできなかった。

……駅の改札で両親が手を振って見送ってくれるのを、私はもう正視できなかった。
しゃがんで大泣きしてしまいそうだったから。
新幹線に飛び乗り、私はトイレで泣いた。

ゴメンナサイ。うまくかけなくて。
現在、父は某県でバリパリ働いています。
定年まであと数年、思い通りに働いていて欲しいです。



852 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/22 15:51 ID:X0olI3yJ
まだ20代で申し訳ありません。
若造の戯言だと思って聴いてやってください。
もう何年も前のことです。
学校に両親から電話がありました。
先生に呼び出されて電話にでてみると、
「Tちゃんが電車にひかれた。今からおじさんのところにいくから、すぐ帰ってきなさい」
Tちゃんは、当時4歳で父の弟さんの遅くにできた一人息子、私たちにとって従弟でした。
え、何の事?と最初は思いました。冗談じゃないのか?これは夢?
電話を切り、先生に事情を説明しているうちにぽろぽろと涙がでてきてしまい、
とにかく、落ち着いて気を付けて帰りなさい、と言われ何がなんだかわからないまま帰宅しました。
北陸の田舎から関東まで、車で叔父宅へ行きました。
車中どんなことを考えていたのか、ただ、まだまだ小さかったあのかわいい従弟が、
家が遠くてまだ数えるほどしか会ってないのに、現実に、今もはうこの世にはもういないのだ、
など頭の中をぐるぐる回っていました。
叔父宅に到着し、部屋へ通されました。
小さな小さな棺がありました。
「あんまりきれいじゃないけど、もしよかったら見てやってください」
叔父さんが言いました。(続く)


854 名前:852 投稿日:02/05/22 15:53 ID:X0olI3yJ

すぐ近くに線路があり柵がきちんとしてあったはずが、
壊れている部分があり、そこから入り込んだそうです。
ちょっと目を離したすきに…
おばさんが探しにいった時はもう遅かったそうです。
皆が棺を覗き、泣いています。
私は怖くて、かわいかった顔を思い出せなくなりそうで見る事ができませんでした。
次々と流れ出てくる涙をこらえようとするので精一杯でした。
叔母さんが自分が目を離したせいで、と自分自身を責めて泣いているのを見て、
とても胸が苦しくなりました。
私は、誰を責めるものではない、なんともいえず理不尽な気持ちで
とにかく悔しくて哀しくて泣いていました。
誰も悪くないのに…
Tちゃんは言葉の発達が遅く、いろいろな所へ行ってがんばって勉強していたらしいです。
最近やっと「お父さん、お母さん」が言えるようになったのに。
まだまだ小さかったとき、いないと思ったら階段に登っちゃってたり、
トイレのなかに落ちそうになってたりしたよね。
私たち兄弟にとって、父方のたった一人の従弟。
小さな小さなかけらになったけど、忘れないよ。
今私にもTちゃんに似たかわいい息子がいるよ。
優しい叔父さん、叔母さんに負けないくらいたくさん愛してあげよう。


855 名前:852 投稿日:02/05/22 15:55 ID:X0olI3yJ
そして、叔母さんへ。
こんなことがあって、自分をたくさん責めたことだと思います。
うちの実家へ来づらいのもよくわかります。
でも、私は叔母さんのことが好きです。
祖父母は二人なりに思うところがあって、きつい部分もあると思います。
でも、せっかく縁があってこうして家族となり、皆が仲良く、とは虫がいいかもしれませんが、
何か少しでも力になることができないかと思っています。
贈ってくれた積み木や絵本、喜んで遊んでます。いつかお返しができれば、と思っています。
ココを見る事はないかもしれないけど、最後に一言。
おばさん、がんばれ!

駄文で申し訳ありません。スレ違いかもしれませんが、どうかお許しを。

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