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嗚咽

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Part2
333 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/04 21:33 ID:j68S1/Ft
今年の7月に父が他界しました。
6月に母の7回忌をすませたばかりでした。

うちは離婚家庭で、私は母と年の離れた兄に育てられました。
私は母が40歳のときの子供だったので、かなりわがままを言っても許されていたと思います。
でも、身も心も幼い私は、自分がわがままを言っているなんて気づいたこともありませんでした。

高校生になると、反抗期がひどくなりました。
母のことはキライじゃないけど、話すとイライラしてダメでした。

私が高校を出ると、母は入退院を繰り返すようになり、6年前に他界しました。
父とはほとんど連絡をとっていなかったけど、
2年前に入院したとき2回だけお見舞いに行きました。
体が弱いのにアル中でした。

その父は、祖母の家で、他界した2週間後に発見されました。


334 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/04 21:42 ID:j68S1/Ft
祖母は老人ホームに入っていたので、その家は父が1人で住んでいたのです。
夏の時期だったこともあり、父の姿は見る影もありませんでした。
母のときも、父のときも、薄々、ある程度の覚悟はできていました。
葬儀のときは涙が出ませんでした。
悲しくないわけじゃなくて、照れくさかったんです。
もともと、家族愛が薄いと思われても仕方がないタイプでした。
ホームドラマのようなやりとりや、家族と一緒にでかけることもあまりない家。
家族に対して真剣な話をするのが、恥ずかしかった。
だから、葬儀でも泣けなかったんです。


335 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/04 21:44 ID:j68S1/Ft
でも、父の残した日記帳に、
2年前、私がお見舞いに行った日。数年ぶりに、老いた父を見た日。
「今日は娘がきてくれた。心よりうれしかった」
と書いてありました。

結局、家が遠いこともあり、お見舞いに行ったのはその後1回だけ。
・・・いいわけにしかなりませんが。

2人とも、精神的にも幼い私を心配し、ろくに見舞いにも来ないけど、
やはり愛情をもってくれていたと実感しました。
今さら云っても仕方ないけど、はっきり本人たちに言葉で伝えたことはないけど、

たくさんの愛情をありがとう。

天国では仲良くしてください。

長文、支離滅裂、すみません。

誰にも云えないけど、誰かにきいてほしくてつい書いちゃいました。



905 名前:大人の名無しさん 投稿日:03/02/03 22:49 ID:el+uxyiA
半端ではない田舎と貧乏がイヤでイヤで、高校卒業してすぐ家を出た。
最初の頃は盆暮れには帰省してたけど、めんどくさいのと家族内のいざこざに目を向けたくないのがあって
帰る頻度はどんどん減っていき、一番最近帰ったのは三年前の正月。
それきり全く親とは顔を合わせていない。
今回も正月休みはほとんどひとりで過ごした。でも実家に帰るよりはいいと思った。
紅白歌合戦を見てる時、そういえば父も今ひとりでこれ見てるのかな、と
(母はパートに出ておりその時間には帰ってない筈なので)ふと思った。
父は紅白をいつもとても楽しみにしており、大晦日の朝、いそいそとラテ欄をチェックして
自分が知らない若い歌手やバンドの名前についていちいち「何て読む?」「何人組だ?」と聞いてくる。
番組が始まってからも「この人は何でこんな変な衣装着てるんだ?」など
私に聞いても仕方ないことまでいちいち問いかけてきた。
そのくせ楽しみにしてた筈の大御所演歌歌手が出る頃にはお酒に酔って寝てしまってたりする。
毎年半ばうんざりしながら答えていたが、そういう父がすこし可愛くもあった。
ここ数年はそんなことすら忘れていた。


906 名前:905(つづき) 投稿日:03/02/03 22:49 ID:el+uxyiA
あ〜、お父さんキックザカンクルーなんて絶対読めないだろうなあ。
ガクトを見て「こいつは男か女か?」って思ってるだろうな。
「やっぱり一緒に見たかったな」と思ったとき、
お父さんのいちばん好きな北島三郎が出てきた。今頃はもう寝てるかな。
♪帰ろかな 帰るのよそうかな…
サブちゃんのその歌を聴きながら私は泣いていた。
子供の頃はとても大きいと思ってたのに、見るたびに小さくまるくなっていく父の背を思って泣いた。
ひとりでこたつに入りコップ酒を飲んでるであろう父を想像して泣いた。
ああ私は親不孝な娘だな、と遅まきながら初めて深く深く反省した。

母の体調もよくないのもあって、もうすぐ仕事を辞めて実家に帰ることにしました。
あちらではネットもできない可能性が高いので、最後の思い出に書きました。
このスレ大好きでした。みなさんどうかお元気で。またここでお会いできるといいですね。




886 名前:大人の名無しさん 投稿日:03/01/31 15:51 ID:5MfqHi0N
今年の正月に久しぶりに幼なじみの女友達が帰省し、一緒に飲んだときに聞いた話。
彼女の家は大きな果樹園で普通に育ったのですが、ただ一つ父親が吃音(どもり)気味でした。
しかしそんなにひどいわけじゃなく
「よ、よ、よくきたな、あ、あ、あがれ、あがれ」
文章にしてもうまく伝わらないが、それを早口で言う感じ。
俺なんかは近所だったんで子供のころから可愛がってもらっていて全く気にしたことなんか無かったし、
表現はおかしいかもしれないが口癖ぐらいに思ってました。
それでも彼女は自分の父親のそんな話し方をかなり気にしていたそうです。
同性に対しては特にそうで、友達は普通にいても父親の話を聞かれたくなく、
家につれてくることは全くありませんでした。
そういうのは何となく伝わるもので彼女が中学、高校と成長するごとに溝も大きくなっていきました。
お父さんは本当はものすごくおもしろい人で俺がリンゴを買いに行ったときなど
「ひゃ、ひゃ、ひゃく、100円でいいぞ。い、い、今のは、に、に、200円て意味じゃないぞ」
と自分がどもり気味なのを逆手に取って笑わせてくれるような人でした。(伝わるかな)
彼女は高校を卒業して都会に就職が決まり家を出て一人暮らしを始めることになりました。
そのころ父親とは話をすることはほとんどなくなり、お父さんもそのころは元気がないようでした。
旅立ちの日、駅のホームには何人かの友達も見送りにきていたせいかお父さんはかくれるようにしてたそうです。
しかし、いよいよ出発のブザーが鳴り扉がしまった時、後ろからお父さんが友達をかきわけて一枚の紙を見せました。
それには墨で「ガ、ガ、ガ、ガンバレ」と書いてあったそうです。
俺はそれを聞いた瞬間「うっそー?」と言いながら爆笑しました。
でもそのうち何でか泣けてきてしょうがなかった。
素直に「ガンバレ」って書けばいいものを、照れ隠しに文章までどもって見せた気持ち。
でもそれでまた娘を怒らせると思い、なかなか渡せなかった気持ち。
その話を聞いて二人で泣き笑いしてました。

ちなみに彼女のお父さんは今も元気です。



801 名前:大人の名無しさん 投稿日:03/01/18 18:27 ID:X1+rwsdw
年末の帰省時に姪(弟の5歳児)を預る予定だった。

前年帰省の際、土産を忘れた俺は、土産代わりに子守する事にしたが、これが大好評。
特に義妹(28)からは「義兄さんのおかげで久々に旦那とデート出来た!」と喜ばれた。
その時は姪の希望でとっとこハム太郎の映画に連れて行った。4歳児が映画館でじっとしてられるか不安
だったけど無事終了(泣くとやばいんで同時上映のゴジラは見なかった)。
パンフ 買ってゲーセンでハム太郎のぬいぐるみ捕って。
劇中歌のミニはむずの曲の着メロ落して車の中で鳴らし続けたり
(普段は仕事ユースのエッジなんでマナーにしてて鳴らさないんだが)。
姪は初めての映画館が相当嬉しかったらしく、正月休み明けまで「楽しかった」を連呼していた。
姪の楽しげな様子を見ていて、家族皆が幸せだった。

去年の夏の終り頃、姪から電話があった。
「今年もハム太郎の映画があるんで連れてってください。」
義妹に「連れて行って欲しかったら自分でちゃんと頼みなさい」といわれ電話したらしい。
連れて行く約束をして電話を切り、ググってみると、
確かに「劇場版とっとこハム太郎2 12月公開」のページがあった。


802 名前:801 投稿日:03/01/18 18:29 ID:X1+rwsdw
12月になって再度姪から電話があった。
「おにいちゃんいつ帰って来るんですか?」
28日に帰るから29日に映画に行こうと約束して、そのままローソンに行き、映画の前売券を買った。
(その電話で、弟夫婦もデートの日を決めたかったらしく、姪はそのダシに使われたらしい)

28日の東名高速下りは事故も重なり大渋滞。
蒲郡から小牧まで何時間かかるかわからない位。
実家に相当遅くなると伝えるために電話。
誰も出ない。
その時は正月の買い出しにでも出てるだろうと気にして無かった。
その後も何度も電話したけど、結局電話は繋がる事無く、普段の倍の時間かけて実家に着いた頃には、
日が暮れていた。
電気一つ灯いていない真っ暗な実家。
変わっていない合鍵場所から鍵を持ち出し中に入る。
両親と同居して(もちろん大変な事一杯有るだろうに)うまくやってくれてる義妹。
家の中は何時も奇麗に片付いていたのに、一目で何もかも放り出して外出したのが分かる荒れよう。
取り敢えず居間の茶碗類を片付け、ストーブをつけてテレビを見てぼーっとしてた
(多分めちゃイケでも見てたんだと思う)。


803 名前:801 投稿日:03/01/18 18:30 ID:X1+rwsdw
流石にこの時間まで帰らないのは尋常じゃねえな、と思った矢先、両親が帰宅。
目が合った親父が言った。
「姪が死んだ」
…ハァ?
と思った瞬間に、親父の背中でお袋が泣き出した。

親父に聞いて駆けつけた病院には弟夫婦がいた。
公園で補助輪無しの自転車の練習中に転倒して、その際にブランコの支柱に頭を強打したらしい事。
そのまま意識が戻らなかった事。
幼稚園が冬休みになってから一生懸命自転車の練習してた事。
それがどうやら俺に見せる為らしい事。
(一人でトイレ出来る、補助輪無し自転車に乗れる、出した物を自分で片付けられる、が姪には
「成長してお姉ちゃんになった自分」を表す事と思っていたらしい)
そんな事を聞きながら、姪と対面した。
あまりに突然過ぎて驚きが大きすぎたからか、涙は出なかった。

次の日弟夫婦が病院へ行っている間に、俺は親父に言われて一番近い紳士服店に礼服を買いに行った。
この十年で俺はすっかり太ってしまい、親父や弟の礼服は着れない体型になっていた。
年末だったが吊しの礼服を買って無理言ってその場で裾詰めを頼んだ。
待ち時間の間、店を出て辺りをぶらついた。
そのうちに、ここが何処だか唐突に気付いた。
急いで店に取って返し、車走らせた。


804 名前:801 投稿日:03/01/18 18:30 ID:X1+rwsdw
五分ほど走った場所に、去年姪と来た映画館が有った。
受け付け嬢に頼み、映画のパンフだけ売ってもらい、紳士服店に引き返した。

葬儀までの間の記憶ははっきりしない。
周りの肉親がばたばたしてるのに、俺にはする事が無かった事だけ覚えている。
葬儀業者の手配でセレモニーホールでの通夜が始まる前、義妹と少しだけ話をした。
「姪がいつもいつも『おにいちゃんに買ってもらったんだよ!』って見てたハム太郎の映画のパンフ、棺
に入れてやります」
見ると義妹の手にはぼろぼろになった、それこそ擦り切れるくらい読んだだろう映画のパンフ。
これを見た瞬間に、涙が止まらなくなった。
生まれて初めて、視界が涙で滲んで見えなくなっていく体験をした(今までは泣き出しは目を閉じてたん
だろうか?)。
買ったばかりの新しい映画のパンフと前売券を、一緒に入れてもらう為義妹に渡しながら、泣き続けた。

自分の子でも無いのに、今でも、ただただ喪失感しかない。
時間の経過で薄まるのかどうかも、分からない。
PHSに落したミニはむずの着メロは、聞けずにいるけども消せずにもいる。

いたる所で目に付くハム太郎見つける度に、姪の喜んでいた顔を思い出す。
で、その度にもう思い出す事しか出来ん事を思い知り泣いてしまう。

このスレの中に『前スレにハム太郎や ピカチュー』ってカキコが有ったけど、読んだら泣きそうな気が
したんで読まずに書き込んだ。
こんな長文載せて、重複してたらすまん。
しかもsageてなかった。


973 :801 :03/02/14 18:39 ID:2QF1g/fF
2月10日に有給休暇を取って、帰省した。
姪の四十九日に出る為に。

新幹線は、あっけないほどすんなりと着いてしまった。
家に入り、新しく買ったという仏壇の前へ。
仏壇の黒と、骨壷にかかった布の白さのコントラストで息が詰まる。
供えられた色紙の工作物。
聞かずとも姪の友達からだと分かる。
形は整っていないけど、姪のために一生懸命作ってくれたんだな、と感じる。
弟夫婦と少し話す。

姪の仏前にハム太郎グッズを供えようか、と数日前まで考えていて、
実際買ったけど、これを毎日見て生活するのは辛い、と思い置いてきた。
代わりに、知人のツテを頼んで、フラワーアレンジメントしてる方に、
ハム太郎に見えるようにしてもらった花の篭盛り(?)を持参した。
これを事故現場に供えたい、と伝え
「弟と義妹も、一緒に行かないか?」と誘った。

義妹は、事故以来あの公園に近づけない。
仕方が無い事だけど、四十九日をきっかけに立ち直らせたい。
そう弟は考えていたから、事前に相談していた。
姪の事は、忘れられるはずも無い。
でも、今は、憔悴し切った義妹を何とかしないと、というのが俺と弟の考えだった。


974 :801 :03/02/14 18:43 ID:2QF1g/fF
結局、弟夫婦と両親と俺の5人で公園へ行った。

家へ戻り、親父の実家へ、姪の遺骨を納める墓の相談に祖母を訪ねる。
祖母が10年も前に俺用に買ってくれた寺の墓地が有り、それを使わせて欲しいと頼む。
(田舎は面倒な事柄が多い)
祖母は快諾してくれ、寺との段取りもしてくれた。
月内には納骨できると聞いて、ほっとする。

その夜は、弟夫婦としこたま飲んだ。

姪よ、
お前は居なくなってしまったけど、
お前と過ごせた日々を、俺達は忘れないだろう。
今は痛みだけしか感じないけど、
時間が経てば楽しかった日々を思い出せる日が来るだろう。
そして、いつか
お前の弟か妹が出来たら、俺は同じ様に、映画に連れて行こうと思う。
霊とか来世とか信じないけど、
どうかそんな日が早く来る様に
お前の母さんを見守ってやってくれ。

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