魔法使い「勇者がどうして『雷』を使えるか、知ってる?」
Part8
141 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:32:58.34 ID:rM6FpdA8o
こんばんは
短編二つ目を投下します
エロはあるような無いような
それでは
142 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:35:04.55 ID:rM6FpdA8o
騎士「領主殿、ただいま参着いたしました」
さほど広くも無い執務室、その中心にある机に向かい、書面に羽ペンを走らせる肥満体の男がいた。
芋虫のように太った指に喰い込ませるように指輪をはめ、たるんだ肉で指輪さえも隠れている。
強烈な赤色のローブからは毛むくじゃらの胸板が覗けて、その顔は、脂肪と筋肉が溶け合ったようにだらしなく重力に緩んでいる。
『騎士物語』の悪代官をそのまま演じてからかっているのかと疑うような、いかにもな風貌をしていた。
領主「うむ。話は聞いているぞ。その若さで、中々の腕前だそうな」
騎士「いえ、滅相もございません。……父祖から受け継いだものを繰り返しているだけ」
領主「遜るな。……そうでなければ、こんな枯れた辺境などに呼ぶものか」
騎士「…………」
すだれのように緩んだ肉の隙間から、妙に鋭い眼が騎士を刺す。
領主「まぁ、それはいい。この度召喚したのは、他でもない。私の身辺警護役を務めてもらいたいのだ」
騎士「御意のままに。……ですが、何か身辺に懸念でも?」
領主「ふん、無い方がおかしいわ。こんな身分をやっていれば、心当たりの十か二十は出てくるものだ」
騎士「……でしょうね」
領主「まぁ、ともかくだ。明日から、わしの護衛を勤めよ、今日はもう下がって休め」
騎士「拝命いたしました。それでは、失礼いたします」
143 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:36:01.57 ID:rM6FpdA8o
それから、数日。
護衛とは言われても、領主は館から出る事はまず無かった。
ひっきりなしに届く机仕事をなおざりにやっつけていき、食事だけは大食堂で摂った。
朝から血の滴る肉を食らい、昼には加えてワインを開け、夜には小さな宴を催した。
深夜に館を徘徊する様子も見たが、騎士を伴わないという事は、大した用事でも無いのだろう。
騎士は、釈然としないまま時を過ごした。
そして変わらず、領主の命を危ぶませるような事は何も起こらない。
辺境の地で、魔物の群生地はいくらか近いが、近ごろは安定していると執事に聞いた。
むしろ気がかりなのは魔物ではなく、領民だろうか。
この辺境領の町を歩いた時、その背に不穏な気配を感じて、振り返る事が数回あった。
市場は開いてはいても、敗戦国のように活気が無く、呼び込みの声にも覇気が無い。
大路でさえもそうなのだから、道一本入った路地裏などは、まさしく吹き溜まりとなっているに違いない。
衛兵の詰め所に顔を出せば酒の匂いがしたし、言葉を交わせば、妙に滑りの良い、
舌の回っていないゆるんだ返事がされた。
そんなある夜、騎士は領主の寝室の外に侍っていた。
何かあれば駆けつけられるように、神経を研ぎ澄ましながら――――ただ、佇む。
灯りを減らした廊下の中に、甲冑のように微動だにせず、剣を帯びて立っていた。
夜半が過ぎて、少し疲れを感じた頃。
部屋を出てきた領主が、扉のそばにいた騎士に声をかけてきた。
144 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:37:23.69 ID:rM6FpdA8o
領主「……おい、貴様。少し付き合え」
騎士「はっ。どちらへ」
領主「来れば分かる。貴様も中々、頑張っているようだからな」
騎士「今後とも励ませていただきます」
領主「当然だ。突っ立ってないでついてこい。何、眠気も飛ぶさ」
騎士「はあ……」
ことさらに釈然としない。
真夜中に騎士を伴い、屋敷を歩いて――――その足は、地下への階段へと向いた。
執事の案内で入った事はあるが、ワインセラーと食料保存庫ぐらいしかそこには無い。
束ねた香草類が壁に吊るされ、棚には布に巻いた熟成中の肉類が置いてある。
その中を、ランタンを片手に領主はすいすいと歩いて行く。
提げてはいてもその光をまるで頼る様子はなく、勝手知ったる道を歩くように、迷いはない。
やがて、最奥に辿り着くと、そこには鉄製の扉があった。
領主「……ここだ。開けろ」
ここまで来て、領主は鍵を一本、騎士に手渡して、扉を開けるように促した。
それに従って、ランタンの光で鍵穴を探し当て、捻り――――そして、扉を押し開く。
鍵を返そうとすれば、領主はニヤリと笑い、それを拒んだ。
領主「その鍵は貴様の分だ。よし、進め。階段になっているからな」
145 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:37:56.85 ID:rM6FpdA8o
更に地下へと向かう石造りの階段を、降りる。
爪先で足場を確かめながら、一段、一段と、領主を先導するように降りていく。
二階分ほども降りるとようやく床を爪先が見つけた。
騎士「ここは?」
領主「見れば分かるだろう、『地下牢』だ。……あってはおかしいのか?」
かすかに、血の匂いがした。
牢獄は三つあり、恐らく、一番奥、突き当りの牢獄の中からだ。
空気は寒く、暗く、こごったような冷たさが支配しており、光源は全くない。
領主の持つランタンの輝きさえも壁のヒビに吸い込まれそうで、何より、妙な気配が漂っていた。
幾多の敵と対峙してきた騎士でさえ、その気配に近いものさえ見つけられない。
この場所の空気がそうさせるのか、奥にいる『何か』の存在感は、異常な程に膨れ上がっている。
騎士「……罪人を投獄しているのですか? それなら…………」
領主「いや、罪『人』ではない。きっと、貴様も気に入るさ。進め」
促されるまま歩いていくと、さして広くも無い突き当りの牢獄に着いた。
闇の中に、蠢く何かが見えて、寝息のようなものも聞こえる。
血の匂いに混じり、異臭、そして甘い焼き菓子のような香りも同時に感じた。
少し遅れてやってきた領主がランタンで牢獄を照らし出す。
そこには――――伝説でしか聞いた事のない存在が、囚われていた。
姿は人のものでも、頭からは角が生えている。
尾が生えて床にしな垂れ、その先端は槍先のように鋭い。
夜毎寝所に忍び込み、精を吸い取る、古の魔族。
騎士「……『淫魔(サキュバス)』!?」
146 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:38:56.32 ID:rM6FpdA8o
ランタンの灯り、そして領主が壁に掛けた松明の灯りで、その全貌が見てとれた。
裸身のまま、壁に据えつけられた手枷に縫いとめられるように拘束され、首輪から伸びた鎖も同様に。
肌の色は古書とは違い、人間の女と同じく、白い。
ゆるくクセのある黒髪が鎖骨まで伸び、頭を倒して寝息を立てているため、顔は見えない。
豊かな双丘と、艶やかに肉付いた肢体は、騎士の目を釘付けにして離さない。
目を背けたくなる痛ましさと、いつまでも見ていたくなる引力が、拮抗したまま時を過ごさせる。
領主「……気に入ったか?」
領主の言葉に意識を取り戻し、思わず、口走る。
騎士「りょ、領主……殿? これは?」
領主「『淫魔』だ。……領内で偶然見つけての。捕らえて連れ帰ったというわけじゃ。かれこれ、五年も前になるか」
騎士「それでは、彼女は五年間もここへ?」
領主「勘違いするなよ。アレは人間では無い。魔物だ。……まぁ、アレはムダ飯食いではないが役立たずだ」
騎士「は……?」
領主「アレは、五年間精液しか口にしていない。『淫魔』だからの、それだけで生き延びられるんじゃろうて」
騎士「危険では無いのですか? 彼女が本当に魔族だとしたら――――」
領主「そこよ。アレには、何も……能が無いのだよ。その体を除いてな」
騎士「……?」
147 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:39:55.88 ID:rM6FpdA8o
領主が語るところによれば、彼女を淫魔たらしめているのはその姿、肉体だけだという。
双眸には魅了の輝きなどなく、ほんの少し灯りを出すだけの魔術さえ使えず、
闇を裂いて飛ぶ翼は、名残りさえもその背には無い。
角と尾が生えただけの、『人間』に過ぎないという。
淫魔「……ふわぁ、よく寝た。……あら? 初めまして~」
騎士「えっ……?」
騎士は、その言葉を自分一人に向けられたものだと思った。
だが、彼女の気だるく、柔和に澄んだ眼は……領主を見つめていた。
淫魔「あら、そちらの方も。初めまして。……ここ、少しだけ寒いのですけれど。毛布か何か、あります~?」
領主「……ふん。すぐに暖めてやるさ」
淫魔「えっ……本当ですか? ありがとうございます~」
彼女は、間違いなく……領主と、騎士の二人に対して初見の挨拶を述べた。
五年もの間に、恐らくは毎夜のように受け止めていたにも、関わらずだ。
領主はそれをうるさそうに聞き流すと、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てて淫魔へと圧し掛かった。
騎士「りょ、領主……殿? 何を?」
領主「淫魔を相手にする事など、決まっておろう。……すぐに回してやる」
全てを理解し、騎士は足早に階段を駆け上がり、逃げ込むように領主の寝室前へと戻った。
途中で用足しに出ていたメイドとすれ違っていた覚えもあるが、ハッキリとしない。
気付けば、来た時と同じように、甲冑のように寝室の扉脇に佇んでいた。
148 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:40:21.31 ID:rM6FpdA8o
領主に覚えた嫌悪感はもうない。
屋敷の地下に、文字通りの『魔性』の女を囲っていた事も驚きだったが、それ以上に引っかかることがある。
彼女は、自分はともかく……領主を見て、『初めまして』と言った。
五年間に渡り、恐らくは毎日繋がれていただろう、領主に向けて。
惑わすための舌、あるいは皮肉を効かせたのかとも思った。
しかしその割には、口調にも表情にも嫌味はなく、不自然な程穏やかだった。
出口のない堂々巡りの疑問に頭を働かせていると、いつの間にか、領主が寝室へ戻って来ていた。
素裸の上にガウンを纏い、汗をかき、少しだけ息を乱している。
領主「つまらない男だな、貴様は。それとも、『淫魔』と聞いて縮み上がったか?」
騎士「……領主殿。あなたは、夜毎に……?」
領主「ああ、そうだとも。毎日餌をやっているんだ。それとも、『止めろ』とでも言うのか?」
騎士「なら、なぜ……」
領主「あ?」
騎士「なぜ、彼女は『初めまして』と……?」
領主「行く度に言われるわ。よほど脳の巡りが悪いのだろ。……そろそろ飽きて来たがな。貴様ももう寝ろ」
騎士「……はっ」
領主「まったく……勿体ない事をしたものだ。まぁ、好きにするがいい。その鍵はくれてやる」
149 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:41:37.86 ID:rM6FpdA8o
その次の朝、騎士は一人で『淫魔』に会いに行った。
多少眠れはしても、日の出から少し遅れただけの時間に目が覚めてしまった。
屋敷の空気は冷え切っており、その澄んだ空気を取り入れながら、澱んだ空気の溜まり場へと降りて行く。
入った途端にかび臭い空気が漂い、どこからか水の滴る音も聞こえる。
こんな場所に五年もいれば、通常の人間は、たちまちに病みついてしまうだろう。
だが、彼女は……あの『淫魔』は、ここで五年、領主の精液だけで生き延びている。
最奥の牢獄の前に行き、松明で照らすと彼女は手枷を解かれた状態で、
裸身を冷たい床に丸めて膝を抱えるように眠っていた。
寝床代わりの藁さえも敷かれてはいない。
見えるのは、彼女の白くて美しい背中と、なだらかな尻にかけての曲線だけだ。
やはり、翼は無い。
尾てい骨を延長するように尻尾が伸びて床に垂れ、時折思い出したように、猫の尾を彷彿とさせる動きで跳ねる。
しばらく、そうして見つめていると……気配に気づいてか、彼女がむくりと起き上がる。
淫魔「ん……? あれ、あなた……昨日の……?」
騎士「……私を、覚えているのか?」
淫魔「覚えますよぉ。 ……五年ぶりに人に会えたんですから、嬉しくて~」
騎士「えっ……?」
寝ぼけ眼を擦りながら、彼女は確かに言った。
150 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:43:01.68 ID:rM6FpdA8o
騎士「……五年? 昨日、お前に会った……男の事は?」
淫魔「? ですから、あなたですよね~?」
騎士「違う! 私と、もう一人いただろう!?」
淫魔「……いえ、あなた一人だけでしたよぉ。 無視されちゃって、ちょっと悲しかったです~」
彼女に嘘をついている様子は無い。
語気を強めた騎士に、むしろ……怯えるような様子さえも見受けられる。
淫魔「どうしたんですか~?」
黙り込んだ騎士に、彼女は更に言葉を繋げてくる。
暗く湿った地下牢と、その空間で行われているだろう行為に反して、彼女の声はどこまでも暢気だ。
彼女は、領主の事を覚えてなどいないという。
しかし……昨日初めて会った、騎士の事だけは覚えている。
その不自然極まる『忘却』は、騎士に更なる疑念ばかりを植え付ける。
騎士「……本当に、覚えていないのか」
淫魔「あのぉ、さっきから……何の話ですか?」
騎士「色々こちらも……訊きたい事があるのだが」
151 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:44:03.16 ID:rM6FpdA8o
話によれば、彼女は人間界へとやって来た時に、なけなしの魔力を使い果たしたという。
制御も効かず、よりにもよって森の真ん中に出てきてしまい、そこで狩猟中の領主の一団に出くわした。
当然、伴っていた兵士にその場で捕らえられ……そして、今に至るらしい。
騎士「間抜けな」
淫魔「よく言われます~。……よかったらでいいんですけど」
騎士「?」
淫魔「そのマント、いただけませんか~? 床が硬くて寝づらいんです」
騎士「まさか、寝床にするつもりか!?」
彼女は、物欲しそうに騎士の身を包むマントをじっと見つめた。
星形の花を模した家紋が染め抜かれた、上質なビロードで織られ、銀の縁どりまで施された逸品だ。
それを彼女は、敷物代わりにしたいという。
あまりにも常識外れに無礼な頼みだが……騎士は、少し考え込んでから、あっさりと脱ぐ。
騎士「……いいさ、使え。私にはもう必要無い」
鉄格子を領主から受け取った鍵で開き、中にいる彼女に、それを差し出す。
淫魔「わぁ、ありがとうございます~! でも、これ……高そうですね? 本当にいいんですか?」
騎士「出したものを引っ込められるか。……もう、私には帰る場所など無いんだ。その家紋も、もはや意味など無い」
152 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:44:42.26 ID:rM6FpdA8o
淫魔「? 帰る場所、無いって?」
騎士「我が父から継ぐはずだった、一族の屋敷は取り上げられた。今や……もう、私の生家は無い」
淫魔「ふぅーん……?」
騎士の父は少し前に病死している。母はさらに数年前、病で去った。
その時、ある遠征軍の司令官を務めていた。
しかし……敵要塞を一息で陥落できるという所まで追い詰めたところで、無念にも死の運命に追いつかれてしまった。
側近にも、そして息子である騎士にも病の事を伏せていたため、軍はおろか、王までもが凍てついた。
彼の死をきっかけに遠征軍は混乱、一時撤退を余儀なくされ、その一件でここぞとばかりに咎めを受け、
とうとう屋敷は取り上げられ家名は没落、もはや立て直す事は到底不可能。
そんな折――――辺境領へと赴任させられる事となった。
この話を彼女にしても戸惑うだけだと思ったから、口にはしなかった。
そもそも雪ぐ機会の失われた屈辱と向き合う事に、意味などない。
向き合えば向き合うだけ、自分の心を痛めつけるだけだ。
認めて飲み込んでしまっても、消化はできない。それは錨のように、心を重く繋ぎ止めるだけでしかない。
受け容れず受け止めず、流す事しかできない事は間違いなくある。
だが、彼女が食いついたのは……そういった事情ではなく、至極単純な所だ。
淫魔「あの、お父さんがいるって……どういう感じなんです?」
騎士「……『淫魔』に父親はいないのか?」
淫魔「それがですね、昔……お母さんに訊いたら。知らないって言われました~」
騎士「?」
淫魔「気付いたら、私がお腹にいたそうです。……いつできたのかも分からないって~」
153 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:45:56.18 ID:rM6FpdA8o
彼女は、語る。
父親の顔はおろか、いるのかさえも分からないという。
分かったとしても何千年も前の事だから恐らく生きてはいまいが、それでも気にはなると。
彼女の母には……ただ、「子を孕んでいた」という結果だけがあったという。
騎士「子の生し方は、人間と同じか?」
淫魔「いえ、暗い所に卵産んで、精子かけて……じゃないですよ~。同じです、同じ」
騎士「……その……なんだ、孕んでいたら……気付く、のか?」
淫魔「やですねぇ、もう。そんなの気付きますよ普通~。常識的に考えてくださいよぉ」
騎士「ふん。……『淫魔』に常識を説かれるとは思わなかった」
子の生し方が同じであるのならば――――彼女は、もう腹が膨らんでいなければならない。
五年間毎晩穢されていたというのなら、孕んでいなければおかしい。
なのに、彼女の体は孕婦のそれではない。
淫魔「……せっかくですから、何か楽しいお話してくれませんか~? 夢にもバリエーション、なくなっちゃいました」
騎士「と言われてもな、私に楽しい話など無い。……人伝の話で良いのなら、少しは暇を潰させてやる」
淫魔「はい、それでいいですよ~。わくわく、です」
その後、たわいもない話をした。
気付けば騎士も鉄格子の中に座り、顔を突き合わせていた。
内容は、ここではないどこかの話ばかり。
勿論騎士が選んでそんな話をしているのではなく、あくまで、彼女が聞きたがるのだ。
騎士自身も見た事のない、見渡す限りの砂の大地、炎の水を噴き上げる山に、氷でできた島の話をした。
十何年かの周期で、夜空に箒のように尾を引く星が姿を見せてくれる話に、特に彼女は聞き入った。
それは魔界には無いらしく、彼女も興味津々に聞いており、目をその時だけは爛と輝かせてくれた。
逆に、彼女から魔界の話を聞く事もあった。
魔界では、雨が上がった夜は月に虹の輪がかかり、夜空に七色の大輪を咲かせてくれる事がある。
何千年かに一度、朝が近づくと七色はリボンのようにほどけて、赤、燈、黄、緑、青、藍、紫の順に、
それぞれの色を持ったまま流れ星となって空を飾る。
ほどけた月虹の流星群を見た者は幸せな子を授かる事が出来ると言う伝説が、彼女の国にはあるという
154 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:46:48.13 ID:rM6FpdA8o
淫魔「あのぉ~……騎士さん。帰る場所、無いって……仰ってましたよね?」
騎士「……ああ」
淫魔「じゃ、私を……色々、見に連れて行ってくださいよ~」
騎士「えっ……?」
淫魔「私も、ずっとここにいる訳じゃ無いですよね~?」
騎士「……長くは、もたんな。領主もそろそろ首が寒くなる頃合いだろう。」
領主の暮らしぶりは、目に余る。
演劇の『悪代官』をそのまま写し取ったように、朝から酒を飲み、何も無いと言うのに宴じみた晩餐。
反して領民たちは一日のパンにすら困っているというのに、それらを見ようともしない。
麦の一粒すら取り上げるような圧政を敷き、もはや……『秒読み』だ。
押し固めたその『反動』は、必ず、近い内に跳ねる。
淫魔「お願いします、人間界を案内してください~」
騎士「考えておくよ。……それにしても勿体ないな、あの男。あそこまで堂に入った腐敗は、むしろ貴重だ」
淫魔「ありがとうございます~。あ、マントもありがとうございました。これで、よく眠れそうです。大事にしますねぇ」
騎士「いや、粗末にしろ。尻でも拭うがいいさ」
淫魔「え~? ……それじゃ、おやすみなさい~。また来てくれると嬉しいです~」
彼女は、すぐにマントに包まり、再び牢獄の床に寝転がった。
騎士は、あっという間に寝入ってしまった淫魔の寝顔を眺める。
自然と、彼女の頬に指先が伸びた。
触れる寸前に、その指先は引っ込められたが……暖かさは、触れずとも伝わる。
この凍えた暗闇の空間に、彼女は、不自然なほど暖かい生命力を確かに放っていた。
155 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:48:06.25 ID:rM6FpdA8o
全編でなくて申し訳ない、今日の分を終了です
それでは、さようなら
また明日、同じ頃の時間に~
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/05/31(金) 19:10:18.57 ID:oOWbpier0
おつおつ
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/06/01(土) 02:01:03.14 ID:IubX9/+DO
その後1を見たものはいなかった
158 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/06/01(土) 11:58:09.18 ID:+j7WNh9Vo
すまない、寝てしまった
昼からの出勤前に投下して、帰って来てから続きを投下します
なんか前のスレでもこんな事があったような気がするけど気のせいだよね
159 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/06/01(土) 11:59:46.63 ID:+j7WNh9Vo
何日かに渡り、彼女を訪れ、話した。
不思議な事に、話したことも覚えているし、騎士の顔も忘れてなどいない。
それどころかよく気がつき、騎士の服についたソースの小さな滲みまでも、暗闇の中で見つけて指摘した。
その一方で、彼女は領主の事など、一つたりとも覚えていない。
いや、まるで知らないかのように反応する。
一度は、床に落ちた白濁さえ生々しく目撃したのに、その主の事を訊ねても、彼女は答えてくれない。
淫魔「まだ、ですかね? そろそろ私、ここ飽きてきちゃいました~」
騎士「ふん。……蜜の罠でも仕掛ける気か、『淫魔』。私には通じん」
淫魔「……? あの、それって……?」
騎士「理解できぬならいい。……その、とろい口ぶりは何なのだ?」
淫魔「もう、とろいって何ですかぁ。失礼ですね~」
騎士「チッ」
淫魔「……ありがとうございました~、騎士さん」
騎士「今日は何もくれてやってなどいないぞ」
淫魔「くれましたよぉ。……『時間』をくれました~」
騎士「『時間』?」
こんばんは
短編二つ目を投下します
エロはあるような無いような
それでは
142 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:35:04.55 ID:rM6FpdA8o
騎士「領主殿、ただいま参着いたしました」
さほど広くも無い執務室、その中心にある机に向かい、書面に羽ペンを走らせる肥満体の男がいた。
芋虫のように太った指に喰い込ませるように指輪をはめ、たるんだ肉で指輪さえも隠れている。
強烈な赤色のローブからは毛むくじゃらの胸板が覗けて、その顔は、脂肪と筋肉が溶け合ったようにだらしなく重力に緩んでいる。
『騎士物語』の悪代官をそのまま演じてからかっているのかと疑うような、いかにもな風貌をしていた。
領主「うむ。話は聞いているぞ。その若さで、中々の腕前だそうな」
騎士「いえ、滅相もございません。……父祖から受け継いだものを繰り返しているだけ」
領主「遜るな。……そうでなければ、こんな枯れた辺境などに呼ぶものか」
騎士「…………」
すだれのように緩んだ肉の隙間から、妙に鋭い眼が騎士を刺す。
領主「まぁ、それはいい。この度召喚したのは、他でもない。私の身辺警護役を務めてもらいたいのだ」
騎士「御意のままに。……ですが、何か身辺に懸念でも?」
領主「ふん、無い方がおかしいわ。こんな身分をやっていれば、心当たりの十か二十は出てくるものだ」
騎士「……でしょうね」
領主「まぁ、ともかくだ。明日から、わしの護衛を勤めよ、今日はもう下がって休め」
騎士「拝命いたしました。それでは、失礼いたします」
143 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:36:01.57 ID:rM6FpdA8o
それから、数日。
護衛とは言われても、領主は館から出る事はまず無かった。
ひっきりなしに届く机仕事をなおざりにやっつけていき、食事だけは大食堂で摂った。
朝から血の滴る肉を食らい、昼には加えてワインを開け、夜には小さな宴を催した。
深夜に館を徘徊する様子も見たが、騎士を伴わないという事は、大した用事でも無いのだろう。
騎士は、釈然としないまま時を過ごした。
そして変わらず、領主の命を危ぶませるような事は何も起こらない。
辺境の地で、魔物の群生地はいくらか近いが、近ごろは安定していると執事に聞いた。
むしろ気がかりなのは魔物ではなく、領民だろうか。
この辺境領の町を歩いた時、その背に不穏な気配を感じて、振り返る事が数回あった。
市場は開いてはいても、敗戦国のように活気が無く、呼び込みの声にも覇気が無い。
大路でさえもそうなのだから、道一本入った路地裏などは、まさしく吹き溜まりとなっているに違いない。
衛兵の詰め所に顔を出せば酒の匂いがしたし、言葉を交わせば、妙に滑りの良い、
舌の回っていないゆるんだ返事がされた。
そんなある夜、騎士は領主の寝室の外に侍っていた。
何かあれば駆けつけられるように、神経を研ぎ澄ましながら――――ただ、佇む。
灯りを減らした廊下の中に、甲冑のように微動だにせず、剣を帯びて立っていた。
夜半が過ぎて、少し疲れを感じた頃。
部屋を出てきた領主が、扉のそばにいた騎士に声をかけてきた。
144 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:37:23.69 ID:rM6FpdA8o
領主「……おい、貴様。少し付き合え」
騎士「はっ。どちらへ」
領主「来れば分かる。貴様も中々、頑張っているようだからな」
騎士「今後とも励ませていただきます」
領主「当然だ。突っ立ってないでついてこい。何、眠気も飛ぶさ」
騎士「はあ……」
ことさらに釈然としない。
真夜中に騎士を伴い、屋敷を歩いて――――その足は、地下への階段へと向いた。
執事の案内で入った事はあるが、ワインセラーと食料保存庫ぐらいしかそこには無い。
束ねた香草類が壁に吊るされ、棚には布に巻いた熟成中の肉類が置いてある。
その中を、ランタンを片手に領主はすいすいと歩いて行く。
提げてはいてもその光をまるで頼る様子はなく、勝手知ったる道を歩くように、迷いはない。
やがて、最奥に辿り着くと、そこには鉄製の扉があった。
領主「……ここだ。開けろ」
ここまで来て、領主は鍵を一本、騎士に手渡して、扉を開けるように促した。
それに従って、ランタンの光で鍵穴を探し当て、捻り――――そして、扉を押し開く。
鍵を返そうとすれば、領主はニヤリと笑い、それを拒んだ。
領主「その鍵は貴様の分だ。よし、進め。階段になっているからな」
145 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:37:56.85 ID:rM6FpdA8o
更に地下へと向かう石造りの階段を、降りる。
爪先で足場を確かめながら、一段、一段と、領主を先導するように降りていく。
二階分ほども降りるとようやく床を爪先が見つけた。
騎士「ここは?」
領主「見れば分かるだろう、『地下牢』だ。……あってはおかしいのか?」
かすかに、血の匂いがした。
牢獄は三つあり、恐らく、一番奥、突き当りの牢獄の中からだ。
空気は寒く、暗く、こごったような冷たさが支配しており、光源は全くない。
領主の持つランタンの輝きさえも壁のヒビに吸い込まれそうで、何より、妙な気配が漂っていた。
幾多の敵と対峙してきた騎士でさえ、その気配に近いものさえ見つけられない。
この場所の空気がそうさせるのか、奥にいる『何か』の存在感は、異常な程に膨れ上がっている。
騎士「……罪人を投獄しているのですか? それなら…………」
領主「いや、罪『人』ではない。きっと、貴様も気に入るさ。進め」
促されるまま歩いていくと、さして広くも無い突き当りの牢獄に着いた。
闇の中に、蠢く何かが見えて、寝息のようなものも聞こえる。
血の匂いに混じり、異臭、そして甘い焼き菓子のような香りも同時に感じた。
少し遅れてやってきた領主がランタンで牢獄を照らし出す。
そこには――――伝説でしか聞いた事のない存在が、囚われていた。
姿は人のものでも、頭からは角が生えている。
尾が生えて床にしな垂れ、その先端は槍先のように鋭い。
夜毎寝所に忍び込み、精を吸い取る、古の魔族。
騎士「……『淫魔(サキュバス)』!?」
ランタンの灯り、そして領主が壁に掛けた松明の灯りで、その全貌が見てとれた。
裸身のまま、壁に据えつけられた手枷に縫いとめられるように拘束され、首輪から伸びた鎖も同様に。
肌の色は古書とは違い、人間の女と同じく、白い。
ゆるくクセのある黒髪が鎖骨まで伸び、頭を倒して寝息を立てているため、顔は見えない。
豊かな双丘と、艶やかに肉付いた肢体は、騎士の目を釘付けにして離さない。
目を背けたくなる痛ましさと、いつまでも見ていたくなる引力が、拮抗したまま時を過ごさせる。
領主「……気に入ったか?」
領主の言葉に意識を取り戻し、思わず、口走る。
騎士「りょ、領主……殿? これは?」
領主「『淫魔』だ。……領内で偶然見つけての。捕らえて連れ帰ったというわけじゃ。かれこれ、五年も前になるか」
騎士「それでは、彼女は五年間もここへ?」
領主「勘違いするなよ。アレは人間では無い。魔物だ。……まぁ、アレはムダ飯食いではないが役立たずだ」
騎士「は……?」
領主「アレは、五年間精液しか口にしていない。『淫魔』だからの、それだけで生き延びられるんじゃろうて」
騎士「危険では無いのですか? 彼女が本当に魔族だとしたら――――」
領主「そこよ。アレには、何も……能が無いのだよ。その体を除いてな」
騎士「……?」
147 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:39:55.88 ID:rM6FpdA8o
領主が語るところによれば、彼女を淫魔たらしめているのはその姿、肉体だけだという。
双眸には魅了の輝きなどなく、ほんの少し灯りを出すだけの魔術さえ使えず、
闇を裂いて飛ぶ翼は、名残りさえもその背には無い。
角と尾が生えただけの、『人間』に過ぎないという。
淫魔「……ふわぁ、よく寝た。……あら? 初めまして~」
騎士「えっ……?」
騎士は、その言葉を自分一人に向けられたものだと思った。
だが、彼女の気だるく、柔和に澄んだ眼は……領主を見つめていた。
淫魔「あら、そちらの方も。初めまして。……ここ、少しだけ寒いのですけれど。毛布か何か、あります~?」
領主「……ふん。すぐに暖めてやるさ」
淫魔「えっ……本当ですか? ありがとうございます~」
彼女は、間違いなく……領主と、騎士の二人に対して初見の挨拶を述べた。
五年もの間に、恐らくは毎夜のように受け止めていたにも、関わらずだ。
領主はそれをうるさそうに聞き流すと、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てて淫魔へと圧し掛かった。
騎士「りょ、領主……殿? 何を?」
領主「淫魔を相手にする事など、決まっておろう。……すぐに回してやる」
全てを理解し、騎士は足早に階段を駆け上がり、逃げ込むように領主の寝室前へと戻った。
途中で用足しに出ていたメイドとすれ違っていた覚えもあるが、ハッキリとしない。
気付けば、来た時と同じように、甲冑のように寝室の扉脇に佇んでいた。
148 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:40:21.31 ID:rM6FpdA8o
領主に覚えた嫌悪感はもうない。
屋敷の地下に、文字通りの『魔性』の女を囲っていた事も驚きだったが、それ以上に引っかかることがある。
彼女は、自分はともかく……領主を見て、『初めまして』と言った。
五年間に渡り、恐らくは毎日繋がれていただろう、領主に向けて。
惑わすための舌、あるいは皮肉を効かせたのかとも思った。
しかしその割には、口調にも表情にも嫌味はなく、不自然な程穏やかだった。
出口のない堂々巡りの疑問に頭を働かせていると、いつの間にか、領主が寝室へ戻って来ていた。
素裸の上にガウンを纏い、汗をかき、少しだけ息を乱している。
領主「つまらない男だな、貴様は。それとも、『淫魔』と聞いて縮み上がったか?」
騎士「……領主殿。あなたは、夜毎に……?」
領主「ああ、そうだとも。毎日餌をやっているんだ。それとも、『止めろ』とでも言うのか?」
騎士「なら、なぜ……」
領主「あ?」
騎士「なぜ、彼女は『初めまして』と……?」
領主「行く度に言われるわ。よほど脳の巡りが悪いのだろ。……そろそろ飽きて来たがな。貴様ももう寝ろ」
騎士「……はっ」
領主「まったく……勿体ない事をしたものだ。まぁ、好きにするがいい。その鍵はくれてやる」
149 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:41:37.86 ID:rM6FpdA8o
その次の朝、騎士は一人で『淫魔』に会いに行った。
多少眠れはしても、日の出から少し遅れただけの時間に目が覚めてしまった。
屋敷の空気は冷え切っており、その澄んだ空気を取り入れながら、澱んだ空気の溜まり場へと降りて行く。
入った途端にかび臭い空気が漂い、どこからか水の滴る音も聞こえる。
こんな場所に五年もいれば、通常の人間は、たちまちに病みついてしまうだろう。
だが、彼女は……あの『淫魔』は、ここで五年、領主の精液だけで生き延びている。
最奥の牢獄の前に行き、松明で照らすと彼女は手枷を解かれた状態で、
裸身を冷たい床に丸めて膝を抱えるように眠っていた。
寝床代わりの藁さえも敷かれてはいない。
見えるのは、彼女の白くて美しい背中と、なだらかな尻にかけての曲線だけだ。
やはり、翼は無い。
尾てい骨を延長するように尻尾が伸びて床に垂れ、時折思い出したように、猫の尾を彷彿とさせる動きで跳ねる。
しばらく、そうして見つめていると……気配に気づいてか、彼女がむくりと起き上がる。
淫魔「ん……? あれ、あなた……昨日の……?」
騎士「……私を、覚えているのか?」
淫魔「覚えますよぉ。 ……五年ぶりに人に会えたんですから、嬉しくて~」
騎士「えっ……?」
寝ぼけ眼を擦りながら、彼女は確かに言った。
150 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:43:01.68 ID:rM6FpdA8o
騎士「……五年? 昨日、お前に会った……男の事は?」
淫魔「? ですから、あなたですよね~?」
騎士「違う! 私と、もう一人いただろう!?」
淫魔「……いえ、あなた一人だけでしたよぉ。 無視されちゃって、ちょっと悲しかったです~」
彼女に嘘をついている様子は無い。
語気を強めた騎士に、むしろ……怯えるような様子さえも見受けられる。
淫魔「どうしたんですか~?」
黙り込んだ騎士に、彼女は更に言葉を繋げてくる。
暗く湿った地下牢と、その空間で行われているだろう行為に反して、彼女の声はどこまでも暢気だ。
彼女は、領主の事を覚えてなどいないという。
しかし……昨日初めて会った、騎士の事だけは覚えている。
その不自然極まる『忘却』は、騎士に更なる疑念ばかりを植え付ける。
騎士「……本当に、覚えていないのか」
淫魔「あのぉ、さっきから……何の話ですか?」
騎士「色々こちらも……訊きたい事があるのだが」
151 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:44:03.16 ID:rM6FpdA8o
話によれば、彼女は人間界へとやって来た時に、なけなしの魔力を使い果たしたという。
制御も効かず、よりにもよって森の真ん中に出てきてしまい、そこで狩猟中の領主の一団に出くわした。
当然、伴っていた兵士にその場で捕らえられ……そして、今に至るらしい。
騎士「間抜けな」
淫魔「よく言われます~。……よかったらでいいんですけど」
騎士「?」
淫魔「そのマント、いただけませんか~? 床が硬くて寝づらいんです」
騎士「まさか、寝床にするつもりか!?」
彼女は、物欲しそうに騎士の身を包むマントをじっと見つめた。
星形の花を模した家紋が染め抜かれた、上質なビロードで織られ、銀の縁どりまで施された逸品だ。
それを彼女は、敷物代わりにしたいという。
あまりにも常識外れに無礼な頼みだが……騎士は、少し考え込んでから、あっさりと脱ぐ。
騎士「……いいさ、使え。私にはもう必要無い」
鉄格子を領主から受け取った鍵で開き、中にいる彼女に、それを差し出す。
淫魔「わぁ、ありがとうございます~! でも、これ……高そうですね? 本当にいいんですか?」
騎士「出したものを引っ込められるか。……もう、私には帰る場所など無いんだ。その家紋も、もはや意味など無い」
152 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:44:42.26 ID:rM6FpdA8o
淫魔「? 帰る場所、無いって?」
騎士「我が父から継ぐはずだった、一族の屋敷は取り上げられた。今や……もう、私の生家は無い」
淫魔「ふぅーん……?」
騎士の父は少し前に病死している。母はさらに数年前、病で去った。
その時、ある遠征軍の司令官を務めていた。
しかし……敵要塞を一息で陥落できるという所まで追い詰めたところで、無念にも死の運命に追いつかれてしまった。
側近にも、そして息子である騎士にも病の事を伏せていたため、軍はおろか、王までもが凍てついた。
彼の死をきっかけに遠征軍は混乱、一時撤退を余儀なくされ、その一件でここぞとばかりに咎めを受け、
とうとう屋敷は取り上げられ家名は没落、もはや立て直す事は到底不可能。
そんな折――――辺境領へと赴任させられる事となった。
この話を彼女にしても戸惑うだけだと思ったから、口にはしなかった。
そもそも雪ぐ機会の失われた屈辱と向き合う事に、意味などない。
向き合えば向き合うだけ、自分の心を痛めつけるだけだ。
認めて飲み込んでしまっても、消化はできない。それは錨のように、心を重く繋ぎ止めるだけでしかない。
受け容れず受け止めず、流す事しかできない事は間違いなくある。
だが、彼女が食いついたのは……そういった事情ではなく、至極単純な所だ。
淫魔「あの、お父さんがいるって……どういう感じなんです?」
騎士「……『淫魔』に父親はいないのか?」
淫魔「それがですね、昔……お母さんに訊いたら。知らないって言われました~」
騎士「?」
淫魔「気付いたら、私がお腹にいたそうです。……いつできたのかも分からないって~」
153 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:45:56.18 ID:rM6FpdA8o
彼女は、語る。
父親の顔はおろか、いるのかさえも分からないという。
分かったとしても何千年も前の事だから恐らく生きてはいまいが、それでも気にはなると。
彼女の母には……ただ、「子を孕んでいた」という結果だけがあったという。
騎士「子の生し方は、人間と同じか?」
淫魔「いえ、暗い所に卵産んで、精子かけて……じゃないですよ~。同じです、同じ」
騎士「……その……なんだ、孕んでいたら……気付く、のか?」
淫魔「やですねぇ、もう。そんなの気付きますよ普通~。常識的に考えてくださいよぉ」
騎士「ふん。……『淫魔』に常識を説かれるとは思わなかった」
子の生し方が同じであるのならば――――彼女は、もう腹が膨らんでいなければならない。
五年間毎晩穢されていたというのなら、孕んでいなければおかしい。
なのに、彼女の体は孕婦のそれではない。
淫魔「……せっかくですから、何か楽しいお話してくれませんか~? 夢にもバリエーション、なくなっちゃいました」
騎士「と言われてもな、私に楽しい話など無い。……人伝の話で良いのなら、少しは暇を潰させてやる」
淫魔「はい、それでいいですよ~。わくわく、です」
その後、たわいもない話をした。
気付けば騎士も鉄格子の中に座り、顔を突き合わせていた。
内容は、ここではないどこかの話ばかり。
勿論騎士が選んでそんな話をしているのではなく、あくまで、彼女が聞きたがるのだ。
騎士自身も見た事のない、見渡す限りの砂の大地、炎の水を噴き上げる山に、氷でできた島の話をした。
十何年かの周期で、夜空に箒のように尾を引く星が姿を見せてくれる話に、特に彼女は聞き入った。
それは魔界には無いらしく、彼女も興味津々に聞いており、目をその時だけは爛と輝かせてくれた。
逆に、彼女から魔界の話を聞く事もあった。
魔界では、雨が上がった夜は月に虹の輪がかかり、夜空に七色の大輪を咲かせてくれる事がある。
何千年かに一度、朝が近づくと七色はリボンのようにほどけて、赤、燈、黄、緑、青、藍、紫の順に、
それぞれの色を持ったまま流れ星となって空を飾る。
ほどけた月虹の流星群を見た者は幸せな子を授かる事が出来ると言う伝説が、彼女の国にはあるという
154 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:46:48.13 ID:rM6FpdA8o
淫魔「あのぉ~……騎士さん。帰る場所、無いって……仰ってましたよね?」
騎士「……ああ」
淫魔「じゃ、私を……色々、見に連れて行ってくださいよ~」
騎士「えっ……?」
淫魔「私も、ずっとここにいる訳じゃ無いですよね~?」
騎士「……長くは、もたんな。領主もそろそろ首が寒くなる頃合いだろう。」
領主の暮らしぶりは、目に余る。
演劇の『悪代官』をそのまま写し取ったように、朝から酒を飲み、何も無いと言うのに宴じみた晩餐。
反して領民たちは一日のパンにすら困っているというのに、それらを見ようともしない。
麦の一粒すら取り上げるような圧政を敷き、もはや……『秒読み』だ。
押し固めたその『反動』は、必ず、近い内に跳ねる。
淫魔「お願いします、人間界を案内してください~」
騎士「考えておくよ。……それにしても勿体ないな、あの男。あそこまで堂に入った腐敗は、むしろ貴重だ」
淫魔「ありがとうございます~。あ、マントもありがとうございました。これで、よく眠れそうです。大事にしますねぇ」
騎士「いや、粗末にしろ。尻でも拭うがいいさ」
淫魔「え~? ……それじゃ、おやすみなさい~。また来てくれると嬉しいです~」
彼女は、すぐにマントに包まり、再び牢獄の床に寝転がった。
騎士は、あっという間に寝入ってしまった淫魔の寝顔を眺める。
自然と、彼女の頬に指先が伸びた。
触れる寸前に、その指先は引っ込められたが……暖かさは、触れずとも伝わる。
この凍えた暗闇の空間に、彼女は、不自然なほど暖かい生命力を確かに放っていた。
155 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/05/30(木) 23:48:06.25 ID:rM6FpdA8o
全編でなくて申し訳ない、今日の分を終了です
それでは、さようなら
また明日、同じ頃の時間に~
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/05/31(金) 19:10:18.57 ID:oOWbpier0
おつおつ
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/06/01(土) 02:01:03.14 ID:IubX9/+DO
その後1を見たものはいなかった
158 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/06/01(土) 11:58:09.18 ID:+j7WNh9Vo
すまない、寝てしまった
昼からの出勤前に投下して、帰って来てから続きを投下します
なんか前のスレでもこんな事があったような気がするけど気のせいだよね
159 : ◆1UOAiS.xYWtC :2013/06/01(土) 11:59:46.63 ID:+j7WNh9Vo
何日かに渡り、彼女を訪れ、話した。
不思議な事に、話したことも覚えているし、騎士の顔も忘れてなどいない。
それどころかよく気がつき、騎士の服についたソースの小さな滲みまでも、暗闇の中で見つけて指摘した。
その一方で、彼女は領主の事など、一つたりとも覚えていない。
いや、まるで知らないかのように反応する。
一度は、床に落ちた白濁さえ生々しく目撃したのに、その主の事を訊ねても、彼女は答えてくれない。
淫魔「まだ、ですかね? そろそろ私、ここ飽きてきちゃいました~」
騎士「ふん。……蜜の罠でも仕掛ける気か、『淫魔』。私には通じん」
淫魔「……? あの、それって……?」
騎士「理解できぬならいい。……その、とろい口ぶりは何なのだ?」
淫魔「もう、とろいって何ですかぁ。失礼ですね~」
騎士「チッ」
淫魔「……ありがとうございました~、騎士さん」
騎士「今日は何もくれてやってなどいないぞ」
淫魔「くれましたよぉ。……『時間』をくれました~」
騎士「『時間』?」
魔法使い「勇者がどうして『雷』を使えるか、知ってる?」
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