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のび太(31)「いらっしゃいませ。」

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Part4
90 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 13:55:35.97 ID:yyKHaLZAO


翌日 東京某所の靴屋

・・・ちょう

・・・・んちょう

のび太「・・・・・・。」ボケー

新人「てんちょー!!!!」

のび太「うわっ!!」ビクッ



突然大声で名を呼ばれ、のび太は我に返った。

見慣れた職場とライトグレイのスーツを身に纏った自分。

そして目の前にはメモとペンを持った新人女子社員。



のび太「えっ? あっ? えっ? なに?」キーン

新人「『なに?』じゃないですよぉ。大丈夫ですか? 朝からずっとボーっとされて。今も半分意識が飛んでたんじゃないですか?」

のび太「あぁ。ご、ごめん。」


91 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 13:56:04.42 ID:yyKHaLZAO


新人「お疲れなんですか?」

のび太「いや、そうじゃないよ。昨日ちょっと・・・そのぉ・・・・・・ネトゲやり出したら止まらなくてね、ついつい明け方までやっちゃって。」

のび太(悩み事で明け方まで寝れなかったなんて言えないよ。)

新人「も~。何ですか、それぇ。良い大人がゲームで寝不足なんて。仕事に響かない範囲でやって下さいよぉ。」

のび太「申し訳ない。で、何の話してたっけ?」

新人「ですからぁ、防水スプレーがなぜ必要なのかって質問にお答えいただいてたんじゃないですか。」


92 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 13:56:54.96 ID:yyKHaLZAO


のび太「あっ、あぁ、そうだったね。」

新人「本当に覚えてらっしゃいます?」

のび太「うん、大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。」

のび太(ごめん、ウソ。何にも覚えてない。)

新人「革は水を吸うと傷んでしまう。一口に傷むといっても、その症状は3つ。
①シミになる。
②ふやけて型崩れを起こす。」

新人「で、③の説明を始めた辺りから意識が飛び始めて、何を喋ってらっしゃるか分からなくなったんですけど。」

のび太「あぁ、うん。そうだね。ちょうどそこから再開しようと思ってたんだ。」

新人(ウソばっかり。)


93 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 13:57:44.02 ID:yyKHaLZAO


のび太「えっとね、3つ目は“乾燥してヒビ割れる”だよ。」

新人「えっ? 乾燥ですか? 水を吸ってるのに?」

のび太「吸った瞬間に乾燥するワケじゃないよ。吸い込んだ水が蒸発する時に、革の潤い成分も一緒に蒸発してしまうんだ。ほら、僕ら人間もお風呂上がりって肌が乾くでしょ?」

新人「あっ、はい。」

のび太「あれも同じ事だよ。肌の潤い成分でナントカ酸とかってあるでしょ? 僕は美容方面の事はサッバリ分からないけど、ああいうのが水分と一緒に肌から蒸発していくんだよ。」

新人「なるほど。」


94 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 13:59:12.88 ID:yyKHaLZAO


のび太「で、僕たちは生きてるから新陳代謝でまた肌に潤いが戻ってくる。けど、牛革はとどのつまり死んだ牛の皮膚だから新陳代謝は?」

新人「しません。」

のび太「正解。だから潤いが抜けるそもそもの原因を取り除いてあげなきゃいけない。その為に防水スプレーを振るんだ。」

新人「なるほどぉ。それって、毎日必要なんですか?」

のび太「いや、毎日じゃなくて良いよ。2、3滴水が付いたぐらいじゃどうって事はないからね。雨の日とか雪が積もってる日とか、そういう靴がズブ濡れになりそうな日に使うんだ。1回振れば24時間効果が続くよ。」

新人「はい。」メモメモ



95 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:00:23.29 ID:yyKHaLZAO


のび太「お客様の中には防水スプレーを使う意味とか、革が水を含んだ時にどんなデメリットが生じるのかとか、そういう事を知らない人が結構多いんだ。だから、靴のお会計をする時に『防水スプレーはお持ちですか?』って声をかけて、今みたいな説明をすれば一緒に買ってもらえる事もあるよ。防水スプレーは1本800円だからね。800円の単価アップは大きいよ。」

新人「そうですね。積極的にお声がけしてみます!」

のび太「うん。その意気やよし・・・・・・っと、ふぁ~」アクビ~

新人「ちょっと店長。大丈夫ですか?」


96 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:01:58.53 ID:yyKHaLZAO


のび太「あはっ。大丈夫大丈夫。でも、眠くて死にそうだよ。」ショボショボ



その後も睡魔は一切攻撃の手を緩める事はなかった。

ただでさえしずかの事で頭がいっぱいののび太にとって、この追撃はひとたまりもない。

当然、仕事にも支障をきたし、書類を書き間違える、メーカーへの発注連絡を忘れる、ディスプレイ用の鉢植えを倒すなど、散々な1日を過ごす事となった。







97 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:03:24.23 ID:yyKHaLZAO


その夜 閉店後の東京某所の靴屋

ガラガラガラッ

ガシャンッ

のび太「よし。シャッター施錠OK。帰ろうか。お疲れさま。」

新人「お疲れさまでした。店長、今日はゲームしないで早く寝て下さいよ。」

のび太「はいはい、了解です。今日は色々と面倒起こしてごめんね。それじゃ。」

新人「はい。失礼します。」スタスタ

のび太の帰路と反対の方向へ歩いて行く新人の背中をしばし見届けると、のび太はバッグから音楽プレイヤーを取り出した。

イヤホンを装着して再生ボタンを押す。


98 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:05:40.71 ID:yyKHaLZAO
シャッフル再生に設定されたプレイヤーが選んだ曲はShakka ZombiEの『空を取り戻した日』だった。

良い選曲だ。

気だるい頭と体にOSUMIの柔らかいフロウが染み渡る。

のび太は踵を返して歩き出した。

帰宅の道中に頭をよぎるのは、やはりしずかの事だ。



のび太(しずかちゃん、本当に彼氏できたのかな?)

のび太(それならせめて報告ぐらいしてくれても良いのに。)

のび太(って、別にまだ彼氏ができたと決まったワケじゃないか。)

のび太(いや、じゃあ昨日の結婚式の靴の話は何だったんだ?)

のび太(って、もう! 昨日からずっとこの堂々巡りじゃないか!)



99 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:06:25.87 ID:yyKHaLZAO


昨夜もこの思考の迷路を死ぬ程さ迷った。

この調子では今夜もまた同じ事が起きると思われる。

今の疲れ果てた体なら昨日よりは早く眠れるだろう。

ただ、心地よい目覚めは期待できない。

やれやれ、明日は早番なのに。

そう思った次の瞬間、一滴の雫がのび太の額を叩いた。



のび太「えっ?」

ポツ ポツポツ サァァァァァァァァ

のび太(そっか。今日は夜から雨だっけ。折り畳み傘は、っと・・・)ガサゴソ

のび太(あちゃ~。こんな時に限って入ってない。)



100 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:18:19.95 ID:yyKHaLZAO


今朝の天気予報ではこれから夜中にかけて断続的に雨が続くと報じられていた。

一瞬、店に引き返して客の忘れていったビニール傘を拝借しようかと考えた。

だが、シャッターを開けて警備会社のセキュリティーを解除し、暗闇の店内を手探りで事務所まで進む、そしてその逆の手順を踏むといった手間を考えると気が萎えてしまった。

それよりすぐ目の前の交差点を左に曲がって全力で走れば駅まで1分で着く。

そこから電車に揺られて4つ目の駅で降りればのび太のアパートはすぐ目の前だ。


101 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:20:58.94 ID:yyKHaLZAO


駅近の物件を選んだ自身の判断力に感謝しながらのび太は駆け出した。

しかし交差点にたどり着いた瞬間、もう一つの選択肢を思い付いてしまった。

交差点を直進して走れば3分でしずかの店にたどり着ける。



のび太「・・・。」ピタッ



思わず足が止まる。

左折か、直進か。

急に雨に降られたから傘を借りに来たが、せっかくなので一杯飲んでいく。

そんな言い訳が浮かんだ。

理にかなっていると思った。

そこから昨日の言葉の真意を聞き出す事だってできる。


102 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:24:35.73 ID:yyKHaLZAO


その結果、本当に単なる好奇心からくる無邪気な質問だったと分かれば万々歳だ。

だが、もし単なる好奇心ではなかったら?

本当にのび太が予想している最悪のシナリオだったら?

そう思うと、足がすくむ。

真実を知るのが怖い。

のび太「・・・・・・。」

いたずらに過ぎ去る時間と共に勢いを増す雨は、のび太のライトグレイのスーツに次々と黒点を刻み付けてゆく。

行くか、行かないか。

直進か、左折か。







(まずは動く。話はそれからだ。)







のび太「・・・。」



のび太は駆け出した。


103 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:26:03.97 ID:yyKHaLZAO


歩行者信号が点滅し始めた交差点を、脇目も振らずに突っ切る。

下らない言い訳なんかたくさんだ。

根拠のない妄想に取り憑かれてるヒマがあったら真実を知ろう。

しずかに会いに行こう。

職場から自宅までの道すがらに飲み屋は数え切れないほどに点在する。

その中からあの店を選んだのは何故か。

それはしずかがいるからだ。

かっこつけて飲めもしないウィスキーを飲むようになったのは何故か。

それはしずかがいるからだ。

しずかに会いたいからだ。

理由なんてそれだけで十分じゃないか。


104 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:26:59.59 ID:yyKHaLZAO


最悪の答えが待っていたって、その時はその時だ。

僕は今、しずかちゃんに会いたい。

いよいよ勢いを増し、本降りとなった雨の中をのび太は走った。

しずかの店まであと約300メートル。

200

100

50

しかしここで、のび太は違和感に気付いた。







のび太(灯りが・・・着いてない?)







ついにのび太は店の前までたどり着いた。

肩で息をしながら呆然と立ちすくむのび太を、灯りの消えた無機質な建物が見下ろす。


105 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:28:24.94 ID:yyKHaLZAO


のび太(定休日? いや、違う。定休日は明後日だ。じゃあ臨時休業? でも・・・・・・)

しずかはいつも、臨時休業を設ける時には最低でも2日前には店のドアにその旨を記した張り紙を掲示する。

しかし今、店のドアには何の張り紙もされていない。

ただドアノブにぶら下げられたCLOSEのプレートが力なく揺れているだけである。

窓から店内を覗き込むが、暗闇の立ち込める店内に人の気配はない。


106 : ◆51UnYd7yHM [saga]:2013/03/18(月) 14:32:28.31 ID:yyKHaLZAO


のび太はしばし店の前に佇んでいた。

だがやがて、雨によって体温を奪われた体が身震いを覚え始めた頃、冷えきった両手をポケットに差し込んで静かに歩き始めた。

すれ違う人々が足早に家路を急ぐ中、傘も差さずにゆっくりと。

気が付くと音楽プレイヤーからはKM-MARKITの『Rainy Day』が流れ始めていた。



のび太(雨の日に『Rainy Day』なんて、できすぎだよ。しかもこの曲って・・・・・・)



別れの歌じゃないか。



『I'm still loving you,Baby. でも・・・。あの日には帰れない。』


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