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百物語2012

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Part50
169 :代理投稿 ◆nqnJikEPbM.8 :2012/08/19(日) 01:16:27.35 ID:jvZ3IDbu0
かぐら ◆Ccp.OZqu04w2 様 『別れのあいさつ』
(1/2)
祖母の若い頃の話で、ある年の瀬の出来事である。
その頃は、祖父のところに嫁いでまだ間もなかった。
農家だったが、冬の間は土を眠らせているため仕事はなく、家の雑事をひたすらこなしている。
その朝早く、掃除をしようといつものように玄関を開け放った。
骨が凍えそうなほどの師走の寒風が入ってきて、嫌が応にも自分の目を覚まさせた。
表の垣根までの土に、霜柱が濁って立っている。
祖母が戸を開けたまま、玄関口を背にして中の掃除をしていると、
不意に背後で砂利を蹴ったような小さな足音がした。
気配が、明らかにこの家に用事がある様子で、こちらに1歩2歩と歩みを進めた。
隣人がこんな早くに訪ねてくるのは非常識だし、新聞配達はすでにされている。
不審に思って振り返ると、そこには初老の男が立って、祖母のほうをじっと見ていた。
「やあやあ、来たわ」
照れたようにその人物は微笑んだ。
祖母の父親だった。
思わぬ訪問者の正体に、祖母は眉間にシワを寄せていぶかしんだ。
「なんだって、こんなときに来たの」
と、父親に会えた喜びとは裏腹に、咄嗟にそんな言葉が口をついて出た。
無理もない。
暮れと正月に訪ねてくるであろう夫の親戚のために、あれこれ準備するのに忙しい時期だ。
父が来たと分かれば、家族は放っておかないし、まさかすぐ帰すなんてことにはならないだろう。
祖母はそんな具合で考えをめぐらせているのだが、父はそんな娘をただ黙ってにこにこ見ている。

170 :代理投稿 ◆nqnJikEPbM.8 :2012/08/19(日) 01:18:36.23 ID:jvZ3IDbu0
(2/2)
「とーちゃん、悪いが。せっかく来てくれても、時が悪いよ。
 こっちからまた連絡するから、日をあらためて来ておくれよ」
「そうか。そんなら悪かったな」
そう答えたきり、父は残念そうに背を向けてしまった。
振り返りざま、祖母にもう一度笑いかけたようにみえた。
そのときの父の顔が、今まで誰にも感じたことのない、透き通るような笑顔だったという。
「……」
祖母は、玄関口で呆然と父親の背を見送った。一体何をしに来たのだろう。
一度呼び止めようとしたが、なぜか言葉にならなかった。
二人の間に、相変わらず霜柱が立っている。
枯葉だらけの不揃いな垣根の枝が、12月の天空に向かって虚しく突き立っている。
父の姿は、その垣根の根元の闇へ吸い込まれるように、ふっと消えてなくなった。
祖母は、フィルムから映し出された作り物の情景でも見せられて呆気にとられたように動けなかった。
はっとして表へとび出して父の背を追ったが、背を丸めて歩くいつものその姿は、掻き消えたようにどこにもなかった。
その時刻、父はすでにこの世にいない。
通夜の後、祖母は兄弟にそれとなくこの話をしてみた。
どういうわけか、父がやって来たのは祖母のところだけで、兄弟どころか母親すら父には会っていないのだという。
祖母は、6人兄弟の一番上の長女で、誰よりも厳しく育てられた。
成人してからも、父は普段、あまり話しかけてもくれなかったという。
「嫁にやったばかりで、心配だったんだろ。不器用でも、本当は気にかけてくれてたんだね」
その父の当時の年齢もすでに超えてしまった祖母は、たった一度だけこの話を語ってくれた。
祖母は決して嘘つきでも、創作が得意な人間でもないが、今となってはどちらでもいい。
物心ついた頃の私に、あるいは何か伝えたかったのだろうと、そんなふうに思う。
【了】

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