スレタイ通り。
今年二十歳を迎えた>>1が酒を飲みながらひたすら今までの人生を振り返るスレ。
山もなく、オチもなく、意味もなく。
いいとも悪いとも言えない>>1の人生を淡々と書いていきます。
書きだめしてないし長いので、何日かかけながら書いていきます。
あと、これから書く話は全て>>1の主観なので、真実とは異なる描写があるかもしれないです。
それでもよろしければ、自分語りにお付き合いくださいませ。
16: 1:2020/2/23(日) 00:40:45 ID:0UY88oZulo
こんな保育園時代だった。
それなりに楽しく過ごしていたと思う。
でも当時から、色々と私なりに悲しいことはあった気がする。
私よりひとつ歳上の子が、私に面と向かって悪口を言った。なんと言っていたかは覚えていない。ただ、悲しかったのを覚えている。
私は泣かなかった。頭の中は混乱していたしショックだったけど、感情をシャットアウトするみたいに意識がぼーっとしていた。ひたすら、悪口を言うその子の顔を見ていた。
私は馬鹿だったから、母からよく叱られていた。そんな時に泣くと、母は「泣きたいのはこっちだ」と言って、本当に泣いていた。泣いて、父に慰められていた。
私は泣きながら、父が母を慰めるのを見ていた。頭がぼーっとして、遠くから自分を眺めているような気分になった。
泣いている私と、冷静に状況を見ている私が存在している。
泣いている私は、ひたすら母に謝っていた。
冷静な私は、ただ傍観していた。
他の人もこういう夢を見ていたのか、私はわからない。
当時の私はよく、家族に見捨てられる夢を見た。
家族のみんなが私に笑顔で別れを告げて去っていった。私は、どうして見捨てられるのかわからなかった。
たかが夢だが、その夢は妙に現実的なように思えた。
いつか夢みたいに、家族が私を見捨てる日が来るのではないかと怖かった。
両親は共働きだった。
保育園に迎えに来るのは、いつも夜遅くだった。
みんなが親と一緒に帰っていく中で、私は待っていた。
外はすっかり暗くなっている。大きな部屋は節電のために、奥の方の電気が消されていた。暗闇が怖かった。私はずっと時計を見ていた。
今日こそは、捨てられるのかもしれない。
そう思いながら待って、母がやって来たら、嬉しくて、泣きながら母の胸に飛び込んだ。
そんな保育園時代だった。
さて、小学校に入るということで私は知能テストを受けることになった。
机が四つ置かれて、私の横に親が座り、私の前に面接官が座る。そんな対面式の知能テストだった。
結果は散々だった。
親は面接官の人(だったか結果を伝える人だったか)に、「特別支援学級に入れた方が良いかもしれません」と言われたらしい。
やっぱり私は馬鹿だった。
母の話によれば、私は面接官の質問をただひたすら鸚鵡返ししていたようだった。
「君のお名前は?」と聞かれ「君のお名前は?」と聞き返した。「好きな食べ物は?」と聞かれ「好きな食べ物は?」と聞き返した。
確かに小学校入学前でそれはまずいかもしれない。ということで、母は市の担当の人に「特別支援学級に行かせるべきか」と尋ねた。担当の人は「その必要は全然ないですよ。このくらい普通ですから」と言った。
かくして私は、姉と同じ学校に、普通学級に入れられることになった。
17: 1:2020/2/23(日) 00:55:44 ID:0UY88oZulo
なんか、書き方が小説みたいになってきたな……
SS板で書いた方が良かったんだろうか。
続き。
幼い頃の私は、他の人の言うことを聞かない人間だった。(今もその傾向はある)
妙なところに拘りを持つ性格で、自分が納得しなければ言うことを聞こうとしなかった。
例えば面接官の質問。
「君のお名前は?」と聞かれ、多分私は質問の意味がわからなかったんだと思う。
どうしてそんなことを聞かれなければならないのかわからなかった。私の好きな食べ物を知って、どうするつもりなのか。
だから私は聞き返した。
一応知能には問題なかったと担当の人は言っていた(実際、文字の読み書きはできるわけだし)けど、別の面で問題があるような気もする。
家族とは普通に会話をしていた。多分、家族と会話をすることは、私にとって意味があることだったからだ。
なんとか普通学級に入ることになり、そして保育園を卒園した。物事が一段落ついた。
小学校に入る前に、私と姉は「入学のプレゼントに何か買ってあげるよ」と親に言われた。
姉は、ゲーム(ポケモンだったかな?)を買った。私は欲しいものが特に思いつかなかったので、そこら辺の古本屋に置いてあるセットコミックを指さした。バトル漫画だった。
姉がゲーマーとなり、私がリョナラーとなるきっかけの出来事だった。
幼稚園時代はこんな感じ。
書いてみれば、意外と覚えていることも多かったです。
明日は時間があれば、小学校時代のことも書いていきたい。
おやすみなさい。
18: 1:2020/2/24(月) 01:33:46 ID:0UY88oZulo
今日はプレモル。
ちょっとだけ書く。ここから更に、電波な内容になっていく。
私は人よりも自我が芽生えるのが遅くて、中学生になった辺りでやっと、「物心つく」という感覚を得た感じ。
それまでは欲望のままに動く野生動物みたいな感じだったので、あまりここでは書けないような奇行をたくさんしていた。
元々友達を作るのが苦手なのに、そんな変人で友達ができるわけもなく……私はボッチライフを満喫していた。特にこれといって、自分に友達がいないことを疑問には思わなかった。興味がなかった。
ある日、母が「あんたもちょっとは友達と遊びなさい」と言った。
「友達を作りなさい」と。
その時になって、友達というのが必要らしいことを知った。
学校では毎月、月ごとの目標を決めていた。
紙に「挨拶をする」「勉強を頑張る」などの目標を書き、その紙が教室の後ろに張り出される。
私は母に「友達と遊べ」と言われた次の月に、紙に「友達を作る」と書いた。
昼休み。
友達を作ると書いたは良いものの、具体的な計画を立てていなかった私は、もちろん友達ができるわけがなかった。
以前と変わらず、教室の自分の席で、ぼーっと座っている。
担任の先生が、そんな私を見て、教室に残っていたクラスメイトの女子に「>>1ちゃんが、友達が作りたいらしいの。友達になってくれる?」と言った。
その時は何も思わなかったけど、今思えば公開処刑、晒し上げみたいだ。先生はきっと善意で言ったんだろうけど。
クラスメイトの女子が「え、やだ」みたいな顔で私を見ていた。私は「めっちゃ嫌そうな顔してんな」と思いながらその子を見返した。
果たして、友達は出来なかった。
家に帰ると母が「友達はできた?」と私に聞いた。
出来てない、と言うと「なんで?」と聞き返された。
そんなの、私が知りたい。
「なんでだろう」と答えると、「明日は頑張るのよ」「もっと積極的に声をかけなさい」と言われた。
結局、次の日も、その次の日も、友達は出来なかった。
自分から声をかけたことが今までなく、話しかけようとしても声が出なかった。
母に「友達はできた?」と聞かれる。
当時の私にとって、その問いは「早く友達を作りなさい」という催促のように思えた。
私は悩んだ。悩んで悩んで、どうしたら友達ができるか考えていたある日。
夢を見た。
夢の中で1人の少年が私に話しかけた。
「俺はお前を殺しに来たんだ」と。
私は夢の中で殺された。
翌朝、私は夢の中の少年を「ナオくん」と名づけた。
それから毎日、頭の中のナオくんと会話をした。
ナオくんは私の友達になった。
19: 1:2020/2/25(火) 02:07:35 ID:0UY88oZulo
あまりに冗長なのでもっと短く書く
【小学生時代】
・友達が出来なすぎて脳内友達を作る(なお未だにいる模様)
・ダンスが得意だったものの、クラスメイトから虐め(にも満たない意地悪)を受け、嫌いになる
・ちょうどその頃姉がダンスの習い事を辞めるも、「自分も辞めたい」とは言い出せずにそれから10年以上続ける
・感覚過敏にも関わらずダンスのために髪を括らなければならず号泣
・姉がストレス発散にゲームで叫びまくるようになり、聴覚過敏のため発狂
・ストレス発散を漫画に求めた結果、リョナラーへと転身する
【中学時代】
・急激に知能が発達し、過去の自分の行動を思い出す度に発狂
・男子の友達にセクハラを受け、異性が嫌いになる
人間不信悪化
・自分が変わり者であることに気づき、自ら変な行動を取ることでしかコミュニケーションが取れなくなる
・姉のように頭がよくなりたくて勉強したが、姉と同じ学校には入れず
【高校時代】
・バスで一時間のところにある高校へ通うも、人混みが苦手すぎて希死念慮に捉われ始める
・しかし、テストの結果が友達より良かったせいで嫌われ、学校に行きたくなくなる
・精神病院に行った結果、思春期の一過性の鬱と言われ薬を飲むも全く効果なし
・1週間学校を休んだ後、親の車で学校へと連行されるようになる
20: 1:2020/2/25(火) 02:15:29 ID:0UY88oZulo
【大学時代】
・一人暮らしを始めるも家事ができず、部屋の掃除もできない
・コミュ障&人間不信により人と喋れない
・知り合いの男性にセクハラを受け、人間不信悪化
・大学でできた友達が今までいた友達と全くタイプが違うため混乱する
・単位ボロボロ。興味がある講義しか受ける気力がないうえ、真面目に受けた講義もテストの時間を間違え落単
・あれ?私ポンコツ過ぎね?と気がつき、発達障害の検査を受ける決意を固めて1年が経つ←今ココ
21: 1:2020/2/25(火) 02:47:54 ID:0UY88oZulo
【歴代友達?】
・ナオくん
空想の友達で、現実にはいない
・A
私が覚えている限り最古の友達。
私の後をとにかくついてくる。トイレであろうと昼休みであろうと。
遊びの誘いや一緒に帰る誘いを断ると怒って「もう良い。>>1なんか友達じゃない」と言った翌日にまた話しかけてくる。
中学生の頃知り合い伝手に「もう>>1のことは好きじゃなくなりました」と書かれた手紙を渡されて以来、付き合いはなくなる
笑顔が可愛い。
・B
メンヘラ。現時点でも付き合いがある子。
とにかく家庭環境が悪く、隙あらば自分の不幸な話をしてくる。リストカット跡を見せてくる。服用している薬を見せてくる。
私の話にはあまり興味がない様子で、気がつけば自分の話へと誘導する能力者。
友達が多い。
料理が上手で服も作れちゃう凄い子。
顔が可愛い。
・C
男の子。知的障害を持っている。
私の後ろをずっとついてくる。私の真似をする。逃げると追いかけてくる。
バスに乗った時に私の服の中に手を突っ込んで肌を撫で回してきたので、それ以来男が嫌いになる。
弟が可愛い。
・D
高校時代の友達。
勝手に私の荷物を漁る。私の弁当から食べ物を取る。
テストの点数が私の方がよかったという理由で怒られる。
私の荷物を漁り精神薬を取り出し、「え、病気なのw」と言う。
大学生になり関係を絶ったら、高校時代の共通の知り合いに連絡を取りまくり安否を確認されてしまった(これは私が悪いけど)
コミュ強で友達がたくさんいる。
何事にも一生懸命で、見ていて好感がもてる
・E
大学の友達。
遅刻癖がある。夜型人間。
優しくて、色々なことに詳しくて、おすすめの本とか教えてくれる。
私を束縛しない。
・F
大学の友達。
私が今まで会ってきた人で一番凄いと思った人。
可愛くてコミュ力があって、沢山の人に好かれている。だけど何故か私と一緒にいることが多い。なんでだろ。
人に対する気遣いを欠かさないのに、それでいて自分の意思を貫き通すことができる凄い人。
22: 1:2020/2/25(火) 03:20:57 ID:0UY88oZulo
以上。私の今までの人生はこんな感じです。
私としては結構大変で苦しい日々だったけど、それでも「悪い人生」と言えなかったのは、私には普通がわからないから。何が普通で何がおかしいのか私には分からない。
ここまで書いてきた出来事よりもずっと辛い日々を送ってきた人だって世の中には沢山いると思う。
特にBは親から身体的な虐待を受けてきた人で。他の友達も虐めを受けて不登校になったり、親に少し問題があったり、私よりも辛い経験をした人は沢山いる。
一方で私は両親も健在で、金銭的にも恵まれた家庭にいて。習い事もさせてもらって。
それなのに落ち込んでばかりで。こんなに恵まれた環境にいるのに不満ばかり言ってる。
高校生の時に病院で「一過性の鬱」と言われた時、少しだけショックを受けた。
一過性なら、どうして私は今までずっと辛い思いをしてきたんだろう。これまでの辛い思いはみんな経験してきたことで、私が死にたいと思ってるのは他の人にとっては当たり前のことで。それなら、私が今辛いと思ってるのは「甘え」で、もっと頑張らなければいけないんだろうか。
そんなことを思った。
ずっと私なりに努力してきたつもりだった。
親を怒らせたくなくて、習い事も勉強も頑張ったつもりだった。
だけど成果が出なければ「金が勿体ない」「なんでこんなこともできないのか」と怒られて。
成果が出たら、親は喜んでくれたけど他の人は喜ばなかった。
努力してもしなくても、結局は誰かから怒られる。
でも、これも普通のことなのかもしれない。
やっぱり普通がなんなのか、私にはわからない。
大学の時、知り合いの男の人が私の悩みを聞いてくれたことがあった。
その人は既婚者なんだけど、ちょうど奥さんと離婚のことで揉めていた。
私はその人の悩みを聞いて、その人は私の悩みを聞いてくれた。
私はその人に沢山のことを相談した。
「母に怒られるのが怖い」
「友達に怒られるのが怖い」
「どうして私はこんなに何もできないんだろう」
「母に言われた言葉がずっと頭から離れない」
小学生の頃に言われた言葉が頭から離れないままだった。
「あんたなんか産まなければよかった」と言われた。
車を運転中、母が怒りながら
「今私がここで事故を起こせば、あんたは死ぬんだよ。私は別に死んでも構わないけど、あんたはそれでいいの」と言われ、泣きながらとにかく誤ったことを思い出した。
でも、これも別に泣くようなことじゃなくて、普通にあることなのかもしれない。
23: 1:2020/2/25(火) 03:31:52 ID:0UY88oZulo
「母は朝ごはんを作ってくれたことがない」
私はその人に愚痴を言った。
母は朝起きることができなくて、父も仕事で忙しく朝ご飯を作れなかった。
保育園の頃にはもう、朝ごはんは食パンを一枚自分で焼くことが決まっていた。
その頃は、姉と一枚の食パンを分け合うのが細やかな楽しみだった。
その人は、愚痴を言う私にこう言った。
「あなたは、お母さんに朝ご飯を作ってもらいたかったんだね」
当たり前のことを言われたはずなのに、その時は目から鱗が落ちるような気分だった。
それから、とても嬉しかった。
その人は、ただ私の感情を受け止めてくれた。
私の愚痴に同調して「君のお母さんは酷い人だね」と言うのではなく、母に同調して「あなたのお母さんは体調が悪いのだから、朝ごはんが作れなくても仕方ない」と言うのではなく。
ただ、私の思いを受け止めてくれた。それが嬉しかった。
そうしたら、今まで母に抱いてきた不満や恨みが、「好きだからこその裏返し」であることに気がついた。
私は母が好きだった。本当に好きで、だからこそ怖かった。
私はファザコンではなく、本当はマザコンなのかもしれない。
そう思った。
私は「この人なら信頼してもいいかもしれない」
そう思った。
でも結局、私の相談に乗ってくれたのは、私の体目当てであることを知り、人間不信が更に強くなった。
だけどその人の言葉は今も私の心の中に残っている。
それだけ当時の私にとって、衝撃的な言葉だったのだと思う。
24: 1:2020/2/25(火) 04:02:24 ID:0UY88oZulo
この前、成人式があった。
私の晴れ着姿を見て、家族はみんな自分のことのように喜んでくれた。
祖母は本当に嬉しそうで「可愛い」「可愛い」と言ってくれた。
嬉しかった。
その日の夜、母が私の保育園自体のビデオを出してきて、見せてくれた。
そこに映っていたのは私の記憶通り、他の園児に混ざって1人でぼーっとしてるぼっちの私だったw
そのビデオを見ていると、昔のことを思い出した。
家族で一緒に旅行に行ったこと。一緒に動物園に行ったこと。梨狩りに行ったこと。映画を見に行ったこと。
こんなにも楽しい思い出が沢山あったはずなのに、なんで今まで忘れてたんだろう。そう思った。
そういえば、こんなこともあった。
毎年母と私で一緒に見に行っているライブがあった。
チケット代は「誕生日プレゼント」という建前だった。
一昨年、母に「今年もライブに行く?」と聞かれ「行かない」と答えると「どうして?」と聞かれ「誕生日に他に欲しいものができたから」と答えた。
すると母は「誕生日プレゼントじゃなくて、私の奢りだったとしてもいかない?」と言った。
その時、母がいつも祖母に「奢って」と言っていたことを思い出した。祖母がそれに嬉しそうに答えていたことも。
もしかすると、母にとってお金は、「愛情を示す手段」だったのかもしれない。
母は祖母にお金を恵んでもらうことで、コミュニケーションを取っていた。
そして私にも「奢る」という言葉を使って、一緒にライブに行くように誘った。
そういえば、昔からたくさんの習い事をさせ、私たち子供に多額の費用を使っていた。
私たちにお金をかけることが、母にとっての精一杯の愛情表現だったのかもしれない。
そう思うと、ちょっと悲しくなった。
終わり。
ここまで読んでくださった方(いるかなあ?)、ありがとうございます。
文章力がないので、読みにくかっただろうと思います。すみません。
これが私の今まで歩んできた20年(フェイクはあるけど)です。終わり。
今年20歳になり大人の仲間入りということで、色々なことをやっていきたいな。
もう一回ちゃんと病院に言って障害がないか、心に問題がないか検査したいし、心に抱えてる沢山のコンプレックスを解消したい。
それから学生のうちに、本を読みまくりたいと思う。
今まで人付き合いが少な過ぎて世間を知らないので、もっと色んなことを知りたい。そうしたら、もっと気が楽になれるかな、なんて思っている。
質問があればどうぞ。
あと、私から少しだけ質問。
・私の人生って普通?でしょうか?
・私は人付き合いが下手くそでしょうか?
・やっぱり私ってどこか変でしょうか。
・おすすめの本があったら教えてください。
25: 令和最初の名無しさん:2020/3/13(金) 17:20:09 ID:8Siz/EmjiU
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