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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





396: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:32:38 ID:F.ceRSUuyA

「だけど、学校がわかったぞ」
早苗さんが当時通っていたのは市内の公立高校だった。そして1人だけだが、当時の友だちの名前もわかったらしい。母親がぽろりとこぼしたのだった。
「話を聞けるといいけど」
師匠はそう呟くと、「よし、行くぞ」と僕の自転車の後ろに乗った。
次に向かった先はタカヤ総合リサーチだった。依頼人の三好が最初に相談に行ったところだ。そこから小川調査事務所へ下請けに出された、という形だ。
『タカヤ総合リサーチ』という大きな看板を掲げたビルに、2人で乗り込んで行くと、受付にいた事務員の市川さんが「あら」と言って手を振る。
「どう? あの依頼、上手くいってる?」
「まあぼちぼちです。それで、市内の公立高校の住所録か卒業アルバムを見せて欲しいんだけど」
「たぶんいいと思うけど、所長がいるから直接訊いてみたら」
市川さんは奥の部屋を指さした。
どうも、と言って師匠はその部屋へ向かう。所長室だ。重厚感のある木目の浮き出たドアをノックすると、「どうぞ」という返答。
「こんにちは」
なかに入ると、いかにも高級そうな材質の大きな机に、初老の男性が背筋を伸ばして座っていた。
所長にしてオーナーでもある高谷英明だ。
いつも忙しい人で、事務所にいるのは珍しかった。
「よう。加奈ちゃん。儲かってるか」
読んでいた書類を置いて立ち上がり、健康的に日焼けした顔に皺を浮かべて笑いかけてくる。精力的な男だった。常にエネルギーが身体のなかから噴き出しているようで、頭に白髪が混じっているその年齢を感じさせない。そしてなにより憎らしいことに、濃い顔立ちの男前なのだ。ちょっと外を歩けば、道行く主婦などコロリと参ってしまいそうだ。
「お、助手の坂本くん、だったかな。君も儲かってるか!」
この人はこれが口癖なのだ。けっして下請け興信所のバイトの助手、という我が身をからかっているわけではない。はずだ。
ちなみに、この人は僕の本名を知っているはずだが、ちゃんとバイト用の偽名で呼んでくれる。できた大人だった。爪の垢を煎じてどこかの所長に飲ませたい。


397: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:36:47 ID:di6NFRnXyA

「市内の公立高校の卒業アルバムを見せて欲しいんですが。生徒の家の連絡先がわかるものを」
「加奈ちゃんの頼みじゃ、断れないな」
高谷氏は机から鍵を取り出すと、所長室を出た。向かう先は2階にある資料室だ。鍵を開けてもらい、なかに入ると、整然と並ぶ棚の1つに目当てのものがあった。
棚には様々な装丁の背表紙がずらりと並んでいるが、そのすべてが小中高校の卒業アルバムだった。聞いたことのある名前が多い。おそらく市内のめぼしい学校が揃っているのだろう。どうやって入手したのかわからないが、ここまでやるのか、と思うと恐ろしくなった。この興信所という稼業がだ。
師匠は目当ての高校の目当ての学年のものを探し当て、その場で開く。高谷氏からは見えない角度で。そして情報を記憶したのか、すぐに頁を閉じた。
「ありがとうございました」
「もういいかのかい」
「ええ」
もう一度礼を言って僕らは資料室を後にした。
「どうだい、小川くんのところは」
1階に降りたところで、高谷氏が訊いてきた。師匠は苦笑して「楽しいですよ」と答える。
「自由にさせてくれるし」
「それにしてもオバケの専門家か……。『オバケ』なんて本当はババをつかんでしまったときの言葉なんだけど。まさか、それを専門にするなんて、考えもしなかったな。加奈ちゃんがうちに来てくれたら、そんな依頼が外へ流れずに済むなあ。どう? バイト代、倍出すけど」
倍!
師匠が小川さんからいくらもらっているのか知らないが、その倍とは太っ腹だ。それだけ師匠の能力は貴重なのだろう。
「考えときます」
師匠は笑ってそう答えたが、表情はどこか硬かった。『倍出すけど』という言葉を聞いたとき、師匠が一瞬見せた険しい目つきに、僕はついこの間の心霊写真にまつわる事件のことを思い出していた。
師匠は松浦というヤクザから料金を5倍出すと言われ、依頼を引き受けることを強要されたのだった。たぶんそのときのことが頭をよぎったのだろう。
「ま、気が向いたらいつでも声を掛けてくれ。なんなら、小川くんごと引き受けてもいいよ」
高谷氏はそんな大きなことを言って、爽やかに笑った。



タカヤ総合リサーチを出て、近くの公衆電話から電話を掛けた。
自殺した田岡早苗の親友だったという吉田直美という女性の家だ。師匠は同窓会の幹事に成りすまし、その家の母親から吉田直美の住むマンションの電話番号を聞き出した。
そして次にその番号に電話すると、はたして本人が出たのだった。
狭い電話ボックスに無理やり2人で入り、いったい師匠はどうするのか、と固唾を飲んで至近距離から見守っていると、驚いたことに単刀直入、それも「興信所です」と名乗ったではないか。


398: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:38:58 ID:F.ceRSUuyA

すると思いのほか、相手は饒舌になった。
『えー、なになに? 早苗のお姉ちゃんの結婚相手から? そんな調査ほんとにあるんだ! すっごおい。え? 自殺の理由? ううん。言っていいのかな。……いや、違う違う。そんなんじゃない。誤解されるくらいなら言うけど、悪い男に騙されたのよ。私はやめとけって言ったんだけど、早苗聞く耳持たなくて。なんかどんどんドツボに嵌っていった感じ。いや、でも、私だけじゃなくてみんな知ってたよ。最後のあたりは《首吊って死んでやる》って口癖にみたいに言ってたし。リスカもしてたな』
そこまで喋ったところで、吉田直美の声はトーンダウンした。そのころのことを思い出して、悲しくなったのか。
『でも早苗ほんとに好きだったんだよ。その男のこと。高校生のころってさ、思い込むと一直線だから…… その男?年上の大学生だったと思うけど、どこのだれかは知らない。早苗、絶対みんなに教えなかったし』
僕はすぐそばで、息を飲んでその会話を聞いていたが、その声がどんどん暗くなっていくのがわかった。
『あ、やっぱりごめんさない。あの、ごめんなさい』
そう言って、一方的に電話は切られた。
「あ、もしもし。もしもし?」
師匠はため息をついて、受話器をフックに戻した。吐き出されてくるテレフォンカードを掴みながら、「やっぱり男か」と言う。
これで動機はわかった。騙されたのかどうかはわからないが、痴情のもつれによる衝動的な自殺だ。一見は、だが。
僕は考えていたことを口にした。
「早苗さんの首吊り死体の喉には、もがいたときにつくはずの爪の痕がなかった。ということは、自殺に偽装した他殺の可能性がある。でしたね」
「ああ」
「首を吊って死ぬ、と周囲にもらすほど思いつめていた彼女が、実際に首を吊った死体で発見されたら、当然自殺と判断されますよね」
痴話喧嘩がこじれ、死ぬ死ぬと喚く早苗さんが邪魔になった男なら、そう考えるはずだ。
ただの幽霊がらみの依頼だったはずなのに、恐ろしい真相が現れ出そうな、不穏な気配が漂い始め、僕は背筋が冷たくなってきた。


399: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:42:17 ID:di6NFRnXyA

「警察を舐めないほうがいい。そんな憶断だけで捜査はしない。自殺と判断したのなら、それなりの根拠があるはずだ。たとえば……」
師匠は考えるそぶりを見せた。
「たとえば、あの部屋が密室だったなら」
密室殺人!
ミステリーではよく見る言葉だが、そんなものと現実に関わるなんて、信じられない。僕は唖然として師匠を見つめた。
「そんな目で見るなよ。たとえばの話だ。でもあの首の吊り方、妙に機械的な仕掛けだっただろう」
そうだ。背中側のドアノブを使った滑車のような吊り方だった。天井の高くない賃貸アパートの部屋での首吊りとはいえ、ほかにもやりようがあるような気がする。そして機械的な分、密室状態においても、なにか偽装工作が可能な気がしてしまうのだった。
自殺を報じた新聞記事では、家族が発見した、とあった。ということは、おそらく合鍵で入ったのだろう。連絡がつかなくなった娘を心配して。
そして、鍵の掛かっていた室内で、娘の変わり果てた姿を見つけてしまう。窓にも鍵が掛かっている。アパートの部屋だ。他に出口はない。
自殺――。
本当にそうなのか。
僕はゾクゾクしながら息を吐いた。
「さて、その辺の警察側の判断を聞いてみますかね」
師匠が言ったその言葉に驚く。
「どういうことですか」
「このあと1時に約束してるんだよ」
不破という刑事と会う約束を取り付けているのだという。本当に根回しが早い。
不破は西警察署の刑事で、階級は巡査部長。よく師匠とつるんでいる不良刑事だった。僕も何度か会ったことがある。
不破から当時の捜査情報を得るのなら、今朝以降にやっていた情報収集は無駄だったのではないか、という思いが湧いてくる。
しかし師匠は、甘いな、と言った。
「市川さんとか、看護婦の野村さんみたいな世話好きのおばちゃんに甘えるのとは、わけが違う。刑事に作る借りは最低限にしたほうがいい」
そういうものだろうか。
不破刑事とは市内の『ジェリー』という喫茶店で待ち合わせをしていた。西署からは離れている。土曜日で非番だからだろうか。家に近いのかも知れない。
師匠と2人で4人掛けの席について待っていると、少し遅れて不破がやってきた。
入り口のドアを開けた瞬間から、店内の視線が一斉にそちらに向いた。白っぽいスラックスに縦ストライプのシャツ、そして黒いジャケット。かなり空いた胸元にはチェーンが覗いている。短く刈りそろえた頭に、周囲を威圧する鋭い目つき。右目の眉の上には刃物でついたらしき古傷がある。
どう見てもカタギの人には見えない。それが不破刑事だった。
強張った顔で接客に向かったウエイトレスを片手で制して、彼は僕らのところにやってきた。
向かいの席に乱暴に腰を下ろし、「よう」と言った。そして水とおしぼりを持ってきたウエイトレスに、「ブレンド」とだけ言ってこちらに向き直る。
「仕事中だから、長居はできねえぞ」
不破はおしぼりで顔を拭きながらそう言った。


400: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:45:16 ID:di6NFRnXyA

えっ。非番じゃないんだ……。
改めてその格好をまじまじと眺める。西警察署、通称西署の刑事第二課二係主任。それが不破巡査部長の肩書きだった。
刑事第一課が強行犯や盗犯の係で、二課は知能犯や暴力犯の係だ。そのなかでも二係は暴力犯を担当しており、ようするに対ヤクザの部署にいるということだ。ヤクザ相手の仕事をするには、刑事も舐められないようヤクザばりの格好をしないといけないのだろうか。
「儲かってるか?」
水を一息に飲んだ後で、不破がそう訊いてきた。それを聞いて師匠が苦笑いをする。さっき会ったばかりのタカヤ総合リサーチの所長の物真似だったからだ。
「まあ、ぼちぼち」
師匠がそう言うと、不破は「いいよなあ。自営業は。公務員はつらいぜ。何人挙げたところで、金にならねえ」と大袈裟にため息をついてみせた。
「うちの所長が言ってましたよ。不破は刑事臭が抜けるまで10年はかかるから、こっちに来ても役に立たないって」
「けっ。デカ臭が染み付く前にケツまくったヤツに言われたかねえよ」
青びょうたんが。不破は吐き捨てるようにそう言った。
小川所長と不破刑事は警察学校の同期だった。飄々とした小川さんと、元暴走族だったという強面の不破は、なぜかウマが合ったらしく、配属先が分かれても、いつもなにかにつけて、つるんでいたそうだ。
それぞれ所轄署に卒配されたあと、努力の甲斐あって2人とも念願の刑事になれたが、南署の盗犯係でキャリアをスタートさせた不破に対し、小川さんは県警本部の刑事部捜査第一課で強行犯の係に抜擢された。バリバリのエース部署である。
しかしそこでの活躍も、巡査部長に昇進していた27歳のときに唐突に終わりを迎える。
県警本部の捜査第一課長だった高谷警視が、県警を突然退職し、親戚がやっていた興信所を買い取って、開業をしたのだ。そのときに、部下だった小川さんが引き抜かれる形で、合わせて退職をしたのだった。いずれ県警のナンバー2である、警務部長の席は確実、と言われていた切れ者の高谷警視の退職は、県警内部でも憤りの声とともに、なぜ、どうして、という疑問符を持って迎えられた。
しかし、そのあと興信所は短期間に発展を遂げ、今ではタカヤ総合リサーチとして自社ビルを構えるにいたっている。そんな辞め方をしたにもかかわらず、県警とのパイプを維持している高谷所長の才覚がそうさせたのだろうか。


401: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:52:05 ID:di6NFRnXyA

不破は刑事を辞めた小川さんと一時は絶交状態だったらしいが、今ではまた付き合いが復活しているらしい。
こんなところが小川所長の来歴のはずだが、そのタカヤ総合リサーチも辞めて、いまやボロい雑居ビルの小さな事務所で昼間から居眠りをしている姿を見ている僕には、いまいち信じられないところだった。
しかし、そんな小川所長のつてもあって、師匠はこうして現役の刑事である不破と、一定の協力関係を築いている。とは言っても、よくある刑事と民間協力者の、紙のように薄っぺらい関係とは少し違っているようだ。
所轄でもその手段を選ばない豪腕を恐れられ、また同時に鼻つまみ者である不良刑事の彼もまた、師匠の『オバケ事案』に関する能力を知っていて、面白がっている人間の一人だった。
「で、田岡早苗の件だがな」
不破が懐から手帳を取り出した。
「自殺だ。事件性はねえよ」
「当時の資料をあたってくれたのか?」
不破は首を横に振った。
「そんなに暇じゃねえよ。人をあたっただけだ」
当時の捜査員に聞き込みをしたということか。
「警察は、喉の爪痕がないことは気づいていたのか」
師匠の問い掛けに、不破は怪訝な顔をした。
「爪痕だと? なんのことだ」
「首を吊ったときの、ためらい傷だよ。喉を掻き毟った痕がなかったんじゃないのか。それを見逃さなかったら、他殺の疑いも出ていたはずだ」
「なにを言ってやがる」と不破は馬鹿にしたように笑った。「田岡早苗は自宅の風呂場で手首を切っての失血死だぞ」
「なにっ?」
師匠と、そして僕も驚いて身を乗り出した。
「首吊り自殺じゃないんですか!」
そう言った僕をギロリと睨んでから、不破は手帳に目を落とした。
「当時田岡早苗は下内田のアパートで親子3人暮らし。その日は両親ともに外出していて不在。夕方帰宅した母親が浴室でぐったりしている娘を発見、119番通報し、救急病院に搬送されるが、死亡が確認された。3時間ほど前に、調理用カッターで手首を切って自殺を図ったものと断定された」
「岩田町のアパートじゃないのか」
「あん? なんだ岩田町って」
不破は手帳をめくるが、そんな言葉はどこにも出てこないらしい。


402: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:53:40 ID:di6NFRnXyA

師匠と僕は顔を見合わせた。なにがどうなっているんだ。
「自殺の理由は?」
「どうやら進学のことを巡って、家庭内で揉めていたらしい。そのころは娘もノイローゼ気味で、自殺をほのめかすようなことを口にするようになっていたから、親も気が気じゃなかった。そんな最中の出来事だとよ」
以上だ、というように不破は手帳を閉じて、コーヒーに口をつけた。
師匠は険しい顔をして、考え込んでいた。僕らが見た、あの岩田町の三好の住むアパートに出る首吊り死体の霊は、いったいなんなのだ。
顔は完全に新聞に出ていた田岡早苗と一致していた。はずだ。
先に記事のほうを見ていたら、思い込みでそう見えてしまうこともあったかも知れない。しかし僕らはアパートの霊のほうを先に見ているのだ。記事の写真を見てから記憶が改ざんされたわけでもない。師匠の描いたスケッチがその証拠だった。
師匠はそのスケッチを取り出し、不破に見せた。首を吊っている田岡早苗の姿をだ。
不破は手帳に挟んであった写真の白黒コピーと見比べて、唸った。
「本人だな。おまえ、これをどこで見たんだ」
師匠は岩田町のアパートの住所と部屋番号を告げてから、言った。
「この部屋に田岡早苗の幽霊が出ている。彼女が自殺した時期に、この部屋に住んでいた人間のことを調べて欲しい」
「幽霊って、おまえ本気でいってんのか」
「私たちは、そこでその女が自殺したと思っていた。いや、首を吊っていたのに、喉に掻き毟った痕がなかったから、自殺に見せかけた他殺の可能性もあると」
「おいおい。もう終わった事件だぞ。それが今さら実は死因が別で、しかも死亡場所も偽装した殺人だった、ってのか。そんなわけあるかボケ」
口汚く言い切った不破に、それでも師匠は引かずに顔を突き出した。
「あんたらが、刑事として仲間の捜査を信じているように、私も私の目を信じている」
テーブルの上に身を乗り出し、自分の瞳を指さして師匠は言った。
不破は気圧(けお)されたように椅子に深く座りなおし、「けっ」と言ってコーヒーを飲みきった。
「小川によろしくな。また律子さんの手料理食いてぇ、って言っといてくれ」
立ち上がった不破に、「おい」と師匠は被せたが、「仕事なんだよ、こっちはよ」とそっけなく返された。
「丸山って警部、いるよな。西署に」
「なに?」
師匠からさっきまでとまったく違う話を振られ、不破はリズムを崩したようにぎこちなく振り返った。
「こないだ、色々裏話教えてもらったよな。石田組の松浦のこと。その松浦が、丸山警部によろしくってさ」
不破の顔色が変わった。
「不破さんの、隣のシマにいたよな。丸山警部。刑事第一課長じゃなかったか」
「おい」
「小川所長が県警本部にいたときの主任かなにか、とにかく上司だったって聞いたことあるぞ。でもって高谷さんの元部下か。今でも刑事畑の一線で活躍しているそんな人に、ヤクザがなにをよろしくなんだろうな」
「おい、やめろ」
不破が静かに言った。店内の空気が冷たくなったように感じて、僕は息を飲んだ。師匠も口をつぐんで不破を見つめている。
「お前は、その目で、見られるものだけを見てればいい」
そう言い捨てて、不破は喫茶店をあとにした。
代金はあいつらにつけろ。
ウェイトレスにそういうジェスチャーをしながら。


403: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 01:59:47 ID:di6NFRnXyA

「……どうします」
行ってしまった不破を見送ってから、僕は師匠に話しかけた。
「どうなってやがる」
師匠は不機嫌そうな顔でズボンのポケットに両手を突っ込み、ズズズと椅子に沈み込んだ。
喫茶店を出たあと、僕らは小川調査事務所に一度戻ることにした。
「お疲れさん。調査は順調かい」
小川所長は事務所のデスクで1人、足の爪を切っているところだった。
「不破刑事が、律子さんの手料理食べたいってさ」
「ふうん。また家に呼んでやろうかな。……って、あいつ、まさか、りっちゃん狙ってんじゃないだろうな!」
律子さんというのは、小川所長の奥さんだ。僕も家にお邪魔した時に会ったことがある。事故で右足が不自由になってしまっていて、いつも杖をついている人だった。タカヤ総合リサーチの高谷所長の一人娘でもある。
いつもは飄々としている小川さんだったが、律子さんのことになると血相を変えるので面白い。
「トーマがね。不破が大好きで家にきたら喜ぶんだ。なんであんな危ない男が好きなのかね」
そう言ってぶつぶつと呟いている。
トーマというのは小川さんの1人息子だ。この春に小学校1年生になったばかり。おとなしくて可愛らしい子だった。
「お、そう言えば、204号室のニシノって人から電話があったよ。今日は家にいるってさ」
小川所長のその言葉に、師匠は指をパチリと鳴らした。

「わからないな。男だったってことしか覚えてない」
「表札の名字だけでも覚えてないですか」
「……」
204号室の男、西野は黙って首を振るだけだった。
依頼人である三好の借りている102号室に、弁当屋のパート田坂さんの、さらに前に住んでいたはずの人間の情報を、聞き出そうとしたのだが、空振りに終わりそうだった。


404: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 02:04:21 ID:F.ceRSUuyA

「女性が出入りしていたなんてことはないですか」
「見たことはないと思う。自信はないけど」
そんな実にならない会話をしばらく交わしたあと、師匠は『薄謝』の入った封筒を、惜しそうな顔をしながらしぶしぶ西野に渡した。
「あーっ、クソ。陰気なやつだったな」
204号室を出た後、師匠はそんな悪態をついた。その足で102号室の前に行ってみたが、鍵が掛かっていて入れなかった。
三好は今日、夕方8時過ぎまで仕事があると言っていた。さすがに合鍵までは預かっていない。
「今日はもういいや」
「いいんですか。晩にまた出てきてもいいですよ」
「ちょっと手詰まりな感じだしな」
師匠は他人ごとのようにそう言うと、大きな欠伸をした。

次の日だ。日曜日、僕は電話で師匠のアパートに呼び出された。部屋に上がると、開口一番、師匠は「ハードボイルドだぜ」と言って笑う。
手に手帳の切れ端のようなものを持っている。朝、それが郵便受けに入っていた様子を再現して、延々と笑っていた。
手帳のメモには、市内の住所と『酒井良平』という名前だけが記されていた。他にはなにも書かれていない。たぶん、というか間違いなく不破刑事がくれた情報なのだろう。僕らがこれだけ苦戦したことをこんな風にあっさりと。
さすがにプロだ。感心していると、師匠は「しかし、デカへの借りは高くつくぞ。今度やらせろ、って言われたらどうしよう」と真剣な表情で冗談めかしてそう言うのだった。
それから昼時を狙って、僕らは酒井良平の家へ向かった。


405: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 02:05:27 ID:di6NFRnXyA

岩田町からは車で十五分くらいの距離にあるマンションだった。特に作戦を打ち合わせることなく、師匠は部屋のチャイムのボタンを押した。
『はい』
インターフォン越しに、男の声がした。
「酒井さんですか。興信所のものです。実は、亡くなった田岡早苗さんのことで少し、お話をうかがいたくて参りました」
向こうで、息を飲んだ気配があった。
師匠は「しっ」というジェスチャーを僕に見せながら、黙っていた。
しばらく沈黙が続いていたが、やがてガサガサという音が扉の向こうから聞こえてきて、ドアがゆっくりと開いた。
「なんなの。わけわかんないこと言って」
ドアから顔を覗かせたのは、肩口まである長髪をなびかせた優男だった。年齢は20歳後半くらいか。5年前に大学生だったという、早苗さんの友人からの情報と合致する。
「お時間は取らせませんので、少し上がらせていただいてよろしいですか」
「いやいやいや、ちょっとなに言ってんの。わけわかんないんだけど」
酒井はそう言いながら、うろたえたような様子を見せた。動揺している。本当になにを言っているのかわからないなら、もっと気持ち悪そうな顔をして、帰れと言ってドアを閉めればいい。しかし、彼はドアから出てきて、僕らのことを観察していた。僕でもビンゴだということはわかった。
「5年前に早苗さんが亡くなったとき、あなたは岩田町のアパートに住んでましたよね。そのときのことを詳しく訊きたいんですけど」
わざと声の音量を上げて喋っている師匠に、酒井は動揺を隠し切れない様子だった。そして、階段のあたりでこちらを怪訝そうに窺っている住民の視線に気づき、酒井は、「ちょっと、入って」と言った。
「ありがとうございます。お時間は取らせません」
師匠は澄ました顔でそう言って、僕にウインクをした。


406: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 02:11:12 ID:di6NFRnXyA




その日の夜。僕らは102号室の依頼人の部屋にいた。
目の前には月明かりに浮かび上がった首吊り死体がある。いや、実体はない。首吊り死体の霊だ。
生前、田岡早苗と呼ばれた女子生徒だった。今ではただ、寒々とした部屋でなにも言わずドアに背中をつけてぶら下がっている。口から出た舌はだらりと伸び、それでも苦痛の表情を浮かべず、ほぼ無表情で目を見開いている。ぞっとする姿だった。
「会ってきたよ。あなたの恋人に。酒井良平。大学生だったんだね。高校生だったあなたには、ずいぶん大人に見えたんだろうね」
師匠はその首吊り死体の霊に語りかける。
「遊び人だったんだな。あなた以外にも付き合っている女は何人かいたみたいだ。一度部屋に上げたのも、気まぐれだったってさ。そんなまだ子どもの女子高校生が、結婚してくれないと死ぬ、なんて思いつめちゃって、困ったって。もう別れる、なんて言っても聞きやしない。死ぬ死ぬ死ぬの繰り返し。だったらしね(1注:原文は漢字です)って言ったんだってね。リストカットは致死率の低い自殺方法だ。成功率は5%もないくらい。何度か未遂を繰り返したある日、あなたはとうとう本当に死んでしまう」
開け放ったベランダの窓から、さらさらと木の葉を揺らす風の音がする。張り詰めたような月の光を背負い、師匠は真っ直ぐに前を見据えて続ける。
「自分の家の浴槽に身を横たえて。たった1人で。酒井良平はそのニュースを見て、驚く。それでも自分には関係がないと、言い聞かせて。でも次の日の夜。あなたはこの部屋で首を吊った。死んでなお、恋人に自分の思いの深さを知って欲しかったから。どれほど愛していたかを、知って欲しかったから。あなたは、霊魂になってから、首を吊ったんだ。舌が伸びているのは、ドラマで見たことがあったから。首吊り死体について知っていることは、無意識に再現した。そうなるはずの死体になりきるために。でも喉の爪痕は知らなかったんだね」
師匠は静かに語り掛ける。
田岡早苗の霊は、なんの表情も浮かべないままだ。
「酒井良平は驚いた。死んだはずのあなたの霊が部屋に現われたことに。そして次の日、すぐさま引越しをする。あなたは彼の引っ越し先を知らない。次の日の夜もこの部屋に出た。首吊り死体の霊として。だれもいない部屋に。次の日も、その次の日も。だれもいないこの部屋に。そうして数年が経ち、住人が入れ替わっても、あなたはこの部屋に現われた。思いは消えない。消えていない。恋人はあなたの元を去ったけれど、ほかにどうしようもなかった。いつかまた、恋人がこの部屋に戻ってきて、俺が悪かった、結婚しようと言ってくれるかも知れない。その日が来るまで、あなたはこの部屋から離れられなかったんだ」
違うかな。
師匠は首を軽く傾けた。死体の霊は何も語らない。


407: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 02:14:19 ID:F.ceRSUuyA

「だけどあなただって本当はわかっている。恋人はもう戻ってこない。あいつは、たくさんいる女友だちの1人としてしか自分を見てくれていないことも。高校生はめんどくせえ。友人にそう言っているのを、あなたに聞かれてしまったこともあったんだってね。あいつは女たらしのクソ野郎だ。私も話していて胸糞が悪くなったよ」
師匠はそこで言葉を切り、ゆっくりと酒井良平の住所を告げた。
「あいつは今、そこにいる。もうこの部屋に出るのはよせ。でも、今のあいつの部屋に行くのもよしなよ。くだらないから。なにもかも」
師匠は右手を挙げて見せた。手のひらから、拳にかけて包帯が巻かれている。
「話していて、つい手がでちまった。まさか殴るつもりはなかったんだけどな。あなたのやりたかったこととは、違うだろうけど。ちょっとは気が晴れたかな」
師匠がそう笑いかけると、首吊り死体はゆらりと揺れた。
「あ」
見ている僕らの前で、その姿が徐々に薄くなっていった。存在が揮発していく。音もなく、溶けるように。すべてが消え行くその瞬間、表情のないその頬に、一筋の涙が流れたような気がした。
「消えた」
息を飲んですべてを見守っていた依頼人の三好が、そう呟いた。
「消えた」
もう一度繰り返す。
いつもの霊の消えるときとは、あきらかに様子が違うのだろう。今度は本当に、そして永遠に消えてしまったのかも知れない。
「凄いな、あんた」
三好は真剣な表情で師匠を見つめる。僕もまた、同じ気持だった。
「多分、もう出ないと思うよ。一応念のため、今夜はまた友だちのところにでも泊めてもらって、この部屋にはいない方がいい」
明日また見にくる、と言って、師匠と僕は102号室を出た。
「あ〜、終わったぁ」
師匠は両手を上げて伸びをしながらそう言った。
「幽霊が首を吊るなんて、そんなことがあるんですね」
僕がそう言って感慨深い溜め息をついていると、師匠はこちらを振り返る。
「盲点だったな。浮遊霊なら色々な現れ方をするけど、ああいう一見典型的な地縛霊に見えるやつが、そういうことになるなんて。思いつかなかった。奥が深いな」
この世界は。
そう言いながら、師匠は右手の包帯をクルクルと剥がし、近くのゴミ袋に投げ捨てた。
 

(完)


408: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 02:16:14 ID:F.ceRSUuyA

失踪(書籍版)、幽霊物件

【了】


409: 風の谷の名無しか:2017/4/2(日) 08:28:58 ID:7NpPPkRlYk
いつもありがとうございます!
加奈子さんの亡くなった原因は、いつかとりあげられるのかな〜
410: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/4/4(火) 02:46:32 ID:xvjAz8nVuI

>>409
有難うございます
私が把握してる限りでは未だ死因は出て来ませんが、いずれ書いて下さると信じて待ちます

すみません、次の更新予定作品は前・中編しか書かれておらず、後がまだ無いので後回しにしようかと思っていましたが、
現在発表されている話の残りがもう僅かなので、やはり書かれた順にしよう…とバタついている内に随分お待たせしてしまいました
一週間を目安に次の更新の予定ですが、いつもお待たせして申し訳ありません


411: 風の谷の名無しか:2017/4/27(木) 00:33:06 ID:78sJZ6mQ/g
帰って来るの待ってるよー
保守保守
412: 風の谷の名無しか:2017/5/12(金) 08:44:58 ID:Q1b1gahRH.
お帰りお待ちしてます♪
413: 風の谷の名無しか:2017/5/18(木) 16:35:08 ID:ei9QG12O.w
保守
414: 風の谷の名無しか:2017/6/4(日) 23:54:06 ID:yYo5iIviSU
保守保守
415: 風の谷の名無しか:2017/6/12(月) 18:06:00 ID:T1T6IXCxRQ
保守
ずっと待ってます!!
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