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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





362: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:29:31 ID:uojtOBMxmY

京子の友人たちは戸惑いながらも「そうね、もう遅いから」などと言って足早に自分の荷物を取りに行った。
志保も強張った顔で頷いている。
帰り支度をしたあと、もう一度京子はお礼を言って、玄関までみんなを見送った。
そして私にだけ言ったのだ。
「山中さんは、気分が悪いみたいだから、もう少し休んでいくといいわ」
私は京子の意図を読み取って、「そうさせてもらう」と返事をした。
志保が心配そうになにか言おうとしたが、「大丈夫だから。帰り道も、もう覚えた」と、私はあえて突っぱねるように言った。
悪いな。ここからは、私と、こいつの時間だ。
玄関から出て行く3人を見送って、私と京子は館のなかに戻った。
「で、どういうことなんだ」
「……」
京子はなにかを隠している。そしてなにかを恐れているようにも見える。
どちらも信用できないが、鍵の掛かった部屋だけは本当に存在していた。
「紅茶を淹れるわ」
京子はそう言って食堂へ戻った。私もついていく。
だだっ広いテーブルの端に座っていると、いい香りを漂わせながら、2つのカップが目の前に置かれる。
なんだ。うまいな。一口ごとに緊張がほぐれていくような気がする。
しばらく2人とも無言で紅茶を飲んだ。
そうして私たちは、ほぼ同時にカップを置く。
「私の祖父には2人の妹がいたの。大叔母、ということになるのかしら。2人とも大人になる前に亡くなっていて、私もお会いしたことがないけど。その2人は双子で、見分けがつかないくらい似ていたそうよ。たぶん一卵性双生児だったのね。でもその双子は、性格は正反対で、おしとやかと活発。そのせいか、いつも喧嘩ばかりしていたそうなの。2人が病気で亡くなったあと、そんな妹たちのことを偲んで、祖父が、彼女たちが住んでいた部屋に、ある仕掛けをしたのよ。今でも私たちは、『双子の部屋』と呼んでいるわ。祖父はからくり細工が好きで、そんないたずらが、この家の色んなところに残っているの」
「なんだ、その仕掛けって」
「他愛ないものよ。2人の住んでいたそれぞれの部屋の鍵を、連動させたの。片方が開けば、もう片方が閉じる。片方を閉じれば、もう片方が開く。つまり、2つの部屋の鍵は、どちらかが必ず開いていて、もう片方は必ず閉まっているの」
「なんだその悪趣味な仕掛けは」
「部屋のなかはそっくり同じ。でも扉だけが反対なの。祖父は容姿が瓜二つだったのに、性格が正反対だった双子の妹と、その部屋を重ね合わせたのね」


363: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:33:33 ID:uojtOBMxmY

金持ちの考えることは本当に意味がわからない。退廃的な匂いがして、気持ちが悪い。
「待て、それがあの階段の先の2つの部屋か」
「そうよ」
階段の先にあった1つ目の部屋は、京子が開けようとして鍵が掛かっていた。だったら、そのとき右隣にあった2つ目の部屋は、鍵が掛かっていなかったんじゃないか?
京子が鍵を開けて、私たちが部屋のなかに入ったとき、隣の部屋の扉は連動する仕掛けのために、逆に鍵が掛かった。
そうか。だから1つ目の部屋を出て、隣の部屋の扉を開けようとしたとき、鍵が掛かっていたんだ。
京子が1つ目の部屋の鍵を開けたとき、やけに大きな音が響いたのはその連動する仕掛けのせいか。
だったら、私が椅子に座ってしまったあの部屋は、やっぱり2つ目の部屋だ。私たちが京子の手料理を食べている間もずっと、鍵が開いたままだったのだから。
なにが、『そんな椅子がある部屋なのよ。戸締りには気をつけているわ』だ。
「椅子は2つあったんだな」
そう問い掛けると、京子はゆっくりと笑みを浮かべて言った。
「ええ。そう。『フェレイクシアの恋人』は、まったく同じ2つ揃いの椅子なの。椅子職人の好きだった幼馴染が双子だったから、それにちなんで作られたそうよ」
双子。また双子か。そして、それは……。
「あなたも、双子よね。妹は、まひろさんとおっしゃったかしら」
「だったら、なんだ」
「椅子は、あなたを呼んだのかも知れない」
京子は妖しい微笑みを浮かべる。
座ると死ぬ椅子にか。悪い冗談だ。
「鍵が連動してるなら、必ずどっちかの扉は開いてるってことだろう。そんな部屋に、座ると死ぬ椅子なんてものを両方置くなんて、なにを考えているんだ」
性格が悪いにもほどがある。
ようやく、こいつの本性が見え始めた。
「そんな危険なことはしないわ。確かに、2つの部屋それぞれに椅子は置いてあるけど、間違って座ってしまわないように、安全策は講じているし」
「どこがだ。現に私は……!」
「座ったの?」
また、京子が緊張した顔つきになった。
「あの椅子は本物よ。この家に来てからも、3人死んだわ。パパの従姉妹と、使用人と、そして…… 私の母。座った順に死んでいった」
なんだ、その表情は。やめろ。私も。私も……。
座ったんだぞ。
「案内するわ。来て」
京子は立ち上がった。食堂を出て行くので、仕方なくついていく。
また薄暗い廊下を通って、中央館から別館のほうへ向かう。同じ道順で階段の前を通り、そして双子の部屋の前にやってきた。
「こっちの、左の部屋にはいつも鍵を掛けているの」
さっき部屋を出たときにも、ちゃんと閉めたらしい。
京子はガコガコと取っ手を揺すって見せている。
「じゃあ、右の部屋の鍵はいつも開いてるんだろう。そっちにある椅子はどうするんだ」
「ええ、危ないわね。だから、大丈夫なようにしてあるの。バズビーズ・チェアと同じように」
なに? なんだそれは。


364: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:36:15 ID:uojtOBMxmY

私たちは双子の部屋のうち、右側の部屋の前に進んだ。
さっきは左の部屋の鍵を開けたせいで、連動して鍵が掛かってしまったので、こっちの部屋は結局扉を開けていない。
けれど、トイレの帰りに私が迷い込んだのは、間違いなくこの部屋だ。
「言ったでしょう。サークス博物館に展示されているバズビーズ・チェアは、調子に乗っただれかが座ってしまわないように、こうしてるって」
京子は鍵の掛かっていない扉の取っ手を掴むと、サッと開け放った。
そして壁際のスイッチを点け、部屋に明かりが灯る。
私は目の前に広がる光景を、信じられなかった。
呆然として、口が利けない。
絨毯の敷き詰められた床には、なにもない。
天井に、椅子が張り付いている。重力に逆らっているかのように、天井を床にして逆さに据えられているのだ。
「なんだこれは」
ようやくそんな言葉を搾り出した。
「博物館のバズビーズ・チェアは、天井から吊るしてあるだけらしいけど。うちは気軽に触ることさえできないように、天井に逆さまに打ち付けてあるの」
日本家屋と比べてはるかに天井が高く、そこに打ち付けられた椅子には、たしかにジャンプでもしないと触ることはできない。
しかし……。
「本当にあなたは座ったの?」
京子がそう訊ねてくる。疑っているのではない。まるで、なにか得体の知れないものを、恐れているかのような表情だった。
空間がぐにゃりと歪むような錯覚があった。
自分が今立っている場所が、ふいにひどく不安定なところのような気がして、立ちくらみがした。
「椅子が、あなたを呼んだのね? そうでしょう」
馬鹿な。
そんなこと、あるはずがない。天井に逆さまに打ちつけられた椅子に座るなんて。
「やっぱり隣の、1つ目の部屋か。私がさっき入ったのは。どんな細工をしたんだ」
2つの部屋の扉の鍵が連動している、なんていう妙な仕掛けがあったんだ。他にもなにか仕掛けがあるに違いない。私が部屋を出たあとに、勝手に鍵が掛かったと考えるほうが、天井の椅子に座ったなんていう現象より、ずっと現実的だ。
「いいえ、ほかに仕掛けはないわ」
「うそをつけ。あんなところにある椅子に、どうやって」
激高してそう喚きかけた私の目に、奇妙なものが飛び込んできた。
椅子の足の少し手前。天井に変な模様があるのだ。
天井には、壁紙というのか、パネルというのか、柔らかそうなシートがその一面を覆っている。その絨毯のような見た目の綺麗なシートに、荒れているような跡があった。それも、入り口から、椅子の足までの間に伸びている。
あれは……
私は口を押さえた。叫びそうになったのを必死にこらえたのだ。


365: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:39:43 ID:uojtOBMxmY

足跡だ。
わたしの。
天井に、私の足跡がついている。
あの椅子に座るときに、やけに床の感触がおかしいと思っていたのは、そのせいなのか。
京子も、私の視線の先を見て、目を見開いて驚いている。
「出ましょう」
動けなくなっていた私を、京子が肩を貸すようにして歩かせる。
ふらふらしながら、促されるままに歩き続けて、私たちは中央館のほうへ戻った。まるで逃げるように。そして中央館のなかほどにあった大きな階段を上り、奥まったところにある1つの部屋に入った。
「離せ。もう歩ける」
京子の手を振りほどいて、近くにあった椅子にドシンと腰を下ろした。
「ここは私の部屋よ。落ち着いて」
京子はそう言って、部屋の明かりをつけた。
広い部屋だった。高校生の女の子が住む部屋とは思えない。殺風景だとか、そういうことではない。部屋の壁際に、大きな柱時計がこちらを取り囲むように並んでいたのだ。その数は10や20ではなさそうだ。
今度はなんだ。もういい加減にしてくれ。どっと疲れたような気持ちになって、深く息をついた。
「暖房をつけるわね」
京子は部屋の隅にあった、古そうな暖房器具らしいものにスイッチをいれた。
「なんだこの時計の墓場は」
自分でそう言ってから、気がついた。よく見ると、どの時計も動いている気配がなかった。それどころか、指している時刻がどれもバラバラなのだ。
 壁に掛かっているものもあるが、ほとんが、その胴体に大きな振り子を抱えた、床に据え置くタイプの柱時計だった。
昔の映画のなかでしか見ないような代物だ。
それらが整然と、ひっそり立ち並んでいる光景は、まるで墓石の群のように見えた。
「アンティーク時計よ。子どものころから好きで、パパにねだって集めたの」
京子は勉強机らしきものの前にあった椅子に座って、こちらを向いた。


366: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:42:53 ID:uojtOBMxmY

「人の作ったものは、いつかみんな死ぬ。時計にとっては、針が動かなくなるときがそうね。人の作った機械が、人の見ていない、だれもいないところで、ひっそりと死んでいく。形ある無生物の死を、生物のそれのように定義づけることは難しいわ。でも私は、時計の死の潔さがとても好き」
そう言って、視線を正面の一際大きな柱時計に向ける。
ガラス張りの胴体の向こうに、長い振り子が幾本か覗いている。上部にある時計部分には、豪華な装飾が施されていたが、短針と長針は張り付いたように2時半を指していた。
「自分が死んだ時間を、指している」
ハッとした。
その京子の声の響きが、とても心地よかったからだ。こいつの言葉は、蠱惑的だ。
「いつまでも、自分の死んだ時間を指し続けているのよ。どの時計も、すべて。なんだか、美しいと思わない?」
退廃的だ。没落したかつての子爵家という血筋と、この館の古びた空気がこんな娘を育てたのか。
私は、この女の作り出す妖しい空間に取り込まれないように警戒心を強める。
「あの椅子は、本物なのか」
「ええ。本物よ。この家で起きた3つの死も」
ただ……
京子は言いよどんだ。
「ただ、なんだ」
「フェレイクシアに、恋人と見初められた人間は、今までに何人いたかしら。座ってしまっても、全員が全員死んだわけではないわ。この家でも、パパは新しくきた家政婦には、必ず座らせていた。もちろん、なにも説明しないでね」
最悪だ。こいつの父親は。
「でも、死んだのは1人だけだった。若くて、とても綺麗な人だったそうよ」
「私なら、大丈夫だといいたいのか」
「そんなことないわ。あなたは綺麗よ。たぶん、自分が思っているよりも、ずっと」
虫唾が走った。こいつにそんなことを言われたくない。
「椅子の呪いは不安定ね。人が移り気であるように」
そう言ったあと、京子はふいに鍵束を掴んだ。


367: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:46:14 ID:uojtOBMxmY

「あなたが入って、そして椅子に座った部屋は、本当は左の部屋だったのかも知れない。あとで掛かっていた鍵のことは私にもよくわからないけれど。この家では、不思議なことがときどき起こるから」
「持ち主も把握し切れてない、カラクリ細工だらけだってのか。でも椅子が床にあるほうの部屋だったとしても、私が椅子に座ったのは間違いないんだ」
どうしてくれる、と言いそうになって、それはこらえる。
すると京子は変なことを言うのだ。
「言わなかったかしら。左の部屋の椅子は、レプリカなのよ」
なんだと? 聞いてない、そんなことは。
「パパのガールフレンドに椅子の話をすると、怖いもの見たさでどうしても座りたがるから、そっくりに作ったレプリカのほうで満足させてあげていたそうよ」
「ちょっと待て。だったらなぜ、そのレプリカの部屋のほうに必ず鍵をかけていたんだ」
「ほかに大事なものを置いているからよ」
「大事なもの?」
左の部屋にあったものを思い出してみる。
たしか洋服箪笥のようなものと、小さな地味な絵がいくつかあっただけだ。私がそう言うと、京子は「そんな風に言われると、レンブラントがかわいそうね」と笑った。
そう言えば、右の部屋には天井の椅子以外、なにもなかった気がする。
「だったら、椅子が2つ揃いだと言ったのはウソか。椅子を作った変態野郎の幼馴染の双子の話も?」
そうか。双子の話に持っていったのは、私にあてはめるためか! そもそもなぜ、こいつが双子の妹、まひろのことを知ってるんだ。
一方的に男に片思いされて、知らないうちになにもかも調べられる女性の気持ちが、わかった気がする。気色が悪い。
そう思って鳥肌を立てていると、京子は首を振った。
「椅子は2つ揃いよ。フェレイクシアの双子の幼馴染への執着の話も本当」
「だったら、もう1つの椅子はどこにあるんだ」
そう怒鳴ってから、体の中に嫌な予感が走った。
こいつ……
私から、その言葉を引き出したな。
汗が皮膚の上に湧き出てくる。自分が座っている椅子の感触が、艶かしく躍る。


368: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:49:27 ID:uojtOBMxmY

部屋に入ってきたあと、無意識に腰掛けたこの椅子は、どんな形をしていた?
思い出そうとしても、思い出せない。自分の体を見下ろそうとしたが、首の油が切れたようにうまく動かなかった。
京子は笑って、立ち上がった。
「私が愛用しているわ」
京子のドレスのスカートがそこをどくと、座っていた椅子が見えた。見覚えがあった。同じ椅子だ。
なんてやつだ。
私は唖然として固まった。
こいつは、やっぱり普通じゃない。
「椅子の呪いも、弾くことは可能よ。私と同じ場所に、あなたも来ることができる」
京子はそう言って、こちらに右の手のひらを伸ばした。
弟子を導く、教導者であるかのように。
「願い下げだ」
とっさにそう言い返した。
「そう」
京子はさほど残念そうでもなく、伸ばした手を下ろす。そしてまた、あの椅子に腰掛けた。平然と。
「今この街で、途方もなく大きな呪いが蠢いているわ」
こちらを見るでもなく、京子はひとり言のように淡々と語った。
「目に見えない、とても邪悪ななにかが。……いったい、なにが起ころうとしているのかしら。私は、見届けたいと思っているの。この街の、未来を」
京子は指を交差させ、その上に顎を乗せた。前にも見たことがある。無意識にする仕草なのかも知れないが、彼女の意思の形を表しているかのようで、とても似合って見えた。


369: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:52:15 ID:/vcnLMBLkI

沈黙が降りた。
無数にある時計から、時を刻む音はなにも聞こえない。
すべてが古い灰につつまれていく。石化していくような時間だった。
やがて私は腰を上げた。
「帰るの」
「ああ」
「今日はありがとう。来てくれて」
「……誕生日、おめでとう」
今日、まだ一度も言っていなかったような気がして、そう言った。
「ありがとう」
京子はふっ、と息を漏らした。

それから玄関まで送ってもらって、外に出た。
あの椅子のある別館のほうが気になりはしたが、意地でも振り返らなかった。もうなにが本当で、なにが嘘なのかわからない。
すっかり遅くなってしまった。さすがに親に怒られるかも知れない。
空には一面の星空が輝いていた。私の住む市街地から少し離れたせいか、街の明かりが少なくて、その分、星がよく見える。
ふと思いついて、玄関に立っている京子を振り返った。
「お前、さそり座生まれだよな。さそり座の女って、歌になるくらい酷い言われようだけど、お前に関しては当たってると思うぞ」
それを聞いて、京子は露骨に不快そうな顔をした。
「お前のホロスコープを確認してみたけど、お前が生まれた瞬間に、東の地平線にあった星座は、やっぱりさそり座だったよ。上昇宮って言うんだ。お前の本質を表しているのが、それなんだ」
やりかえしてやった。
単純に、そう思って気が少し晴れた。すると京子は、「くだらない」と言ってため息をついた。
「お前、占いが好きなのに、どうして占星術は嫌いなんだ」
私よりはるかに色々な占いに長けているのに、どうしてなんだろう。素直にそう思った。
「そうね」
京子はそう言って星空を見上げた。
つられて私も空を見る。
「私が子どものころ、夜にこうして庭に出ていたの。そばにはだれもいなかったわ。みんな家のなかにいた。私だけ外で、そのとき庭にあった木馬に乗っていた。なぜそうしていたのか覚えていないわ。パパに怒られて拗ねていたのかも。何時くらいだったのかしら。急に地面が揺れたのよ」
「地震か」
私は、自分が子どものころに経験した地震のことを思い出そうとする。しかし、あまり記憶に残っていない。


370: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:55:34 ID:/vcnLMBLkI

「すごい揺れだった。地面がひっくり返るかと思うくらい。木馬から転げ落ちて、私は泣き叫んだわ。痛かったし、強かった。おうちも揺れていて、今に崩れ落ちそうだった」
そんな大きな地震があったか? 私の家も同じ市内だというのに、まるで思い出せなかった。
「揺れが収まって、私は泣き止んだ。家に入ろうとして、立ち上がったとき、奇妙なことに気がついたの」
京子は空を指さした。
「星の配置が変わっていた」
冗談めかしたような言葉だったが、その声は緊張を帯びたようにかすかに震えていた。
「空の星が、すべてでたらめな形に変わってしまっていたのよ。目を擦ったわ。でも見間違いじゃなかった。私は星が好きな子どもだったの。星座の本を片手に、夜空を見るのが好きだった。遠く離れた星ぼしを結びつけ、古来から人々がつむぎだした物語を空に浮かべて、夢想するのが好きだった。なのに、その夜、たった一度の地震のあと、そのすべてが狂ってしまったのよ。私は怖くなった。いったいなにが起こったのかわからなくて、また泣いてしまった。そして家に帰って、パパに抱きついたの。地震のせいで空が揺れて、星がずれてしまった。そんなことを口走ったと思うわ。なのに、パパは私の頭を撫でてこう言ったの。『大丈夫。地震なんて起きていないし、一晩寝れば空も元通りになるよ』って。泣く子どもをあやす言葉でも、ちょっとおかしいと思わない? 空の星のことはともかく、地震が起きてないって言うなんて。でもそれは、その言葉の通りだった。地震は起きていなかったのよ。次の日、だれに聞いても、友だちに、先生に、道行く大人に聞いても、だれ1人、地震のことを覚えていなかった」
京子は力なく笑った。


371: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 04:59:52 ID:uojtOBMxmY

私は背筋がゾクゾクとしていた。なぜだろう。子どものころの、荒唐無稽な話なのに。
「次の夜も、その次の夜も、星の形は変わってしまったままだった。太陽や月、火星や土星……太陽系の星はそのままだった。でも遠くの星は、どれも似ても似つかない配置になってしまっていた。なのにそれを、だれも不思議に思っていなかった。あの地震と同じように、みんなの記憶まで変わってしまっていたの。街の本屋で星座の本を買ったわ。どの頁にも、私の見たことのない星座がちりばめられていた。怖かった。怖くてたまらなかった。私が……私だけが、別の世界に紛れ込んでしまったみたいで」
それは、本当なのか?
そう訊こうとして、ためらわれた。あまりに真摯な声と、表情だったから。
「黄道12星座も変わってしまっていたわ。計算尺座も、大猫座も、帆掛け船座も、なくなっていた。あの可愛いねずみ座も、気高い銃士座も。みんなみんな。うお座やてんびん座はあったわ。でも似ても似つかない形になってしまっていた。クルミ座はどこにいったの? 大きく手を広げた山猿座はどこに? あの、全天を睥睨する13の赤色巨星の群、魔王座は……?」
京子は早口でそう捲くし立てると、そこで息を止め、ゆっくりと吐き出した。
「雑誌で星占いのページを開いても、私はどこを見ていいかわからないの」
京子はこちらを見て笑った。泣いているような笑顔だった。
私はそのとき初めて京子の心に触れたような気がした。
「お前の本当の星座は……」
くじら座よ。
あのとき、冗談だと思った言葉が脳裏に蘇る。
京子ははにかむように俯いた。そして、もう空を見なかった。
一面の星空の下で、私はなにか謝る言葉を探していた。けれど、それは余計なことのようにも思えた。
そのかわりに、京子の胸元を指さした。鍵束の首飾りを。
「それ、変だぞ。いくつ部屋があるのか知らないけど、マスターキーを作ったほうがいいよ」
照れ隠しだった。あまり深い意味もなく、最初から思っていたことを口にしただけだった。


372: 館 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 05:02:48 ID:/vcnLMBLkI

京子は自分の胸元を見下ろして、少し気を緩めたように微笑んだ。
「パパはマスターキーを使っていたけど、私はこっちのほうが好きなの」
「変わったやつだ」
笑ってやった。少しでも救われればいいと思って。
すると、京子は玄関口に立ったまま、鍵束を右手でチリンと鳴らして言った。
「マスターキー…… 本当の意味で、『支配者の鍵』と呼べるものはそんな即物的なものではないわ」
「なんだそれは」
「たとえば……」
京子は、目を閉じてゆっくりと言った。
「ひらけゴマ」
その瞬間、京子の背後、玄関の向こうの館のなかから、体に響くような音が聞こえてきた。
ガガコン……。
鈍く響く、重層的な金属音だった。まるで無数の扉の鍵が、いっせいに開いたような。
私は慄然として、耳に反響するその音の意味を考える。
京子は目を開き、私をまっすぐに見つめた。
「気をつけて帰ってね」
なんなんだ、こいつは。
今のは、祖父が作ったという仕掛けなのか。それとも……?
全身に鳥肌が立ったまま、私はその館を後にした。まるで逃げるように。
帰り道、京子の言っていた、星の配置が変わったという話のことを考えた。子どものころの荒唐無稽な記憶だと、笑い飛ばすのは簡単だ。ディティールが細かすぎるのが気持ち悪いが。
けれどそこには、あいつがあいつである、その根源を垣間見た気がする。
あいつは自分を異邦人だと言ったのだ。
1人なんだ。
そうか。
クラスで取り巻きたちに囲まれていても。誕生日会で、ハピバースデーと歌ってもらっていても。
そのことが、ストンと胸に落ちるようにわかった。
そして私は、彼女の部屋で、まっすぐに差し出された手のことを思った。私が握り返さなかった、あの手のひらのことを。

(完)


373: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/3/18(土) 05:06:50 ID:uojtOBMxmY

今日の書き込みで最初2〜3回酉を忘れましたが、間違いなく本人です


赤(書籍版)、館(上・下)

【了】


374: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:25:01 ID:F.ceRSUuyA

『失踪』(書籍版)

双葉社『師匠シリーズ 師事』に載った分です。
テンプレ:商業目的でない限り、転載は自由にしていただいてかません。リンクじゃなくて、文字貼り付けでも可( ・ω・ )もぐー


375: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:26:54 ID:F.ceRSUuyA

師匠との話をこれから語っていくつもりだけれど、一晩で語り尽くせるものではない。長く、とても長くなるだろう。だから、先に一連の出来事の1つの結果である、師匠の失踪について書いておきたい。
かの聡明なシェヘラザートは、床をともにした女の首を夜明けに刎ねるという残酷な王に、美しく奇妙な物語を一夜一夜語り続けた。千夜を生き延びるため、続きはまた明日に、と添えて。
師匠との話は、そんな大それたものではないし、いつあなたが飽きてしまい、頁を閉じることでこのささやかな物語を終わりにしてしまうかもわからない。
そのとき、頁を閉じるあなたの手を止め、その耳を再び傾けさせるのは、この物語の向かう結末を知りたい、という渇望だろうか。
先に言ったように、彼の失踪は1つの結果に過ぎない。
本当に語りたいのは、彼がなにを愛し、なにに怒り、なにを夢想し、なにを嘆き、なにを笑い、なにに失望し、なにに焦がれ、なにに敗北したのか。そのすべてであり、それらを取り巻く人々のことなのだ。
この話は彼と出会った大学1回生の春から始まる。やがて舞台は追想の過去へと戻るはずだ。そしてその眩しく輝く時代の破滅と絶望を経て、時計の針は再び未来へと進み始めるだろう。
なんだか照れくさくなってきたのでこの辺にしておくけれど、1つ、追記したいことがある。
ここには、すべてではないけれど、幽霊やお化けにまつわる話がたくさん出てくる。
もし、あなたが夜寝る前に読んでしまい、どうしても怖くなってしまったなら、静かに目を閉じて欲しい。そしてある言葉を思い出して欲しいのだ――。


376: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:28:31 ID:F.ceRSUuyA




俺が大学3回生のとき、師匠はその大学の図書館司書の職についていた。
その年の夏ごろから師匠はかなり精神的に参っていて、よく「そこに女がいる!」などと言っては、なにもない空間に怯え、ビクビクしていた。
俺にはなにも感じられなかったが、師匠ほど霊感が強くないので見えないだけだと思って一緒にビビっていた。
秋のことだった。そのころ俺は師匠とはめったに会わなくなっていたが、あるときたまたま学食で一緒になって同じテーブルについた。
「後ろの席、何人見える?」

師匠が急にそんなことを言いだした。夜9時前で学食はガラガラ。後ろのテーブルにはだれも座っていなかった。
「なにか見えるんですか?」と訊くと、「いるだろう? 何人いる?」とガタガタ震えだした。
しかしなにも見えない。耳鳴りもないし、出るとき特有の悪寒もない。俺は困惑した。
俺は少し考えてから、「大丈夫です。なにもいませんよ」と言った。すると師匠は安心したような顔をして、「そうか。よかった」と言ったのだ。
そのとき、確信した。霊は後ろの席になどいない。師匠の頭に棲みついているのだと。
さっきの狼狽などなにもなかったかのように師匠は淡々と親子丼に箸を伸ばす。俺は、どうしようもない悲しい気持に襲われ、目の前の料理が喉を通りそうになかった。

その3日後に師匠は失踪した。職場である図書館になにも言わず、ただ辞職願いを残して。探すなという置手紙もあったそうだ。それを知っても俺は動けなかった。
自分でもなぜだったのかわからない。なぜだったのだろう。ふと思い返しても、探さない理由は思い浮かばない。
しかし、探し出していったいどうしようというか、それも思い浮かばなかった。結局、師弟関係はそのときもう終わっていたのだろう。
師匠の家庭は複雑だったらしく、叔母という人がアパートを整理しにきた。
凄く感じの悪い人で、親友だったと言ってもすぐ追い出された。普通、友人に失踪前の様子くらい訊くだろうに。結局アパートはあっという間に片付けられ、空になった。
そして予約でもしてあったのか、すぐに次の住人が入った。部屋から出てくるところを見たが、チャラついた格好の若者だった。師匠や俺の関わったようなものとは全く無縁の世界を生きているやつだろう。
そうして師匠のいた空間は、いつの間にか次々と別のもので埋まっていった。


377: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:29:51 ID:F.ceRSUuyA

俺が大学に入ったころ、所属していたサークルでまことしやかに流れていた噂がある。師匠に関する噂だ。
「あいつは人を殺してる」
冗談めかして先輩たちが言っていた。たぶん真実ではないかと思う。
師匠は酔うとよく口にしていたことがある。
「結局のところ、死体をどこに埋めるか。それがすべてだ」
自分に関する噂に悪乗りして、わざわざサービスをしていたのは明らかだったが、そんな話をするときの目がやたら怖かったのを覚えている。
師匠の車でめぐった数々の心霊スポットのことが思い出される。
とある山にある、皆殺しの家という名所に行ったとき、彼はこんなことを言っていた。
「不特定多数の人間が深夜、人目を忍んで行動する。そして怪奇な噂。怨恨でなければ、個人は特定できない」
聞いたときはただ気持ちが悪いだけで、なにを言っているのかよく分らなかった。しかしたぶん師匠は「恨みもなにもなく、ただ殺した人間」の死体をどこに埋めるのがいいか、という話をしていたのだ。
心霊スポットに埋めるのがいい。そううそぶく彼は、助手席に乗る俺を露骨に怖がらせようとしていた。
深夜そんな心霊スポットを巡る日々に、ドロドロとした疑念と畏怖を加えたのだ。実に悪趣味だ。だが、それさえある種の隠れ蓑だったような気がする。

以前、俺は師匠に連れられて、車で北に1時間以上かかる山間の町に行った。そこには、『もどり沼』とれる奇怪な場所があった。かつて天狗が空から落ちてきたという伝説があるのだそうだ。
やがて神社にまつられるようになった天狗のグロテスクな話を道みち聞かされて、俺は気分が悪くなった。『もどり沼』というのも、空から落ちてきた天狗にまつわる場所らしい。
「散々探してやっと見つけたんだよ」
深夜だった。車を降り、山に分け入って道なき道を進んだ。頼りない懐中電灯の明かりが照らし出す前方に、ぼんやりとした光が見えた気がした。ついで、水の生臭い匂いが漂ってくる。
「これが?」
沼だった。小さな沼が、人けのない山中に月の光を反射していた。
「そうだ。もどり沼だ。地元の人でも、もう知る人が少ないという曰くつきの場所だ。天狗を祀った神社が少し離れた場所にあるんだが、そこに由来と逸話が古文書で伝えられている」


378: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:31:39 ID:di6NFRnXyA




沼の底に、大昔天狗が落とした珠(たま)が眠っているという。
かつて美しい泉があったその土地は、漏れ出る珠の呪力で沼となり、瘴気に満ちた恐ろしい場所になってしまった。
村人も寄りつかなくなったその沼に、ある日、流行り病で妻に先立たれた男がやってきた。この世をはかなみ、あとを追って死のうと思ったのだ。
淵に来るだけで命を吸われるような禍々しい瘴気が充満する沼に、男は足を踏み入れようとする。その前に、妻の形見である髪の毛の房を沼へ投げ入れた。
するとどうだろう。沼の中央がぶすぶすと沸き立つように揺れ、赤子の悲鳴のような恐ろしい声が、どこからともなく聞こえてきた。男は驚き、そばにあった潅木の裏に身を隠した。
波立つ沼がやがて静かになったころ、平らかな水面にいつの間にか人の顔が浮かんでいた。妻の顔だった。そう気づいた男は水に飛び込み、妻を沼の中から引きずり出した。
天狗の落としたという珠の力であろう。死人となったはずの妻があの世から戻ったのだ。
だが、妻は男の呼びかけに応えなかった。姿かたちは妻そのものだったが、その中には魂が宿っていなかったのだった。やがてなにも言わぬまま、人の形をしたものはモロモロと崩れ、泥に還っていった。あとには髪の毛の房だけが残っていた。
あまりの恐ろしさに山を駆け下りて逃げ出した男は、死ぬことをやめた。そしていつしか新しい妻を娶ることになった。
その暮らしは、つつましいながらも満ち足りた日々だった。新しい妻は器量こそ悪かったが、よく働き、男を立て、舅、姑を敬う、よくできた女だった。
数年の月日が経ったある日のこと、男は新しい妻を誘ってあの沼にやって来た。そして、拾って隠していた亡き妻の髪の毛の房を沼に投げ入れ、ついで新しい妻を沼に突き落とした。
泳ぎの達者であったはずの新しい妻は、もがきながら沼の底へ沈んでいった。まるでだれかに足を掴まれ、引きずり込まれているかのようだった。いつかのように沼は沸き立って揺れ惑い、やがて静かになると昔の妻の顔が水面に現れた。
男が沼から引っ張り出すと、妻は呆然としていたが、しばらくすると呼びかけに応え始めた。確かに妻だった。死んだはずの。今度こそ死人があの世から戻ったのだ。
男は妻の身体を抱き、咽び泣いた。


379: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:33:51 ID:F.ceRSUuyA


「酷い話ですね」
俺の感想に師匠は頷かなかった。かわりに、「ただの古い言い伝えだ」と呟いた。そうして、今でも腐ったような臭気を放つ沼にゆっくりと近づいていった。
「言い伝えにはまだ続きがある。男の話を伝え聞いたこの地方の庄屋が、若くして死んだ1人娘をあの世から呼び戻そうとして、同じことをしたんだそうだ。しかしうまくいかなかった。
娘の姿かたちをしたものは現れたが、魂が宿っていなかった。そしてあっという間に泥に還ってしまった。
女中を騙して沼に沈めたが、やはり同じだった。土地の代官もその話を聞いて同じことをした。息子を生き返らせようとして。やはり駄目だった。何人沼に沈めても。しかし、最初の男のほかにも、死人を蘇らせることに成功した者もいた」
師匠は沼の淵にしゃがみ込んで、淡々と語る。
「何が違ったんですか。死んだ人間を蘇らせるのに成功した人と、失敗した人で」
疑問を口にした俺に、師匠は薄ら笑いを浮かべ、「人の魂がどこから来るのかって話だ」と言った。そしてまともに答えないまま、沈黙した。
風でガサガサと木々が揺れる音があたりに渦巻いていた。俺は沼から離れた場所で立ち尽くしている。師匠は沼の淵にしゃがんだままちらりと振り返り、「来ないのか」と言った。
俺は首を左右に振り、あとずさる。いったいなにを恐れたのだろう。死人が蘇るなどというこんな与太話を?
「さて、帰るか」
立ち上がり、師匠は変に明るい声を出した。しかしその眼の奥に渦巻く暗い光を見た気がして、俺はもう一度あとずさった。
師匠の車のトランクを一度こっそり開けたことがある。しかし袋に詰まった土くれがあっただけで、なにも面白いものは隠していなかった。そのときのことをどうしても思い出してしまった。
 
師匠には恋人がいたが、俺が大学3回生になるときに県外で就職が決まり、去っていってしまった。カンのいい人で、そのころ狂いつつあった師匠から逃げたのかも知れなかった。
しかし、同じように卒業して去っていった先輩たちのなかで、不思議なことに彼女だけはその後、音信不通になってしまった。携帯電話も番号が変わってしまったのか、通じなくなった。師匠も連絡が取れないと言って心配していた。その心配が本心であればいいが、人の心の中は覗けない。
夜をさまよい、心霊スポットを、人の死の色濃い場所を巡り続けた彼は、いったいなにを求めていたのか。失踪した先には、求めるものがあったのだろうか。今はもうわからない。


380: 失踪 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:35:23 ID:F.ceRSUuyA

師匠の忘れられない言葉がある。
俺が初めて本格的な心霊スポットに連れていかれ、怯えきっているときに師匠がこう言った。

『こんな暗闇のどこが怖いんだ。目をつぶってみろ。それがこの世で最も深い闇だ』
 
眠れない夜に、今でもその言葉を思い出す。


381: 幽霊物件 ◆LaKVRye0d.:2017/3/26(日) 00:38:26 ID:F.ceRSUuyA

『幽霊物件』

師匠から聞いた話だ。


大学2回生の春だった。
僕はバイト先の興信所である小川調査事務所のデスクに腰掛けて、所長ととりとめもない話をしていた。
「鮭のムニエルならいいんですよ。鮭のムニエルなら」
「いや、他のムニエルも駄目ってわけじゃないよ」
「ええ、それはそうですよ。まあなんでもそれなりに美味いわけですし」
「しかし、なんでもムニエルにすれば良いってもんじゃないよね」
「それですよ。結局」
お互いの溜め息を聞いて、顔を見合わせる。
さっきからやり玉に上がっているのは、僕の調査員のバイトの先輩である加奈子さんの手料理のことだった。
加奈子さんは生活費に困窮すると、人に食べ物をたかる悪癖があった。ただ奢らせるわけではなく、一応手ずから料理は作ってくれる。その料理の腕もそれなりに上手いので、けっして悪い気はしない。ところが、基本的にめんどくさがりなので、いつも似たようなメニューになるのだ。それがムニエルだった。
もともと魚が好きらしいのだが、とにかく調理方法といえば切り身に小麦粉をまぶしてバターで両面をカリッと焼く、ムニエル。ムニエル。ムニエル。ひたすらにムニエルなのだ。
定番の鮭のムニエルに、サバのムニエル。アジのムニエルに、タラのムニエル。ヒラメにカレイにスズキにタイ……。
とにかくなんでも小麦をまぶしてバターで焼き、レモン汁をぶっかければいいという実に短絡的な料理ばかりなのだ。
確かに簡単な料理なのであまりハズレはないのだが、さすがにこうもムニエルばかりだと、一緒に食べているこっちはその常習性に閉口してくる。それどころか、もはやなんの魚なのかよくわからないものまでムニエルとして出してくるのだ。


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