ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます
ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています
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(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
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それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!
236: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:21:06 ID:qQQzqfVdfw
一瞬ハッとしたような雰囲気がもう片方の面から漏れた気がした。
けれどすぐに少年は竹刀を構え、「分かりました」と元気な声を張り上げた。
互いに礼をしたあと、二つの竹刀が音を立てて交差した。
オオ、と声が漏れてしまう。どうやら試合形式の稽古のようだ。
二、三度打ち合ったかと思うと、ガツンと鈍い音を立てて二人の身体がぶつかる。
「ウォーッ」という凄まじい声が師匠から上がり、俺は思わずビクリとする。それに呼応して「キョェェーッ」という甲高い声がもう片方から上がる。
その迫力に俺は腰が引けてしまった。
おいおい。ほんとに剣道やってるよ。
そんな間抜けな感想が頭に沸いてくる。
もしかして師匠、強いんじゃないか。
そう思いながら見つめていると、いつの間にか控え室から出てきた京介さんが、壁際を遠回りしながら俺のそばへやってきた。
袴を翻してストンと姿勢良く腰を下ろす。背筋が綺麗に伸びている。
視線は道場の真ん中で竹刀を合わせている二人へ向けられている。俺は横目で京介さんの顔を伺う。
「どうですか」
「……なにが」
前を向いたままだ。
「勝てますか」
「この二人の勝敗か」
「いえ……」
京介さんが、師匠に、です。
237: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:23:57 ID:qQQzqfVdfw
そう言おうとすると、遮られた。
「見てればわかるよ」
ビシィッ、という激しい音がして師匠の竹刀がガクンと揺れる。少年の放った小手が師匠の左手に入ったらしい。
間髪居れずに二人はガツンとぶつかり、鍔迫り合いが始まる。そして離れ際に、一瞬の隙を衝いてまた師匠が小手を決められた。
速過ぎてよく分からないけど、たぶん。
あれ? 師匠、もしかして押されてる?
本番の前にもうメッキが剥れてしまうのか。
すると京介さんが横でぽつりと言った。
「思ったよりやるな」
その間にも竹刀を持った二人は目まぐるしく動き、お互い面を狙って相打ちした後、くるりと首を振った少年が身体を沈ませながら師匠の胴を打ち抜いた。
そばに立っている中町さんが頷いたのを見ると、綺麗な一本だったようだ。
だめじゃないか、師匠は。
そう思うと、なんだか酷い脱力感に襲われた。
しかし京介さんは依然興味深そうにその様子を見つめている。
「これ、あの子の方が優勢なんですよね」
念のために確認する。
「あたりまえだ。あの変態が勝てるわけがないだろう。ユータはこのあいだ中学の県大会の個人戦で優勝したばかりだ」
おいおい。先に言ってくださいよ。それメチャメチャ強いんじゃないですか。
238: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:28:00 ID:qQQzqfVdfw
その小柄な身体をあらためて見つめる。
驚くと同時に師匠がかわいそうになった。
京介さんと戦う前のほんのウォームアップのつもりで竹刀を合わせたのに、こんな子どもに良いようにやらてしまうなんて、きっとわけが分からず混乱しているに違いない。
「オォォォォッ」
という雄叫びとともに、師匠がなんとか面を打ち返した所でお互い動きを止めた。そして礼をして別れる。
少年は面を取りながら、「いやあ、強いですね」などと嫌味を感じさせない口調で師匠に話かける。師匠の方は息が上がっているのか、返事ができないようだった。
これから本番だというのに、実にまずい雰囲気だ。最後の面打ちも、素人目に、華を持たせてくれたようにも見えた。
案の定、京介さんは「ふ」と口元を緩めている。
「あの子、強すぎますよ」と俺は抗議をした。相手が県の中学チャンプだなんて知らない師匠は、今ごろショックを受けているに違いない。必要以上に自信喪失していなければいいが。
心配しているその横で、京介さんはスラリと立ち上がった。
その無駄のない動きは、錆一つない日本刀が鞘から抜き放たれたようだった。
「そうかな」
口唇からそんな言葉がこぼれ出る。
そうかなって、明らかに強すぎですよ。素人が見ていても分かるくらいに。
続けてそう抗議しようとしたときに、京介さんはスッと足を運び始めた。
「私の方が強いよ」
そう言い残して。
239: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:33:00 ID:9gYoXiEfsA
その後は無残なものだった。
息を整えた師匠が京介さんと正対し、竹刀の先を合わせた後は一方的な展開だった。
五分三本勝負と申し合わされていたのだが、師匠はものの一分で二本を先取されてしまい、早々に負けが決まってしまった。
俺の隣に座った少年が解説してくれたところによると、一本目は「出小手」、二本目は「面返し胴」という技で決まったらしい。
師匠は往生際悪く「もう一勝負」「もう一勝負!」と食い下がり、承知した京介さんに完膚なきまでにボコボコにされていた。
さっきの少年との試合形式の稽古の時よりも打ち合うことが少なく、あっと言う間に決まってしまっている印象だった。
師匠は中段、京介さんも中段に構えていたが、途中から師匠の方だけ下段に構えを変えた。どうやら防御に重きを置いた構えらしいのだが、全くそれが奏功していないようで、相変わらず面に胴に小手にとバンバン打ち込まれていた。
「あのお姉さん、強いの?」
恐る恐る訊いてみると、少年は「そうですねぇ」と少し考えてから答えた。
「段位で言うと四段ですけど、公式戦ではそれほど実績がないですね。中学の時は凄かったらしいですけど。でもたぶん今の方が強いですよ。前回の全日本の予選でも二回戦で警察剣連の優勝候補の人に当たっちゃって負けちゃいましたけど、内容自体は惜しかったですしね」
四段?
四段というと、剣道三倍段の法則からすると十二段の空手家で互角という強さではないのか。
頭の中で金色の帯を締めた空手家と京介さんが向き合っているバカな絵面が浮かんでしまった。
「まあ、僕の方が強いですけど」
少年は可愛い顔をしてさらりとそんなことを言った。屈託のない笑顔だった。
240: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:35:52 ID:9gYoXiEfsA
しかし師匠を尺度に考えると、どう考えても京介さんの方がボコボコにしている。さっきはそんなに手を抜いていたというのだろうか。
「面あり!」
中町さんの掛け声が道場内に響く。
正面から面を打とうとした師匠に対し、京介さんは左へ身体を捌きながら相手の竹刀を払い上げるように流して、開いた面へ素早い一撃を見舞ったのだ。「面すりあげ面」という技らしい。
「あれ、得意技なんですよ。僕もよくやられます」
少年は何も持っていない両手を胸の前で握って竹刀を操る動作をする。しかしその首が訝しげに捻られた。
「でもなんか、あの人の動き、変なんですよね」
「変って?」
そう問うと、「ううん」と唸って師匠の動きを凝視する。
「僕とやってたときはもっとまともな動きだったと思うんですけど。なんていうか、今は要所要所で妙な動きが入るんですよね。それもだんだん酷くなってる」
ほら、あの間。
そんな風に指をさされたが、なにがなんだかさっぱり分からない。
試合は十本以上京介さんが連取して、六連勝だか七連勝だかしたあたりで中町さんが「勝負あり」と言った後、「もうよかろう」とお互いに諭すような口調で告げた。
師匠は力が抜けたように天を仰いだ後、ゆっくりと頷いた。京介さんもそれに倣い、互いに礼をした。
師匠はこちらへ引き上げてきながら、全身で息をしていた。相当に疲れているようだ。「くそう」と悔しそうに吐き捨てながら面を外す。顔中から汗が滴り落ちている。
241: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:38:48 ID:qQQzqfVdfw
防具を外し終わった師匠に、中町さんが歩み寄ってきてこう言った。
「剣道ではありませんな」
師匠はこわばったような、それでいて薄ら笑いのような表情を浮かべて「修行が足りませんでした」
とだけ返事をした。
中町さんは少し険しい顔をした後で、力を抜いたように溜め息を一つつくと「お疲れ様でした」とねぎらった。
そしてお互いに頭を下げて、離れる。
妙なやりとりだった。
京介さんは道場の真ん中に立ったまま、面を外してこちらを見ている。
あれほど圧倒的に勝ち切ったというのに、その表情は哀れむでも蔑むでもなく、かと言って高揚感や達成感も微塵も感じられないような複雑なさまを見せていた。
ただ、その相貌は何試合も連続で戦ったばかりだというのに紅潮を見せず、それどころか異様なほど蒼白だった。そしてその両目は息を飲んだように師匠を見つめている。
まるでギリギリの命のやりとりをしたばかりとでも言うように。
242: 剣道の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:40:30 ID:qQQzqfVdfw
師匠はその視線から目を逸らし、持参した袋から着替えを取り出し始める。
「あっ」
こもった熱気に気がついて少年が窓に駆け寄る。
そうして開け放った窓から心地よい風が吹いてきて、汗に濡れた二人の髪を揺らした。
板の間の、どこか懐かしいような木の香りがした。
243: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:44:55 ID:qQQzqfVdfw
『師事(再生)』
(・ω・)
同人誌『師匠シリーズの4』に掲載する予定のリメイクのお話の一つだよ。
先行公開するよ。
リメイクはタイトルをどうしようかな、と思っていたけど、悩んで悩んで17秒ほど悩みぬいて、ついに本来のタイトルの後に(再生)とつけることにしたよ。
(・ω・)
リメイクは基本的に加筆・修正だけをしているよ。
もちろん結末は変わらないよ。
でももし変わっていたら……
今年死ぬはずのあの人が関わっていそうだね。
そう言えばもう、最後の蝋燭は消えたのかな。
244: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:47:57 ID:qQQzqfVdfw
僕が海沿いのド田舎から某中規模都市の大学に入学したころ。
とりあえず入ったサークルにとんでもない人がいた。
元々霊感は強い方で、子どものころから心霊体験は結構している方なのだが、大学受験期にストレスからか、やたら金縛りにあっていて色々と怖い目にあってばかりだった。
そのせいでもあるのだが、オカルトへの興味が急激に高まっていた時期で、サークルの人々が引いているにも関わらず嬉々としてそんな話をしていると、ある先輩が「キミィ。いいよ」と乗って来てくれた。
その先輩は院生で仏教美術を専攻している人だった。
普段はあまりサークルにも顔を出さないらしいのだが、新歓時期ということもあって呼び出されていたようだ。
上回生や、おどおどした入部希望者、見るからに冷やかし目的のチャラチャラした見学者など、人でごったがえしている部室内で、その先輩は一人冷ややかに一歩引いた位置から周囲を眺めていた。
その探るような視線がどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していたので、最初から気になっていた。
245: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:50:27 ID:9gYoXiEfsA
しかし思いのほか、その先輩が人垣を掻き分けるように身を乗り出して来たので驚いてしまった。
それから問われるままに自分が体験した様々な怪奇譚を語っていると、その一つ一つに楽しげな笑みを浮かべ、「そいつは災難だな」などと寸評をくれるのだった。
すっかり意気投合してしまい、見学にいったその日の夜にドライブに連れて行ってもらった。
他の新入生たちは上回生に引っ張られて、学裏と呼ばれる学生向きの定食屋街に連れ立って行ったのだが、僕とその先輩だけは別行動となった。
正直、ドライブに誘われた時は迷った。他の部員たちと離れ、サークルの中でも浮いている存在であるということがひしひしと伝わってくる先輩と二人で行動するというのは、今後このサークルにおける自分の立ち位置が決定付けられるような気がしたからだ。
そしてその予感は外れていなかった。
246: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:53:16 ID:qQQzqfVdfw
「何か食うか」
駐車場に学内の駐車場にとめてあった先輩の軽四に乗り込むと、そう訊かれた。
もう日も落ちてあたりは暗くなっていた。
「なんでも食います」
そう答えると、「じゃあファミレスだな」と妙に嬉しそうにシートベルトを締めるのだった。
それから、ほかにどんな怖い体験をしたのか根掘り葉掘りと訊かれながら、随分と遠くのファミレスにやって来た。
そこは郊外のガストで、車から降りて看板を見上げながら「なんでここなんですか?」という表情を浮かべていると、先輩はぼそりと言った。
「ここな、出るよ。俺のお気に入り」
ファミレス自体人生で始めてという田舎者の僕は、それでさえ緊張しているというのに、出るって、出…… 出るんですか。
あらかじめ予約してあったとでもいうような足取りで、店員の案内も待たずに先輩は一つのテーブル席に向かった。僕も追いかけて、向かいに腰掛ける。
メニューを見るのもそこそこに、適当に注文した料理がやって来ると、箸を握った瞬間、先輩がこう言った。
「俺が合図したら俯けよ。足だけなら見えるはず」
こちらを向きもせず、スパゲッティをズルズルと啜りながら、その咀嚼の合間にだ。
247: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 04:57:00 ID:9gYoXiEfsA
そんなことを言われて飯が美味いはずがない。
これはなんの冗談なんだ。
もやもやした気分のまま、皿の上のライスをもさもさ食ってると、急に耳鳴りがした。
どこか目に見えない場所で歯車だらけの大きな機械が急に駆動を始めたような、そんな感覚。
出る。
自分の経験則に照らし合わせて、それが分かった。その空間の気圧が変わるように、あるいは磁場が変わるように、何か普通ではないものが現れる瞬間だった。
冷や汗が出始めて、箸を握る手が止ると先輩が言った。
「おい。俯けよ」
慌ててテーブルに目を落した。
その姿勢のまま動けず、しばらくじっとしてると、視線の右端、テーブルのすぐ脇を白い足がすーっと通り過ぎた。
まるで現実感がなかった。その足は床を踏んでいなかった。
248: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 05:00:00 ID:qQQzqfVdfw
いきなり肩を叩かれて我に返った。
「見たか?」
先輩が紙ナプキンで口元を拭きながらそう尋ねてくる。
僕が頷くと、
「今のが店員の足が一人分多いっていう このガストの怪談の出所。俺は足以外も全部見えるんだけどな。まあ、顔は見ない方が幸せだ」
そう言って平然と水の入ったコップに口をつける。
なんなんだ、この人は。
「早く食べろ。俺、嫌われてるから」
僕もかなり幽霊は見る方だと自認していたが、こいつはとんでもない人だと、この時はっきり分かった。
その後、僕が食べ終わるまでの間、白い足は僕らのテーブルの周りを三回往復した。
ガストを出たのちは、怪談話をしながら通ると必ず霧が出る山道だとか、先輩お気に入りの山寺巡りなどに連れまわされて、もはや自分がどこにいるのかさっぱり分からなくなっていた。
249: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 05:05:32 ID:9gYoXiEfsA
市内からは多分出ていたのだろう。
池だか沼だかが横に広がるあぜ道のようなところで、先輩は路肩に車を止めた。
辺りには明かりらしい明かりもなく、車のエンジンを切り、ライトを消すと周囲は静まり返っていた。
「あの」
しっ……
小さく指を口に当て、先輩はあぜ道の先に目を凝らす。何か見えるのだろうかと僕も
フロントガラスに顔を近づけるが、真っ暗な視界の先に消防の屯所かなにかの赤いランプだけが微かに瞬いているだけだった。
じっと息を潜めていると、夜の中に自分の身体が沈んでいくような錯覚をおぼえ、どうしようもなく不安な気持ちになった。
春とは言え、深夜には気温がかなり下がり、肌寒さに鳥肌が立っていた。
どれほどの時間が過ぎたのか、ふいに車のすぐ横を誰かが通り過ぎた。
人が。
いや、それははたして人だったのか。
暗闇の中を黒い影が行く。人相風体も定かではない。
僕は怯えて車の窓越しにじっとそれを見ている。
こんな時間に、出歩いていることだけが異様なのではなかった。
こんな時間にあぜ道に止まっている車が気持ち悪くないはずはない。なのにそれを避けようともせず、すぐ脇を通り過ぎながら、なおその車内を伺うでもなく、ただ目に映っていないかのようにその誰かはゆっくりとした足取りで真っ直ぐ去って行った。
遠ざかり、暗さに慣れた夜目にもその影が全く識別できなくなってから深く息を吐いて、僕は隣の先輩に声をかけた。
「あれは、なんですか」
250: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 05:09:45 ID:9gYoXiEfsA
先輩はハンドルに両手を覆い被せるように体重を預けたまま、少し眠そうに答える。
「さあ、なあ」
その口ぶりに違和感を覚え、僕は重ねて訊いた。
こんなところに車を止めてわざわざ待っていたのだから、あれがなんなのか知らないはずはない。そんなことを。
しかし先輩は予想だにしなかったことを言うのだった。
「霊道なんだよ、ここ」
え。
寒気がした。ずっと感じていた異様な感覚を言葉にされてしまったような。
「霊道って言葉はあんまり好きじゃないんだがな」
そう呟いたのに、しばらくたってからようやく僕は反応する。
「どうしてですか」
「道って言うと、往来って言葉があるように、行き来するものみたいじゃないか」
「それがどうしたんですか」
「見たことがないんだ」
そう言って先輩は、フロントガラス越しに黒く潰れたようなあぜ道の先をじっと見つめる。
「戻って来たやつを」
僕は息を止める。外にはなにかを告げる山鳥の声が遠く微かに響いている。
「ここだけじゃなくて、霊道って言われているどの場所でも。だから、道って気がしないんだ」
「だったら……」
なんですか。
そんな言葉が口の中で掠れた。
先輩は顔を動かさず、視線だけを僕に向けた。そして「穴だな」と言った。
穴。
落ちて行く、戻れない穴。
その言葉を聞いた瞬間、僕は僕が今いる場所から少しだけ自分が浮いているような錯覚に陥った。いきなり不安定な空間に放り込まれたような。
そこでは僕らが日常を生きる世界と、寸分たがわず、でもどこかがほんの少し違う、そんな異界と重なりあっている。僕らが道と認識している同じものが、穴のように口を開け、静かに人ではないなにかを飲み込んでいく。
そんな想像に身体を震わせ、助手席のシートに深く座り直す。
「最後のやつだけか」
ふいに先輩がそう訊いてきた。
最後の?
それを聞いた瞬間、僕は自分が思い違いをしていたことを知った。全身の鳥肌がさらに増した。
先輩はこう訊いたのだ。
見えたのは、最後に通ったやつだけか?
嘘だろ。
そう思って先輩を見据える。
しかし彼はふ、と鼻で笑うように言うのだった。
「まあ、いい」
先輩には見えていたのだろうか。
車を止めてからじっと息を潜めていた間、静まり返った暗闇の中、窓の外を通る無数の黒い影たちが。
僕が寒く、寂しいあぜ道としてしか感じていなかったその空間を、彼は……
251: 師事(再生) ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 05:12:04 ID:9gYoXiEfsA
朝日が山の端から射し込み始めたころに、僕はその奇妙なドライブからようやく解放された。
「じゃあな」
眠そうに、手を挙げきらないで左右に振る。ウインドウが閉まり、オイル交換をサボっているような白い煙を吐き出して、ボロ軽四が朝焼けの中へ走り去って行った。
それ以来僕はその先輩を師匠と仰ぐことになったのだった。
奇妙なもの、恐ろしいもの、気持ちの悪いもの、悲しいもの。
そのどれも、僕らの日常のほんの少し隣にあった。
「じゃあ、行こうか」
彼が僕を振り返り、そう言うとき、日常のほんの少し隣へと通じる扉が開く。
人生で一度しかない僕の大学生活のすべてが、そんなもので彩られていった。
それは、彼の失踪まで続くのだ。
252: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/2/26(日) 05:13:55 ID:9gYoXiEfsA
今夜は、以上です 【了】
253: 風の谷の名無しか:2017/3/1(水) 11:47:35 ID:crCuSTTIzw
更新ありがとうございます、お疲れさまです
254: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/3/2(木) 11:36:51 ID:sga91xbolw
お読み頂き有難うございますm(__)m
また今日にでも次の話を投稿しますので、お楽しみ頂けましたら幸いに存じます
255: 窓の向こう(異聞) ◆LaKVRye0d.:2017/3/2(木) 14:04:41 ID:OzMS.RB7HM
『窓の向こう(異聞)』
同人誌『師匠シリーズの4』に載せたお話です。誰かの過去です。あと、私ごとですが、昨日うちの猫が死にました。学生時代から一緒に暮していた猫でした。癌と告知されてから1年半。二日に一度大嫌いな病院に連れて行かれるのを察知するようになり、ちょうど予約時間になると家のどこかに隠れるようになっていました。隠れ場所もどんどんと凝ったものになり、家族が家中を本気で探しても見つからず、予約をキャンセルする羽目になったことが何度もありました。机の裏。本棚の隙間。紙袋の中…… 今もどこかに隠れているような気がします。なにしろかくれんぼの天才だったので。生きている姿をビデオに納めておこうと、初めてビデオカメラをネットで注文していましたが、間に合いませんでした。今夜とどいたダンボール箱を開けて、今カメラを手にしています。さて。なにを撮ろうか。
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