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師匠シリーズ《続》
[8] -25 -50 

1: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/1/24(火) 20:30:02 ID:1lmoPahM2s

ここでは、まとめの怖い系に掲載されている『師匠シリーズ』の続きの連載や、古い作品でも、抜けやpixivにしか掲載されていない等の理由でまとめられていない話を掲載して行きます

ウニさん・龍さん両氏の許可は得ています

★お願い★

(1)話の途中で感想等が挟まると非常に読み難くなるので、1話1話が終わる迄、書き込みはご遠慮下さい
(代わりに各話が終わる毎に【了】の表示をし、次の話を投下する迄、しばらく間を空けます)

(2)本文はageで書きますが、感想等の書き込みはsageでお願いします

それでは皆さん、ぞわぞわしつつ、深淵を覗いて深淵からも覗かれましょう!!





185: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:53:30 ID:niLTnM81LA




そんなことがあってからしばらく後、師匠は今度は読唇術に凝り始めた。
僕はさっそく部屋に呼び出され、その練習相手を無理やりさせられていた。
「ほんじつは……せいてんなり?」
パクパクパク。
「かーる……るいす」
パクパクパク。
「がーたー……べると」
パクパクパク。
「とむ……と……しぇりー」
座って口パクをする僕の唇の動きだけを見てなにを言っているのか当てるのだそうだ。
それが正解なら僕は黙って頷くことになっている。外れなら左右だ。
師匠の手元にはどこで手に入れたのか、読唇術のハウツー本が握られている。
「おっ……ぱい?」
正解。
師匠はそこでちょっとタイムとばかり、両手を頭上でクロスさせた。
「なあ、さっきからなんか、ところどころエロい言葉を言わせようとしてないか」
ぶんぶんと頭を振る。
疑わしそうな目で睨みながら師匠は膝を付き合わせた姿勢に戻る。
「なんでも良いから喋るフリしろ、とか言われても逆になにを言って良いのか分かんなくなるんですよ」
抗議をすると、師匠は少し考え込み、やがて「じゃあ、プロ野球選手の名前縛りで行こう」と言った。
僕は真剣な表情でこちらを凝視してくる師匠のプレッシャーを感じながらゆっくりと口を動かす。
パクパクパク。
「くわた……ますみ」
パクパクパク。
「あいこう……たけし?」
パクパクパク。
「お……な……」
そこまで言いかけて、師匠はいきなり僕の左頬に平手打ちをかました。
「い、痛い」
びっくりして思わず喋ってしまった。
「いい加減にしろ、このボケ」
怒鳴りつけられた。
「オマリーって言っただけですよ。オマリー。阪神の」
「うそだ。絶対うそだ」
「うそじゃないです」
実はうそだった。
しばらく言い争ったが、白けてしまったのか、師匠はハウツー本を投げ出して立ち上がった。


186: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:56:41 ID:ki46t9YtMY

そして洗面所でジャージに着替えてきたかと思うと「走ってくる」と言う。
その手には何故かランプが握られている。手に提げるタイプの古色蒼然としたオイルランプだ。
吊り下げられたガラス瓶の中に灯は入っていない。
これも、師匠がこのところ日課にしている奇妙なランニングだった。
陽が落ちてからこの明かりのないランプを手に街中を走り回るのだ。
スッと師匠が取っ手を目の高さに掲げる。そして丸く膨らんだガラスの中の空洞を見つめる。
ガラス越しにその口元が歪むように笑う。僕はその様子を見てゾクリとする。
「じゃあ行ってくる」
そうしてドアから出て行く後ろ姿を見送った。
これから師匠は夜の街を、明かりのないランプを掲げて走る。人工の光で満ち、ほの白い陽炎で覆われたような夜を、そのランプで照らして行く。
何もない空のランプで。
何もないがゆえにそこから湧き出てくる、底知れない闇で、まがい物のような夜を照らすのだ。
そして走りながら呪文のようにこう繰り返す。
「幽霊はいないか」「幽霊はいないか」
…………
強烈な挑発だ。
かつて古代ギリシャの『樽の中の賢人』ディオゲネスは、太陽の出ている昼間にランプに灯をともし、人で溢れるアテネの街を練り歩いたという。
一体なにをしているのかと問われた彼はこう答えた。
『人間を探しているのだ』
彼は哲学者だったが、狂人ではなかった。
真に『人間』と呼ぶに値する人物がこの街にいるのか、という彼一流の痛烈な皮肉である。
その故事にちなんだ師匠の最悪の趣味がこれだ。彼女が馬鹿にし、けなし、挑発しているのは、この街に彷徨うすべての死者だった。
さすがにこの悪意に満ちたランニングのことを知った時には僕も鼻白んだが、あまりに執拗に繰り返しているので、何か裏の意味があるのではないかと思うようになっていた。
実際にそのランニング中の師匠の表情はどこか緊張を帯びたような様子だった。
幽霊はいないか。
一人になった部屋でそう呟くと、もの寂しさと同時に背筋になにか冷たいものがゆっくりと這い上がってくるのを感じた。
なにをするともなく待っていると小一時間ほど経ってからドアノブを誰かが掴んだ音がする。
「戻った」


187: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 01:58:44 ID:ki46t9YtMY

汗を湯気のようにまとって師匠が部屋に入ってくる。
同時に、その師匠が潜ってくるドアの外側の上部に、逆さになってこちらを覗き込んでいる顔があった。まるで二階の部屋から逆さにぶら下がっているかのような格好だ。
しかし現代の長屋とでも言うべきこのアパートには二階などない。三十代だか四十代だかの痩せこけた男の首だけが無表情にこちらを見ている。
奇妙なことに髪の毛は重力の方向に逆立っていない。なんとも言い難い嫌悪感とともに、一瞬、そういう絵がそこにあるような錯覚をおぼえた。
僕の視線に気づいた師匠が振り返る。
そしてその逆さまの男の顔を見上げたかと思うと、近くにあった箒を手に取り「しっしっ」と言いながら鼻先を払った。
顔は無表情のまま引っ込み、師匠はすぐにドアを閉じる。
「あー、疲れた」そう言ってランプを転がして、部屋の真ん中で仰向けに寝転がる。
僕はさっきまでそこにあった男の顔が頭から離れず、ドアの上部を恐る恐る見つめている。
師匠の悪趣味な挑発に対してどこからかついてきたのだろうか。
「どうした」
「さっきの首は……」
「雑魚だ。ほっとけ」
平然とそう言う。
しかしその次の瞬間、ドアノブが外から誰かに捻られた音がした。さっきの現実感のない絵のような存在とは明らかに違う、なにか恐ろしいものの気配。ドアが小刻みに揺さぶられたかと思うと、「ギッ」と音を立てて開きかける。
ざわっとした嫌な感じが体幹を駆ける。まずい。直感でそう思った。
師匠が跳ね起きた。
「どけ」
前にいた僕を弾き飛ばし、信じられないことにそのままの勢いでドアにドロップキックを敢行した。
凄い音がして、ドアが外側に弾ける。
ということは、やはりドアが開きかけていたのは間違いない。玄関口に転がった師匠は、その場を動けないでいる僕を尻目にすぐさま立ち上がると、さっきと同じ箒を手に持って「しっしっ」と部屋の外に向かって払う仕草をした。
しかし開いたドアの外には何も見えず、箒を持ったまま「ん?」と首を傾げて突き出そうとする。僕もその後ろから、部屋の外を覗き見ようとした。
いる。街灯のわずかな光に照らされて、なにかがいる。
アパートの敷地から立ち去ろうとする影。人ではなかった。それはすぐに分かった。


188: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 02:01:24 ID:niLTnM81LA

それは頭部があきらかに普通の大きさではなかったのだ。大きいのではない。逆に小さい。小さすぎた。
顎の上部あたりから先が、まるで切り取られたように、ない。後ろ姿からは、丁度うなじのすぐ上が何もない空間になっていた。
そんな状態で生きていられるわけがない。しかしその人影は、ふらふらとした足取りで去って行ったのだった。
師匠はその光景を見つめながら、おお、という感嘆符を残し、しばらくたたずんでいたが、ふいに僕の方を振り返ってこう言った。
「今のは、かなりやばいやつだな」
「最初の首だけ見えてたのとは別ですか」
「別だ。おまえ、見ただけで雑魚とああいうやばいのとの区別がつかないと危ないぞ」
危ないのか。しかしそれをわざわざ招いているのは師匠ではないのか。
招いている?
「もしかして、あのディオゲネスごっこは……」
そうだ。
師匠は頷いた。
「霊道を作ってんだよ」
そんなもの作るなよ!
そう突っ込もうとしたが、ゾクゾクとした寒気が背中を走り抜けた。その中に歓喜に似たものが入り混じっているような気がした。
街中の死者の霊を冒涜し、挑発して追って来させているのだ。その意味を知り、反応した連中が同じ道をたどり、やって来る。
ディオゲネスごっこに出くわさなかったやつも、他の霊が進む方向に惹かれて何も知らずにやって来る。この部屋にだ。
「なんでそんなこと」
「なんでって。見たいだろ」
「なにを」
「なんか、すごいやつ」
あっさりそう答えた。探して見に行く手間が省けるじゃないか、という顔だ。
呆れてしまって、思わず乾いた笑いが漏れた。


189: 趣味の話 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 02:04:16 ID:niLTnM81LA

「大丈夫なんですか」
そんなすごいやつを毎回箒で撃退するつもりなのか。
そう問うと、師匠はニヤリとしてこう答えた。
「会いたいやつは、たぶんそんな撃退するとかいうレベルじゃないやつなんだがな。でも全然来ないぞ」
その口ぶりは、なにか特定の存在を指しているようだった。
「どんなやつですか」
思わず生唾を飲み込みながら訊ねる。
師匠はドアを閉め、部屋の中に戻った。そうしてこちらに向き直りながら畳の上に胡坐をかいて両膝の上に手を乗せる。
「最近な、街に変な幽霊がいるだろ」
「変って、どんなのですか」
「手がないやつとか、腰のあたりが千切れてるやつとかだよ」
思い浮かべるが、そんなのを見ただろうか。
「さっきのやつみたいに、頭がないのもいる」師匠はそう言って嬉しそうに笑う。
ひとしきり笑った後で、身を乗り出して言った。
「食われてんだよ」
く…… 食われてるって。
絶句する。
「こないだ、駅の近くの郵便ポストの前ですごいのを見たぞ。足首だけの幽霊を。両足の脛のあたりから下しかないんだ。そんなのがずっとそこにいるんだよ。ほとんど意思も感じない。あれじゃあ個を保てないだろうから、じきに消えるだろうな」
手のひらを床にかざして、このくらい、と足だけの幽霊の様子を示す。
師匠は、この街の幽霊がなにかに食われているというのだ。
胸が嫌な高鳴り方をしている。
僕は想像してしまっている。今この瞬間にもなにか得体の知れない存在が、この部屋の屋根をかぱりと開けて、中にいる僕らをつまみあげ、大きな口に放り込んでしまうのを。あるいは、小さな蟻のようなものがどこからともなく現れ、僕の顔に群がったかと思うと、一瞬でそこだけ白骨化してしまうのを。
そんな荒唐無稽なイメージが次々と脳裏をよぎる。
「なにかがいるんだ」
そうひとりごちて、彼女は視線を床に落とし、考え込むような顔で沈黙した。


190: 1 ◆LaKVRye0d.:2017/2/19(日) 02:05:42 ID:ki46t9YtMY

今夜は、以上です。【了】


191: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:30:50 ID:pIgPmzpxL2

『桜雨』 前編

大学一回生の冬だった。
駅の構内で甘栗を売るバイトをしていた俺は、鼻唄をうたいながら割れ栗を見つけては廃棄廃棄と呟きつつしゃがんで口に放り込む、ということを繰り返していた。
甘栗にはシーズンがあり、中国から新栗が入荷されてくる秋から冬にかけて、それまでの古い栗から味がガラリと変わり、甘みが俄然強くなる。これが美味い。実に美味い。
駅の裏で甘栗を焼く仕事もしていたので、皮が弾けて黒い石が入り込んだ割れ栗を廃棄するという名目のもと、人の目もないテントの下で片っ端から食べまくってもいた。
しかしそれだけ食べても太る気配がなかった。立ち仕事をしているから、というのもあるが、一番の要因は『お通じ』ではないかと思っている。栗に含まれている食物繊維がそうさせるのか、とにかく快便なのだ。
そんな甘栗ライフなバイト中の俺は、売り場のハコの中から知っている人が通り過ぎるのを見かけた。
京介さんというオカルト好きのネット仲間だ。
「バイト帰りですか」と声をかけるとこちらに気づいて振り向いた。ダッフルコートに、赤いマフラーをしている。
京介というハンドルネームながられっきとした女性であったので、甘栗や焼き芋のごときものは好きに決まっている。
「新栗ですよ」とにこやかに言うとノコノコと近づいてくるではないか。ふふふ。
だが買わせようという腹ではない。
最近京介さんの家に遊びに行くたびに、洗面台のところにある体重計の針を少しずつ進めるというイタズラを敢行していたのだが、それがバレてブッ飛ばされたばかりだった。
その間、会うたびに心なしかげっそりとしていった様子を見ていた俺は、彼女もそれなりにウエイトを気にしているのだと知ったのだった。
であるので、お詫びも兼ねて甘栗をおすそ分けしようと思ったのだ。しかしさすがに売り物は配送量で管理されていたので大量に人にあげるとバレてしまう。
「少し時間ありますか。もうすぐバイトあがるんで」
目配せで俺の意図を読み取ったのか、京介さんは素直にうなずいて、すぐそばで行われていた催事を物色し始める。
それから十分ほどして定時となったので店を片付け、売り上げをJRの社員に確認してもらっていると、すぐ目の前で「松尾先生!」という京介さんの声が聞えた。
これから改札に入ろうとする人の中に知った顔を見つけたらしい。いつもは淡々としているその声が、どこか踊るようなリズムを帯びている気がして意外な感じだった。
先生と呼んだ人と、そのまま立ち話を始めたようだが、俺はもう店長のところへ行かなければならない。
その場を立ち去りながら、京介さんのようなかつての不良娘が学校の先生と親しげに喋っているのが不思議でならなかった。卒業後には軋轢も懐かしい思い出に変わるということか。


192: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:32:57 ID:HMJYUJcabU

店長に今日の報告をした後で、新栗をお世話になっている人にあげたいと言うと、大量に袋につめてくれた。もちろんタダだ。見た目は小男だが、なかなか太っ腹な人だった。
それを持って駅の地下に戻ると、ちょうど京介さんが改札をくぐる『先生』に手を振っているところだった。
「栗です。あまったんで、どうぞ」
近寄って手渡すと、「ありがとう」と受け取りながら、ずっと改札の方を見ている。
俺もその後ろ姿が人の波に消えていくところを見つめる。
「中学か、高校の時の先生ですか」
「ああ。高校の時の担任だ。松尾先生。私たちはザビエルって呼んでたけど」
京介さんは懐かしそうに目を細める。
「久しぶりだったけど、変わってないな」
京介さんは高校の授業などサボってばかりだったはずなので、その当時の担任ならどう考えても衝突をしていたはずだ。
訊いてみると、やはりそのザビエルは学校生活の敵であり、よく怒鳴られたのだそうだ。そのころのことを思い出してだんだん腹が立ってきたのか、憎々しげに腕組みをした。手に提げた甘栗の袋がガサリと音を立てる。
「ザビエルって、面白いあだ名ですね」
俺がそう言うと、京介さんはふっ、とやわらかな表情になり、「そうだな」と口を開いた。
そうしてゆっくりと思い出を紡ぐように語り始めたのだった。


193: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:34:20 ID:HMJYUJcabU



京介さんから聞いた話だ。


桜が咲いていた。
踏みしめた土の感触。足の裏に感じる柔らかな弾力が、凍てついた冬が去って行ったことを告げている気がする。
家の近くの川沿いに並木があり、それがなんの木なのかいつもは意識することはないのだが、肌寒さが薄れ、吹き付ける風の中にもなにか柔らかいものが通ったある日、気がつくとその枝の先に白い花が咲いていた。
立ち止まって見上げていると、なんとも言えない気持ちになる。どうして桜だけが特別なのだろう。春という、別れと出会い、そして終わりと始まりの節目の時期に咲く花だからだろうか。
白の中に数滴の血を混ぜたような、見る人を落ち着かなくさせる、ほのかな色をしているからだろうか。
私は寒いのは嫌いだ。
寒いくらいなら暑い方が良い。十一月ごろに感じる肌寒さは、これから否応なしに日々寒さが増していく死刑宣告のように感じられて、救いのない気持ちになる。
でもそれは実際には死刑宣告ではなく、懲役刑であって、その刑期がついに明ける日がやってきたのだった。
もちろん、肌触りが変わったとは言っても、今日の寒さもまだまだ私には辛い。
それでも、桜が咲いているというそれだけで、なにもかも許して生きていける気がする。


194: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:37:04 ID:pIgPmzpxL2

中学校を卒業して、地元の女子高に入学したばかりのころだ。
着ている制服が変わっただけで、中身はなにも変わっていないはずなのに、周囲に求められるものは随分変わってしまった。
親からは「もう高校生なんだから、しっかりしなさい」という小言を聞かされることが増え、学校からは「高校生の自覚」という、よく分からないものを持てと言われる。
くだらない。
そう思う一方で、なにか自分でも変えていきたいという意識が確かにあったのだと思う。
私は高校生になったことを期に、タバコの本数を減らすことを密かに心に誓った。さっそく校舎の裏に、人気のない絶好のスポットを見つけた時も、本数は控え目にしたのだ。
気分が良かった。
友だちも出来た。ヨーコという、よく喋る元気な子だ。その元気の良さと行動力に振り回されているというのが本当のところだけれど、悪い気分ではなかった。
そうして、私の高校生としての日々がゆっくりと進み始めたある日、下校途中に校門から出たばかりのあたりで大きな囃したてるような声が聞こえて、思わず顔を上げた。
「あ〜、ザビエルがコレと歩いてる〜」
私のすぐそばにいた二人組の女子生徒が指を立てながら、ちゃかしたように歓声を上げている。上級生のようだった。
その視線の先を見ると、見覚えのあるハゲ頭が目に入った。
「教師に向かって、からかうようなことを言うんじゃない」
そんなことを捲し立てながら、ハゲ頭は怒ってこちらにやってこようとした。
二人組はさほど慌てた風もなく、わざとらしく「キャー」と言いながら、校舎のほうへ逃げ戻って行った。
ハゲ頭は「まったくあいつらは」と吐き捨てるように呟いたあと、連れの女性にヘコヘコと頭を下げた。
「すみませんね、野田先生」
女性の方はいいえと言いながら笑っていた。
美女と野獣だと、私は思った。
はた目にもつり合いが取れていないし、現に相手にされていないように見えた。その卑屈な態度も逆効果だと気付かないのだろうか。
遠くないであろうその失恋を思うと少しかわいそうになった。


195: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:39:13 ID:HMJYUJcabU

ザビエルは私のクラスの担任だった。
もちろんあだ名だが、この『先生のあだ名』というやつは先輩から後輩へと代々受け継がれるもののようだ。
一度その学校へ赴任すれば、最初につけられたあだ名がずっとついて回るらしい。
ザビエルも、最初からザビエルだった。
部活の先輩がそう呼んでいるのを聞いたクラスメートが広めて、三日目には完全にクラスに定着してしまった。
ザビエル自身もそう呼ばれていることは知っているし、諦観というのか、面と向かって呼ばれでもしない限り、いちいち取り締まろうという気はないようだった。
私はこのザビエルには少々含むところがある。
高校生になって最初の土曜日に、私はヨーコと二人で繁華街をぶらついていたのだが、いきなり後ろから声をかけられた。
振り返るとザビエルがいて、「こんなところでフラフラするんじゃない」とか、「街には誘惑が多いから」とか、そういうくだらない説教をはじめた。
生徒指導の担当でもないくせに、たまたま街で出会った私服の生徒を、どうして目の敵にするのだろう。
別になにか悪さをしようというわけでもないのに。少なくとも私の善悪感においてはだ。
むしろそっちこそなにかやましいことがあって、その照れ隠しなんじゃないかと勘ぐってしまう。
勘ぐっただけではなく、ヨーコはそれを口にしたので、説教が長くなってしまった。
そんなこともあって、ザビエルは私の敵だった。タバコも学校では相当に気をつけて吸わないといけなかった。
しかし、あとで分かったのだが、ザビエルは偶然街にいたのではなく、いつも繁華街を警戒して歩いているらしい。
そういう担当でもないのに、自発的に生徒の非行を未然に防ごうという、実に素晴らしい教師としての自覚、そして行動だった。
こういう一方的な善意が一番迷惑だ。
一度平日にホテルから出るところで出くわして心臓が止まりそうになったことがあった。こちらが先に見つけたので、すぐに身を隠して事なきを得たが、こんなところまで張っているとは、本当に気が抜けない「センコー」だった。


196: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:41:21 ID:HMJYUJcabU

私の学校は街なかにあり、その近くの公園にホームレスが一人住み着いていた。
みんなからはヒロさんと呼ばれていた。
わずかな遊具がちらばる公園の一番隅に段ボールで陣地を張って生活していた。
登下校の際に街を抜けるルートを取ると、必ずその公園の前を通るのだが、はじめはこういう生活をしている人自体が珍しくてしげしげと見ていて、やがてそのヒロさんのキャラクターに惹かれるようになった。
テレビで見る都会のホームレスたちは、独自の世界、そしてテリトリーを作っていて、自分たち以外の社会と目に見えない壁を形成しているように思える。どちら側から作った壁なのかは分からないが、それを越えてくるものには警戒し、必要がなければその壁の向こうの世界は、「ない」ものとして視線も向けない。少なくとも私にはそう感じられた。
しかしこのヒロさんは、いつも公園の前を通る人に挨拶をするのだ。
明るい声で「おはようございます」と。
私も初めて声をかけられたときは、人の生活空間をじろじろ見ていたという罪悪感で、返事ができなかった。
ただヒロさんの方には嫌味や悪意がないのはすぐ分かった。いつもにこにこしていて、その前歯が欠けた顔を見ていると、こちらまでつられて笑ってしまう。
ただ、昼でも夜でもその「おはようございます」という挨拶が変わらないので、「おや?」と思った。
そして、気がついてそういうフィルターを通して見ると、納得した。
ヒロさんには知的障害があった。
「おはようございます」だけは言い慣れているせいか流暢なのだが、それ以外の言葉を喋ろうとするとひどくどもった。吃音症と言うのか。
たまに他の人から話しかけられると、「うん、うん」と言ってにこにこするだけで、どこまで理解しているのかよく分からない。
都会と違って、そうした人を対象にした日雇い仕事や炊き出しなどもないはずだった。
空き瓶を拾って歩いているのを見たことはあったが、それだけで食べていけるのだろうか。
出来あいの弁当を食べているのを見たことがあるので、近所のコンビニやスーパーから残り物を分けてもらっているのかも知れない。
しかし私がこの不思議と追い出されることのない奇妙な公園の住人に惹かれた本当の理由は、彼の右手にあった。


197: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:44:35 ID:HMJYUJcabU

ヒロさんはいつも右の手のひらを握りしめている。拳骨を作っているというよりも、何かを握りこんでいるような格好だった。
最初は何を持っているのだろうと不思議に思っただけだったが、やがていつ見ても同じように握っていることに気がついた。
「おはようございます」と挨拶をする時も、空き瓶を拾って歩いている時も、弁当を食べている時も、公園の手洗い場で顔を洗っている時も、いつもその右手はグーの形に握ったままだった。
指や手のひらがまったく使えないから、ほとんど右手は役に立たない。左手で何かをする時に、添えるくらいだ。
拾ってきたものをボロボロの布袋に詰め込もうとしている時に、右手が使えないせいでなかなか上手くいかず、見ているこっちがもどかしくなった。
昔読んだ野口英世の伝記からのイメージで、火傷かなにかのせいで指が張り付いて治らないのだろうかとも思ったが、その指の血色の良さからすると、どうも違うようだった。
「あー、それ、知ってるよ」
真相を教えてくれたのはヨーコだった。
「うち、お母さんもこの学校の卒業生なんだけど、そのころからいたらしいよ」
母親から聞かされたというのはこんな話だった。
ヒロさんは昔、幸せの妖精を捕まえたのだそうだ。その右手で。手のひらを開けると妖精は逃げてしまうので、逃げてしまわないようにいつも右手は握ったまま。
朝、昼、晩、起きている時も、寝ている時も、いつもいつでも。
「だってさ。いや、噂じゃなくて、ホントに本人がそう言ってたの聞いたんだって。うちのお母さん」
幸せの妖精か。
私はそれを聞いて、心のどこかに針が刺さったような痛みを覚えた。
ヒロさんは、その幸せの妖精を逃がさないようにずっと手を握りしめているのか。そのせいで、きっと仕事もできなくなっただろう。ホームレスをしていく上でも、具合の悪いことばかりあったに違いない。
それが幸せな人生なのだろうか。
「バカよ、バカ。でもロマンティックね。幸せの妖精をつかまえたホームレス!」
ヨーコは空に手をかざして、太陽をつかもうとする仕草をした。


198: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:46:07 ID:pIgPmzpxL2

私は以前読んだ星新一のショートショートを思い出していた。
見知らぬ鍵を拾った男が、その鍵で開けることのできる扉を探して人生を送る話だ。
まだ見ぬその扉の向こうを夢見ながら。
扉が見つからないまま、やがて年老いた彼はついにその鍵に合う扉を自ら作った。
そして開かれた扉からは女神が現れ、望みをかなえてあげようと言う。
彼は答える。「老人に必要なものは思い出だけだ。そしてそれは持っている」と。
いつかその鍵で扉を開けることを夢見て生きてきたその人生そのものが、他の何にも替えがたい大切なものだったということか。
美談だと思う。しかしヒロさんの場合はどうだろうか。
ヒロさんが、拾った大量の雑誌を道端でぶちまけてしまったのを見たことがある。左手だけで不器用に一冊一冊拾っていたその小さな後ろ姿を思い出して、少し哀しくなった。

四月も半ばを過ぎた。
新しい集団生活に最初は硬かったクラスメートたちも少しずつ打ち解けてきたようだ。
もちろん私には関係のない話だ。私は気の置けない友人が一人いればそれでいい。
そんな私とは違い、ヨーコは充分に社交的で、今後クラスの中心になっていきそうな垢抜けたグル―プの子とも普通におしゃべりをしていた。
しかし私の性格を見抜いたのか、そのグループに無理やり私を繋ごうとはせず、放課後には「いっしょに帰ろ」と私の所へ一人でやって来るのだ。
変わらないでいいよ。
そう言われているような気がした。


199: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:49:09 ID:HMJYUJcabU

並んで歩きながら一方的に喋るヨーコの声を、どこか心地良く聴きながら、私も変われるだろうかと、そんなことを思っていた。
そのヨーコが「今日は用事があるから」と先に帰ってしまった日、私は一人で学校からの帰り道を歩いていた。公園の前を通りがかった時、数人の男の声が聞えてきた。
公園の中に他校の制服を着た数人の男子学生がたむろしていて、下品な笑い声を上げている。たまにこの辺りでだべっているのを見かける連中だ。いわゆる不良グループなのだろう。髪か、柄Tか、ピアスか。示し合わせたかのように全員なにかしらの校則違反をしている。
わざわざ我が女子高の近くでたむろするのは、それに不純異性交遊を加えたいからだろうが、現にうちの生徒らしい女子がそこに混ざっているのを何度か見かけたことがある。揃ってタバコを吸っていた。仲の良いことだ。私もタバコは吸うが、その時間は誰にも邪魔はされたくない。
ようするに彼らにとってタバコを吸うという行為は、それ自体が目的なのではなく仲間を作り、そしてそれを維持するためのイニシエーションなのだろう。
なんにせよ私には関係のないことだ。
その時も、横目で眺めただけで通り過ぎようとした。
だが、彼らが公園の奥の段ボールハウスからヒロさんを引きずり出そうとしているのが目に入り、思わず足を止めた。
「センパイ、センパイ。人生についてちょっと教えてくださいよ」などとからかいながら、ヒロさんの家を足蹴にしていた。ヒロさんはうーうー、と呻きながら両手を合わせて許しを請うような仕草をしていたが、右手は例のごとく拳を握ったままなので奇妙な格好になってしまっていた。それを見てまた彼らは喜んで囃し立てる。
「おい、オッサン。それ、なんだよ」「立会い前の構えかよ」「ショーリンジ、ショーリンジじゃね?」「すげー。やる気満々」
そうして一人がヒロさんを小突いた。ひょー、という頭の悪そうな歓声が上がる。


200: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:51:27 ID:pIgPmzpxL2

私は公園に足を踏み入れた。
「ねえ。やめたら」
不良たちは揃って私を見る。
「はあ?」
一人が顔を突き出しながら一歩前に出る。一際頭の悪そうなやつだ。
しまった。なんで首突っ込んでんだろ。
思わず周囲を見回すが武器になりそうなものはない。棒切れでもあれば三、四人ならなんとかなるんだが…… すでに後悔し始めている。
なにか下品なことを言いながら、男が顔を近づける。私は緊張していて、意味が頭に入らない。
ヨーコならこんな時どうするだろうか。ふとそんなことが浮かんだ。
きっと痴漢だ、痴漢だと大きな声で叫ぶだろう。そして近所の家から顔を覗かせた人に、助けてと手を振るのだ。
無理だな。私には。
役にも立たない結論が出たところで、目の前の男たちがヘラヘラ笑いながら地面に唾を吐いて私の横を通り過ぎて行った。
助かった。そう思うとホッとして膝の力が抜けた。彼らはそのまま公園を出て行ったようだ。
ヘタに口答えなどしなかったから良かったのだろうか。何を言われたのか良く覚えていないのだが。
そうだ。ヒロさんは?
前を見ると、草むらに蹴飛ばされていた数少ない家具である鍋を、小さな身体を折り曲げて拾っていた。
「大丈夫?」
「うんうん」
私の言葉に振り向いて照れくさそうに頷いている。いつも公園を通りがかるたびに『おはようございます』と挨拶をしてくれているが、私のことは覚えてくれているのだろうか。
近くのベンチに腰掛け、ポケットから煙草を取り出す。「ヒロさん、吸う?」
私の申し出に、目を丸くして左手を左右に振った。どうやら元々吸わないらしい。勝手なイメージで、ホームレスの人たちはみんなタバコと酒が唯一の生きがいみたいになっているものだと思っていたのだが。
公園の手洗い場で鍋を洗い始めたヒロさんの小さな背中を見ながら、咥えたタバコに火をつける。


201: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:53:44 ID:pIgPmzpxL2

「ヒロさん。それ、右手、なにを握ってるの」
口にしてから気づいた。さっきの不良どもと同じようなことを言っている。そんなつもりはないのだが。
慌てて、別に嫌だったら答えなくていいよ、と付け足した。
するとヒロさんはニッコリ笑うと、大事なものだ、というようなことを言った。
「幸せの妖精?」
うんうん。
前歯の欠けた顔で笑う。
ヨーコの言っていたとおりだ。ヒロさんは、ずっと昔につかまえた幸せの妖精を逃がさないためにその右手をいつも握り締めているのだ。
「ねえヒロさん」
祖父くらいの歳のその公園の住人に、いったいなにを言おうとしたのか。高校に上がったばかりの小娘が、訳知り顔で他人の生き方を否定するようなことを?
私は口をつぐみ、自分の手のひらを見つめる。ヒロさんは不思議そうにしている。
ふとこんな話を思い出した。
妖精が現れることで有名なある村を訪れた人が、村人にこう訊ねた。
『あなたは妖精を信じますか』
村人は『いいや、信じない』と答えた。
さらに彼は出会った村人に次々と同じ問い掛けをしたが、みんな同じように『信じない』と答えた。
不思議に思った彼は、最後に出会った村人にこう訊いた。『この村には本当に妖精が現れるのだという噂を聞いて訪ねて来たのですが、あなたがたはみんな妖精を信じないと言う。これはいったいどういうことでしょう』
村人は答えた。
『あたりまえさ。このあたりの妖精はみんなひどい嘘つきなんだ。誰が信じるものか』
……そんな話だ。
信じる、という言葉がダブルミーニングになっているジョークだ。
新調したばかりらしい綺麗な段ボールハウスは朝方に降った雨でもう湿ってしまっている。
幸せの妖精か。ヒロさんがつかまえたのが、本当にそうであればいい。
そう願わずにはいられなかった。


202: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:55:41 ID:HMJYUJcabU

「小学生みたいなことを」
帰りのホームルームの時間にザビエルはぼそりと言って黒板消しを掴んだ。
黒板の隅に傘の絵があり、その下に『松尾・野田』という名前が書いてある。さっきザビエルが教室に入ってくる前にあの辺でたむろしていた連中の誰かが書いたのだろう。
いい加減、からかわれている方が飽きてしまったのか、最近は反応が鈍い。溜め息をつくだけで、犯人を探そうともせず、サッサと消してしまった。何ごともなかったかのように連絡事項を伝えて、日直に合図をする。
起立、礼、着席、の号令の後で「ああ、それから、山中はこのあと職員室に来なさい」と付け加えた。
なんだ。もうタバコがばれたのか。
私は少し緊張した。
「ちひろちゃん、大丈夫?」
ヨーコが近寄ってきた。「大丈夫、大丈夫」気楽に手を振るが内心はそうでもなかった。するとヨーコは心配そうに余計なことを教えてくれた。
ザビエルが、ある特殊な性癖を持っている、という噂である。ようするに女子高生が好きらしい、というのだ。
「ふ」
鼻で笑ってしまった。
ザビエルは元々バレーボールをやっていて、国体にも出たことがあるような選手だったのだが、この高校のバレー部の顧問には、すでに大先輩にあたる教師が居座っていた。教師は必ず一つは部活の顧問を割り当てられるようになっているので、ザビエルはしぶしぶ新聞部の顧問を受け持っているが、ほとんど放し飼い状態で全然部室にも顔を出さないらしい。
ヨーコいわく、合法的に女子生徒と肉体的接触ができるバレー部には今でもこだわりがあり、今の顧問のヒヒジジイを蹴落とす策を練っているとのことだった。また暇な分、生徒指導の担当のごとく、街を徘徊して我が校の生徒の弱みを握ろうと精力的に活動している……
まことしやかにそう教えてくれた。
弱みか。
タバコがばれたとして、即座に停学をくらうのと、なんらかの取り引きを吹っかけてくるのと、どちらがマシだろうか。
私はヨーコの頭を撫でてやり、職員室に向かった。放課後の職員室は、まだ教師たちが机に大勢残っていた。ちらほらと生徒の姿も見え、ざわざわした雰囲気に包まれている。


203: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 04:59:02 ID:HMJYUJcabU

「お、山中。こっちだ」
ザビエルが手招きしている席へ向かうと、「あー、なんだ。ちょっとこっちへ」と歯切れ悪く立ち上がり、奥に設えられた応接室へ連れて行かれた。
いよいよまずいな。先を歩く背中を見ながらそう思った。
テーブルの前に座ると、ザビエルは溜め息をついて口を開く。
「見たぞ」
動揺する。が、それをなるべく気取られないように平静を装った。なにを見たのか分からないが、ただのカマかけの可能性もある。
「なんのことですか」
「こないだ、街で」
じっと試すように私の顔を見る。
街? 校内で吸っているタバコのことではないのだろうか。
「その…… そういうホテルが並んでいるところでお前の姿をだ」
「なんのことか分かりません。家に帰る近道にそういう通りがありますけど」
焦る。このあいだホテルから出るときに先にザビエルを見つけて隠れた時があったが、あの時向こうにも気づかれていたのだろうか。
「…………」
真正面から目の奥を見つめられる。逸らしたら負けだ。睨まないように、しかし思い切り目に力を入れて見つめ返した。
しばらくそのままの格好で二人とも動かなかったが、やがてザビエルの方が根負けしたように息を吐くと「分かった」と言った。
「あの辺は治安が悪い。通らないようにしなさい。変な連中に声をかけられたことはないか」
それからは何度も聞いたようなお説教を繰り返し、ようやく開放されそうになった。雰囲気を察して腰を浮かしかけたところで、ふと思いついてこちらから訊いてみた。


204: 桜雨 ◆LaKVRye0d.:2017/2/22(水) 05:00:35 ID:pIgPmzpxL2

「先生。街へ行く時に通る公園で、ホームレスがいるでしょう」
「ああ。いるな」
「珍しいですよね。この辺でホームレスなんて」
ザビエルもこの辺が実家だと聞いたことがあった。昔からヒロさんのことを知っているのかも知れない。
「人には事情があるんだ。じろじろ見たりするんじゃないぞ」
どうやら知ってはいるようだ。しかし不機嫌そうにあっさり話を打ち切った。大人にとっては、ホームレスなど地域の不安要素に過ぎないのだろう。関わりたくない、壁の向こうの住人だ。まして教師にとっては、生徒に教えたくない社会の矛盾そのものなのかも知れない。
「そんなことより、山中。おまえちょっとその髪、長すぎないか」
ザビエルはそう言いながらいきなり腕を伸ばして、私の頭を触ろうとした。
「触るな」
思わず鋭い口調でその手を払う。バシンという強い衝撃があった。
しかしすぐに我に返り、「すみません」と謝った。せっかく終わりかけた説教が伸びるかも知れない。
ザビエルは驚いた様子で振り払われた自分の手と私の顔を交互に見ていたが、「とにかく、髪はあまり長くならないようにしなさい」と、取り繕うように言って立ち上がった。
私はホッとして頭を下げる。よかった。
でもヨーコのせいだ。女子生徒が好きなどと変なことを言うから、とっさにそれが頭をよぎってしまった。自分にもあんなに嫌悪感があるなんて思わなかった。
頭を軽く下げて職員室を出て、教室に戻ると、まばらになったクラスメートたちの中にヨーコの姿もあった。どうやら待ってくれていたらしい。
「大丈夫だった? 一緒に帰ろうぜい」
その頭にチョップを食らわす。
「痛っ」
「街、行こう」
教師の説教など、知ったことではない。髪は伸ばすし、タバコは吸うし、不良行為も色々する。そのどれも、自分が自分であるために、あたりまえにしているだけのことだ。自分の中で、守るべき善悪の境界を持って、何が悪いんだ?
「なによう」
ヨーコは頭を庇いながら笑っていた。


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