「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
94: 1:2011/12/26(月) 14:56:50 ID:zfaQV.HN9M
当然のことだと思う、クラスメイトの自殺に対する反応として。
でもそれは彼女にとって当然ではなかった。
「あたしが落ちたとこ、花束が置いてあって。先生がやったのかと思ってたら、グループの子がひとりで、こっそり置いてた」
美郷がやがて俯く。
結さんはそれを、じっと見つめていた。
「……分かったでしょう。君は死ぬべきじゃなかった」
結さんが口を開く。
美郷は何も言わなかった。
95: 名無しさん@読者の声:2011/12/26(月) 23:03:45 ID:6BiIRiFOyc
(´;ω;`)美郷ちゃん…
CCC
96: 1:2011/12/27(火) 00:56:48 ID:7l16fIcLfY
>>95
支援、感謝でつ
美郷は、タイミングや運が悪くて、
途中で直せたはずなのに、少しずつ拗れちゃって、
本当はこんなことにならずに済んだのに、って感じなんだ
なんとなく、書きながら
97: 名無しさん@読者の声:2011/12/27(火) 08:23:16 ID:o6D2/o4bEU
支援
良作に出会えたことに感謝
98: 1:2011/12/27(火) 14:40:11 ID:agmpcxXNZc
>>97
ありがとう
こっちこそ、読んでくれる人がいて感謝
99: 1:2011/12/27(火) 14:42:51 ID:agmpcxXNZc
「悲しむ人が、いたのよ」
結さんが重ねて告げた。
もう美郷の紅茶は冷めてしまったろうかと、俺は動かされていない様子のカップを見つめる。
美郷の指は、ずっとセーターを握ったままだ。
結さんはもう一度、彼女の名前を呼んだ。
「美郷ちゃん」
「――、だって」
美郷がきっと顔を上げる。
目元を赤くして、必死で何かを堪えているようだった。
100: 1:2011/12/27(火) 14:43:22 ID:agmpcxXNZc
「だって今更、知ったところで何になるんですか?自分で死んでからっ、そんな、勝手に」
堰を切ったように言葉が零れ落ち、美郷は顔を歪めた。
「死ななきゃよかった、なんて。今になって思ったって、全部遅いよ。こんな、後悔するくらいだったら、気付かなきゃよかった……!」
泣き出す一歩手前、ギリギリのプライドが、辛うじてそれを阻んでいるように見えた。
もうやり直せない。
それがこの世界で、最も残酷なことだと俺は思う。
どんな間違いを犯しても、生きている限りは何度でもやり直せる。
じゃあ、死んでからは。
101: 1:2011/12/27(火) 14:43:50 ID:agmpcxXNZc
「……気付いたことが、大切なのよ」
結さんが諭すように語る。
「でも、」
「確かにここに来てしまったら、もう戻れない。だったら前に進まなくちゃ。君は行かなきゃいけない」
結さんはテーブルに手をかけて、美郷をまっすぐに見つめていた。
美郷は何か言いたげにしていたが、やがて諦めたようにそれを受け止めて、こくりと小さく頷く。
ああ、彼女は行くことに決めたんだ。
俺は取り残されたような気持ちでふたりを見ていた。
102: 1:2011/12/27(火) 14:44:27 ID:agmpcxXNZc
「いちばん奥のホームよ。ずっと歩いていくの、ずっと、振り返らずにまっすぐに」
結さんが美郷に切符を握らせる。
美郷はそれをしっかりと受け取ると、目元を染めたまますっくと立ち上がった。
「――ありがとう、ございました」
深々と、俺らに向かって一礼。
顔を上げた美郷は、泣きそうな笑顔をしていた。
そのまま彼女は踵を返す。
事務所を出て行こうとする美郷の背中に、俺は耐えきれず声を投げ掛けた。
「美郷ちゃん!」
103: 1:2011/12/27(火) 14:45:42 ID:/5FRZFy.DE
言えた、と俺は内心胸を撫で下ろす。
結さんではない声に驚いて振り返った美郷に、俺は意を決して続けた。
「もう二度と、自殺なんてしちゃ駄目だよ」
言い終えた俺を、不思議そうな顔で美郷が見る。
やがて彼女は眉根を寄せて、それを隠すようにくしゃりと笑ってみせた。
「できませんよ、もう、二度と、」
おにーさん変な人、と美郷が声を上げて笑う。
そして彼女は笑いながら、一粒だけ涙を落とした。
104: 1:2011/12/27(火) 14:46:20 ID:/5FRZFy.DE
「……良い仕事するじゃない、憩も」
美郷が去った後の応接室で、結さんが深くソファに沈み込む。
俺はと言うと、結局一口も付けられなかったティーカップを片付けながら返した。
「何のことやら」
「まーとぼけちゃってやーらしー」
「結さんそれオバサン臭いです」
ぐさりと言葉で突き刺すと、面白いくらいの素早さで結さんが黙り込む。
うん、面白い。
「なんだ、もうちょっと落ち込んでるかと思ったわ」
「それを言うなら結さんだって」
むくれたようにソファの上で足を抱え込む結さんにそう切り返すと、結さんはまさかと言って俺を見上げた。
105: 1:2011/12/27(火) 14:46:53 ID:/5FRZFy.DE
「伊達に何十年も窓口やってないわよ。小娘ひとり送り届けるくらい何てことないわ」
「泣きそうだったくせに」
「おー、この口が人のこと言えるか?」
生意気な口め、と俺の頬に手を伸ばそうとする結さんをあしらいつつ、食器を給湯室に運ぶ。
美郷は今頃、もう行ってしまっただろうか。
結さんは、先に進んでも生まれ変われないと言う。
だから俺は、まだ進みたいとは決して思えないけれど。
ティーカップの中身は、もう飲み干されることはない。
俺は流し台に紅茶を捨てた。
願わくは、彼女の行く先に幸多からんことを。
106: 1:2011/12/28(水) 12:04:13 ID:agmpcxXNZc
事務所に溢れ返っている、あの雑多な書類について話そう。
書類のほとんどは、死んでからこちらの世界に来た人の、個人情報が満載の記録だ。
名前のほかに、生年月日や経歴といった基本情報、死因や現世行きの履歴などこの場所特有の項目などがある。
本人の記入と結さんの手書きで作られた記録は、見ているだけでもなかなか面白い。
中でも特に読み応えがあるのは、結さんによる備考欄だった。
107: 1:2011/12/28(水) 12:04:57 ID:agmpcxXNZc
「……あれ、この書類こないだの」
ぺら、と山の頂上にある冊子を捲ると、その書類だけやけに最近のものだった。
どうやら紛れ込んでいたらしい。
俺はその書類を掴むと、後ろでくつろいでいた結さんに声をかけた。
「結さんこれ、置く場所間違ってませんか」
「ん、いつのー?」
「美郷ちゃんの奴です」
そう言いながらぱらぱらと捲ると、やけにみっちりと字の詰まった備考欄が目についた。
108: 1:2011/12/28(水) 12:05:53 ID:agmpcxXNZc
「あー、しくった。ごめんそれ、二番目の棚の上に積み上げといて」
「はあ」
備考欄には美郷が話した家庭事情や学校のことが詳細にメモされていた。
それを眺めながら生返事をすると、結さんが、聞いてるの、と尋ねる。
「聞いてないでしょ、明らかに」
「すいません」
「憩から聞いてきたのに」
ぷぅと結さんが頬を膨らませる。
その年でそれをやるかと思わなくもないが、備考欄に興味を惹かれたので突っ込みは保留にした。
109: 1:2011/12/28(水) 12:06:28 ID:agmpcxXNZc
「何読んでるの?備考欄?」
暇だったのか、ひょこっと顔を出した結さんが書類を覗き込む。
俺は特に拒否する理由もないので、座ったまま結さんにも見えるよう書類を広げた。
「毎回思ってましたけど、随分と詳しく書いてますよね」
「まあね、半分趣味みたいなものだから」
あれから長い時間が経ったという訳でもないのに、結さんは屈み込むと、懐かしそうに目を細めて紙に手を触れた。
「大地くんのもあるわよ、勿論もっと前の人も」
「知って、います」
ずっと記録に触れていれば、気付かない訳がない。
全て読んでいたら一向に仕事が進まないから、きちんと目を通したことはないけれど。
110: 1:2011/12/28(水) 12:07:26 ID:IZAkWz/mtQ
「……いいんですか。こんなに細かく書いたところで、どこにも残りませんよ」
パソコンに全部は入力してませんから、と俺は書類から目を逸らす。
パソコンに打ち込んでデータになった書類は捨ててしまう。
当然だ、溢れかえった書類を減らすために俺は仕事をしているのだから。
ただ、このびっしりと書き込まれた備考欄まで消し去ってしまうのは、とても勿体ないように思えた。
「いいのよ、覚えてるから」
全部ね、と結さんは、冗談とも本気ともつかない笑みを浮かべる。
111: 1:2011/12/29(木) 11:56:38 ID:XXnWtGX0ys
「何ていうか、日記みたいな?書くことが大事なのよね、流石に全員は無理だけど」
「そういうもんですか」
「そーいうもんよ」
結さんはどこから引っ張り出してきたのか、クッションを抱え込みにぎにぎと押し潰して遊んでいた。
俺はそれを横目に書類を閉じると、机の脇に横たえる。
記憶に残っていることは、俺も同じだった。
「ていうか、備考欄以外も割と面白いですよこれ」
俺はすっかり機械相手の作業にやる気をなくして、山積みの書類を片っ端から捲り始めた。
少しの休憩、後で頑張ればいいだろう。
利用者が訪れない限り暇そうな結さんは、相変わらずクッションを苛めながらいかにも興味津々といった様子で話に乗ってきた。
112: 1:2011/12/29(木) 11:57:32 ID:XXnWtGX0ys
「何なに、例えば?」
「死因とか」
「うっわ、悪趣味」
そんなことを言われても仕方ない。
死因が載った履歴書なんて、見たことがなかったのだから。
「がん、脳卒中に心筋梗塞、交通事故にその他災害……」
「読み上げないでー、お姉さん虚しくなっちゃう」
きゃー、と棒読みの悲鳴を上げる結さんに、何を今更と溜め息をつく。
113: 1:2011/12/29(木) 11:58:10 ID:XXnWtGX0ys
「俺らだって死んでるじゃないですか」
「君は慣れるのが早すぎるのよ。小学生みたいな理由で来たくせに」
「それ今関係ないでしょう!」
小学生の死亡事故原因第一位、自転車での飛び出し。
思わず噛みつくと、結さんはにやつきながら、まあ可愛らしいと口元に手を添えた。
全くこの人には、抵抗するだけ無駄なのかもしれない。
「そう言う結さんは、どうしてここに?」
そういえば聞いたことがなかったと、ふいに思い当たって俺は問うた。
結さんも十分、ここに来るにしてはまだ若い方なのだけれど。
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