「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
82: 1:2011/12/24(土) 12:15:40 ID:YW2VpLC90c
美郷が応接室を出ていってから、もう一週間になる。
彼女があれからどうしたのか、俺には見当もつかない。
「憩、そこのバインダー取って。赤いやつね」
要求に応えてバインダーを手渡すと、結さんはありがと、と言ってさっさと窓口の方に戻ってしまった。
結さんはあれから特に変わった様子もなく、いつも通りに業務をこなしている。
一度美郷について尋ねてみると、どうやら切符は一週間の滞在で発行したらしい。
まだこちらに戻っていないのであれば、今日辺りには帰ってくるはずなのだが。
83: 1:2011/12/24(土) 12:16:21 ID:YW2VpLC90c
「あ、そうだ憩ー」
「はいー?」
つられて語尾を伸ばしながら振り向くと、結さんがバインダーを見つめたままで言った。
「ホームまで迎えに行ってあげて。そろそろ帰ってくるから」
「え?」
「美郷ちゃんよ。一週間経ったでしょ」
絶対ギリギリまでいたはずよ、と結さんが何かの書類を抜き取る。
つくづくノリが軽いよなと思いつつ、俺を行かせようとする辺り気にしてはいるんだろう。
84: 1:2011/12/24(土) 12:17:05 ID:YW2VpLC90c
俺は分かりましたと返事をすると、データを保存してパソコンを切った。
「12番線ね、もうすぐ来るわよ」
「了解、行ってきます」
行ってらっしゃい、と気の抜けた挨拶を背中に受けて俺は事務所を後にする。
そういえばここで働き始めてから外に出ることが少なくなったと、なんとなく思った。
人と離れていた気分はしない。
あの場所には、色々な人が訪れる。
ただでさえ人の集うターミナルで、事情を抱えた人達がやって来る場所だからかもしれない。
85: 1:2011/12/24(土) 12:17:34 ID:YW2VpLC90c
中央ホールの人混みを抜けて、ホームに続く階段が並ぶ廊下へ。
こちらに来ると随分と人もまばらで、すれ違う人に思わず会釈する。
永遠に続くような廊下の手前から、俺は表示を見つつ順に数えていった。
こちら側から、数字の大きい方へ。
廊下の突き当たりに何があるのかを、俺はまだ知らない。
「12番線……っと」
教えられた番号に辿り着いて見上げると、階段の上の方からごうんごうんと車輪が滑る音が聞こえてきた。
86: 1:2011/12/25(日) 20:31:03 ID:7l16fIcLfY
「高橋さん」
年下の女の子をどう呼ぶか、迷った結果がこれ。
振り向いた彼女は驚いたように目を眇めて、俺を呼んだ。
「案内事務所の、おにーさん」
「覚えてて貰えて何より」
正直本当に自信はなかった。
俺空気だったからね、と笑ってみせると、美郷も確かにと言って笑う。
刺々しい雰囲気はもうなかった。
ただ無理をしている笑顔が、ひたすらにぎこちなかった。
87: 1:2011/12/25(日) 20:31:56 ID:7l16fIcLfY
一緒に階段を降りながら、結さんの待つ事務所に向かう。
自分より小さい身長と歩幅に、妙に昔のことを重ねてしまって、俺はくだらない思いを振り払おうと口を開いた。
「現世はどうだった?」
俺は触れても構わないものかと思案しながら、特に話題もないので尋ねた。
美郷はんー、と考え込むように顎に手を当てて、言葉を欠片にする。
「分からなく、なった、かも。色々」
「そっか」
彼女の歩幅に合わせながら、俺は歩く。
色々と掘り下げることは、気が引けるような気がした。
88: 1:2011/12/25(日) 20:32:45 ID:7l16fIcLfY
「あたしね、高橋じゃなくなるっぽかった」
美郷が言う。
俺ははっとして彼女の横顔を見つめた。
「そう決まったから、お母さんは愚痴ったみたい。皮肉だよね、やっと終わったのに、終わった瞬間にキレちゃってたなんて」
俺は美郷を高橋さんと呼んだことを後悔した。
そっか、と相槌を打つことはできなかった。
「なんかね、不思議」
美郷が遠くを見つめながら、ぽつぽつと続ける。
「あたしはもうあそこにいないのに、生きてた頃よりも、ずっと存在感があるの」
89: 1:2011/12/25(日) 20:33:24 ID:7l16fIcLfY
恨んでいるようでも、悲しんでいるようでもなかった。
美郷の様子はどちらかと言えば、呆けているように見えた。
「……着いたよ」
俺は静かに彼女を遮る。
そうしている内に俺らは、事務所の前にまでやって来ていた。
扉を開けてやれば、美郷がどうも、と言ってそこを抜ける。
後は結さんの領域だった。
90: 1:2011/12/25(日) 20:33:58 ID:7l16fIcLfY
「久しぶりね、美郷ちゃん」
結さんが窓口からくるりと椅子を回して振り返る。
美郷は一週間前の別れ方でも思い出したのか、少しきまりが悪そうにぺこりと頭を下げた。
「憩、応接室」
「留守番してたなら開けといてくださいよ」
俺が文句を言うと、知ったことかと言わんばかりに結さんが伸びをする。
「うわ今ばきっていったばきって」
「知りませんよ」
美郷が来てもなお態度の変わらない結さんに若干の不安を覚えつつ、仕方ないので俺は準備に向かったのだった。
91: 1:2011/12/26(月) 14:55:08 ID:7l16fIcLfY
湯気の立ち上るティーカップ。
相も変わらず結さんは、優しい色のミルクティ。
それを静かに吹き冷まし、満を持して結さんが切り出した。
「思っていたのと、違ったでしょう」
最初から核心を突いた言葉に、俺は身体を硬くする。
美郷はきゅっとセーターの裾を握って、小さく頷いた。
「お母さんが、泣いてたんです。あんなに嫌がって、押し付けあっていたのに」
美郷はまだ戸惑っているようだった。
視線が揺れて、手元に落ちる。
92: 1:2011/12/26(月) 14:55:47 ID:7l16fIcLfY
「ふたりとも、あたしのために押し付けあってた。進路のことや、一緒にいられる時間を考えて」
自分がいない場所でそう言っていた、と美郷は言った。
口実ではなかったのだと、そういう意味なのだろう。
「こんなことになるなんて、って。部屋、揉めてる間もずっと綺麗だったのに、すごく荒れてて」
そこで美郷は黙り込んだ。
口をはくはくと動かして、でも声にならなかった何かを、呑み込んだようだった。
93: 1:2011/12/26(月) 14:56:22 ID:zfaQV.HN9M
「……学校の、お友達は?」
結さんが穏やかに尋ねる。
美郷はゆるゆると首を振った。
「友達だなんて思ってませんでした。だってトイレに行った瞬間に、その子の悪口を言うようなグループだったから」
だから期待なんてしていなかったと美郷は言い切った。
随分と殺伐とした交友関係だと思いながら、俺は紅茶を啜る。
「でも違った。あたしが死んでから何日も経つのに、昼休みのお喋りもしてなかった。あたしの席も、ちゃんと残ってたんです」
美郷の声が微かに震える。
94: 1:2011/12/26(月) 14:56:50 ID:zfaQV.HN9M
当然のことだと思う、クラスメイトの自殺に対する反応として。
でもそれは彼女にとって当然ではなかった。
「あたしが落ちたとこ、花束が置いてあって。先生がやったのかと思ってたら、グループの子がひとりで、こっそり置いてた」
美郷がやがて俯く。
結さんはそれを、じっと見つめていた。
「……分かったでしょう。君は死ぬべきじゃなかった」
結さんが口を開く。
美郷は何も言わなかった。
95: 名無しさん@読者の声:2011/12/26(月) 23:03:45 ID:6BiIRiFOyc
(´;ω;`)美郷ちゃん…
CCC
96: 1:2011/12/27(火) 00:56:48 ID:7l16fIcLfY
>>95
支援、感謝でつ
美郷は、タイミングや運が悪くて、
途中で直せたはずなのに、少しずつ拗れちゃって、
本当はこんなことにならずに済んだのに、って感じなんだ
なんとなく、書きながら
97: 名無しさん@読者の声:2011/12/27(火) 08:23:16 ID:o6D2/o4bEU
支援
良作に出会えたことに感謝
98: 1:2011/12/27(火) 14:40:11 ID:agmpcxXNZc
>>97
ありがとう
こっちこそ、読んでくれる人がいて感謝
99: 1:2011/12/27(火) 14:42:51 ID:agmpcxXNZc
「悲しむ人が、いたのよ」
結さんが重ねて告げた。
もう美郷の紅茶は冷めてしまったろうかと、俺は動かされていない様子のカップを見つめる。
美郷の指は、ずっとセーターを握ったままだ。
結さんはもう一度、彼女の名前を呼んだ。
「美郷ちゃん」
「――、だって」
美郷がきっと顔を上げる。
目元を赤くして、必死で何かを堪えているようだった。
100: 1:2011/12/27(火) 14:43:22 ID:agmpcxXNZc
「だって今更、知ったところで何になるんですか?自分で死んでからっ、そんな、勝手に」
堰を切ったように言葉が零れ落ち、美郷は顔を歪めた。
「死ななきゃよかった、なんて。今になって思ったって、全部遅いよ。こんな、後悔するくらいだったら、気付かなきゃよかった……!」
泣き出す一歩手前、ギリギリのプライドが、辛うじてそれを阻んでいるように見えた。
もうやり直せない。
それがこの世界で、最も残酷なことだと俺は思う。
どんな間違いを犯しても、生きている限りは何度でもやり直せる。
じゃあ、死んでからは。
101: 1:2011/12/27(火) 14:43:50 ID:agmpcxXNZc
「……気付いたことが、大切なのよ」
結さんが諭すように語る。
「でも、」
「確かにここに来てしまったら、もう戻れない。だったら前に進まなくちゃ。君は行かなきゃいけない」
結さんはテーブルに手をかけて、美郷をまっすぐに見つめていた。
美郷は何か言いたげにしていたが、やがて諦めたようにそれを受け止めて、こくりと小さく頷く。
ああ、彼女は行くことに決めたんだ。
俺は取り残されたような気持ちでふたりを見ていた。
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