「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
68: 1:2011/12/21(水) 10:04:32 ID:4SVeeV6rxk
「離婚は大方順調みたいでした」
美郷は言う。
セーターの裾はもう弄らずに、ただきつく握り締めるのみになっていた。
「お金のことも、特に揉め事もなさそうで、どんどん話は進んでいった。でも」
美郷が言葉を切る。
「あたしのことだけは、言い争っているようでした」
69: 1:2011/12/21(水) 10:05:12 ID:4SVeeV6rxk
耐えきれず俺はカップを取り上げた。
口に中身を流し込めば、やや冷めた苦い液体が喉を通って落ちる。
「……毎晩、聞こえるんです。あたしを押し付けあう声が」
美郷は笑顔を貼り付かせた。
そうせずには、いられなかったのかもしれない。
「収入が多いあなたが引き取るべきだ、母親が世話をするべきだって、それだったらいっそひとりで生きてくって言ったのに、それは許してもらえなかった」
諦めたような笑顔は不気味だった。
70: 1:2011/12/21(水) 10:05:41 ID:4SVeeV6rxk
「他のことでは何も揉めてなかったのに、あたしだけ。……成績は、下がりました」
俺はカップをソーサーに置く。
かちん、と陶器の触れ合う音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。
「自分で色々やって、学校では普通な振りをしてたんですけど、あたしの学校、頭良いとこだから、必死でやんないとついてけなくて」
あたし馬鹿だから、と美郷が自嘲気味に笑う。
でもそんな頭の良い学校に、入ったのは彼女の努力ではないんだろうか。
「成績は下がるし繕えなくなるし、薄々同じグループの子にも感付かれて」
彼女は同級生のことを、友達とは呼ばないようだった。
71: 1:2011/12/22(木) 11:47:22 ID:agmpcxXNZc
「……限界でした、そろそろ」
疲れきったように美郷が呟く。
ここでは言っていなくとも、心の奥底にはもっと沢山の、渦巻いている思いがあるんだろう。
その全てに押し潰されそうになって、それでも彼女は足掻いていたんだろう。
「ある日帰ると、珍しく母親だけが家にいて、居間のソファでぐったりと座っていました」
美郷の声がふいに感情を失くした。
口振りで、その日が近付いていることが分かった。
「何してんの、って聞いたら、休憩中、って言われて。疲れてんの、って言うと、誰かさんのせいで、って」
72: 1:2011/12/22(木) 11:48:04 ID:agmpcxXNZc
「お母さんの愚痴は、そこから始まりました。第一あの人が家庭に関わらなかったのがいけなかいとか、女が子育てするのを当然と思ってるとか」
美郷の指先は、既に白くなっていた。
強く握りすぎて血の通わなくなってしまった手を心配しながら、俺は話に聞き入る。
「あんたもそう思うでしょう、って言われたんです。あんたもあの父親が、無責任な人だって、って」
握り締めた拳とは裏腹に、淡々と美郷は語る。
「そこでぷつん、て切れちゃって。あたし言ってやりました。無責任なのはお母さんの方だ。産んで育てて養っといて、今更それはないんじゃないって」
73: 1:2011/12/22(木) 11:48:40 ID:agmpcxXNZc
美郷は依然として平坦な口調で語る。
表情はないに等しく、その目は据わっていた。
ただひとつ、握り締めた手だけが、かたかたと震えていて。
「産まなきゃよかったじゃん、って。最初から責任取れないなら産むなって、それで」
「もういいわ」
美郷が弾かれたように結さんを見る。
結さんは酷く傷ついたような顔をしていた。
「……もう、いい」
美郷が黙りこくる。
俺は何も言えなかった。
74: 1:2011/12/23(金) 13:42:45 ID:A1avxOZkx2
結さんが目を伏せて、ティーカップを口元に運ぶ。
器は違えど、いつも通りのミルクティ。
彼女はゆっくりと口からカップを離すと、そっとソーサーの上に戻した。
「飛び降り自殺、だったわね。どこから?」
「……学校の、屋上」
ばつが悪そうに美郷が答える。
結さんはもう一度書類を手に取って、そう、と呟いた。
「美郷ちゃん、あなたやっぱり戻りなさい」
結さんが言うと、美郷がばっと顔を上げる。
75: 1:2011/12/23(金) 13:43:42 ID:A1avxOZkx2
「ちょ、お姉さん今の話聞いてた?あたしは戻っても、やることなんてないんですっ」
「いいから戻りなさい」
結さんは断固として命じた。
「あなたの都合なんて知らないわ。必要だと判断したから行ってもらう。切符ならここにあるわよ」
「そんな身勝手な」
「勝手で結構。早く行きなさい」
いつの間に用意していたのか、現世行きの切符を結さんがちらつかせる。
美郷は先程とは打って変わって、顔を真っ赤にして身を乗り出した。
76: 1:2011/12/23(金) 13:49:02 ID:/5FRZFy.DE
「分かってないでしょ、あたしがどんなに……!」
「私の知ったことではないわ」
「ちょっと、結さん」
それはあまりにあまりなんじゃないか、と思って口を挟むも、結さんは俺を相手にしない。
ずいと美郷に額を突き合わせて、一段と低い声で呟いた。
「言うこと聞かないと――生き返らすわよ」
途端に美郷の肩が揺れた。
「そんなこと、できる訳……」
「さあどうかしら。私これでも責任者だから」
結さんがにこりと、気味が悪いほど完璧に笑う。
77: 1:2011/12/23(金) 13:49:37 ID:/5FRZFy.DE
「折角ここまで来たのに、全部逆戻りよ?あなたは死に切れなかった根性なし、もっと面倒な人生が待ってるわ」
「…………っ!」
美郷が唇を噛む。
そのまま結さんと睨み合うこと、しばし。
「――分かったわよ行けばいいんでしょ行けば!」
机の上の切符をもぎ取って美郷が吐き捨てる。
大股で部屋を出る美郷を見送りつつ結さんは、分かればいいのよ、などと暢気にミルクティを飲んでいた。
78: 1:2011/12/23(金) 13:50:13 ID:/5FRZFy.DE
どたばたと大袈裟な足音が遠ざかるのを確かめて、気になっていたことをひとつ。
「……生き返らせたり、できるんですか?」
優雅にカップを口に運ぶ結さんを、見下ろしながら俺。
「やあね、はったりよ」
カップを離して顔色ひとつ変えずに、結さん。
いけしゃあしゃあと抜かす結さんに、とんだ狸がいたものだと、俺は密かに溜め息をついた。
79: 名無しさん@読者の声:2011/12/24(土) 00:23:14 ID:DBnsn4YRhE
許可ありがとうございます!
SS絵スレに上げさせていただきました(・∀・)
そして支援っ
80: 79:2011/12/24(土) 00:33:23 ID:tBLCdDOP22
下げ忘れ申し訳ありませんでしたorz
81: 1:2011/12/24(土) 00:41:21 ID:/UGBUXLJ6g
>>79
拝見しました!
素敵絵本当に感謝っす、嬉しさで布団ばすばすしたのはここだけの話www
sageは本当に気分なんで、気にせずageたいときにご自由にドゾ(・∀・)
支援感謝です
82: 1:2011/12/24(土) 12:15:40 ID:YW2VpLC90c
美郷が応接室を出ていってから、もう一週間になる。
彼女があれからどうしたのか、俺には見当もつかない。
「憩、そこのバインダー取って。赤いやつね」
要求に応えてバインダーを手渡すと、結さんはありがと、と言ってさっさと窓口の方に戻ってしまった。
結さんはあれから特に変わった様子もなく、いつも通りに業務をこなしている。
一度美郷について尋ねてみると、どうやら切符は一週間の滞在で発行したらしい。
まだこちらに戻っていないのであれば、今日辺りには帰ってくるはずなのだが。
83: 1:2011/12/24(土) 12:16:21 ID:YW2VpLC90c
「あ、そうだ憩ー」
「はいー?」
つられて語尾を伸ばしながら振り向くと、結さんがバインダーを見つめたままで言った。
「ホームまで迎えに行ってあげて。そろそろ帰ってくるから」
「え?」
「美郷ちゃんよ。一週間経ったでしょ」
絶対ギリギリまでいたはずよ、と結さんが何かの書類を抜き取る。
つくづくノリが軽いよなと思いつつ、俺を行かせようとする辺り気にしてはいるんだろう。
84: 1:2011/12/24(土) 12:17:05 ID:YW2VpLC90c
俺は分かりましたと返事をすると、データを保存してパソコンを切った。
「12番線ね、もうすぐ来るわよ」
「了解、行ってきます」
行ってらっしゃい、と気の抜けた挨拶を背中に受けて俺は事務所を後にする。
そういえばここで働き始めてから外に出ることが少なくなったと、なんとなく思った。
人と離れていた気分はしない。
あの場所には、色々な人が訪れる。
ただでさえ人の集うターミナルで、事情を抱えた人達がやって来る場所だからかもしれない。
85: 1:2011/12/24(土) 12:17:34 ID:YW2VpLC90c
中央ホールの人混みを抜けて、ホームに続く階段が並ぶ廊下へ。
こちらに来ると随分と人もまばらで、すれ違う人に思わず会釈する。
永遠に続くような廊下の手前から、俺は表示を見つつ順に数えていった。
こちら側から、数字の大きい方へ。
廊下の突き当たりに何があるのかを、俺はまだ知らない。
「12番線……っと」
教えられた番号に辿り着いて見上げると、階段の上の方からごうんごうんと車輪が滑る音が聞こえてきた。
86: 1:2011/12/25(日) 20:31:03 ID:7l16fIcLfY
「高橋さん」
年下の女の子をどう呼ぶか、迷った結果がこれ。
振り向いた彼女は驚いたように目を眇めて、俺を呼んだ。
「案内事務所の、おにーさん」
「覚えてて貰えて何より」
正直本当に自信はなかった。
俺空気だったからね、と笑ってみせると、美郷も確かにと言って笑う。
刺々しい雰囲気はもうなかった。
ただ無理をしている笑顔が、ひたすらにぎこちなかった。
87: 1:2011/12/25(日) 20:31:56 ID:7l16fIcLfY
一緒に階段を降りながら、結さんの待つ事務所に向かう。
自分より小さい身長と歩幅に、妙に昔のことを重ねてしまって、俺はくだらない思いを振り払おうと口を開いた。
「現世はどうだった?」
俺は触れても構わないものかと思案しながら、特に話題もないので尋ねた。
美郷はんー、と考え込むように顎に手を当てて、言葉を欠片にする。
「分からなく、なった、かも。色々」
「そっか」
彼女の歩幅に合わせながら、俺は歩く。
色々と掘り下げることは、気が引けるような気がした。
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