「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
58: 1:2011/12/19(月) 15:11:32 ID:/UGBUXLJ6g
「いいんです、あたし未練とかないし。それより早く成仏させて下さいっ」
女子高生がつんけんとした口調で結さんに食って掛かる。
結さんは貼り付いた笑顔で必死に宥めようとしていた。
「でも親御さんとか悲しんでるんじゃない?現世に行って、最後に顔くらい見てくるべきよ」
「はぁ?あんな親悲しむ訳ないし!後処理とか世間体気にするだけですよ、どーせ」
これはまたひねくれた子が来たものだ。
面倒な客の対応は、大方予想がつくようになっている。
俺はおもむろに立ち上がると応接室の鍵を開けた。
59: 1:2011/12/19(月) 15:12:10 ID:/UGBUXLJ6g
「そう言わずに……落ち着きましょうよ」
あーめんどくせえ、と結さんの背中に書いてあるのがそろそろ見えてきた。
その間に俺は、紅茶で構わないだろうかなどと思案しながらとりあえず湯を沸かす。
「じゅーぶん落ち着いてますっ。あたしはただ、一刻も早く幽霊脱出したいの!」
「でもほら、皆突然のことで、きっとショックを受けてるわ」
いよいよヒートアップしてきた言い合いを聞き流しながら接客用のティーカップを出していると、女子高生が急に声を硬くした。
「突然じゃないですもん。だって」
瞬間、きんと冷えた言葉が耳を貫いた。
「死んでやる、って言ってきたんだから」
60: 1:2011/12/20(火) 12:42:06 ID:XaSSnJluPk
結さんが一瞬硬直する。
自殺ということか。
「お話の途中で失礼します」
俺はすかさず窓口の方に近寄ると、女子高生に会釈した。
「こんな場所でも何ですから、中にいらしたらいかがですか」
そう提案すると結さんは、はっとしたように俺を振り返る。
「憩、応接室」
「開いてます」
「ならよろしい」
結さんはいつものペースを取り戻したようだった。
女子高生に向き直ると、びしりとペンを突き付ける。
61: 1:2011/12/20(火) 12:43:01 ID:XaSSnJluPk
「という訳だから中で話しましょう」
「何でそんな面倒なこと、」
「成仏させたげないわよ」
結さんの脅しに、女子高生がぐっと詰まる。
どうやらこのままで居るのは嫌らしい。
「……分かりました」
「おっけー、行きましょ。あと憩、沸騰してるわよ向こう」
「あっ」
不覚。
俺はぐらぐらに沸いたやかんの火を止めに、慌てて給湯室に走ったのだった。
62: 1:2011/12/20(火) 12:43:58 ID:XaSSnJluPk
「えーと、高橋美郷さん享年十七歳。高校二年生?」
「はい」
結さんが書類を見ながら確認をとる。
女子高生は随分と大人しくなって、紅茶のカップを口に運んでいる、が。
「……なんか嫌ですね享年て言い方」
「うるさいわよ」
叱られた。思ったことを言っただけなのに。
俺は大人しく口を噤んでいることにした。
63: 1:2011/12/20(火) 12:44:27 ID:XaSSnJluPk
「一体何があったの?」
結さんが単刀直入に尋ねる。
美郷は拗ねたようにセーターの裾を弄りながら、ぼそぼそと呟いた。
「別に、大したことじゃ」
「そんな訳はないでしょう」
結さんの声がふいに優しくなる。
「こっちに来てしまったからには、もう現世のことは変えられないわ。でも、話を聞くことならできる」
俺はちらりと結さんを見た。
ああ、この人は、助けようとしているんだ。
64: 1:2011/12/20(火) 12:44:54 ID:XaSSnJluPk
「話して、くれないかしら」
美郷はゆらゆらと目を泳がせて、相変わらずほつれたセーターの裾をもてあそんでいた。
どうして迷っているのか、何を思っているのか、外からでは何も、見ることはできないけれど。
「……親が、離婚するんです」
ぽつり、そう言ってからは、美郷は驚くほどすんなりと事情を話し始めた。
65: 名無しさん@読者の声:2011/12/20(火) 18:07:03 ID:lcY6txYbiA
支援!!
(`・ω・)つCCCCCC
66: 1:2011/12/21(水) 09:41:34 ID:XXnWtGX0ys
>>65
あざす!!(`・ω・´)
支援してくれる人愛してるペロペロ
67: 1:2011/12/21(水) 10:03:57 ID:4SVeeV6rxk
「あたしの家、あんまし親が仲良くなくて。そこまで酷いのされたことはないけど、八つ当たりとか、とばっちりは昔から」
口火を切ってしまえば後はもうなすがままで、美郷は特にためらう様子もなく話し続ける。
「世間体気にする人達だったから学校には行かせて貰えたけど、親はもう頼りにならなかった」
かたん、と結さんがカップを置く。
もう必要ないとでも言うように、手にした書類を揃えて、そっと机に伏せた。
「離婚の話が始まったのは、もう一年も前のことです」
美郷は記憶の糸を手繰るように、遠くを眺めながら事の顛末を語り出した。
68: 1:2011/12/21(水) 10:04:32 ID:4SVeeV6rxk
「離婚は大方順調みたいでした」
美郷は言う。
セーターの裾はもう弄らずに、ただきつく握り締めるのみになっていた。
「お金のことも、特に揉め事もなさそうで、どんどん話は進んでいった。でも」
美郷が言葉を切る。
「あたしのことだけは、言い争っているようでした」
69: 1:2011/12/21(水) 10:05:12 ID:4SVeeV6rxk
耐えきれず俺はカップを取り上げた。
口に中身を流し込めば、やや冷めた苦い液体が喉を通って落ちる。
「……毎晩、聞こえるんです。あたしを押し付けあう声が」
美郷は笑顔を貼り付かせた。
そうせずには、いられなかったのかもしれない。
「収入が多いあなたが引き取るべきだ、母親が世話をするべきだって、それだったらいっそひとりで生きてくって言ったのに、それは許してもらえなかった」
諦めたような笑顔は不気味だった。
70: 1:2011/12/21(水) 10:05:41 ID:4SVeeV6rxk
「他のことでは何も揉めてなかったのに、あたしだけ。……成績は、下がりました」
俺はカップをソーサーに置く。
かちん、と陶器の触れ合う音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。
「自分で色々やって、学校では普通な振りをしてたんですけど、あたしの学校、頭良いとこだから、必死でやんないとついてけなくて」
あたし馬鹿だから、と美郷が自嘲気味に笑う。
でもそんな頭の良い学校に、入ったのは彼女の努力ではないんだろうか。
「成績は下がるし繕えなくなるし、薄々同じグループの子にも感付かれて」
彼女は同級生のことを、友達とは呼ばないようだった。
71: 1:2011/12/22(木) 11:47:22 ID:agmpcxXNZc
「……限界でした、そろそろ」
疲れきったように美郷が呟く。
ここでは言っていなくとも、心の奥底にはもっと沢山の、渦巻いている思いがあるんだろう。
その全てに押し潰されそうになって、それでも彼女は足掻いていたんだろう。
「ある日帰ると、珍しく母親だけが家にいて、居間のソファでぐったりと座っていました」
美郷の声がふいに感情を失くした。
口振りで、その日が近付いていることが分かった。
「何してんの、って聞いたら、休憩中、って言われて。疲れてんの、って言うと、誰かさんのせいで、って」
72: 1:2011/12/22(木) 11:48:04 ID:agmpcxXNZc
「お母さんの愚痴は、そこから始まりました。第一あの人が家庭に関わらなかったのがいけなかいとか、女が子育てするのを当然と思ってるとか」
美郷の指先は、既に白くなっていた。
強く握りすぎて血の通わなくなってしまった手を心配しながら、俺は話に聞き入る。
「あんたもそう思うでしょう、って言われたんです。あんたもあの父親が、無責任な人だって、って」
握り締めた拳とは裏腹に、淡々と美郷は語る。
「そこでぷつん、て切れちゃって。あたし言ってやりました。無責任なのはお母さんの方だ。産んで育てて養っといて、今更それはないんじゃないって」
73: 1:2011/12/22(木) 11:48:40 ID:agmpcxXNZc
美郷は依然として平坦な口調で語る。
表情はないに等しく、その目は据わっていた。
ただひとつ、握り締めた手だけが、かたかたと震えていて。
「産まなきゃよかったじゃん、って。最初から責任取れないなら産むなって、それで」
「もういいわ」
美郷が弾かれたように結さんを見る。
結さんは酷く傷ついたような顔をしていた。
「……もう、いい」
美郷が黙りこくる。
俺は何も言えなかった。
74: 1:2011/12/23(金) 13:42:45 ID:A1avxOZkx2
結さんが目を伏せて、ティーカップを口元に運ぶ。
器は違えど、いつも通りのミルクティ。
彼女はゆっくりと口からカップを離すと、そっとソーサーの上に戻した。
「飛び降り自殺、だったわね。どこから?」
「……学校の、屋上」
ばつが悪そうに美郷が答える。
結さんはもう一度書類を手に取って、そう、と呟いた。
「美郷ちゃん、あなたやっぱり戻りなさい」
結さんが言うと、美郷がばっと顔を上げる。
75: 1:2011/12/23(金) 13:43:42 ID:A1avxOZkx2
「ちょ、お姉さん今の話聞いてた?あたしは戻っても、やることなんてないんですっ」
「いいから戻りなさい」
結さんは断固として命じた。
「あなたの都合なんて知らないわ。必要だと判断したから行ってもらう。切符ならここにあるわよ」
「そんな身勝手な」
「勝手で結構。早く行きなさい」
いつの間に用意していたのか、現世行きの切符を結さんがちらつかせる。
美郷は先程とは打って変わって、顔を真っ赤にして身を乗り出した。
76: 1:2011/12/23(金) 13:49:02 ID:/5FRZFy.DE
「分かってないでしょ、あたしがどんなに……!」
「私の知ったことではないわ」
「ちょっと、結さん」
それはあまりにあまりなんじゃないか、と思って口を挟むも、結さんは俺を相手にしない。
ずいと美郷に額を突き合わせて、一段と低い声で呟いた。
「言うこと聞かないと――生き返らすわよ」
途端に美郷の肩が揺れた。
「そんなこと、できる訳……」
「さあどうかしら。私これでも責任者だから」
結さんがにこりと、気味が悪いほど完璧に笑う。
77: 1:2011/12/23(金) 13:49:37 ID:/5FRZFy.DE
「折角ここまで来たのに、全部逆戻りよ?あなたは死に切れなかった根性なし、もっと面倒な人生が待ってるわ」
「…………っ!」
美郷が唇を噛む。
そのまま結さんと睨み合うこと、しばし。
「――分かったわよ行けばいいんでしょ行けば!」
机の上の切符をもぎ取って美郷が吐き捨てる。
大股で部屋を出る美郷を見送りつつ結さんは、分かればいいのよ、などと暢気にミルクティを飲んでいた。
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