「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
148: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/4(水) 22:52:40 ID:2ho66zkJlw
「ご家族と上手く、行っていなかったんですね」
「だから何だ、人の家の事情に。いい加減失礼だぞ、君」
宮田はこの期に及んで取り繕おうとしていた。
差し出がましいのは認めるが、それでも俺に引く気はない。
結果的に結さんと同じような状況になっているのは分かっていたが、ともかく俺は宮田に重ねて尋ねる。
「どうして今ここで、娘さんの話が出てきたんですか」
「君には関係のないことだ」
「関係ならあります」
149: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/4(水) 22:53:15 ID:2ho66zkJlw
俺はきっと宮田を見据えた。
「お話を聞かせてほしいと、俺はお願いしました。そして貴方は話してくださった」
随分横暴な理論を振りかざしていることは、分かっているけれど。
「俺には最後まで聞く権利があります」
宮田がぐっと言葉に詰まる。
これはいけるかもしれないと、俺は一か八かの賭けに出た。
「そして貴方には話す義務がある、お分かりでしょう」
「だが、」
宮田が反論を試みるもその声に覇気はない。
権利や義務といった言葉に弱い人がいると聞くけれど、宮田はまさにそれだった。
150: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/4(水) 22:53:44 ID:2ho66zkJlw
「教えてください、大切な娘さんとどうして拗れていらっしゃるんですか」
駄目押しにもう一発かますと、宮田は何が気に障ったのか途端に声を上げる。
「大切じゃない。あんな人間俺の娘じゃない」
「どんな人間だって言うんです」
わざと煽るように言ってやれば、宮田が吐き捨てるように語りだした。
「娘も昔は素直だったのに、今ではキモいだの臭いだの邪魔者扱いだ、誰のお陰で食っているかも忘れて」
かかった、と俺は内心ガッツポーズをした。
吐かせてしまえばこちらのものである。
151: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/5(木) 22:24:10 ID:VMnJaffQ7E
いつの間にやら宮田は完全に愚痴る姿勢に切り替わっていた。
「高校生なんだが、年頃だから仕方ないとは言え酷すぎる」
宮田が肩を怒らせて嘆息する。
「たまの休日でも顔を合わせると、二言目には見るな触るなあっち行け、死ねの言葉は挨拶だ」
「それはまた凄い娘さんで」
俺は乾いた笑いを漏らした。
確かに父親としては辛そうだけれど、よく聞く話ではある。
俺にもいつか娘ができたらそうなるのかと考えたところで、自分が死んでいたことに気付き顔をしかめた。
152: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/5(木) 22:24:47 ID:2ho66zkJlw
宮田の話はまだ続く。
顔を真っ赤にして普段の憤りを吐き出す様子は、なかなか見物だ。
「なあ、酷いだろう。父親を馬鹿にしているんだ。見かねた妻が窘めたとき、娘が何て言ったか分かるか?」
いえ、と俺は否定した。
俺の軽い反応に、宮田がそうだよな、とせせら笑う。
そして自嘲気味に言い放った。
「だって死んでいいし、ああでもお金が困るかも、だと」
153: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/5(木) 22:25:23 ID:2ho66zkJlw
全く見下しやがって、と宮田はがしがしと頭を掻く。
本当は自分が死んでしまったことも、頭では分かっているようだった。
要するに、娘の言葉を気にして、死んだことを受け入れたがらなかったというだけのことで。
「俺が死んだところで、精々生活の心配をするようになるだけだ」
宮田が自棄になったように舌打ちをする。
確かにあまりな言いようだが、それは違うのではないかと思う。
もしそれが思春期特有のものだったのなら、そんなことを本気で言うはずがない。
154: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/5(木) 22:26:01 ID:2ho66zkJlw
「でしたら、」
と、俺は宮田を制して声を張り上げた。
「一度見てきてはいかがですか。本当に娘さんが、悲しんでいないか」
宮田が胡乱げな目を俺に向ける。
「何でわざわざそんなことを」
「確かめなければ、分からないでしょう」
確認もしないで決めつけてしまっては、宮田も娘も浮かばれないだろう。
俺はこの世界で唯一の救いについて、宮田に説明を始めた。
155: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/5(木) 22:26:27 ID:2ho66zkJlw
「帰ることができるんです、一度だけ。そこで確認すればいい、娘さんがどんな反応をしているか」
宮田が目を見開く。
自分も、人のことをどうこう言える立場ではないけれど。
俺は言い終えると宮田の反応を待った。
「……行ったところで、後悔するだけだ」
宮田が低く唸った。
それは違う、と俺は首を振る。
「行かない方が、ずっと後悔します。この先ずっと、死んでいる限り」
死ぬ、という言葉を使っても、もう宮田は怒らなかった。
156: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:43:58 ID:c.gYySYfy6
「……切符ならここにあるわ」
突然背後から掛けられた声に、俺達は振り向いた。
「結さん」
「先程は非礼な真似を失礼致しました」
待合スペースの後ろから登場した結さんが、丁重に頭を下げる。
宮田は毒気を抜かれたように呆然と、長椅子に座ったままお辞儀を返した。
「ここに来る直前、どこにいらっしゃいましたか」
「……、新宿駅」
訳が分からないままに、宮田が答える。
結さんは手元の書類に何かを書き込むと、切符を静かに差し出した。
157: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:44:36 ID:c.gYySYfy6
「7番線です、必ず二週間の内に帰ってきてください」
戻れなくなりますので、と結さんは切符を見せたまま言う。
なかなか手に取ろうとしない宮田に焦れることもなく、辛抱強く待つ。
やがて宮田は諦めたようにその切符を受け取った。
「……これで、家族に会いに行けるのか?」
宮田が尋ねる。
結さんは柔らかい物腰で、はい、と微笑んだ。
「行ってらっしゃい、良い旅を」
宮田は一瞬だけ顔を歪めて、そして長椅子から腰を上げると、きまりが悪そうに行ってくるよ、と言った。
158: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:45:16 ID:c.gYySYfy6
「……厄介でしたね、あんな年なのに認めたがらないなんて」
宮田が行ってしまってから俺は、結さんと長椅子に並んで座りながら苦笑した。
結さんもまあね、と苦笑しながら、それでも宮田を庇う。
「いくつになっても辛いものよ。俄には受け入れがたい」
そうでしょう、と聞かれて俺は自分のことを思い返す。
真夜中、トラックの光に照らされて、暗い夜から真っ白の駅構内に来たときは、確かに何が起こったか分からなかった。
159: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/6(金) 14:45:55 ID:c.gYySYfy6
「怖いですね、違う場所に来てしまうことは」
「本当にそうね」
しみじみと呟くと、結さんが同意する。
そして悪戯っぽく笑うと、結さんは人差し指を立てた。
「だからね、憩」
「はい?」
「ターミナルには、神様がいるのよ」
そう説き始める結さんは、おとぎ話でもするように楽しそうに見えた。
160: 名無しさん@読者の声:2012/1/6(金) 23:58:48 ID:VonRWSEIcU
ついにスレタイ…!
っCCCCC
161: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:17:46 ID:tbpDYj2bNQ
>>160
いえす、スレタイ( ̄ー ̄*)
なんだかたまに上がってると嬉しいものですね。
支援ありがとうございました!
162: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:22:02 ID:99nh8st8DU
俺はまじまじと結さんを見つめる。
「また随分と突然ですね」
「まあいいから聞きなさい」
死後の世界と言えど、宗教的な話をするのは初めてだった。
若干の胡散臭さを感じながら、俺は耳を傾ける。
「異なるものと出会う場所にはね、神様がいるの。古代ローマの、境界神テルミヌスって言ったかしら」
ターミナルの語源よ、と結さんが言う。
意外と博識な結さんに、俺はやや感心しながらはあ、と相槌を打った。
163: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:23:12 ID:99nh8st8DU
「国境、港、関所や貿易の要……東京だったら上野駅がそうかもね。そんな場所に、テルミヌスはいる」
ターミナル駅。そんな言葉が過った。
生とその先の狭間、次の段階に進む場所、ここにも結さんの言う神様は、果たしているのだろうか。
「新しい場所に進むのは怖いわ。でも、だからこそ神様がそこで見ている」
皆の門出を見守っているのよ、と結さんは微笑んだ。
正直俺には神様とか、実在するのかも定かでないことを信じる気にはならない。
確かにそう思えば、門出は心強くなるだろう。
でも、それってつまり。
「結さんみたいなものじゃないですか」
164: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:24:47 ID:tbpDYj2bNQ
ぽろり、口に出せば一瞬の沈黙。
そして結さんが、ぶっはと噴き出した。
「ちょ、憩そんなこと言うー!?」
「何で笑うんですか!」
やだ可愛いー、とばしばし俺を叩いてくる結さんに顔が熱くなる。
そんなに変なことを言ったかと赤面しながら悩んでいると、笑いすぎて涙まで浮かべた結さんが目元を拭いながら息を吐く。
「いや、大いに結構。東京ターミナル駅の神様は満足しました」
「祟られますよ」
「いいのよ、死んだら仏なんだし。テルミヌスさんもそこまで矮小じゃないでしょ」
東に行ったり西に行ったり、節操のないことだ。
165: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/7(土) 15:25:47 ID:o7726pFAMk
全く神なんて風格のない結さんを眺めながら思う。
でも、彼女に救われた人が大勢いることも事実で。
「ああ、そうだ窓口開けっ放しで来ちゃったの。早く戻ろ、憩」
「仕方ないですね」
俺はよいしょと長椅子を立った。
先に立ち上がった結さんが、颯爽と俺の先を歩く。
その後ろ姿はしゃんと伸びていて、俺よりも小さいのに頼もしくて。
神様というのも、あながち間違いではないかもしれない。
絶対に言わないけれど、と俺は密やかに目を伏せたのだった。
166: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:19:54 ID:ogjb0kC5Sw
スレタイも登場しました。折り返し地点です。
少しずつこれから、終わりに向けて準備をしていきます。
どうか、お付き合いください。
167: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/8(日) 18:21:39 ID:ogjb0kC5Sw
「そういえば結さん」
と、パソコンから目を離さずに俺。
「なあに」
と、クッションを放り投げながら結さん。
「宮田さんのとき、いつからいたんですか」
「最初から」
盛大に指が滑った。
「え、あ、はあ!?」
ふじこ状態の画面もそのままに振り向くと、クッションを抱き締めたにやにや顔の結さんと目が合った。
雑多な事務所の中で、俺は精一杯椅子ごと後ずさる。
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