「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
13: 1:2011/12/11(日) 16:23:22 ID:7cMpp1kMaE
今でも鮮明に思い出す。
耳元を切る冷たい風、真っ暗な闇を切り裂いたライト、つんざくようなクラクションと、世界が反転して、最後に見たのは逆光の人影だった。
「完全な俺の不注意でしたね、トラック運転手の人に悪いことしました」
「駄目じゃない、飛び出しちゃあ」
「急いでたんですよ、日付変わりそうだったから」
彼女の誕生日だったんです、と紅茶を流し込みながら付け加える。
そういえば祝えずじまいだったと、今になって気が付いた。
14: 1:2011/12/11(日) 16:23:52 ID:7cMpp1kMaE
俺の感傷をよそに、結さんが嬉々として俺ににじり寄る。
「ねえ憩、そう言うの何て言うか教えてあげよっか」
「はいはい、何ですか」
「りあじゅう」
結さんがどや顔で言い放つ。
俺は無言で椅子ごと後ずさった。
「え、ねえちょっと何その反応。こないだ死んだばっかの女子高生に聞いたんだけど」
「数十年単位で遅れてる人が無理しないで下さい」
「何それオバサンだって言いたいの?」
こめかみに青筋を立てる結さんに口先だけで否定して、マグカップを庇いながら逃げる。
窓口から甲高い声が聞こえたのは、そのときだった。
15: 1:2011/12/11(日) 16:24:29 ID:7cMpp1kMaE
「すーいませーん!あのー!」
音程の高い、明らかに子供の声でなされた呼び掛けに、結さんはわざとらしく舌打ちをしてみせると俺をひと睨みして窓口に向かった。
危ない、危ない。
ちょうど良すぎるタイミングに、にやつきながら結さんを見送ると、俺は残った紅茶を一気に飲み干した。
「はい、お待たせ。何かしら、君」
子供相手にくるりと変わった営業用の声に吹き出しそうになりながら、耳を澄ませる。
「あの、おれ、もう一回この世に戻りたいんですけど!」
「駄目」
即答した結さんに、子供は不満げに大声を上げた。
16: 1:2011/12/12(月) 12:18:01 ID:7cMpp1kMaE
「なんで!」
「駄目なもんはだーめっ」
窓口の向こうで駄々を捏ねる子供になんとなく興味をひかれて、俺は席を立った。
「あのね、ひとり一回しか行けないの。君もうこないだ行ったでしょ、もう行けないわよ」
「でもっ」
結さんはすっかり応対する気をなくしたようだった。
窓口の椅子で足を組み、はぁーあと溜め息をつく。
「でもおれ、行かなきゃならないんだ。もう一回、どうしても行きたいんだ」
「みんな同じよ、でも我慢している」
子供が言葉に詰まる。
ようやく視界に入った彼は、下を向いて拳を握り締めていた。
17: 1:2011/12/12(月) 12:18:38 ID:7cMpp1kMaE
「……じゃあいいよ、おれ勝手に行く!」
子供がくるりと踵を返す。
「あっ、こら!待ちなさい!」
結さんが慌てて立ち上がるも、子供はあっという間に駅中央ホールの雑踏に消えた。
わあ大変。
半ば面白がってそれを眺めていると、結さんが唐突に俺を振り向く。
「憩、ちょっと追い掛けてきて」
「嫌ですよ面倒臭い」
「あの子成仏できなくなるわ。上司命令よ」
「結さんいつから俺の上司に」
まあ立場的には上司だけど。
鋭い睨みをきかせる結さんの無言の圧力に負けて、俺は渋々案内事務所の扉に手をかけた。
18: 1:2011/12/12(月) 12:19:13 ID:XaSSnJluPk
「みーつけた」
立ち止まったところを、後ろから。
元気があっても所詮は子供、捕獲するのは簡単だった。
「あってめえ、離せよ!」
「やだよ俺が怒られるもん」
「はーなーせ!」
「こんにゃろ、はたちの体力舐めんなよ」
じたばたともがく子供を抱え上げて来た道を戻る。
危ないところだった。
どうやったのか改札口をすり抜けて、彼は駅ホームへの階段にまで来ていた。
19: 1:2011/12/12(月) 12:19:47 ID:XaSSnJluPk
「結さん、捕まえましたよ」
はい、と子供の首根っこを掴んでつき出すと、結さんはご苦労と言って満足そうに口角を上げた。
「さーもう逃げらんないわよ、観念しなさい」
「やだ!放せ!」
相変わらずぎゃあぎゃあとうるさい子供の両腕を掴んだまま、結さんが俺に指示する。
「憩、応接室開けといて。ついでにココアでも淹れてあげて」
「こっ子供扱いすんな!」
「するわよ、ガキ。たっぷりお話聞かせてもらうわ」
悪の親玉のような台詞を楽しげに言う結さんと急に青ざめた子供に背を向けて、俺は給湯室に足を運んだ。
20: 1:2011/12/12(月) 22:11:54 ID:XaSSnJluPk
温め直したミルクティとココアを持って部屋に入ると、流石にもう大人しくなった子供がソファに鎮座していた。
「気が利くじゃない」
ふたりの前にマグカップを置くと、結さんが表情を緩める。
子供の方は、目の前に置かれたココアと結さんの顔を、戸惑い気味に見比べていた。
「よし、じゃあ名前から聞きましょうか」
俺が隣に腰を下ろすのを見計らって結さんが切り出す。
子供は少し警戒したようにこちらを窺いながら、漸く口を開いた。
21: 1:2011/12/12(月) 22:12:40 ID:XaSSnJluPk
「……神山、大地」
「大地くんね、分かった」
結さんが手元の書類を見ながらふんふんと頷く。
いつの間にか結さんは彼の記録を探し当てていたらしかった。
「心臓の病気で亡くなってるのね、あんなに走って大丈夫だった?」
「別に、もう死んでるし」
大地は怪訝そうに結さんを見上げた。
初っぱなから叱られるとでも思っていたのか、居心地が悪そうにもぞもぞとソファの上に座り直す。
22: 1:2011/12/12(月) 22:13:18 ID:XaSSnJluPk
「そりゃそうよねえ、私だって死んでから風邪引いたことないし」
「知りませんよ」
俺が挟んだ突っ込みは華麗に無視される。
結さんはペンを顎に当てながら、書類の文字を目で追った。
「んー、現世滞在は三日間。二ヶ月くらい前に行ってるわね、合ってる?」
大地が頷く。三日とはなかなか短い。
結さんも同じことを思ったのか、片眉を吊り上げながら大地に尋ねた。
「結構短いけれど、それで用は足りたのかしら?」
「分かってたから。おれも、お母さんも」
23: 名無しさん@読者の声:2011/12/12(月) 23:53:23 ID:dqvzbTqV8Y
結っていうネーミングが素晴らしい
(´・ω・`)っC
24: 1:2011/12/13(火) 11:54:50 ID:XXnWtGX0ys
>>23
支援さんくす!
微妙に悩んだ甲斐があるってもんです(^ω^ )
25: 1:2011/12/13(火) 22:31:36 ID:XaSSnJluPk
大地はそのときのことを思い出しているのか、少し辛そうに顔を歪めた。
「おれさ、病気重くて。もうすぐ死ぬってことも知ってたから、帰ってもやることなんてないと思ってたんだ」
なるほど難病系か、と俺はひとりで納得した。
事故かと思ったが、この年齢で亡くなったのはそういう理由らしい。
「死んだのは仕方ないし、みんな悲しんでくれてたけど、やっぱり仕方ないって感じだった」
結さんは指一本動かさずに大地の話に聞き入っている。
俺は余所見をしたのが申し訳なくなって、大地に視線を戻した。
26: 1:2011/12/13(火) 22:32:30 ID:XaSSnJluPk
「でも、おれ、忘れてたんだ、約束したこと。お母さんの誕生日、今年はちゃんと祝うよって。でも、……」
「その前に、ここに来てしまったのね」
結さんが、詰まった言葉の続きを受け取る。
大地はばつが悪そうにまた頷いた。
「お母さん、祝って欲しかったって泣いてた。あと二ヶ月と少しだったのに、約束したのにって」
祝えなかった誕生日。
それを知って俺は、喉が締め付けられるような思いがした。
27: 1:2011/12/13(火) 22:33:10 ID:XaSSnJluPk
大地の母親の誕生日は、まだ来ていない。
俺は間に合わなかったけれど、彼なら。
「だから、どうしても行きたいんだ。おれ、このままだったら嘘つきになっちゃう」
大地が顔を上げて、きっと結さんを睨み付ける。
結さんは表情を変えないまま、凪いだ瞳で大地を見つめ返していた。
「仕方のないことなのよ。死ぬのはいつか、誰にも分からない」
「でも!」
「君はもう、一度現世に帰ってしまった。一度きりの権利を、もう使ってしまったのよ」
結さんはきっぱりと言い切った。
取り付く島もなかった。
28: 1:2011/12/13(火) 22:33:54 ID:XaSSnJluPk
耐えきれず俺は口を挟む。
「結さん、そんな無慈悲な」
「憩は黙ってて」
すげなく制止されて俺は口を噤んだ。
依然として真顔のままの結さんが、続けて語る。
「私は総合案内事務所の責任者なのよ。そんなこと、許可できる訳がない」
結さんは頑なだった。
ずっと気丈に結さんを睨んでいた大地も、ついに視線を落とす。
「そんな……」
大地の小さな声が、応接室の机に落ちて、吸い込まれていった。
29: 1:2011/12/13(火) 22:34:31 ID:XaSSnJluPk
「そうよ、認められない。この書類に、君が現世に降りた記録が確かに残っている」
結さんは立ち上がると、手にした書類をかざして見せた。
悔しそうにそれを見つめる大地の前で、何故かくるりと踵を返す。
「……結さん?」
結さんは淀みない足取りで応接室を出ると、雑多な机の横にしゃがみこむ。
追い掛けて部屋から覗き込む俺と大地の目の前で、おもむろに結さんは。
書類をシュレッダーにぶちこんだ。
30: 1:2011/12/14(水) 12:12:50 ID:zfaQV.HN9M
「あ――っ何してんすか!!」
真っ先に声を上げたのは俺だった。
冗談じゃない、何てことを。
慌てて駆け寄ってもシュレッダーは書類を半分以上飲み込んでしまっていて、もう復元は無理そうだった。
「ちょっと結さん!酷いじゃないですかこれ、まだパソコンに記録移してないのに!」
「それなら好都合、もう記録はどこにも残ってないわね」
にっ、と結さんが口だけで笑う。
「書類なんて、最初からなかったのよ」
31: 1:2011/12/14(水) 12:13:25 ID:zfaQV.HN9M
あ、と思わず声が漏れる。そういうことだったのだ。
大地が現世に戻った記録は存在しない、だから行ったことがあることにはならない。
「……って、乱暴すぎやしませんか」
「何のことかしら、私は何もしてないわよ」
しゃあしゃあと言い放つ結さんに、頭を抱えたくなる。
実際頭を抱えた俺の横を通って、結さんは大地に歩み寄った。
「……という訳だから、君の記録を新しく作るわ。現世に行ったことは?」
視線の高さを合わせて、にこりと笑う。
大地は大きく目を見開いて、結さんのことを見ていた。
32: 1:2011/12/14(水) 12:13:53 ID:zfaQV.HN9M
「ない!」
「分かったわ。あっちで手続きするから、必要事項書いてね」
結さんが窓口の方に大地を促す。
しかし大地は少し迷ったように足を止めると、俺らに向き直って大きく口を開いた。
「あのっ、ありがとう、ございました!」
大声の感謝に結さんと顔を見合わせて、俺は笑顔を零す。
「何のことやら」
「変なこと言うわねえ」
俺たちがくすくすと笑う間で、大地は照れくさそうに頭を掻いていた。
139.93 KBytes
[4]最25 [5]最50 [6]最75
[*]前20 [0]戻る [#]次20
【うpろだ】
【スレ機能】【顔文字】