「出来、たー……!」
オフィス用の椅子を限界まで倒してのけ反ると、背骨と腰の辺りからばきぼきと嫌な音が鳴った。
うん。リアルだ。
ひとりで納得しながら腕を伸ばしていると、窓口に立っていた結さんが振り返る。
「お疲れ様、今日のノルマは終わりよ」
「死んでるのにドライアイになりそうですよ」
「私だって死んでから書類仕事する羽目になるとは思わなかったわよ」
お腹は空かない、でも眠れる。
肉体はないはずなのに、仕事をすれば疲れるし、物に触れることもできる。
死後の世界というものは、全くおかしな場所だった。
105: 1:2011/12/27(火) 14:46:53 ID:/5FRZFy.DE
「伊達に何十年も窓口やってないわよ。小娘ひとり送り届けるくらい何てことないわ」
「泣きそうだったくせに」
「おー、この口が人のこと言えるか?」
生意気な口め、と俺の頬に手を伸ばそうとする結さんをあしらいつつ、食器を給湯室に運ぶ。
美郷は今頃、もう行ってしまっただろうか。
結さんは、先に進んでも生まれ変われないと言う。
だから俺は、まだ進みたいとは決して思えないけれど。
ティーカップの中身は、もう飲み干されることはない。
俺は流し台に紅茶を捨てた。
願わくは、彼女の行く先に幸多からんことを。
106: 1:2011/12/28(水) 12:04:13 ID:agmpcxXNZc
事務所に溢れ返っている、あの雑多な書類について話そう。
書類のほとんどは、死んでからこちらの世界に来た人の、個人情報が満載の記録だ。
名前のほかに、生年月日や経歴といった基本情報、死因や現世行きの履歴などこの場所特有の項目などがある。
本人の記入と結さんの手書きで作られた記録は、見ているだけでもなかなか面白い。
中でも特に読み応えがあるのは、結さんによる備考欄だった。
107: 1:2011/12/28(水) 12:04:57 ID:agmpcxXNZc
「……あれ、この書類こないだの」
ぺら、と山の頂上にある冊子を捲ると、その書類だけやけに最近のものだった。
どうやら紛れ込んでいたらしい。
俺はその書類を掴むと、後ろでくつろいでいた結さんに声をかけた。
「結さんこれ、置く場所間違ってませんか」
「ん、いつのー?」
「美郷ちゃんの奴です」
そう言いながらぱらぱらと捲ると、やけにみっちりと字の詰まった備考欄が目についた。
108: 1:2011/12/28(水) 12:05:53 ID:agmpcxXNZc
「あー、しくった。ごめんそれ、二番目の棚の上に積み上げといて」
「はあ」
備考欄には美郷が話した家庭事情や学校のことが詳細にメモされていた。
それを眺めながら生返事をすると、結さんが、聞いてるの、と尋ねる。
「聞いてないでしょ、明らかに」
「すいません」
「憩から聞いてきたのに」
ぷぅと結さんが頬を膨らませる。
その年でそれをやるかと思わなくもないが、備考欄に興味を惹かれたので突っ込みは保留にした。
109: 1:2011/12/28(水) 12:06:28 ID:agmpcxXNZc
「何読んでるの?備考欄?」
暇だったのか、ひょこっと顔を出した結さんが書類を覗き込む。
俺は特に拒否する理由もないので、座ったまま結さんにも見えるよう書類を広げた。
「毎回思ってましたけど、随分と詳しく書いてますよね」
「まあね、半分趣味みたいなものだから」
あれから長い時間が経ったという訳でもないのに、結さんは屈み込むと、懐かしそうに目を細めて紙に手を触れた。
「大地くんのもあるわよ、勿論もっと前の人も」
「知って、います」
ずっと記録に触れていれば、気付かない訳がない。
全て読んでいたら一向に仕事が進まないから、きちんと目を通したことはないけれど。
110: 1:2011/12/28(水) 12:07:26 ID:IZAkWz/mtQ
「……いいんですか。こんなに細かく書いたところで、どこにも残りませんよ」
パソコンに全部は入力してませんから、と俺は書類から目を逸らす。
パソコンに打ち込んでデータになった書類は捨ててしまう。
当然だ、溢れかえった書類を減らすために俺は仕事をしているのだから。
ただ、このびっしりと書き込まれた備考欄まで消し去ってしまうのは、とても勿体ないように思えた。
「いいのよ、覚えてるから」
全部ね、と結さんは、冗談とも本気ともつかない笑みを浮かべる。
111: 1:2011/12/29(木) 11:56:38 ID:XXnWtGX0ys
「何ていうか、日記みたいな?書くことが大事なのよね、流石に全員は無理だけど」
「そういうもんですか」
「そーいうもんよ」
結さんはどこから引っ張り出してきたのか、クッションを抱え込みにぎにぎと押し潰して遊んでいた。
俺はそれを横目に書類を閉じると、机の脇に横たえる。
記憶に残っていることは、俺も同じだった。
「ていうか、備考欄以外も割と面白いですよこれ」
俺はすっかり機械相手の作業にやる気をなくして、山積みの書類を片っ端から捲り始めた。
少しの休憩、後で頑張ればいいだろう。
利用者が訪れない限り暇そうな結さんは、相変わらずクッションを苛めながらいかにも興味津々といった様子で話に乗ってきた。
112: 1:2011/12/29(木) 11:57:32 ID:XXnWtGX0ys
「何なに、例えば?」
「死因とか」
「うっわ、悪趣味」
そんなことを言われても仕方ない。
死因が載った履歴書なんて、見たことがなかったのだから。
「がん、脳卒中に心筋梗塞、交通事故にその他災害……」
「読み上げないでー、お姉さん虚しくなっちゃう」
きゃー、と棒読みの悲鳴を上げる結さんに、何を今更と溜め息をつく。
113: 1:2011/12/29(木) 11:58:10 ID:XXnWtGX0ys
「俺らだって死んでるじゃないですか」
「君は慣れるのが早すぎるのよ。小学生みたいな理由で来たくせに」
「それ今関係ないでしょう!」
小学生の死亡事故原因第一位、自転車での飛び出し。
思わず噛みつくと、結さんはにやつきながら、まあ可愛らしいと口元に手を添えた。
全くこの人には、抵抗するだけ無駄なのかもしれない。
「そう言う結さんは、どうしてここに?」
そういえば聞いたことがなかったと、ふいに思い当たって俺は問うた。
結さんも十分、ここに来るにしてはまだ若い方なのだけれど。
114: 1:2011/12/29(木) 11:58:56 ID:XXnWtGX0ys
俺の質問に結さんは、ぴたりと手を止めて目を泳がせる。
「あー……何でだろうね?」
「ちょっと」
いくら何でも分からないというこては、と胡乱げに見ると、結さんは慌てて手を振って否定した。
「いや違うの、別に忘れてるとかじゃなくて、ちょっと分類が難しいだけなの!」
「いや大丈夫です、分かりましたから」
本気で忘れていると思った訳ではない。
結さんは小さく息を吐くと、自分の最期のことを語り始めた。
115: 1:2011/12/29(木) 12:00:05 ID:XXnWtGX0ys
「私、病弱だったから」
吹いた。初っ端から。
「ちょっと何笑ってんのよ」
「すいま……っ、せん」
妙にツボに入ってしまった俺は、笑いを噛み殺しながら続けてください、と促した。
結さんは片眉を吊り上げて握り拳をつくりながら、それでも続きを話してくれた。
「子供を生んだときにね、体が保たなかったのよ」
結さんは抱えたクッションをゆっくりと体から離すと、おもむろに俺の腕に預けた。
「……結さん母親だったんですか」
「一瞬だけね」
116: 1:2011/12/30(金) 10:44:45 ID:agmpcxXNZc
結さんがふっと目を和ませる。
俺は手渡されたクッションを握るでもなく、結さんを静かに見上げていた。
「まあせっかく授かったんだから、産んであげたかったし」
危なかったけど産んじゃった、と結さんは笑う。
「旦那は反対したんだけど、頑張って説得してね。結局私は死んじゃったけど」
「そんな、」
「覚悟の上よ」
誇らしげに胸を反らす結さんを、結局死んだから誇れないんじゃないかと思いつつ、それでも素直に尊敬する。
自分の命と引き換えに子供を産むのは、どんな気持ちだったんだろう。
117: 1:2011/12/30(金) 10:45:12 ID:agmpcxXNZc
「……お子さんは、お元気なんですか?」
俺はそっと思いを押し込めるように尋ねた。
結さんは少しの沈黙の後に、笑い混じりの吐息で答える。
「一度降りたときは、元気そうだったわ。旦那が面倒を見ててね、ちょうど言葉を話し始めた頃だったけれど」
和やかに語る結さんに、俺も自然と微笑ましい気分になる。
しかしその雰囲気は、一瞬にして打ち壊されることになった。
「も、すっごく可愛くて!何これうちの子赤ちゃんタレントになれるんじゃない?みたいな!まじで天使だったの!」
118: 1:2011/12/30(金) 10:45:39 ID:agmpcxXNZc
きゃーっと歓声を上げる結さんに、せっかく良い話だったのにと少し呆れる。
どんな可愛い子なんだろうか、ロリコンでなくとも気になるところだが。
多分この人親馬鹿だ。
そんなことを考えているうちにも、結さんの話は続く。
「あのね、私の遺影を見て、まーまーって言うの!お利口さんっていうか、教えた旦那に心からグッジョブっていうか!」
生きていたら、というか今でも確実に子煩悩な結さんに若干引きながら相槌を打つ。
ひとしきり話し終えると、満足したらしい結さんは細く長く息を吐いた。
「本当に、産んでよかったわ」
119: 1:2011/12/30(金) 10:46:12 ID:agmpcxXNZc
自分が死んでも、と俺は心の中で付け加える。
結さんの言葉には嘘なんてひとつも見つからなくて、清々しいまでにきっぱりと断言した横顔は澄んでいた。
「お腹を痛めて産んだ甲斐が、って奴ですか」
俺が笑いながら言うと、急に真顔になった結さんが眉をひそめる。
「いやでもあれは本当に痛かったわ、痛すぎて死ぬかと思った」
「死んでるじゃないですか!」
笑えない冗談を笑い飛ばして俺達は顔を見合わせる。
見た目は30にも行っていない結さんが、自分よりもはるかに大人のように見えた。
120: 1:2011/12/30(金) 10:46:52 ID:agmpcxXNZc
「お子さんに会いたいと、思わないんですか」
思ったことをそのまま口に出せば、結さんが一気にしかめ面になる。
「やあよこんな場所で、絶対会いたくない」
「ですよねー」
親子二代で早死にというのも如何なものか。
俺が失言に苦笑すると、結さんは少し困ったように眉尻を下げて、俺の手から忘れ去られていたクッションを取り上げた。
121: 1:2011/12/30(金) 10:47:23 ID:agmpcxXNZc
「そうね、でも――」
俺は奪われたクッションを目で追いながら結さんを見上げる。
結さんは俺と目が合うと、にこりと自然に笑ってみせた。
「あの子がよぼよぼのお年寄りになっていたら、会いたかったわ」
ああ、これが母親なんだ、と。
妙に腑に落ちるような気がして、俺は目を伏せた。
取り上げられたクッションの柔らかさは、まだ手のひらに残っている。
きっと幸せに暮らしているんだろうと、俺は彼女の子供に思いを馳せたのだった。
122: 1:2011/12/31(土) 16:30:17 ID:IZAkWz/mtQ
たまにはageてみたくなる。
そんな気分。
今年最後の更新にまいりましょー( ^ω^)
123: 1:2011/12/31(土) 16:31:18 ID:IZAkWz/mtQ
先日発掘したクッションは、晴れて結さんのお気に入りとなったらしい。
窓口仕事のときは結さんの背中に収まり、休憩中は腕に抱かれてむにむにと押し潰される。
そんなクッションが何故か今は、中身が飛び出さんばかりに締め付けられていた。
「あのですね、ですから貴方は亡くなってるんです。まずはそれを受け入れて頂かないと、こちらとしても対応が……」
「ふん、そんな馬鹿なことがある訳ないだろう。じゃあ何故俺はこのペンに触れるんだ」
知るかよそんなもん、と窓口に座る結さんの背中が毒づく。
机の下でクッションが、また一段と酷くひしゃげるのを見て、俺はやれやれと大きな欠伸をした。
124: 1:2011/12/31(土) 16:32:17 ID:XXnWtGX0ys
結さんが対峙しているのは、五十代半ばほどのおじさんだ。
生真面目そうなスーツ姿で、至って普通の常識人に見えるのだが。
「大体そんな阿呆な話が信じられる訳ないだろう。ここはどこの駅だ、責任者を出せ」
その生真面目さが仇となったようだった。
この調子でかれこれ十分が経つ。
結さんは貼り付いた営業スマイルの下でクッションに苛立ちをぶつけながら、辛抱強く同じ説明を繰り返していた。
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