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【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
Part8


395 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:35:24 ID:sbn
( ・`ω・´)「もう幽閉されて何年になるんだろう…」
( ・`ω・´)「何か外が騒がしいけど、ぼくらの現状は変わらない…」
( ・`ω・´)「青空が見たいなぁ…」
彡(゚)(゚)「せやな」
( ・`ω・´)「ファッ!?」
彡(゚)(゚)「ちょっと話がしたいんやけど、ええかな?」
( ・`ω・´)「え、えぇ。どうぞ。」

396 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:36:45 ID:sbn
彡(゚)(゚)「ワイはお前ら民主主義運動家を解放したいと思っとる」
( ・`ω・´)「え?」
彡(゚)(゚)「そんでな、お前らに治世の協力をしてもらいたいんや」
彡(゚)(゚)「資金や物資の援助もしたるし、優秀な原住民は軍政府の高官にも登用したる」
彡(゚)(゚)「ワイは裏切らん、これはワイとお前との約束や」
( ・`ω・´)「…分かった、君を信じるよ」
彡(^)(^)「(ニッコリ」
今村は、幽閉されていたスカルノに協力を求め、スカルノはそれに応じました。
政治犯として幽閉されていた民主主義運動家は解放され、
今村とスカルノの間には固い絆が生まれたのでした。

397 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:37:46 ID:sbn
(●▲●)「民主主義運動家は解放されて、入れ替わりに俺らが牢獄行きか…」
(●▲●)「しかし何だ?この豚小屋は」
(●▲●)「こんなことになるなら、もっとまともな牢獄を造っておけばよかったぜ…」

398 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:39:14 ID:sbn
それから…。
彡(゚)(゚)「石油精製施設を復旧したからオランダ時代の半額で一般に売り出すで〜」
彡(゚)(゚)「オランダ軍から没収した金で学校を建設したで〜」
彡(゚)(゚)「日本兵諸君。略奪とかの不法行為は厳禁やで」
彡(゚)(゚)「治安維持に努めるんやで〜」
彡(゚)(゚)「なんや、オランダ人の民間人も残っとんのか…」
彡(゚)(゚)「まぁ軍属でないなら住宅地に住んでええで、外出も認めるわ」

399 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:40:34 ID:sbn
やがて戦争が進み、日本では衣料が不足し配給制となります。
(●●●●●●●)「日本で白木綿が足りん」
(●●●●●●●)「今村、ジャワ島の白木綿をこっちによこせや」
彡(゚)(゚)「…そんなん言われても無理ですわ」
彡(゚)(゚)「原住民の生活が圧迫されますし…」
彡(゚)(゚)「それにこっちの白木綿は死者の埋葬に使うんですわ」
彡(゚)(゚)「宗教心を傷付けるのは不味いんですわ…」
(●●●●●●●)「は?お前軍政府に逆らうんか?」
彡(゚)(゚)「い、いえ、そんなことは…」

400 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:41:55 ID:sbn
(●●●●●●●)「おう、ちょっと現地に調査に行けや」
(●●●●●●●)「場合によっては今村飛ばしたるわ」
(・日・)「はい、分かりました」
(*^◯^*)「今村さんはとてもいいひとなんだ!」
(*^◯^*)「これなら独立も夢じゃないんだ!」
(・日・)「………」

401 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:43:15 ID:sbn
(・日・)「原住民は日本人にとても親しみをよせています」
(・日・)「オランダ人は完全に敵対を断念しているようです」
(・日・)「治安も良く、産業も復旧され、」
(・日・)「軍需物資調達の面でも、ジャワ島の成果はずば抜けて良いです」
(●●●●●●●)「ぐぬぬ…」

402 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:44:34 ID:sbn
(*^◯^*)「〜♪〜♪」
彡(゚)(゚)「お、”インドネシア・ラヤ”やな?」
(*^◯^*)「そうなんだ!オランダ時代は禁止されていた歌なんだ!」
彡(゚)(゚)「ほ〜ん…」

403 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:45:55 ID:sbn
(*^◯^*)「〜♪〜♪」
彡(゚)(゚)「おう、原住民」
(*^◯^*)「あ、今村さん!」
彡(゚)(゚)「これ、持ってけ」
(*^◯^*)「これは?」
彡(゚)(゚)「”インドネシア・ラヤ”のレコードや、東京で作ったんやで」
(*^◯^*)「本当!?」
彡(^)(^)「ああ、みんなに配ってやるんやで」
(*^◯^*)「ありがとう!今村さん!」

404 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:47:29 ID:sbn
彡(゚)(゚)「そういやここの首都”バタヴィア”はオランダが付けた名前やったな」
彡(゚)(゚)「由来はオランダの旧地名か…」
彡(゚)(゚)「もう相応しくはないわな、新しい名前考えな」
彡(゚)(゚)「せやな……確か、古インドネシア王国の首都はジャヤカルタやったそうや」
彡(゚)(゚)「…よし。今日からここは”ジャカルタ”や!」
首都ジャカルタ。
それは今村中将の統治中に改称されました。
また、敵国後であるオランダ語は禁止され、
インドネシア語の使用が義務づけられ普及することになりました。

405 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:48:50 ID:sbn
(●●●●●●●)「おう、今村」
彡(゚)(゚)「なんや?」
(●●●●●●●)「やっぱお前の政策は甘いわ」
(●●●●●●●)「今からでもシンガポールみたいな強圧的政策に切り替えろや」
彡(-)(-)「申し訳ないけど、それはできないんやで」
(●●●●●●●)「は?」

406 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:50:18 ID:sbn
彡(゚)(゚)「”占領地統治要綱”」
彡(゚)(゚)「ここには『公正な威徳で民衆を悦服させ』と書いとる」
彡(゚)(゚)「ワイは公正にやっとるだけや」
彡(゚)(゚)「それで民衆を悦服させとる」
彡(゚)(゚)「何も間違いはないやろ?」
(●●●●●●●)「ぐぬぬ、ふざけたことを…」
彡(-)(-)「もし”占領地統治要綱”自体を改正して」
彡(-)(-)「ワイを従わせようと言うなら」
彡(゚)(゚)「その前にワイを免職してくれや」
彡(゚)(゚)「方針転換するような軍には付いていけんからな」
(●●●●●●●)「………。」

407 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:50:23 ID:8UW
日本軍AAが暗黒君で草

408 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:51:43 ID:sbn
彡(゚)(゚)「何か”八紘一宇”という言葉が誤解されとるなぁ」
彡(゚)(゚)「侵略主義のように思われとる」
彡(゚)(゚)「ホンマは同一家族・同胞主義って意味やのになぁ…」

410 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:53:25 ID:sbn
1942年11月20日。
彡(゚)(゚)「なんや第8方面軍司令官になったわ」
彡(゚)(゚)「昇進なんやて。ラバウルへ異動や」
彡(゚)(゚)「……実質飛ばされたようなもんやな」
彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイはここまでや」
彡(゚)(゚)「後は任せたで」
1942年のジャワ島で行われた今村中将による善政。
それは共存・共栄を目的とした”融和政策”でした。
今村中将のジャワ島任期は僅か8ヶ月。
しかしそれが残したものは非常に大きく、
後の日本ジャワ軍政の命脈を保つ事になります。

411 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:54:27 ID:sbn
今村中将によるジャワ島独自の政策は終わり。
以後、ジャワ島でも各地同様、軍部の思惑通りの政策に取って代わられることとなります。
【中将・今村均編 完】

412 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:54:52 ID:sbn
本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。
ここから先の流れは一言の誤りが矛盾を生むので慎重策で挑んでいます。
従って隔日更新などの日を空けての更新が増えると思います。
明日の更新はありませんのでご容赦下さい…。

413 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:55:36 ID:2d3
まだまだ続きそうやな…

414 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:56:40 ID:PsK
おつやでー

415 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)21:59:10 ID:EL6
サンイチ
簡潔で分かりやすいイッチの文章、すき

416 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)22:11:31 ID:EtW
面白いわー
心ある軍人もいたんやな

417 :名無しさん@おーぷん :2015/03/25(水)22:43:16 ID:s4b
人に好かれようとではなく自分に従ってこんなことできるのが素晴らしいですわ

434 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:35:33 ID:4ZV
彡(゚)(゚)「ワイが後任の軍司令官・原田中将やで〜」
彡(゚)(゚)「早速やけど、歌”インドネシア・ラヤ”と旗”メラ・プティ”は禁止なんやで」
彡(゚)(゚)「これは軍の決定やから逆らったらいかんのやで〜」
(´・ω・`)「…。」
東インドの独立を危惧した日本軍は、その象徴である歌と旗を禁止していました。
今村中将(昇進により今村大将)の後任となった原田熊吉中将。
彼は今村とは対照的な、軍部の意向に沿った強圧的政策を始めます。

435 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:37:05 ID:4ZV
彡(゚)(゚)「オラ!さっさと集まれや!」
(´・ω・`)「わ、分かったよ、日本のおにいちゃん…」
彡(゚)(゚)「集まったな、よし!」
彡(゚)(゚)「宮城に向かって敬礼!」

436 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:37:36 ID:4ZV
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「おい!さっさと頭を下げるんや!」
(´・ω・`)「え!?そ、そんな…」
彡(゚)(゚)「つべこべ言うな!この原住民が!」
(´・ω・`)「いたっ、ぶたないで…」
彡(゚)(゚)「馬鹿野郎!原住民の癖に口答えすんな!」
彡(゚)(゚)「いいからさっさと頭を下げろ!」
(´・ω・`)「うぅ、ぼくイスラム教徒なのに…」
スマトラ島東北部、北スマトラ州メダン市中心部。
ここには紘原神社が建設され、毎日原住民たちが集められます。
そして彼らは全員、宮城(皇居)の方角に向かって敬礼(遙拝)させられるのでした。
その中には当然イスラム教の原住民たちも含まれ、
彼らが礼拝する西方の聖地メッカとは真逆の、東方向への礼拝を強要されたのです。
頭髪は強制的に刈り込まれ、日本語も強要されたそうです。

437 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:38:46 ID:4ZV
彡(゚)(゚)「労務者を募集するで〜」
彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで〜」
(*^◯^*)「日本のおにいちゃん、ぼくもロームシャになるよ!」

438 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:39:56 ID:4ZV
(・◇・)「知ってる?”ロームシャ”の話」
(´・ω・`)「うん、なんでも炭坑に連れて行かれて死ぬまで酷使されるんだって」
(´・ω・`)「食事もロクにもらえず、みんな次々と死んでいく最悪の環境だって…」
彡(゚)(゚)「労務者を募集するで〜」
彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで〜」
(´・ω・`)「………」
(・◇・)「………」

439 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:40:59 ID:4ZV
彡(゚)(゚)「え〜、労務者に応募する者が減ったので」
彡(゚)(゚)「今日から地域毎に労務者を出してもらいます」
彡(゚)(゚)「これは軍が決めたことです、絶対やで」

440 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:42:08 ID:4ZV
(・◇・)「男の人はみんな”ロームシャ”として連れて行かれちゃった…」
(・◇・)「男手不足で農作物は不作だし、持って行かれる農作物の量も半端ない…」
(・◇・)「これじゃオランダ時代以下だよ…」
インドネシア史に残る悪名高い忌むべき言葉”ロームシャ”。
”日本軍による強制労働”という意味でインドネシア語になり、教科書にも載っています。
戦時中、ジャワ島は食料と労働力の補給基地という位置付けでした。
”ロームシャ”は労働力不足のスマトラ島やタイ、ビルマなどに移送され、
飛行場、道路、武器庫、防御陣地、地下兵器倉庫、鉄道建設などに従事します。
彼らの一部は作業場で死亡し、その死因は栄養不良、病気、そして機密保持のため殺害された可能性も高いそうです。
日本側の主張では14万人〜22万人。インドネシア側の主張では400万人が動員されたそうです。
帰還できたのは7万5千人だったと見積もられ、
動員された”ロームシャ”の多くは、戦後も帰ってきませんでした。

441 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:43:19 ID:4ZV
1943年5月
彡(゚)(゚)「戦線拡大でジャワ島の兵力が足らんようになってもた…」
彡(゚)(゚)「せやから日本軍の補助兵を募集するで〜」
彡(゚)(゚)「志願者には4ヶ月ほどの日本語教育を。」
彡(゚)(゚)「更に2ヶ月間の軍人訓練を受けてもらうで」
彡(゚)(゚)「試験に合格した優秀な人材だけを採用するで〜」
”ヘイホ”と呼ばれる日本軍の現地民補助兵。
この制度が確立したことで、それまでに雇われていた現地民補助兵もまとめて”ヘイホ”として組み込まれました。
主な業務は運転手などの補助的任務でしたが、部隊によっては”ヘイホ”に大砲操作を任せざるを得ない事態にもなっていました。
中には部隊の配置転換により、ニューギニア戦線やビルマ戦線に従軍させられた”ヘイホ”もいます。
彼らは戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者が出ました。

442 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:44:22 ID:4ZV
U・ω・U「衣食住の保証あり、か…」
U・ω・U「これも独立と国軍整備の第一歩だよね」
U・ω・U「ぼくは”ヘイホ”に志願するよ」
当初、”ヘイホ”への志願者は多く、インドネシアでは最大50000人にも達したといいます。
”ヘイホ”は各部隊に均等に配属され、軍全体の約1割にもなりました。
しかし、故郷を離れ前線に投入されることが明らかになると、徐々に志願者は減っていきました。
やがて”ロームシャ”同様、地域毎の供出人数が設定され、
村長が”ロームシャ”になるか”ヘイホ”になるか迫る、半ば強制的な徴募になっていきました。
そして戦後、徴用を厳しく実施した何人かの村長が村人に殺害される事件が発生しました。
彼らの従軍中の給料の2/3は強制的に”貯金”させられており、敗戦によってそれらは全て没収されました。

443 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:45:25 ID:4ZV
・豆知識『ポンティアナック事件』
海軍特別警察隊による被害妄想、誇大妄想による虐殺事件。
捕虜となったオランダ人が陰謀を画策したものの、陰謀は事前に発覚し、全員が処刑されます。
そのオランダ人からたまたま地名・ポンティアナックが出たことから、
海軍特別警察隊はポンティアナックで疑わしそうな人物を全て逮捕します。
自白によって逮捕されたのはオランダ人、華僑、インドネシア人、医師、教師など様々。
更に拷問によって次々と逮捕者を拡大します。
結果、裁判で47名を処刑。
裁判以外でも毎夜密かに日本刀で50名を斬刑。
犠牲者は1000〜3000名といわれますが、インドネシア側の主張では21037名とされています。
なお、戦後に日本側関係者は全て処刑されました。
悲惨な事件ですが、首都から遠い地方での事件だったため、
当初インドネシアではそれほど関心を向けられなかったそうです。
虐殺事件は海軍管轄の東カリマンタン・ロアクール、マルク州南部ババル島でも起こったそうです。

444 :名無しさん@おーぷん :2015/03/28(土)22:46:27 ID:4ZV
・豆知識『アンボン事件』その2
”蘭印作戦”中、アンボン島アンボン。
(・豪・)「連合軍からアンボンの守備を任されたよ」
(・豪・)「ほら、オランダ軍ももっとシャッキリしないと」
(・蘭・)「えー、でもなぁ」
(・豪・)「あっ、敵の落下傘部隊が来たよ!敵襲だ!」