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【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
Part20


26 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:24:16 ID:kUi
1947年7月21日
(●▲●)「ワイらは待った」
(●▲●)「待って、そして返答は変わらなかった」
(●▲●)「決まりやな」
(●▲●)「そんじゃ、始めるか」
(●▲●)「原住民は一人残らず、叩き潰すんやで」

27 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:25:27 ID:kUi
ジャカルタ。
チルボン。
チアミス。
タシクマラヤ。
スマラン。
マグラン。
更にスマトラ島メダン、パレンバン。
12万を越すオランダの大軍は、インドネシア共和国全域への侵攻を開始。
そしてオランダ軍は、主要都市、農園や油田など、主立った拠点を次々と占領。
オランダで”第一次警察行動”と呼ばれる大規模侵攻。
それは、オランダの圧勝でした。

28 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:26:45 ID:kUi
[ジョグジャカルタ]
( ・`ω・´)「うぅ、とうとう我々も追い詰められてしまった…」
( ・`ω・´)「…こうなったら、都市部は破棄するしかない」
( ・`ω・´)「農村に隠れて、ゲリラ戦に移行するよ!」
オランダ軍は首都ジョグジャカルタにも攻め入り、共和国軍は都市部を破棄。
以後、戦闘は農村部でのゲリラ戦に移行しました。

29 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:27:55 ID:kUi
1947年8月1日
(●▲●)「フハハ!ワイらの勝利は目前や!」
(☆●●●●)「そこまでだ!」
(●▲●)「なんや?」

30 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:29:08 ID:kUi
(☆●●●●)「我らは”国際連合・安全保障理事会”」
(☆●●●●)「我々はこの戦争の”即時停戦”を求める!」
(☆●●●●)「オランダとインドネシアは、”平和的手段”をもって紛争を解決してほしい!」
インドネシア共和国・国連代表シャフリルは、この戦争の解決を国連で求め続けていました。
やがて、設立したばかりの”安全保障理事会”によって”戦争の即時停戦、及び和平解決を求める決議”が採択。
この決議に基づき、8月4日、停戦は成立されました。

31 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:29:56 ID:nUB
シャフリルイケるやん!

32 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:30:10 ID:AV6
国際連合GJ

33 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:30:23 ID:kUi
しかし。
(●▲●)「停戦?知らん知らん」
(●▲●)「ワイらのこれは、あくまで治安維持活動」
(●▲●)「ただの”警察行動”なんや」
(●▲●)「国民の秩序と安全を守るため、これは仕方のないことなんや」
(●▲●)「なぁ、せやろ?」
(*^○●)「ウン、ソウナンダ…」
(●▲●)「な?」
停戦成立後もオランダの攻撃は止みません。
占領地域には次々と”傀儡国家”が設立され、インドネシアは追い込まれていきました。
1947年12月9日には、ジャワ島西部ラワゲデ村で、男性150人以上が虐殺される事件も起きました。

34 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:31:22 ID:jFD
うおー…

35 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:31:34 ID:kUi
(*・公・*)「お願いです!どうかオランダを止めて下さい!」
(*・公・*)「ぼくたちはもう限界です」
(*・公・*)「このままではインドネシアは、本当に滅んでしまいます」
(*・公・*)「どうかぼくたちを助けて下さい!」
(☆●●●●)「う〜ん……そうですね……」
(☆●●●●)「それでは”仲裁委員会”を設置しましょう」
シャフリルの求めに応じ、国連は”仲裁委員会”の設置を決定します。

36 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:32:31 ID:AV6
おいオランダゴラァ

37 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:32:47 ID:kUi
(*・公・*)「ぼくたちインドネシアは、オーストラリアを指名します」
(●▲●)「ワイらはオランダは、ベルギーを指名するで」
(・豪・)(・白・)「ぼくたちはアメリカを指名します」
(☆●●●●)「それでは、アメリカ、オーストラリア、ベルギー」
(☆●●●●)「この3カ国による”仲裁委員会”を設置」
(☆●●●●)「各代表者はジャカルタにて、停戦協定の締結を目標に活動して下さい」
こうしてようやく、停戦協定締結に向け、事は進んで行きました。

38 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:33:57 ID:kUi
1948年1月17日
[ジャカルタ沖・米国軍艦レンヴィル・艦上]
(☆●●●●)「インドネシア共和国の領地は『ジャワ島中部』『ジャワ島西端部』『マドゥラ島』である」
(☆●●●●)「これにて停戦協定”レンヴィル協定”を締結する」
( ・`ω・´)「……了解しました」
インドネシア共和国の領土は、更に狭まりました。
しかし他に手段はなく。インドネシア共和国はそれを認めるしかありませんでした。

39 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:35:45 ID:kUi
( ・◇・)「この停戦協定で、戦闘はようやく小休止したんだ」
( ・◇・)「でも、この協定を認められないシャリフディン内閣は総辞職したんだって」
( ・◇・)「しかし、代わりを務める政治家は誰もいなかった」
( ・◇・)「だから、ハッタ副大統領が首相と国防相を兼任」
( ・◇・)「新内閣を組織して、国内の混乱収拾とオランダとの外交交渉を継続していったんだ」
( ・◇・)「………」
( ・◇・)「…語り部みたいな役になってしまったね」
( ・◇・)「まぁ何はともあれ」
( ・◇・)「独立戦争はいよいよ、クライマックスに突入するよ」

40 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:37:19 ID:kUi
( `(エ)´)「”レンヴィル協定”なんて認められん!」
( `(エ)´)「我々”インドネシア共産党”は徹底抗戦を主張する!」
( `(エ)´)「スカルノ大統領!ハッタ副大統領!」
( `(エ)´)「お前たちの外交路線は間違っている!」
ムソ。
ジャワ島東部出身。
社会主義を経て、”インドネシア共産党”創立に参加した人物。
1926年。共産党の武装蜂起失敗と共に、ソビエトへ逃亡。
やがて独立戦争が始まると、彼はインドネシアに戻ってきていました。
彼が帰国したことで、”インドネシア共産党”は再び勢力を伸ばすようになります。

41 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:38:35 ID:kUi
('ω`)
シャリフディン前首相。
戦前。彼は弁護士として開業する一方、反ファシズム運動に身を投じます。
戦中。彼は日本軍に逮捕されますが、スカルノらの嘆願により一命を繋ぎ止めました。
戦後。彼はシャフリルと共に、日本協力者を批判した”非日協力者”として政界で頭角を現します。
情報相・国防相の要職に就き、シャフリルの後を継いで首相にもなりました。
首相在任中。彼ははオランダとの協調路線を進めていました。
1948年1月23日。シャリフディン内閣が総辞職。
1948年2月。シャリフディンは、共産党・社会党を中核とした”人民民主戦線”を組織。
1948年8月。ムソの帰還と共に、シャリフディンはムソと行動を共にするようになります。

42 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:40:10 ID:kUi
1948年9月18日
[ジャワ島東部・マディウン]
(・軍・)「もう我慢ならん!」
(・軍・)「これ以上奴らに好き勝手やられて堪るか!」
(・軍・)「我々はマディウンの政府機関を奪取し、」
(・軍・)「”インドネシア・ソビエト共和国”樹立を宣言する!」
”マディウン事件”。
”人民民主戦線”ダフラン中佐の率いる第29旅団が、マディウンの政府機関を襲撃。
”インドネシア・ソビエト共和国”を宣言し、シャリフディン派の政権が作られました。
これにより、ジャワ島中部・東部の各都市にも流れが波及。
ジョグジャカルタとマディウンによる、内戦状態となりました。

43 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:41:21 ID:kUi
-- ラジオ放送 --
( ・`ω・´)「全国民に告げる!」
( ・`ω・´)「これは、インドネシア共産党による、」
( ・`ω・´)「インドネシア共和国、転覆の企てである!」
( ・`ω・´)「我々は、これを絶対に許さない!」
( ・`ω・´)「国民諸君!」
( ・`ω・´)「ムソらによる共産党を選ぶか!」
( ・`ω・´)「それとも我々、スカルノ・ハッタによる共和国を選ぶか!」
( ・`ω・´)「好きな方を選ぶと良い!」

44 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:42:32 ID:kUi
インドネシア軍の主流は、反共産党でした。
そのため、共和国は断固たる態度で対応。国民に二者択一を迫ります。
やがて、反乱は一ヶ月ほどで鎮圧されました。
ムソは射殺され、ムソに内通したシャリフディン元首相も逮捕、処刑されました。

45 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:43:39 ID:kUi
しかし…。
(●▲●)「来たな、この時が」

46 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:45:01 ID:kUi
1948年12月11日
(●▲●)「我々は”レンヴィル協定”の破棄を通告する!」
(●▲●)「そして我々は」
(●▲●)「インドネシア共和国への」
(●▲●)「”第二次警察行動”を開始する!」
”第二次警察行動”。
内乱により、インドネシア軍の軍事力は低下していました。
これに乗じ、遂にオランダが、最終攻撃を仕掛けたのでした。

47 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:45:41 ID:nH4
オランダきたねぇなぁ

48 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:46:12 ID:kUi
[ジョクジャカルタ]
1948年12月19日早朝
オランダは、ジョグジャカルタ飛行場を襲撃、飛行場を占拠。
海兵隊と蘭印軍が陸路で侵攻し、市内要所を強襲。
そして…。

49 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:47:23 ID:kUi
( ・`ω・´)「………」
(^)'・▲・`(^)「………」
(●▲●)「………」
(●▲●)「………」
(●▼●)「………(ニッコリ」
(●▲●)「捕らえろ」
( ・`ω・´)「うわああああああああああああああああ」
1948年12月23日までに、ジョクジャカルタの3個中隊は敗北。
臨時首都ジョグジャカルタは陥落。
ジョグジャカルタのスカルノ大統領、ハッタ副大統領、そして閣僚の大半。
彼らは全て、オランダに逮捕されたのでした。

50 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:48:16 ID:AV6
オランダきったねえ

51 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:48:34 ID:kUi
(●▲●)「勝ったでー、大勝利や!」
(●▲●)「いやー、長い戦いやったな」
(●▲●)「でもそれもこれも全て終わり」
(●▲●)「これからはやっとワイらの時代やな!」
”第二次警察行動”。
インドネシアは存続の危機に追い詰められ、オランダは圧倒的な”軍事的勝利”を治めました。

52 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:49:46 ID:kUi
それは、
オランダの”外交的敗北”の始まりでした。

53 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:51:03 ID:kUi
1948年12月24日
[国連安保理]
(☆●●●●)「オランダのやり方は、全くもって論外だ!」
(☆●●●●)「オランダは”植民地主義”に固執している!」
(☆●●●●)「そんなオランダを、我々は支持することはできない!」
(☆●●●●)「我々は早急に、逮捕した指導者の解放を要求する!」
(☆●●●●)「そして、オランダは速やかに和平協議に復帰するように!」
(☆●●●●)「これを無視した場合、我々アメリカは」
(☆●●●●)「オランダへの経済援助を停止する!」
(●▲●)「ファッ!?」

54 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:52:23 ID:nUB
これは世界の警察

55 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:52:32 ID:kUi
アメリカは、ソビエトの共産主義と真っ向から対立していました。
その共産主義は”マディウン事件”でインドネシアを取り込もうとしますが、ハッタ政権はそれを断固たる態度で鎮圧しました。
これを、アメリカは高く評価していたのでした。
また、当時のアメリカは”レンヴィル協定”の実施に向けて動いている最中でした。
その最中に起きた”第二次警察行動”。それはアメリカの逆鱗に触れました。
こうしてアメリカは、
「オランダが”インドネシア独立”を容認しない場合、戦争被災国への復興援助”マーシャル・プラン”を取り消す」
と宣告したのでした。

56 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:53:50 ID:kUi
(U・×・U)「やっぱりオランダのやり方は間違ってるよねー」
(=◎ω◎=)「せやな、ワイが言うのもなんやけど、やっぱり植民地は不味いと思うわー」
  _、_
( ,_ノ` )「俺達はオランダを非難するよ」
また、インドネシア独立問題の実態が明らかになるにつれ、国際世論は植民地帝国に厳しくなっていきました。
1949年1月には、国連で”オランダ非難決議”が採択されました。
そして国連は、新しい理念”民族自決”を掲げます。
”自らの意思に基づいて政治運命を決定し、他国の干渉を認めない権利”。
国際世論は”脱植民地”へと加速していったのでした。

57 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:55:04 ID:kUi
(●▲●)「な、なんや?一体どうしたんや?」
(●▲●)「もしかして、みんなあいつらの味方なんか?」
(●▲●)「……ま、まぁええわ、経済援助停止はかなり痛いけど」
(●▲●)「まずは一刻も早く、この事態を収拾せな」

58 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:56:17 ID:kUi
(●▲●)「おう、スカルノ!お前らはもう終わりや!」
(●▲●)「速やかに我々と交渉すれば、悪いことにはならんはずやで!」
( ・`ω・´)「いや、それは無理だよ」
( ・`ω・´)「”既に権限は委譲されている”」
( ・`ω・´)「ぼくたちはもう、何の権限も持ち合わせちゃいないんだ」
(●▲●)「な、なんやて!?」

59 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)22:57:30 ID:kUi
(´・ω・`)「そうだね」
(´・ω・`)「君たちオランダが、協定を一方的に破棄することは読んでいた」
(´・ω・`)「だからぼくたちは、事前に準備していたんだ」
(´・ω・`)「我々インドネシア共和国は、スマトラ島に”臨時政府”を樹立する!」
非常時に備え、インドネシア側はスマトラ島に臨時内閣を組織する準備を進めていました。
そして、共和国首脳が逮捕されるや否や。
スマトラ島・大蔵大臣シャフルディンは、”共和国臨時政府”として名乗りを上げたのでした。
オランダは捕らえたスカルノらと交渉しようとしますが、スカルノらはこれを拒否。
権限は既に、スカルノらの手からは離れていたのでした。