Part30
718 :
◆yufVJNsZ3s :2012/12/19(水) 03:40:15.62 ID:k2Vwk+xV0
偉丈夫「裂ける地、割れる空、静謐なる澱み、ぬかるみの恍惚! 心の拒絶千里を走り、その道程に敵は無し!」
偉丈夫「マヌーサ!」
魔物の頭上で黒い粒子が拡散していく。数秒後、周囲の魔物は一斉に、あるものは同士討ちをはじめ、またあるものはその場でぐるぐると回りだした。
初歩的な眩惑呪文である。しかし、それを数百数千という対象のかけて見せるとは、さすが聖騎士の一員と称賛できよう。
勇者「今のうちに、ってことかい」
老婆「あとは任された」
狩人「なんとかしてくる」
少女「期待して、待っててよ!」
誰よりも早く少女が駆けた。地を蹴り上げたその速度は、それまでの呪術に蝕まれた体が嘘であるかのように軽快で、あらぬ方向を向く魔物たちを蹴散らしながら進んでいく。
それをサポートするのは老婆と狩人だ。頭上から降り注ぐ光の矢と火炎弾に魔物たちは為す術もない。胸を穿たれ、頭を焼かれては、たとえ生命力の強いキャタピラーであろうとも一瞬である。
背後や側面から迫るインプは勇者が雷撃で撃ち落とす。閃光が放たれるたびに、焼け焦げた醜悪な使い魔は地面へと無残に落下してゆく。
719 :
◆yufVJNsZ3s :2012/12/19(水) 03:41:12.66 ID:k2Vwk+xV0
光の矢が最後のぶちスライムを粉々にしたとき、勇者たちはすでに魔方陣の上に立っていた。
淡く光る六芒星と、それを取り囲む三重の円。円と円の間には細かなルーン文字が書かれている。あくまで一般的な召喚魔法陣ではあるが、ただそれが塔をぐるりと囲んでいるとなると、結果として途方もない召喚魔法陣と呼べるだろう。
入り口はあったが先は暗闇で何も見えない。時刻は昼で、太陽の光は確かに差し込んでいるはずなのに、薄暗いという次元を超越している。
老婆「魔法的な処理が施されている。空間転送か、遮断か……」
少女「入れないってことは?」
老婆「それはない。そういう処理はされていない」
勇者「誰でもウェルカム状態ってことか。逆に怪しいな」
狩人「でも、行かなくちゃ」
少女「そう、その通り! 行くっきゃないっしょ、おばあちゃん!」
720 :
◆yufVJNsZ3s :2012/12/19(水) 03:42:38.34 ID:k2Vwk+xV0
制止をする間もなく塔の中へと歩いていく少女。それを勇者たちは慌てて追って、漆黒の中へと体を埋めてゆく。
気が付けばそこは四角い空間であった。三十メートル四方の、正方形の空間。茶色い土壁のような印象を受けるが、その実どこもかしこも魔法的な障壁が張られている。
部屋の隅に丸く魔方陣があって、薄く光っている。転移用のポータルとして起動しているそれ以外は、出入り口がない。たった今四人が入ってきたはずの入り口でさえもなくなっていた。
四人はとりあえず寄り添って一塊になる。どこから何が襲ってきてもいいように。
「もし。お前ら、元気か」
虚空から声が響いた。彼らにとって聞きたくのないであろうーーそしてしばらくぶりの声だ。
勇者の顔が歪む。老婆もまた、「やはりか」といった表情で、眉根を寄せた。
その声は九尾のものだ。
九尾「魔方陣と魔物を生み出しているのは、九尾だ」
四人に動じるところはない。恐らく想像はしていたのだろう。
もしかするとちょっかいをかけすぎたかな、と九尾は思う。もしそうなのだとすれば、それは恐らくアルプの影響を受けてしまったのだとも、思った。
しかし。九尾は考え直す。計画は絵図通りに進んでいる。ここまできての計画変更はあり得なかった。
721 :
◆yufVJNsZ3s :2012/12/19(水) 03:43:13.14 ID:k2Vwk+xV0
九尾「魔方陣を止めたければーー世界を救いたければ、この塔の最上階まで登ってこい。以上だ。健闘を祈る」
老婆「待て!」
老婆の声が響くよりも先に、彼らが感じていた九尾の気配が消失する。そしてそれと入れ替わり形で、部屋の隅に害悪的な存在感が、重みをもって現れた。
桃色の髪の毛と光彩。燃えるように赤い唇。絶世の美貌。そして恐ろしいまでに蠱惑的な表情。恐怖が不思議と彼女にスパイスとなって降りかかり、老若男女を問わずに死地へと追いやる。
魔王軍四天王、序列四位、夢魔・アルプ。
彼女は壁にもたれかかるように立って、にやりと笑った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
727 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:56:41.80 ID:yIzD51JZ0
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アルプ「へろー、久しぶりだね」
あくまでも気さくにアルプは言った。それに対する四人の返事は、武器を構える。
アルプ「待って、今からルールを説明するから」
勇者「ルール? 俺とお前らは敵だろう」
アルプ「それでも、だよ。何事にもルールはある。戦争にもあるようにね」
アルプ「勘違いしないでよ。あくまで攻めてるのはこっち。ルールに従えないって言うなら、交渉は決裂。人類は滅亡。オーケィ?」
勇者「……」
アルプ「とりあえず武器を下ろしてよ」
無言のままに四人は武器を下ろした。アルプに攻撃の姿勢が見えないというのもその一助となった。
とはいえ、アルプは目を合わせるだけで人と物を魅了できる。そのことを特に勇者と狩人が忘れているわけはなかった。アルプの瞳を視線に入れないように、足元に視線をやっている。
728 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:57:57.43 ID:yIzD51JZ0
アルプ「じゃ、ルール説明。この塔は四階建て。最上階に九尾がいて、九尾を倒せば魔方陣は止まります」
アルプ「で、各階、つまり一階と二階と三階には、四天王がいるよ」
アルプ「きみらは各階で四天王と戦って倒してください。全員倒せば魔方陣は解除されるっていう寸法だから」
アルプ「ただし、一人だけ。戦うのは一人。残りの人は次の階に行って、また別の四天王と戦う。あくまでフェアにやる」
アルプ「何か質問は?」
老婆「なんでこんなことを」
アルプ「おっと、ストップ。それは関係のない質問っしょ。ま、いずれわかるよ」
アルプ「ほかには?」
勇者たちは顔を見合わせる。アルプの、ひいては九尾の意図が彼らにはわからなかったし、だからといって暗闇の中に飛び込んでいくほど愚かでもなかった。
ただし時間がないのもまた事実。一刻も早く魔物の召喚を食い止めたい彼らにとっては、たとえ暗闇が地獄であったとしても飛び込まざるを得ない。飛び込む覚悟でやってきていた。
狩人が一歩前へと踏み出した。
729 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:59:51.38 ID:yIzD51JZ0
狩人「私が、行く」
勇者「大丈夫なのか」
狩人「大丈夫。それに何より、こいつとは、因縁がある」
ぎろりと狩人はアルプを睨みつけた。三白眼にひるむことなく、アルプは適当にあくびを一つして、「ふん」と笑い飛ばす。
アルプ「根に持つタイプだねぇ」
狩人「生きることは遊びじゃない」
アルプの顔が皮肉っぽく歪んだ。
アルプ「生きることは娯楽だって」
狩人「……本当に、あなたの存在って、反吐が出る」
アルプ「お、奇遇ゥッ! 実は私もそうなのよねぇ」
狩人「勇者、早く」
730 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:01:38.64 ID:1LgMsAnp0
既に臨戦態勢の二人を見やりながら、三人はじりじりと後ろへと下がっていく。
ポータル乗り込むと光が三人を包み込んだ。そうして、ややあってから三人は光とともに消えていく。一つ上の階へと進んだのだろう。
狩人は左手に虹の弓、右手に光の矢を顕現させ、無言のままに跳んだ。
既に戦闘は始まっている。三人が消えきったのがその合図。
アルプ「どういう裏技を使ったのさ。きみ、魔法なんて使えないはずでしょ」
返事を射撃に変えて狩人は放った。数条の光線が弧を描きながらアルプへと襲いかかる。
アルプの反応よりも先に、すでに彼女は壁を蹴って方向を転換。異なる方向から斉射を浴びせかけた。
光の矢が壁へと突き刺さっていく。ひらりと身を翻して十数の矢を全て回避したアルプは、羽を一度大きく羽ばたかせ、その勢いで狩人に切迫する。
アルプは真っ直ぐに狩人を見た。桃色の瞳が、まるで炎のように揺らめいている。
見てはいけないと思う暇もなかった。ぐんと引力に精神と肉体が支配される。
狩人「くっ!」
小指を自力で折る。激痛で思わず息が漏れていくが、脳髄に延ばされた手は確かに振りほどけたようだった。
狩人はそのまま光の矢を乱射しながら、極力アルプの首から下だけを見つつ、距離を開ける。
731 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:02:13.88 ID:1LgMsAnp0
そこをアルプが追いすがる。彼女の精神攻撃を耐える術は限られている。対抗ではなく、予防が必要だった。
狩人「しつこい!」
弦が鳴る。
放つたびに現れる光の矢は、それこそ狩人にとってはいつまでも撃ち続けられる弾丸である。張られた弾幕にアルプも一旦たたらを踏んだ。
しかし、
アルプ「私の魅力に酔いしれるがよいさっ!」
光の矢が急激に方向を転換し、地面、天上、壁へと突き刺さる。そしてアルプは速度を落とさない。驚きで歩みを遅らせた狩人とは対照的に。
アルプの魅了は生物だけではなく無生物すらも支配下に置くことができる。当然、対象が魔力的なものであっても例外ではない。
アルプ「あと! 私がチャームしかできないなんて、思ってるんじゃないよね?」
壁際へと追いやられていた狩人はそれを嫌って、だが、不自然に足が縺れた。そのまま背中から壁へと激突する。
違和感があった。手の先と、足先が、ぴりぴりと確かに痺れている。いや、それだけではない。脹脛は痙攣までしているではないか。
身体の酷使かーー一瞬だけ狩人の脳裏にそんな疑問がよぎるが、そんなはずはない。確かにハードな生活を送っているとは言っても、この程度で根を上げる体のつもりはなかった。
732 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:03:44.68 ID:1LgMsAnp0
狩人「麻痺……ッ」
アルプ「私が操るのは精神だけじゃなくて、神経も」
反射的に弓を構え、番えようとして、その腕を思いきりアルプが踏みつけた。
狩人「うあっ!」
アルプ「させないよ」
アルプ「ねぇ、なんで急に魔法が使えるようになったの? 私、それだけが気になって気になってしょうがないんだけど?」
狩人「そんなの、私が聞きたい」
アルプ「ふーん。わかんないんだ」
狩人の前髪をアルプは掴みあげ、無理やりに己のほうを向かせる。
三白眼と桃色の瞳が、否が応でも真っ直ぐに交じり合う。
狩人「よそ見してていいの?」
733 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:05:08.43 ID:1LgMsAnp0
アルプ「!?」
確かな魔力の存在を感じて、アルプは思わず振り返った。その瞬間、アルプの羽を穿つ形で、数本の光の矢がアルプを襲う。
飛び散る血液。体をかきむしる激痛。けれど、久しく感じていなかったその痛みという感覚は、アルプにとってはまさしく甘美なものだった。思わず口元に笑みが浮かんでしまうくらいには。
アルプの力が弱まった瞬間を見計らって狩人は飛び出す。まだ麻痺は継続しているが、動けないほどでも弓を握れないほどでもない。
状態異常を操る敵を相手取って、こちらに回復薬がいないのだとすれば、それは短期決戦しか攻略法がない。
そもそも時間をかけるつもりもなかった。狩人はアルプと戦いに来たわけではない。ここはあくまで通過点に過ぎないのだ。ゆえに、より迅速にアルプを倒し、あの魔方陣を解除しなければいけない。
それはつまりここでの勝利条件が単にアルプを倒すだけでは駄目だということをも意味していた。倒したうえで生き残り、勇者らと合流しなければいけないのだ。
結果的に偶然授かった狩人の新たな弓と矢であるが、彼女はすでにその能力を我が物としつつあった。単純な弓と矢の性質に加えて、光は収束し、ある程度彼女の意思に従った軌道を描く。
一度に放てるのは四発が限界だが、速射が従来の比ではない。矢を引き抜いて番え、引き絞り、放つという工程の一切を省いた結果、詰め寄られてからすら射出は間に合うようになった。
734 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:07:41.58 ID:1LgMsAnp0
とはいえ、彼女がまだその能力の深奥を測りきれていないのも事実だった。魔力はいったいどこから供給されているのか。残弾の有無は。そのあたりは丸ごとブラックボックスに押し込まれている。
狩人(だけどっ!)
そんなことを気にしないという選択肢を彼女は選んでいた。
光の矢を顕現。同時に、それをすぐさま放つのではなく、顕現した場所に停滞させていく。
移動しながら設置し続け、ぐるりとアルプを囲むように走る。
アルプはその行為が意図するところをすぐに察したらしく、穴の開いた羽を一度はばたかせ、その勢いで素早く立ち上がった。
アルプ「殺すなって言われてるんだけど、なぁっ!」
アルプの体から緑色の霧が吹きだされる。
狩人はその正体に心当たりがあった。猛毒の霧。殺意を噴霧するその技は、アルプレベルともなると、一体どれだけの少量で人を死に至らしめるのか全くわからない。
息を止めるだけでは生ぬるい。皮膚からも粘膜からも毒素は沁みこんでくるはずだ。
735 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:09:04.58 ID:1LgMsAnp0
足元にたまる毒素に耐え切れず、狩人は光の矢を一斉に射出した。その勢いでもって猛毒の霧を散らし、中を掻い潜って今まさに突っ込んできているアルプと、真っ向から対峙する。
狩人が撃った矢をアルプは魅了してそらし、桃色の瞳で狩人を見る。一瞬だけだがその瞳をまともに見てしまった狩人は、大きく前後不覚に陥る。
アルプ「『スタン』したね! でもそれだけじゃ、まだまだーーもうちょっとゆっくりしてもいいんじゃないの!?」
途端に狩人の体が重くなる。麻痺だ。
一体いつ、どこで麻痺を受けたのか、狩人にはわからない。力の入らない体に鞭をうって、一発、矢を放つーー魅了されて壁へと突き刺さる。
アルプのつま先が狩人の鳩尾へとめり込んだ。勢いよく床を転がる狩人と、容赦なくそこへと追いすがるアルプ。床には毒素がまだ沈殿している。
狩人(これは、危険……っ!)
ある程度なら毒素に抵抗のある狩人も、アルプの毒素にまで抵抗はできない。起き上がろうとするも、四肢は確かに麻痺しているのだ。
狩人(なんとか起き上がらないとっ!)
光の矢を床に向けて放つと、大きな炸裂が起きた。魔力は狩人の体を弾き飛ばすと同時に傷つけても行くが、あのまま毒に侵され続けるよりはましだと彼女は思った。
736 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:17:13.53 ID:1LgMsAnp0
アルプ「『麻痺』にも慣れちゃった? なら今度は頭にゴー!」
アルプが指を鳴らすと同時に、アルプの姿が四人に増える。否、狩人は妙に重い頭を無理やり振って、その事実を否定した。
なぜなら、四つに見えるのはアルプの姿だけではないからだ。
自らの手も、弓も、矢も、すべてがぼやけて増殖して見える。
それだけではない。空間のところどころは捩じれて歪み、陽炎のように揺らめいていた。
狩人(混乱ッ……)
アルプ「状態異常なんて一つ与えれば十分! 私が指揮してあげるから、好き勝手に踊ればいいよ!」
アルプの恐ろしさは何よりその性格にあるが、それでも能力もまた強力かつ無比であることに違いはない。
彼女は状態異常の性質を変えることのできる能力の持ち主である。
即ち、スタンを麻痺に、麻痺を混乱に、そして混乱を毒に、変化させることができるのだ。彼女の前では状態異常の耐性など無意味に等しい。それこそすべてに完全なる耐性を持たないのでない限り。
そして意識を混乱へと導かれている間に、すでにアルプは狩人へと切迫している。
甘ったるいアルプの芳香が、狩人には確かに香った。それだけで脳をくらくらさせる、淫靡な香りだ。
737 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:20:09.89 ID:1LgMsAnp0
狩人(光のーー)
アルプ「遅い遅いね遅いよ遅いとき遅ければ、遅い!」
光の矢を掴んでいた右手が大きく火炎に包まれた。まとわりつくように粘ついたその炎は、じりじりと狩人の右手を燃やしだす。
同時にアルプの左手が狩人の首へとかかった。反射的に手首を掴み、首の骨を折られるのは避けたものの、がら空きになった胴体へアルプの蹴りが決まった。
なんとか解いて狩人は地面へ手を叩きつけるも、それで火が消える気配はない。針で皮膚を何度も突き刺されるような激痛が絶え間なく神経を苛み、混乱と相まって世界が赤と黒に明滅し続けている。
唐突に胸から込み上げてくるものがあって、手を口にやるよりも早く何かがこぼれていく。ぼやけた視界の中でもそれが何か分かった。血だ。
狩人(毒が……回ってきてるっ……)
狩人(なんとか、しないと。なんとか……)
死が近い。
足音がすぐそばで聞こえる。
738 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:25:43.09 ID:1LgMsAnp0
「あいつ」は、すぐそばに来るまで気が付かないほど静かだ。そのくせ隣に来たときはこれでもかというくらいに自己主張をしてくる。狩人は「あいつ」、死という存在が自らのそばで顔を覗き込んでいるのではないかと思った。
家族のみならず一族郎党まですべてがあいつの鎌の餌食となった。しかし、狩人は死を恐れこそするが、憎みはしない。死は誰にでも平等で、いつか彼女の下にもやってくることは自明だったからだ。
ゆえに、許せないのは魔物だった。そして魔王だった。
人間に仇なす存在がいなければ、愛する人々は死ななくても済んだのに。
そのためにここまでやってきたのだ。もう二度と、自分の愛する人を、誰かが愛している人を、失う/失わせることのないために。
世界を救うために。
そうだ、世界を救うのだ。大仰な、大言壮語。それを狩人は不可能とは思えなかった。なぜなら彼女には勇者がいる。彼と一緒ならば、どこにだって行ける気がした。
彼は不思議とそう思わせる人種なのだ。
狩人は旅を通して、何より戦争を通して、わかったことがある。世界を救うことは魔物を倒すことでも、ましてや魔王を倒すことでもないのだと。
ならば一体世界を救うとは何か。その答えを、けれど狩人はいまだ用意できていなかった。ただ従来のそれでは世界を救えないことだけはわかった。
方法はこれから探す。
ここで死んでなんかいられない。
739 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:28:23.76 ID:1LgMsAnp0
死が平等で、いつかは自分のそばに立つものだとしても。
「いつ」はいつかで、今ではない。
狩人(動いて、私の足)
狩人(動いて、私の手)
狩人(動いてよ、私の体ッ!)
狩人「動けぇええええええっ!」
絶叫を中断させるようにアルプの炎が、今度は左手も焼いた。さらに蹴りまでもが飛んできて、大きく吹き飛んで壁へと激突する。
体中の骨が軋んだ。どこかが折れているのかもしれない。
だのに、心は折れない。不思議なことではない。
だから、立ち上がれもする。
狩人「うご、けっ……!」
アルプ「執念は認めるけどさ、どうやって私に勝つつもりかにゃ?」
狩人「まだ、インドラが、ある」
あの雷神ならば、たとえアルプでさえもチャームできないに違いない。もしされた場合には……それこそ一貫の終わりだ。
アルプ「……ま、期待しないでおくよ」
740 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:29:30.01 ID:1LgMsAnp0
アルプの姿が消える。同時に砕けた壁の破片が周囲から狩人を目指して向かってくる。
彼女はそれを光の矢でなんとか撃ち落とし、精神と皮膚の端を削りながらも、なんとか命だけはとどめていく。
体と生命の原型がだんだんと擦り減っていく中、確かに狩人は、自分のそばに死が立っているのを見た。
狩人(こっちに来るな! まだ私は、やれる!)
踏み込むたびに体が歪む。最早片足では体重を支えられない。
口の中が血まみれで不快極まりなかった。血を吐いても吐いてもたまるので、すでに狩人は対処するのを止めている。
アルプはそんな狩人を見ながら、最初は楽しそうな、未知の生物を見るような眼をしていたが、そのうち次第に眉根を寄せ始めていた。その感情は嫌悪であり、忌避に近い。
アルプ「なんでそんな頑張るのさ」
アルプの指の一振りで、狩人の体内の毒が、全て四肢への麻痺へと変換される。途端に狩人はバランスを崩し、受け身も満足に取れないまま地面へと倒れこんだ。
アルプ「どうせみんな死ぬんだから、楽しまなきゃ損でしょ。誰かと遊ぶよりも誰かで遊ばないと」
狩人「あなたの……人生観なんて聞いてない」
アルプ「私は興味がある」
741 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:30:06.12 ID:1LgMsAnp0
吐息がかかる距離まで顔を近づけたアルプは、まっすぐに狩人の目を見た。麻痺している狩人の体はそれを拒むことができない。
アルプ「夢魔族は滅亡した。先代の魔王様が生み出してくれた八六人の夢魔は、私を除いてみんな殺された。人間に。それはしょうがない。どうせいつか私も死ぬ。なら私は、誰に迷惑をかけたっていい」
アルプ「迷惑をかけて楽しむような畜生に、私はなりたい」
アルプ「恋慕だとか、情だとか、それに基づいて誰かを守るだとかがそんなに大事? それがそんなに強い力を生み出すもん?」
アルプ「私にゃ、わっかんねぇなぁ……」
狩人の脳内に何かが流れ込んでくるような気がした。いや、寧ろ引っ張って外に流れ出しているのかもしれなかった。
脳髄をまるごとわしづかみにされているようなこの感覚は、嘗て感じたことのあるものだ。アルプが催した趣味の悪い「ゲーム」の入り口と、どこか似ている。
狩人「させ、ない」
その声があまりに意志の籠った声だったから、アルプは思わず振り返った。
742 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:30:41.80 ID:1LgMsAnp0
彼女の視界のいっぱいに、燦然と煌めく数多が見えた。
アルプ「いつの間にっ!」
狩人「あんまり、私を、見くびるな……」
狩人「これでも、私は狩人だから」
アルプ(さっき!? さっき、壁の破片を打ち砕いた時にーーちっ!)
アルプ「うぉおおおおおっ!? しゃらくせぇ真似してんじゃねぇよ、くたばりぞこないのくせにぃっ!」
アルプ(光の矢が十本ーー十三本! 避けられるか? いや、この距離だとこいつが、こいつが!)
迂闊だった。アルプはすでに狩人に近づきすぎている。息も絶え絶えとはいえ、今の彼女に背を向けることなど、恐ろしくてできやしない。
アルプ(それでもこれはヤバイ! これは、ヤバイ!)
アルプはぺろりと舌で上唇を舐めた。思考の猶予は、もうない。
狩人から手を離し、意識も離し、十三本の光の矢全てにチャームをかける。
背後を狙われるのは織り込み済み。その上でアルプは覚悟を決めた。無傷で狩人に勝とうとしたのが、そもそも見くびりすぎたのだ。
743 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:32:15.94 ID:1LgMsAnp0
嘗て、アルプの作った世界で彼女が見せた魂の輝き。それはまったく嘘ではなかった。ゆえにアルプは歓喜する。自分の人物評は間違っていなかったのだと。
全ての光の矢を視界に納める。それら全てに働きかけ、視神経が焼き切れるような激痛を走らせながらも、寸でのところであさっての方向へ誘導した。
はるか後方で爆発が起きる。
アルプ「ぐっ……」
予想していたことだ。アルプは自身の腹から光の矢が突き出ているのを見て、顔を歪めながらも笑う。
背後では光の矢を握り締めた狩人が、脇腹にそれを突き立てている。
アルプ「いったぁ……いったぁい、ねぇっ!」
アルプの放った火炎が地面を焼く。狩人はすでに後ろへ跳び、矢を弓に番えていた。
狩人「動きが止まることもないの……」
矢を抜くこともなく追ってくるアルプの姿を見て、狩人は眉を顰めた。曲がりなりにも相手は四天王。魔物よりも数段化け物染みた存在だとはわかっていたが、ここまで来るとうさんくさくもなる。
744 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:33:43.65 ID:1LgMsAnp0
アルプ「その力の源って、やっぱりあれなの!? あれあれ、あれなのかなぁっ!?」
アルプはまたも火炎を放射した。ぼたぼたと、粘液のように粘つく炎が、毒霧に引火してあたりを火の海に染め上げる。
不思議な炎だった。赤でも橙でもなく、紫と桃色が基調の妖しい色をしている。
狩人は思わずそれから目を逸らした。ずっと見つめていれば精神がどうにかなりそうだった。
狩人「光の矢ッ……!」
光の奔流がアルプに向かって走る。アルプは一度舌打ちして、それら全てにチャームをかけた。
アルプ「そんな真正面からの馬鹿正直なーーっ!?」
矢が弾かれたさらにその後ろ、完璧にぴたりと重なる位置に、さらにもう一本、光の矢が隠されていた。
狩人「誰が、馬鹿正直だって?」
745 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:34:23.37 ID:1LgMsAnp0
胸を真っ直ぐ狙ったその矢に対し、アルプは反射的に左手で庇う。
鈍い音。
アルプの肉に深々と刺さる光の矢。
防御したアルプの右手は、胸に代わって犠牲となった。左手の肘から先が、自重に耐え切れずぶちぶちと肉が裂け、地面に転がる。
血飛沫。びちゃびちゃと床に滴る血液。
その血があまりにも赤く赤々しいものだったから、狩人は「魔族に流れているのも赤い血なのか」と場にそぐわないことをふと思ってしまった。
しかし、それでもアルプは止まらない。
止まるだなんて生き方は、彼女の性には合わないのだというように。
狩人「止まれ、止まれっ!」
またも光の奔流。幾条ものそれは確かにアルプを傷づけていくけれど、致命傷には至らない。そうなるより前にアルプが僅かに射線を逸らしている。
アルプ「ね、ねっ! 誰かのためとか、世界のためとか、それがそんなに美味しいもの?」
746 :
◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:35:42.49 ID:1LgMsAnp0
穿たれた羽をも器用に使って、素早く宙を舞うアルプ。その動きは狩人の矢でも捉えきることはできない。
炎が躍る。毒霧が満ちる。狩人はなんとかそれを散らしながら、飛び回る桃色を捉えようと必死だった。
アルプ「私にゃ、わっかんねぇーんだよなぁっ!」
壁を蹴って方向転換。光の奔流を避けて、そのまま狩人に突っ込んでいく。
狩人の反応は素早い。横っ飛びで体勢を崩しながらもアルプを視界から逃すことはしない。一発、矢を放った。
アルプ「壁ェッ!」
地面がせりあがって矢を弾く。
地面も、壁も、天上も、最早アルプの箱庭だ。
狩人(どっちから来る……右か、左か、上か!)
しかし、狩人の思考をあざ笑うかのように、アルプの手がぬるりと現れる。
壁をすり抜けて。
狩人「チャーム……ッ!?」
そんなことまでできるのか。