Part15
339 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:33:59.92 ID:YYhMJExk0
狩人「あなたには聴きたいことが山ほどある。食らいついてでも止める」
アルプ「やってみるがいいよ!」
もしかするとアルプにとってはこの現状すらもゲーム、遊戯なのかもしれなかった。そこにあるものをただポジティブに享受するだけの姿勢。
勝とうが負けようが、畢竟それすら関係はないのだ。
アルプが叫ぶと同時に、部屋中の家具が一斉に狩人へと襲い掛かる。机、本棚、それに収まっていた本、ベッド、壁の装飾。それぞれが巨大な弾丸となって狩人を打ち砕こうとする。
防御に時間を割く狩人を見やりながら、すぐさま後ろへと飛び出すアルプ。しつこい存在など相手にしていられない。彼女にはもっと楽しいことが待っているのだから。
落雷。
アルプ「う、ぎゃあああっ!」
幾条もの電撃が、狩人だけを避ける形で部屋を蹂躙する。全ての存在は撃ち落とされ、当然それはアルプも例外ではない。
焼け焦げ破壊された家具のせいで、部屋中に異臭が蔓延した。鼻の奥を刺激する灰の臭いだ。
勇者「てめぇ、よくもやってくれたな……」
狩人の背後で勇者が何とか立ち上がっていた。精神を弄繰り回されていた後遺症だろうか、脂汗が酷いが、命に別状は無いようで何よりである。果たして精神をやられて死んだら、彼は生き返ったのちどうなるのだろうか?
勇者の右手にもう一度稲妻の光が集中する。
光は収斂し、人差し指の先端で一際大きく輝きを増した。
340 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:34:46.71 ID:YYhMJExk0
勇者「きっちり倍返しだ」
電撃を放つ。
まるで雲間から降り注ぐ光条のような太さの雷撃が、まっすぐにアルプを狙う。
アルプ「効かないよ!」
雷撃は膝をつくアルプに命中する寸前で大きく方向転換し、体の表面を滑るようにして、壁に空いた穴から外へと逃げていく。そうして一拍後に大きな爆発音。
狩人「大丈夫なの」
短く狩人は尋ねる。お互いの背中を預けあう形での戦闘は、二人きりで旅をしていたころは日常茶飯事であったものの、少女や老婆と組んでからは久しい。
緊張を解かずに、どこまで自然体で呼吸を合わせることができるのか。しかも相手は単なる魔物ではなく、四天王の夢魔アルプ。
勇者「まだちょっと頭痛はするけどな。……しかし、なんだ今の……魔術障壁でもないみたいだし」
狩人「わかんない。さっきからそうだった」
魔術障壁ならば展開する瞬間に詠唱か、ないしは詠唱破棄のための手続きーールーン文字の書かれた護符などが該当するーーが必要になる。しかしアルプにはそれすらも見られない。
恐らくはアルプ特有の能力なのであろう。二人にもそこまでは考えが至るが、それ以降へ思考を進めることはできなかった。
方向性を切り替え、二人は半身になりながらアルプのほうへと目をやる。
341 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:35:19.60 ID:YYhMJExk0
落雷に撃ち落とされたアルプが立ち上がろうとしている最中だった。それほど効果はなかったようだが、皆無とまではいかない。痺れが残るのか動きにくそうにしている。
ずい、と二人は一歩前に出た。
狩人「訊かせてもらう。なんでこんなことを?」
アルプ「なんでって言われてもなー。遊び?」
電撃を纏った勇者の右手が向けられる。回避されるのだろうが、脅しとしてはまだ何とか有効だろう。
アルプは諦めて両手を挙げた。負けを認めたのではなく、強情な二人に付き合ってやるか、その程度の認識だ。
随分と余裕であったが、その余裕こそがアルプの強みでもあり、力量差を指示しているといってもよい。一度に百人もの兵士を操ったことからもわかるとおり、アルプにとっては一対多の戦いは全く苦ではないのだ。
アルプ「わかった、わかった、わかりました。わかったよぅ」
何度も繰り返し、にやりと笑む。
アルプ「だってみんなずっと戦いばかりやってるからさー、つまらないんじゃないかなって」
勇者「つまらない?」
アルプ「そう。視聴者サービスってやつだよ」
勇者「?」
狩人「?」
要領を得ない返答に、二人は顔を見合わせるばかりだった。全く会話が噛み合っていない。それでもアルプは「訊かれたことには答えた」という顔をしている。
342 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:36:26.82 ID:YYhMJExk0
狩人「私たちをどうして狙ったの」
アルプ「九尾があなたらばかり気にしてるんだもん。ここ最近は特に」
勇者「九尾が……?」
大空洞、地底湖での一件を二人は思い出す。鬼神。白沢。海の災厄ウェパル。不穏な暗雲渦巻く事件は、考えればつい数日前のことだ。
魔物が近隣の町を襲ったことに端を発する一連は、ここにきて必然実を帯びたことを勇者は感じた。もしかしたら初めから自分たちは九尾の手の上で踊らされていたのではないか。そして、今もまた。
先日の一件を皮切りに、九尾が自分たちに興味を持ったというのならばまだわかる。そこにはれっきとした始まりが存在する。事の起こりに疑問を抱く必要はない。
が、先日の一件すらも九尾の興味の上でのことなのだとしたら、折角の始まりは消失だ。なぜ九尾が興味を持ったのかについて答えてくれる事実や人物は存在しない。永遠に思考を続けなくてはならなくなる。
勇者「どういうことだ……?」
アルプに向けてではなく、自分に向けて呟いた。
問題はアルプの言葉にある。彼女の言葉には、九尾が勇者たちを気にし出したのが数日より前であることを暗に示していた。それが果たしてわざとなのか、無意識なのかは彼女にしかわからない部分である。
そのまま素直に受け取るなら、九尾と勇者たちの関係は後者ということになるだろう。しかしそれでは彼は納得できないのだ。
アルプ「九尾、全然かまってくれないしさ。だから、ね。殺しちゃおうかなって」
343 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:37:05.92 ID:YYhMJExk0
狩人「……クソみたいな女」
吐き捨てるように言う狩人であった。アルプは寧ろそれが褒め言葉のように鼻を鳴らす。
アルプ「上等だよ」
勇者「狩人」
狩人を制して勇者はアルプを見据えた。
勇者「お前、何か知ってるのか」
アルプ「知ってても答えると思う?」
勇者「無理にでも答えてもらう」
返事を聞いてアルプは大きくため息をついた。
アルプ「恋人二人して同じこと言うんだもんなぁー」
アルプ「知らないよ。本当にね。考えはあるんだろうけど、みんな秘密主義者だから」
勇者「魔王の指示かなにかなのか?」
アルプ「魔王?」
アルプの眉が初めて顰められた。歪んだ顔の理由を勇者たちは理解できない。
アルプ「魔王なんていないよ?」
344 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:37:39.22 ID:YYhMJExk0
今度は二人の顔が歪む番であった。魔王がいない。それはどういう意味なのかーー二人が問い質すよりも先に、アルプの眼が見開かれている。
桃色の、魅了の魔を宿した瞳が。
アルプ「ゲームオーバーだよ、二人とも! 既に魅了はかけ終わった!」
勇者「ん、なっ!」
ごぐん、と、低く響く音が、周囲から万遍なく響く。
部屋が揺れる。煉瓦造りの建築が、怒りに打ち震えているのだ。
狩人はそれが、まるで巨大生物の胃腸に住んでいるかのような錯覚に陥った。城を一個の生き物に喩えるならば、確かに部屋は、客室ならなおさら胃にあたるだろう。そこに住む人々は絶えず居り、かつ流動的なのだから。
天井が抜けた。
大量の煉瓦と、土と、木材と、そして上の階に存在した全てが、二人目掛けてなだれ込んでくる。
狩人は察する。これまでの攻撃がアルプにあたらなかったわけを。そして、なぜ彼女が四天王足り得ているのかを。
彼女は二人に魅了をかけたのではなかった。
魅了をかけたのは、この部屋に、だ。
勇者「うぉおおおおおおおおっ!」
押し潰されそうな焦燥感ーーそれは決して比喩ではない。
勇者は咄嗟に狩人の手を取り、蹴り飛ばす。少女が客室に空けた穴はまだ空いていた。そこ目掛けて力一杯。
彼の視界を覆う、雑多。
一寸の差で狩人は隣の部屋へと倒れこむ。地鳴りと土煙が聴覚と視覚を奪っていて、最早何を感じることもできなかった。
しかし、何が起こったのかはわかる。勇者は身を挺して自分を助けてくれたのだと。
345 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:38:36.74 ID:YYhMJExk0
やがて地鳴りも止んだ。恐ろしいほどの静寂。静けさが針となって心をひっかくというのは、まさか彼女も想像していなかったことである。
アルプには恐らく逃げられてしまっただろう。油断がこの事態を招いたのだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
無論あのまま二人でアルプを倒したり、実力で抑え続けることができたかというと、それは甚だ疑問である。そうだとしても、狩人は徒に勇者を復活させることには消極的だった。
彼は笑って言うだろう。死んでも平気な人間が死ぬべきなのだ、と。それは正しいが、狩人は正しいことならばすべて納得し受け入れられるほど大人ではなかった。
なにより、そんな大人にはなりたくなかった。
考えはまとまらない。先ほどアルプの言った、「魔王などいない」という言葉もある。その言葉が示す意味を、狩人はわからない。所詮考えることは本業ではないのだ。そのようなことは、それが得意な老婆や少女にやってもらえばいい。
……少女?
狩人「……え?」
狩人は思わず土煙の晴れてきた周囲を見回す。
少女の姿はどこにもなかった。
ーーーーーーーーーーーー
347 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 23:14:18.17 ID:YYhMJExk0
ーーーーーーーーーーーー
黒い疾風が川沿いを奔っていた。
黒毛で首から上のない馬が一頭、己の体よりも暗い、闇夜のような馬車を引いている。幌がついているため中の様子は窺えないが、それがこの世のものでないのは明らかだ。
??「しかし、いいのか。こんな形で連れてきてしまって」
馬車の中では全身鎧を着た、男の声を持つ存在が、目の前のアルプに尋ねる。
アルプ「別に。だって私嘘言ってないし。最愛の人は返したけどね、他の人は知らないよ」
アルプ「それよりも、あなたの我儘叶えてあげたんだから、もう少し感謝してくれてもいいんじゃないの。デュラハン」
デュラハン「うーむ……まぁ、そうだな」
デュラハンーー漆黒の首なし騎士は、どこから声を出しているのか、唸って頭を下げた。
彼の膝の上には、眠ったままの少女が横抱きにされている。
彼は気が付いた。アルプが馬車の外、高速で移り変わる景色を見ながら、何やらにやにやと笑みを零しているのを。
長年の経験から、彼はその笑みが決して良い類のものではないことを知っている。歪んで歪んで歪みきった性根がもたらす、他人の努力を嘲笑う笑みだ。他人を出し抜き、してやることに情熱を燃やしている顔だ。
無い首を器用に使ってため息をつく。仕方がないとはいえ、アルプに頼んだのは大きな不安を引き起こす。もしかしたら人選のミスでないかと思う程度には。
馬車はある塔へと向かっていく。
アルプ「さぁ、勇者くん、囚われのお姫様だよ。早く助けに来てあげないとね、うふふふふふふふふ……」
ーーーーーーーーーーーーーー
349 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:22:06.24 ID:z4Z7oF2k0
ーーーーーーーーーーーーーー
子供のころから勝気なことで有名だった。
今も子供だろう。勇者ーーあのいけ好かない男はそういうかもしれない。まぁ、それは置いておいて。
生まれ故郷の町は牧畜が盛んだった。
朝は鶏の鳴き声とともに目覚め、日が沈むとともに眠る、そんな生活。
けれど、その生活は、だからといって穏やかであるとは言い難い。
唯一にして無二の問題は、魔物の砦と砦の、ちょうど中間にあるという立地。
たとえ碌な思考を持たない、生殖と食欲に突き動かされている魔物といえども、見栄や他人に先んじたいという気持ちはあるのだろう。
お互い競い合うようにこの町へとあの汚らしい手を伸ばすのだ。
家畜が襲われるだけならまだいい。それが人に及ぶとなると……。
我が家は代々、町の人々を守る家系だった。護り手、防人などと呼ばれる。
幾世代を経て受け継がれてきた魔力は、ルーン文字ではなく血液に刻まれている。体中を巡るその力は、アタシの場合、膂力として顕現した。
楽観的に見れば誰かを守るための力であり、悲観的に見れば刻まれた肉体改造の歴史である。どちらかと問われれば、
……どっちだろう。どちらでもあるという答えが許されるならば、そう答えるしかない気がした。
その日は厚く暗い雲が空を覆い、湿度も高く、嫌な天気だと記憶している。
かん、かん、かんと三点鐘。火事ではない。まぎれもなく魔物たちが襲ってくる音に違いない。
アタシは反射的に武器を取った。家族も武器をとる。おばあちゃんは杖、お父さんは剣、お母さんは弓、アタシは鎚。
見張りの人が駆けてきて、方向とおおよその規模を伝えてくれる。かなりの規模だ。だけど、絶望するほどでもない。
350 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:22:38.30 ID:z4Z7oF2k0
散開。真正面にアタシとお父さん、後ろにおばあちゃんとお母さん。撃ち漏らしのないように。
町の人々は非難するか、でなければ最終防衛ラインを築いている。
見えたのはゴブリンの軍勢だ。浅黒い肌、尖った耳と鼻、醜悪な顔つき、鋭い牙と餓鬼のような肢体。こん棒や剣のなりそこないをそれぞれ手に、突っ込んでくる。
鎚を力強く握りしめ、走り、振るう。アタシの仕事はそれだけでよかった。
老婆「……おかしい」
おばあちゃんが言う。アタシはゴブリンの手首から先を吹き飛ばしながら、尋ねる。
少女「なにが?」
老婆「一気に襲ってくるでもなく、退くでもなく……なんじゃ? なにが目的じゃ?」
老婆「継戦になんの意味が……」
「大変だ!」
声が背後から聞こえた。背後には町しかないはずだし、門は一つしかない。いったい何が?
やってきた男性は息を切らしながら、こう言ったのだ。
「ゴブリンども、ならず者たちと手を組んでやがった! 女子供がさらわれて……!」
さぁっと血の気が引いていくのがわかった。それはきっとおばあちゃんも、お父さんも、お母さんも同じ。
おばあちゃんが目を剥いた。早口で呪文を唱えながらーーアタシにはわかった。おばあちゃんは怒りに打ち震えているのだとーー力の奔流を杖の先端に蓄えたまま、ゴブリンの軍団へ歩を進めていく。
351 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:26:03.99 ID:z4Z7oF2k0
少女「おばあちゃん!」
父親「逃げるぞ!」
少女「なんで!? おばあちゃんがーー」
父親「バカ言ってんじゃない! おふくろーーばあちゃんから逃げるんだよ!」
アタシの返事を両親は待たなかった。軽々と担がれたアタシは、韋駄天の速さで町へと引き戻される。
背後で地鳴り。何故だか心の臓がつかまれたみたいに、きゅっとなった。
* * *
町は大騒ぎだった。破壊の後こそほとんどないが、ところどころに血や、服の切れ端や、農具、武器の類が散らばっている。
母親「あなた……!」
父親「もちろんだ。助けに行く」
後から先のことは、覚えていな
……いや、覚えているのだ、本当は。
思い出したくなど、ないだけで。
ならず者のアジトに辿り着いたアタシたちは、結果として、遅かったのだ。
狂乱。享楽。饗宴。
ゴブリンと人が交わっているところなど、見たくなかった。
同族の血のにおいなど、かぎたくなかった。
352 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:34:50.28 ID:z4Z7oF2k0
ならず者たちは金と女がほしかっただけなのだろう。ゴブリンだって、きっと大差はあるまい。
なぜ無辜の民が殺されなければならないのか?
なぜこんな目に合わねばならないのか?
お父さんが叫び、お母さんが無言で矢を引き絞り、おばあちゃんが呪文を詠唱するその僅かな間隙を縫って、アタシは走り出していた。
激情。
激情!
真っ赤に滾る溶岩は誰しも腹の内に秘めている。普段はおとなしいそれを御しきれなくなったとき、噴火は加速力となって、一気に思考を蹂躙するのだ。
アタシはそうして人を殺した。
ヒトであって人でない獣に成り果てた。
ーーーーーー
353 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:35:42.53 ID:z4Z7oF2k0
ーーーーーー
少女は目を覚ます。
体が重たい。思考回路がジャムを起こしている。重要な体の神経は絡み合ってぐちゃぐちゃだ。
夢の中で夢を見ていたような、連続するスライドをずっと眺めていたような、そんな気分である。思わず彼女は自らの頬を触り、次いで手の甲をつまんでみる。
少女「いた……」
痛覚がある。意識も次第に明敏化してくる。この感覚すらも夢の産物でなければ、確かに自分は夢から目覚めたのだろう。
と、少女はそこで、自らの居場所が王城でもどこかの宿屋でもないことに気が付いた。
天蓋ーー少女はそれを初めて見たため、言葉では知っていても、それが本当に「それ」であるか自信がなかったがーーつきのベッドに、彼女は寝かされていたのだった。
ベッドは柔らかく、体をやさしく包んでくれると同時に、しっかりと受け止めてもくれる。その上に敷かれたシーツもまた上物で、素材は恐らく絹。流れていくような触感がどこかこそばゆい。
枕も、上にかけるリネンもまた一級品であった。詳しくない者でもわかる程度には。
少女「え、これって……」
まさかまだ自分は夢の中にいるのだろうか。少女は考える。だって、自分はこれまで王城にいて、何らかの敵の攻撃を受けて、そしてーー
そして。
少女「……それから」
それからの記憶がないのだ。目が覚めたらここにいるということは、繰り返すがまだ夢の中にいるのか、それとも敵に拉致されたか。
はっとして背中に手をやる。ミョルニルがない。
豪奢な調度品で埋め尽くされている部屋を見回しても、そぐわない、あの武骨な鎚はどこにもない。
354 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:37:33.82 ID:z4Z7oF2k0
少女「うそっ!」
跳ね起きる。
頭が急激に覚醒していくのがわかった。あの鎚は代々の家宝だ。そして何より彼女の長年のパートナーでもある。刻まれたルーンは全てを容易く打ち砕き、千の兵士にも劣らぬ力を授けてくれる。
いや、だがしかし、待てよ。深呼吸をして一度冷静を取り戻した。
少女「そもそも、ミョルニルは部屋に置いてきた。ってことは、王城まで戻らないと、ミョルニルは手に入らない……?」
少女「ミョルニルはアタシにしか使えない。そういう術式になってるはず。……狙いはミョルニル? でも、だとしたらアタシは殺されてる……」
敵ーーもうこの際敵と呼んでしまっても差し支えないだろう。敵の目論見が、現時点では彼女にはわからなかった。
王城でのあの兵士は陽動だったのだろうか。少女を捉えるために、三人を分離させ、隙をつくるための策略だったのだろうか。もしそうならば三人は術中に見事に嵌ってしまったこととなる。
と、そのとき、扉が開いた。
開いた扉から人物が入ってくる。上に青磁の水差しとティーカップを置いた丸い盆を右手に、小分けされ和紙で包装された菓子を入れた皿を左手に、鼻歌など歌いながら。
その人物は一歩部屋に踏み入れ、少女が起きたことを確認して一歩後ずさる。どうやら驚いたようだ。
??「起きていたのか。申し訳ない。ノックくらいすべきだったかな」
??「おっと、すまない、デリカシーがなくて。女の子だものな、寝起きを見られるのは嫌か。あとでまた来るよ」
少女「いや、ちょっと」
しかし、驚いたのは少女もまた同じだった。
355 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:38:00.39 ID:z4Z7oF2k0
少女「訊きたいことはいろいろあるんです、けど」
??「あぁそれはそうだろうな。なんでも答えよう」
少女「……」
慎重に言葉を選ぶ。尋ねたいことは山ほどあったが、それ以前に気になって仕方のないことがあった。
少女「どっから声出してるんですか?」
その問いに、漆黒の騎士はくつくつと笑った。
デュラハン「御嬢さんはどうやら中々肝が据わっているようだ」
少女「え、いや、あの、すいません」
デュラハン「いや、いいんだ。ちょっと面白くてね」
少女「はぁ……」
少女は自分が生返事になっていることに気が付いていない。
それよりも事態の理解をしようと必死なのだった。豪奢な調度品に彩られた部屋。そこに現れた、茶話会の道具を持って現れた化け物。極めつけは、その化け物が友好的だということだ。
本来の少女ならば忽ち切って捨てていただろう。が、今は混乱しているということもあり、ミョルニルがないということもある。呆然とした精神は肉体に命令を出さない。
デュラハンは部屋に備え付けのテーブルの上に盆と皿を乗せた。そして椅子を引いて、その重厚な身体を乗せる。
ぎっ、と椅子が軋んだ。
356 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:39:32.63 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「お腹は空いてないかな? 中々に美味しいお菓子だ。お茶もある。最高級のウバがね」
毒という単語が一瞬少女の脳裏をよぎる。しかし、少女は自分の腹が食べ物を欲していることに気が付いた。ついさっき食べたような気がするがーーどれほど時間が経っているのだろう。
窓へと目をやるが、カーテンが閉まっていて外の様子を伺うことはできない。つまり、もう夜なのだ。
夜! 少女は愕然とする。
朝食を食べてその後すぐに記憶を失ったから、十時間程度は経過していることになる。
少女(ってことは、あいつらはどうしてるのかな……)
いけ好かない男のことを思う。彼らもここへと連れてこられているのか、それとも別のところにいるのか。
デュラハン「あー、お考えのところ悪いけど、いいかな?」
話しかけられて、少女は驚き体を震わす。
それを恐怖と受け取ったのだろう、デュラハンはわかりやすくしゅんとし、悲しそうな声を出した。
デュラハン「ごめん。驚かすつもりはなかったのだが」
少女「いや、全然、そんなんじゃないです!」
デュラハンから少女は殺意や悪意というものを感じなかった。それは魔族ならば必ず発しているものなのだと思っていた。
目の前の騎士が、だから安全であると断定することはできない。それでも警戒心を解くには値する。ネガティヴな要素を考えれば、そもそもミョルニルを持たない彼女が、デュラハンに勝てる道理もないという意味もある。
少女は柔らかいベッドを離れ、騎士の対面へと座る。砂糖の焼けた芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
少女「あの、訊きたいことがあるんですけど」
357 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:40:07.29 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「そうだろうな。こちらからも言いたいことがいくつかある」
デュラハン「まずはそっちの質問を聞くよ。たくさんあるんだろうし」
友好的な態度に少女は気勢を殺がれながらも、最低限の警戒は残しつつ、尋ねた。
少女「ここは?」
デュラハン「俺が管理している塔だね。名前はないが、周囲の人間は『必死の塔』とか呼んでいるっけ」
周囲の人間。少女は心の中で反芻する。やはり目の前の騎士は魔族なのだ。
少女「なんでアタシは、その、必死の塔? に連れてこられたんですか」
デュラハン「それに答えるまでに、自己紹介をしなければいけない」
デュラハン「俺の名はデュラハン。御嬢さんがたが倒そうとしている魔王の配下、四天王のひとりだ」
大きな音を立てて椅子が蹴倒された。少女は一足飛びで後ろへと下がり、窓をぶち破ろうと体当たりをする。
しかし。
少女(堅い! これ、魔法の力で強化してある!)
大きな音を立てるだけで、窓ガラスが破れる気配は一向になかった。
少女の膂力で破れないとなると、十分すぎるほど十分な魔法がかけてあるのだ。しかも大から小まで重層的に。
デュラハンは、今度こそ悲痛な声を上げた。
358 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/28(火) 11:40:34.07 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「……だから嫌だったんだ、名乗るのは。だが、まぁ、仕方がない。わかっていたことだ」
その態度にも少女は今度こそ警戒を解かなかった。ミョルニルはないにしろ、ぎろりと睨みつける。
デュラハン「誤解を言葉だけで解けるとは思わないが、聞いてもらいたい。俺は別に、御嬢さんに危害を加えたくて連れてきたわけではない」
少女「じゃあ、なに。ミョルニルが目的?」
デュラハンは大きくため息をついた。
デュラハン「それは一面では真実だ。だけど、俺の目的はミョルニルそれだけではない。御嬢さんとミョルニルのセットが目的なんだ」
少女「アタシと、ミョルニル……」
デュラハン「言葉だけで誤解が解けると思わないと、言ったばかりだな。やっぱり行動が伴わなければいけないか」
彼が空中に手を伸ばすと、何もない虚空へと手が吸い込まれていく。音もなく腕が空間に埋まっていくのは、何も知らない分には随分と衝撃的な光景であった。
デュラハンの抜いた腕に握られていたのは、紛うことないミョルニルそのものだ。
デュラハン「王城から持ってきた。返そう」
と、布団へと放り投げる。柔らかい音とともに神の加護を受けた鎚はその柔らかさに吸い込まれる。
少女「……」
何か罠があるのではないか。考えながら、それでも一歩ずつ、恐る恐る少女はベッドへ近づく。
鎚に触れると独特の暖かさがあった。自らの血の暖かさ。少女はそれが贋物ではなく本物のミョルニルであることを理解する。