私が初恋をつらぬいた話
Part3寝付いてどれくらいたったかわからない。
ただ、多分そんなに時間がたたないうちに、あの男は部屋にやってきた。
体を這い回る手の動きで目が覚める。
私はまた、猛烈な嫌悪感に襲われた。
そうか、今日もやっぱり母は居なかったんだな…
半ば考えるのを拒否し始めた頭で、ボーっとそんな事を考える。
母はお腹が大きいのにもかかわらず、相変わらず週に何日かはスナックにバイトに行っていた。
このまま私が我慢をすれば、とりあえず休めるのかな…
覚悟を決めかけたその時、男の手は私の服の中に滑り込んできた。
その瞬間、一瞬だけ先生の顔が頭をよぎる。
「いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
実際にはこんな女らしい叫び声じゃなく、もっと獣に近いものだったかもしれない。
私は男を蹴るように突き飛ばした。
一瞬だけ男の体が離れる。
怒りと興奮で頭はクラクラする。
息を荒げたまま起き上がろうとすると、男はニヤっと笑ってまた私に襲い掛かった。
どのように体をジタバタさせたか解らない。
ただ、私の服を剥ぎ取ろうとする男の手を、必死で引き剥がそうとしていたのだけは覚えている。
ひたすら男の体を蹴り上げていた私の足が何発目かでようやくクリーンヒットし、男は小さく呻きながらかがみこんだ。
今しかない…!
私は机においてあったカバンを手にすると、一目散に家から飛び出した。
とにかく必死で走って、近所にあった当時はもう使われていない病院跡地に、身を隠した。
62 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:36:19.55 ID:+beSXCVE0
建物の影に隠れて息を整えると、とたんに虚しさが襲ってくる。
どうして私がこんな目に…
どうして私の親はあんななんだ…
どうして…どうして…
もう頭の中は、どうして?しか浮かんでこなかった。
一通りどうして問答をした後、ぼーっとした頭でカバンをまさぐり携帯電話を取る。
「せんせいたすけて」
私はほぼ無心で、堺先生にメールを送った。
メールを送った瞬間、涙が溢れてくる。
携帯を握り締めながら泣いていると、先生からの返事はすぐに返ってきた。
「どうしました?」
文字なのに話しかけられているような気がして、私はまた息が詰まった。
「もうやだ」
呼吸にならない呼吸のせいで、私はその一文しか送れなかった。
深呼吸を繰り返していると、またすぐ携帯が鳴る。
「090-・・・・・・」
本文には携帯番号らしき数字だけが綴られていた。
私は止め方のわからない深呼吸を繰り返しながら、その番号を押した。
ワンコールも鳴らないうちに、先生は電話に出た。
63 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:37:16.69 ID:sMVE+LP3i
先生ッ……!
64 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:37:49.60 ID:+beSXCVE0
「もしもし!?」
受話器の向こうから、先生の声がする。
「せんせい…」
「どうしたの?なにがあったの?」
「せんせい…………」
涙が溢れて、上手く言葉がつなげない。
「わかった、落ち着いて……今家にいるの?」
「…家にいない…そとにいる」
「外ってどこ?一人で居るの?」
「〇〇病院の…所で……うん、ひとり」
「〇〇病院にいるのね?」
「…うん…」
「わかった、今から行くから絶対にそこで待ってて。いい?わかった?絶対に動かないでそこで待ってて!」
先生はそういうと電話を切った。
65 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:39:31.74 ID:+beSXCVE0
切れた電話を握りながら、深呼吸を繰り返す。
呼吸こそ乱れていたものの、涙は止まり、私はその場に座り込んだままぼーっとしていた。
風や草の音に耳を傾け、何も考えられずに座っていると、車の音が徐々に近づいてくる。
近くで停まったな…と思っていると、また携帯が鳴った。
「もしもし?今〇〇病院に着いたんだけど、どこにいるの?」
先生の声だ。
「…病院の影にいます」
「影…?……今、僕が見える?」
身を乗り出して病院の正面入り口辺りを見ると、堺先生がキョロキョロしながら立っていた。
「…見えます」
「よかった。じゃあこっちに出てこれるかな?」
私は携帯を耳に当てながら一生懸命立ち上がると、フラフラしながら先生の方に歩いていった。
私に気が付いた先生が、凄く驚いているのがわかった。
家から一目散に逃げた私の恰好は、引っ張られてヨレヨレになり所々破れたTシャツに、砂だらけになった短パン。
その上裸足で頭はボサボサ。
薄明かりの下の私は、幽霊の様だったことだろう。
先生はヨロヨロ歩く私に駆け寄ると、さっと肩を支えた。
そして次の瞬間、フワッとした感覚があったと思うと、私は先生に俗にいうお姫様抱っこをされていた。
先生は、完全に脱力した状態の私を器用に車の後部座席に乗せると、
「狭いけど、ちょっとだけ我慢してね」
と、車を走らせた。
泣き疲れたからか、それとも先生に会えた安心感からか、私は横になりながらウトウトしていた。
「渚さん、起きてる?」
声をかけられて、小さくハイと返事をする。
気がついたら車は停まっていた。
「ちょっと待っててね。」
そう言って先生は車から降りた。
ここはどこなんだろう…横になったままボーっと考えていると、先生が後部座席のドアを開けた。
「起き上がれる?」
小さく頷いて起き上がった私の体を少しだけ引っ張ると、先生はヨイショっと言い、また私を抱っこした。
乱暴に体でドアを閉める音がする。
見慣れない場所に目を凝らすと、目の前に小さなマンションが見えた。
どうやらココは、このマンションの駐車場だったらしい。
先生は一階の一室の扉を空け、私を玄関に座らせると、玄関の鍵をそーっと閉めた。
「…鍵…」
先生がボソッと呟いたのが聞こえて、私は首をかしげた。
「…家の鍵閉めないで、出てっちゃってたみたい…」
先生が恥ずかしそうに頭をポリポリかいたのを見て、私はようやく少しだけ笑った。
67 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:42:30.54 ID:L9GcuA1Wi
先生かっこよすぎる
68 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:43:01.30 ID:+beSXCVE0
「あ…ちょ、ちょっと待ってね。」
先生は一瞬だけ私をじっと見ると、何か焦ったようにそう言って、奥の部屋にバタバタと入っていった。
しばらくガタガタと物音がしていたかと思うと、手に何枚かの服を持って戻ってきた。
玄関横の引き戸を開ける。
「サイズ合わないと思うけど…とりあえず着替えておいで。」
そう言われて初めて、私は自分の恰好が凄い事になっているのに気がついた。
ボロボロになったTシャツから、お腹やブラジャーが覗いている。
私は恥ずかしくなって、慌てて腕で上半身を隠した。
「あぁ!ごめんなさい!俺、あっちにいますから!」
先生はまた慌てて奥の部屋に引っ込んで行った。
あれ?先生今、俺って言った?
少し驚きつつ、ヨロヨロしながら立ち上がると、私は開けられた引き戸の中に移動した。
物が異常に少ない、綺麗に整頓された洗面脱衣所だった。
先生に渡された服に着替える。
少し大きな長袖のTシャツに、少し長めのハーフパンツ。
何か少し不思議な気分になりながら、今まで来ていた洋服を畳むと、私は先生に声をかけた。
「あの…先生。」
廊下の奥、部屋を仕切る扉の向こうから、先生はハイと返事をした。
「足と…できれば、顔を洗いたいです…。」
「あぁ!そうですよね!…そっちに行っても大丈夫ですか?」
私がハイと返事を返すと、先生はそーっと扉を開けて入って来た。
何だかちょっと気まずそうに私の横をすり抜けると、タオルタオル…と小さく呟きながら洗面所の棚をあさる。
「一枚で足りますか?」
「はい?」
「タオル…」
「あぁ、はい大丈夫です、足ります。」
私が慌ててうなずくと、先生はニコッと笑って今度は浴室の扉をあける。
蛇口を捻ってしばらく手を流水にさらし、ウンっと小さくうなずくと、
「どうぞ」
と言って、廊下に戻った。
69 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:44:31.31 ID:sMVE+LP3i
僕から俺に……
紳士ですなぁ
70 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:45:08.87 ID:L9GcuA1Wi
俺になったなおいw
71 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:46:23.02 ID:+beSXCVE0
「僕、またあっちにいますから。汚れ物はハジッコにでも置いといて下さい。」
私が頷くと、先生はまたニコっとして奥の部屋に戻っていった。
浴室で足と顔を洗うと、頭がシャッキリしていく。
冷静になってくると、ここがどこだか実感が沸いて来る。
ここ、先生の家だ…
私は色々と恥ずかしくなり、何故か慌ててお湯を止めると、急いで足と顔を拭いた。
使ったタオルをさっき畳んだ服の上に置き、洗面所の端に移す。
スイッチを探して電気を消すと、何故かそーっと奥の部屋の扉の前に移動した。
どうしていいかわからず、ノックをする。
すぐに扉が開いて、先生がどうぞ…と部屋に招きいれた。
「お邪魔します…」
小さく言って部屋に入る。
広いリビングダイニング。
小さな座卓、少しだけ大きなテレビ、二人がけの黒くて背の低いソファと、部屋の端に電子ピアノ。
広さの割りに物が少なく、綺麗というよりはガラガラと言った方がわかり易い部屋だった。
「あ、そこに座って。」
促されるまま、ソファに座る。
先生も私を向くように床に座ると、そこからしばらくの沈黙が流れた。
「…それで…一体何があったんですか?」
先生がゆっくりと口を開いた。
私は黙ってうつむいた。
「…話せる範囲で構いませんから…」
そう言って先生はまっすぐ私を見た。
私は少しずつ、話し始めた。
72 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:48:14.58 ID:+beSXCVE0
去年の冬、母が再婚すると言って25歳位のガラの悪い男を連れてきたこと。
春休みが始まってすぐ位の時、寝ていたところを男に体を弄られたこと。
それからは家で眠るのが怖くて、夜中は外で過ごしていたこと。
でも体調が悪くなり、仕方なく家に戻って眠っていると、男に襲われ、慌てて家を飛び出して来たこと。
気がついたら先生にメールを送っていたこと。
私はただ淡々と、どこか他人事の様に話をした。
話している間、先生は真剣な顔をして下を向き、眉間にシワを寄せながらうんうんと頷いていた。
私が話すのをやめると、ふたたび沈黙が訪れた。
空気が重苦しく、心臓が締め付けられるように痛くなっていく。
チラッと先生を見ると、今まで見たことのない無表情な顔で、ただ目だけは何かを睨みつける様にじーっと床を見つめていた。
いつもニコニコと穏やかな表情をしていた先生の顔とのギャップに、私の背筋は少しだけゾクっとした。
何だか怖くなって、私も下を向いた。
73 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:49:39.57 ID:+beSXCVE0
しばらくの間、私達は黙って下を向いていた。
だんだんと、何故か自分が怒られているような、不思議な気分になってゆく。
色々な事が頭を駆け巡りまた涙目になっていると、先生が大きくフー…っと溜め息をついた。
ビクッと驚いて先生を見る。
ゆっくりとこちらを向いた先生は、私と目が合うと、いつものようにニコっと笑った。
「目…腫れちゃってますね。」
先生はそう言って立ち上がるとキッチンに行き、冷凍庫から氷を取り出して袋に入れ、小さなハンドタオルと一緒に持ってきた。
そして私の横に腰掛けると、不思議そうに見ている私の顔を優しく押さえ、目にそっと氷袋を当てた。
「…今から冷やして、効果あるかな?」
先生がちょっと困ったように笑いながら言う。
その途端、胸につかえていたドロドロとした感情が溢れだし、私は堪えきれずに声を押し殺して泣いた。
先生は私の背中をずっとさすりながら、もう大丈夫だから…と何度も何度も繰り返した。
75 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:51:50.35 ID:+beSXCVE0
目を覚ますと私はソファの上で、妙に大きな毛布を掛けられていた。
ぼーっとした頭で、ここが何処だか思い出す。
ハッとして部屋を見渡すが、先生の姿はなかった。
どこに行ったんだろう…そう思いながらテーブルに目をやると、何やら色々と置かれていることに気がついた。
缶コーヒーとペットボトルのお茶、フェイスタオルに小さなメモ用紙。
ー 今日は土曜日ですが、少し仕事があるので学校に行ってきます。
午前中だけなのでお昼頃には帰ると思います。
目が覚めたら顔を洗って、お茶でも飲んで待っていてください。 ー
メモには癖のある綺麗な文字で、そう書かれていた。
ふと壁に掛けてある時計をみると、大体11時半。
私は書かれた通りに顔を洗うと、ソファに戻ってお茶を一口だけ飲む。
ホッと一息つくと、昨日の出来事が思い出され、何とも言えない複雑な気分になった。
振り払うように大きく首を振り、ギュッと体育座りをする。
顔を埋めたシャツの袖から、洗濯物のいい香りがした。
少しだけ気持ちが軽くなったような気がして、私はその体制のまま先生の帰りを待った。
じっと座って暫くウトウトしていると、玄関の方からガチャっと音がした。
ビクッとして顔を上げる。
部屋の扉がそーっと開いて、先生が入って来た。
目が合うと先生はニッコリ笑う。
「あぁ、起きてましたか。よく眠れました?」
私が小さく頷くと、先生は「よかった。」とだけ言い、リビングの隣にある部屋に入っていく。
チラリと見えた部屋の中はカーテンが閉めっぱなしなのか薄暗く、ど真ん中に置かれているであろうベッドの陰が何となく見えた。
少しだけ開いた扉の向こうから、先生の着替える音が聞こえる。
私は急に恥ずかしくなって下を向いた。
74 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:51:24.89 ID:L9GcuA1Wi
おい髪切りに行く予定なんだよ
どうしよう
77 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:54:28.06 ID:sMVE+LP3i
>>74
マイシャンプー忘れるなよ
80 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:57:38.04 ID:OFRbks1Y0
>>78
ちゃんとと大きな声でよろしくお願いしますって言えよ
マイシャンプーは最初に出すんだぞ
76 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:54:10.17 ID:+beSXCVE0
>>74
まだまだ長く話が続くと思います。
どうかお気になさらずに、さっぱりしていらして下さい。
Tシャツとジーパンに着替えた先生は欠伸をしながらテーブルの脇に座ると、ハハっと笑った。
「昨日あんまり寝てないから。失礼しました。」
慌てて私は首を振る。
「ごめんなさい、私のせいです。先生に迷惑かけちゃいました…本当にごめんなさい。」
「いえいえ、お気になさらず。元はといえば勝手に連れて来た僕が悪いんですよ。………さて…」
先生はちょっとだけ真剣な顔をして、話し始めた。
「とりあえず、この状況を誰かに見られたらとってもマズイです。やましい事は何もありませんが、きっと誤解を招くでしょう。」
「はい…」
「なので、暗くなるまではちょっとだけココに居てもらいますね。大丈夫そうになったら、ちゃんと送りますから。」
「はい…」
「でも……失礼ですが、あの家に帰すのだけは僕も不安です。どこか代わりに帰れる所ってありませんか?」
「…………無いです」
私がそういうと、先生は困った様に笑いながら「ですよねー。」っと言った。
「困ったなぁ…どうしましょうか。」
先生が頭をポリポリとかいた。
返事ができずに俯いていると、先生はまた真剣な声になって話しを続けた。
「あの…非常に言い辛いのですが……」
私は黙って頷く。
「…児童相談所に連絡してみるのはどうでしょうか?
79 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:56:45.96 ID:+beSXCVE0
児童相談所…その言葉を聞くと、頭がグラグラした。
「ハッキリ言います。貴女がされたことはレ○プ未遂です。どう考えても貴女の新しいお父さんは異常です。」
ずっと頭の中で否定し続けていた言葉を言われ、私は堪らずうつむいた。
「明らかに虐待…いや、それ以上の酷い事です。渚さんはもうすぐ18歳ですがまだ高校生なので、きっと助けてくれるはずです。」
「……」
「他に身内も、頼る所も無いとなると、そうするのが一番最良だと思うのですが…」
私はブンブンと首を振った。
「…嫌です。」
「でも、このままじゃ貴女が…」
私は遮るように話し続けた。
「嫌です、絶対に嫌です!あの男に何をされたか話さなきゃいけなくなりますよね?私が保護されたら、地元の人たちにも何をされたかバレますよね?」
「でも…」
「嫌です、そんな事私には耐えられません!やっと友達も出来て、やっと普通に過ごせているんです!それを壊してしまうような事、私には出来ません!」
堪えきれず涙が溢れてくる。
あの家は確かに怖かった。
けれどもそれ以上に、小さな田舎の噂話の方が怖ろしい事を、私は知っていた。
この件が表沙汰になれば、実際は未遂で終わった事でも、私は義父にヤラレチャッタ女として周りから見られてしまう。
そうなるともうこの町には居られなくなる。友達にも一生会えなくなる。
私にはそれが耐えられなかった。
81 :名も無き被検体774号+:2012/06/07(木) 15:59:30.48 ID:+beSXCVE0
先生は悲しそうな顔をして、小さく溜め息をついた。
「……ですよね。」
ぽつっと呟く。
「………ごめんなさい。」
滅茶苦茶な事を言っているのは、十分すぎるほど理解していた。
それからまた、長い長い沈黙。
私は居た堪れなくなって、もう一度小さく「ごめんなさい。」と呟いた。
「自分の…」
ずっと黙っていた先生が、下を向きながら話し始めた。
「…自分の身は自分で守れますか?」
私は「え?」と聞き返した。
「あと一年……自分の身は自分でしっかり守れると、そう約束できますか?」
先生は私を真っ直ぐ見つめると、搾り出すようにそう言った。
私は少しだけ考えた後、大きく頷いた。
「……わかりました。でもこの次に何かあった場合、僕は躊躇なく通報します。それでもいいですね?」
「はい。…構いません。」
先生はまたフーッと大きく溜め息をつく。
「…僕が女性だったら良かったんですけどね……」
私はまた、下を向いた。
「……僕、ずっと心配だったんです。」
「え?」
予期せぬ言葉に、驚いて先生を見る。
「…僕が赴任してきた頃……渚さん、虐められてたでしょう?」
先生は私を見ずに話を続けた。
「虐められてるのが解って…何とかしてあげたいのに、僕には何も出来なくて……
せめてもの償いのつもりで、歌のレッスン引き受けたんです。」
「………」
「…少しでも支えになれば…そう思って始めたんです。そしたら渚さんはどんどん明るくなっていって、友達も出来て…あぁコレで良かったんだって。
京都行きの話が来た時…正直少し迷ったんですけど、今の渚さんなら大丈夫だろうと思って決心したんです。」
私は黙って頷いた。
「そしたら泣いてる渚さん、見ちゃったじゃないですか。…良かれと思ってやった事で、僕はこの子を余計に傷つけてしまったんじゃないかと後悔して…。
手紙も出そうかどうか、本当は迷ったんです。でも、渚さんの先生に会えて良かったって言葉がどうしても頭から離れなくて…」
先生は恥ずかしそうに頭をかいた。
「教師としての自信を無くしかけていた時に言われた言葉だったし…自分が誰かに必要とされた事ってあまり無かったから、余計に嬉しかったんです。」
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