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従姉に恋をした。

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Part16
743 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:48:39 ID:
2005年9月9日 金曜日 午後11時過ぎ。
恵子ちゃんとのデートまで一週間と迫った夜。
夜勤明けのその日、夕方から床に就いていた俺は1本の電話で起こされた。
母からだった。
「恵子ちゃんが倒れて、病院に運ばれたそうなの」
母の声は落ち着いていた。
それは、俺にも落ち着けと言っているようだった。
「とりあえず守さんからそのことだけ連絡がきたんだけど、状況がよくわからないの。
 詳しいことがわかったらすぐ連絡するからね?いい?」
わかってる。わかってる。
だいじょうぶ。だいじょうぶ。
冷静に自分の言っていることを反復した。
10分。
20分。
30分。
電話はぴくりとも声をあげない。
この間、何をすべきか考えることもなく、自然に身体が動いた。
まるでこれから会社にでも行くように、歯を磨き、髪を整えた。
0時。
あらかじめセットしていた目覚まし時計が鳴った。
それが徒競走の合図でもあるかのように、
俺は携帯と車のカギを握り締め、外に飛び出た。

744 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:49:19 ID:
車で故郷に向かうのは初めてのことだった。
なんとか高速道路に乗り、記憶をたどりながらひた走った。
家を出て1時間も経った頃、携帯が鳴った。お父さんだった。
「今、向かってますから」
「そうか。とりあえず、状況を説明するね」
恵子ちゃんが倒れたのは午後9時頃。
風呂の脱衣所で。
医者の診断はくも膜下出血。
現在、集中治療室で手術中。
お父さんの言葉のひとつひとつが、
まるで新聞の見出し文字のように頭に入ってきた。
「私達も今、病院にいるから」
恵子ちゃんの家から少し離れた市立病院だった。
そこで初めて、病院がどこかも知らずに家を飛び出したのに気づいた。

745 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:50:20 ID:
5時間ほどで病院に着いた。
当直の看護師に案内され、集中治療室へと向かう。
治療室の前、長椅子に守さんと浩美さん、お父さんと母が座っていた。
「来てくれてありがとう」と、守さんと浩美さんが力なく、それでも笑顔で言った。
手術は未だ続いていた。
守さんに話を聞いた。
仕事から帰ってきた時、恵子ちゃんはいたって普通だったそうだ。
それが食後、頭痛を訴えた。
恵子ちゃん自身も、守さんたちも、
それは耳の薬のせいだと気にも留めなかったという。
そして恵子ちゃんは倒れた。
皆、言葉もなく、時が経つのをひたすら待った。
夜が明けた。
沈黙を守っていた治療室の扉が、拍子抜けするほど軽薄な音をたてて開いた。
一斉に立ち上がった俺たちを、出てきた医者が別室へと誘った。
医者の説明には守さんの希望で俺たちも同席した。
手術は無事に済んだ。
やはりくも膜下出血だという。
この時、初めてこの病気に対する知識を得た。
この病気は、脳を取り巻く動脈に“動脈瘤”というコブができ、
それが破裂してしまうことだそうだ。
高血圧だったり、乱れた生活を送っていたり、
疲れやストレスが原因になり得ると医者は言った。
だがそのどれもが恵子ちゃんには該当しなかった。
「遺伝的なものかもしれません」
医者の言葉に守さんが頷いた。
田中の一族には何人も脳の病気を患った人がいるそうだ。
そして最後に医者は言った。
24時間以内に再破裂の恐れがあり、そしてそれはかなりの高確率だと。
再破裂したら、その先は…。
誰もその質問を口に出すことはなかった。

746 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:51:03 ID:
集中治療室には誰も入れてもらえなかった。
当然といえば当然の対応なのに、俺は理不尽な怒りを覚えていた。
憔悴しきった4人に仮眠をとることを勧め、俺はひとり治療室の前に残った。
時折り開く扉の隙間から室内を覗ったが、様々な機材が俺と恵子ちゃんを隔てていた。
こういった場面ではよく「どれほど時が経ったのだろう」などと、
時間の感覚を失くすようだが、そんなことは俺には微塵もなかった。
壁に掛かった時計と共に、冷徹なほど、時を認識し続けた。

747 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:51:47 ID:
昼。
ただ時計の針を追うだけの時間に終わりが来た。
何かが起こったのはすぐにわかった。
滅多に開かなかった治療室の扉が、
目まぐるしく、せわしなく、医者や看護師を吸い込んでいく。
知らせを受けた守さんたちが駆けてきた。
30分後。
治療室の扉がやっと俺たちを招き入れてくれた。
物々しい機械に囲まれたベッドに、恵子ちゃんが横たわっていた。
浩美さんが恵子ちゃんの身体に覆い被さった。
その傍らで守さんが立ちすくんだ。
お父さんと母も立ち尽くしていた。
数分後、医者がなにか説明を始めていた。
だがそれは、
俺にとってなんの意味もない説明だった。
恵子ちゃんはもう、笑わない。


748 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:52:34 ID:
守さんが看護師と“今後”について相談を始めていた。
母は浩美さんに付き添っていた。
お父さんは俺の肩を抱き、俺は彼に導かれるまま治療室の外に出た。
ふたりで喫煙所に行った。
ジュースの自販機があった。
ジーパンのポケットを弄り、気づいた。
(あ、サイフ忘れてら)
いいよ、とお父さんがコインを出し、俺にコーヒーを買ってくれた。
熱いコーヒーが腹に流れ落ちていく。
今日初めて口にした食物だった。
「だいじょうぶ?」
タバコを差し出しながらお父さんが言った。
銜えると、すかさず火を点けてくれた。
これも今日初めての喫煙。
旨かった。驚くほど。
そのことに自分の精神状態を推し量った。
「だいじょうぶです」
自分では力強く言ったつもりだった。

749 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:53:14 ID:
夕方。
電話で職場の先輩に事情を説明した。
恵子ちゃんとの関係を知る由もないのだが、先輩は気を遣ってくれ、
あらかじめとっていた来週末の休みまで続けて休めるよう、手配をしてくれた。
ほどなくして、
お父さんたちが手配した葬儀屋が、恵子ちゃんを葬儀場へと運んでいった。
俺も車で随伴した。
式場に着くなり、守さんとお父さんは葬儀屋と打ち合わせに入った。
何か手伝いをと申し出たが、守さんもお父さんも「休んでて」と気を遣ってくれた。
何かしてなければ恵子ちゃんのことばかり考えてしまう、
そう思っていたが、頭の中は空っぽだった。
駆けつけた親戚の人たちと交わした言葉も、すべて頭を素通りした。

750 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:53:57 ID:
一時間ほど経った頃。
することも、考えることもなく喫煙所に入り浸っていた俺の元に母がやってきた。
「今、湯灌が終わったの。浩美さんが呼んでるから来て」
母に案内され、湯灌室へと行った。
まるで診察台のような飾り気の無いベッドの傍らに、浩美さんが立っていた。
その顔が見れない。
ベッドも見れない。
虚空に視線を漂わせていたら、浩美さんが言った。
「健吾君、お願いがあるの」
顔を上げた。
「恵子に、服を着せてあげてほしいの」

751 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:54:46 ID:
「はい」
膝に力を入れ、ベッドへと近づいた。
浩美さんが覆っていた白い布をまくった。
起きている時と少しも違わぬ恵子ちゃんが、そこにいた。
胸には下着をつけ、腰にはサラシが巻かれている。
鼻や耳には脱脂綿が詰められ、なんだか息苦しそうだった。
澄んだ白い肌には一点の生気の欠片すら残っていないはずなのに、
触れれば恥ずかしがる恵子ちゃんを感じた。
首と肩を右手で支え、半身を起こした。
こんなに軽いものなのか。
俺の顎のすぐ下に、
あの日、束の間の愛撫を重ねた恵子ちゃんの小さなくちびるがあった。
浩美さんが白い着物を差し出しながら、手伝おうと手を伸ばしてきた。
「ひとりで、やらせてもらえませんか」
浩美さんは頷いてくれた。
恵子ちゃんを胸に抱き、虚脱した四肢を着物に通していった。
身体を動かすたびに、きつい薬品の匂いが鼻をかすめる。
大好きだったアリュールの香りは、今はもう残り香すらしない。
手を握った。
肩を抱いた。
顔に触れた。
着せ終わった恵子ちゃんを、いつまでも抱いていたかった。
浩美さんが「ありがとう」と言った。
その言葉がすべてに終わりを告げているように感じた。

752 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:55:39 ID:
棺に入れる遺品を用意するため、浩美さんと母が家に帰った。
今夜は守さんとお父さんと俺が、恵子ちゃんの側にいてあげることになった。
すっかり夜も更けた頃、寝酒にとお父さんが酒を用意してくれた。
守さんも付き合い、三人で淡々と飲んだ。
ほとんど会話もない酒盛りだったが、酔いなどまわろうはずもなかった。
そろそろ寝ようかと、ふたりが式場内の寝室に引揚げた。
俺は恵子ちゃんの元へと向かった。
恵子ちゃんが眠っている部屋は、明日の通夜の場ともなる広間だった。
飾られ、煌々と照らされた祭壇の前。
聞こえるはずのない恵子ちゃんの寝息を探し、静かな彼女の寝顔を見続ける。
もう、いいんだぞ。
だが俺の目は期待を裏切り、沈黙していた。

753 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:56:26 ID:
翌日。
葬儀の雑用で日中を慌しく過ごし、あっという間に通夜を迎えた。
読経の最中だった。
突然、守さんが泣き出した。
ウオオオとも、ウアアアともつかない、激しい慟哭だった。
俺は守さんを羨ましく思った。
蚊取り線香のように螺旋状になった線香。
朝までもつというこの線香が寝ずの番を不要としていたが、
それでも恵子ちゃんの側にいたかったから、俺は線香を点け続けた。
深夜1時をまわった頃だったか。
皆寝静まり、俺ひとりだけとなった祭壇の前に、最年長の従兄・勲夫さんが現れた。
「恵子と付き合ってたんだってね」
酒を酌み交わしながら勲夫さんが言った。
「あの子は、従妹というより妹みたいなもんだったんだ。
 だから、健吾君と付き合ってるって聞いた時、俺もすごく嬉しかったんだよ」
祭壇を眺める勲夫さんの右目から、涙が筋をつくった。
「よかったよ。あいつに…最後に大切な人ができて」
飲んだ酒がそのまま出てきているかのように、
勲夫さんの目は乾くことを忘れていた。
勲夫さんが寝室に引き上げた。
またひとりとなった部屋で、俺はゴロンと寝転んだ。
“男は人前で泣くべきではない”
子供の頃からの親父の教え。
頑なに、なぜ守っているのか。俺の身体は。
そんなにも深く、刻み込まれているというのか。その言葉は。
恵子ちゃんのために泣くことが、彼女への手向けとなるはずなのに。
泣け。
泣けよ、俺。

754 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:57:13 ID:
いつのまに眠っていたのか。
早朝、守さんに起こされた。
「側にいてくれてありがとう」
守さんの言葉が、まるで恵子ちゃんの言葉のように聞こえた。
午後からの葬儀、俺は受付を買って出た。
参列はしたくない。
理由はわからなかったが、ただその一心だった。
守さんは了承してくれた。
勲夫さんから借りたサイズの合わない喪服を身につけ、ふたりで受付に立った。
多くの人が記帳していき、やがて恵子ちゃんの会社の人たちが訪れた。
その一団の中、ひとりの男性が目についた。
その男性は、止め処なく溢れる涙を必死に拭っていた。
彼は…きっと、彼だ。
直感が決めつけた。
覚束ない筆遣いで書かれた彼の名。
もちろん見覚えなどないその名前に視線を落とし、
俺は彼の姿を決して見ようとはしなかった。

755 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:58:04 ID:
葬儀が始まった。
静まり返った受付の席にじっと座る。
訪れる者はなかった。
かすかに聞こえる読経に耳をすませながら、俺は恵子ちゃんを思い浮かべた。
何度も何度も、繰り返し繰り返し。
そうすることによって、無理矢理に感情を呼び起こそうとしていた。
華奢な背中。
屈託のない笑顔。
俺を見上げる瞳。
何かをささやく小さなくちびる。
そして、
別れ際に見た泣き顔。
頭の中を恵子ちゃんが舞う。
だが、
それだけだった。
どうして、守さんや勲夫さんや“彼”のようにできないんだろう?
ひょっとして俺は、まだ現実を認識できていないのか?
動かなくなった彼女に触れただろ?
まだ無意識に我慢してるのか?
それとも、単に冷たい男なのか?
それとも。それとも。それとも。
「お別れよ。お花を手向けてあげなさい」
母の声が俺を現実に引き戻した。
葬儀は終わっていた。

756 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:58:42 ID:
他の参列者はすでに終わっていて、俺と勲夫さんだけとなっていた。
それぞれ恵子ちゃんの左右にまわり、オレンジ色の花をそっと顔の近くに置いた。
じっとその顔を見つめる。
どんなに生きているかのように化粧が施されていても、
動かず、表情もなく、ただそこにあるだけの存在。
眠そうに目をこすりながら、『おはよう!』と笑いかけてくる、
そんな気配はもう消え失せていた。
棺に蓋が被せられた。
参列者が一打ち一打ち、一本一本、釘を打ち付けていく。
蓋の小窓が閉じられようとしていた。
そこからのぞくものを決して目に焼き付けないように、俺は視線を逸らした。

757 名前:1 ◆6uSZBGBxi. [sage] 投稿日:2006/04/29(土) 16:59:26 ID:
冷たい、ねずみ色の鉄の蓋。
読経の中、俺の目はそこ一点に釘付けになった。
火葬。
あの向こう側に、恵子ちゃんがいる。
恵子ちゃんが、焼かれている。
恵子ちゃんが、消えていく。
突然のことだった。
奥歯が鳴った。加速する鼓動と連動しているかのように。
足が、一歩、また一歩と前に踏み出した。
俺が憶えているのはここまでだった。

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