怪物 「転」(後編)
41 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:16:25 ID:qlom6ToI0
私は明け方の夢の中で、母親を殺した。
昨日の夢と同じだ。
夢の中で私は足音を聞く。そして玄関に向かい、背伸びをしてドアのチェーン
を外す。顔を出した母親の首筋に刃物を走らせる。胸には憎しみと悲しみに似
た感情が混ざりあって渦巻いている。血を間欠泉のように噴き出して崩れ落ち
る母親を見ながら、私は自分自身の吐く息をどこか遠くから吹く隙間風のよう
に無関心に聞いている……
「しまった」
ベッドの上で、搾り出すように言った。
ただの夢ではないのは明らかだ。
まったく同じ夢。
これ自体が、怪現象の一部なのだ。あるいはその本体に近いなにか。
そもそも私がこの街に起こりつつある異変にはっきり気づいたのがこの夢からだっ
た。怖い夢を見たという記憶だけあるのに、その中身を思い出せない。そんな人間
が恐らくこの街のいたる所にいたはずだ。私もその一人だった。
その夢が朝の光の中に残るようになった。
その意味をもっと真剣に考えるべきだった。
クラス中で囁かれる奇妙な噂話に気を逸らされて、誰にも夢の話を聞いていな
い。まさにその夢を忘れなかった朝から、まるで手のひらを返したように怪異が
街に噴き出し始めたというのに。
最短でこの怪現象の正体に迫る方法を私は見過ごしてしまっていた。
このロスが致命的なものにならないことを祈るしかない。
「クソッ」
昨日から数えて何度目かの悪態を枕にぶつける。
致命的?
その無意識に浮かんだ言葉に私は思わずゾクリとする。
直感が、この街になにか恐ろしいことが起ころうとしていることを告げているの
か。
44 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:19:27 ID:qlom6ToI0
バシン、と両手で頬を張る。
パジャマを脱ぎ、急いで服を着る。
するすると皮膚の上を走る布の感触。
頭は今日するべきことを冷静に考えている。
制服に着替え終えるとドアを出て、まず妹の部屋に向かった。
「入るぞ」
妹はベッドに腰掛けたままで、もぞもぞとパジャマを脱ごうとしている最中だった。
「な、なに」
警戒する様子にも構わず、前に立って見下ろす。
「夢を見たか」
「はあ? 夢? 見てない」
たぶん。と付け加えた妹は訝しげに私の目を見る。
最近母親がやたらムカつかないか、と聞いてみたが「別に」との答え。
OK。嘘をついている様子はない。
さっさと部屋を出る。
つまり受け取る側にも強弱があるのだ。受信アンテナの性能とでもいうのか。波長
が合ってしまった人間だけが、強制的にある感情を植えつけられている。
階段を降り、リビングに向かう。台所では母親が冷蔵庫から牛乳を取り出している。
「おはよう」「おはよう」
自然な挨拶が交わされる。
大丈夫だ。母親を憎む気持ちは収まっている。少なくとも殺してしまうような角度
にメーターはない。
無事にパンと牛乳の朝食を終え、急いで家を出る。
昨日の工事の音は、今朝は聞こえない。今日も暑くなりそうな陽射しの強さだ。
歩きながら朝刊の記事のことを考える。
〔UFOか? 市内で目撃相次ぐ〕
そんな見出しに、潰れたような写りの悪い写真が添えられていた。
46 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:21:29 ID:qlom6ToI0
昨日の午後6時過ぎ、北の空に謎の発光現象が起こるのを多くの人が観測したとい
う内容だった。
私が図書館にいた時間帯か。見たかったな。
けれどこんな事件にはもうあまり価値はない。
ばら撒かれるピースに顔を寄せて覗き込んでもなにも見えてこない。私は昨日得た
強引な仮説に基づいて、この怪現象の全体像を捉えようとしているのだから。
学校に着いた。
校門の内側で人だかりが出来ている。
近寄ると校内の地面に20センチほどの深さの凹んだ跡があった。その周囲1メー
トル四方にまるで巨大なハンマーで力任せに叩いたようなヒビが入っている。
昨日まではなかった。夜の間にこうなっていたらしい。
教師たちに追い払われ、みんなヒソヒソと口を寄せながら昇降口に吸い込まれてい
く。
不思議だがこれもただのノイズのようなものだ。実体ではない。捉われてはいけない。
教室に入ると、いつにも増して妙にざわついた雰囲気が辺りを覆っている。
朝礼で担任の教師が生徒に向かって「浮わついているようだから、気を引き締める
ように」という、まったく具体性のない説教を自信なさげに口にした。
先生自身なにをどう注意すればいいのか分からないのだろう。
1時間目の授業は生物だった。内容に全然集中できない。
(今日は金曜日か)
休日よりも平日の方が情報収集には向いている。今日一日でどれだけ情報を集めら
れるかが勝負だ。
1時間目が終わり、休み時間に入る。
さっそく今朝の校門のそばの凹んだ地面についての噂話が始まる中を強引に割り込
むようにして私は次々と質問をしていった。
「怖い夢を見なかったか」と。
誰も戸惑いながら顔を強張らせて答える。
多くは「見てない」という答えだったが、ぽつりぽつりと「見た」という返事も混
ざっていた。
47 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:23:02 ID:qlom6ToI0
普段クラスメートとは距離を置いている私が、ズカズカとプライベートに踏み込ん
で来るのを不快そうにする連中から、それでもなんとか重要な部分を聞き出す。
「見たよ。お母さんを殺しちゃう夢」
そんな答えをした子が、複数いた。
やっぱりだ。
みんな同じ夢を見ている。
細部まで同じ。ドアのチェーンを外して、迎え入れた母親に刃物で切りつける夢だ。
私は昨日今日と繰り返された夢の中で現実と異なる場面が2度も続いたことが引っ
掛かっていた。
私の家の玄関のドアには、チェーンなんかないのに。
そして背伸びをしてそのチェーンに手を伸ばしたこと。これは明らかにおかしい。
170センチを超える私が背伸びしなくてはいけないなんてことはないはずだ。
子どものころに植えつけられた記憶でもない。ずっとあの家に住んでいるのだか
ら。
だから、あの背伸びをしてチェーンを外す感覚は、私の中ではなくどこか外側から
やって来たものなのだ。
そう。例えば、母親を憎み、殺したがっている子どもの意識が、あるいはそのため
に見ている母親殺しの夢が、その子の小さな頭蓋骨から漏れ出て、夜の闇を彷徨い、
侵食し、融解し、私たちの夢の中へと混線するように入り込んで来るのだ。
それは夜毎に私たちの深層意識へ吐き気のするような暗い感情をひたひた、ひたひ
たと刷り込んでいく。
私は教室の真ん中で、肘を抱えて動けなくなった。
怖い。
誰かこの震えを止めてくれ。
クラスメートたちの視線が容赦なく突き刺さる。
変なヤツだろう。
私もそう思う。
しばらく固まったまま呼吸を整える。恐怖心が霧のように散っていくのを待つ。
50 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:26:44 ID:qlom6ToI0
よし。
まだ頑張れる。
そして歩き出す。
その日の昼休み。私は自分の席にノートを広げ、これまでに集めた情報を整理して
いた。
まず聞いて回った「怖い夢」について。
分かったことはみんなかなり以前から「怖い夢を見ている」という漠然とした記憶
があったこと。そして昨日、つまり木曜日の朝、私のように初めてその夢の内容を
覚えていたという子が何人かいる。
その夢は母親を殺す夢。
覚えている鮮明さに差はあっても、ほぼ同じ内容の夢であることは間違いない。つ
まり、現実の玄関のドアにチェーンがある子もない子も一様に、夢の中では玄関に
チェーンがあり、それを外して母親を迎え入れている。
母親の顔はそれぞれの母親のものだ。けれど間違いなく自分の母親の顔だったかと
問われると、みんな口ごもる。それは"母親"というイメージそのものを知覚し、朝
起きてからそれを思い出そうとしたときに自分の中の母親の視覚情報を当てはめて、
記憶の中で再構築が行われているということなのかも知れない。
私も夢の中でドアを開けて入って来る母親の顔に、いや、その表情に違和感を感じ
ている。本物そっくりだけれど輪郭の定まらない仮面を着けているような、違和感。
『違和感』とノートに書こうとして、漢字が分からず直しているうちにグシャグシ
ャにしてしまい、目玉をつけて毛虫にした。
みんな母親を殺す夢を見たことを周囲に話していない。
確かに他人に話しても気分の良いものではないだろう。だから、お互いが同じ夢を
見ていることをまだ知らない。
どうする? 注意を喚起するべきか。
それはすぐに却下する。意味がない。せめてこれから何が起こるのか、あるいは何
も起こらないのか、分かってからだ。
もう一つ重要なことがある。「怖い夢」を見ていたという漠然とした認識があった
子もいれば、そんな認識がない子もいる。そして認識があった子の中でも、昨日の
木曜日から夢を覚えている子もいれば、今朝初めて覚えていたという子もいるし、
そしてまだ「なんか怖い夢を見たけど忘れちゃった」という子もいるのだ。
この個人差が、あるいは霊感と呼ばれるものの差なのかも知れない。
けれど何故か単純にそう思えないのだ。その"霊感"が影響しているのも間違いない
だろう。でも、ここにはなにか別の要素があるように思えてならない。
私は鞄から、折り畳んで突っ込んでおいた市内の地図を取り出す。
そして一昨日から起こっている様々な怪現象の出現ポイントを地図上にオレンジ色
のマーカーで落としていく。
昨日一日にも色々と起こっていたらしい。これまでの休み時間に恥も外聞もなく掻
き集めた情報だけでもかなりの数の異変が確認できる。
風もない緑道公園の上空を、大きな毛布がふわふわとゆっくり飛んでいたかと思う
と急に落下して川に落ちたという事件。
資格試験のための予備校で、講師のマイクが原因不明の唸り声を拾ってしまい授業
にならなかったという事件。
住宅街の電信柱が、誰も気づかない内に引き抜かれ、その場でコンクリート塀に立
てかけられていたという事件。
こんな奇妙な出来事が頻発しているというのだ。
なかにはただの思い違いや、誰かのイタズラが混じっているかも知れない。でもひ
とつひとつに取材をして確認していく余裕はない。私はとにかくそうした情報があ
った場所を地図に書き入れ続けた。
「出来た」
顔をノートから離し、俯瞰して見る。
点在するオレンジ色。一見なんの法則もないように見えるそれを慎重に指で追う。
一番右端、つまり東の端にある点にシャーペンの芯を立て、その左斜め上にある点
まで線を引く。そのままスムーズに伸ばすと次の点がある。紙を滑るシャーペンの
音。
53 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:32:14 ID:qlom6ToI0
そうして地図上の一番外側のオレンジ色を結んでいくと、そこには少しいびつな格
好の「円」が現れた。
他のオレンジ色はすべてその内側にある。
想像が現実になっていくことにゾクゾクする。
次に私は家から持って来た同級生の住所録を鞄から取り出す。まさかと思いながら
も昨日立てた仮説に役立つかも知れないと用意したのだが、さっそく使う場面が来
た。
初めて開く住所録を片手に、今日聞いた「怖い夢」を見ていたという子の家がある
辺りを、ひとつひとつ蛍光ペンで塗っていく。
木曜日に見た子。金曜日に見た子。そしてまだ内容を思い出せない子。それぞれ赤、
青、緑の3つの色を使って塗り分ける。
それらの色とオレンジ色との関連性は見つけられない。接近しているのもあれば、
全く離れているものもある。オレンジの円の外側に位置しているもさえある。けれ
ど赤、青、緑には明らかに相関性があった。
赤が最も円の中心に近く、青、緑の順にそこから離れていっている。
早い時期に夢を思い出せた人ほど、円の中心に近い場所に住んでいるのだ。
ふぅ、と息をついてペンを置く。
昨日、ポルターガイスト現象についての本を読みながら私は考えていた。
もし仮に、街中で起きた怪現象がそれぞれ個別の現象でないとしたら。もし仮に、
この怪現象の焦点となっているのがたった一人の人間だとしたら。もし仮に、通常、
閉鎖的な家屋の中でしか影響を及ぼさないはずのポルターガイスト現象が、壁を越
えて屋外までその力を及ぼしているのだとしたら。そしてもし仮に、ポルターガイ
スト現象の正体が、RSPK、反復性偶発性念力による無意識の自己顕示性と暴力
性の発露だとしたならば……
とんでもない力だ。そら恐ろしくなるような。
市内全域のほぼ半分をその影響下に置いてしまっているなんて。
寒気が頭の芯にまで這い上がってくる。
『エキドナを探せ』
間崎京子の声が脳裏を掠める。
54 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:35:43 ID:qlom6ToI0
怪現象を怪物になぞらえたあの女は、非常階段で話をした昨日のあの時点で、今の
私と同じ推論に達していたのだろうか。
(まさかあいつが)と思ったが、住所録に載っている間崎京子の住所は市内の外れ
にあり、オレンジの円の外側に位置している。
違うな。あいつは違う。
なにより「怖い夢」との整合性が取れない。
恐らく、想像に想像を、いや妄想を重ねているが、「怖い夢」を見ている主体こそ
がエキドナなのだろう。
彼女が見ている夢が目に見えない霧のように夜の街に漏れ出て、それを眠っている
私たちの脳のどこかがキャッチする。
そしてまるで自分のことのように、悪夢としてそれが再生される。
その漏れ出る夢が急に強くなり、影響する半径を広げている。そのタイミングは怪
現象が街に噴出し始めたのとほぼ同じだ。
私は地図に目を落とし、赤、青、緑の順に外へ広がっていく点を見つめる。
夜毎に蓄積されていく身に覚えのない母親への憎悪。そしてその悪意が、殺意に変
わったとき、一体なにが起こるのか。
母親の首筋から吹き出す鮮血の記憶。
危険だ。以前から漠然と感じていた不安などより、はるかに。
そして多分エキドナは小さな子どもだ。ドアのチェーンを外すために背伸びをして
いるから。彼女はなんらかの理由で母親を憎み、その状況を打破できないでいる。
そのストレスがポルターガイスト現象の原因となっている。
彼女?
そこまで考えて、ふと引っ掛かるものを感じた。
自然と浮かんだ三人称だったが、これはギリシャ神話に出てくる怪物エキドナが女
だったからだろうか。
いや、私は"なった"から分かるんだと思う。夢の中で、暗い部屋に一人で母親を待
っている子どもは女の子だ。
その子は、今もそこにいるのかも知れない。
57 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:38:06 ID:qlom6ToI0
(見つけたい)
そう思った。
見つけたとしても、救えるとは思わない。私もただの高校生1年生にすぎないのだ
から。
(でも見つけたい)
イタズラにせよ、RSPKにせよ、ポルターガイスト現象の焦点になっているティ
ーンエイジャーたちの心の叫びは、たぶん一つだ。
『ぼくを見て』『わたしに気づいて』
そんな声にならない声が世界には満ちている。
急に悲しい気持ちが胸にあふれてきて、思わず席を立った。
教室では、昼のお弁当を食べ終わったクラスメートたちがそれぞれの群れを作って
おしゃべりに興じている。
誰も私を見ていない。
群れを避けるように一人でトイレに向かう。
分かっている。クラスメートたちとの間に壁を作っているのは私自身だ。でも誰も
その内側に入れたくない。一人でいる限り、誰にも裏切られない。
廊下を歩く上履きの音。
後ろからついて来ているもう一つの音に振り返る。
「高野さん」
高野志穂はその呼び掛けにビクリとして立ち止まった。
同じような光景を最近見た気がする。軽いデジャヴ。
「なにか用?」
つっけんどんな口調で問うと、彼女は「いや、あ、別に」と言って口ごもってしま
う。
それでも顔をスッと上げたかと思うと、「最近、少しおかしいよね」と言った。
おかしいとも。クラスの連中のように噂話がしたいんなら、他を当たってくれ。
そんな意味の言葉を口にすると、彼女は手のひらをこちらに向けて振りながら言う。
「あ、そうじゃなくて、山中さんが。なんていうか。いつもはもっと、周りに興味
がないっていうか。昨日もだけど、今日も他のコに話し掛けてたし」
58 :怪物 ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:39:57 ID:qlom6ToI0
イラッとした。
そんなこと、こいつになんの関係があるんだ。
私の表情に苛立ちを読み取ったのか高野志穂は「ゴメン」と頭を下げ、それでも意
を決したような顔で続けた。
「山中さん、なにか背負い込んでるように見えるから。もし手伝えることがあった
ら、手伝うよ」
そう言ったあと、彼女はもう一度「ゴメン」と頭を下げて、踵を返そうとした。
その瞬間、デジャヴの正体が急に分かった。
あのときも高野志穂は廊下で私に話し掛けてきた。そして『私も見たよ。怖い夢。
……山中さん。ちょっと占ってくれないかな』と言った。
あれはいつだった? クラスメートが「思い出せない怖い夢」について話している
のを初めて聞いた時だ。水曜日? いや、水曜日は学校を抜け出して石の雨の現場
を見た日だ。ということはその前。火曜日だ。
私の中で、微かに感じていた引っ掛かりが急に膨らんでいく。
高野志穂は占って欲しいと私に頼んだ。何を? 当然夢のことだ。そして、その時
点で彼女は私にトランプだかタロットだかで占ってもらうだけの"材料"を持ってい
たことになる。
「高野さん、お母さんを殺す夢を見た?」
高野志穂は驚いた顔をしたあと、コクリと頷く。
「火曜日の朝が初めて?」
彼女は少し首を捻り、思い出す素振りをしたあとで口を開いた。
「月曜日」
それを聞いた瞬間、私は唾を飲んだ。
みんなより、そして私より、3日も早い。私が初めて夢を覚えていたのが木曜日の
朝なのだから。
「来て」
と言って私は彼女の手を取り、教室に引き返した。
60 :怪物 「転」 ラスト ◆oJUBn2VTGE: ウニ New! 2008/07/21(月) 01:42:23 ID:qlom6ToI0
彼女は「え? え?」と戸惑いながらもついてくる。
教室の中に入り、私の机の中から市内の地図を取り出して広げる。
「あなたの家はどの辺?」
やけにカラフルになった地図を前にして高野志穂は少し躊躇する様子を見せたが、
私の顔を伺ってから人差し指をそっと下ろす。
オレンジの点で出来たいびつな円のほぼ中心を指している。
円は怪現象の目撃ポイントで構成されているけれど、サンプルが少なすぎるために
正確な円を作れていなかった。所詮クラスメートの噂話だけで集めた情報なのだ。
たまたま知らなかっただけの怪現象がもし円周の外側に付近にあったとすると、そ
れだけで円の形が変わり、その中心のズレてしまう。中心にこそエキドナがいるは
ずなのに。
だがこれでその中心の位置がほぼ判明した。
高野志穂の月曜日というのは"早すぎる"。だから彼女は中心から極めて近い地域に
住んでいる。間違いない。大雑把に引いた円周の線からも、ほとんど矛盾がない。
そこにあるのは、急激に「怖い夢」と怪現象が影響を拡大していく前の、小さな円
だ。
スッと彼女の指先の下にボールペンで丸をつけた。
エキドナはそこにいる。怪物たちの小さなマリアが。今も暗い部屋にうずくまって。
私は微笑みを浮かべようとして、それに少し失敗して、それでもなんとか笑って、
言葉を乗せた。
「助かった。……ありがとう」
高野志穂は、よく分からないままに礼を言われたことに不思議な顔をしながらも、
嬉しそうに「うん」と言った。
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