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泣けるコピペ貼ってく

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たまには思いっきり心の汗を流してみませんか?
Part1
1 :名無しさん@おーぷん:2014/12/18(木)14:16:35 ID:n7j
お前らも貼っててくれ



6 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:20:18 ID:aov
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
 
「最後の親孝行に」
 
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。



7 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:21:11 ID:n7j
俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ



8 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:22:13 ID:aov
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって
少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと
夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして
「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。



9 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:22:27 ID:n7j
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った


16 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:36:50 ID:mVf
>>9の圧倒的破壊力に俺の涙腺が耐えられない



12 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:28:27 ID:n7j
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。



14 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:31:46 ID:By7
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。



19 :名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)14:56:42 ID:n7j
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

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