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【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
Part18


913 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:42:01 ID:nmC
(´・ω・`)「ぼくたちは”ペタ”の過酷な訓練で、戦うための力を身に付けた」
(´・ω・`)「オランダを倒すための、力を手に入れた!」
(´・ω・`)「軍政時代はとても辛かったけど…」
(´・ω・`)「もうぼくたちは、かつてのぼくたちじゃない」
(´・ω・`)「ちゃんとオランダと戦えることを、証明してみせるんだ!」
彡(^)(^)「そか……」
彡(^)(^)「………」
彡(^)(^)「………」
彡(゚)(゚)「………けどな」
彡(゚)(゚)「お前らには、決定的に足りないもんがある」
(´・ω・`)「え?」

914 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:42:58 ID:nmC
彡(゚)(゚)「確かにワイらは”ペタ”で、お前らを徹底的に鍛え上げた」
彡(゚)(゚)「武器の扱いももう大丈夫やろ、ワイらが残した武器でちゃんと戦えるはずや」
(´・ω・`)「それなら」
彡(゚)(゚)「でもな」
彡(゚)(゚)「………”実戦経験”、それが圧倒的に足りんのや……」
(´・ω・`)「あっ……」

915 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:43:51 ID:nmC
彡(゚)(゚)「オランダ軍は精鋭揃いや」
彡(゚)(゚)「ワイらかて、正面から勝った訳ではない」
彡(゚)(゚)「幾らお前らが鍛え上げられた兵士やったとしても」
彡(゚)(゚)「………お前らはきっと、負ける」
(´・ω・`)「そ、そんな……」

916 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:44:52 ID:nmC
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「………せや」
(´・ω・`)「……?」
彡(゚)(゚)「お前らはまだまだ頼りない」
彡(゚)(゚)「考えてみたら当たり前や、お前らはまだまだひよっこや」
彡(゚)(゚)「そんなお前らだけを残して、行ける訳がなかったんや」
彡(゚)(゚)「何より、”実戦経験者”が必要やろ?」
彡(^)(^)「………ワイも、お前らと一緒に戦うで」

917 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:45:52 ID:nmC
(´・ω・`)「ほ、ほんとう…?」
彡(^)(^)「ああ、せやで」
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「ワイ一人が残ったところで、戦局が変わるとは思えん」
彡(゚)(゚)「けどな」
彡(゚)(゚)「ワイは見たいんや」
彡(゚)(゚)「ワイらが鍛え上げたお前たちが、どう戦っていくのかを」
彡(゚)(゚)「この国が、どう変わっていくのかを」
彡(゚)(゚)「……だからワイは、お前らのために、戦うんや」

918 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:46:53 ID:nmC
戦中、日本軍は太平洋戦争を”植民地解放の戦い”と謳いました。
それはあくまで表向きのスローガンであり、軍部の考えとは違うものだったのでしょう。
ですが、そのスローガンは内外に発せられました。
インドネシア人は元より、それは日本人にも発せられました。
そして、それに共感した日本人がいました。
軍人にも、民間人にも。
彼らは”インドネシア独立”を心から信じ、そして戦ったのでした。

919 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:47:56 ID:nmC
彼らの理由は様々でした。

920 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:48:26 ID:nmC
彡(^)(^)「スカルノの演説、凄かったなー」
彡(^)(^)「原住民らの熱気も凄かった」
彡(^)(^)「よっしゃ、ワイも男や!」
彡(^)(^)「最後に一花、咲かせたろか!」
スカルノの演説に奮い立った者。

921 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:49:28 ID:nmC
彡(゚)(゚)「噂で聞いたんやが、ワイの故郷は全滅したらしい…」
彡(゚)(゚)「日本兵は全員、米帝の奴隷になったそうだ」
彡(゚)(゚)「ワイ自身も身体を壊して、長くはない」
彡(゚)(゚)「……もうワイには、帰る故郷も、未来もないんや」
彡(゚)(゚)「せやからな」
彡(゚)(゚)「ワイは”インドネシア独立”のために戦って、」
彡(゚)(゚)「そして、死のうと思うんやで」
その境遇から、覚悟を決めた者。

922 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:50:33 ID:nmC
彡(゚)(゚)「陛下…」
彡(゚)(゚)「玉音放送で、陛下はおっしゃった」
彡(゚)(゚)「”東亜解放に協力してくれた、同盟諸国たちに申し訳なく思う”と」
彡(゚)(゚)「ワイは陛下の御心を果たす」
彡(゚)(゚)「同盟諸国のために、インドネシアのために」
彡(゚)(゚)「”独立戦争”に参加するで!」
玉音放送で発せられた昭和天皇の言葉を受け、意思を継ごうとした者。

923 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:51:34 ID:nmC
彡(゚)(゚)「生まれ故郷の台湾にはもう戻れん…」
彡(゚)(゚)「かと言って日本にも……」
彡(゚)(゚)「戦犯裁判で処刑される?そんなのはご免や」
彡(゚)(゚)「ワイはこの戦場で、最期を遂げるで」
戦犯裁判で処刑されることを恐れた者。

924 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:52:38 ID:nmC
(´・ω・`)「”ペタ”教官のお兄ちゃん!」
(´・ω・`)「ぼくたちと一緒に戦って欲しいんだ!」
彡(゚)(゚)「ワイはお前らを裏切るなんて出来へん…」
彡(^)(^)「ええで!お前らのために戦ったるわ!」
彡(^)(^)「ワイらは共に生き、共に死ぬんやで!」
”ペタ”の教え子に懇願され、受け入れた者。
彼らにどのような理由があったとしても、
彼らは皆、”インドネシア独立”に情熱を持っていたのでした。

925 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:53:39 ID:nmC
[スマトラ島]
彡(゚)(゚)「終戦か…」
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「ワイらは日本軍主力の近衛師団、”第25軍”や」
彡(゚)(゚)「”蘭印作戦”からずっと、この地を統治してきた」
彡(゚)(゚)「ジャワ島の兵士はその後、各諸島に散らばったらしいけどな」
彡(゚)(゚)「スマトラ島のワイら”第25軍”は、最後までずっと、この地に残っていたんや」
彡(゚)(゚)「せやからな、他所の兵よりもよっぽど、」
彡(゚)(゚)「この”インドネシア”に愛着があるんや」

926 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:54:40 ID:nmC
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「ワイらの師団は、全国から選抜された者が集うエリート師団や」
彡(゚)(゚)「そんじょそこらの兵士とは違う、責任感と使命感を持っとる」
彡(゚)(゚)「そんなワイらが何もせず、ただこの地を離れる、とでも?」
彡(゚)(゚)「………」
彡(゚)(゚)「ワイらは戦うで」
彡(゚)(゚)「”インドネシアの独立”のために」
戦いに赴いた日本兵は、ジャワ島とスマトラ島の双方にいました。
その中でも特にジャワ島の日本兵が多かったのは、そのような理由があったからと推測されます。

927 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:55:48 ID:nmC
彡(゚)(゚)「敢えて大命に抗い、独自の行動に出ようと思う」
彡(゚)(゚)「敗れた弱者は天下に用無し…そんなことは言わんでくれ」
彡(゚)(゚)「生きて米英の犬となるより、想いに殉じて火に入る虫となろう」
彡(゚)(゚)「天道は正義にあり!」
彡(゚)(゚)「歴史の行く末に正義がなくて、どうするというのか!」
彡(゚)(゚)「…戦友諸君」
彡(゚)(゚)「敢えて不遜の行動に出ることを、どうか許してくれ」
宮山滋夫。
彼を含め、彼らはそのように”遺書”を残して、軍から去っていきました。
彼らの”遺書”は長らく公開されませんでした。
”遺書”に共鳴して軍を離れる者。その増加が恐れられたからでした。

928 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:56:52 ID:nmC
彼らは、その全てが”脱走兵”です。
例え、彼らにどのような理由があったとしても、それが隣人を助けるためだったとしても。
彼らは軍命に背いて軍を離れたのです。
彼らは軍属1000人とも、総数3000人とも言われています。
しかし、正確な実態は未だに分かっていません。
彼らの行動に、政府は「日本の国体維持、天皇の維持に悪影響を与える」と危惧しました。
そのため、彼らは明確に”脱走兵”であると定義され、軍人恩給も支払われません。
その存在が日本国内に伝えられることはほとんど無く。
故に、彼らが日本の歴史で語られることは無く。

929 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:57:55 ID:nmC
彡(゚)(゚)「………ほな、そろそろ行くか」
彡(゚)(゚)「準備はええか?」
(´・ω・`)「うん、日本兵のおにいちゃん!」
彡(゚)(゚)「ワイらは明らかに劣勢や」
彡(゚)(゚)「せやけど、ワイらには独立に懸ける、熱い情熱がある」
彡(゚)(゚)「これさえあれば、インドネシアが真に独立するその日まで、」
彡(゚)(゚)「ワイらはきっと、戦い続けられる」
彡(^)(^)「ワイらの戦いは、これからやで!」
そうやって、彼らは皆。
歴史から消えていきました。

930 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)21:58:30 ID:nmC
本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。
これで日本人の物語はひとまず終着です。
ここから先は、インドネシアとオランダの戦いの歴史になります。
彡(゚)(゚)の出番は減ってしまいますが、最後まで宜しくお願いします…。

931 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)22:00:30 ID:XUz
おつやでイッチ

932 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)22:01:21 ID:NGw
イッチ乙
不覚にも途中で泣きそうになったわ
こちらこそ、最期までよろしくやで

933 :名無しさん@おーぷん :2015/04/25(土)22:02:52 ID:mhZ
イッチさん乙です。このボリューム感…待った甲斐あったで

970 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:31:15 ID:kUi
        【 Last Episode 】
      【 インドネシア独立戦争編 】

971 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:32:33 ID:kUi
[スラバヤ・ヤマトホテル]
(●▲●)
(●▲●)「………よし、誰もいないな?」
(●▲●)「国旗を立てるなら今のうち、やで〜」

972 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:33:44 ID:kUi
(´・ω・`)「…なんだ、あれ?」
(´・ω・`)「あれは…オランダ国旗!?」
(´・ω・`)「冗談じゃないぞ!」
(´・ω・`)「オランダ国旗はポイーで」

973 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:34:55 ID:kUi
(´・ω・`)「さて、この旗はどうしよう」
(´・ω・`)「………」
(´・ω・`)「………そうだ!こうしよう!」
(´・ω・`)「オランダの国旗は、上から順に”赤白青”の三色旗だ」
(´・ω・`)「このうち”青い部分”だけを引き裂いて、取り除いて……」
(ゴソゴソ)
(´・ω・`)「………よし、できた!」
(´・ω・`)「赤と白の紅白旗!」
(´・ω・`)「ぼくたちの国旗”メラ・プティ”の完成だよ!」

974 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:36:09 ID:kUi
・豆知識『国旗”メラ・プティ”』
インドネシア国旗”メラ・プティ”。上から順に”紅白”の二色旗です。
”メラ・プティ”の意味は”紅白”。
”紅白旗”自体は13世紀頃から存在し、代々の王家が使用しました。
彼の”マタラム王国”では、祝祭日には数多くの市で掲揚されたそうです。
1923年。オランダ留学生が連合印として”メラ・プティ”を使用。
その後、インドネシアに帰国した彼らは集結し、スカルノらと共に”インドネシア国民党”を結成。
”メラ・プティ”は”インドネシア国民党”の党旗として使用されました。
やがて、紅白旗は”独立の象徴”としての地位を獲得。
インドネシア独立後。”メラ・プティ”は正式に国旗として採用されたのでした。
”独立宣言の日”。
当時のスカルノ夫人が一晩で縫い上げた”メラ・プティ”。
それはまるで神器の如く、今でもジャカルタで厳重に保管されているとのことです。

975 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:37:20 ID:kUi
(☆●●●●)「正直、オランダとイギリスへの植民地復帰は感心しないな」
(☆●●●●)「我々アメリカは、日本、ドイツ、イタリアから、民主主義を守るために戦ったのだ」
(☆●●●●)「植民地を取り返すために戦ったのではない」
(☆●●●●)「大体、植民地が復活してしまえば、それは大義に反してしまう」

976 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:38:32 ID:kUi
(●▲●)「そんなん言うてもな」
(●▲●)「このまま日本軍に自治を任せるのもな?」
(U・×・U)「ではこうしましょう」
(U・×・U)「東インドをこのまま放置はできません」
(U・×・U)「ひとまず、東インドとは無関係の我々イギリス軍が、彼の地へ向かい、」
(U・×・U)「連合軍代表として、日本軍から占領統治を引き継ぐ、ということで」
(☆●●●●)「…そうだな、それではひとまずそれで」

978 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:39:45 ID:kUi
(●▲●)「………」
(●▲●)「………まぁ正直、ワイらも戦争でボロボロや」
(●▲●)「軍を派遣する余裕なんてないからな」
(●▲●)「イギリスはんがやってくれるんなら、それはそれでありがたいんやけど…」
(●▲●)「………」
(●▲●)「………ま、全てをイギリスなんかに任せてはおけんよな」
(●▲●)「ファン・オイエン少将、分かっとるな?」
(・軍・)「御意」

979 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:41:29 ID:kUi
1945年10月23日
[ジャカルタ]
(・蘭・)「私が”オランダ領東インド政府”、ファン・モーク副総督だ」
(・英・)「私はイギリスの調停役です」
(・英・)「これからは我々イギリスが、インドネシアとオランダの仲介をしますよ」
( ・`ω・´)「…分かりました」

980 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:43:03 ID:kUi
1945年10月26日
[スラバヤ]
(・英・)「原住民のみなさん」
(・英・)「戦争は終わったんです、速やかに武装解除に応じて下さい」
(●゚◇゚●)「オランダ兵メ……コレハ”宣戦布告”ダナ…?」
(●゚◇゚●)「タタカエ……タタカッテ、ドクリツヲカチトルンダ……」
(・英・)「ファッ!?」
スラバヤの住民は”イギリス軍とオランダ軍は同一”とみなしました。
”武装解除の要求”を、”宣戦布告”と受け取ったスラバヤの住民。
彼らは3日間に渡り、イギリス軍を攻撃し続けたのでした。

981 :名無しさん@おーぷん :2015/05/04(月)21:44:17 ID:kUi
( ・`ω・´)「おいおい、今は平和的な交渉中だぞ」
( ・`ω・´)「今暴れられると、色々と困るんだけどなぁ」
( ・`ω・´)「すみません、こちらの者が色々と迷惑をかけています」
( ・`ω・´)「我々も今、交渉の場が荒らされるのは困ります」
( ・`ω・´)「私が”停戦協定”に調印しますので、どうか穏便に済ませてもらえませんか?」
(・英・)「了解しました、我々はその提案を受け入れます」
(●▲●)「ほ〜ん、”停戦協定”ね…?」