【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
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Part13
617 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:06:29 ID:
Yas
(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」
彡(゚)(゚)「お、なんや?」
(≦・ω・≧)「私はスカルノ氏の密使です」
(≦・ω・≧)「今日は今村さんの救出計画を伝えに来ました」
(≦・ω・≧)「もしあなたの死刑が確定したら、共和国政府は死刑場に行くあなたを奪回します」
(≦・ω・≧)「今こそ大恩に報いるときなのです」
今村の東インド統治時代、今村はオランダによって投獄されていたスカルノを解放しています。
それ以来、今村とスカルノは親交を続けていたのでした。
618 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:07:47 ID:
Yas
しかし。
彡(゚)(゚)「お心は嬉しいが…」
彡(゚)(゚)「ワイはこのままここで裁判を受けるつもりや」
彡(゚)(゚)「ワイには罪がある、せやからここにいて責任を取らなアカンのや」
彡(゚)(゚)「何よりお前らを危険な目に遭わせたくないんや」
彡(゚)(゚)「すまんな」
619 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:08:58 ID:
Yas
(≦・ω・≧)「そうですか…わかりました」
(≦・ω・≧)「では、もう少しここでお話しをさせて下さい」
(≦・ω・≧)「私たちがいる限り、あなたを有罪になんてさせませんから」
ジャカルタの刑務所での投獄中、今村はインドネシア人の看守に励まされ続けたそうです。
620 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:10:10 ID:
Yas
彡(゚)(゚)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(・裁・)「…オランダが告発した罪状は、全て根拠のないものである」
(・裁・)「以上より、東インド・第16軍司令官時代の今村の判決は」
(・裁・)「全て無罪とします」
621 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:10:38 ID:LcG
今村さんかっこよすぎやろ……
622 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:11:18 ID:
Yas
インドネシアでの判決は無罪だったものの、オーストラリアでの判決”禁錮10年”は生きています。
1949年。今村は巣鴨拘置所に送られました。
623 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:12:22 ID:51S
[
写真を見る]
これが今村さんやで
624 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:12:54 ID:F3J
>>623
ええお顔や
625 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:12:55 ID:
Yas
しかし。
彡(゚)(゚)「なぁ、ワイをマヌス島の刑務所に移してくれんか?」
彡(゚)(゚)「元部下たちは未だに環境の悪い南方で服役しとる」
彡(゚)(゚)「ワイだけが東京にいることはできないんや」
彡(゚)(゚)「なぁ、頼むわ」
(・看・)「だめです」
今村は、多数の日本軍将兵が収容されるマヌス島刑務所への入所を希望します。
そこは”最悪の収容所”とも恐れられる場所でした。
626 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:14:04 ID:
Yas
彡(゚)(゚)「…頼んだで」
(・妻・)「分かりました」
(・妻・)「お願いします、どうか夫の頼みを聞き入れてもらえないでしょうか…?」
(☆●●●●)「…そうか」
そして今村は妻の伝手を通じてマッカーサーに直訴したといわれています。
627 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:15:04 ID:
Yas
(☆●●●●)「今村将軍のマヌス島行きを許可する」
(☆●●●●)「…私は日本に来て初めて、真の武士道に触れたよ」
628 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:16:12 ID:
Yas
マヌス島での獄中生活は、今村の人柄もあり、とても和やかなものだったそうです。
3年後。マヌス島の刑務所は閉鎖され、全員が日本に送還。
今村は残りの刑期を巣鴨の刑務所で過ごしました。
そして10年後...
629 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:17:22 ID:
Yas
彡(゚)(゚)「…ワイの刑期は終わった」
彡(゚)(゚)「せやけど、ワイの罪が消えることは一生ないんや」
彡(゚)(゚)「自宅の隅に独居房と同じ広さの謹慎小屋を建てたで」
彡(゚)(゚)「今日からここに住むんや」
彡(゚)(゚)「これからは軍人恩給だけで質素に生活する」
彡(゚)(゚)「出版した『回顧録』の印税は、全て戦死した部下の遺族、処刑された部下の遺族のために使用する」
彡(゚)(゚)「元部下たちには出来る限りの援助をするで」
彡(゚)(゚)「それが、ワイが死地に赴かせた部下たちへの、せめてもの贖罪なんや…」
630 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:18:42 ID:
Yas
今村の行動に付け込み、元部下だと偽って金を無心する者もいました。
しかしそれに対しても今村は、それを承知の上で拒むことはなかったそうです。
なお、今村は『戦陣訓』の”原文”を書いた人物です。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名なこの文書。
『戦陣訓』の”完成版”にこの一文が載っていたことを今村は憤慨し、終生それを悔いていたそうです。
631 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:20:09 ID:
Yas
1968年10月4日死去。享年82歳。
最終階級・陸軍大将。
温厚で高潔な人柄。
占領地での軍政・指導能力は高く、原住民や敵国連合国側からも讃えられる、
太平洋戦争中の日本で数少ない、本物の名将です。
【After Episode 今村均 完】
632 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:20:55 ID:
Yas
本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。
明日も引き続きサイドエピソードを更新する予定です。
今日よりは短めのお話となります。
本編の方はもう暫くお待ち下さい…。
633 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:21:10 ID:SQi
イッチサンキューやで
634 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:22:58 ID:ucU
基本に忠実で、凄く分りやすい文章やな
ゆっくり頼むで
635 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:23:00 ID:51S
今村さんに興味が湧いて本を買ったワイ、満足顔
638 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:30:05 ID:WJK
こういう人が居るのが何で知られてないねんホンマ
643 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:10:50 ID:8wr
>>638
日本を弱いことにしておきたい連中にとっては
知られたら困るからやろ
644 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:29:12 ID:
6Xh
【Side Episode 三浦襄】
645 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:30:12 ID:
6Xh
彡(゚)(゚)
”三浦襄”という人物の話をします。
彼は軍人ではなく、商人でした。
646 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:31:23 ID:
6Xh
1909年
彡(^)(^)「”南洋商会”に興味持ったから入会したで〜」
彡(^)(^)「高校中退してジャワ島に渡航するで!」
半年後…
彡(゚)(゚)「やっぱ”南洋商会”脱退するわ」
彡(^)(^)「しばらくその辺の諸島を放浪するで〜」
647 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:32:39 ID:
6Xh
1912年
彡(^)(^)「セレベス島で雑貨のお店を開くで〜」
1916年
彡(^)(^)「結婚もしたし、相棒と”日印貿易商会”も開業したで〜」
彡(^)(^)「南洋各所で色んな貿易するで〜」
彡(^)(^)「順風満帆ですわ」
1925年
彡(゚)(゚)「相棒が強盗に殺られてもた…”日印貿易商会”も解散やな…」
648 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:33:50 ID:
6Xh
彡(^)(^)「気を取り直して別の相棒とコーヒー園の経営を始めるで〜」
彡(^)(^)「再婚もしたし今度こそいけるわ!」
ちなみに前妻の死因は過労死だったそうです。
1930年
彡(゚)(゚)「やっぱコーヒー園も駄目だわ」
彡(゚)(゚)「どないしよ」
…など、中々に波瀾万丈な人生を送っていました。
649 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:35:02 ID:
6Xh
彡(゚)(゚)「さて、次はどないしよかな…」
彡(^)(^)「よし!今度はバリ島で商売するで」
彡(^)(^)「自転車の修理業をするやで〜」
彡(^)(^)「店の名前は”TOKO MIURA”や!」
650 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:36:21 ID:
6Xh
バリ島
彡(゚)(゚)「……日本人はあんまおらんな、ワイら含めると3家族しかおらんみたいや」
彡(゚)(゚)「まぁええわ、原住民を雇ってバリ島各地に支店も開業するで」
彡(^)(^)「店のことは店員に任せて、ワイはバリ島各地を駆け回るで〜」
「南方に行ったら住民の利益のみを考えよ」。三浦は教師だった父の言葉を実践します。
やがて三浦は住民から人望を獲得し、”トコ・スペダ・トワン・ジャパング”(自転車屋の日本の旦那)と慕われるようになりました。
三浦は熱心なクリスチャンでしたが、バリ島民の大半はヒンドゥー教です。
それにも関わらず島民から受け入れられたのは、彼の敬虔な信仰から来る誠実さがあったからではないでしょうか。
651 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:37:12 ID:
6Xh
>>383
やがて日本人の引き上げが始まり、三浦も最後の引き揚げ船で日本に帰国しました。
652 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:38:13 ID:
6Xh
>>386
1942年2月
三浦は軍の随伴員として、再びバリ島に戻ってきました。
彡(゚)(゚)「この戦争はバリ島は勿論、アジア10億人の解放運動なんや!」
彡(゚)(゚)「インドネシアは必ず日本軍の力で独立させる!」
彡(゚)(゚)「日本は決して嘘は言わん!信じてくれや!」
(●゚◇゚●)「日本軍は怖いけど…」
(●゚◇゚●)「三浦さんがいるなら、信じてみようかな…」
三浦は現地の王族たちを集めて演説し、バリ島の人々を安心させました。
653 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:39:44 ID:
6Xh
東インド占領後…
(●゚◇゚●)「ねぇ、白髪のおじさん」
(●゚◇゚●)「ちょっと困ったことになってるんだけど…」
彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが協力したるわ」
日本軍政時代に起きた多くの問題。
それらのほとんどは習慣の相違、言葉の不自由によるものでした。
現地に詳しかった三浦はそれらを仲介し、多くの島民が助けられました。
三浦の風貌は古武士を思わせるものだったそうです。
島民による愛称は”白髪のおじさん”。
地元民には最大の敬語”トアン・ブサール”で呼びかけられることもあったそうです。
654 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:40:53 ID:
6Xh
(・日・)「軍の要請により、缶詰加工工場が必要になった」
(・日・)「やってくれるかな?」
彡(゚)(゚)「はい、分かりました」
彡(゚)(゚)「三浦商会で缶詰加工工場を新設するで〜」
彡(゚)(゚)「業務運営、経理など全てバリ人に委ねるで〜」
彡(゚)(゚)「勿論賃金は全部お前らのもんやで〜」
三浦は貧しいバリ人を集めて雇い、それによって得た代金は全て、原住民に支払われたそうです。
655 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:42:04 ID:
6Xh
(●゚◇゚●)
彡(゚)(゚)「なんや、お前、孤児かいな?」
彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが引き取ったるわ」
(●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●)
三浦は孤児を十人以上も引き取っていました。
三浦の収入と言えど、子どもを10人以上も育てるのは、流石に容易ではなかったはずです。
656 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:43:14 ID:wHl
東南アジアと日本の関係って思ったより深いんやな
657 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:43:15 ID:
6Xh
(・日・)「三浦くん、君は随分と島民に気に入られてるようだね」
(・日・)「君が協力してくれるなら、ここの統治は上手く行きそうだ」
(・日・)「君が推薦したプジャをここの知事に立てるよ」
彡(゚)(゚)「ありがとうございます!」
バリ島の軍政にあたった堀内豊秋。彼は三浦に全幅の信頼をおいていました。
住民の統治に関することは全て三浦に委ねられ、バリ島の治安は他所で見られないほどの平穏を保ち続けました。
ちなみに、プジャは後にインドネシア独立準備委員会のバリ代表となりました。
658 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:44:29 ID:
6Xh
1944年5月
彡(゚)(゚)「病気療養で日本に戻るで」
1944年9月
彡(゚)(゚)「”小磯声明”か…遂にインドネシアも独立なんやなぁ」
1944年12月
彡(゚)(゚)「やっぱりバリ島に戻らないと(使命感)」
彡(゚)(゚)「ワイは彼らと約束したんや」
彡(゚)(゚)「死が行く手に待ち構えていても」
彡(゚)(゚)「使命だけは、断じて果たさねばならないんや」
659 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:45:40 ID:
6Xh
彡(゚)(゚)「日本の占領はインドネシア独立のための唯一の手段なんや」
彡(゚)(゚)「せやから軍政は厳しいけどなんとか耐えてくれや」
彡(゚)(゚)「独立はもうすぐなんや!」
(●゚◇゚●)「わかったよ、白髪のおじさん」
660 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:46:49 ID:
6Xh
彡(゚)(゚)「今日も軍人が原住民たちをぞんざいに扱ってたわ…」
彡(゚)(゚)「軍の慰安所に連れて行かれそうになった女性も居ったで」
彡(゚)(゚)「勿論ワイが助けたったけどな」
彡(゚)(゚)「あいつらホンマどうなっとんねん…」
彡(゚)(゚)「怒りが収まらんから日記にでも書いとこ」
彡(゚)(゚)「でもこれも、インドネシアが独立するまでの辛抱や」
彡(^)(^)「それまではワイら日本人が導いてあげんとな」
三浦は心の底から”インドネシアの独立”を信じていました。
だからこそ、彼らのためを思い、島民を説得し続けていたのでした。
661 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:48:05 ID:
6Xh
1945年7月
U・ω・U「シガラジャで”小スンダ建国同志会”を結成するよ」
U・ω・U「バリ島でもインドネシア独立に向けて活動を開始するんだ」
U・ω・U「代表はぼく、プジャだよ」
U・ω・U「基本的にバリ人だけの会なんだけど…」
U・ω・U「三浦さんには特別に、この同志会に入ってもらうんだよ」
U・ω・U「事務総長に就任してもらうんだ」
662 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:49:18 ID:
6Xh
1945年8月14日
彡(゚)(゚)「同志会に参加するためシガラジャに向かうで〜」
彡(゚)(゚)「ワイが経営しとる畜産会・商会はバリ人従業員に任せてきたわ」
彡(^)(^)「それじゃ行くか、楽しみやな〜」
663 :
名無しさん@おーぷん :2015/04/09(木)22:50:20 ID:
6Xh
1945年8月15日
敗戦