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【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
Part12


574 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:59:50 ID:esF
1945年8月7日
( ・`ω・´)「”独立準備委員会”を設立します」
( ・`ω・´)「主席は私、スカルノです」
( ・`ω・´)「いよいよ独立が近付いてきました」
( ・`ω・´)「ハハハ…なんだかワクワクしてきましたよ」
( ・`ω・´)「まずは第1回会議です」
( ・`ω・´)「日時は8月18日。忘れず出席するように」

575 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:01:47 ID:esF
1945年8月15日
彡(゚)(゚)「」
その日、日本は降伏しました。大東亜戦争が終結したのです。
日本の軍政は約3年半。
これは奇しくもトウモロコシが育つ期間と同じでした。
 【第3章 太平洋戦争編  完】

576 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:03:05 ID:esF
・豆知識『ジョヨボヨ王の予言』
12世紀、クディリ王国のジョヨボヨ王が残した予言。
神格化された”ディポヌゴロ王子”が名乗った”ラトゥ・アディル”も、この予言に記されています。
日本と関係があるとされるのは>>1の文章。
”北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人”が日本人ではないかとインドネシアでは囁かれます。
また、この部分は”天からやってきた白い衣を纏う黄色い猿(小人)”ともなることがあり、
これが日本の落下傘部隊を指すのではないか?とささやかれました。
また、「鉄の火を吐く翼をまとった黄色い人が白い人の乗る鉄の船を追い払うだろう」という一文もあったようで、
これは日本軍が航空機でオランダ艦船を焼き払ったことを指すのでは?とされています。
日本と予言の関係が囁かれ始めたのは日露戦争以後。
”ジョヨボヨ王の予言”の予言は今でも信じられているそうです。

577 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:04:40 ID:esF
・豆知識『トコ・ジュパン』その7
彡(゚)(゚)「…日本が、負けた…」
彡(゚)(゚)「………あぁ。」
彡(゚)(゚)「…………終わったんや、なぁ…。」
彡(゚)(゚)「………。」
彡(゚)(゚)「……ワイら”トコ・ジュパン”も、もう終いや…」
彡(゚)(゚)「…………今までせっせと頑張ってきたんやけどなぁ……」
彡(゚)(゚)「………小店も、大会社も」
彡(゚)(゚)「…小農も、大農園も、鉱山も、工場も」
彡(゚)(゚)「その何もかも」
彡(゚)(゚)「………”敗戦国日本”やから、全て”没収”…」
彡(゚)(゚)「……全て、水の泡……」
彡(゚)(゚)「………ワイらは文字通り、”裸一貫”で、日本に引き揚げなきゃならんのや…」

578 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:06:02 ID:esF
彡(゚)(゚)「…頑張ってきたのになぁ…」
彡(゚)(゚)「……骨を埋める覚悟で、この遠い異国で今までやってきたのになぁ…」
彡(゚)(゚)「………。」
彡(^)(^)「…なぁ、”南十字星”、知っとるか?」
彡(^)(^)「ここ、インドネシアではな」
彡(^)(^)「”南十字星”は、いつでも見られるわけではないんや」
彡(^)(^)「…ある時期の、ある時間帯」
彡(^)(^)「…南の空の果て、空と海の境目」
彡(^)(^)「そこに”南十字星”が輝くんや」
彡(^)(^)「………ワイら、長期滞在した奴らだけが、見られるんや」
彡(^)(^)「綺麗やったなぁ…」
彡(^)(^)「………。」
彡(^)(^)「…もう、ワイらに残っとるのは、あの綺麗な思い出だけなんや………」
【豆知識『トコ・ジュパン』 完】

579 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:07:21 ID:esF
本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。
丁度良いサイドエピソードが残っているので、明日も更新する予定です。
本編の方はまた少し時間が空くと思います。
もう暫くお待ち下さい…。

580 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:09:01 ID:gpA
サンキューガッツ
こういうのええな

581 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)22:47:08 ID:50y
サンキューイッチ
涙で、出ますよ…

582 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)00:20:10 ID:sB6
サンイチ
わかりやすくてスラスラ読めておもろいわ
何日かかってもええから完走してやー

586 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:30:45 ID:Yas
        【終章】

587 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:31:20 ID:Yas
        【After Episode 今村均】

588 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:31:34 ID:4yt
おっ、ついに終わってしまうのか…

590 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:33:10 ID:Yas
>>588
あと大体2〜3回の更新になるやね

589 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:32:24 ID:Yas
1942年11月20日
今村はニューブリテン島ラバウルにて、第8方面軍司令官として着任します。

591 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:34:23 ID:Yas
彡(゚)(゚)「田畑を大量に増設するんやで〜」
彡(゚)(゚)「食料は大事やからな、腹が減っては戦はできぬという奴や」
彡(゚)(゚)「さーて、ワイも畑を耕すで〜」
(・海・)「戦い始まる前から何やっとんのじゃ、あいつは…」
今村はガダルカナル島の戦訓から、米海軍による補給路の封鎖を想定。
島内に大量の田畑を増設することで自給自足体制を整えます。
今村自身も率先して畑を耕したそうです。
なお、早々に自給自足を提唱した今村に対し、海軍は冷淡な反応を見せました。

592 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:35:33 ID:Yas
(☆●●●●)「ラバウル航空隊は厄介やな…」
(☆●●●●)「西進用の補給路を確保するなら、まずはここを落とさなアカン」
(☆●●●●)「早速空襲するやで〜」

593 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:36:55 ID:Yas
彡(゚)(゚)「やっぱり米軍の爆撃は強烈やわ…」
彡(゚)(゚)「上陸作戦にも備えにゃならん」
彡(゚)(゚)「せやから空襲に耐えられるほどの地下大要塞を建設するで」
今村は米軍の空爆と上陸作戦に備えるため、強固な地下要塞を構築しました。
幅1.5m、高さ2.1mの洞窟。全てを合わせると370kmもの長さになる洞窟郡です。
洞窟内には病院、兵器工場なども造られました。
米軍による猛爆撃は連日続きますが、地下要塞内の被害はほとんどありませんでした。

594 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:38:29 ID:Yas
(☆●●●●)「アカン、現有戦力で攻略できる気せーへん」
(☆●●●●)「上陸作戦には多大な犠牲が出るし…」
(☆●●●●)「しゃーない、まずは周辺諸島を攻略するわ」
米軍はラバウル占領を断念。
ラバウルへの空爆は続けたものの、周辺諸島の攻略を優先し、周辺の航空戦力を無力化していきました。
やがて周辺諸島は全て攻略され、ラバウルは孤立化しました。

595 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:39:44 ID:Yas
(・海・)「アカン、周辺の海域が全て米軍に奪われてもた…」
(・海・)「もう籠城するしかないじゃん…」
(・海・)「今村、ワイらにも畑耕せちくり〜」
彡(^)(^)「ええで、一緒に最後まで籠城しよか」

596 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:41:13 ID:Yas
ラバウル守備隊は完全に孤立化しましたが、現地の自給自足体制は既に完成し、物資の備蓄も十分でした。
最終的に今村大将率いる陸軍第8方面軍、草鹿中将率いる海軍南東方面艦隊は、
共に終戦までラバウルを確保し続けたのでした。
なお、同じような状況下にあったニューギニア戦線では、
いたずらに出撃を繰り返すことで連合軍に掃討され、人命を散らし続けたそうです。
籠城による持久戦を続けたラバウルでは、終戦まで7万人の兵力が温存されたそうです。

597 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:42:15 ID:Yas
終戦後

598 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:43:16 ID:Yas
彡(゚)(゚)「…諸君、どうか部下の若人たちが失望、落胆しないよう導いてやってくれや」
彡(゚)(゚)「7万の将兵が汗水垂らしてこの地下要塞を建設し、」
彡(゚)(゚)「原始密林を開拓して7000haの自活農園まで作ったんや」
彡(゚)(゚)「この経験、この自信は終始忘れるんやないで」
彡(゚)(゚)「祖国の復興、各自の発展に、しっかり活用するんやで…」

599 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:44:34 ID:Yas
(・日・)「………。」
彡(゚)(゚)「なんや、折角の畑がほったらかしやないか」
彡(゚)(゚)「…せやな、将兵諸君」
彡(゚)(゚)「ワイらは今後も自活を続けて」
彡(゚)(゚)「将来日本が賠償すべき金額を少しでも軽減することをはかる」
彡(゚)(゚)「これがワイらの外地での最後の奉公やで」
彡(゚)(゚)「さ、畑を耕すでー」
今更自活もなにもあるまい、という気持ちがあった部下たちでしたが、
黙々と畑に立つ今村の姿を見て、誰も何も言うことはできませんでした。

600 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:46:19 ID:Yas
彡(゚)(゚)「ラバウル部隊の引き上げは3年半後か…」
彡(゚)(゚)「えらい時間が余ってもたなぁ」
彡(゚)(゚)「…よし、勉強でも教えるわ」
彡(゚)(゚)「兵士のほとんどは小卒やし」
彡(゚)(゚)「帰国したら絶対必要になるしな」
彡(゚)(゚)「ひとまず中学校程度の知識は必要やな」
彡(゚)(゚)「ワイらが生きるのには目標が必要なんや」
今村は軍の中の教職経験者を集めて教師とし、教科書も作成させました。
当時、将兵たちは捕虜であり、無報酬で作業させられていたのですが、
そんな不満も忘れ、彼らは作業の合間に教科書や雑誌を読みふけったのでした。

601 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:47:34 ID:Yas
しかし12月。戦争指導者・戦犯が収容され始めます。
”軍事裁判”が始まりました。

602 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:48:46 ID:Yas
オーストラリア軍イーサー少将は戦犯調査の上、
「ラバウルでは戦争犯罪を問うべきものは何もない」とオーストラリア本国に報告します。
ラバウルにはパラシュートで脱出したパイロットなど少数の白人捕虜がいましたが、
彼らはラバウルの小島に収容され、国際法規に従った取り扱いを受けていたのでした。
しかし、オーストラリア本国の考えは違いました。

603 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:50:05 ID:Yas
(・日・)「インド人の多くが熱帯潰瘍かマラリアにかかっていました」
(・日・)「貴重な予防薬を、苦いとか胃に悪いとか言って捨てる者がいたのです」
(・日・)「私はそういう者を平手で打ちました」
(・日・)「言葉が通じませんでしたので…」
(・日・)「憎しみの気持ちではなく、早く治してやりたかったのです…」
彡(;)(;)「そうか…そうか…」
『医師として、インド人労働者の患者を虐待した』とされた酒井伍長。
彼は今村にこのように語り、死刑となりました。

604 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:51:53 ID:Yas
ラバウルの戦犯裁判は、ほとんどがこのような”労働者への虐待容疑”です。
賃金で雇われた労働者たちは2年以上も日本軍で働いていました。
日本軍に協力したことで罰せられるのを恐れた彼らは「捕虜にされて無理矢理連れて来られた」と言い張りました。
告発した労働者たちは告発状だけを残して帰国。
弁護側は反対尋問する機会も与えられません。
そして今村は、そのように裁かれる部下を一人でも救うべく、自ら志願して収容所に飛び込んでいったのでした。

605 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:53:30 ID:Yas
オーストラリア軍事裁判
彡(゚)(゚)「外人労働者は日本軍が賃金で雇ったものやで、戦争捕虜ではないんやで」
彡(゚)(゚)「仮に万が一虐待があっても、それは戦争犯罪じゃないから、日本の法律で裁くべきなんやで」
彡(゚)(゚)「それでもなお、戦争犯罪として裁くなら」
彡(゚)(゚)「その責任は全て、最高指揮官である自分にあるんやで」
彡(゚)(゚)「部下に責任は全く無いんやで」
最高指揮官である今村の裁判は後回しにされたため、それまでの間、今村は率先して部下の弁護に赴きました。
今村の弁護により刑が軽減されたり、無罪になった部下も多かったそうです。

606 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:54:49 ID:Yas
(・日・)「『参謀長通達』を出しました」
(・日・)「だから全て、参謀長である私の責任です」
彡(゚)(゚)「参謀長に命令権はない!」
彡(゚)(゚)「書記と同じようなもんや!」
彡(゚)(゚)「だから全部ワイの責任や!」
(・日・)「そんなの極論じゃないですか!?」
彡(゚)(゚)「なんやと!?」
今村の側近、参謀長・加藤中将。
彼の裁判では、普段仲の良い二人がお互い譲らず、大喧嘩をしました。
結局、今村の強引な主張が通り、加藤中将は無罪放免となりました。

607 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:56:02 ID:Yas
彡(゚)(゚)「戦犯裁判は戦闘であり、作戦なんや」
彡(゚)(゚)「絶対に勝たなアカンのや」

608 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:57:18 ID:Yas
(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」
(・裁・)「被告にはラバウル・第8方面軍司令官としての責任が問われています」
(・検・)「検事側は死刑を求刑します」
オーストラリア軍は、戦時中の汚名をそそぐためにも、何としてでも今村を死刑にしようとしていました。

609 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:58:36 ID:Yas
しかし。
(●゚◇゚●)「そんな!死刑は重すぎます!」
(●゚◇゚●)「今村さんは何も悪くありません!」
(●゚◇゚●)「今村さんは優れた人格者でした!」
(・裁・)「……ではひとまず禁錮10年で」
オーストラリア軍は、戦時中の今村の軍政や軍事指揮の中に、今村を死刑にする口実を見出せませんでした。
現地住民などの証言も今村を擁護をしたため、無理矢理罪状を被せ、何とか懲役刑にしたといいます。
彡(゚)(゚)「そか」
彡(゚)(゚)「それはともかく、部下の判決の再審を請願するで」

610 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)21:59:57 ID:Yas
やがてオーストラリア軍事裁判は終わり、
続いて東インドでの今村の罪状が問われることになりました。

611 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:01:13 ID:LcG
今村さあああああああああああん

612 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:01:14 ID:Yas
オランダ軍事裁判
(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」
(・裁・)「被告には東インド・第16軍司令官としての責任が問われています」
(・検・)「検事側は死刑を求刑します」
今村はオランダ側の検事によって死刑が求刑されました。

613 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:02:23 ID:Yas
ジャカルタ刑務所
彡(゚)(゚)
ジャワ島での裁判が始まり、今村はジャカルタの刑務所に収容されていました。

614 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:03:36 ID:Yas
(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」
彡(゚)(゚)「お、飯か」
(≦・ω・≧)「日本時代の最高の指揮官が来たことを、私たちはとても喜んでます」
(≦・ω・≧)「今夜7時になれば、きっとあなたにもそれが伝わると思います」
彡(゚)(゚)「?」

615 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:04:56 ID:Yas
(≦・ω・≧)「…もうすぐ7時になります」
(コーン)
〜♪〜♪
彡(゚)(゚)「この歌は……”八重潮”か…?」
今村が統治していた時代。
今村が公募し、日本人とインドネシア人、双方から集められた歌詞によって制作された、
日本人とインドネシア人が双方の国語で一緒に歌う、両民族融和の歌がありました。
”八重潮”。
この歌はジャワ島の町から村へと広がり、日本の将兵と原住民が同席すれば、必ず歌われたといいます。
ジャカルタの街は、地の底から沸き立つ大合唱に包まれました。

616 :名無しさん@おーぷん :2015/04/08(水)22:05:28 ID:Yas
やがて今村はジャカルタの別の刑務所に移されます。