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【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
Part11


521 :名無しさん@おーぷん :2015/04/01(水)22:03:16 ID:3ME
本日の更新はここまでになります。続きは鋭意執筆中…。
3章もようやく終盤が見えてきました。
書くべきことも大分少なくなってきたように思います。
次の更新までまた少しかかるかもしれませんが、もうしばらくお付き合い下さい…。

522 :名無しさん@おーぷん :2015/04/01(水)22:04:45 ID:J4N
サンイチ
完結してくれることが一番なんやで

523 :名無しさん@おーぷん :2015/04/01(水)22:07:10 ID:dzX
サンイチ
マッタリ頑張っちくり〜

524 :名無しさん@おーぷん :2015/04/01(水)22:08:36 ID:xAg
楽しみにしてるでー

545 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:22:53 ID:esF
インドネシア独立。
東インドの人々の願望に対し、陸軍と海軍の反応は異なっていました。

546 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:24:14 ID:esF
陸軍は独立に寛容的でした。
大手を振った協力こそありませんでしたが、彼らの願望を理解し、その実現を計りました。
海軍は独立に反対しました。
南太平洋は海軍の戦場。
彼らは終始、インドネシアの独立に反対しました。

547 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:25:25 ID:esF
さて、そんな海軍の中の一人の人物。
彡(゚)(゚)
海軍在駐武官・前田精。
彼はヨーロッパやアジア各国に勤務した経歴を持っていました。

548 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:26:32 ID:esF
『蘭印作戦』、ジャワ島占領後。
彡(゚)(゚)「ジャカルタ海軍武官府の責任者になったで〜」
”武官府”とは、海軍の補給などの際、陸軍との調整を行う出先機関です。
前田は、ジャワ島で陸軍と対等に渡り合う海軍代表となったのでした。

549 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:27:55 ID:esF
彡(゚)(゚)「さて」
(・日・)
彡(゚)(゚)「おう、ちょっとええか?」
(・日・)「はい?」
彡(゚)(゚)「実はお前さんの考えを聞きたいんや」
彡(゚)(゚)「お前さんはこの東インドのことをどう思っとるんや?」
(・日・)「はい、私は日本の統治によって東インド独立が近付くことを願っております」
彡(゚)(゚)「そか」
彡(゚)(゚)「実はちょっとええ話があるんやけどな…?」
前田は東インドに熱い思いを持つ日本人民間人を集め始めます。

550 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:29:06 ID:esF
彡(゚)(゚)「…とまぁ、こんな感じや」
彡(゚)(゚)「勿論給料と調査費は出すで、口は出さんけどな」
彡(゚)(゚)「じゃ、後は任せたで〜」
(・日・)「はい、わかりました」
(・日・)「こんにちは、独立運動に興味はありませんか?」
(o‘ω‘ n)「え?…えぇ、そうですね、私も独立運動には興味があります」
(・日・)「実は私は海軍武官府で調査活動をしている者でして」
(・日・)「民族主義運動家のみなさんと関係を深めたいと思っています」
前田は集めた日本人を調査活動に従事させ、
やがて彼らを通じて民主主義運動家とパイプを持つようになります。

551 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:30:35 ID:esF
彡(゚)(゚)「ほら、ワイって海外渡航歴長いやん?」
彡(゚)(゚)「オランダにいた頃やったかなー?インドネシアの民族運動のことを知ってな」
彡(゚)(゚)「ワイもちょっと思うところがあったんよ」
彡(゚)(゚)「何とか力になれへんかなーってな」
彡(゚)(゚)「ま、幾らワイの立場が特殊やからってな、直接手助けすることは叶わん」
彡(゚)(゚)「せやからな、まぁこういう形で協力したることにしたんや」
前田はインドネシア民族運動に理解と同情を持っていました。
そこで資金を提供して後援することで彼らの活動を支援しました。
”海軍武官府”は規模の割に絶大な権限を持ち、しかもジャワ島統治に一切の責任がないという特殊な立場です。
時に前田はこの地位を活かし、陸軍に睨まれた民主主義運動家を庇うこともあったそうです。
治外法権とも聖域とも呼べる”海軍武官府”。
やがて彼らの下に民主主義運動家が集まり、民族主義運動は活発化していきました。

552 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:32:03 ID:esF
1944年9月7日『小磯声明』
彡(゚)(゚)「遂に東インドも独立に向けて動くんやな、ええことや」
(o‘ω‘ n)「すみません、いいですか?」
彡(゚)(゚)「お、なんや?」
(o‘ω‘ n)「ちょっと独立後のことを考えていたんですけど…」
(o‘ω‘ n)「ぼくたちにはまだ、インドネシア独立後を支える人材が揃っていません」
(o‘ω‘ n)「そこで、それらの人材を育成するため”独立養成塾”を開きたいのですが…」
彡(゚)(゚)「せやな、ええと思うで」

553 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:33:15 ID:esF
(o‘ω‘ n)「では塾の代表は提案者である私が」
( ・`ω・´)「ぼくは政治史を担当します」
(^)'・▲・`(^)「私は経済学を」
(´・ω・`)「ぼくはアジア史と社会主義の講義を担当するよ」
彡(゚)(゚)「資金援助はワイがやったるわ」
彡(゚)(゚)「そんじゃ、あとはお前らで好きにやるんやで」
(o‘ω‘ n)「ありがとうございます、助かります」
”小磯声明”を受け、前田は独自に”独立養成塾”を設置しました。
これらは全て前田の独断とされ、陸軍のジャワ島統治に逆らうつもりもなかったようです。
代表にはジャワ島西部貴族出身の弁護士・スバルジョが就任。
教育の全てがインドネシア人に委ねられ、様々な議論が交わされました。

554 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:34:28 ID:esF
(●●●●●)「確かに”独立させる”とは言った」
(●●●●●)「せやけど、東インドの独立は日本人が導いてこそ果たされるもんや」
(●●●●●)「原住民自身による独立活動は認められんよ」

555 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:35:43 ID:esF
( ・`ω・´)「お願いします、どうにか”インドネシア独立準備委員会”を設置してもらえないでしょうか…?」
( ・`ω・´)「どのような形で独立を目指すにしても、委員会は必要だと思うんです…」
(●●●●●)「せやけどワイらにも都合があるからな〜」
( ・`ω・´)「そうですか…」
( ・`ω・´)「………。」

556 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:36:54 ID:esF
1945年2月14日
(●●●●●)「はー、奴らもしつこいなー、あんな急かしよって」
(●●●●●)「大体”独立させる”とは言ったけど、時期までは明確にしとらんやん?」
(●●●●●)「できればこのままの状態が続くとええんやけどなー」

557 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:38:06 ID:esF
(・日・)「大変です、反乱が起きました!」
(●●●●●)「なんや、またかいな」
(●●●●●)「こう反乱が続くと気が滅入るわな」
(●●●●●)「あんまり反乱が広がるようなら、また何か考えなアカンし」
(●●●●●)「まぁ農民が幾ら竹槍で武装しようが問題ではないけどな」
(・日・)「そ、それが…」
(・日・)「”軍”による反乱です!」
(●●●●●)「ファッ!?」
1945年2月14日、クディリ州ブリタルにて。
スプリアディ小団長率いる小隊100名ほどが兵営を出て、刑務所を襲撃。
政治犯を釈放した後、日本人ホテルや農園事務所などを襲撃し、日本人4名と中国人数名を殺傷しました。
『ブリタルの反乱』と呼ばれた、郷土防衛義勇軍”ペタ”による初めての反乱です。
( ・`ω・´)
ちなみに、クディリ州ブリタルはスカルノの故郷です。

558 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:39:31 ID:esF
(・日・)「反乱は準備不足だったようで、速やかに鎮圧されました」
(・日・)「首謀者のスプリアディ小団長は行方不明ですが…」
(●●●●●)「………」
(●●●●●)「……”ペタ”はワイらが原住民を鍛え上げて作った軍や」
(●●●●●)「そんでもって奴らは今や5万人規模に達しとる」
(●●●●●)「ジャワ島の日本兵を上回る数や」
(●●●●●)「…それが全部、制御不能の危機に陥っとる…?」
(●●●●●)「………………アカン」

559 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:40:41 ID:esF
(●●●●●)「もう本土への補給線が絶たれて随分経つ…」
(●●●●●)「劣勢は火を見るより明らかや…」
(●●●●●)「しかも”軍”の反乱にも怯えなきゃならん…」
(●●●●●)「こんな状態で原住民の意向を無視し続けるのは、もう限界や…」
(●●●●●)「………しゃーない」

560 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:41:53 ID:esF
1945年3月
( ・`ω・´)「お呼びですか?」
(●●●●●)「…”独立準備調査会”を設置するで」
(●●●●●)「独立の準備のために、色々な問題を調査、討議、議案採択する機関が必要や」
(●●●●●)「まずはそこで色々調整するんやで」
( ・`ω・´)「分かりました」

561 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:43:07 ID:esF
1945年4月29日
( ・`ω・´)「”独立準備調査会”が正式に設立されたよ」
( ・`ω・´)「委員会のメンバーは70名、各地の代表がインドネシア全域から集結したんだ」
( ・`ω・´)「ぼくらが中心となって、独立後の憲法を審議するよ」
( ・`ω・´)「それと遂に、旗”メラ・プティ”、歌”インドネシア・ラヤ”の使用が正式に許可されたよ!」
( ・`ω・´)「独立の象徴である旗と歌、これらを自由に掲げ、歌うことができる」
( ・`ω・´)「遂にインドネシアの独立が見えてきたよ!」

562 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:44:29 ID:esF
・豆知識『インドネシア』その3
独立前の”インドネシア”の定義はあいまいでした。
例えば、”マレー半島のインドネシア人”と呼んだり、フィリピンのことを”北インドネシア”と呼んだりもしたそうです。
国としての”インドネシア”が成立するまで、その定義は不明瞭のまま、情勢だけが変化していきました。
占領中の日本軍は”インドネシア”という言葉の使用を控えるようになります。
”蘭印”という地域名を使用したため、日本で”インドネシア”が定着するのはインドネシア独立以後になってからでした。
ちなみに日本人への”ジャップ”に相当する、インドネシア人への蔑称は”ネシア”だそうです。注意しましょう。

563 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:45:39 ID:esF
1945年6月1日
第1回独立準備調査会
( ・`ω・´)「インドネシア国家の骨格、建国5原則”パンチャシラ”を定義するよ」
( ・`ω・´)「1.インドネシアの統一」
( ・`ω・´)「2.公正で文化的な人道主義」
( ・`ω・´)「3.英知に導かれた民主主義」
( ・`ω・´)「4.全インドネシア国民に対する社会的公正」
( ・`ω・´)「5.唯一神への信仰」

564 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:47:03 ID:esF
( ・`ω・´)「ちなみに、インドネシアではイスラム教が主流なんだ」
( ・`ω・´)「だけどキリスト教徒やヒンドゥー教徒も少数存在しているんだよ」
( ・`ω・´)「国家が公認する宗教は全部で6つ」
( ・`ω・´)「”イスラム教”、”キリスト教・プロテスタント”、”キリスト教・カトリック”」
( ・`ω・´)「”ヒンドゥー教”、”仏教”、”儒教”」
( ・`ω・´)「無神論は違法だよ」
( ・`ω・´)「公言すると逮捕されるかもしれないんだ、注意してね」

565 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:48:27 ID:esF
(´・ω・`)「ねぇ、スカルノさん」
( ・`ω・´)「なにかな?」
(´・ω・`)「ぼくらは未だ”経済的自立”を果たしていないよね」
(´・ω・`)「それなのに”政治的独立”だけを求めてる」
(´・ω・`)「ぼくらはまず”経済的自立”を果たした上で、改めて”政治的独立”を目指すべきじゃないかな?」
( ・`ω・´)「確かにそうかもしれない」
( ・`ω・´)「でもね、例えるならこういうことだよ」
( ・`ω・´)「鍋や釜がなくても結婚はできる」
( ・`ω・´)「でも結婚は時期を選べない」
( ・`ω・´)「なら、結婚してから鍋や釜を揃えればいいんじゃないかな」

566 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:50:05 ID:esF
(*^◯^*)「ねぇ、スカルノさん」
( ・`ω・´)「なにかな?」
(*^◯^*)「どうして日本軍なんかにすり寄るんだ?」
(*^◯^*)「独立はぼくらの力だけで果たされるべきなんだ!」
( ・`ω・´)「そんな無茶を言われても…」
( ・`ω・´)「それにもう独立は目の前なんだよ」
( ・`ω・´)「やっとここまで来たんだ、今更形なんて気にする必要はないんだよ」
(*^◯^*)「………」
スカルノなどの民主主義運動家は、日本軍の戦争への協力の見返りとして独立を迫り続けていました。
その願望は叶い、東インド全体が一丸となったインドネシア独立が現実のものとなってきました。
スカルノはイスラム教問題、ジャワ島以外の島々の問題を調整することで、独立への障害を解決していきました。
しかし、若者たちのグループはより性急な独立を求め、反日的な言動を行うようになってきます。
やがて各地で反日的な”青年グループ”が次々と形成されていきました。

567 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:51:16 ID:esF
( ・`ω・´)「とは言え、彼らも東インドの住民には違いない」
( ・`ω・´)「彼らにも”独立準備調査会”に参加してもらいたいな」
( ・`ω・´)「ねぇ、君は青年グループの代表だよね」
( ・`ω・´)「なんとか協力してもらえないかな?」
(*^◯^*)「………分かったんだ」

568 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:52:29 ID:esF
( ・`ω・´)「それでは今日の会議を始めます」
(^)'・▲・`(^) (o‘ω‘ n) (´・ω・`) (・日・) (≦・ω・≧)
(*^◯^*)「待つんだ!」
(*^◯^*)「なんで日本人がここにいるんだ!?」
(*^◯^*)「この会議はインドネシア人だけで行われるべきものなんだ!!」
(・日・)「そんなこと言われても…」
( ・`ω・´)「彼はこの会議に直接的には関与しませんよ」
( ・`ω・´)「では改めて始めます」

569 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:53:49 ID:esF
( ・`ω・´)「それで独立後の政治体制についてですが…」
(・日・)「ああ、そこはこうしたらいいんじゃないかな?」
( ・`ω・´)「ふむ、なるほど…」
(*^◯^*)「ちょっと待つんだ!」
(*^◯^*)「今、口を出したな?」
(*^◯^*)「これは日本による内政干渉なんだ!!」
(*^◯^*)「こんなことは許されないんだ!」
(・日・)「えー…」
(*^◯^*)「こんな会議やってられないんだ!」
(*^◯^*)「ぼくはここで失礼するんだ!」
( ・`ω・´)「あー、行っちゃった…」

570 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:55:00 ID:esF
(*^◯^*)「全く、民主主義運動家のジジイどもは使えない奴らばかりなんだ!」
(*^◯^*)「独立とは戦って奪い取るものなんだ!」
(*^◯^*)「つまり、独立とは革命なんだ!」
(*^◯^*)「あんな平和ボケした老害の言うことなんか聞いてられないんだ!」
( ・`ω・´)「私たちはまだ(40)代なんですけどね…」

571 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:56:11 ID:esF
1945年6月22日
( ・`ω・´)「憲法の前文用に”ジャカルタ憲章”を作成したよ」
( ・`ω・´)「”独立は全ての民族の権利である”」
( ・`ω・´)「”インドネシアの独立闘争は、栄光とやすらぎの時にに達した”」
( ・`ω・´)「”全智全能の神の慈悲の下、インドネシア民族はここに独立を宣言する”」
( ・`ω・´)「”ジャカルタ、皇紀2605年6月22日 スカルノ、ハッタ、スバルジョ、他”」

572 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:57:24 ID:esF
1945年7月10日
第2回独立準備調査会
( ・`ω・´)「今日からは国家の領域、形態、政治機構、市民権、イスラム教徒の関係などを討議するよ」
( ・`ω・´)「16日には憲法の草案を作成するんだ」

573 :名無しさん@おーぷん :2015/04/07(火)21:58:38 ID:esF
1945年7月17日
最高戦争指導会議
(●●●●●●●)「できるだけ早い時期に、インドネシアの独立を認めることを決定する」
1945年7月21日
(●●●●●●●)「独立地域の範囲について」
(●●●●●●●)「マレー半島(ビルマやタイなど)を除いた地域を指定する」