Part7
112:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:48:14 ID:
LIM
【背水の陣】&【敗軍の将 兵を語らず】2
┏━━━┓
┃ 漢┃
┗━━━┃(●゚◇゚●)
┃
┃
趙・武将A「城に漢軍の旗が!?」
趙・兵士A「あぁ……城が落ちたんだ…終わりだぁ…」
趙・兵士B「趙王さまも捕らえられてるに違いない…逃げろぉー」
趙・武将A「こ、こら!逃げるな!」
(*^◯^*)「敵は混乱し始めたんだー!陣から出て攻撃するんだー!!」
(●゚◇゚●)「僕らも出撃するよーー」
…
趙王「ぎゅん…」
趙・武将A「無念…」
趙・武将B「死ーん…」
??「コボルイッツ家七百年の歴史が…」
(*^◯^*)「勝ったんだ!」
(●^◇^●)「やったね!」
夏候嬰「…しかし未だに分かりません…なんで私たちは勝てたのでしょうか?兵法では山を背に水を前とするとあるのに…」
(*^◯^*)「いやこれも兵法書に書いてあることなんだ。孫子で“兵は死地に陥れられてはじめて生き 死地に置かれてはじめ存す”を実行しただけなんだ」
113:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:49:28 ID:
LIM
【背水の陣】&【敗軍の将 兵を語らず】3
漢王の家臣・韓信による故事。
項羽は主と仰いでいた義帝を殺し、人心も離れつつあった。
漢は義帝の弔い合戦という大義名分ができ東進を開始。
三秦も破り勢いに乗っていた。
各諸侯も漢に勢いありと見て楚から漢へと鞍替えす者が続出しその軍勢は五十六万を数えた。
劉邦は反乱した斉の攻略に向かっている項羽が留守の間に本拠地である彭城を落とす。
すっかり有頂天となって軍の軍紀、風紀が乱れていた。
項羽は精鋭三万を連れすぐさま彭城へ戻り漢軍と対決。
この彭城の戦いはなんと項羽軍は三万の兵で劉邦を盟主とする五十六万の各国連合軍を破った。
項羽軍の強さもあるが大軍といっても寄せ集め集団であって上にもある通り軍紀、風紀も乱れており統制がバラバラで油断しきっていた。
そのままの勢いで項羽軍は劉邦が籠る滎陽城(けいようじょう)までくる。
しかし項羽軍は韓信率いる戦車隊の前にて敗北する。
劉邦はひとまず危機は去ったが、今まで自分についていた諸侯がまたもや項羽についた。
そこで張良が項羽への包囲網を築くため周りの国を攻略するように進言する。
まず魏と趙を討つため韓信を大将に出陣。
115:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:51:08 ID:
LIM
【背水の陣】&【敗軍の将 兵を語らず】4
韓信率いる漢軍は三万未満の軍勢だったため、魏は油断し舐めてかかりそこを韓信につけこまれ敗北した。続けて趙へと進軍。
趙王が籠る城に行くにはかなり狭い山道を通らなければならない。
そこを行軍中に攻められてはひとたまりもないと見た韓信はまず趙の状況を調べるために間者を放った。
城内へ入った間者はある情報を入手した。
それは趙の趙王と将軍・陳余(ちんよ)、名参謀と名高い李左車(りさしゃ)らの作戦会議の内容。
李左車「漢軍は狭い山道を通ってきます。
その山道を通るのであれば軍勢は糸状になります。
兵糧部隊が後方からくるはずですので私に三万の兵を与えてくだされば間道をつたって後方の兵糧部隊を攻撃します。
名将・韓信でも兵糧がなければ戦えません。そのあと前後から攻撃すれば逃げ場のない山道で漢軍を壊滅できるでしょう」
陳余「李左車どの。
我らは二十万を数える兵がいるのにそのような小細工はいらないでしょう。
敵は我らより圧倒的少数の兵でそれに対し奇襲して勝つなど諸侯に笑われます。」
趙王は陳余の意見を採用し、真正面から対決する作戦にした。
韓信はこれを聞いて安心し山道を通り趙軍と真正面から対立することになる。
118:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:52:37 ID:
LIM
【背水の陣】&【敗軍の将 兵を語らず】5
そのあとの展開はほぼ上の通りで戦後、韓信は李左車の行方を探し始める。
李左車を見つけ李左車を師と仰ぎ今後の他国を平定する方法を聞く。
しかし李左車は【敗軍の将 兵を語らず】と言う。
戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりすべきではないということ。
それでも韓信は李左車から助言をもらいたく頭を下げた。
さすがに李左車も頭を下げられては黙ってるわけにはいかず、
李左車「知恵あるものでも千に一つの間違いがあり、愚か者でも千に一つのいい考えが浮かぶといいます。私の考えが役に立つか分かりませぬが愚か者の言葉として聞いていただきたい」
と前置きして意見を述べた。(謙虚やね)
李左車「韓信どの率いる兵は疲れ果てており、今燕や斉を攻めても長く時間が掛かり屈服させるのは難しいです。
今は兵たちを休ませるべきです。
そしてこのたびの戦いで戦死した兵の遺族をいたわり助けてあげてください。そうすれば趙の人々は食べ物、酒を献上してくるはずですのでそれを兵士たちにわけあたえるのです。
少数の兵で魏や趙を破った韓信どのの威は高く、燕や斉は恐れているでしょう。
まず燕に降伏の使者を送り降伏させ斉を孤立させるのです」
韓信はこの李左車の策を用い燕は降伏した。
120:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:54:16 ID:
LIM
【四面楚歌】(しめんそか)
垓下スタジアムにて迎えた楚漢シリーズ最終戦。
先発項羽が大量失点、打線も勢いを見せず惨敗だった。
垓下スタジアムに響く兵士のため息、どこからか聞こえる「楚も滅亡だな」の声。
無言で帰り始める武将達の中、覇王・項羽は独りベンチで泣いていた。
秦の首都・感陽で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる内川……
それを今の楚で得ることは殆ど不可能と言ってよかった。
「どうすりゃいいんだ……」
項羽は悔し涙を流し続けた。
どれくらい経ったろうか、項羽ははっと目覚めた。
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいベンチの感覚が現実に引き戻した。
「やれやれ、帰って虞美人に膝枕してもらわなくちゃな」項羽は苦笑しながら呟いた。
立ち上がって伸びをした時、項羽はふと気付いた。
「あれ……?楚歌が聞こえる…?」
ベンチから飛び出した内川が目にしたのは、外野席まで埋めつくさんばかりの漢軍だった。
千切れそうなほどに漢の旗が振られ、地鳴りのように楚歌が響いていた。
どういうことか分からずに呆然とする項羽の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「覇王、守備練習だ、早く行くぞ」
声の方に振り返った項羽は目を疑った。
「は……范増?確か死んだはずじゃ…」
「なんだアゴ、居眠りでもしてたのか?」
「ち……陳平?お前漢にいるんじゃ…」
「なんだ項羽、かってに陳平を追い出しやがって」
「韓信……お前も漢に行ったはずじゃ……」
内川は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた。
1番:項羽
2番:虞美人
3番:項羽
4番:項羽
5番:烏騅
6番:項羽
7番:項羽(内川)
8番:項羽
9番:項羽
暫時、唖然としていた項羽だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった。
「勝てる……勝てるんだ!」
内川からグラブを受け取り、グラウンドへ全力疾走する内川、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった……
翌日、ベンチで冷たくなっている内川が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った
121:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:55:46 ID:
LIM
【四面楚歌】2
西楚の覇王と名乗った項羽の故事。
ちなみに上の虞美人(ぐ びじん:美人は女性の身分の官名)は項羽の愛人だか恋人。
烏騅(うすい)は項羽の愛馬。
楚漢戦争は前半は楚の方が圧倒的に優勢だったが、後半は漢が徐々に盛り返し大逆転していった。
項羽は勇猛果敢で超人的な強さを誇ったが【匹夫の勇 婦人の仁】と言われる通り大事な所での判断が甘く、直情型で行動が短絡的、部下への優しさはあれど恩賞出し惜しみ。
こういう性格のためやはり人心も有能な部下達も次々と離れていく。
離間の策にハマり亜父(あふ:父に次ぐ尊敬の意)と呼んだ范増(はんぞう)にも疑心暗鬼に陥り追放した。
圧倒的優勢を誇っていた楚もこのように徐々に勢力を削がれていき、最終決戦時の時は漢・百万 楚・三十万となった。
だが彭城の戦いで項羽は五十六万の大軍をわずか三万の兵で破っているため必ずしも漢軍が勝つとは限らない。
しかしこの大軍を指揮したのは名将・韓信。
万全の準備を整え、項羽率いる楚軍と対決した。
122:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:57:19 ID:
LIM
【四面楚歌】3
その最終決戦の第一戦と言える戦いは漢軍が勝利し項羽は兵を立て直すため垓下(がいか)へ退いた。
退却中にどういうわけか項羽の愛馬・烏騅が急に足を動かさなくなった。
仕方なく項羽はそこへ陣を築く。
楚軍はこの時五万まで兵力が減ってしまった。
また兵糧も多くない。
垓下にいる楚軍は脱出を試みても四方敵兵に囲まれているため脱出は困難。
漢軍は楚軍へ猛烈に攻撃を仕掛ける。
しかし項羽の超人的な強さが楚軍を奮い立たせた。
一度に八人の将と対決し倒したり、一日に六十人の将と対決しこれを見た楚軍は項羽に続けと士気が高まり漢軍の被害が多くなっていった。
これを見て韓信と張良は楚兵の心の揺さぶりをかけ戦意を削ぐ方法を取る。
楚軍を四方から囲んでる漢軍は兵に楚にある歌を覚えさせ楚兵に聞かせた。
これを聞いた楚兵は望郷の念が強まり涙した。
ある者は今の自分の置かれている状況を省みて、兵糧も少ない上になんの策もない不安から降伏する気持ちが強まった。
しかしある者が項羽を信じ残るべきと言うが、この状況になってどう信じろというのか?兵糧もないのに自分は食って酒を飲んでるだろ!と降伏を反対する者を殺しかねない雰囲気になりつつあった。
そして多くの楚兵は陣から離れ降伏していった。
この降伏していった中には項羽の叔父で鴻門の会で劉邦の危機を救った項伯もいた。
また陣から離れていく楚兵に化けて逃亡していった楚の重臣である鍾離眜(しょうりばつ)、季布もいた。
123:
名無しさん@おーぷん:16/11/10(木)23:58:14 ID:
LIM
【四面楚歌】4
これが【四面楚歌】。
敵に囲まれて孤立し、助けがないこと。
周囲の者が反対者ばかりであること。
朝になったら楚軍は八百人まで減っていた。
これではさすがに項羽も戦えないと思いここを脱出し挙兵した地であり項羽の味方が多い江東へ向かい再起を図ろうと決断する。
項羽は危険が多いためここまでついてきた愛人の虞美人を漢王・劉邦に渡そうと考える。
しかし虞美人は兵士に化けてでもついていくという。
こう言われ項羽の気持ちは揺れ動く。
出来ることなら虞美人を連れてきたい。
項羽は虞美人の前で今の気持ちを歌う
項羽「力は山を抜き,気は世を蓋う(おおう)。時、利あらず、騅、ゆかず。騅のゆかずとしていかんすべき。虞や、虞や、なんじいかんせん」
(力は山を引き抜くほどで、気力は世を蓋い尽くすほどあった。
だが時は味方せず、烏睡も動かぬ。
烏睡動かずしてどうにもならぬ。
虞や虞や、お前の身をどうしてやればよいのだ)
これを聞いた虞美人は
虞美人「私も歌が出来ました。王さまの剣をお貸しください。剣舞をしながら歌わせていただきます」
項羽は虞美人に剣を渡した。
虞美人「漢兵、すでに地を犯し 四方みな楚の歌。大王の意気 尽きん わたしは如何にして生くべし」
(漢軍がすでに楚を侵略してきました。四方の敵軍の中に楚歌の声がいたします。
項王の意気は尽きたというのに、わたくしがどうして生きてゆけましょうか?)
と歌い虞美人は持っている剣で自害した。
124:
名無しさん@おーぷん:16/11/11(金)00:00:00 ID:
fQq
【四面楚歌】5
項羽は痛く悲しんだが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
残った八百人の兵を前陣・後陣に分けて漢軍の囲みを突破し江東を目指す。
そして漢軍は楚軍に襲いかかる。
後陣の兵は項羽を逃がすために全滅した。
しかし楚軍は漢の陣を次々と突破していく。
四潰山(しかいさん)まで来たときには残り二十八騎までに減っていた。
項羽は
項羽「天に今から我らの力を見せてやる!」
といい二十八騎を四つに分けて漢軍へ三度攻めいった。
漢軍は数百人の兵を失う被害だったが項羽側はわずか二騎を失う被害だった。
項羽「天よ見たか!我らが弱くて負けたのではないぞ!」
と叫んだ。
(なんだったのか…)
そして項羽は江東近くの烏江(うこう)についた。
125:
名無しさん@おーぷん:16/11/11(金)00:00:45 ID:
fQq
【四面楚歌】6
たまたまその近くにいた烏江に付近に住む亭長(ていちょう:最下級の役人)が
亭長「江東は小さな所ですが土地は千里あり、万の人が住んでいます。
彼の地ではまた王になるには十分でしょう。
願わくは大王、早く渡ってください。
今は私一人が船を出し、漢の軍は至っても渡ることはできないでしょう」
と言った。
しかし項羽はこの時、気が変わっていた。
項羽「天が我を滅ぼすのになぜ渡ろうか?
俺が江東の子弟八千人を率いてここから西へ出発し、今一人として帰る者が居ない。
たとえ江東の父兄が哀れんで俺を王にしようとも、私に何の面目があろう?
たとえ彼らがそれを言わなくとも、どうして俺一人が心に恥を感じずにいられようか」
と断る。
項羽は自分の乗馬である騅を烏江の亭長に譲り渡し、それに見習って他の兵達も下馬する。
劉邦軍を迎え撃ち、項羽みずから数百人の敵兵を討ち取った。
この戦いで十数か所に傷を負った項羽は追っ手の中に旧知の呂馬童(りょばどう)がいるのを見つける。
項羽「漢は俺の頭に千金を懸けていると聞く。旧知のお前にその恩賞をくれてやろう」
そういい自害し果てた。
項羽は三十一歳だった。
そのあと恩賞目当てに漢兵は項羽の体を切り刻みばらばらになった。
その姿に哀れんだ劉邦は
劉邦「ここに項羽の廟を建てよ…」
といった。
こうして楚漢戦争は幕を閉じた。
項羽というチートキャラ。
当然誇張ありなんだろうけど、横山光輝版の項羽と劉邦〜若き獅子たち〜、史記
を読んでると個人の武勇なら誰も敵わないんじゃないかと思う強さ。
しかしwiki見てて司馬遷の項羽の批判が
「自分の覇王の事業を既に成し遂げたと思いこみ、武力で天下を征服・管理しようとしていた。
そして、5年間の内戦を経て、ついに国を滅ぼし、自分自身も死んでしまった。
それでも、死ぬ前にもまだ悟らず、自分を責めようとしなかった。
それは間違っている。
『天が私を滅ぼすのだ。戦に負けたわけではない。』と公言した。
これはどんなに荒唐無稽なことだろうか」
まあ残当…
なんとも波乱万丈な人生やったなぁ
126:
名無しさん@おーぷん:16/11/11(金)00:02:18 ID:
fQq
とりあえず以上やで
東周英雄伝とかに載ってるのも紹介したいけど、それだと故事はそんなないから 逸話ばかりになりそうやな…
133:
名無しさん@おーぷん:16/11/11(金)00:21:50 ID:CxC
めっちゃタメになる
137:
名無し:16/11/11(金)02:45:23 ID:AhQ
乙