Part1
彡(゚)(゚)で学ぶ中国の故事・逸話
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1478266197/
1 :
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:29:57 ID:
VOs
ワイの印象に残った・好きな故事を紹介するやでー
まあ横山光輝版の史記やwikiでの知識で数少ないけどよかったら見てくれやでー
2:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:30:45 ID:
VOs
【覆水盆に返らず】
彡(^)(^)「やったぜ!殷(商)倒したご褒美に斉とかいう土地もらったわ!」
彡(゚)(゚)「思えばワイも極貧の生活からよくここまで大出世したもんやな」
J( 'ー`)し「彡(゚)(゚)…立派になったわね」
彡(゚)(゚)「ファッ!?J( 'ー`)しやんけ!ワイと縁切ったはずじゃ…」
J( 'ー`)し「仕事もせず野球ばかりみてたあなたが立派になったわね…」
J( 'ー`)し「縁戻してもいいわよ?」
彡(゚)(゚)「…」
ミズバシャー
J( 'ー`)し「?盆から水こぼしてなにしてんの?」
彡(゚)(゚)「その床にこぼした水を盆の上に戻してみよ。」
J( 'ー`)し「え?出来るわけないじゃない?」
彡(゚)(゚)「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ」
J( 'ー`)し「は?理屈はいいんだよ。盆の水だかで今までの私の苦労を消せると思うなよ」
彡(゚)(゚)「いや…だから…」
J( 'ー`)し「早く宮殿に案内しろやクソ彡(゚)(゚)」
彡()()「は、はい…」
3:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:31:18 ID:
VOs
【覆水盆に返らず】
太公望の呼び名で有名な呂尚とその別れた妻のエピソードから生まれた故事。
呂尚は周に仕える前に結婚していたが、呂尚が仕事もせず毎日読書ばかりしていたので妻は愛想つかして離縁を申し出た。
その後、呂尚は周の文王・武王に仕え殷を倒す功績をあげ、その功により斉を与えられた。
そんな呂尚に妻は復縁を求める。
呂尚は盆から水を床にこぼしそれを盆の上に戻せと妻に言うが出来るはずがなく
それを見て呂尚は上のように「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ。」
といい上の彡(゚)(゚)と違い復縁を断った。
【覆水盆に返らず】は一度起きたことは元に戻らないという意味で使われるようになった。
まあ働きながら読書しろよと思ってしまうが…
4:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:31:23 ID:96E
はえ〜覆水盆に返らずって中国がもとなんか
5:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:31:25 ID:wwS
ほーんこれも故事成語やったんか
6:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:32:07 ID:
VOs
【管鮑の交わり】(かんぽうのまじわり)
(*^◯^*)「よーし!糾を倒して斉で一番偉くなったんだ!」
(*^◯^*)「あとは配下だった彡(゚)(゚)の処分なんだ」
(´・ω・`)「桓公お待ち下さい」
(*^◯^*)「ん?鮑叔くんなに?」
(´・ω・`)「彼を殺してはいけません。彼は有能な人物です。ぜひ用いてやってください」
(*^◯^*)「う〜ん君と彡(゚)(゚)が仲良いのはよく知ってるけど彡(゚)(゚)の悪い噂もよく聞くしな…」
(´・ω・`)「そ、それは誤解です」
(*^◯^*)「君ら若いとき商売で儲けたお金を平等に分けずに彡(゚)(゚)が多く持ってったとか」
(´・ω・`)「…」
(*^◯^*)「彡(゚)(゚)のせいで君が窮地に陥ったとか」
(´・ω・`)「…」
(*^◯^*)「それに彡(゚)(゚)
は何度も仕官してそのたびにクビになったとか」
(´・ω・`)「…」
(*^◯^*)「…」
(*^◯^*)「やっぱり処刑なんだ!」
┏━━━━━━━┓
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┃ (゚)(゚)ミ┃
┃ 丿 ミ┃
┃ つ ( ┃
┃ ) ( ┃
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7:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:33:36 ID:
VOs
【管鮑の交わり】
斉の名宰相と名高い管仲とその友人鮑叔の関係について。
斉公・公孫無知が暗殺され公子である糾と小白(のちの桓公)の二人は次の斉公の座を巡って対立することになった。
対立の結果、小白が斉公の座を手にし桓公と名乗るようになった。
そして糾とその部下である管仲を処刑しようとしたところ桓公の配下である鮑叔が「管仲を殺してはなりません。公が天下の覇者となるためには彼の力が必要です」
と進言した。
管仲に一度暗殺されかけてるので桓公はあまり乗り気になれない、それに管仲のいい評判も聞かない。
桓公「お前と管仲が仲良いのは聞いてる。しかし管仲の悪い評判もよく聞いているぞ?」
桓公「お前たち二人が若いとき商売をしてその儲けはちゃんと分けずに管仲が多く取ったと聞く」
鮑叔「それは管仲の家が貧しく欲でやっていることではなかったのです。私も認めておりました。」
桓公「お前が管仲のせいで窮地に陥ったと聞いたが」
鮑叔「あれは管仲が私の名を成さしめようとしたことです。それが裏目に出ただけで人生すべて物事が上手くいくわけではありません。」
桓公「それに幾度か仕官してもそのたびにお払い箱になってるらしいじゃないか」
鮑叔「それは時節に恵まれてなかっただけです。管仲が無能だからではありません。」
鮑叔「公が斉一国だけではなく天下の覇者となられるのであれば私たちだけでは不足です。ぜひ管仲を公のそばに置いてください」
上の(´・ω・`)みたいに黙ってることなく鮑叔の説得により桓公は管仲と面会をし宰相として政治を任せた。
その高い能力は遺憾無く発揮され斉は管仲の徹底した政策によりたちまち強国となり、桓公は覇者となった。
管仲は「私を生んだのは父母だが、父母以上に私を理解してくれるのは鮑叔である」
二人は深い友情で結ばれそれは一生変わらなかった。
その二人の友情を後世の人びとは【管鮑の交わり】と呼ぶようになった。
横山光輝版の史記を読んで最初に驚いたのは桓公の懐のデカさと鮑叔の管仲への信頼の高さ。
直接命を狙われたにも関わらず管仲を宰相に抜擢する桓公(まあ管仲亡きあとはアカンけど…)と鮑叔がいかに管仲が優れてるか桓公に説いて自分より偉くなってしまったのに変わらぬ友情ってステキやん?
8:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:34:40 ID:
VOs
【宋襄の仁】
( ・`ω・´)「この泓水(おうすい)にて楚のやつらをこらしめてやろうじゃないか(キリッ」
彡(゚)(゚)「襄公…まともに戦っては私たち宋に勝ち目がありません。なんとか敵の隙をつかないと」
( ・`ω・´)「ん?噂をすれば楚軍じゃないか!川を渡ろうとしているな」
ノロノロ〜
彡(゚)(゚)「襄公!敵が川を渡りきって陣を作っては勝ち目がありません!今攻めるのが勝つ絶好の機会です!攻撃させてください!」
( ・`ω・´)「え?フェアプレー精神でいこうよ?楚軍の準備が出来てないのに攻めるなんて僕たちは慈愛の心を失おうとしているよ」
彡(゚)(゚)「何を言ってるんですか!?慈愛どころか敵が渡りきって陣築いたら私たちの命が失ってしまいますよ!?!」
( ・`ω・´)「君子は人が困ってるときにさらに困らせることはしないものだ(キリッ」
彡()()「(こいつ…酔ってるんか……)」
…
……
………
( *`ω*´)「大敗だ…」
彡(×)(;)「ンゴゴゴゴ…」
( ・`ω・´)「うむむ…私も太股に傷を負ってしまった」
彡(゚)(゚)「川を渡りきる前に攻撃命令出してくれてたらこんな大敗せずに済んだのですよ…?」
( ・`ω・´)「……」
( ・`ω<´)‐☆「ごメンチ」
彡(゚)(゚)#「(……こいつ殺したろうかな……)」
9:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:35:57 ID:
VOs
【宋襄の仁】
宋の襄公による故事。
襄公は斉の桓公と密接な関係にあった。
桓公の無き後、斉に内部抗争が始まりその騒動に襄公が介入し鎮圧に成功する。
これに自信を持った襄公は覇者になろうと全国の諸侯を集める会を主宰した。
しかし楚の成王はなぜ自分の国より小国の宋が仕切るのかと納得いかず自身は参加せず将軍の子玉を代わりに参加させる。
これには対して他の諸侯は楚を非難したが、主宰者である襄公がなだめた。
代わりに派遣された子玉も襄公が盟主の座にいることに不満で、襄公に恥をかかせようと思いなんと襄公を拉致する。
そして子玉は襄公を連れ周辺の村を荒らし回った。
宋の兵も襄公が人質になってるため手が出せず黙って見ている他なかった。
見かねた諸侯のなだめによりようやく子玉は襄公を解放する。
子玉は襄公に恥をかかせて面目丸潰れとなったことに上機嫌となり楚へと帰っていった。
この話を聞いた宋の国民は怒り楚への戦いを決意することになった。
襄公は決戦の地を泓水のほとりに決めやがて楚軍が現れた。
宋の宰相・子魚は
子魚「まともに戦っては勝ち目がありません。楚軍が川を渡りきって陣を完成する前に攻撃しましょう」
襄公「君子は人が困っているときに更に困らせるようなことはしないものだ」
と言ってこれを退けた。
子魚は
「ああ、わが君はいまだに戦いを知らない」
と嘆いたという。
結果は上の通りの有り様で宋の大敗。
襄公自身も負傷しその傷が元で二年後に死亡してしまう。
これ以来、不相応な情けなどのことを【宋襄の仁】というようになった。
wikiでこの戦いについて中国史学者の落合淳思とかいう学者が
「楚は大国で、宋は中小国。宋襄の仁がなくとも楚が勝つのは順当なことだ」
と評してる…悲しいなぁ…
11:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:37:16 ID:
VOs
【鳴かず飛ばず】
彡(^)(^)「今日も宴会するンゴwwwwww」
グビグビ
彡(^)(^)「プハー!やっぱり酒はええなー」
('ω`)「荘王…あの…毎夜のように宴会は…」
彡(゚)(゚)#「は?」
彡(●)(●)「あ、諫言するやつは処刑やでー肝に命じて
おくんやでー」
('ω`)「…」
…
……
………
彡(^)(^)「今日も宴会やーーーwwwwww」
('ω`)「荘王」
彡(゚)(゚)「ん?なんや?諫言するなら分かってるやろうな?」
('ω`)「いいえ荘王に謎かけをしたいと思います。」
('ω`)「ある鳥が3年の間、全く飛ばず、全く鳴きませんでした。この鳥の名は何と言うのでしょうか?」
彡(゚)(゚);「え…?(なにいってだこいつ)」
彡(゚)(゚)「そんなの鳥じゃないわ 鳥以外のなにかやろ」
彡(^)(^)「さぁー今日も宴会やでーwwwwww」
('ω`)「・・・」
12:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:39:01 ID:
VOs
【鳴かず飛ばず】
名君と名高い楚の荘王の故事。
荘王が即位時まだ若いため公子の一人が謀反を起こした。
一時は首都、王室を完全に支配下に置き王を名乗り謀反は成功するかに見えたが、盧という町で殺され荘王は首都を取り返した。
それ以降、荘王は政治を見ずに毎日のように宴会を開き諫言するものは誅殺すると家臣に宣言し、誅殺されるのを恐れ誰もがなにも言えずにいた。
荘王が即位して三年目のある時、荘王の家臣・伍挙が
伍挙「荘王に謎かけをしたいと思います。ある鳥が3年の間、全く飛ばず、全く鳴きませんでした。この鳥の名は何と言うのでしょうか?」
と言い荘王は
荘王「その鳥は一旦飛び立てば天まで届き、一旦鳴けば、人を驚かせるだろう。お前の言いたい事は解っている。下がれ」
と答え彡(゚)(゚)とは違いちゃんと返した。
その後も宴会ばかりして政治を見ない状態が続き、ついに家臣の蘇代が荘王へ諫言をしにきた。
荘王「諫言する者は死罪なのは分かっているのか?」
蘇代「王が目を覚ましてくれるのであれば本望です。」
これを機に荘王は今までの愚かな振る舞いを解いた。
荘王は三年、愚かな振りをする事で家臣の人物を見定めていたのである。
悪臣を数百人誅殺し、目を付けておいた者を新たに数百人登用して、伍挙と蘇従に国政を取らせた。
民衆の人気は一気に高まり、国力も大きく増大。
楚は周辺諸国を脅かす存在となった。
この事からじっと機会を待つことを【鳴かず飛ばず】と言うようになった。
今はパッとしないみたいな時に使われてるけど…
wiki見てると斉の威王にも同様の逸話があるみたいやなぁ
日本の三年寝太郎はこれから着想したんか?しかし家臣の品定めに三年って長いような・・・
まあ実際こんくらい掛かってまうんかな…
132 :
名無しさん@おーぷん :16/11/11(金)00:20:20 ID:ncD
>>12
本来の意味はこうなんか…はえー
13:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:39:51 ID:
VOs
【絶纓の会】
荘王「日頃の皆の労いを癒すために宴会を開くぞー無礼講だ。盛大にやってくれ」
カゼビュー
荘王「ん?風で蝋燭の火が消えてしまって周りがよく見えん…けど暗い中での宴会もなんか味があっていいなぁw」
14:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:40:00 ID:7vW
鳴かず飛ばずも中国やったんか
新聞の見出しの決まり文句かと思ってた
15:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:40:20 ID:wwS
意外と多いんやなあ中国由来
30:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:47:12 ID:
VOs
【屍に鞭打つ】&【日暮れて道遠し】
伍子胥(ごししょ)「やったぁー!楚の首都を占領したぞ!」
闔閭(こうりょ)「よくやったぞ!伍子胥くん!」
伍子胥「ありがとう闔閭ちゃん!けど楚王を取り逃がしちゃったな…」
闔閭「うむ…伍子胥くんの恨みがまだ晴れたわけじゃないな…今兵達が必死に探してるぞ」
伍子胥「なんとか見つかればいいけど…ん?あれはなんだろう?」
闔閭「フムあれは前の楚王・平王の墓だぞ。伍子胥くんの父兄を殺した張本人だけど、もう屍になってしまったな」
伍子胥「…墓から屍を取り出そう!」
闔閭「え?なぜ死体を出すんだぞ?」
伍子胥「僕の積年の恨みをこの屍に晴らしたいんだ!」
闔閭「!?正気か伍子胥くん!?!」
伍子胥「正気さ!平王の屍に鞭を打ってやる!!」
??「ほぉ…死体相手にずいぶん強気だな…伍子胥」
ザガザガザガースキー
伍子胥「うひゃぁ!棺の中から屍になってるはずの平王が!」
平王「楚の首都を落としたからといって調子に乗るなよ!お前の能力じゃまだまだ楚全土制圧できねえぞ!!改めて鍛えてやる!!今から孫子の兵法書を三万回読破だ!!!!こっちへこい!!!!!」
ズズズ…←伍子胥が引きずられる音
闔閭「ご、伍子胥くん…」
31:
名無しさん@おーぷん:16/11/04(金)22:48:22 ID:
VOs
【屍に鞭打つ】&【日暮れて道遠し】
呉の伍子胥による故事。
伍子胥は元々楚に仕えていたが楚の奸臣、費無忌(ひむき)による謀略で平王は伍一族を捕らえ投獄させた。
伍子胥はなんとか命からがら楚から逃げ出し呉へ流れついた。
そして楚の平王が父兄を処刑したと聞き楚へ復讐を誓う。
伍子胥は呉の王である闔閭(こうりょ)に仕え重臣として活躍し父兄が処刑されてから十数年後、楚の首都を陥落させた。
しかし仇敵である平王、費無忌はすでにこの世に無く楚の新しい王も首都から逃げ出した。
恨みを完全に晴らせてない伍子胥は平王の墓を暴き、部下に命じ屍に300回鞭打てと言った。
部下はその言葉に驚くが伍子胥の凄まじい怒りに圧倒され言われるままに鞭を打った。
このことから死んだ人へ残酷なこと、悪口言うことを【屍に鞭打つ】と言うようになった。
そしてこの伍子胥の苛烈な所業を聞いた楚の臣である申包胥(しんほうしょ)が伍子胥を非難する手紙を書いた。
伍子胥は返書に
「われ日が暮れて道が遠い、故に倒行してこれを逆施するのみだ」
(私も老いてく身、だが目的を果たすにはまだまだ道のりは遠い。それゆえ焦って非常な振る舞いをしてしまったのだ)
年をとってもまだ人生の目的が達成されてないときなどに【日暮れて道遠し】と言われるようになった