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現存するババァ船の船歴をまとめてみた(宗谷編)
Part3


76 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:35:13 ID:GAv5Yem6
・ソナー、音響測探儀を最新の物に換装。
・後部マストの形状を荒天下の用途に耐えうる門型に変更。
・荒天下でも使用できる舵への換装。さらに、これらの破損を防ぐための尾端材の強化。
・乗組員、観測隊員130名、観測資材400トン、大発型救命艇含む作業艇4隻、小型ヘリコプター2機びヘリ甲板とセスナ機を搭載、運用できるスペースを確保。
・上記に加え航続距離15,000海里(28,000km弱)、連続行動60日分の燃料と真水およびを搭載できるスペースを確保。
誰がどう見ても立派な魔改造です。本当にありがとうございました。

77 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:35:56 ID:GAv5Yem6
しかも恐るべきことに、これらの改造作業はわずか7か月という期間で実施された超突貫工事でした。そのため船体には大きな歪みが生じ、水漏れを起こすなど工事は難航しました。
宗谷「いたたたたたた!!」ギシギシ
工員「あ、ごめーん……」
それでも第1次観測隊の出発まで1ヵ月をを切った1956年10月17日、なんとか南極観測船「宗谷」は竣工式を迎えることができました。
その船体は灯台補給船時代の白から氷上でもよく目立つオレンジに塗装され、船首には巡視船を示す「PL-107」のナンバーが書き込まれていました。
http://i.imgur.com/bIIejR8.jpg
※観測船「宗谷」

78 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:37:18 ID:GAv5Yem6
1956年11月8日。
第1次観測隊を乗せて東京晴海埠頭を南極へ向けを出港する宗谷を見送るため、付近には凡そ5千人の観衆が集まっていました。
そして同日午前11時、宗谷は77名の乗組員と53名の観測隊員、22頭の樺太犬、1匹の猫、2羽のカナリア、貨物400トンを乗せ、観衆と乗組員や観測隊員の家族らを乗せた海上保安庁の巡視船「むろと」、「げんかい」、「つがる」に見送られ晴海を後にします。
なお、この第1次観測では東京水産大学の練習船「海鷹丸」が随伴船として共に南極海へと向かい、宗谷の行動をサポートしています。

79 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:41:05 ID:GAv5Yem6
宗谷「南太平洋かぁ……久しぶりだなぁ」
航海の途中宗谷は、戦艦大和の沈没地点やルソン島沖など、かつて自らも駆け巡った数々の戦場に献花を捧げています。
しかしその直後、宗谷はフィリピン沖で台風19,20号のダブル台風に襲われてしまいます。
乗組員「揺れすぎィ!!」ドップンチョ
乗組員「よく揺れる船だとは聞いてたけど、ちょっとひどすぎやしませんかね……」
先述の通り、この時宗谷は砕氷の邪魔になることから船の揺れを減少させるビルジキールを取り払っていました。
このことが仇になり、台風による凄まじい揺れは宗谷に搭載されていたセスナ機を破損させてしまいます。

80 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:42:32 ID:GAv5Yem6
乗組員「いくら船運がいいとはいえ、これじゃあ先が思いやられるよ……」ゲッソリ
船長(……そういえば、出港前に元海軍の人が『宗谷が沈まなかったのは艦内の宗谷神社のおかげ』と言ってたな)ウーム
戦前から戦中にかけて、多くの船の船内には船の名を冠した神社を設けていました。
戦後、GHQの命令によりこれらの神社は撤去されていましたが、このことを思い出した松本満次船長は再び船内に宗谷神社を復活させます。
その後、宗谷はなんとか台風を切り抜けシンガポールへ寄港。破損したセスナ機の修理を行います。

81 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:43:20 ID:GAv5Yem6
シンガポールを出港後の12月1日。宗谷は戦後初めて赤道を通過し、甲板上では赤道祭が行われました。
乗組員「これでやっと南極まで半分か……」
宗谷「あっ、流れ星!」
乗組員「おー、すごい数だ……航海の無事を祈っておこう」
ちなみにこの時宗谷がインド洋上で遭遇した流星群は、100年以上行方不明となっていたブランペイン彗星であったことが2005年に判明しています。
この辺りも、運の良い宗谷らしいエピソードといえます。

82 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:44:14 ID:GAv5Yem6
晴海を出港して1ヵ月余りが経った12月19日。
宗谷は南極観測の最前線基地となる南アフリカのケープタウンに入港します。
今後ケープタウンを出港すると、宗谷は「吠える40度」、「狂う50度」、「絶叫する60度」と呼ばれる南極海の暴風圏の中を突き進んでいくこととなります。
南緯40度〜60度の緯度帯では、地球を周回する偏西風や海流の行く手をさえぎる陸地がないため、風速や波の高さがとてつもないものになります。
これにより当地域の通過期間中にあたる元旦は船上でゆっくりすることができないため、乗組員はこの地で盛大なパーティーを執り行いました。

83 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:44:59 ID:GAv5Yem6
1956年12月31日。この年の大晦日、宗谷はついにケープタウン沖の暴風域に突入します。
フィリピン沖で襲われた台風でもそうだったように、ここでも宗谷は乗員たちを振り落さんばかりの勢いで波間に揺られます。
樺太犬「落ちちゃう!!」ズザザー
乗組員「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」ズザザー
この時の宗谷は横揺れの最大傾斜が40度まで達しました。通常、スキー場では上級者向けコースでも最大傾斜は30〜35度程度とされています。25度を超えた傾斜は、ほぼ壁です。
それでも宗谷はなんとかこの暴風圏を乗り切ります。

84 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:46:27 ID:GAv5Yem6
暴風圏を抜けた1957年1月4日。宗谷は最初の氷山に遭遇します。
3日後の1月7日には、偵察のため搭載していたベル47G型ヘリが宗谷の後甲板から発艦。これが日本初の南極上空飛行記録となっています。
上空からの偵察により、宗谷はもうじき南極を覆うパックアイスの先端に到達することが判明します。
パックアイスとは、海流に押し流された流氷が積み重なってできた、巨大な氷塊のことです。
南極大陸に接近するためには、宗谷はこのパックアイスをかき分けて進んでいくしかありません。

85 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:48:11 ID:GAv5Yem6
1957年1月10日、パックアイスの先端に到達。
ここで随伴船「海鷹丸」から航空燃料の入ったドラム缶を受け取ると、宗谷は単身氷塊の中に進入していきます。
とはいえ、ただ前に進めばいいというわけではありません。パックアイスはそれぞれ厚さが異なり、あまり無理に進もうとすれば船体にダメージを与えてしまいます。
さらに、これらの氷塊は常に海流によって流されています。もし進んだ先でパックアイスに囲まれてしまうと、氷上で身動きが取れなくなってしまう「ビセット」という状態に陥ってしまいます。
このため、南極大陸に接近するためにはパックアイスの裂け目や、氷の薄くなっているところを探しながら進んでいく必要がありました。

86 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:49:33 ID:GAv5Yem6
1957年1月16日。
氷状偵察に出ていたセスナ機が、プリンスオラフ海岸に沿って続く細長い開水域を発見。
この開水域は「利根水路」と名付けられ、宗谷はこの水路を進んでいきます。
過去に欧米各国の上陸を幾度も拒み続けたプリンスハラルド海岸に向け、時には立ちふさがる流氷をダイナマイトで発破しつつ、宗谷は着実に氷海の中を進んでいきます。
そして……

87 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:50:06 ID:GAv5Yem6
1957年1月24日。
南緯69度00分22秒・東経39度35分24秒。
宗谷はついに、オングル島プリンスハラルド海岸に接岸を成功させます。
船齢18年の老朽船が、歴史を塗り替えた瞬間でした。

88 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:50:40 ID:GAv5Yem6
到着後、すぐに犬ぞり隊が偵察として南極大陸に上陸します。
翌25日には観測基地をオングル島に設置することが決定し、搭載した物資の荷降ろしが始まりました。

89 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:51:11 ID:GAv5Yem6
1957年1月29日。
第1次南極地域観測隊がオングル島に公式上陸を果たし、基地を設営。
この基地を「昭和基地」と名付けました。
このニュースはすぐさま日本へと届けられ、街中では号外が出されるなど日本中が歓喜に湧きました。

90 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:51:49 ID:GAv5Yem6
乗組員「来たんだなぁ、南極大陸に」
宗谷「来たんですねぇ……」
乗組員「この船はまさに……そう、不可能を可能にする船だ」
乗組員の誰もがそう信じて疑いませんでした。

91 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:52:21 ID:GAv5Yem6
しかし、感慨に浸っている暇はありません。
観測隊が上陸してから2週間あまり。南極は季節が秋になりかけており、辺りには強風が吹きつけ気温も低下しはじめていました。
この強風により氷が緩んだ隙に、宗谷は一刻も早くプリンスハラルド海岸から離岸しなければいけません。

92 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:53:13 ID:GAv5Yem6
2月15日、宗谷は西堀栄三郎率いる越冬隊員11名を残し、接岸地点を離岸し日本への帰路につきます。
しかし翌16日には猛吹雪に見舞われ、ついに宗谷は氷中にビセットされてしまいます。
宗谷「ううう」ギシギシ
乗組員「くそー……氷にはまっちまった」
乗組員「なに、心配はいらない。俺たちが乗っているのは宗谷だぞ」

93 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:54:19 ID:GAv5Yem6
しかし、一週間経っても宗谷は氷から抜け出すことができません。
それどころか、閉じ込められた流氷ごと宗谷は南極沖を流され続けていました。
船長(これは下手すると乗組員を降ろして流氷中で越冬する羽目になるかもな……)
この事態を受け、海上保安庁はアメリカとソビエトに宗谷の救援を要請します。
そんな状況下でも宗谷は、氷中で何とかもがきつつ外洋に向け徐々に進んでいきました。

94 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:55:11 ID:GAv5Yem6
ビセット状態になってから約2週間後の2月28日早朝。
天候の回復によりビセットが解け、宗谷は砕氷を再開。午後には外洋まであと10kmほどの地点まで到達していました。
宗谷「ふう、ふう……」
海鷹丸「おーい!!」
オビ号「助けに来ましたわよ」
こうして宗谷は海鷹丸の誘導で救援に到着したソ連の砕氷船オビ号と合流。無事外洋へと脱出を果たします。

95 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:56:17 ID:GAv5Yem6
その後、宗谷はケープタウン沖で再び暴風圏に突入し、今航海最高となる片舷69度という凄まじい揺れに襲われます。壁です。
これを何とか切り抜け、3月10日ケープタウンに寄港すると、その後寄港したオビ号の乗組員と相互訪問を行い祝宴や意見交換会が開かれました。
なお、この時第1次南極観測隊長である永田氏と、宗谷航海長の山本順一氏は一足先に空路で帰国しています。
その後1ヵ月をかけ、宗谷は往路に辿った道を日本へと向け進んでいきます。
http://i.imgur.com/NyGD37Y.jpg
※傾斜69度のイメージ(模型)

96 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:56:53 ID:GAv5Yem6
そして、1957年4月24日。宗谷はついに日本へと帰ってきました。

97 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:57:23 ID:GAv5Yem6
観衆「おかえり!!」
宗谷「ただいまー!!」
半年ぶりの宗谷の帰港を、観衆は盛大に迎え入れます。
こうして宗谷の名は、不可能を可能にした船として日本全国に知れ渡ることになるのです。

98 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:57:53 ID:GAv5Yem6
続く

99 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 21:58:29 ID:GAv5Yem6
参考文献
衆議院会議録情報 第026回国会 文教委員会 第19号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/026/0462/02604170462019a.html
第1次観測を終えた永田氏への意見聴取議事録。

100 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/18(水) 22:55:43 ID:lIxy4E1.
おつおつ

101 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:54:20 ID:gRB8vZaQ
-偉大な宗谷よ、さようなら-

102 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:55:00 ID:gRB8vZaQ
宗谷の帰港に先駆け帰国していた永田・山本両氏は、文部省の南極地域観測統合推進本部(南極本部)へ招聘されます。
これは、彼らの意見をもとに翌年の第2次観測以降も宗谷を継続して使用することができるかどうかを判断するためでした。
南極本部「おかえり! で……どうだった?」
永田・山本「めっちゃ揺れた!!」
南極本部「でしょうなぁ……」

103 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:55:31 ID:gRB8vZaQ
山本「後はやはり砕氷能力に不安を感じますね」
永田「日本が割り当てられているプリンスハラルド海岸一帯は、南極でも随一の難所ですから」
南極本部「そりゃあ、ウチとしてもできれば新造船を用意してあげたいけれど、なかなか目途が立たなくてねぇ……」
永田・山本「でしょうなぁ……」
こうして第一次観測の知見を生かし、宗谷は砕氷能力やその他の性能を改善するための再改造を受けて継続使用されることが決定します。
なお、この時宗谷が受けた改修は以下の通りです。

104 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:56:11 ID:gRB8vZaQ
・船体設計を見直し砕氷能力を1.2mに向上。
・後部マストに続き前部マストも門型に変更。
・ビルジキールを砕氷の邪魔にならないよう4分割して設置。
・観測および航海のために10000mの深海まで使用できる音響測深儀を増備。

105 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:56:48 ID:gRB8vZaQ
・暴風圏での姿勢安定のため帆を常備。
・搭載機をセスナ機からより大型のDHC-2(昭和号)に変更。
・舷側の氷の状態を確認するため30cm探照灯2つと投光器8個を増設。
・貨物積載量、居住区画増加のため甲板を段差のない全通型平甲板(フラッシュデッキ)へ改造。
重ねて言いますが船齢18年の船に施す改造じゃありません。もはやテセウスの船状態です。

106 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:57:26 ID:gRB8vZaQ
こうして南極観測船として2回目の大規模改修を受けた宗谷は、前年の経験から出港を1ヵ月繰り上げ、1957年10月21日に東京港日の出埠桟橋を出港します。
前年の第1次観測の成功により、宗谷への期待はさらに高まっていました。
特にこの年の第2次観測は、いわば「下見」といえる第1次観測の時とは違い、IGYの本観測にあたるため関係者は絶対に成功させなければならないと意気込んでいました。

107 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:58:29 ID:gRB8vZaQ
ところが、この年の南極の気象状況は極めて厳しいものでした。
宗谷以外にも欧米各国の砕氷船がビセットしてしまうような状況の中、宗谷は再び南極大陸を目指します。
悪天候のため航空機を使った氷状偵察もできぬまま氷中を進む宗谷でしたが、この年の大晦日、ついに分厚いアイスパックに捕まってしまいます。
そしてその後1ヵ月もの間、宗谷は流氷と共に南極海域を流され続けました。

108 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 21:59:12 ID:gRB8vZaQ
翌1958年2月1日、船の周りを囲っていた氷が緩み、このチャンスを逃すまいと宗谷は脱出を試みます。
乗組員「がんばれ! ここで脱出できなかったらまた氷漬けのまま流されるぞ!!」
宗谷「あっ」ガリガリガリ
乗組員「スクリュー破損!!」
乗組員「いけないよそんなこと!!」
この脱出の際、宗谷は左舷スクリュープロペラのうち1枚を破損し、さらには1ヶ月間の漂流で搭載している食糧や水も余裕は僅かという、まさに絶体絶命の状態に陥ってしまいます。

109 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 22:00:09 ID:gRB8vZaQ
しかし、それから5日後の2月6日。宗谷は46日ぶりに外洋に脱出に成功。
翌7日には海上保安庁が救援を要請していた、アメリカ海軍の砕氷艦「バートン・アイランド」と合流します。
バートン・アイランド「私たちの力を合わせればこの難関も乗り越えられるわ!!」
宗谷「そ、そうでしょうか……」
こうして宗谷はバートン・アイランドの支援を受け、翌8日には再びパックアイスの中に進入を開始します。

110 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 22:00:53 ID:gRB8vZaQ
ところが、その日の午後のうちに宗谷を誘導していたバートン・アイランドの搭載ヘリが氷上に不時着。これを受け宗谷は救出活動を実施、進入をここでやめることとなります。
バートン・アイランド「吹雪には勝てなかったよ……」
宗谷「南極は怖いところです……」
乗組員「こりゃ、今年の接岸は無理だな……」
この段階で観測隊は南極への接岸を諦め、天候の回復を待って搭載している航空機(DHC-2、昭和号)で越冬隊員を引き揚げることを決定します。

111 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 22:01:49 ID:gRB8vZaQ
2月11日。それまで吹き荒れていた吹雪が収まり、なんとか昭和号を飛ばせるようになります。
2次観測隊「迎えにきたぞ!」
越冬隊員「よかった、やっと来てくれたか!」
2次観測隊「いまのうちに、人も物資も可能な限り運ぶんだ!!」
こうして宗谷は航空機によるピストン輸送を行い、1次越冬隊11名、樺太犬シロ子と子犬8匹、三毛猫1匹とカナリア2羽を帰船させます。
また、翌日には宗谷から下船した2次観測隊3名が昭和基地に到達します。

112 :以下、名無しが深夜にお送りします:2016/05/19(木) 22:02:32 ID:gRB8vZaQ
ところが、この天候の回復は一時的なものでした。
2次観測隊が昭和基地に着いた翌日の2月13日になると再び天候が悪化。昭和号による空輸ができなくなってしまいます。
乗組員「くそー……また吹雪か」
乗組員「さすがに近代に至るまで人間の侵入を拒んでいた場所なだけある……昨日下船した2次観測隊は無事だろうか……」
過酷な状況に乗組員たちは神経をすり減らしていきます。